Refusal Betrayed--Lost Statesmanship 10
Tenth. The tenth loss of statesmanship was the refusal to accept the proposals which his Ambassador informed him came from the Emperor of Japan for a three months' stand still agreemnt in November, 1941. Our military officials strongly urged it on Roosevelt. Japan was then alarmed that Russia might defeat her ally, Hitler. Ninety days' delay wold have taken all the starch out of Japan and kept war out of the Pacific. As the Stimson diary disclosed, Roosevelt and his officials were searching for a method to stimulate an overt act from Japanese. Then Hull issued his foolish ultimatum and were were defeated at Pearl Harbor. The train of losses and this Japanaese victory in the Japanese occupation of all South Asia were incalculable. Further, with loss of sea control , Hitler and Togo wre able to destroy our shipping in shight of our own shores.
最後のTogoは、文脈からして、Tojoのミスプリと思われるが、極めて重要な内容である。
フーバーの回想録は、昭和16年の11月に, 天皇陛下が3ヶ月間のスタンドスティル、すなわち冷却期間をおこうとの提案を、駐日の米国大使を通じてされたが、ルーズベルトは是を拒否したと書いている。米国の軍事担当も、冷却期間の提案を受け入れるべきであるとルーズベルト大統領に促している。当時、日本はロシアが、同盟関係にあったヒトラーを打倒する可能性を警戒していたのである。九十日の冷却期間があって、(戦端開始の)遅れがあれば、日本から全ての糊の部分を取り去ることになって、太平洋での戦争する必要を無くしたに違いない。スティムソンの日記が明らかにしたように、ルーズベルトとその幕僚は、日本側から目立った行動が取られるように挑発する方法を探していたのだ。だから、ハルは、馬鹿げた最後通牒を発出して、そして真珠湾で負けたのだ。損害がどんどん発生して、南アジアでの日本の占領で日本が勝利することは、計算できなかったのだ。更には、制海権を失って、ヒトラーと東条が、米国の海岸が見えるところで、アメリカの船舶を破壊することができるようになったのである。
フーバー回想録の原本の879ページに掲載されている。昭和16年の11月の土壇場で、三ヶ月の冷却期間の提案が日本から行われたとの記述がある。上記の翻訳は素人の翻訳であるので、万一間違いもある可能性があるが、例えば、taken all the starch out of Japan のスターチとは何かよくわからない。慣用句であろう。英語と翻訳の専門家のご意見を頂戴したい。
徳富蘇峰は、昭和17年3月8日東京日日新聞に「日本が七重の膝を八重に折って、提携を迫るも、昨年(昭和十六年)8月近衛首相が直接協商の為に洋上にて出会せんことを促しても、まじめに返事さへ呉れない程であった。而して米国、英国・蒋介石・蘭印など、いわゆるABCDの包囲陣を作って蜘蛛が網を張って蝶を絞殺するが如き態度を執った。而して、彼等の頑迷不霊の結果、遂に我をして已むに已まれずして立つに至らしめたのだ。」と書いているが、ようやく、フーバー大統領の回想録が、70年の時間が経って、徳富蘇峰のその言論がアメリカ側からも裏付けられたと感じる次第である。
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