Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 4
第四の失敗は、イギリスとフランスとが、ポーランドとルーマニアの独立を1939年に 保証したことである。その時点で、これまで、ヒトラーとスターリンとが戦うことが避けられない状況で在って、その際ヨーロッパの民主主義国は介入しない方針をとっていたのであるが、その方針が変わったのである。
これは、ヨーロッパ外交史のなかでも、力関係の外交を見た場合に、歴史上最大の失策であった可能性がたかい。イギリスもフランスも、ポーランドを侵略行為から救い出す力がなかったのにもかかわらず、この保証によって、ヒトラーとスターリンの間に、民主主義の形態を投げ出すことになった。
スターリンをヒトラーから守ることになったばかりか、スターリンの影響力を、一番高く買った者に売ることができるようになったのである。スターリンは、バルト海諸国と東ポーランドを併合した。スターリンは、ヒトラーから獲物をうばったのである。ヒトラーは、南東ヨーロッパに拡張して、モスクワの共産党の本山を破壊することを放棄したわけではなかったので、まず、前進するためには、西側の民主主義国の中立化をする必要があった。第二次世界大戦の長い汽車がこの、ポーランドの保証という過ちから、発車することになった。ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。チャーチルは、政権をとっていなかったが、ミュンヘンでヒトラーと妥協してチェンバレンがめちゃくちゃな行動に出ることに貢献した。
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