TPP is Not For Co-prosperity.
環太平洋経済連携協定(TPP)が、異常に推進されている。外国勢力の陰謀で強行されている。米国が2008年9月に参加を表明し、尖閣諸島で支那漁船が日本巡視船に体当たりする事件を契機に、雪崩を打って環太平洋経済連携協定(TPPと略称)の推進に走った。しかし、新自由主義の構造改革論を信じて上げ潮だとの主張が引き潮で、リーマンブラザーズの二の舞の混乱と破綻の道を歩むことになる。TPPは、一旦棚上げ又は廃棄された「年次改革協議」の再来であり、外国による日本の自立と自尊、アジアの発展を毀損するものでしかない。
平成10年11月9日に、協議を開始すると閣議決定に踏み切ったが、国会議論が十分に行われていない。TPPは即時あるいは10年以内の例外なき関税撤廃を原則としているが、FTAを結んでいない国とは事前協議を行い、かつ参加国全員の同意を必要とするから、これまでの二国間のFTAとは内容が異なる。全ての品目を自由化交渉の対象とすることを宣言することになれば、「重要品目も生け贄に奉じて、白旗を掲げて降伏する」ことに等しい、新自由主義に典型的な政治手法である。市場原理主義の社会実験が中南米で行われ、政治弾圧や逮捕や投獄が頻繁に行われたが、不起訴となった有力政治家を検察審査会で再度裁判に起訴する等、政治冤罪が発動されているとの指摘がある。鈴木宗男氏は、最高裁判所の決定により収監され国会議員の職を失っている。マスコミも多元的な議論を失い、表現の自由が制限され、政治家の発言が捏造されたり、報道されない事態が頻発している。尖閣列島や朝鮮半島における軍事緊張を演出しながら、それに対抗するとして、植民地になる可能性のあるTPPを受け入れることは国益を毀損する。TPPは、産業界に歓迎する向きがあり、貿易は歓迎するような発言が見られるが、そもそも貿易の問題ではない。TPPに潜む破壊の戦略を想像すれば、特に日本の基幹産業を支える経済団体などは危機感を表明して警鐘を乱打することが識見であるが思考を停止している。前原外務大臣(当時)が平成10年10月19日に「日本のGDPの第一次産業の割合は1.5%だ。1.5%を守る為に98.5%のかなりの部分が犠牲になっている」と述べたが、実は、米国は、1.1%、ドイツは0.8%であり、各国は共に農業の利益確保に血道を上げており、産業界としてTPPを礼賛することは、世界情勢が変わる中で、主従関係と輸出依存の農業なき通商国家を墨守することにつながる。産業区分を細かくすれば、自動車を中心とした輸送用機器も2.7%であり、製造業全体でも2割以下の19.9%の数字と並べて論じられるべきである。犠牲になっているとする輸出は、実は17.5%に過ぎないから、全体の比較のない、針小棒大の政治宣伝である。更に、農業の関連産業の広がりや、多面的な機能に対する理解を欠いており、ちなみに食品産業は、9.6%にも上り、従業者の人口は775万人に達する。農業のせいで国益が失われるとするのは的外れのしかも短絡した議論である。一部の輸出産業と一面的な消費者利益の為に,どれだけの国益を失うのか総合的に検討しなければならない。経済団体が一部の利益保護団体に矮小化して外国勢力のお先棒担ぎの役割を担うようになったようだ。
TPPは、シンガポール、ニュージーランド、チリ、ブルネイの四カ国が2006年に発足させたEPA(経済連携協定)を広く環太平洋地域全体に適用としようとするものであり、具体的には、2015年まで工業製品、農産物、金融サービスなど全ての商品について関税その他の貿易障壁を実質的に撤廃して、環太平洋全域に亘って、究極的な貿易自由化を実現すること主な目標として政府間の交渉を進めるとする。これまで、豪州、ペルー、米国、ベトナム、コロンビア、カナダが参加の意向を表明している。TPPはいわゆるFTA(自由貿易協定)の一種であり、構成地域間における実質上の全ての貿易について廃止されている地域とされている。実質上の全てのと言う文言は、通常は例えば農業全体などの特定部門を除外しないで、全貿易額の90%以上の関税を撤廃することとされており、原則は即時撤廃であるが、廃止は10年以内に行うことという経過期間の設定が、94年に解釈了承されている。その他にも、協定所議品目の設定や、再協議品目の設定などの例外措置もある。北米自由貿易協定では、米国はカナダとの間で乳製品、ピーナッツバター、砂糖、砂糖含有品、綿を除外している。経済連携協定(EPA)は、FTAの一変形であり、関税撤廃だけではなく、規制緩和や経済制度の調和等まで含めた協定により、重要な品目の除外と開発助成を組み合わせたり、或いは、投資環境を整えるなどの要素を加えて、互恵の様相を強めて、日本が進めた方式である。2002年のシンガポールとの協定を皮切りにして、日本は11カ国と協定を結んでいる。
世界全体としてのガット体制での合意が困難になったために、いわば各個撃破で、大国が貿易自由化の為の別の手法としてFTAが採用された。問題のTPPはAPEC諸国に参加の道を開いたとして、即時又は段階的な関税撤廃という、FTAでは認められているはずの例外規定を認めないFTAとされているのが、特徴である。2006年に、TPPは発足しているが、シンガポールは都市国家、ブルネイは人口が僅かに40万人、チリは、中南米との出入り口との位置づけで、四カ国合わせて2640万人の小国が糾合して、中国の台頭に抗して通商国家としての活路を開くものであったが、米国の関与表明で、性格を一変させ、小国の例外有りのFTAから、例外なしの帝国のFTAに豹変した。小国の軒先を借りて母屋を乗っ取る手法であり、帝国の世界戦略追求の場となった。
FTAの本質は,差別性にあり、相手を選んで関税撤廃を追求するもので、非貿易的な関心事項への配慮はない。国内助成の削減と言った内政干渉もなく、例外措置をとれるから、関係国の了解の下に、柔軟に自由化を追求できる。WTOの無差別原則の例外として認められ、協定毎に柔軟に対処できる。一方では、意図的に競争相手を排除できるから貿易の流れが歪曲される可能性があり、米国はカナダと墨西哥とは、米国の乳製品の方が競争力があるので、北米自由貿易協定では乳製品をゼロ関税にして、墨西哥にどんどん輸出して、一方の米豪FTAでは、乳製品を例外扱いとして、世界一競争力のある豪州からの乳製品の流入を止めている身勝手さである。更に、例外なしが優れたFTAであるとするのは誤りで、ゼロ関税のFTAよりも、高関税品目を除外してFTAとする方が優れている可能性がある。高関税品目を抱える国としては、自国の経済厚生が高まるのは、輸入増加によって輸入価格の上昇が高いと、消費者の利益が圧縮され、国内生産が被る損失と関税収入の喪失額との合計が消費者の利益よりも大きくなってしまう場合がある。日本とタイとのFTAの試算では、米、砂糖、鶏肉を除外した方が、日本の利益は増加して、域外国の損失は減少する。日米と、日欧のFTAの試算も同様で、米国の農業製品は除外すること自体が交渉の妨げとなるが、(そもそも米国がFTAを推進しているのは、ガットでは、農産物の補助金の問題を避けて通れないからである。)、農産物を場外した方が、日本の利益は増加し、域外国の損失も減少するとの資産がある。
日本は、慎重に相手国を選んで、例外措置と開発援助等を組み合わせてEPAを推進してきたが、例えば、日本が農業技術や食品安全、貧困解消に関する支援策に応ずる代わりに、タイも米の自由化を要求しないという形で力を発揮した。タイの零細農民の所得向上に配慮した優先処置も貢献しているし、フィリピンとのEPAでは、小規模農家が生産するモンキーバナナや小さなパイナップルについて優先的な関税撤廃や無税枠設定を行うといった具合に、零細な農民に対する配慮を行い、貧困解消と所得向上に貢献することによって貢献しようとする日本の姿勢が評価された。お互いの農業や産業をつぶし合いをしないアジアの知恵が発揮されたが、TPPには理解が欠落しており、超大国の制度と農業を有利に展開しようとする意図が露骨に示されている。「食料は軍事的武器とおなじ武器であり、直接食べる食料だけではなく、畜産物のエサが重要である。まず、日本に対して、日本で畜産が行われているように見えても、エサをすべて米国から供給すれば、完全にコントロールできる。これを世界に広げていくのが米国の食料戦略だ。そのために農家の師弟には頑張ってほしい」と教授され、大統領は、日本を皮肉って「食糧自給は国家の安全保障の問題であり,米国では自給が当たり前であると考えられているのは、なんという贅沢だろうか。」「食料を自給できない国を想像できるか、国際的な圧力があれば屈服してしまう国だ。危険にさらされているリスクのある国である」と演説している。西部開拓を含め拡張主義がとられ、先住民族の虐殺と文化、歴史の抹殺に象徴されるように、強奪した土地を基盤にして、氷河時代に蓄積した地下水をほとんど極限まで使った粗放農業が行われてきた。都市は公共の輸送手段が極端に不足し、二酸化炭素の排出に無頓着な経済のなかで、農業に巨額の補助金が投入されている。
米国がTPPに関与してきたのは、欧州にはEUがあり主導権を採ることは難しいが、北米では、北米自由貿易協定を通じて覇権を追求して、アジアでは、政治体制や発展段階が実に多様でモザイク模様になっており、アジアに覇権を求める手段となるからである。ASEANが成立して緩やかな自由貿易圏が成功裏に展開したが、2005年に中国がASEAN+3(日中韓)という共同体構想をぶち上げたことから、米国排除の動きと受け止めTPPを対抗戦略とした気配もある。社会的な共通資本の存在が全面的に否定され、現実には決して存在しないような制度や理論を前提として、非現実的で、反社会的で、非倫理的な命題が絶えず登場して、自由貿易の夢物語が社会的共通資本を破壊して惨害をもたらすことが歴史上に繰り返されているが、拡張主義の帝国にとって好都合な考え方である。社会的な共通資本とは、宇沢弘文教授の定義によれば、「ひとつの国ないし特定の地域に住む全ての人々が、豊かな経済生活を営み、優れた文化を展開し、人間的に魅力なる社会を持続的、安定的に維持することを可能にするような社会的装置を意味する。社会的共通資本は、自然環境(大気、森林、河川、水、土壌など)、社会的インフラストラクチャー(道路、交通機関、上下水道、電力、ガスなど)、制度資本(教育、医療、司法、金融制度など)の3つの大きな範ちゅうに分けて考えることが出来る。」となるが、自然環境は、それぞれの国や民族が長い歴史を通じて聖なるものとして次の世代に引き継いできたし、社会的なインフラストラクチャーについては、管理運営は官僚的な基準で行われてはならないし、市場的な基準に左右されてもいけないし、また、制度資本についても、人間的な尊厳をたもち、魂の自立を保ち、日本国民として誇りに思う権利と事由を十分に教授することができるよう制度とならなければならないとする。
ところが、新自由主義の政治経済思想は、企業の自由が何ら規制なく補償されるときに、人間の能力が最大限発揮され、生産要素がもっとも効率的な利用が行われるという、根拠のない、非科学的な信仰、或いは思い込みに過ぎない考え方であり、その教祖がシカゴ大学経済学部を中心とするミルトン・フリードマン教授であったが、あらゆる公共分野を私有化して、全てのものを市場を通じて取り引きするという制度を作ることが理想とされ、教育や医療、交通機関など、いわゆる公共サービスが民営化の美名の下に否定されて、私物化された市場の形成が追求された。儲けるためには、法を犯さない限り、何をやってもいいとして、規制改革の旗手として、若い経営者が、愛情もお金で買えると嘘ぶいた。国家は、武力の行使も辞さないことが横行して、核兵器で先制攻撃をかける理論も横行して、核兵器使用が現実化する事態が発生した。市場原理主義の日本侵略を本格化したのは、小泉自民党政権下で、日本では、ほぼ全ての分野で格差が拡大した。国民総生産は,きく後退して縮小均衡が見られ、医療や農業分野が大きく毀損された。国民皆保険制度は、長い時代を経て、60年代に至ってようやく達成した世界に冠たる制度であったが、これを混合医療というアメリカ型の保険会社が医療を支配する制度に切り替えようとした改悪の動きも見られた。教育制度ではバウチャー制度がまことしやかに議論された。幼稚園の民営化や、英語教育を幼児に行うことでの言語と文化を破壊する洗脳教育の危惧すら見られる。郵政民営化は改革の本丸などと称揚されたが、内実は、郵便貯金と簡易保険による巨額の国民資産の私物化と外国への国民資産の移動が画策された。危機的な状況の下で、2009年の総選挙で、民主党の地滑り的な勝利があり、政権交代が初めて行われたが、新たな新自由主義の再来とも思われる政策が復活しており、失望感が大きく広がっている。TPPに強権的に参加しようとする政策決定を見て、政権交代に寄せられた国民の期待は無残に裏切られた。
タイやインドネシアは、ASEANを中心に結束すべきであり、アメリカの介入は其の団結を分断させるものとして警戒的である。現在の九カ国に日本が加わったとして、10カ国のGDP総額は日米で九割以上を占めることになり、事実上の日米経済統合が本音ではないか。名目は環太平洋経済連携であるが、日米の無条件例外なしの経済統合の別の名称がTPPであることが明白である。環太平洋と銘打つからには、日本は今や支那との貿易が対米貿易を上回っているのが現実であり、現地投資も抜きんでていることから、利害得失を熟考することが必要である。
戦後日本は日米安保体制に依存して、沖縄返還があったが、米軍の基地を含む軍事機能は、沖縄に押しつけ事実上の占領政治が継続された。ジョセフ・ナイ氏は、沖縄は核の傘の人質であると、文藝春秋新書として邦訳された本で明言している。他方、日本本土は軽武装国家として、高度成長に邁進したが、冷戦の崩壊で,日本列島が共産主義からの防波堤としての役割が意味を失った。小沢一郎氏が発言したとされる、在日米軍プレゼンスは第七艦隊で十分、駐留なき安保、沖縄の基地は最低でも県外などの発言は、アメリカの虎の尾を践んでしまった。政権交代後の鳩山内閣は、首相と幹事長を同時に更迭する事態となって挫折した。民主党は、自民党と変わらないような安保依存論に戻り、TPP参加は横浜で開催されたAPECで来日したアメリカ大統領への土産という見方があったが、「既に中国と話している」との返答であって、日本が米中の二大国の協議対象であったことが露呈した。朝鮮半島における韓国軍艦の沈没事件や、尖閣諸島での中国漁船体当たり事件、其の直後に行われたロシア大統領の北方四島訪問などは、戦後体制の現状維持を追認するものとして、太平洋戦争の終結時点に歴史が逆転した印象すら与える。事実、ロシアは、ヤルタ体制に戻ったことを広言して、その国際法の基盤を主張している。国際連合は、連合国であり、スターリンとルーズベルトが結託した時代が再来したかのように主張している。
2008年からの世界的な金融経済危機は、過剰消費、野放しの金融資本主義の帰結であったが、日本では米国市場依存、なかんずく内需拡大を忘れた外需依存が裏目に出た。金融からものづくり、外需から、環境、福祉、エネルギーなどの内需依存経済への転換が重要であるが、依然として、均衡財政論が巾を効かせて、米国がグリーンニューディールなどと威勢の良い内需拡大政策が主張される中で、日本では、緊縮財政の色濃い仕分け会議が、財源を生み出す魔法の会合のように喧伝されたが、担当政治家はようやく失脚した。
WTOとTPPの交渉の違いも明らかにしておく必要がある。WTO交渉は関税引き下げを交渉分野にしているが、同時に農業の国内保護引き下げをも交渉の対象としている。米国は、WTOでは、自国の農業補助の引き下げに激しく抵抗するから交渉が行き詰まるが、FTAの交渉では,農業の補助の削減は交渉の対象にならないから、もっぱら押せ押せの交渉になる、関税やその他の国境措置の引き下げや撤廃を強圧的に進めればいいから、力を誇示して交渉に当たれる都合の良い交渉方式である。第三の開国という言い方は間違いである。日本の関税率は、全品目で3.3%であり、世界で最も低い。アメリカが3.9%、ヨーロッパが、4.4%、韓国が8.9%、タイが16.9%、インドがなんと33%である。まだ日本市場が閉鎖的であるなどと主張する向きがあるがそれは誤っており、日本は、全体として、市場が開放された国である。農産物を見れば、なるほど、米国は関税率が6%で、日本の12%よりも低いが、欧州はは20%であり、タイは35%、韓国はなんと35%、インドに至っては、135%の関税をかけている。日本はWTOの規則を金科玉条のようにして、農業保護の補助金削減をまじめに実行している優等生?である。農業所得に占める財政負担の割合は15.6%で、欧州諸国が軒並み90%を超えているのに比べれば遙かに低い。いまだに、日本は過保護な農業保護国であるという批判は事実ではない。逆に、米国をはじめ、欧米が高い自給率を誇り、高い農産物の輸出が行われているのは、手厚い政府支援の証左である。我が国の自給率が低いのは過保護だからではなく、農業の保護水準が低いからである。第三の開国と発言したことは事実誤認にとどまらず国益を失する迷妄である。
日本がTPPに参加しなければ軽トラック関税25%が不利だとか、欧州とのFTAがないから、EUの自動車関税10%、薄型テレビ関税14%が不利だとかの解説が見られるが、実は外国企業が好調な理由は、通貨安である要素が説得的である。関税率の問題ではない。日本で高関税が維持されているのは、僅かに、米、乳製品などの農産物があるが撤廃された場合、食糧自給率は14%に急落する。実は,食料戦略によって、日本を弱体化させることが目的であり、主要産業である農業を失った地域社会は崩壊して、国土は荒れ果て、伝統と文化と共同体を破壊する。関税撤廃によって、打撃を受けるのは、繊維製品、皮革製品、履き物、銅板など、工業分野にとどまらない。労働力の移動を含むサービス分野の開放も喧伝され、1000万人移民は日本を流浪の民の定住地とする外国支配の謀略の典型だ。
市場開放が困難なのは、素材・部品産業で、韓国で,日本からの輸入が増えて被害が出ることを懸念する世論の高まりがあり、中小企業への技術協力やそのための基金出資について要求があったが、日本側は「そこまでしてFTAを韓国と結ぶつもりはない」と拒否しているが、実は韓国の大企業を、日本のものづくり企業が支えていることを示している。グローバリゼーションは,貿易を自由化して拡大し世界の相互依存を深化するといわれ続けたが、現実とはならなかった。貿易が需要不足と過剰生産という矛盾を解決せず、需要不足を価格の切り下げで対処しようとして、賃金の安い支那に生産拠点を移し、支那は米国の低賃金工場と化した。実体経済がない、蜃気楼を追うマネーゲームとなった。体制の危機は、外国が中国共産党を温存して体制の崩壊を回避しているのではないのか。グローバリゼーションは体制の危機の輸出合戦である。
自給度の高い国民経済があってこそ、貿易は補完的なものになる。戦前の日本でもエネルギーはなんと70%もの自給率があった。徳川日本が鎖国できたのは、当時の日本にそれだけの経済手技術的な蓄積があったからであり、生活の質の高さと美意識は,特に江戸時代には最高水準に達して世界の文明国に伍している水準にあった。世界市場を拡大する政策を採らないで,強者が強者になり、弱者を放置する世界政策では、消費市場がどんどんしぼむばかりで、国際的な合意はますます難しくなる,弱肉強食の貿易大系が現出することになる。氷山に衝突して沈没するTPPというタイタニックに乗り遅れることは結構なことであり、乗り遅れる方が国益になるばかりではなく、アジアを含む世界の平和と安定に貢献する。日本は、貿易依存、輸出依存の国ではない。貿易依存度が増したのは、弱体化した結果に過ぎない。世界銀行の統計でも、貿易がGDPに占める比率は、世界170カ国中で164番目である。国内市場が飽和しているから海外市場が大切で輸出を強化するとの方針を採る会社がまま見られるが、国内需要を喚起するこもじゅうようである。しかも、ため込んだ外貨を海外で投資して諸国の活性化に貢献しないから、でっち上げの事故でリコール事件が頻発する政治的な攻撃を受ける始末で、構造改革に加担してもなすすべを知らなかった。経済団体の幹部を輩出した企業が派遣労働者の解雇に先頭を切らざるを得なかったのは、グローバル政治経済の変貌に対する認識の浅さと欠如が原因であるといわざるを得ない。 TPPも同根の現象である。
大統領の生まれたハワイは太平洋のジブラルタルとなって属国化したが、日本が、帝国主義勢力の極東ジブラルタルの橋頭堡となってはならない。八紘為宇の先鞭をつけた大東亜戦争を戦った栄光を喪失してしまう。
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