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Stop the English Language Indoctrination

ファイルに残っていた。英語を幼児に教える必要がないことを主張している。最近、東京駅前の大型書店で、就学以前の子供と幼児を集めて洗脳するかのように、英語で童話を読み聞かせている連中をみかけた。日本の文化と伝統を破壊するために、一部の勢力が暗躍して,幼児に外国語を教えこもうとしている勢力がいることを耳にはしていたが、公然と活動をしているのをみた。ファイルに残っていた転載する引用文の著者がどなたかわからないし、出典不明であるが、「英語を身につけるのは大人になってからでも遅くはありません」と的確な主張でわかりやすい。幼い子供の洗脳をしようとして日本を劣化させようとする勢力に対する反撃のための参考資料になる。当方は、そんな勢力がいるはずもないと思っていたが、都内の公園でも、外国人とおぼしき屈強な男が、日本語を話すと幼児をしかりつけている倒錯した光景を見たことがある。近くには、インターナショナルスクールの看板が掛かっていた。英語動物農場を作ろうとしている連中が、現実にいて商売になっていることがわかった。東京の幼児教育の現場の、ホンの一部にせよ、恐ろしいことが起きているようだ。占領軍が日本語をやめて英語を公用語にせよと、要求したことをおもいだした。支配の為の言語を優先しようとする暴力である。どうせ、教育行政の当局も骨抜きになっているから、こうした文化破壊や、外国勢力が介入する幼児の洗脳などの怖い話も野放しになっているに違いない。
 
「英語を身につけるのは大人になってからでも遅くはありません。学校で6年も習っているのに話せないのは、英語の勉強を始めるのが遅いからではありません。単に必要性がないからです。よく臨界期を根拠に早期教育が叫ばれます。臨界期とは、簡単に言うと、言語能力の基礎を培う期間のことです。つまり、この臨界期にしっかりとした言語教育をしておかないと、言語の成長に支障をきたすということが言えます。臨界期とはだいたい10歳くらいまでと言われています。この10歳までに言葉の基礎を叩き込むことが大事なのです。
人間は思考するときに言語を使います。言語を用いて物事について考えをめぐらせます。ですから、臨界期の間にたくさん読書をした人は、しっかりとした日本語に多く触れることによって日本語が鍛えられているので、深く物事を考えることができるのです。学校の成績がいい人はたいてい子どものころから本をたくさん読んでいます。
この臨界期にちゃんとした英語にたくさん触れれば、英語の能力はつきます。しかし、これはあくまで英語を母語(第一言語)として育つ環境にあるときの話です。人間は思考するときに言語を使うと書きましたが、ここで言う言語とは母語(第一言語)のことです。私にはまだ小さな息子が2人いますが、全く英語を教えたことはありません。教えるつもりもありません。それよりも毎晩子どもたちに日本語の絵本を4~5冊読み聞かせています。お陰さまで幼稚園の先生からは、「他のお子さんより語彙が圧倒的に多い」と言われます。英語は小学校の5年生くらいから教えようと思っています。しかし、それまでは日本語に少しでも多く触れる環境を作ることに力を入れるつもりです。例えば、小学生になったら、家での情報源はテレビではなく、ラジオにしようと思っています。これは、自分の昔を振り返ってみると、頭のいい友達はよくラジオを聞いていたからです。映像に頼らず、言葉のみで楽しむことができるようにしたいからです。そして、その訓練が言語能力を高め、思考能力をも高めてくれるからです。
ちなみに私もラジオと読書は大好きです。中学校からは成績も常にトップクラスでした。小学校のときはテストには興味がなく、よく絵を描いて誉めてもらっていました。今思えば、みんな優しい先生で助かりました。
仮に、質問者様のお子さんが起きている時間の半分を英語社会で暮らせたとします。ということは日本語社会でクラス時間も半分になります。これが何を意味するか分かりますか。そうです。日本語能力が本来の半分しか育たないということです。つまり思考能力も日本語だけの環境で育ったときの半分になるということです。
とにかく、英語に触れさせる時間とお金があるなら、本を買って読み聞かせてあげてください。しっかりとした日本語能力を身につければ英語くらいすぐに話せるようになります。ちなみに私は英語ほどではありませんが、ドイツ語と韓国語も日常会話レベルなら話せます。おまけですが、バイリンガルの子どもが成長過程で読解力に苦しむということが学会などで報告されています。」

ちなみに、当方ブログは、外国語の習得を否定するものではない。実際,当方は、不自由なく英語を話せるが、中学高校を経て、特に大学時代の訓練で獲得した能力である。幼児の時代に母語の習得を徹底して、後に外からの言葉を積み重ねていく方が人生にとっては豊かである、と後に習得した標準日本語による自己表現と比較しながら、つらつら思うことである。当方の母語には、書き言葉がないのは、古事記以前の世界のようで、口承の世界にも繋がるようでかえっておもしろい。

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