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Kuroshio 71

日向と大隅の郡名を書いたので、薩摩の郡名等も書き留めておきたい。史料
館の硝子越しに撮影した写真をつてにして、書き写すことにする。牛屎(ねばり)院、和泉郷、山門(やまと)院、安久祢(あくね)、祁答院(けどういん)、東郷別府、高城(たかき)郡、入来(いりき)院、薩摩郡、宮里野、市来院、伊集院(いじゆういん)、満家(みつえ)院、鹿児島郡、日置北郷、日置南郷、谿山(たにやま)郡、伊作郡、阿多郡、加(か)世(せ)田(だ)別府、川辺郡、治乱院、給黎(きいれ)院、頴娃(えい)郡 揖宿(いぶすき)郡の地名をあげた史料が、鹿児島神宮の近隣の史料館に掲示されていた。冒頭の牛屎院は現在の伊佐市の近くの地名であり、大口城を本拠とする戦国大名の姓でもある。牛屎とは「牛の糞」であるが、ねばり、うぐつ、との読み方がある。牛屎は解毒作用があり、漢和辞典には、「牛屎、散熱、解毒、利溲。故能治腫疽霍亂疳痢傷損諸疾。燒灰則収濕、生肌抜毒」と、吹き出物などに効くといい、本草綱目にも「牛屎」の効用が「水腫溲澀、濕熱黄病、霍亂吐瀉、脚跟腫痛」と列挙されている。現在の伊佐市は、大口市と菱刈町とが合併したから、伊佐市には、日本最大の金山である菱刈鉱山がある。世界最高水準の品位の金山である。古代朝鮮語で鉱山のことを 「カグ」とか「カゴ」とか発音されていたとされ、香具山(かぐやま)や加賀山(かがやま)となり、カゴが鉱物資源全般を意味してくるようになり、鹿(か)児(ご)島(しま)が日本で最も鉱物資源の豊富な場所であることは、薩摩には鉱物の豊富な火山地帯があることから、何の不思議もない。鹿籠(かご)駅という今の枕(まくら)崎(ざき)から伊集院までを結んだ南薩鉄道に駅があって、鹿児島黒豚の中でも、枕崎の「鹿籠(かご)豚」は「幻の黒豚」と言われるが、「鹿籠豚」の名前は、戦後黒豚を生きたまま貨車で東京に出荷した際に、鹿籠駅の車票がついていたので、自然に呼ばれるようになったという。枕崎の一帯が鹿籠という地名であった。鹿籠(かご)金山があった。まくらとは、旧川辺郡の三島や十島では、暗礁のことを言うから、枕崎とは暗礁がある岬という名前である。枕崎の港の入り口には、立神岩があるが、これは奄美大島の名瀬の港の入り口に屹立する立神(たちがみ)と全く同一の存在である。立神に寄せる波しぶきを見れば、その方角強さを知ることになる。沖の立神がまた片瀬波だと天候の悪さをかこつこともある。籠は、竹で編んだ目の細かい篭のことを意味する勝(かつ)間(ま)にもつながり、山幸彦が海神の宮に行った時に乗った船とされる无間勝間(まなしかつま)のことを想像すれば、もちろん、編み目のない籠は漆で詰めたに違いない。枕崎の言葉はあがり下がりのハッキリした抑揚があり、薩摩の言葉よりも、都城から志布志にかけての日向の言葉に近いように聞こえるがどうだろうか。黒潮の民である隼人の言葉が、海幸彦のように隠遁して版図を狭め、日向、大隅、薩摩の三洲の北と南の端に古い言葉の抑揚として残った。

 薩摩半島には、金山、錫山、銅山があちらこちらにある。布計、大口、新王
ノ山、王ノ山、幸田、山ヶ野、東山ヶ野、新永野、大良、高嶺、山田、添、光
和、松野、丸山、木津志、入来、羽島、荒川、串木野、芹ヶ野、湯之浦、吹
上、豊城、助代、湯之名、神殿、樋渡、喜入、東、鹿籠、赤石、春日、見初、
栗ヶ野、岩戸、黒仁田、生見、郡ヶ野、岩手、花篭、河内山、金切、大谷、小
金、立神、弁財天、と金山が連なる。薩摩の国府が置かれたのは、高城郡であり、今の薩摩川内市にあたり、和泉郷は今は出水市となっているが、高城郡の北にあり、肥後国との国境には野間ノ関があった。高城郡と和泉郷とが、養老四年(七二〇年)の隼人の乱に際して、最前線の補給基地となったとする説があり、天平八年(七三五年)の『薩摩国正税帳』には、「出水・高城のほかに隼人十一郡」とされ、薩摩国の大部分が隼人の地であったことが分かる。阿多は隼人の居住地として有名で、畿内にも隼人の居住地としての同音の地名が残る。沖縄には、国頭に安田(あだ)がある。薩摩半島西部の万之瀬川流域から野間半島あたりまでの古い地名で、北を伊作郡、東は谿山郡、給黎郡、南は川辺郡と接していたが、徐々に縮小して日置(ひおき)郡に吸収され、今は郡名として残っていない。日置の地名は、「和名抄」に大和国葛上郡、和泉国大鳥郡、伊勢国一志郡など、千葉県から鹿児島県にかけて広く分布しており、山口県では周防国佐波郡日置(へき)郷(佐波郡徳地町)と長門国大津郡日置荘(長門市日置)がある。長門市には、鍛冶屋、鑪、火渡、金焼などの地名が残るので、火を起こして金属加工をする集団が想像される。河内にも日置(ひき)荘が奈良の興福寺の荘園としてあって、大仏の鋳造に携わったとされる。島津家の祖である戦国武将の島津忠久は、島津家に伝わる史料では、母が源頼朝の側室で比(ひ)企(き)能員(よしかず)の妹丹後局(たんごのつぼね)で、頼朝のご落胤で、そのため厚遇されたとされるから、日置は、武蔵国比企郡の豪族としての比企氏に通じる島津氏の薩摩の重要な地名である。現在の知覧(ちらん)は特攻基地と武家屋敷が有名だが、古い時代に「治乱」と表記するのは、阿多隼人の乱を鎮圧した征服者の土地だったとすれば納得がいく。 (つづく)

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