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Kuroshio 80

羽黒山の山麓を彷徨している感であるが、黒潮文明論はいよいよ八十回となった。鏡の話である。自分の姿と魂を映し出す鏡を時々はながめることが必要である。鏡を海に投げ入れて海神の心を和ませることが実際に行われていたとは、この記事を書くまでは知らなかった。

出羽国の人、役行者七代の黒珍尊師は全国の霊峰を回った後に、延暦四年(七八五)四五歳のとき羽黒山に入り、熊野権現を勧請した。羽黒山の本社は月山、出羽、湯殿山の三山を正面に祀っているが、西の客殿は熊野殿と名付けられている。ちなみに、東の客殿は大黒殿と称して、大国主命を祀ってあることは興味深い。熊野と出雲からの客人神が三山を来訪したことを、客人を受け入れる建物の配置として表現している。さらに古く、天智天皇の九年(六七〇)と持統天皇四年(六九〇)には、役小角が出羽を巡錫したと、後世の役行者本記に記録されている。その年代に信を置かないにしても、遠く大和や
熊野と行者の往来があったことは確実である。役小角は、羽黒山の開山堂の脇に行者堂として近代まで祀られ、明治になってから建角身(たけつぬみ)神社と改称され羽黒山の末社の一つとなって残っている。

羽黒山の本社の前の小さな池が、実は羽黒山信仰の中心であったことは驚きである。単なる御手洗(みたらし)池ではなく、鏡を池に納める池中納鏡をする神の池であり、鏡ヶ池の名がある。古書では、羽黒山神社と書いて「いけのみたま」と読ませているほどである。日本全国に鏡池の地名があるが、いずこも池の水面が自然の森羅万象を映し込むような風光明媚な場所が多い。有名な鏡池は、まず信州戸隠の鏡池がある。白根山の鏡池もある。薩摩の池田湖近くにも鏡池があり、富士山の麓の忍野八海にも鏡池がある。岩代国岩瀬郡鏡石村、今の福島県鏡石町には鏡沼がある。鏡は海中に投じて海神に祈り、波を鎮め平らかにする祈祷の道具であったことも知られている。紀貫之は土佐日記の承平六年(九三六)二月五日の条に、 ちはやふる神の心の荒るる海に 鏡を入れてかつみつるかな と、鏡を海に投入し海神の心を和ませることが実際に行なわれたことを記録に残している。池中に鏡を納めることは各地にみられ、山形の山寺、立石寺の池からは、蓬莱鏡、草花鏡、松鶴鏡などが出土している。赤城山や榛名山の沼にも鏡が出土している。常陸の鹿島にも鏡池があるが、蓬莱鏡が出土している。出雲の八重垣神社では、最近では、銅貨を鏡の代わりに投げ入れるらしく、盗難防止の網が張ってあるとの無粋が指摘されていた。羽黒山の鏡ヶ池の特徴は、周囲五〇余間の小さな池ではあるが、大量に鏡が投入されたことが、後に出土して確認されている希有な池である。文武天皇の大宝元年(七○一)に、何と銀鏡一万八〇〇〇個が羽黒山神社の裏にある阿古谷池に納められたのとの伝えがあり、現に出土があったと言う。大正から昭和にかけて数百の鏡が鏡ヶ池から出土したが、神社当局の知らぬ間に散佚したと言われる。昭和六年の一二月初めに発掘された一九〇面は、昭和一二年国宝に指定されたが、国宝となった鏡が製作された年代は平安・鎌倉が最も多く、羽黒修験の最盛期と一致している。白銅鏡と見られるものもあるが、多くは青銅鏡の和鏡で、純銅の奉納用の儀鏡が次いで多い。羽黒山の鏡は、神社が保管する他に、上野の国立博物館などに五〇面、ボストンの美術館に三〇面、兵庫県西宮にある黒川古文化研究所に銅鏡一四〇面を所蔵している。羽黒山の鏡は海外にも流出し、ニューヨ
ークのメトロポリタン美術館やロンドンの大英博物館(一八面)は所蔵する鏡
をホームページで公開している。

羽黒山神社の鏡ヶ池の底が蜂子皇子が上陸した八乙女浦の岩窟と繋がっているとの信仰もある。荒波にそそり立つ絶壁の上で八人の美しい乙女たちが舞いながら蜂子皇子を導き迎え入れた上陸地が八乙女浦である。山中の池が大海と繋がるとすれば、池に投げ込んだ鏡は四海の安寧を祈ることになる。鏡ヶ池の畔に、釜堂が設けられて湯立神事が行なわれるが奉仕するのは巫女であるから、南島のノロやユタの巫女の儀式が今に残るかのようだ。奄美の平瀬マンカイの神事のように、女達が総出で手招きして歓迎する趣であり、筑後の八女の地名のように八女津姫の名残をも想像させる。そもそも先住民族であるアイヌの女性は、シトキと呼ばれる丸い鏡を首から提げていたとされる。天武天皇四年(六七五)に粢餅(しとき)という丸い餅を捧げることが定められ、「御鏡是也」とされ、正月の祭の鏡餅にその名が今に伝わっている。鏡は自分の姿や魂を映し出すものであるから、日本では歴史を意味する言葉ともなった。大鏡や吾妻鏡の鏡は歴史書のことである。西洋における歴史とは物語のことであるが、日本における歴史は、姿や魂を映し出すことで、歴史書は、神を和ませ敵味方の隔てなく鎮魂する書となる。天照大神は「此の宝鏡を視まさむこと、当に吾を視るがごとくすべし。与に床を同くし殿を共にして、斎鏡をすべし」との神勅を下されたが、古代から日本人は鏡を神聖なものと扱ってきた。八咫鏡は三種の神器の一つで、神鏡、賢所とも呼ばれ、日本書紀には別名を真経津(まふつ)鏡ともいうと記されている。咫(あた)は円周の単位で、〇・八尺である。径一尺の円の円周が四咫だから、八咫鏡は直径二尺(四六㎝前後)の大きな円鏡である。 (つづく)

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