Freedom Betrayed--Hoover's Conversation 2
そうした理由で、必要なことは、武器の製造工場を破壊し、日本人を武装解除して、それを監視するための委員会を継続して、一時間くらい離れた島に飛行場の持つことであるとした。マッカーサーは、日本の軽工業あるいは重工業のいずれをも抑制することは必要ではないとして、現在工場施設を取り除くという脅しがあるために、産業再生に向けた行動ができない状況にあると述べた。
マッカーサーは、マーシャルが中国で成功する確率は、2千分の1であるとして、また、ソ連との交渉においてロシアの妨害を細部に亘って説明した。ソ連は、持続的に日本ジャップに政治宣伝をおこなっており、日本の捕虜の間で共産主義の学校を作り、日本に浸透作戦を行っている。もし、日本の生活水準が低下して重い賠償金が課せられることになれば、日本は、自由を求めて、又ロシアの保護を求めるために共産化する可能性があり、アジアにおける共産主義の潮の流れに対抗して、日本から太平洋に広がる思想的なダムを造ることが必要だと述べた。
迅速に止めなければ、ソ連は満州国に傀儡国家を作る可能性があるが、軍事手段を持って阻止するのではないと、マッカーサーは考えている。
一般的に言って、マッカーサーは、太平洋における戦争の結果の早退について悲観的な見方をしている。
私は、マッカーサーに対して、米国内で、1948年の大統領選挙の立候補になることを期待する向きが多いとのべて、自分もマッカーサーが当選することを信じるとのべたところ、自分はその気がないとのべたので、自分もそうだろうと結論づけた。
本国アメリカでは、道徳的なそして政治的な退化現象が大きくなっており、不満や、極度の華美、賭博などが、大きくなっていると述べて、1946年の選挙のあとの適当な時に、帰国して米国国民の評価を受けるためには、道徳問題と、政府、そして外国との関係の三つの課題についての演説会を行うことができれば、洗者聖ヨハネのようにアメリカが必要とする人物になることができるとのべたところ、マッカーサーは、何時が適当な時期なのか教示して頂ければ、実行に移そうと述べた。マッカーサーは、30年から32年までの、我々の関係についてfeelinglyに述べ、更には、マッカーサーが、(フーバーの)準備計画を防御する為に、ルーズベルトとの確執が起きた最初の理由であったことや、ルーズベルトがその計画の削減のためにいかにこだわったかなどについて縷々述べた。私が、日本人のための食糧計画に反対するのではないかとおそれていたらしく、マッカーサー将軍の部下から提案されていた、栄養の最低を千キロカロリーにすることに賛成ことに感謝した。その数字は、生存するためには低い数字であるガ、それまでは、もっと以上の栄養がとれないと失望状態にあったからである。
マッカーサーの部下の一ダースくらいの数の人と、戦争と平和、日本経済、アジアの諸問題について意見を交換した。彼等の心を占めていたのは、ロシアの脅威であった。だから、日本を訪れていた空軍の司令官のひとりは、私に真剣な顔をして、90日以内に戦争にならないだろうかと尋ねてきた。空軍の組織をガラガラにしたばかりの時だったから、早く、何とか空軍の組織の立て直しをしなければならないと考えたらしい。私は、大丈夫だ、ロシアは、収穫時期を過ぎなければ戦争を起こさない(時は五月で、北半球の秋の収穫の時期は八月か9月である。)、答えておいた。
注。マーシャルは、中国で国民党と共産党を和解させるために訪中していたし、統一中国を造ることをめざしていた。
ポーリー(Edwin A. Pauley)は、トルーマンが任命した人物で、ヨーロッパではドイツの賠償についてのアメリカ代表を務め、日本と、ソ連が占領した朝鮮と満州の日本の財産についての米国の賠償問題に関する代表団の団長を務めた。
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