Freedom Betrayed and Nineteen Blunders
ハーバート・フーバー第31代米国大統領の回想秘録「裏切られた自由」が没後47年を経て昨年秋に公刊され、マッカーサーとの会談記録に「日本の戦争の全てが戦争をしたい「『狂気の男』の欲望によると指摘して、マッカーサーが同意した」等と書かれていることを紹介した。当方ブログは、回想録の衝撃を色々書いてきたが、それでも、尽くすことができない。
フーバー大統領は、ルーズズベルト大統領が犯した19の大失策を列挙し、「私は,戦争に反対で,戦争を奨めようとするあらゆる政策に反対した。言い訳もしない,後悔もない。」と戦後の1953年に書き残している。
①昭和8年の世界経済会議が最初の過ち。フーバーと英国のマクドナルドが会議を準備。ルーズベルトが金本位制度を否定して会議が不調となり、第二次大戦の引き金となった。
②ソ連の承認(昭和8年11月)。
③ミュンヘン会議で、ヒトラーとスターリンという怪物の潰し合いを引きとどめたこと。
④英仏が、ポーランドとルーマニアの独立を保証したこと。スターリンとヒトラーとの争いには介入しないとの方針を変えて、東ポーランドとバルト海諸国を併合するスターリン側についた。
⑤選挙公約に反して、ドイツと日本に対して、宣戦布告のない戦争を始めた。
⑥ヒトラーがスターリンをまもなく攻撃することを予測して,忍耐強く待つべきだった。英国支援も国際法の枠内での金融支援に留め、待ちの方針をとるべきだった。
⑦米国とソ連とが非公然の同盟関係になったこと。米国史上最大の失策。
⑧昭和16年年7月の対日経済制裁。太平洋での日本の戦争は自衛の戦争。むしろ、七月の全面禁輸の方が、弾を撃たない戦争の開始。
⑨近衛総理の和平提案を拒否。和平提案の受け入れを米英の駐日大使は、祈るが如く受け入れを促した。ルーズベルトは、満州もソ連に与えようとしたのではないのか。(近衛文麿は、昭和20年12月16日未明に自決した遺書に、「僕は支那事変以来多くの政治上過誤を犯した。これに対して深く責任を感じておるが、いはゆる戦争犯罪人として米国の法廷に於いて裁判を受けることは堪へ難いことである。殊に僕は支那事変に責任をかんずればこそ、此事件解決を最大の使命とした。そして、此解決の唯一の途は米国との諒解になるとの結論に達し、日米交渉に全力を尽くしたのである。その米国から、今犯罪人としての指名を受けることは誠に残念に思ふ。しかし、僕の志は知る人ぞ知る。僕は米国に於てさへそこに多少の知己が存することを確信する。戦争に伴ふ興奮と激情と勝てる者の行き過ぎた増長と敗れた者の過度の卑屈と故意の中小と誤解に基づく流言飛語と是等輿論なるものも、いつか冷静さを取り戻し、正常に伏するときも来やう。是時始めて神の法廷に於て正義の判決がくだされやう」と書いている。)
⑩天皇陛下が提案した、三ヶ月の冷却期間の設定する日本からの和平提案の拒否。
⑪昭和18年のカサブランカ会議で、戦争を長引かせるだけの無条件降伏を要求したこと。イタリアと日本とは、結局条件降伏となった。
⑫昭和18年10月のモスクワでの外務大臣会合で、ソ連がバルト海諸国、東ポーランド、東フィンランド等の併合をしても抗議しなかったこと。
⑬ルーズベルトとチャーチルは、昭和18年12月のテヘラン会議で、ソ連の傀儡政権七カ国を追加して認めた。
⑭ヤルタでは、スターリンが12の国に干渉すること追認したばかりか、秘密協定を多数結んだ。
⑮昭和20年の5月、6月、7月と日本は白旗を掲げて和平を求めるが、トルーマンは拒否。ルーズベルトの無条件降伏に従う義務はなかった。日本との和平はただひとつの譲歩で達成できた。米国側が、条件を受け入れたのは、数十万人の人命を犠牲にして後である。
⑯ポツダム会議で、スターリンとの繋がりが強化された。複数の忠言に反して、日本に無条件降伏の最後通牒を出した。原爆投下の後に条件を受け入れた。(日本は無条件降伏ではないとの指摘は重要)
⑰トルーマンが、原子爆弾投下の非道徳な命令をしたこと。原文は、The seventeenth wandering of American statesmanship was Truman's immoral order to drop the atomic bomb on the Japanese . Not only had been repeatedly suing for peace but it was the act of unparalled brutality in all American history. It will forever weigh heavily on the American conscience.(フーバー大統領の原爆投下について良心を揺さぶる激白の原文である。)(二度と過ちを繰り返してはならないのは、いずこの側か歴然としている。慰霊の碑は書き換えるべきだ。)
⑱国共合作にルーズベルトが執心して、ヤルタの秘密協定で、モンゴルと満州をソ連に渡すことにし,(南樺太と千島列島も渡したのではないか?)更に毛沢東に支那大陸を渡した過ち。モスクワの傀儡政権にして、毛沢東に支那をあげてしまった。壮大な過ち。(特に、毛沢東が,日本はなにも謝る事はないと述べた真意が理解できる。南京虐殺のでっちあげも、米中合作の戦時謀略でしかない。原爆の暴虐の罪滅ぼしの為に責任てんかんをするための宣伝工作の気配すら想像できる。)
⑲米国の対支那政策の過ちで、第三次世界大戦を引き起こす恐れのある冷戦が続いた。米国が、対支政策を転換したのは、共和党政権が誕生した52年に成ってからだ。
フーバー大統領の回想録を精査して、日本の名誉回復を行うことが必要である。邦訳の完成がまたれる。
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