Coming Apart 6
アメリカが階級社会のある国になり、一部の社会階層が、政治を支配して、しかももうひとつの貧しいアメリカの存在に気がつかなくなったにしても、アメリカという国が、没落することを意味するわけではない。軍事力のある超大国としては、いよいよ、軍事強国になる可能性もあるし、外交もいよいよ強圧を加えることになるのかもしれない。しかし、アメリカの理想は、少なくともこれまでは、人間の自由、フリーダムを確保することで、国として、あるいは国際政治のなかで国家としての力の増強を目的とするような国ではなかった。
階級社会の問題は、マレーによれば、人種の違いから発生したものではないから、人種差別や移民を制限しても問題の解決にならないと主張しているが、本当のところはどうだろうか。
●アメリカで、新上流階級がどのように発生しているのか。
狭いエリートと呼ばれるのが、ジャーナリスト、法律家、裁判官、政府官僚、政治家などで、全米で10万人程度。
広いエリートとよばれるのが、企業の経営者、医者、地方公共団体の職員などで、ビジネスマンのうち、5%が、この広いエリートといわれる層に属する。そうすると、142万7千の家庭が広いエリート層と呼ばれると、240万人が新上流階級に属することになる。
エスタブリッシュメント、という表現があるが、ここには、映画、テレビ、ハイテク、政治関連のビジネスが、含まれていない。
●1960年代まで、アメリカで階級がなかったことの例として、アイゼンハワー政権は、「九人の億万長者と一人の水道工事屋」が閣僚となっており、ケネディ政権の場合は、「ポトマックのハーバード」と呼ばれ、ハーバード大学の卒業生が多数ケネディ政権を支えたが、それでも、毛並みの良い、つまりはエスタブリッシュメントの出身の人は少数であった。
1963年のアメリカの家族の収入は、6万二千ドルであった。十万ドルを超える家庭は、8%、二十万ドルを超える収入のある家庭は僅かに1%敷かなかった。家は、12万9千ドルで買えた。ワシントンの郊外の高級住宅地でも、27万2千ドルの値段であった。
中流階級の上の家屋が、四つの寝室、トイレが二つ、2階建て、書斎があるか、車庫(ガレージ)があるかと言うのが、標準であった。
自家用飛行機は、あることはあったが、ごく稀で、DC-8とボーイングの707のエコノミーの座席の方が便利であった。1963年当時の100万ドルは、2010年の価値では,720万ドル相当である。億万長者、全米で八万人、0.2%の人口比しかなかった。
新上流階級の住む町が姿を表したのは、1980年代になってから。例えば、ペンシルバニア州のウェインの町が、新上流階級の町に変化したのは,その頃。(つづく)
« Unseemly Businessman | トップページ | Coming Apart 7 »
この記事へのコメントは終了しました。
コメント