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North Korea and Kim Chek

著者の諒解を得て、下記の通り北朝鮮の金策(キムチェック)の個人名の重要性についての解説を転載する。ご参考まで。

北朝鮮には金日成(キムイルソン)総合大学がある。同大学は一九四六年一
〇月一日創立され、大学キャンパスは平壌の龍南山の丘上にある。一九四八年に工学部が金策(キムチェック)工業総合大学、農学部が農業大学、医学部が医科大学にそれぞれ分離し、一九六四年に外国語学部が分離して平壌外国語大学となった。

  金日成以外に唯一個人の人名を冠にした金策工業総合大学は、建国の英雄である金策(副首相兼産業相)にちなんで命名されたとされている。また、日本海に面した咸鏡北道南部には金策市という都市がある。旧称は城津市で、日本統治時代は海軍の研究所などがあって、その資産を活用した北朝鮮における製鉄業の中心地の一つである。
  帝政ロシアを打倒し共産主義国家体制を創建したソビエト共産党はロシアの首都であったサンクトペテルブルクをレニングラード、ヴォルゴグラードをス
ターリングラードに改名し、モスクワを新たな首都とした。ロシア革命の理念
・理論指導者レーニンと革命の英雄スターリンの名を冠した都市名にすること
で、ロシア帝国の国体と政体を根本的に変える象徴とした。
 ヴェトナム戦争に勝利した北ヴェトナムが南ヴェトナムの首都サイゴンをホ
ーチミン市と改名したのも、同位相の想いが込められている。当然、北朝鮮で
建国の英雄金日成と同じく個人名を冠にした大学や都市が存在することには、重要な意味が込められている。だが、なぜかわが国では、金策に関しては全く無視されている。

 北朝鮮建国の英雄とされている金日成は、大日本帝国が大東亜戦争に敗れて朝鮮半島から撤退した直後、当時のコミンテルンが捏造した抗日パルチザン英雄伝説にのって平壌に凱旋した。コミンテルンの策謀が発覚する前に朝鮮戦争が引き起こされて国民は同胞が血で血を洗う悲惨な内戦にかり出されたため、金日成の出自が民衆の間から問題視される懸念は封じられた。

 そして、金日成はソ連軍が参戦していない朝鮮戦争の隙をついて傀儡の弱点を払拭するため、粛清に継ぐ粛清で、ソ連・コミンテルン派勢力を壊滅させ
て、独裁権力の掌握に成功した。金日成にソ連派粛清を助言し、自らも辣腕を振るったのが金策である。
 この渦中で金策の出自(日本軍諜報関係者)が露見したため、彼は、朝鮮戦争の最前線司令官として英雄的な戦死を遂げた、として表舞台から姿を消した。北朝鮮関連の人名録には、金策に関しては次のように記述されている。
  金策。一九〇三年生、モスクワ共産党大学卒、ソ連内務省GPUに入り、満
州の金日成などの活動を支援した。ソ連軍中佐。金日成の腹心のひとりで、人民軍の建設に中心的な役割を果たした。朝鮮戦争では前線司令官となったが五一年爆死、その功により、出生地を金策市と改め、その地の鉄工所を金策製鉄所、大学を金策工科大学と命名された。

 表舞台から退いた金策は、ソ連粛清にある程度成果を見いだした後、「主体
思想」の構築を提言し、後に亡命した黄長燁を中心にすえて理論構築を行な
い、北朝鮮を金王朝にすべき礎を築いた。その功績を讃えるべく、彼の名を冠
にした都市や大学が今でも存続している。すなわち、金策は、北朝鮮、金王朝
の本質を解明するためには欠かせない研究対象である。
  また、金正日著「金日成回顧録」のなかに、正日が父親の金庫を空けてみる
と金日成と金策とふたりだけで映っている写真が出てきたと記述されている部
分があって、金策の特殊な立場が間接的に示唆されている。

  金策は、黒龍会の一員だと目されている。黒龍会指導者の内田良平翁は対露工作に全力を注ぐために朝鮮半島の安定化を願い、日韓合邦運動を推進した民間人である。彼は朝鮮半島悲哀の歴史は、国民の団結心の欠如にあり、その主たる原因は偏狭な正統性への執着に起因しており、その因習・弊害の克服が朝鮮自立の大前提だ、との信念を持って朝鮮工作に邁進した。
 内田翁は、朝鮮社会の構造的な因習は本貫家系へのこだわりにあると喝破して、「壇君神話」に基づいた疑似天皇制国家の家長にすべての朝鮮家系の本貫図を止揚・一元化する構想を打ち出して、半島人士との連携を強めた。
 日韓合邦を夢見た内田翁や、その構想に希望を託して日露戦争で日本に献身的に貢献した半島人士の悲願は、明治政府の併合政策で裏切られた形となった。だが、その精神は継続された。

 内田翁と明石元二郎大将は同郷のよしみで懇意な関係にあり、金策は両者に縁のあった人物である。
  明石大将は、わが国の日露戦争勝利に大いに貢献した、帝国日本陸軍参謀本部の高級情報将校であった。明石大将は日露戦争後、朝鮮総督府の憲兵司令に就任し、抗日パルチザン対策などに従事した。金策はその一要員として、抗日パルチザン組織に潜入して諜報工作に従事していた可能性が高い。

 金日成は、北朝鮮社会のすべての宗家は金日成から発するとして本貫図を一元集約化した王朝体制を目指し、一時は朝鮮民族を「金日成民族」と呼称した。そして、その正統性を白頭山を神聖視した「壇君神話」で補完した。その
構想は、金策の提言に基づいたものである。

 金日成が死去し、二代目正日が正当な後継者と決まるまでに三年かかった
が、その間、「白頭山に赤い雪が降った、金色の鳥が舞い降りた」などの話が
党機関誌に掲載されたり、ラジオで放送されたのは、金王朝神話づくりが進め
られていた背景を暗示していた。
 そして、金王朝の二代目後継者に決まった正日は最初の仕事として、あたかも橿原神宮を創建するかのように、巨額を投じて広大な壇君廟を建設した。また、二代目金王朝体制が成立した直後に公表された党幹部の序列一七位に、一度限りであるが「金策」の名が明記されていた。

「日本書紀」の白村江の戦いの項に、「天智元年(六六二年)の五月、安曇野
比羅夫らが軍船一七〇隻を率いて百済に乗り込み、勅語を賜わって正式に余豊を百済王とし、別に金文字で書いた勅語(金策)を福信に賜わって…」とあり、金策の意味は「金文字で書かれた勅語」だと理解できる記述がある。
「金策」という名称は単なる個人名ではなく、日朝の歴史に因んだある想いが
込められていることが暗示されている。ちなみに、三代目正恩体制が発足した
直後、金王朝周辺筋から、あらためて金策の名が取りざたされて日本に発信されている。

  正恩三代目体制の序列七位に列せられている金国泰(朝鮮労働党中央委政治局員、八七歳)は、金策の長男である。国泰は国家安泰を願った、朝鮮風ではなく、日本的な思い入れそのものが籠もった名前である。
  金国泰は、クリントン政権時の九九年四月、心臓病の治療のためと称して米
ニューヨークにあるマウント・サイナイ病院に一ヶ月入院した。シナイ山とい
うユダヤ教の聖地を冠にした病院は、入院費用が一ヶ月で最低一〇万ドル以上かかる全米で最高級の病院である。おそらく、この時、米朝間で相当突っ込んだ対話がなされたであろう。

 同時に、一部の国際ユダヤ勢力は、大日本帝国の残置国家としての側面が色濃い北朝鮮・金王朝の内実をつぶさに把握したであろう。そして、北朝鮮を積極的に取り組むことが、「新河豚計画」構想を推し進めるには有利だと判断したものと思われる。 

「新河豚計画」構想は一九三〇年代に日本で進められた、ユダヤ難民の移住計画「河豚計画」の現代版構想である。旧計画は一九三四年に満州財閥の鮎川義介が提唱した計画に始まるとされ、一九三八年の五相会議で政府の方針として定まった。

 実務面では、安江仙弘陸軍大佐、犬塚惟重海軍大佐らが主導した。ヨーロッパでの迫害から逃れたユダヤ人を満州国に招き入れ、自治区を建設する計画であった。その真の狙いは、国際ユダヤ社会の影響力を活用することで、満州建国以来、孤立化するわが国の窮状を打破することにあった。しかし、最終的には頓挫した。
「河豚計画」の名は、一九三七年七月に行われた犬塚大佐の演説に由来する。
ユダヤ人の経済力や政治力を評価した彼は、「ユダヤ人の受け入れは日本にとって非常に有益だが、一歩間違えば破滅の引き金ともなりうる」と考えた。犬塚大佐はこの二面性を、美味だが猛毒を持つ河豚に擬えて、「これは河豚を料理するようなものだ」と語った。

 金国泰の渡米入院後、米朝間で様々な調整が行なわれ、翌二〇〇〇年一〇月末、クリントン政権の最末期、当時のオルブライト国務長官(ユダヤ系)が訪朝するまでの運びになった。
 しかし、次のブッシュ政権は「九・一一事件」を契機に、アフガン・イラク
戦争に踏み切って北朝鮮を「テロ支援国家」に指定し、それまでの米朝関係を
すべてご破算にした。これに怒った金正日は、日本人拉致事件の真相を暴露すると米国に迫るなど、米朝間の複雑な駆け引きの一端を浮き彫りした。
 二〇〇七年、スイス・ジュネーブに本部を置く非営利財団である世界経済フ
ォーラム(通称「ダボス会議」主催財団)は「夏期ダボス会議」を設立、毎年
秋、支那の天津と満州の大連で交互に開催するという。今年は九月中旬、天津で開催される予定である。

 この会議が設立されたことはブッシュ政権下で中断を余儀なくされた「新河
豚計画」構想が、本格的に進捗していることを示唆しているのである。
  一度は頓挫した「河豚計画」が改めて構想される背景には、世界的なハルマ
ゲドンの勃発を見越した国際ユダヤ金融資本勢力の遠大な思惑が秘められている。そして、大日本帝国の残置国家とも見なせる北朝鮮・金王朝がその推進国家となっていることに「歴史は繰返す」との想いを禁じえない。その大きな道筋を半世紀かけて切り開いてきた重要人物こそ金策である。そしてその日本名は畑中(はたなか)理(おさむ)という。

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