構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2012年1月

Economics of Patriotism 5

Economics of Patriotism 4

阿川弘之氏の息子だから、こんなことを言っていると言えば、驚くかも知れない人物である。大学時代から「国に留学して、米国の弁護士資格を取っているが、日本の論壇でも保守派の論客として活躍するようになった。諸君という雑誌で、「日本は米国51番目の州になってもいいじゃないか。なにも変わらないで継続する」と述べた論文を寄稿した。

阿川尚之氏は日本が米国の一部になっても、合衆国の州はステイトとして自治権をもつから、日本もステイトとしてそのまま参加できるから、日本の国旗・国歌も州旗、州歌として採用されると嘯きました。

更に、「民族の思い出を保持しようとする決意さえ持っていれば日本が米国の51番目の州になっても天皇も文化も何ら変わることなく継続する」というあきれた認識を示している。皆さん、信じられますか。文化主義よりももっと悪い。

民族の思い出の象徴として生き延びる、だからいいじゃないか。更に、阿川氏は、南北戦争と大東亜戦争とを同列で論じて、南部が負けた悔しさがわかるだろう。太平洋戦争で負けた日本は南北戦争で負けた南部と同じである。負けた悔しさが分かる。日本人もまた米国人と彼等の歴史に共感を抱き、共に働いていこう、と論じている。彼の頭の中では最初から日本は米国化されたグローバルな世界のなかで位置づけられており 、その一部になっても、天皇は属国になっても継続されるからいいと言うことですが、これは、三島が説く文化主義的なかざりにすぎなーい。こうしてみると、グローバル化は文化主義と同様に危険である。戦前、ゾルゲ事件で死刑になった尾崎秀美も同じことを言いました。彼は、共産主義によるインターナショナルな統一的な世界ができたときに、「天皇制度は廃止されるだろうが、最も古い家としての天皇家は残るだろう」と述べています。尾崎は、ソビエト・ロシアによりおロマノフ王朝が倒された時、王族がどんな目に遭われたか知らなかったのでしょうか。彼の論理では、ソビエト・ロシアが世界を統一するもので、その中にいく日本は決して弾圧されない。文化としての天皇は残るだろうと発想する。グローバル化の気味の悪さで、こうした例を挙げている。この人達は、アイデンティティーがどこかへ行ってしまっている。倒錯してしまっている。こうした倒錯は現在の日本人とも無縁ではない。エコノミスト達は、米国中心の世界経済がまず頭にあり、日本はそれにどう貢献するかを考える。そんな人達に日本経済が復活したり、豊にすることができるとは思えません。

話題になっているTPPについて、重大な問題として、何人かと連携して反対を唱えてきた。TPPは小国が集まって04年にたんじょうしたが、08年に米国が突然参加を申し出た。小国の連合に対して、大国がいきなり乗っ取りをしたと言っても良いが、そこで、TPPの性格が変わった。私は、米国の狙いを金融と投資であると指摘した。08年以前には、協定状況に投資と金融はなく、TPPを利用して、金融・投資の自由化をしようとしたのが、米国のもくろみです。09年に大統領に就任したバラク・オバマは、露骨に、TPPは米国の国内の景気対策で有り、実は雇用対策であると言い、通商代表部も議会に同趣旨の文書を送っている。自由貿易等とは一切言っていない。TPPの相手として米国以外は小さすぎた。バカなことを言うなとウォールストリートジャーナルに記事が出て、からかわれた。その後ろに、そこで日本と韓国とをくわえてはどうかとの意見があり、ピーター村研究所などが出て来て、安全保障と絡ませれば日本は断り切れないなどとの意見が出て来た。この時点で、日本と韓国とを巻き込む戦略になっていく。

TPPの効果という、数字で、2.7兆円という数字が出たが、日本のGDPの内からすれば、意味が無い数字であった。日本の新聞は腐っている。0.054%の数字である。財界は、韓国が対米輸出を伸ばしたなどと、まことしやかに言った。

(つづく)

Economics of Patriotism 3

東谷暁氏の講演は続きます。

グローバル化した必ずしも豊になる、経済が良くなるとは限らない。グローバル化すれば、外国の物資が入り、国内には競争が生まれ製品も良くなると言われるが、おかしな議論で、成熟した市場があれば、製品が向上するのは当たり前のことだ。一番競争がないと言われるおコメをとりあげても、コシヒカリやササニシキといった品目が生まれたのは、開放体系になったからではなく、おいしいお米ができるおは、日本国民がコメに関心を寄せて大事に食べたからで、愛しんだ結果であって、別に国際的に開放しなくても、成熟した市場であれば、良い製品は生まれる。保護主義はいけないと言うことになっているが、それもおかしい。強い国は、いつも自由貿易を主張する。2004年の米豪協定は、豪州がソンをしただけであった。経済協定を結べばいいことがあるというのは、間違いである。

米国は、90年代以降から、グローバル化と世界の金融化をはじめたが、金融支配は怖い面がある。

これに先立つ80年代、米国の法律学者のリチャード・ポズナーが、正義の経済学と言う本を刊行した。日本では余り知られていいないが、米国の行く末を象徴するような本だった。これには、とんでもないことが書かれていた。「正義とはお金で計った富の最大化である」と書いてあり、私は最初読んだときに、冗談かとおもったが、ポズナーは本気で、例えば、煤煙で住民の健康を損ねる工場を、住民が賠償金を出せと工場の罪を訴える、ポズナーの基準では、工場が住民に賠償金を払って住民を現地から立ち退かせ、なおかつ工場の操業が続けることができるのであれば、富は最大化するので、このやり方が正義であるということになる。あきれたことですが、しかし、ポズナーのリオンは、80年代米国の学術論文のなかで一番多く引用された。70年代までは米国は世界で一番金融規制が厳しい国でしたが、80年代に入って製造業が低迷すると、金融に傾斜して倫理や道徳も変質して、ポズナーの理論が本が受け入れられるようになった。精神が変わってしまった。

日本人も無縁ではなく、日本でも正義の経済学のロジックを取り入れた連中が大勢いた。構造改革派と称して世に出て来ます。タクシー免許を野放図にどんどん発行させる規制緩和がされた。タクシーの数が増えて、運転手の収入が減り、渋滞も増えるが、国民もタクシーをもっと利用して、お金で計った富が最大化するだろうという構造改革が主張されたことは、記憶に新しい。

ホリエモンという人物の会社がもてはやされ、会社の株がどんどん上がったが、それを意識的に煽って、他の似たような会社の株もあがって、逮捕されて会社がつぶれるが、ホリエモン以前と以後では全体の株が上がっているとすれば、ホリエモンの業績を誉めるべきか、これは正義なのだろうか。株価を上げ、また、日本のベンチャービジネスを盛んにしたと評価する意見が今もあるが、明らかにこれは、ポズナーの論理である。我々の周りでは、ポズナーの論理で発生した。危険で、実際日本でもその現象が起こったのです。お金で計った富の最大化を持ち出すと、倫理は道徳は傷ついてしまう。

視点を変えて話をしたい。世界化やグローバル化は、金融というものに係わって、人間の倫理、道徳、そしてその国の価値観をどこまで駄目にするのだろうか。例として天皇に注目する。三島由紀夫が天皇について述べた代表的論文が「文化防衛論」であるが、この中で、一番注目すべき点は、「文化主義によって、天皇というものが閉じ込められてしまう」という点だ。菊と刀が切り離されてしまう。三島が敵として想定したのが、文化主義でした。文化主義によって無害化され、無機的でニュートラルな概念が生まれる。これは秘儀である。これが天皇という概念の「死」になるーーと鋭く分析している。しかし、文化主義だけではなく、グローバル化も世界化も日本を駄目にする。

作家阿川弘之の息子に阿川尚之という人物がいる。

Sense of Mission 2

鈴木宗男先生の講演会への案内である。2月7日、午後5時から東京赤坂の区民センターで、月刊日本の主催で開催される。ご参加希望の向きは事前に籃楽が必要である。http://gekkan-nippon.com/pdf/2012-01-07.pdf

Iced Pond

東京の冬の寒い朝だ。池の水面が凍っている。

 

Economics of Patriotism 2

東谷暁氏の講演は続きます。

実は、当時流行ったグローバルスタンダードという言葉は、日本でしか通用しない和製の英語だったのです。フクシマさんが、某雑誌で「そんな言葉は米国内では使っていない」としゃべっています。しかし、そういう言葉を使うとかっこよいとなり、国際的という言葉に、日本人は弱くなって、構造改悪を支持する連中が流行らせた。数年後には、英米の経済誌にも載るようになったが、実は、日本人がつくった英語の逆輸出だった。何という屈辱でしょうか。また、90年代には、日銀を政府のコントロールから外そうとした日銀「改革」や、2000年の金融庁設置も米国化の一端だ。なぜこれらの改革を行うのか、金融庁をつくるのかという議論は取り上げられずに、これまでの制度が立て直されるのだという報道のみがまかり通りました。これは変だと思って、「金融庁が中小企業を潰す」と言う本を書きました」(草思社)が、1000ページある米国の金融マニュアルを移植して日本の金融機関を取り締まろうとするものだった。その外国のマニュアルの翻案をしたのが木村剛という人物で、このマニュアルのせいで日本の中小企業は全く実態にあわないものをごり押しされ、ばたばたとつぶれていきました。彼は、金融改革の英雄として一時祭り上げられましたが、(2010年)日本振興銀行の事件で逮捕されていますが、誤った思想で日本の企業を潰していったという問題を考えると、もっと以前に逮捕されるべき人物だったと思います。アメリカのマニュアルで、中小企業を潰し大銀行を取り締まった。

バブル崩壊後の21年間は、改革の名前の下に、日本の経済や経営で強い部分を廃棄処分にしていった。米国が要求した以上のことを大喜びで、経済学者やエコノミストという連中の日本側の(手先が)やってしまうことでした。まさに奴隷根性ですね。例えば、郵政民営化にしても米国が要求していたのは、簡保市場の開放でしたが、日本側は郵政公社自体をバラバラにしてしまった。民営化してしまった。それをエコノミストの連中が盛り上げた。

そんな改革で日本が強くなるわけがない。自らの強みをつぶして経済が停滞しても、未だに、日本はグローバル化していない等という者がいる。こんなことをして強くなる国があるわけがなく、奇跡でも起きない限りあり得ない。

グローバル経済は、米国の都合で行われた政策だったが、もうひとつの特徴は、金融が中心に有り、投資を日本でやりやすくするために、日本の金融制度を変更させた。投資の仕組みなどをどんどん変えてしまった。

金融が構造改革の対象となるのは当然であると考える方もいるかも知れないが、しかし、元々の経済学では、金融をグローバル化するというのは禁じ手である。やっちゃいけないことだった。経済学の父であるアダム・スミスは、日本の改革派?の日本の経済学者やエコノミストに信仰されていますが、意外なことに、経済を安易にグローバル化してはいけないと主張していた。アダムスミスは、自由貿易などを信じていなかった。18世紀の経済を考え詰めた結果、「貿易はろくなものじゃない」と言う結論に達して、自由貿易の危険性を説いたのが、アダムスミスの経済学である。

そもそも、アダムスミスの主著は、国富論であって、世界経済論ではない。正式の題は、「諸国民の富の性質と原因の研究」であるが、「ロンドンとエジンバラの間のものを流通させるのは良いことだが、英国がお金が欲しくてフランスと交易をするのはいいことではない。ましてや、オランダのように、お金がお金を生むような貿易は最低だ。決して国民のためにはならないだろう」と主張している。歴史的な背景を考えると、当時、世界の金融の中心地は、オランダのアムステルダムで、金融を仕切っていたユダヤ系の人達が大勢いた。アダムスミスは、それを見ぬいて貿易はろくなものじゃないと言ったのだが、案の定、オランダが没落すると、金融関係者はシティに逃げ込んでいった。繁栄しているところに、金融関係者が入り込むの今も同じである。現在米国は金融の中心になっているのは、米国人が金融に長けているわけではなく、反映している大国に金融関係者が集まるからだ。

お金がお金を生むようなことに、重きを置くような国民経済がうまくいくわけがないとアダムスミスは、18世紀の頃から気づいていた。これが経済学だ。自分の国の経済を考えてこそ、自分の国が豊になり強くなるーーこれが本当の経済学でしたが、彼の考え方は段々と失われ、これをもう一度復活させたのが、J・M・ケインズでした。

ケインズは、不況の時に、財政出動させて、景気を回復させる理論を経済学にもたらしたのですが、ケインズの歴史的、あるいは経済学史的な意義はもうひとつ別なところにある。ケインズは、1929年に始まった世界大恐慌を見て、この原因は何か、「グローバル化された金融」なんだと見ぬいている。1933年に論文を書いて、「金融によるグローバル化をやめるべきだ」と提唱している。 通貨を、国境をこえて流通させるのをやめ、流通するのはものだけにしよう。また不況時には、景気回復のためには海外投資を止め、国内への投資をまず重要視すべきだというのが、ケインズの主張だった。閉鎖けいざいにしないと景気はなかなか回復しない。36年に書いた有名な「雇用・利子・および貨幣の一般理論」でも閉鎖の大系で書いている。今の経済学者は、ケインズは洞察力がなかった、国際経済には無知だなとと、批判するものがあるが、ケインズは国際経済を理解していたからこそ「国際経済中心をやめよう」と提唱したのです。ケインズは、若い時から自分達の国英国の繁栄に視点を据えて議論をしていました。同性愛者だったという人もいる。20年代に、当時大蔵大臣だったチャーチルの金本位制に復帰せよとの議論に反対して、イギリスは没落してしまう恐れがある、チャーチル氏の経済的帰結という題のパンフレットをつくり配ったこともありました。私は、アダムスミスと、ケインズのふたりの視点は、今でも正しいと思っている。

Economics of Patriotism

東谷暁氏が、喫緊の外圧の課題となっているTPPとその背景について鋭い分析を行ってる。憂国の経済論という演題にふさわしい堂々たる講演である。

三島由紀夫の追悼する会合での講演である。冒頭で述べた要旨は、次のとおり。

自分はジャーナリストであり、経済学者や、エコノミストの議論を批判してきた。憂国の経済論と言う演題は、大変なことを引き受けたとの感あり。なぜなら、三島由紀夫は経済の繁栄を真っ向から批判した人物で、「果たしえていない約束」の中に、「日本は無くなって、その代はりに、無機的な、空っぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜け目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。それでもいいと思っている人たちと、私はくちをきく気にもなれなくっているので或る」と書いている。わたしは、日本の戦後とは何だったんだろうと言うことを考える際に、必ず昭和45年11月25日に引き戻されてします。私が、者を考える際のひとつの拠点、基地のようなものだ。三島文学どころか、文学自体勉強したことがないが、三島由紀夫が語っていた、「経済的繁栄」とは何だったのか、なぜ、「経済的繁栄」を否定したのか、を今日は考えていきたい。

90年代になってから、日本経済は没落したと言われているが、同意できない。90年代に株価が下落してバブルが崩壊したが、それは、世界がグローバル化に向かって着々と進んでいたのに、日本だけがグローバル化に遅れたという議論が急速に憩いを増したのであるが、実態は、逆で、グローバル化を安易に受け入れたことが日本経済をダメにしたのではないかと考える。

89年から90年にかけて日米構造協議が始まった。象徴的な事件で、米国は日本に約2百数十もの要求を突きつけた。しかも、それまでの経済協定、経済交渉と歯全く異なる者で、日本の経済制度を要求するものであった。日本側からは、十数個の要求しか出していないから、甘くみていたのかも知れない。外国が他国に経済制度を変えるように要求するという異常な話で、全くおかしいはなしであったが、日本はこれをつきつけられて、殆ど全部受け入れてしまった。規制緩和が声高に唱えられ、構造改革と言う言葉が登場した。マスコミは良いことであると報道した。他国から強要されることがなぜそんなに良いことだったのでしょう。

そもそも、日米構造協議は建前として日米間の貿易不均衡を解消するというものであった。日本の貿易黒字が膨大で、米国の貿易赤字は膨大であった。あたかも日本が悪いかのように批判されて、日本は唯々諾々といくつもの要求を呑んだ。ところが、日米構造協議の目的は、そんなものではなく、構造協議を仕掛けた米国通商代表部のグレン・フクシマが著書の「日米経済摩擦の政治学」(朝日新聞社)で内情を暴露しているが、「日米の貿易不均衡は解決できないことが分かっていた」。米国は借金をしながら消費をする国で、足りなくなればドルを印刷して間に合わせる。日本は輸出をしてどんどん貯蓄する。このふたつが貿易したから、日本が黒字になり、米国が赤字になるのは当たり前のこと。これを解消するなら、米国が消費を減らすから、日本が貯蓄を減らすかしかない。それでは、なぜ、構造協議が開かれたのか。先代のブッシュ大統領の人気を、日本を叩くことで、回復するため。それから、フクシマが指摘するように、「日本の米国化が始まった」とすることだ。その後、日米包括協議、それに基づく年次改革要望書が日米で交換されるようになった。(年次改革要望書について、名著拒否できない日本を書いた、関岡英之氏が会場に参加していることにも言及している)交換といっても、一方的に米国が日本の経済構造の「改革」を要求してくるものであり、これが、延々と続いた。98年からは、金融制度を米国式に変えるとした「金融ビッグバン」がはじまり、2005ねんには、郵政民営化という名の、簡保の市場開放を強制された。

グローバル化と言うのは、アメリカ化であった。

97年~98年の流行語に「グローバル・スタンダード」があり、98年初頭には、殆どの企業の社長が新年挨拶に使ったが、私は、「グローバルスタンダードの罠」という本を書いて日刊工業新聞社から出版して、グローバル化の内情を調べてすっぱ抜いた。これが、自分の初めての本であった。

High Salary and Reward 2

11月号の記事には、「あの木村剛氏が設立して破綻した日本振興銀行がイオングループに事業譲渡された事についての解説も載っている。こんな具合だ。

「イオン銀行への譲渡で図らずも露呈したのは、木村剛氏が主導し、竹中平蔵元金融相が認可した振興銀行の資産内容は、ほぼ全てが不良な者であったと言うことだ。さる8月26日、「日本振興銀行に対する行政対応等検証委員会」委員長、草野義郎氏)の検証報告書が公表され、「むすび」でこう結論づけた。「本来なら銀行免許を交付すべきではないのに、判断を誤らせ、「妥当性を欠く不当な免許」が交付されてしまったのである。その結果、預金保険機構への多大な損失と預金者への負担を招いたのである」と書いている。太字で、「実際、整理回収機構に続いて、預金保険機構でも、刑事、民事で竹中元大臣を訴えるべく準備を始めるといわれる。」と書いているが、その後、どうなったのだろうか。検証報告書がでても、刑事告発があってもなにも起きなかった郵政民営化の不正闇の中に消えてしまったのと同様に、悪がほおかむりをしたまま放置されるのだろうか。

High Salary and Reward

とある月刊雑誌の昨年の11月号を読んでいたら、興味深く読める記事がある。普通であれば、去年の暮れのことであるから旧聞の属することになるが、政治の停滞があるために、新鮮にみえたのだろうか。

「日本の国会議員には高額な歳費に加え、月額100万円の「文書通信滞在費」、月額65万円の「立法事務費」が支給される。これを合計すると、年間4戦76万円にも達する」と書いてある。震災後、歳費(つまり給与)から月額50万円を削減していたが、昨年の10月から、もとどおりの129万円に戻している。ともあれ、日本の国会議員の年間報酬は、米国、イギリス、ドイツ、スェーデンなどより、遙かに高い。

更に、電話の基本料と東京23区内の電話は無料となっている。私鉄や地下鉄に乗り放題の民鉄乗車証、JR全線無料でグリーン車にも使える鉄道乗車証、選挙区の遠い議員には、航空券も支給される。最近でも、架空の住所を使って、ゴルフをするために航空券を不正にもらっていた参議院議員がいたことが明らかになっているが、その後当局が捜査した話は聞かない。「また国会議員には給与が国費で負担される公設秘書が三人つくが、政策担当秘書は各議員に必要ないという意見もある」と書いてある。

編集後記には、10月の国会休暇中に何と国会議員約60人が外遊していたとも書いている。

他には、「マスコミの政治社会思想の傾向は、第二次世界大戦時に戦争を煽っていた朝日新聞が、終戦と同時に手のひらを返して極端な反戦主義へ変化したように、時代によって、無原則に変化するものだ。市民の判断と称して都合良く国や社会を動かそうとする勢力も、それが自分たちの思いとは逆だと驚く日が来ないとは限らない。根本的な原則に照らして問題を捉える事が、いかに大切かが分かる。」という、小沢事件は「政治倫理審査会」で議論されるべきであり、強制起訴による裁判になじまない性質を持つのではないかとの、菅野英機氏の文章もあった。

Sense of Mission

月刊日本が主催する特別講演会が、2月6日(午後4時半開場、午後5時開演で、午後7時には終了の予定)に、東京の赤坂区民センター(港区赤坂4-18-13,03-5413-2711)で開催される。

講師は、鈴木宗男氏で、演題は「運命に挑み、使命に燃える」とある。

演題は、故小渕総理が座右の銘としていた、「宿命に生まれ、運命に挑み、使命に燃える」からとっているが、宿命に生まれ、の部分を省略しているのが興味深い。

会費が資料代として1000円である。「参加希望者は、事前に必ず申し込んで下さい」と案内している。月刊日本の事務局の電話が、03-5211-0096であるから、当方ブログの読者の中で関心の向きは、「東京義塾で案内をみた」と連絡されて聴講して頂ければ幸いである。激しく転換する時代の中で、優れた政治家の本音がこだまするような講演会になることが期待される、おすすめしたい会合である。ご参考まで。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%88%B4%E6%9C%A8%E5%AE%97%E7%94%B7

これまたご参考まで。

Author of "My father, Kim Jong Il, and I: Kim Jong Nam's Exclusive Confession"

There was a luncheon meeting of the Foreign Correspondents' Club of Japan, where Mr Gomi YOji, Senior Staff Writer of the Tokyo Shimbun(a daily newspapers company in Tokyo and Nagoya), the author of the Kim Jong Nam's Exclusive Confession just published in Japan.

It is very difficult to have reliable information out of North Korea, but the book by Mr Gomi is a compilation of interviews  with unique insight into the family that has run the country of North Korea and its politics and the people as a scoop.

Mr Gomi accidentaly met Mr Kim Jong Nam, at the Beijin Airport and started communications with him.

Mr Kim Jong Nam was arrested in May 2001 trying to enter Japan on a forged Dominican Passport with  two women and a boy aged 4 and said that he wanted to visit Disneyland.

Mr Gomi interviewed the man in Macao and thourgh more than 150 email exchanges and he released the book on January 20th, even though Mr. Kim Jong Nam commented courteously that the timing of publication can be early but the book became instantly a best seller in Japan.

http://www.amakiblog.com/archives/2012/01/23/#002151

http://www.bloomberg.co.jp/news/123-LYAFBP0UQVI901.html

http://www.excite.co.jp/News/reviewbook/20120126/E1327509069973.html

http://www.theaustralian.com.au/news/world/reform-north-korea-or-fall-exiled-kim-jong-nam-warns-his-little-brother/story-e6frg6so-1226247731316

なお、北朝鮮情勢についてのサイトがあるので、ご関心の向きに紹介する。http://www.pyongyangology.com/

以上、リンクを含めてご参考まで。

 

Where is the Justice?

東京裁判史観を清算する秋(とき)

 昨年12月8日、憲政記念館で、史実を世界に発信する会が、開戦70周年にちなみ、「アメリカはなぜ対日戦争を仕掛けたのか」と題する講演会を開催した。講堂が満員になる盛況だった。YouTubeに掲載され、急逝したブロガーの花うさぎこと故安仲徹男氏が講演要旨をまとめた。①1951年5月3日、マッカーサー元帥は、上院軍事外交委員会において、「日本の真珠湾攻撃は正当な「自衛権」の行使と証言。②経済封鎖は戦争行為であることはパリ不戦条約作成者の一人であるケロッグ国務長官が上院軍事外交委員会で(真珠湾攻撃の13年前の12月7日)認めた。③日本本土爆撃計画が大統領に提出されたのは、真珠湾攻撃の5か月前の7月18日、OKのサインを7月23日にした。

 蒋介石の米国人傭兵が操縦する350機の戦闘機と150機の爆撃機が大陸から日本各地に焼夷弾を投下する計画だったが、飛行機の引き渡しが遅れ真珠湾攻撃が先になった。戦争回避をめざす交渉打ち切りの通告が攻撃開始後に遅れた懈怠は糾弾されるが、最後通告を米側は傍受解読して読んでいた。1941年12月8日午後12時30分から、ルーズベルト大統領の米国議会の両院合同会議で演説して、「昨日、1941年12月7日、この永遠に汚辱(Infamy)に生きる日に、アメリカ合衆国は、日本帝国の海軍及び飛行部隊に突然、そして計画的に襲撃されました。」と、全米にラジオ放送したが、日本に対する先制爆撃計画については触れず、卑劣な騙し討ちとするリメンバー・パールハーバーの怒号のみが残った。1991年12月26日にABCが、バーバラ・ウォルターズ氏が司会する秘密爆撃計画についての特集テレビ番組を放送したが話題にならず、(YouTubeのhttp://youtu.be/C1cX_Fr3qyQ参照)日本爆撃計画の全貌が明るみに出たのは、戦争が終わって52年も経った1997年である。米陸軍航空隊シェノールト退役大尉がロークリン・カリー大統領補佐官等の支援の下で立案して、大統領の承認を得た計画の全貌が、アラン・アームストロング氏により2006年に出版され、塩谷紘氏を翻訳者として、2年後に「「幻」の日本爆撃計画―「真珠湾」に隠された真実(日本経済新聞出版社)として出版された。日本への先制爆撃計画「JB-355」を承認したルーズベルト大統領のサイン入り文書の写真が掲載されている。ちなみにカリー補佐官は、ソ連に機密情報を提供したとして1956年に米国籍を剥奪され、冷戦のさなかに南アメリカのコロンビアに亡命した人物である。ルーズベルト政権中枢に共産主義者が浸透していたことは、対ソ諜報活動をまとめた「ベノナ文書」で明らかにされている。

 さて、昨年七月に田中英道教授の「戦後日本を狂わせたOSS「日本計画」」(展転社)の出版も、日本が戦後政治の分水嶺を越えた証左である。戦時中の戦略情報局(OSS)文書が解禁され、戦後史の根本的な書き換えが始まり、同書は、ルーズベルト大統領が社会主義者で有り、親中反日に固まった人物で、日本の十八都市に原爆投下命令書にサインをしたこと、対日戦後政策が昭和17年には既に作成されており、フランクフルト学派に影響を受けたOSSがGHQの占領政策のお膳立てをしたとする。「従軍慰安婦」問題の発端がOSSの謀略にあるとし、野坂参三の帰国についてもOSSの後押しがあったと指摘して興味深い。近衛文麿がハーバート・ノーマンに殺されたと解説して、OSSが中国の共産化を成功させ、ケーディス大佐を中心とする民政局の心理作戦が戦後のメディアや社会風潮に残存してしまった、日本をドイツのように犯罪国家に仕立てた経緯を述べて、ソ連がビヒモスであったことをフランクフルト学派が追求しないことは世界を荒廃させた原因だと解説する。
さて、1948年の原著出版元のエール大学出版局に不買運動が起きて禁書同然に扱われた幻の名著、チャールス・A・ビアード博士の「ルーズベルトの責任ー日米戦争はなぜ始まったか」が、藤原書店からこの年末始に発売された。ルーズベルト大統領が米国を戦争に巻き込んだ張本人だと糾弾した大著である。

 フーバー大統領の回想録「FREEDOM BETRAYED(裏切られた自由)」(ジョージ・ナッシュ編)が死後47年を経て昨年秋に出版された。戦後訪日し、マッカーサーと会談して「日本の戦争の全てが戦争をしたい「『狂気の男』の欲望によると指摘して、マッカーサーが同意した」等と記録していた。日本の近代史を書き換えを迫る新事実が続々と内外で公表され、東京裁判史観の混乱と原因を清算する時が来たようだ。大地震と原発の暴走があり、TPPや郵政民営化などの属国化に抗し、自立・自尊の日本を求め、戦後政治の分水嶺を越える秋が到来した。

Okuizumo Challenges; Reconsructing Japan

所得無き所に定住なしを、モットーに過疎化が進む島根県の山里の町の活性化に心血を注いだ、前奥出雲町長の岩田一郎氏の業績をまとめた本が文藝春秋から出版された。題して、「奥出雲からの挑戦」長野忠「奥出雲からの挑戦」出版会編、定価は1714円+税である。

当方ブログは、数年前に、奥出雲町を取材して、その感想を掲載したことがある。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore_1.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore_2.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore_5.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore_6.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore_3.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastated_fore_4.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2008/08/devastatedfores_dd91.html

日本を再興するためには、地方を再生しなければならない。地域経営の達人岩田一朗氏に学ぶべく、ご一読を奨める。

一連の郵政民営化などの構造改革が、実は、地方を破壊して、結局は日本を破壊におびきだして、資産を外国に移転しようとした、国際金融資本とその亜流の追従者の陰謀であったことが実感できる。

左側の参考図書館にもリンクを貼るので、ご関心の向きのために、アマゾンから購入の便宜を図ることにした。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 19

モスクワ会議、テヘラン会議、ヤルタ会議、そしてポツダム会議を通じて、中国に係る政策は、第三次世界大戦を引き起こす竜の歯が、世界の至る所にばらまかれた。何年も「冷戦」が続き、朝鮮戦争が勃発し、アメリカが再度敗北してしまう可能性のある恐れのある、北大西洋同盟が弱々しく成立した。

The Dragon's Teeth of World War III

Nineteeth. From Moscow the Teheran, Yalta and the Potsdam Conferences, the policies as to China, the dragon's teeth of a third world war were sown in every quarter of the world and wre to see "the cold war" over years and finally the hideous war in Korea nd the feeble North Atokantic Alliance with all its dangers of American defeat again.

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 18

トルーマン、マーシャルとアチソンが中国に関して、その政治家道を失った第18番目の事例である。ルーズベルトが、蒋介石が共産党と合作することにこだわって、中国に関する裏切りの秘密協定がヤルタでできて、モンゴルと、その結果として、満州をロシアに渡すことになった。トルーマンは、側近の左翼の顧問が強くこだわったことを、マーシャル将軍が、その側近連中の意向を実行する為に任命したことから、全ての中国を犠牲にすることになった。マーシャル将軍は、そうした政策を通して、政治家道が失われて、トドのつまりは、4億五千万のアジアの人々をしてモスクワ傘下の傀儡政権にしてしまったことが、毛沢東に中国をあげてしまった壮大な過ちとして評価されなければならない。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 17

第17番目のアメリカのさまよえる政治家道は、トルーマンが日本人の上に原子爆弾を落とす命令をするという非道徳な命令をしたことである。日本は繰り返して平和を求めていたにもかかわらず、アメリカの全ての歴史のなかで、他に比較するもののない残忍な行為であった。アメリカの良心にとって、永久に重くのしかかるであろう。

Seventeenth. The seventennth wandering of American statesmahsip was Truman's immoral order to drop the atomic bomb on the Japanese. Not only had Japan been repeatedly suing for peace but it was the act of unparralleled burutality all American history. It will forever weigh heavily on the
American conscience.

フーバー大統領の回想録の、日本に対する原爆投下の評価である。二度と過ちを繰り返してはならないのが、どちらの側かは、歴然としている。慰霊碑のいしぶみは書き換えるべきではないだろうか。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 16

ポツダムにおけるトルーマンの過ちが、第16番目の過ちである。民主主義国では、経験の無い人物に政権が渡され、共産主義者が、重要な糸が繋がるようにして色々な場所に出現した。ポツダムでの合意の全てが、スターリンに対して降参したことを追認したり、拡大することであった。共産主義者の併合と傀儡政権がスターリンとより繋がりが強化されたばかりではなく、ドイツとオーストリアの一部がスターリンの懐に入ってしまうような政府の条項となった。賠償の政策の結果は、米国の納税者の負担が怠け者のドイツの救援の為に使われ、ドイツだけではなく、ヨーロッパの再興のために、数十億ドルのカネが使われることになった。戦争捕虜が奴隷のようになり、自らの土地から民族追放が行われることが批准され、ヤルタでのそうした愚策が拡大された。是に加えて、指導者の人々の忠言に反して、日本に無条件降伏の最後通牒が出されたことである。アメリカの経験のある複数の声が勧告した、天皇(みかど)を維持することを許す救済条項を入れないで、無条件降伏を要求したことである。日本側は、回答として、この条件のみを求めたが、原子爆弾が投下された。そして、最後になって、この条件が受け入れられた。

Sixteenth. The sixteenth time of blind statesmanship was Truman at Potsdam. Power had now passed to inexperienced men on the democratic countries and the Communicsts had their way at everry consequential point. The whole Potsdam agreement was a series of ratifications and amplifications of the previous surrenders to Stalin. Not only were all the Communist annexatons and puppets further cemented to Stalin but the provisions as to governments in Germany and Austria were so set as to send parts of these states into Stalin's bosom. The result of reparations policies was to load the American taxpayers with billions of the cost for relief of idel Germans and stifle the recovery of Germany and thus of Europe for years. The wickedness of salvery of war prisoners, the expelling of whole peoples form therir homes was ratified and amplified from Yalta.

Beyond all this, against advice form leading men, the ultimatum ws issued to Japna of unconditional surrender without the saving clause allowing them to retain the Mikado recommeded by a score of experienced American voices. The Japanese、 in reply、 asked only for this cocession , which was met with the atomic bomb--and then conceded in the end.

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 15

これでもかと、日本は和平をもとめる。1945年の5月、6月、7月と、日本は白旗を掲げて和平を求めるしるしを、トルーマンはこれを拒否した。トルーマンは、ルーズベルトの無条件降伏の愚かな条件に従う義務は無かったのである。ヨーロッパの軍事指導者が認めなかった。日本との和平はただひとつの譲歩で達成できた。精神世界でも、日本国家としても元首である天皇(みかど)の保全と言う一点であった。天皇の地位は、千年以上の信仰と伝統に基づくものである。米国側が、最終的に受け入れたのは、数十万の人命が犠牲になった後であった。

Refusal fo Jaanese Peace Proposals of May-July、 1945

Fifteenth. The fifteenth time of lost statesmanship was in retrospect to Japan in May, June and July, 1945. Truman refused to take notice of the Japanese white flags. Truman was not obligated to Roosevelt's "Unconditional Surrender" folly. It had been denounced by our own military leaders in Europe. Peace could have been had with Japna with only one concession . Thast was the preservation of the Mikado who ws the spiritual as well as secular head of the state. His p;ostition was rooted in a thousand yuears of Japanese religious faith and tradition. And we fianlly conceded this after hunredes of thousands of huma lives had been sacrificed.

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 14

ルーズベルトとチャーチルは、致命的な間違いを1945年2月のヤルタで犯した。

スターリンが12の国々の独立に対して干渉を加えることを追認しただけではなく、数世代に亘って国際関係に危険をもたらす世界に害を与えるような、悪い勢力の動きを助長するような秘密の協定が多数結ばれた。スターリンが傀儡の国家を七つ作ったことを知りながら、自由で妨害されないとか、全ての自由な人士の参加とか、言葉を繕って、スターリンの暴虐に水を差さないで隠蔽した。

テヘランに於いて、軍事的な観点から妥協をしたことを最も強力に主張した向きも、ヤルタでは、そうした主張もなかった。アメリカの手が汚されずに自由な人間から尊敬される国として存続するのであれば、自由な人類と品性の為にも何か一言反論をすべきであった。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 13

第13番目の間違いで有り、ルーズベルトとチャーチルのふらついて一番混乱した例のひとつであるが、1943年12月のテヘランでの会議である。ここで、第12番目の、ロシアによるバルトか諸国などの併合が確認され、スターリンが、友好的な国境の諸国と名付けた、傀儡政権の七カ国を認めたことである。国際的な道義と独立の約束と、自由な人間として、スターリンに対して反対すべきであった。それまで、こうした併合に対する合意や、沈黙と妥協をスターリンと行うことが必要であるほどの、軍事的な危険は無かったのである。

Teheran and Its Sacrificeof Seven More Nations

Thirteenth. The thirteenth and possbly one of the greatest of all confused wanderings in Roosevelt's and Churchill's statemanship as at Teheran in December, 1943. Here was confirmation of the acquiescence at the Moscow Conference of the annexations;here was the acceptance of Stalin's doctrine of a periphery "of friendly border states"--the puppet Communists governments over sweven nations. Fidelity to international morals and their own promic of independence of nations and free men demanded that Roosevelt and Churchill at Teheran stand firm against Stalin once and for all. There were by this time no such military perils of Stalin's making a separate peace that could justify these agreements, acquiescences and appeasements.

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 12

第12番目の過ちは、1943年10月のモスクワでの外務大臣会合で、自由とか民主主義の用語が飛び交うなかで、ロシアが、バルト海諸国、東ポーランド、東フィンランド、ベッサラビア、とブコビナの併合(是はヒトラーが合意していた)に抗議の声が上がらなかったことである。この沈黙は、大西洋憲章における四つの自由の最後の一つを放棄するものであった。

Twelfth. The twelfth error of lost statesmanshi was the sacrifie fo free nations at the Foreign Ministers meeting at Moscoe, in October 1943. Here amid words of freedom and democracy not a word of protest was made against the known Russian intentions to annex the Baltic States, East Poland, East Finland, Bessarabia and Bukovina(which he had in his agreemnt with Hitler). This acquiesscence marked the abandonmento of the last word of Four Freedoms and the Atlantic Charter.

Freedom Betrayed--Lost Statesmabship 11

第11番目のルーズベルトの壮大な過ちは、1943年1月のカサブランカにおいて、無条件降伏を要求したことである。米軍の助言も、チャーチルの助言も聞き入れずに、新聞の一面の見出しを狙った。敵の軍事作戦と宣伝担当の耳に入って、ドイツ、日本、イタリアとの戦争を長引かせた。ところが、実際の戦争の終わりには、日本とイタリアには、譲歩したのである。ナチスをなくさない限り、平和はないしたから、ドイツの和平への希望を失わせただけであった。戦争を苦々しく終えたために、ドイツを再建する構造となるものが失われてしまった。

Hoover's Magnum Opus

Please listen to the Program by Iowa Public Radio.

http://iowapublicradio.org/news/news_story.php?story=3273

Kuroshio Culture and Tradition

西郷さんの号の南洲の洲の文字にこだわっていたら、隼人の言葉にいたり、それが、川の中洲の祈りの場所であることが判った。それから、珊瑚礁の干瀬がひしであることも判った。63回目には、アイヌ語の浜辺を意味する言葉がピスと発音する言葉で、しかも、ピソイという、外縁部と磯辺を意味する言葉があることも判った。日本を分断するために、南島の民の言語も、そしてアイヌも、異系の言語とされた時代もあったが、単に枝分かれしたことだけではないのかと、しかも、ひしが、海陸を繋ぐ磯辺の原で方行を神に祈る日本人の魂の場所であることが南と北に厳然と残ることを指摘しておいた。

西郷南洲の号の謎解きにこだわったようである。第六十二回目の記事も西郷さんにこだわった。だから、上野の山の銅像から、丸の内の三菱1号館まで、歩いて回ることになった。

第壱回目から、この六十二回まで、リストにして掲載する。ご覧ください。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-1.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/03/kuroshio-2.html

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⑧ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-8.html

⑨ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/06/kuroshio-9.html

⑩ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-10.html

⑪ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/07/kuroshio-11.html

⑫ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/08/kuroshio-12.html

⑬ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kuroshio-13.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/09/kuroshio-14.html

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/kuroshio-15.html

⑯ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/10/kuroshio-16.html

⑰ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/kuroshio-17.html

⑱ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/11/kuroshio-18.html

⑲ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/kuroshio-19.html

⑳ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2009/12/kuroshio-20.html

㉑ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/01/kuroshio-21.html

㉒ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/kuroshio-22.html

㉓ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/02/kuroshio-23.html

㉔ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/kuroshio-24.html

㉕ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/03/kuroshio-25.html

㉖ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/kuroshio-26.html

㉗ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/05/kuroshio-27.html 

㉘ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/kuroshio-28.html

㉙ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/06/kuroshio-29.html

㉚ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/kuroshio-30.html

㉛ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/07/kuroshio-31.html

㉜ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/08/kuroshio-32.html

㉝ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/kuroshio-33.html

㉞ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/09/kuroshio-34.html

㉟ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/kuroshio-35.html

㊱ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/10/kuroshio-36.html

㊲ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/kuroshio-37.html

㊳ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/11/kuroshio-38.html

㊴ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/kuroshio-39.html

㊵ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2010/12/kuroshio-40.html

㊶ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/01/kuroshio-41.html

㊷ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/02/kuroshio-42.html

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㊺ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/03/kuroshio-45.html

㊻ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/kuroshio-46.html

㊼ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/04/kuroshio-47.html

㊽ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/kuroshio-48.html

㊾ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/05/kuroshio-49.html

㊿ http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/kuroshio-50.html

51 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/06/kuroshio-51.html

52 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/kuroshio-52.html

53 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/07/kuroshio-53.html

54 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/08/kuroshio-54.html

55 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/kuroshio-55.html

56 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/09/kuroshio-56.html

57 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/kuroshio-57.html

58 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/10/kuroshio-58.html

59 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/kuroshio-59.html

60 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/11/kuroshio-60.html

61 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/kuroshio-61.html

62 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/kuroshio-62.html

63 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/01/kuroshio-63.html

○の中に、数字を書くやり方がまだ判らないので、51番目からは、○なしになっている。読者でご存じの方がおられれば,ご教示方お願いしたい

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Kuroshio 63

日本列島は同一言語圏である。

 西郷隆盛の号の意味を追求してきたところで、洲が「ひし」であり、川の中
洲であることに至った。大隅国風土記に隼人の言葉として必志(ひし)と漢字をあてており、現在の鹿児島県の志布志の菱田川の河口に比定されて残っている。熊野大社の旧社地が川中の大斎原(おおゆのはら)だったことにも言及した。南西諸島から台湾に至る島々には、西郷が流された奄美の島々を含めて、珊瑚礁が潮の干満で水面上に顔を出す部分を特定して「ひし」と呼んでいる。沖縄では、これがPの音になり「ぴし」となる。珊瑚礁の内側の海水は、日の光を浴びて、エメラルドグリーンで輝くようであるが、珊瑚礁の沖の深みの海水の色は、コバルトブルーである。海と陸とが訣別する場所が色で区別される。「ひし」は言わば、海と陸との中間地帯で有り、満潮の時には海となり、干潮には陸になる。陸に谷間があるように、珊瑚礁の切れ目もあり、そこは口と呼んでいる。沖縄の那覇港には、出入り口が三つあって、やまとぅぐち、とおぅぐち、みやこぐちがある。それぞれが、帆船の時代に、大和や、唐や、宮古島に出て行く港の出入り口の名前として今に残る。「ひし」と海岸との間の潮だまりを「いのー」と言う。夜の珊瑚礁の漁労を「いざい」と呼ぶが、アセチレンのガス燈を点けて足を珊瑚礁の白砂をかき分けていくと、車エビが、尻尾の方から夜光を放って水中を後ずさりして砂の中から飛ぶように逃げるところを網で掬う。夜光虫が、ルシフェリンの光を星屑を散らすように放つ。沖縄に与那原(ゆなばる)という地名があるが、これは、珊瑚礁の死骸が砕けて砂になって打ち寄せた砂の原の意味だ。ユナが砂だから、「いのー」の透き通った潮だまりの海底は純白の砂地である。貝や海老が住む海の畑(はる)である。

 本当に驚いたのであるが、「ぴし」は、アイヌ語の浜辺を意味する「ぴす」
と一致する。アイヌ語の「ぴす」から出た言葉に、「ぴそい」があるが、これ
は、魚の腹の線、手刀にもちいる小指から手首までの外側の線、足の小指からかかとまでの外線、それに、磯辺を意味するから、要するにアイヌ語の「ぴ
す」は、外縁部を表していることになる。「ひし」は、「きし(岸)」にも通じていることは、pからk、kからh、hからpとの変化が想像できる。その
変化は、坂を意味するアイヌ語がぴらで、それが、古事記のよもつ比良坂のひらになり、ひらが奄美では「しら」になり、徳之島の松原の坂の名前はしるし
んしら(海から眺めて澪標(みおつくし)の坂の意か)と呼ばれ、美空ひばりが沖縄を唄った「花風(はなふう)の港」の歌碑が建つ那覇港を見下ろす小禄(おろく)の公園はガジャン(傍点)ビラ公園、つまり蚊(傍点)の坂公園の名前である。宮古島の平良(ひらら)は、当然のことながら坂の多い集落を表現している。

 「いのー」は礁池であるから、浅い天然のいけすの様でもある。珊瑚礁の切
れ目があり、そこに魚がウニやナマコや、タコが住む。針を使わないで、貝殻
に紐をつければ、タコがとびついてくる漁法があると思えば、魚が酔う草木が
あって、それをすりつぶして、その潮だまりに撒けば、魚がふらふらになって
浮き上がってくると言う具合だ。子供が大人になる通過儀礼で、魚の骨を喉に
ひっかけないようになることが元服の印として食べるのが「しゅく(すく)」の魚である。アイゴの稚魚である。不思議な魚で、珊瑚礁の潮だまりに寄ってくる日が毎年決まっていて、最初が、旧暦の六月一日の前後の大潮の日である。「さらゆい」と言う。天気が不安定であるが、夏を告げる南からの風波が珊瑚礁の池に魚を送り込む。二度目に天然いけすに寄せるのが、旧暦の七月一
日前後の大潮である。「あきぬっくゎ」という。あきとは、稲の収穫のことである。大群が押し寄せる。老人や子供でもとれる。三度目の寄りは、旧暦の八
月初めの大潮である。「またべぬっくゎ」と呼ぶ。「またべ」とは、一度刈り取った稲の株から生えて来たひこばえのことである。ちなみに、沖縄民謡で、「たんちゃめ(谷茶目)の浜にするるぐゎーぬゆ(寄)てぃち(来)んどおぉえぇー」との歌の「するる」は「キビナゴ」の魚である。

 言語の変化の規則性が見いだせない時代には、沖縄と日本本土の言語が異なるものであり、異民族であるとする言説が横行した時代があった。アイヌ語と日本語と琉球語とを、それぞれ異系の言語として大日本(おおやまと)の国家統合を分断する策謀を感じる。東京の環状線の電車の中で、どちらの国から来られましたかと聞かれたのでは、外国軍隊に占領された南方同胞ですと答えるわけにもいかなかったが、琉米和親条約を別の条約にした根拠が無いことを言語学という科学が解決することになった。沖縄は日本語の大系の一部であると、言語学が決着をつけた。単に外形だけをごまかして、ペリー提督が来たときにわざと支那服を着せたような滑稽なことが二度とあってはならない。アイヌ語と日本語との違いもそんなことではないだろうか。アイヌ語も、日本語も、沖縄を含む南島の言語も、長い時間を経て、枝分かれをしただけではないのか。「洲(ひし)」が、南と北で、海陸を繋ぐ磯辺の原で豊饒を神に祈る場として厳然としてある。(つづく)

Refusal Betrayed--Lost Statesmanship 10

Tenth. The tenth loss of statesmanship was the refusal to accept the proposals which his Ambassador informed him came from the Emperor of Japan for a three months' stand still agreemnt in November, 1941. Our military officials strongly urged it on Roosevelt. Japan was then alarmed that Russia might defeat her ally, Hitler. Ninety days' delay wold have taken all the starch out of Japan and kept war out of the Pacific. As the Stimson diary disclosed, Roosevelt and his officials were searching for a method to stimulate an overt act from Japanese. Then Hull issued his foolish ultimatum and were were defeated at Pearl Harbor. The train of losses and this Japanaese victory in the Japanese occupation of all South Asia were incalculable. Further, with loss of sea control , Hitler and Togo wre able to destroy our shipping in shight of our own shores.

最後のTogoは、文脈からして、Tojoのミスプリと思われるが、極めて重要な内容である。

フーバーの回想録は、昭和16年の11月に, 天皇陛下が3ヶ月間のスタンドスティル、すなわち冷却期間をおこうとの提案を、駐日の米国大使を通じてされたが、ルーズベルトは是を拒否したと書いている。米国の軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルーズベルト大統領に促している。当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本から全ての糊の部分を取り去ることになって、太平洋での戦争する必要を無くしたに違いない。スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾で負けたのだ。損害がどんどん発生して、南アジアでの日本の占領で日本が勝利することは、計算できなかったのだ。更には、制海権を失って、ヒトラーと東条が、米国の海岸が見えるところで、アメリカの船舶を破壊することができるようになったのである。

フーバー回想録の原本の879ページに掲載されている。昭和16年の11月の土壇場で、三ヶ月の冷却期間の提案が日本から行われたとの記述がある。上記の翻訳は素人の翻訳であるので、万一間違いもある可能性があるが、例えば、taken all the starch out of Japan のスターチとは何かよくわからない。慣用句であろう。英語と翻訳の専門家のご意見を頂戴したい。

徳富蘇峰は、昭和17年3月8日東京日日新聞に「日本が七重の膝を八重に折って、提携を迫るも、昨年(昭和十六年)8月近衛首相が直接協商の為に洋上にて出会せんことを促しても、まじめに返事さへ呉れない程であった。而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を作って蜘蛛が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我をして已むに已まれずして立つに至らしめたのだ。」と書いているが、ようやく、フーバー大統領の回想録が、70年の時間が経って、徳富蘇峰のその言論がアメリカ側からも裏付けられたと感じる次第である。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 9

ハーバート・フーバー元大統領の回想録は続く。

第9番目の失敗が、ルーズベルトが近衛総理大臣の和平の提案を受け入れ拒否したことであると書く。

Ninth. The ninth time statesmanship was wholly lsot was Roosevelt's contemptuous refusal of Prime Minister Konoye's proposals for peace in the Pacific of September, 1941.

The acceptance of these proposals was pryaerfully urged by both the American and British Ambassadors in Japan.

この和平の提案を受け入れられることを、日本に駐在するアメリカの大使もイギリスの大使も、双方が祈るが如く、和平提案の受け入れを促すものであった。

The terms Konoye proposed would have accomplished every American purpose except possibly return of Manchuria--and even this was thrown open to discussion. The cynic will recall that Roosevelt was willing to provoke a great war on his flank over this remote question and then gave Manchuria to Communist Russia.

近衛が提案した条件は、満州の返還を除く全てのアメリカの目的を達成するものであった。しかも、満州の返還ですら、議論する余地を残していた。

皮肉に考える人は、ルーズベルトは、この重要ではない問題をきっかけにして自分の側でもっと大きな戦争を引き起こしたいと思い、しかも満州を共産ロシアに与えようとしたのではないかと考えることになるだろう。

以上が、フーバー回想録に Refusal to Accept Konoye's Peace Proposals との題で記録されている。

近衛文麿は、昭和20年12月16日未明に自決したときの「遺書」に、「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。これに対して深く責任を感じておるが、いはゆる戦争犯罪人として米国の法廷に置いて裁判を受けることは堪へ難いことである。殊に僕は支那事変に責任をかんずればこそ、此事件解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解にある徒の結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から今犯罪人として使命を受ける事は、誠に残念に思ふ。しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへそこに多少の知己が在することを確信する。戦争に伴ふ興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中傷と誤解に基づく流言飛語と是等輿論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に伏するときも来やう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決が下されやう。」と書いた。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 8

いよいよ、フーバーの回想録は、日本について言及を始める。第8番目の大失態として、1941年7月の日本に対する経済制裁に言及する。

圧巻である。原文は僅か五行に整理されている。太平洋での日本の戦争は、自衛の戦争だったのである。7月の全面経済制裁は、弾を撃たない戦争であった。戦争を仕掛けたのはアメリカのルーズベルト側であったと、フーバー元大統領は回想録にまとめて書いているのである。

「第八、第8番目の、ルーズベルトが犯した壮大な誤りは、1941年7月、つまり、スターリンとの隠然たる同盟関係となったその一ヶ月後に、日本に対して全面的な経済制裁を行ったことである。その経済制裁は、弾こそ射って射なかったが本質的には戦争であった。ルーズベルトは、自分の腹心の部下からも再三に亘って、そんな挑発をすれば遅かれ早かれ報復のための戦争を引き起こすことになると警告を受けていた。」

念の為、回想録の原文を掲げることにしよう。上記の日本語訳は仮の、しかも素人の翻訳であるから、誤解をさけるために。

「Eighth. The eighth gigantic error in Roosevelt's statesmanship was the total economic sanctions on Japan one month later, at the end of July, 1941. The sanctions were war in every essence except shooting. Roosevelt had been warned time and again by his own officials that such provocation would sooner or later bring reprisals of war.」

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 7

アメリカの歴史の全史を通じてもっとも政治家道が失われたのが、ヒトラーがロシアを1941年に攻撃したときに、共産ロシアをを支援して、アメリカとロシアが非公然の同盟関係になったことである。ブリテンを救うにはアメリカの軍事力が必要であるとする考え方は例え誤った理論であったにしても、どこかに消えてしまった。

ロシアを米国が支援すると言うことは、共産主義が世界に広がることであった。

ドイツとロシアの戦争に米国は巻き込まれるべきではなく、平和が持続するという最大のチャンスがあったのであるが、それをルーズベルト大統領は、その機会を無視して捉えることができなかった。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 6

Failure in Watchful Waiting

Six. In the weeks before Lend-Lease and its war powers were forced upon the American people, Roosevelt knew definitely of Hitler's determination to attack Russia, and he informed the Russians of it. He should have turned away form the undeclared war on Germany, confined Lend-Lease to simple aid to Britain by way of finances, to buy munitions, supplies and ships, thus keeing within internaitonla law. Statesmanship at that moment demanded imperiously a plicy of watchful waiting.

ルーズベルト大統領は、ヒトラーがロシアを攻撃することを知っていて、ロシアに情報を提供もしていた。ドイツに対する宣戦布告無き戦争を回避するべきであった。貸与法においても、イギリスに対して、金融の方法で、武器を、そのほかの物資や、船舶を購入するとか、国際法を遵守すべきであった。つまり、政治家道は、その事態のなかで、注意深くじっくり待つ政策をとることが必要であった。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 5

第五の誤りは、41年の冬にルーズベルト大統領が、米国がドイツと日本に対して、宣戦をしないで戦争を始めたのは、数週間前の選挙の約束に全面的に違反する行為であった。1940年の大統領選の公約に違反するものであった。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 4

第四の失敗は、イギリスとフランスとが、ポーランドとルーマニアの独立を1939年に 保証したことである。その時点で、これまで、ヒトラーとスターリンとが戦うことが避けられない状況で在って、その際ヨーロッパの民主主義国は介入しない方針をとっていたのであるが、その方針が変わったのである。

これは、ヨーロッパ外交史のなかでも、力関係の外交を見た場合に、歴史上最大の失策であった可能性がたかい。イギリスもフランスも、ポーランドを侵略行為から救い出す力がなかったのにもかかわらず、この保証によって、ヒトラーとスターリンの間に、民主主義の形態を投げ出すことになった。

スターリンをヒトラーから守ることになったばかりか、スターリンの影響力を、一番高く買った者に売ることができるようになったのである。スターリンは、バルト海諸国と東ポーランドを併合した。スターリンは、ヒトラーから獲物をうばったのである。ヒトラーは、南東ヨーロッパに拡張して、モスクワの共産党の本山を破壊することを放棄したわけではなかったので、まず、前進するためには、西側の民主主義国の中立化をする必要があった。第二次世界大戦の長い汽車がこの、ポーランドの保証という過ちから、発車することになった。ルーズベルトが係わったことは確かであるが、どの程度の関与であったかを確定するには、資料が不完全である。チャーチルは、政権をとっていなかったが、ミュンヘンでヒトラーと妥協してチェンバレンがめちゃくちゃな行動に出ることに貢献した。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 3

Munich

Third. Iam not disposed to dondemn the agreement at Munichiin September 1938 for tansfer of Sudeten Germans to the Reich because it was a hideous heritage from Versailles which made such action enevitable. However, by MunichHitler opened the gates for consummation of his repeated determinations to invade Russia. Having gone that far in providing for the inevitable war between the dictators, the lsot statesmanship was then trying to stop thiese monseters from mutual destruction.

つまり、ヒトラーとスターリンという二つのモンスターが戦ってつぶし合いになることをことが不可避の状況にあったのに、政治家道を失った者は、そのつぶし合いを止めることに努力したのである。

Freedom Betrayed--Lost Statesmanship 2

ルーズベルトの第二の失策が、共産ロシアを1933年11月に承認したことである。四人の大統領と、五人の国務長官にわたって、共和党か民主党かを問わずに、そのような承認行為を、(国際共産主義運動の北。目的と手法の全体を知った上で)ずっと拒否してきた。宗教の信仰、人間の自由と来ることがしてい民族や国家の独立をぶちこわすようなばい菌を運ぶように、アメリカに浸透してくることを知っていたからである。米国が共産ロシアを承認すれば、ソ連の威信と国力が高まることを知っていた。ルーズベルトが、合意したのであるが、共産主義は、米国の国境の内側では活動しないという、狡猾な合意が約束されたが、守られることはなく、48時間あとには反故にされた。共産主義の機関車と、それに乗った共産主義の乗客が、政府と高いレベルに入り込み、第五列の活動が全国にひろがり、大統領出会った12年間の長きに亘って、反逆者の行為が続いた。

Freedom Betrayed--Lost Statemanship--19 Times in 7 Year

フーバー大統領の回想録の最後の章が、失われた政治家道と題して、七年間のうちに19回の大失敗があったとする。原稿は、1953年に執筆されたとされるが、「私は、戦争に反対して、その戦争に関するあらゆる政策に反対した」と書き、しかも、言い訳をすることもなく、残念に思うこともない、とルーズベルトと、トルーマンの外交政策を強烈な口調で糾弾している。

仮の訳を続けてみよう。

この世に惨害をもたらしたのは、スターリンとヒトラーだとして、しかも悪魔の様な人物であるから、いかなる検証も要しないとして、避難する一方で、トルーマンとルーズベルトを擁護する向きがある。しかし、米国と英国の政治家の失われた政治家道を見直してみれば、スターリンとヒトラーに対処するに当たって大失敗をしたことは明らかで言い訳の余地がなく、こうした大失敗がなければ、西側世界に大災害をもたらすこともなかった。混乱する状況のなかで、誰に責任があり、何時、何の失敗があったのかを読者が忘れないように記録することとして、具体的な事実とその理由を、この回想録のなかで、詳述している部分に言及して読者のその章を紹介することとする。

1933年の世界経済会議

ルーズベルト大統領が国際的な政治家道に失敗した最初の重要な事例である。世界経済会議は、英国のマクドナルド総理大臣と当時の大統領の私が準備した会議で、1933年一月に開催を予定していたが、ルーズベルトが破壊した。ルーズベルトが選挙にかって、6月に開催を延期した。その時丁度世界は、世界的な不況から経済の回復基調にあったが、一方で通貨戦争があり、貿易障壁を増加させる戦争があった。準備作業が専門家の手によって進められ、ワシントンに十人の総理大臣が集まって、国際決済に金標準を用いることに合意した。それにもかかわらず、会議の最中にルーズベルトは翻意して、金本位制の導入にひびを入れたために、会議は不調となり、達成する結論がなく死んでしまった。ルーズベルトの国務長官であったハルは、この会議の失敗が第二次世界大戦の根っこにあるとして、ルーズベルトのとった行動をハッキリと非難している。(つづく)

Freedom Betrayed--Hoover's Conversation 2

そうした理由で、必要なことは、武器の製造工場を破壊し、日本人を武装解除して、それを監視するための委員会を継続して、一時間くらい離れた島に飛行場の持つことであるとした。マッカーサーは、日本の軽工業あるいは重工業のいずれをも抑制することは必要ではないとして、現在工場施設を取り除くという脅しがあるために、産業再生に向けた行動ができない状況にあると述べた。

マッカーサーは、マーシャルが中国で成功する確率は、2千分の1であるとして、また、ソ連との交渉においてロシアの妨害を細部に亘って説明した。ソ連は、持続的に日本ジャップに政治宣伝をおこなっており、日本の捕虜の間で共産主義の学校を作り、日本に浸透作戦を行っている。もし、日本の生活水準が低下して重い賠償金が課せられることになれば、日本は、自由を求めて、又ロシアの保護を求めるために共産化する可能性があり、アジアにおける共産主義の潮の流れに対抗して、日本から太平洋に広がる思想的なダムを造ることが必要だと述べた。

迅速に止めなければ、ソ連は満州国に傀儡国家を作る可能性があるが、軍事手段を持って阻止するのではないと、マッカーサーは考えている。

一般的に言って、マッカーサーは、太平洋における戦争の結果の早退について悲観的な見方をしている。

私は、マッカーサーに対して、米国内で、1948年の大統領選挙の立候補になることを期待する向きが多いとのべて、自分もマッカーサーが当選することを信じるとのべたところ、自分はその気がないとのべたので、自分もそうだろうと結論づけた。

本国アメリカでは、道徳的なそして政治的な退化現象が大きくなっており、不満や、極度の華美、賭博などが、大きくなっていると述べて、1946年の選挙のあとの適当な時に、帰国して米国国民の評価を受けるためには、道徳問題と、政府、そして外国との関係の三つの課題についての演説会を行うことができれば、洗者聖ヨハネのようにアメリカが必要とする人物になることができるとのべたところ、マッカーサーは、何時が適当な時期なのか教示して頂ければ、実行に移そうと述べた。マッカーサーは、30年から32年までの、我々の関係についてfeelinglyに述べ、更には、マッカーサーが、(フーバーの)準備計画を防御する為に、ルーズベルトとの確執が起きた最初の理由であったことや、ルーズベルトがその計画の削減のためにいかにこだわったかなどについて縷々述べた。私が、日本人のための食糧計画に反対するのではないかとおそれていたらしく、マッカーサー将軍の部下から提案されていた、栄養の最低を千キロカロリーにすることに賛成ことに感謝した。その数字は、生存するためには低い数字であるガ、それまでは、もっと以上の栄養がとれないと失望状態にあったからである。

マッカーサーの部下の一ダースくらいの数の人と、戦争と平和、日本経済、アジアの諸問題について意見を交換した。彼等の心を占めていたのは、ロシアの脅威であった。だから、日本を訪れていた空軍の司令官のひとりは、私に真剣な顔をして、90日以内に戦争にならないだろうかと尋ねてきた。空軍の組織をガラガラにしたばかりの時だったから、早く、何とか空軍の組織の立て直しをしなければならないと考えたらしい。私は、大丈夫だ、ロシアは、収穫時期を過ぎなければ戦争を起こさない(時は五月で、北半球の秋の収穫の時期は八月か9月である。)、答えておいた。

注。マーシャルは、中国で国民党と共産党を和解させるために訪中していたし、統一中国を造ることをめざしていた。

ポーリー(Edwin A. Pauley)は、トルーマンが任命した人物で、ヨーロッパではドイツの賠償についてのアメリカ代表を務め、日本と、ソ連が占領した朝鮮と満州の日本の財産についての米国の賠償問題に関する代表団の団長を務めた。

Postal Primes should be Prosecuted

郵政公社「資産売却」の闇 民営化ビジネスの虚実(佐々木 実)

http://www.iwanami.co.jp/sekai/2009/10/directory.html

郵政民営化を巡る闇の部分は相当明らかになったが、そうした犯罪行為の摘発は行われず、、野放しになったままである。被害者は泣き寝入りを強いられている。国家を立て直すためにも、拝金の烏天狗を放置してはならない。警察も検察も巨悪に立ち向かうことが必要である。証拠は揃った感である。刑事告発のあった案件もある。外国勢力も関与しているから、愛国のためにも、司法当局による捜査が行われて然るべきである。

佐々木 実
ささき・みのる 一九六六年生まれ。ジャーナリスト。日本経済新聞社を経てフリー。
 民主党の城島光力氏に話を問いたのは総選挙の準備に忙しい七月のことだった。「いま思い出しても腹が立ってきますよ」落選中の身の城島氏はそう言うと、六年前の出来事を昨日のことのように話しはじめた。
 きっかけは○三年五月の衆議院厚生労働委員会での質疑だった。民主党の「次の内閣・雇用担当大臣」でもあった城島氏は労働分野の規制緩和に強い懸念をもっていた。
 「派遣期間を一年から三年に延長し解雇もしやすくする法案でした。オリックスの宮内義彦さんが議長の総合規制改革会議から出てきた流れだ。それでこの会議のメンバーについて調べてみようと思ったわけです」

「最高権力者」

 調べてみると、人材派遣に関わる経営者が委員のなかに二人いることに気づいた。ザ・アール社長の奥谷禮子氏とリクルート社長の河野栄子氏。ザ・アールのウェブサイトをみてみると、第二位株主がオリックスで、主要取引先はリクルートと記されていた。総合規制改革会議は首相の諮問機関。小泉総理が提言を尊重するので政策への影響力は大きい。ビジネスでつながりをもつ三人がそろって委員というのは問題ではないか。城島氏は厚生労働大臣に質した。
 城島氏は国会の外でおもわぬ反撃に遭う。奥谷氏自らが議員会館の部屋を訪ね、激しく抗議してきた。抗議は執拗で、面談のあとも、衆議院厚生労働委員長あてに内容証明郵便を送付し、「不適切な部分を速記録から削除」すること、城島議員を「悪質な場合は処分」することを求めてきた。
 だがこれで終わりではなかった。追い討ちをかけるように、総合規制改革会議議長の宮内氏も抗議文を送りつけてきた。「貴職の見解を問いたい」「総合規制改革会議に対しての大変な侮辱である」「到底承服できるものではない」……まるで目下の者を叱責しているかのような文章だった。
 憲法第五一条は国会議員に国会での発言の責任を問われないという免責特権を与えている。抗議を逆手にとって問題にしようと城島氏が考えていた矢先、自民党ののちに大臣にもなる有力議員が声をひそめるように忠告してきた。
 「城島さん、あなたのいうことはそのとおりだよ。でもね、宮内義彦はいま日本の最高権力者だ。戦ってもいいことはなにもない」

郵政民営化ビジネス

 「政官業の癒着よりひどいじゃないかと指摘して、ぼくは宮内さんや奥谷さんの猛烈な怒りを買った。ずばり本質をつかれたから彼らはあんなに激しく怒ったんだと思いますよ」
 過剰反応の背後に利権の存在があるのではないか。城島氏は郵政民営化の利権について調べる決意を固めていたが、頓挫した。○五年九月の「郵政選挙」で落選してしまったからだ。
 奥谷氏はいま日本郵政株式会社の社外取締役に就任している。郵政審議会委員を務めるなど郵政事業とは縁が深いが、奥谷氏が経営する人材派遣会社ザ・アールが日本郵政公社からマナー研修など総額七億円近い仕事を受注していたことが明らかになっている。オリックス不動産が「かんぽの宿一括譲渡」を落札したことに端を発したかんぽの宿騒動で、宮内氏が渦中の人になったことは記憶に新しいところだ。郵政事業にからんで両氏が仲良く登場してきたのは偶然だろうか。
 かんぽの宿一括売却はまさに郵政資産の民間市場への放出だが、郵政資産の売却には前史がある。日本郵政公社(郵政公社)時代の不動産の大量売却だ。
 郵政公社は二〇〇三年四月に発足した。政府が全額出資する国営企業で、郵政事業庁から郵便、郵便貯金、簡易保険を引き継いだものの、四年前の「郵政選挙」で小泉政権が大勝したことで短命に終わる。郵政事業は株式会社にゆだねられることになったからだ。
 日本郵政株式会社にとって替わられる形で郵政公社は○七年九月に解散した。活動期問はわずか四年半だったが、この問、保有する不動産を大量に売りさばいていた。売却した不動産は優に六〇〇件を超える。北は北海道から南は沖縄まで、土地や建物を短期問に大量に売れたのは、「バルクセール」という売却手法に依るところが大きい。たくさんの不動産をひとまとめにして売る方法だ。
 もともと不良資産を大量に抱えた銀行が不良資産の処理を迅速に進めるために用いた方法で、買い手のつきにくい不良物件と資産価値の高い物件を抱き合わせて売りに出す。アメリカでも日本でも、不良債権問題が深刻化した時期、不良資産を金融機関から早く切り離すための資産流動化策が打ち出され、バルクセールなどの取引がしやすくなるよう制度的な環境が整えられた。
 もっとも、郵政公社がバルクセールで売却した不動産は全国各地の社宅や郵便局舎建て替え用地などで、東京や大阪あるいは地方都市の一等地もたくさん含まれる。不良資裡の処分と同じ方法を逃んだのはなぜか、じつはその経緯はいまひとつはっきりしない。
 二〇〇四年一〇月、郵政公社は唐突に「不動産売却促進委員会」なるものをたち上げている。郵政公社の高橋俊裕福総裁が委員長、執行役貝七人が委員という構成だ。初会合の議事録には、委員の奇妙な発言が記されている。
 「この委員会で何を決めるのか。バルク売却することを決定するのか。なぜバルク売却するのか」
 こうした発言が出たのは、初会合でいきなり「バルクセールの必要性」を説く資料が委員に配られたからだ。資料を作成した事務局は不動産売却を批当する施設部門。「売れ残しをなくすために行う。資料の売れ筋欄にあるようになかなか売れない物件もある。これを売れやすい物件と併せて売却する予定」と説明。しかし別の委員だちからも、「情報公開はどうするのか」「売却物件の全体額はいくらか。データとしてないのか」などの声が相次いでいる。ちなみに高橘委員長は出張で欠席している。

リクルートコスモスが三回落札

 結局、郵政公社は大型バルクセールを三回実施する。ひとまとめで売りに出した不動産は○五年三月が六〇件、○六年三月が一八六件、そして◯七年三月に一七八件。合計四二四件で売却総額は五〇〇億円近くにのぼる。驚くことに、すべて同じ企業グループが落札している。リクルートコスモス(現在「コスモス・イニシア」)を代表とするグループだ。
 郵政公社から一括購入した不動産は落札した企業グループ内で分配される。どの企業に何件渡ったかを調べると、リクルートコスモスは大きな不動産を収得してはいるものの物件数は少ない。残る多数をほかのメンバーが購人しているわけだが、転売しているケースがほとんどで、二回三回と転売が繰り返されている例も珍しくない。
 不動産の流れを追いかけると、奇妙な事実が顔をのぞかせる。郵政公礼から物件を購入したメンバー企業が購入直後に会社ごとファンドに買収されていたり、転売リレーに登場する実態のわからない会社を追跡すると有名企業が後ろに控えていたり、複雑怪奇な取引関係は民営化ビジネスの虚実を物語る。○五年三月の初めてのバルクセールからみていくことにしよう。
 入札にはリクルートコスモス、ゴールドクレスト、長谷工コーポレーションをそれぞれ代表とする三つの企業グループが参加した。売却される不動産は六〇件。リクルートコスモス・グループが一六二億円で落札した。メンバー企業と購入件数は次のとおり。
 株式会社リクルートコスモス(一件)
 株式会社リーテック(五件)
 株式会社穴吹工務店(一件)
 株式会社穴吹不動産センター(五件)
 有限会社CAM5(リクルートコスモス
          との共同購入)(二件)
 有限会社CAM6(四六件)
 グループ代表のリクルートコスモスは当時リクルートグループに屈する不動産会社。じつはこのバルクセール直後にリクルートグループから独立するのだが、詳しくはあとで述べる。リーテックはリクルートコスモス出身の社長が二〇〇〇年に設立した会社。穴吹工務店は香川県高松市が本拠で、全国でマンションの建設・販売や不動産売買などをしている。穴吹不動産センターはグループ会社だ。
 残る二つの有限会社、CAM5とCAM6はリクルートコスモスが出資した特別目的会社(SPC、特定の不動産取引のために設立された会社)。
 リクルートコスモスは大型物件を獲得してはいるものの、購人物件数は少ない。物件数でいえば、主役は全体の七七%にあたる四六件を単独で手に入れたCAM6だ。
 CAM6について、リクルートコスモスは「弊社が設立したSPCに相違ない」という関係証明書を郵政公社に提出している。ところが郵政公社から不動産を購入した直後に、ケネディクスという企業に出資持分の五〇%を取得されている。ケネディクスの関連会社になったわけだが、まもなくケネディクスはCAM6を「スティルウォーター・インベストメント」と改称し、郵政不動産を次々と転売していく。
 ケネディクスは米国の大手不動産会社ケネディ・ウィルソン・インクの日本の拠点として九五年に設立された。不動産や不良債権への投資を行っている。
 CAM6はバルクセール前に設立されたが、設立時から取締役(代表者)はケネディクスの中堅幹部社員で、郵政公社のバルクセールにケネディクスが投資することはあらかじめ決まっていたとみていい。
 CAM6の取締役にはあとから米国穀物メジャー・力-ギルの関係者も就任しているので、カーギル側からも出資を受けている可能性がある。

資金源はオリックス

 CAM6が購入した不動産を調べてみて、意外なことがわかった。購入した不動産四六件のうち二二件がオリックスの担保に入っていたのである。
 福岡香椎用地(郵政公社の評価額約二七億円)、神奈川県葉山用地(同約一八億円)、北海道函館用地(同約九億円)はいずれも極度額二八億八〇〇〇万円の根抵当権を売買日に仮登記。小さな物件はまとめて共同担保にしている。
 CAM6が郵政公社の不動産を大量に買い付けることができたのは、オリックスが資金を提供していたからだった。
 落札した企業グループにオリックスは入っていないけれども、全体のスキームのなかにあらかじめ参加していたとみなしていいだろう。表には顔を見せない資金提供者だ。いずれにしても、かんぽの宿問題の四年も前から、オリックスは郵政資産ビジネスと関わりをもっていたことになる。
 リクルートコスモスは郵政公社の初めてのバルクセールを落札した二ヵ月後、リクルートグループからの独立を発表する。ユニゾン・キャピタルが運営する三つのファンドが九〇億円を出資、ユニゾンはリクルートコスモスの六〇%強の株を保有して筆頭株主になり、経営権を掌握する。
 ユニゾン・キャピタルの創業者で代表の江原仲好氏はゴールドマン・サックスで活躍した経歴をもち、同社勤務峙代に日本人として初めてパートナーに選ばれている。
 ところで、オリックスがリクルートコスモスと資本関係をもつのもリクルートグループから独立したときからで、優先株を引き受けて二〇億円を出資している。
 ユニゾン・キャピタルのほうとも接点がある。ちょうどリクルートコスモスの経営権を握るころ、ユニゾン・キャピタルは経営への助言機関「エグゼクティブ・カウンシル」を社内に設け、メンバーのひとりとして宮内義彦氏を迎え入れた。
 リクルートコスモスはリクルートグループから独立したあとも、郵政公社のバルクセールを立て続けに落札していく。
 参議院で郵政関連法案が否決された後、「郵政民営化の是非を問う」と訴える小泉総理が衆議院を解散、○五年九月の総選挙で大勝した。郵政関連法案の作成を一手に取り仕切った竹中平蔵郵政民営化担当大臣は総務大臣を兼任することになり、郵政公社を所管する総務省に乗り込む。大臣は郵政公社の資産売却に関する権限も持っていて、二億円以上の資産を売却する場合、郵政公社は総務大臣の認可を受けなければならない。
 完璧な郵政民営化体制が敷かれるなかで実施された○六年三月の郵政公社のバルクセールは、最大規模のものとなった。一括売却された不動産は一回目の三倍を上回る一八六件。当時郵政公社で資産売却を担当していた関係者は、売却リストにたくさんの社宅が入っているのを発見して驚いたという。
 「どうしてこんなに社宅を売るのかと同僚に聞いたら、社宅売却計画があるとかで、その初年度なんだといってました。いつそんな計画ができたのかはわかりません」
 郵政公社の当時の内部資料を見ると、二回目のバルクセールの核となる目玉物件が記されている。たとえば東京では「国分寺泉町社宅用地」「旧赤坂一号社宅」「旧中目黒三丁目社宅」などが挙げられているが、いずれも地価がきわめて高い。入札前から問い合わせが殺到したといい、実際、入札には一一社が参加した。住友不動産、野村不動産、丸紅などのほか、オリックス・リアルエステート(現オリックス不動産)なども参加している。結果は、リクルートコスモスのグループが再び落札。落札額は二一二億円だった。
 株式会社リクルートコスモス(三件)
 有限会社CAM7(一三七件)
 株式会社穴吹工務店(一件)
 株式会社穴吹不動産センター(七件)
 有限会社G7-1二〇件)
 有限会社G7- 2(リクルートコスモス
          と共同膨人)(二八件)

郵政資産転がし

 CAM7はリクルートコスモスが出資するSPC、G7-1とG7-2は一回目のメンバーだったリーテックが出資するSPC。全体を見渡してみると、CAM7が大量購入していることがわかる。ところがCAM7はこの後、会社ごと買収される。リサ・パートナーズという投資ファンドが全出資持分を買い取り、会社を丸ごと買い取ることで一三七件の不動産を手に入れた。
 そして、リサ・パートナーズは一三七件のうち一件だけを個人に売却したあと、一三六件を別の会社に一括売却している。購入してからわずか三ヵ月のちに再びバルクセールで転売しているわけだ。
 リサ・パートナーズが一括売却した先は有限会社ティー・ジー・ファンド。聞きなれない名前の会社だが、有限会社ティー・ジー・ファンドはさらに法人や個人に転売し、ほぼ全物件を売り抜けている。まるで「郵政資産転がし」といってもいいような見事な転売リレーが成立している。
 リサ・パートナーズは旧日本長期信用銀行出身の井無田敦氏が九八年に設立した投資ファンドで、取引直前の○五年一二月に東証一部に上場している。○六年一二月期の中間決算書をみると、不動産の主要販売先として有限会社ティー・ジー・ファンドが特記されていて、販売額は一三億七八〇〇万円とある。

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謎の有限会社

 リサ・パートナーズは、CAM7を会社ごと買収し、手に入れた郵政物件一三六件を有限会社ティー・ジー・ファンドに一三億七八〇〇万円で転売した。この売却額は、郵政公社の評価額を基準にすれば、破格の安さだ。
 郵政公社の評価では一三六件の合計は約二三億円。有限会社ティー・ジー・ファンドは四割引きで購人した計算になる。転売でかなり儲けたのだろうか。そもそもこの有限会社は何者なのか。連絡をとろうにも、会社のウェブサイトもなくNTTの電話帳にも記載はない。

ゴールドマン・サックスのファンド

 そこで、同社から不動産を購人した人をあたってたずねてみることにした。東海地方の郵便局用地を買った個人宅に電話をすると。
 「じつは、こんな田舎の不動産を東京の名前を聞いたこともない会社が本当に所有しているのか不安になりましてね。うちの主人が束京に出張したおり会社をこっそり見にいったんです。きちんと表札が掲げてあったのでうその話ではないんだなと」
 東北地方の不動産会社の担当者は、「値段は妥当だけど、郵政公社が売った土地の転売ですよね。会社が匿名を希望しているみたいなへんな名前だし、なにか事情があるのかなとは思いました」
 話を聞いてみてわかったのは、東急リバブルが仲介したケースが多いこと、不動産を買った当人も売り主ティー・ジー・ファンドについての情報はほとんどもちあわせていないということ。あらためてティー・ジー・ファンドの代表者を調べた結果、ゴールドマン・サックス・リアルティ・ジャパンの社員であることがわかった。
 有限会社ティー・ジー・ファンドは米国の大手投資銀行ゴールドマン・サックスの会社だった。正確にいえば、投資のための資金はゴールドマン・サックス・グループの不動産投資ファンド「ホワイトホール」から出ている。有限会社ティー・ジー・ファンドは不動産投資する際の受け皿にすぎないので、資本金三〇〇万円で専属の社員はいない。
 なぜゴールドマン・サックスが郵政資産の転売リレーなどに参加したのだろう。問い合わせてみたが、個別取引については答えられないとのこと。事情に詳しい金融関係者は郵政資産の転売では大きな利益はあげていないともいうが、正確なところはわからない。
 よくわからないのはリサ・パートナーズ経由で購入していることだ。ファンド関係者に意見を求めると。
 「ゴールドマン・サックスは何か事情があって表に名前を出したくなかったんでしょうね。リサはゴールドマンへの転売を前提に買っているはず。この世界はみんなお友達みたいなもので、貸し借りはありますから」
 ティー・ジー・ファンドから不動産を買った人で売買時に「ゴールドマン・サックス」の名前を耳にした人はいない。ライブドア事件の余波でファンドや外資への風あたりが強かったからだろうか。それにしても、不動産を売る相手にさえ正体を明かさないのだから不思議としかいいようがない。
 オリックスについてもふれておかなければならない。不動産の分配状況をみると、G7-1とG7-2が目玉物件を多数手に入れていることが目を引く。郵政公社は内部資料でバルクセールの核となる優良物件一四件を特記しているが、そのうちG7-1が四件、G7-2が六件を購入している。リーテックの子会社二社が一四件の優良物件のうち一〇件までを押さえ気いるわけだ。 不動産登記を調べてみると、ここでもオリックスが顔を出す。じつは、G7-1とG7-2は郵政公社から不動産を購入してからおよそ半年後の一〇月一日、リーテックに吸収合併されている。
 オリックスは合併直前に、G7-1が郵政公社から買い入れた優良不動産を担保にして、リーテックに融資している。オリックスが共同担保の形で担保にとったのは「旧赤坂一号社宅」「旧中目黒三丁目社宅」「旧沼部三号社宅」など。優良物件リストの不動産ばかりだ。
 リーテックに吸収される前、G7-1の保有物件には三井住友銀行や東京スター銀行が担保権を設定していた。融資を肩代わりする形でオリックスが入ってきて、優良物件を担保にとっている。

赤坂六丁目プロジェクト

 オリックスとリーテックはこのあと関係を深めていく。オリックスが資金を提供しリーテックが土地を購入するという共同作業で進めたのが赤坂六丁目のプロジェクトだ。郵政公社から手に入れた旧赤坂一号社宅周辺の土地買い集めに動いたのである。
 旧赤坂一号社宅は日本銀行氷川寮に隣接する都心の一等地。「(オリックスはリーテックに)赤坂だけで五〇億円以上出してくれている」(リーテック)というから、相当力を入れたプロジェクトだったのだろう。
 ○七年九月に企業が所有する三七六㎡の土地、○八年三月には独立行政法人水資源機構が所有していた二四五㎡の土地といった具合に、リーテックはオリックスから資金提供を受けながら次々と近隣の土地を買い進めた。
 リーテックによると、赤坂六丁目のこれらの土地は不動産市況が冷え込む前は一〇〇億円以上の鑑定評価が出ていたという。旧赤坂一号社宅の郵政公社の評価額は五億円あまりだから二〇倍以上の金額だ。
 現場を訪れてみると、リーテックとオリックスが組んで進めてきたプロジェクトがどこの土地かはすぐにわかった。郵政公社が売った旧赤坂一号社宅はすでに建物はなく原っぱのような空き地。水資源機構からリーテックが購入した土地には寮のような建物は建っているが、人の出入りはない。
 旧赤坂一号社宅前で近所の住人に聞いてみると、
 「リクルートが買ったんですよ」
 リクルートコスモスと思い違いしているようだが、リーテックとオリックスについてはまったく知らないようで名前を聞いてもきょとんとしていた。

民営化ビジネスの虚実

 関係図(五二ページ)を見ながらあらためて考えてみると、影の部分、ゴールドマンーサックスやリサ・パートナーズやオリックスが取引している領域はまるで見えない領域ででもあるかのようだ。
 ティー・ジー・ファンドから不動産を買った人はゴールドマン・サックスが見えていないし、赤坂六丁目プロジェクトの隣に住む人はオリックスもリーテックも知らない。
 郵政公社が一八六件の不動産を引き渡し、六社グループが二一二億円を支払う。二本の矢印であらわされた動きだけを「官から民へ」と捉えると、全体像は見えない。ビジネスの領域は影の部分まで広がっているからである。
 「郵政利権」が醸成されるのなら、不可視の領域にこそ目をこらさなければならない。

高橋副総裁の懸念

 じつをいうと、二回目のバルクセールが終わった直後に、郵政公社幹部が懸念の声をもらしている。三月二〇日に開かれた「不動産処分検討委員会」の席上だ。委員長を務める郵政公社の高橋福総裁は。
 「昨年のバルクでは、リクルートは転売して相当儲けたと闘いている。クルーピンクの方法やもっと高く売れる方法を考える必要がある」
 と発言している。「昨年のバルク」とは一回目、「リクルート」はリクルートコスモスのグループのことだ。どのような意図で発言をしたのか、高橘氏に直接たずねてみると。
 「郵政公社の内部では『バルクセールはうまくいった』という話になっていたんですよ。しかし外部の不動産関係者に聞いてみたところ、彼ら(落札企業グループ)は損なんかしてませんよ、といわれた。『高く売った』といっているけど本当なのか、もっとやり方を考える必要があるんじゃないかということでああいう発言をしたわけです」
 外部の不動産関係者が「転売で儲けている」ことを知っていたのだから、業界の一部で噂になっていたのかもしれない。
 不思議なことに、高橋副総裁がかなり踏み込んで疑問を呈したのにもかかわらず、特段の改善策も講じられないまま三回目のバルクセールが実施され、やはりコスモスイニシア(旧リクルートコスモス)のグループが落札している。売却された不動産は一七八件、売却額は一一五億円だった。
 ◯七年二月のバルクセールに関わった関係者が解説した。
 「バルクセールが成立するのかどうか心配でした。優良物件が少なかったし、不動産業界も二回目のときのようなイケイケドンドンの雰囲気はまったくなかった。どこのマンションに売れ残りがでたとかいう話が聞こえてきたりして」
 小泉政権を引き継いだばかりの安倍政権下で三回目のバルクセールは実施されたが、投資ファンドの影は消えた。一方で、三度も連続して同一企業グループが落札した気のゆるみからなのか、おかしなことが頻出している。
 たとえば、入札に参加した企業の顔ぶれ。コスモスイニシア(旧リクルートコスモス)グループと、有限会社駿河ホールディングスと合同会社CKRF4の二社グループの二グループのみの入札だったが、CKRF4の代表は一回目でリクルートコスモスのグループに入っていたCAM6の代表と同じ人物。前にも述べたようにケネディクスの社員だ。駿河ホールディングスの代表にいたっては、読売新聞の収材に「名義貸しだけなので、入札についてはわからない」と、名前を貸しただけであることを認める発言をしている。
 おかしなことはほかにもある。バルクセールの仲介をしていた中央三井信託銀行は入札前に、落札企業が転売する相手先を探して購入希望価格まで聞きだしていた。
 鳥取県の岩井簡易保険保養センターについて、東京都内のある不動産業者は中央三井信託銀行の担当者から「いくらか」と聞かれ、「三〇〇〇万円」と答えた。買い付け証明まで提出したが、入札前に再び「六〇〇〇万円にならないか」と打診された。のちに、リーテックの子会社の有限会社レッドスロープがたったの一万円で郵政公社から購入し、地元の福祉施設に六〇〇〇万円で転売していたことを知ったという。

ファンドの時代の終焉

 オリックスとリーテックが二人三脚で進めた赤坂六丁目プロジェクトの後日談になる。もともと郵政資産「旧赤坂一号社宅」をリーテック子会礼のG7-1が手に入れたところからスタートした郵政ビジネス。オリックスから軍資金を得てリーテックが周辺地を買い進めたことはすでにのべた。
 土地の所有権はリーテックにあるのだが、登記を確認すると、すべての不動産にオリックスが「代物弁済予約」を○八年九月末に設定している。リーマン・ブラザーズが破綻した直後だ。
 カネが返せなくなれば土地はもらうというわけだが、リーマン・ショックを境に、プロジェクトに黄信号が点っていることを物語っている。そもそもオリックス自身、一時株価が急落し、いまも厳しい状況におかれている。
 郵政公社のバルクセールをすべて落札したコスモスイニシア(旧リクルートコスモス)は多額の債務超過に陥って今年四月、私的整理の新手法である事業再生ADRを申請した。
 郵政公社のバルクセールを振り返ると、小泉政権下で実施された一回目、二回目は投資ファンドが触手を伸ばしてきたのに、安倍政権下の三回目になるとファンドの影は消えていた。それはひとつの予兆であり、不良債権ビジネスの手法を延長して民営化事業を推し進めることが難しくなっていることを示していた。そしてリーマン・ショックがとどめを刺す。投資ファンド時代の終焉である。
 かんぽの宿問題では、一括譲渡を落札したオリックスに鳩山邦夫総務大臣が待ったをかけた。郵政民営化劇の監督兼脚本家、竹中平蔵慶大教授は強く反発し、「かんぽの宿は不良債権」と言い切った。郵政民営化事業の根底に横たわる発想が口をついて出てきたのだろう。
 結果、鳩山大臣は更迭され、西川善文氏は日本郵政株式会社の社長の椅子にとどまった。小泉構造改革推進派がところを替えてすさまじい抵抗勢力となり、西川社長を守りきったのである。
 政局の次元では彼らは巻き返しに成功したけれども、しかし金融資本の流れにまかせ、すべてを洗い流してもらおうという金融資本による改革の時代はたしかに終焉した。はしなくも郵政民営化ビジネスの現状が証明している。

雑誌「世界」 2009年10月号より

Freedom Betrayed--Hoover's Conversation

フーバー元大統領は、終戦直後に、来日して、マッカーサー将軍と会見している。その会話記録のなかで、「太平洋における第二次世界大戦は、狂った男の戦争に入りたいという欲望から生じた結果であると直裁に述べたと記録している。狂った男とは、フランクリン・ルーズベルト大統領のことである。会見記録は、①米国は1941年に日本との戦争を回避できたこと②米国は、原爆を投下しなくても1945年に日本に勝利できたことの、フーバー大統領が回想録に記録していることを裏付ける資料である。

第九文書と題する記録を仮に翻訳してみたい。

日本

 1946年五月、4,5,6日  東京

私は、ダグラスマッカーサー大将と、5月4日の夕方に三時間、5日の夕方に一時間、そして、6日の朝に一時間、ふたりサシで話した。

マッカーサーは、アジアの同盟国と南太平洋のの全ての運命が大切な時期に補給が飢餓状態になっているとして、ルーズベルト大統領を苦々しく考えていた。マッカーサーは、ひとりあたり3トン半の補給を受けているが、北アフリカがひとりあたり14トンの物資の補給があったのに比べると非常に少なかった。

マッカーサーは、ルーズベルトは、いろんなやり方で、ヴィンぢくてぃぶねすを示したと述べた。マッカーサーだけが、集団での意見交換に呼ばれていなかった。ホワイトハウスのコラムニスト連中は、マッカーサーを卑下することが多く、(その点、ルーズベルトが、マッカーサーのことをマクレラン(南北戦争の時にリンカーン大統領に反対した軍人)と呼び、問題児と呼んでいたことを確認できる)。ホノルルでの意見交換会議があったときに、マッカーサーは始めは、大統領との個別の会見は予定されていなかった。大統領の演説を起草を担当していたローズマンと海軍の連中が、海軍の指揮下で、北太平洋のルートで軍をすすめる計画を推した。そこで、マッカーサーは強硬に10分間、サシで大統領に会見をすることを要求している。マッカーサーは大統領とサシの会談で、もし、194年の選挙以前に進展があることを期待するのであれば、南ルートで、島伝いにフィリピンに侵攻することによってのみ、達成されると大統領に述べた上で、1944年の十一月にもフィリッピン上陸が可能であると進言している。マッカーサーは、ルーズベルトの関心を喚起して、聖人を取り付けた。この会談の一部始終を、ローズマンは壁耳をして、聞き耳を立てていた。ルーズベルトは、ニミッツ提督が激怒したとされるが、海軍の提案を受け付けなかった。マッカーサーは、ニミッツが、自分を許していないと述べた。マッカーサーに寄れば、ルーズベルトが感心を持ったのは、自分地震の政治的な可能性だけで、優れた戦略を論じる観点からは、効果のないはなしであった。

マッカーサーはフィリピンを取り返して以降はいつでも日本と和平ができたが、日本の軍事的なギャングどもは、自分たちを支えている足が切り落とされれば、敗北することを知っていたからである。マッカーサーは、しかし、ルーズベルト大統領は、日本に対して最後の詰めの講堂を自ら指揮することをしないと決め込んでいた。最後の式は、ニミッツ提督の行わせる手順であった。沖縄戦での被害が比較的に大きかったことが、そして、(1語単語が欠けている)トルーマン大統領に影響をあたえ、それに、世論が加わった。

私は、マッカーサーに対して、トルーマンにあてて1945年の五月半ばに、覚え書きを提出したことを紹介して、その内容は、日本と和平を達成することができれば、我々の主な目的は達成されるという内容であったことを伝えた。マッカーサーは、その通りが正しく、そうしていれば、すべての大損害、複数の原子爆弾、満州に対するロシアの侵入も避けることができたと述べた。

私は、日本の戦争の全体が、戦争に入りたいという狂人の欲望であったと述べたところ、マッカーサーも同意して、又、1941年七月の金融制裁は、挑発的であったばかりではなく、日本が、その制裁が除去され無ければ自殺行為になったとしても、戦争をせざるを得ない状態氏追い込んだ。制裁は、殺戮と破壊以外の全ての戦争行為を実行するもので、いかなる国と雖も、品格を重んじる国であれば、我慢できることではなかった。マッカーサーは言葉を続けて、ルーズベルトは、1941年の九月に近衛と和平を達成できた筈だと述べ、そうすれば、太平洋と、中国の自由、そしておそらく満州の自由を確保するという米国の目標を全て獲得していたに違いない。また、マッカーサーは、近衛は、天皇から、完全撤退に合意することの承認をもらっていたと述べた。

マッカーサーは、ポーリーとFEC それにvindictiveなリベラルの連中は日本を破壊しようとしていると述べた。マッカーサーは、そのリベラルの連中の報告や態度については、感情を高ぶらせた。その一例として、ポツダムでの合意挙げて、マッカーサーは、建設的な計画であると言う対局の精神から作られたとした。マッカーサーは、日本が平和時の経済を取り戻して、産業を再構築すれば戦後の賠償を払うことができるが、そうでなければできないと、述べた。(仮の訳は、つづく)

Unfounded Occupation

事実を間違って、日本の領土を不法に占拠する隣国。それに対抗して作られたビデオである。鬱陵島の属島の島嶼を竹島と間違った韓国。道理の通らない事大主義が幅を利かせる国のようである。

Hamster on the Wheel

遊びです。ただ、今の政治状況の様です。政権交代があって、あんなに期待があったのに、どんどん状況は悪化する。堂々巡りの中にある。エサはどんどん無くなる。結末は?真ん中の黄色の心棒をクリックして下さい。ハムスターが動きます。



Freedom Betrayed--Editor’s Notes

フーバーの回想録の編者である、ジョージ・ナッシュ教授の講演である。

 

Unnecessary Privatization

時の竹中平蔵大臣は郵政民営化は必要ないと、マスコミの評論家に言ったとの記事が週刊誌に載っていた。口から出任せの御用学者と、提灯担ぎのマスコミの記事ではあるが、そうした日本破壊があってもなお、放置していることは「怪談」である。記事は週刊誌のサンデー毎日1月22日号に掲載されていた。念の為。

Freedom Betrayed--An Introduction 3

"Finally, after waiting for close to half a century, we now have Hoover's massive and impassioned  account of American foreign policy from 1933 to the early 1950s. Thanks to the efforts of George H. Nash , there exists an unparalleled picture of Hoover's world view, one long shared by many conservatives. Nash's thorough and perceptive introdution shows why he remains America's leading Hoover scholar." Justus D Doenecke, author of Storm on the Horizon: The Challenge to American Intervention, 1939-1941

"A forcefully argued and well documented alternative to, and critique of, the conventional leberal historical narative of America's road to war and its war aims. Even readers comfortable with the established account will find themselves thinnking that on some points the accepted history should be reconsidered and perhaps revised." John Earl Haynes, author of Spies: The Rise and Fall of the KGB in America

フランクリン・ルーズベルトの時代にホワイトハウスを差配した共産主義者の人脈がどのような政策決定をしたのか興味は尽きない。フランクフルト学派の二段階革命論が実行に移されたとする見方がある。日本を戦争に引きこみ、ドイツに宣戦を布告する、結果として、ソ連を支持する。ソ連に対して、巨額の援助を行ったことは間違いない。ルーズベルトの時代のアメリカは、共産主義を支援する政権であったのだ。フーバー大統領の回顧録の詳細を読んで行くことが必要である。

 

Freedom Betrayed--An Introduction 2

Nearly seventy years ago, during World War II, Hervert Hoover began to scribble the first words of waht was later to be called his "magnum opus." He did so in the shadow of three great disappointments: his inability to win the Republican presidential nomination in 1940; his failed crusade to keep the United States out of World War II; and his frustrated bid to become the Great Humanitarian in Europe for a second time. For twenty more years Hoover labored over this manuscript, even as his career continued to be extraordinarily rich in achievement and honors. At the end only one final accomplishment eluded him:publication of his magunum opus, Freedom Betrayed . Following Hoover's death in 1964, his heirs decided to plance his manuscript in storage where for nearlyhalf a century it has remained unread--until now.

In this book, perhapsthe most ambitious and systematic work of World War II revisionism ever attempted, Hoover offers his frank evaluation of President Roosevelt's foreign policies before Parl Harbor and during the war, as well as an examination of the war's conseauences, includingthe expansion of the Soviet empire at war's end and the eruption fo the Cold War against the Communists. Throughout the work, HOover raises critical questions, many of which are still under scrutiniy today: Did Franklin Roosevelt decietfully maneuver the United States into an undeclared and unconstitutional naval war with Germany in 1941? Did he unnecessarily appease Joseph Stalin at the pivotal Teheran conference in 1943? Was Roosevelt's wartime policy of "unconditional surrender" a blunder? Did Communist agents and sympathizers in the White House, Department of State, and Department of the Treasury play a malign role in some of America's wartime decisions?

On these and other controversies, Freedom Betrayed: Herbert Hoover's Secret History of the Second World War and Its Aftermath takes its stand.

Hoover's work reflets the foreign policy thinking not just of himself but of many American opinion makers during his lifetime and beyond. As such , it is a document with which we should be acquainted today. The intrinsic interest of Hoover's book remains strong, in part because it insistently raises issues--about decisions with whose consequences we still live.

と、本の表紙のフラップと裏表紙のフラップに続けて書かれている。

Freedom Betrayed --An Introduction

さて、Magnum Opusとは何だろうか。最高傑作と言う意味のラテン語である。

フーバーは、Magnum Opusと題して、膨大な記録を行いながら、回想録を書いていた。ようやく出版されることになった。その編者が、ジョージ・ナッシュ教授である。当方は、著者がナッシュ教授であると思い込んでいたが間違えた。しかし、元大統領が記述した、第二次世界大戦とその結果についての回想録が、21世紀を十年も過ぎてようやく出版されること自体が不思議である。歴史の書き換えを迫る回想録が出版されたのである。特に、米国と太平洋で激戦を戦った日本の戦後の歴史も相当の書き換えを迫られることになることは間違いないd。

”Herbert Hoover's Freedom Betrayed is a bracing work of historical revisionism that takes aim at U.S. foreign policy under President Franklin Delano Roosevelt. Part memoir and part diplomatic history, Hoover's magnum opus seeks to expose the 'lost statesmanship' that, in Hoover's eyes, needlessly drew the United States into the Second World War and, in the aftermath, facilitated the rise to global power of its ideological rival, the Soviet Union. Freedom Betrayed, as George Nash asserts in his astute and authoritative introduction, resembles a prosecutor's brief against Roosevelt--and against Winston Churchill as well--at the bar of history. Thanks to Nash's impressive feat of reconstruction, Hoover's 'thunderbolt' now strikes--nearly after a half-century after it was readied. The former president's interpretation of the conduct nad consequences of the Second World War will not entirely persuade most readers. Yet, as Nash testifies, leke the best kind of revisionist  history, Freedom Betrayed "challenges us to think afresh about our past." Bertland M patenaude, author of A Wealth of Ideas: Revelations from Hoover Institution Archives

米国元大統領のハーバート・フーバー大統領の半世紀後に公表される回想録を読んで、自らの過去を新鮮に感じるのは、なにも米国人ばかりではない。

 

Freedom Betrayed--Overture 2

著者のGeorge H. Nash氏は、A historian, lecturer, and authority on the life of Hervert Hoover, his publications inclede threee volumes of a definitive, scholarly biograpy of Hoover and the mnonograph Herbert Hoover and Stanford University. A graduate of Amherst College and holder of a PhD in history form Harvard University, he received the Richard M. Weaver Prize for Scholarly Letters in 2008. と紹介されている。要するに、フーバー大統領の伝記を研究して、決定版となる三巻の本の著者である。

さて、Herbert Hoover(1874-1964)は、President of the United State from 1929 to 1933 and an internatinally acclaimed humanitarian, he was the authour of more than thirty books and founder of Hoover Institution on War, Revolution adn Peace at Stanford University. フーバー大統領の名前は、スタンフォード大学にあり、フーバーが創設した戦争と、革命と平和を研究する研究所につけられている。

このFreedom Betrayedのハードカバー版は、そのフーバー研究所の出版部から刊行されている。当方が購入した価格は、32.97米ドルであった。先述した運送業者のUPSの運送賃が15.98米ドルであったから、総額48.95ドルになった。

"Nearly fifty years after  his death, Herbert Hoover returns as the ultimate revisionist historian, prosecuting his heavily docmumented indictment of US foreign policy before, during, and after the Second World War. Brilliantly edited by George Nash, Freedom Betrayed is as pasionate as it is provocative. Many do noubt will dispute Hoover's strategic vision. But few can dispute the historical significance of this unique volume, published even as Americans of the twenty-first century debate their moral and military obligations." Richard Norton Smith is presidential historian and author, former director of several presidential libararies, and current scholar in residence at George Mason University

Freedom Betrayed--Overture

"What an amazing historical find! Historian George H. Nash, the dean of Hervbet Hoover studeis, has brought forth a very raremanuscript in Freedom Betrayed. Hre is Hoover unpklugged, delineating on everything from the 'lost statesmanship' of FDR to the Korean War. A truly invaluable work of presidential history. HIghly recommended" Douglas Brinkley, professor of history at Rice University and editor of The Reagan Diaries

昨日の午後3時12分の時間が記録された、不在通知表が入っていたので、昨夜今日の夜までには必ず配達して頂きたいと、電話とインターネットでのメールと双方で連絡したところだった。去年から品切れになり?、入手できなくなっていた、Freedom Betrayed の単行本が、UPSという米国の最大手の輸送業者の手で送られてきた。1月5日に申し込みをしたから、一週間も経たないうちに太平洋を越えて飛行機で運ばれてきたわけであるが、UPSの日本の配達網は、国内の宅配便ほどには発達していないから、昨日の夜に入手することができなかったから、今日も昼に外出していたので、隣組に頼んで、代わりに受領してもらった。そして、夕方5時に帰宅すると、ちゃんと届いていた。不在にすると、三回配達するそうではあるが、それでは、何の為に高い運賃を負担して申し込んだ意味が薄くなってしまう。待ちにまって、入手できた本だ。

Freedom Betrayedには、世界の第二次大戦の歴史を書き換える様な内容が含まれていることが、昨年の十二月の初めのいつもの真珠湾攻撃に係わる例年通りの新聞記事の中でもうかがえたが、本当にアメイジングとは、この本である。日本のマスコミは何時しか歴史に怠慢になり、外国で話題になった本等の書評も、商売になるかならないかでしか基準がとれなくなったようである。

これだけの大部の本とは予想していなかった。最後のページは957となっている。本当にぶあつい本である。ISBNの番号は、9780817912345である。

Historical Facts

http://hassin.org

http://www.sdh-fact.com

史実を世界に発信する会が、12月8日に憲政記念館の講堂で、日米開戦70周年にちなんで、創立五年目で初めての講演会を開催した。講堂は満員御礼で、立ち見の聴衆が出る盛況であった。

史実をねじ曲げて、嘘を主張したあげくに、それを繰り返してあたかも真実のように主張する外国政府があり、それをまともに受け入れると国益を毀損することになる。外国語で、訴求力を持って反論・主張することが重要である。最近、隣国で慰安婦問題をねじ曲げて、史実にない銅像を建てる動きがあるとするが、そうした歪曲に対しては強力に反論を加えて行く必要がある。弱腰であってはならない。天網恢々疎にして漏らさずであり、真実を追究し無ければならない。真珠湾攻撃が罠であったことなど、思い至らなかったようであるが、莫大な航空機が事実上米国からスターリンに、供与されたのである。ヘンリーストークス氏の証言も興味深い。

http://youtu.be/lVwuHylK4TE

http://youtu.be/AP7LgRpnrHM

Southern Island

高石かつ枝の唄う、南国エレジーである。切ない音色のメロディーも、島人の情けの深さを表現する歌詞も相俟ってすばらしい。意外と知られていない。

見返り柳


一葉の所縁の神社


Defence

Friday, January 6, 2012       Obama announces leaner military strategy -------------------------------------------------------------------------------- Top news: President Barack Obama announced a new military strategy for the United States in an appearance at the Pentagon with Secretary of Defense Leon Panetta and the Joint Chiefs. The U.S. is planning to shrink the Army and Marine Corps, reduce forces in Europe, and make cuts to the country's nuclear arsenal. The cuts may make it less likely that the U.S. will undertake more large-scale stability operations like those in Iraq and Afghanistan. “Yes, our military will be leaner, but the world must know the United States is going to maintain our military superiority with armed forces that are agile, flexible and ready for the full range of contingencies and threats,” Obama said. Despite the roughly $450 billion in cuts, the U.S. military budget is still expected to rise at about the rate of inflation over the next decade. The U.S. will invest more heavily in Special Forces, drone aircraft, and cyberwarfare capability. The restructuring is also part of the administration's planned shift in national security focus from the Middle East to East Asia. China's official news agency Xinhua warned today that the U.S. should be careful about "flexing its muscles" in East Asia or make any moves that could "endanger peace."

Restoration and Turmoil

リンク: 小沢一郎元代表 大いに語る「野田じゃダメだ」「政界再編に動く」覚悟 - 速報:@niftyニュース.

A Biographer

ジョージ・ナッシュ博士のことがネットになったので、メモしておきたい。

http://www.kirkcenter.org/index.php/nash/

賢明な読者の皆様には、何のためにめもをするのか既にご賢察のことと思う。

特に、昨年出版された、Freedom Betrayedの編著者である。

東京港

東京港

東京浜松町の貿易センタービル38階からの東京港の展望である。

神田明神

神田明神

江戸城を守る鬼門の方角に、天海僧正の献策によって立てられた神社である。

 

立正安国


日蓮宗の大本山の池上本門寺の南隣には、日蓮聖人が入滅した地として大坊本行寺というお寺がある。美しい庭もある。http://www.bukkyo.net/daibo/

For Japan Korea Relations

月刊日本12月号に掲載された書評である。

歴史を欺く韓国<本当は、「日韓併合」が韓国を救った!月刊日本12月号>

「著者の松木国俊氏は、ある日、ある知り合いの老人から「朝鮮総督府発行普通学校教科書」と「朝鮮総督府施政年報」の写しを見せられ、日本が朝鮮人の姓を奪うどころか尊重していたことが記されていることを知ったという。「これが発端となって、日本統治時代の一次資料を集めはじめたところ、私たちが学校で習ったこと、そして現在の日本で常識になっていることとは正反対の事実が次々に明らかになり、それにつれて私の疑問は次第に氷解していきました」(2頁)

そして著者が確信したのは、当時の朝鮮の人々は決して誇りを失っていたのではなく、朝鮮民族の安全を確保し、朝鮮社会を近代化させるための現実的方策として、日本との合邦という道を選んだということである。著者はこの確信に基づき、日本が朝鮮から「国王」「主権」「土地」「国語」「姓名」「命」「資源」の七つを奪ったという「七奪」に対して、一つ一つ周到な反論を試みる。

まず「国王を奪った」との主張への反論として、李王朝を日本の皇室の一員として温かくお迎えしたと主張し、「日鮮融和の礎」という使命をもって、日本の皇族であらせられた梨本宮方子女王が李王朝の王世子(王の後継)李垠殿下に嫁がれた事実を挙げる。そして、李王朝を復活させず、共和制国家を作ったのは韓国自身だったと説く。

次に、「主権を奪った」に対しては、李氏朝鮮が最初「明」の属国であり、後には「清」の属国であったと主張し、もともと国家主権はなかったと書いている。また、朝鮮半島にロシアが影響力を拡大しようという緊迫した状況があった事実を指摘する。

「土地を奪った」に対しては、朝鮮総督府が接収した土地は耕地全体の三%で、接収過程で朝鮮人の私有地を奪った事実は全くないと主張する。「国語を奪った」に対しては。福沢諭吉が大衆啓発に効果があると考えて、漢字ハングル混合文を提唱した事実を挙げる。また、昭和十三年に朝鮮語が必修科目から選択科目となったことは、決して朝鮮語禁止を意味しないと説く。「姓名を奪った」に対しては、昭和十四年の朝鮮戸籍法改正によって朝鮮人が日本名を名乗ることが可能になったが、無理やり改名を強いた事実はないと主張する。「命を奪った」に対しては、その説のベースとなった、朴殷植の『朝鮮独立運動之血史』を歴史の捏造だと正面から批判する。

そして最後に、「資源を奪った」に対する反論において、著者は朝鮮が「植民地」ではなく「拓殖地」であったという主張を展開する。かつて欧米の宗主国が植民地から資源を略奪し、製品を売りつけて自国の繁栄を図ったのとは本質的に異なり、日本は朝鮮近代化のために膨大な税金をつぎこみ、鉱山を開発し、産業を育成し、人材を育てたのだと。

「七奪」の主張は、確かに歪曲に基づくものが多いが、民族にとってさらに重要な「信仰」を奪われたと韓国人が感じることはなかっただろうか。大正十四年に京城府南山に朝鮮神宮が創建された際、葦津耕次郎が「皇祖および明治天皇を奉斎して、韓国建邦の神を無視するは人倫の常道を無視せる不道徳」と厳しく批判した事実を、どうとらえるべきなのか。

著者自ら指摘している通り、李容九の率いる「一進会」は日本との一体化が国を救う道だと信じ、日韓合邦を目指していた。日韓併合後の現実が、合邦の理想から離れていったことは否めないのではなかろうか。李とともに合邦運動に挺身した内田良平は、やがて「朝鮮統治制度に関する意見書」を起草、朝鮮人に参政権を与えるべきだと主張した。

本書は、日韓併合下の日本の統治政策を一方的に断罪する韓国側の主張を正面から批判している。ただ、評者は歴史の歪曲に反論するだけではなく、統治の誤りも謙虚に認める必要があると考えている。商社勤務時代にソウルに四年ほど駐在し、その後三十年以上にわたって韓国と深いつきあいを続けてきた著者が、日韓の対立を望んでいないことは明らかだ。

著者の真の願いは、最終章のタイトル「日韓相互理解への道」に明確に示されているのではなかろうか。ここで松木氏は、韓国に対する安易な謝罪は、誤解と偏見に基づいた反日感情という「トゲ」の上から絆創膏を貼るだけのことであり、傷はますます化膿してしまうと書いている。そして、多少の痛みを伴っても、真実を明らかにして、誤解を解いて「トゲ」を抜き去るべきだと説いた上で、次のように結んでいる。「日本民族と韓民族がそれぞれの先人を誇りに思えるとき、はじめて日韓間に互恵平等の関係が樹立できるはずです」(254頁)(編集長 坪内隆彦)」

なお、当方ブログとしては、すでに、著者の六回に亘る講演の動画にリンクをはっているので、ご参考まで。

http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2011/12/japan-korea-rel.html

A Happy New Year!




Photo_2


謹賀新年

当方ブログも、又、ぼちぼちと書き続けます。

どうかよろしくお願いします。

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