Kuroshio 67
邪馬台国にみる黒潮文明
ヤマトゥのヤマは山に違いないが、トゥは戸のことで入口を示している。ヤ
ードゥと言えば、家屋の入口の戸のことである。そうなれば、開聞岳や、櫻
島、そして、霧島山という、日向の三山への入口を示す土地を、ヤマトゥと想
像する。黒潮文明はヤマへの入口を求めてシマから渡来する土地をヤマトゥと呼んでいる。果して邪馬台国がヤマトゥに当たるのか、どこにあるのか、魏志倭人伝に記された国名や特徴の記述を検討し、謎解きをしたい。
そもそも魏志倭人伝は支那の歴史書『三国志』中の「魏書」三〇巻烏丸鮮卑
東夷伝倭人条の略称であり、全文で一九八八文字であるから大部でなく、「倭
人伝」という独立した列伝が存在するわけではない。「東夷伝」の中に倭及び
倭人の記述があるに過ぎない。朝鮮半島帯方郡から倭国に至るには、水行で海岸を循って韓国を経て南へ、東へ、七千余里で倭国の北岸の狗邪韓国に到着する。狗邪韓国が、巨勢島のこととすれば、海を千余里渡ると対海国に至る。南に瀚海と呼ばれる海を千余里渡ると一大国に至るとあるが、瀚海とは広い海のことで日本海を示し、黄海との境界にあるのが、対海としての対馬国である。更に千余里を渡ると末廬国に至る。ここでは、人々が潜って海産物を採ることと草木が繁茂していることに驚く記述がある。季節は夏であり、冬に渡海をすることはないことがわかる。東南へ五百里陸行すると伊都国に到着する。王が居て女王国に属し、帯方郡の使者の往来では常に駐在する所であるとするから、往来の良い港町で今の福岡市西区で旧怡土郡に比定される。東南に百里進むと奴国に至り、東へ百里行くと不弥国に至るとあるが、いずれも伊都国から近い。不弥国を福岡県の糟屋郡の宇美町に比定して問題が無い。南へ水行二十日で投馬国に至るとあるから、投馬国は、海路だけで行けるが相当遠い。瀬戸内海を抜けて四国の脇の豊予海峡を通って現在の宮崎県西都市に到達できるが、そこには西都原古墳群や、近辺に茶臼原古墳群・新田原古墳群などが残り大豪族が居住していたことが確実で、投馬の地名がツマ神社として残る。南に水行十日と陸行一月で女王の都のある邪馬台国に至るとあるから、相当の遠隔地である。邪馬台国近畿説があるが、船で十日もかからないし、到着してから歩行の旅をする距離感はない。邪馬台国北九州説も同様である。邪馬台国は伊都国から相当遠いところになることから、天孫降臨の山を含めた雄大な三山があり、シマからヤマトゥと呼ばれてきた旧日向の土地がその距離に適合するのではないか。邪馬台国から南方の遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬(しま)国、己百支(しおき)国、伊邪(いや)国、都支(とき)国、彌奴(みな)国、 好古都(こうこと)国、不呼(ふこ)国、姐奴(そな)国、對蘇(つそ)国、蘇奴(そな)国、 呼邑(この)国、華奴蘇奴(かなそな)国、鬼(き)国、爲吾(いご)国、鬼奴(きな)国、 邪馬(やま)国、躬臣(くし)国、巴利(はり)国、支惟(きい)国、烏奴(うな)国、奴(な)国など二十数カ国を支配していたとしているが、これが薩摩の南に連なる道の島の名前ではないかと想像する。卑弥呼は狗奴(くな)国の男王と戦争していたというが、沖縄が狗奴国であったと推測すれば、薩摩と琉球のシマとヤマトゥの大昔からのせめぎ合いを考える。会稽の東治にも地理的には合う。侏儒国を種子島に比定する説があるから、瀬戸内海を通過せずに、伊都国から東シナ海に入って、大隅の佐多岬を回って西都原に比定される投馬国に至る道を考えると、邪馬台国は投馬国より海路であればより近い距離にあり、吾平山上陵、可愛山陵・高屋山上陵と神代三山陵がある旧日向の地が故地として説得力を持つ。
風俗、生活、制度などを考えると、邪馬台国南九州説がいよいよ有利にな
る。「皆面黥面文身」と、顔や体に入墨をし、墨や朱や丹を塗っている習慣
は、確かに隼人の習慣であった。男子は冠をつけず髪を結って髷をつくり、女
子はざんばら髪で、着物は幅広い布を結び合わせているだけだとしているが、ボタンと縁のなかった黒潮の衣服である。 牛・馬・虎・豹・羊・鵲は(かささぎ)いないとするが、特に鵲は朝鮮半島の鳥である。土地は温暖で生野菜を食べているとしており、南国説は決定的である。裸足だったことも温暖の土地であることを証拠づける。薩摩や大隅、日向であっても、内陸部で氷がはるようなヤマの中の寒い土地ではない。人が死ぬと十日あまり哭泣して、喪に服して肉を食べないとしているが、これまたシマにもある習慣である。葬式の後に飲酒して歌舞するが、黒潮文明は死を悲しむばかりではない。埋葬が終わると水に入って体を清めるとは、海の潮で浄める習慣だが、お清めの塩となった。墓には棺はあるが郭(かく)はないのは黒潮文明の風葬の名残だ。骨を焼き割目を見て吉凶を占うが、暖海の生物の亀の甲羅を焼く占いだろう。倭国は長命で百歳や九、八十歳の者もいるとあるが、シマは今も世界最長命である。女は慎み深く嫉妬しない、盗みはなく訴訟も少ない、法を犯す者は軽い者は妻子を没収し、重い者は一族を根絶やしにする、宗族には尊卑の序列があり、言いつけがよく守られることは、薩摩、大隅、日向三州の郷土の教訓話として今も残っている。
(つづく)
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