Kuroshio 72
太平洋・島サミット開かれる
五月二五日から二日間の日程で、沖縄本島の北部の名護市で、太平洋の島嶼国の首脳を招いて第六回「太平洋・島サミット」(略称はPALM6)が開催
された。太平洋・島サミットは、太平洋島嶼国・地域が直面する様々な問題に
ついて首脳レベルで率直に意見交換を行なうことによって緊密な協力関係を構築し、日本と太平洋島嶼国の絆を強化するために、一九九七年から三年に一度開催されている首脳会議である。主催国の日本はもとより、南太平洋との関係が深いニュージーランドと豪州も参加しているが、今回の特徴は初めて米国が参加したことである。米国参加の経緯については外務省が発表した文書では、野田総理大臣が、島サミットは第一回から一五年を迎え、二〇一〇年に初開催された中間閣僚会合を含め不断に見直しを行なっており、太平洋島嶼国への関与を抜本的に強化している米国を初招待した。次回以降のサミットへの米国参加については、今後議論したい旨述べ、これに対し太平洋島嶼国から米国の参加を歓迎する発言があり、米国からは、オバマ政権以降この地域への関与を強化しており、今回の招待に感謝したい旨発言したと記録されている。明らかに日本側の影響力と主導で米国が参加できることとなったのである。沖縄での会合では、日本が向こう三年間に五億ドルの支援をすることが表明されている。これまでの三年間でも五〇〇億円規模の支援が行なわれており、内訳を見ると、無償資金協力が約二七六億円、技術協力が約一二二億円、太平洋環境共同体基金が約六八億円、関係省庁や国際機関を通じた支援が約四二億円。環境気候変動の分野と人間の安全保障の分野で、それぞれ、一五六九人、四七七二人との研修人数が発表され、千人超の青少年交流が達成されたとしている。マスコミは、島サミットが日米協力による対中国牽制論と喧伝したが、島嶼国の安寧を無視するような、黒潮文明の絆の強化を否定する、為にする的外れの旧態墨守の偏向報道であった。事実、今回の島サミットは、日本と米国との戦略的関係の強化が島嶼国を媒介として如実に表現された画期的な会合であった。二〇〇八年に、キーティング米太平洋軍司令官は、中国側からハワイを基点に太平洋を東西に分けて分割管理する提案をされたと暴露発言をしたが、それに真剣に対応して「日米関係と海洋安全保障」の問題に転化させたのは、太平洋島嶼国との関係を長らく維持してきた笹川平和財団の提案に依るミクロネシアの海上保安案件が日米の具体的協力として開始された。さて、なぜ米国がこれまで島サミットに参加しなかったかとの疑問は島サミットが日本と太平洋諸島フォーラム(PIF)との共同開催の形を取っていることで分かる。二〇〇〇年一〇月までは南太平洋フォーラムと呼ばれたPIFは、豪州とニュージーランドがいて、米国の参加ができなかったからである。PIFは一九九二年から二〇〇六年まで日本のプルトニウム海上輸送に対する非難声明を総会で毎年決議してきたから、日本が島サミットをPIFと共催したのは、プルトニウム海上輸送による海洋汚染の可能性に対する島嶼国からの非難声明を回避するか弱める目的があったとの有力な見方がある。傍証として、これまで島サミット開催中に電気事業連合会(電事連)の主催で太平洋首脳の会食会、原発施設視察、そして一〇億円の基金設置があり、外務省外郭団体の国際問題研究所が担当して、同研究所の会長を電事連会長の故平岩外四氏が兼務していたことなどが指摘されている。しかし、東京電力の福島第一原子力発電所の津波による倒壊と暴発があったことからか、今回のサミットには電事連の姿は見られなかった由である。東北における大地震が、日本の太平洋島嶼国政策を、外国追従の政策
から、黒潮文明を共通の基調とする、人間の絆を重要視するあるべき姿に変容させることとなったことは興味深い。プルトニウムによる海洋汚染の可能性
は、海洋環境、海洋安全保障と真っ向から対立する課題であったから、核実験を強行し、原子力利権を手中にする国の不参加は当然だったが、今回からの参加は、米国の太平洋における対日エネルギー政策の修正であり、対日、対南太平洋政策の変化の表現でもある。太平洋の海底資源に対する露骨な国益の追求でもあり、海洋法会議への参加を早速表明している。
天皇・皇后両陛下は、沖縄での開催に先立ち、ミクロネシアやパラオなど一
一ヶ国一地域の大統領や首相らを、皇居に招き接見された。皇太子殿下も参加され、各国首脳と歓談された由の報道もあった。本年三月に崩御されたトンガ国王陛下の葬儀には常陸宮同妃両殿下が参加された。東京にサモアとトンガ大使館が近々開設される予定であることも公表された。沖縄経営者協会はトンガに算盤を九〇〇丁贈呈した。南洋開発の先駆者森小弁の曽孫であるマニー・モリ大統領からは椰子の繊維で出来た二つの綱(ヌーン)が総理大臣に贈呈された。福島のいわき炭鉱跡のハワイアンセンターのフラガールが親善大使を務めた。南方同胞との紐帯が復活する気配にある。(つづく)
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