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To Rectify the Situation

中野剛志評論集「反官、反民」より

「今こそ古い自民党の政治を」
  地域共同体の崩壊

 戦後、長期にわたって日本の政治を決定づけてきた自由民主党政権が揺らぎだしたのは、1990年代に入ってからである。90年代初頭は、冷戦が終結し、新たな時代の到来が予感されていた時期であった。

 冷戦後の世界の変化として考えられていたのは、グローバル化である。このグローバル化という新たな潮流に対応して、日本の政治・経済・社会の構造を抜本的に改革しなければならない。かつてのモデルはもはや通用しない。成功体験に甘んじてはならない。このような声があちこちから上がっていた。

 ほぼ、期を同じくして、日本経済は、バブル景気が崩壊し、平成不況に突入した。それは、古い構造を温存し、かつてのモデルに固執していた日本が、グローバル化に対応できなかったために起きた不況であると認識された。実際には、単に80年代後半のマクロ経済運営の失敗によって起きた不動産バブルが崩壊したというに過ぎず、したがってその対応は、マクロ経済政策によるほかなく、日本の経済構造を変えても仕方のない話のはずだった。まして、政治構造や社会構造と、バブル崩壊とはほとんど関係がない。ところが、その本来無関係な話が結び付けられて、大きな改革運動になっていったのである。

 こうした改革運動からすれば、自民党政権こそ、グローバル化以前の古い政治構造を象徴するものに他ならない。国民がグローバル化を望む限り、自民党は早晩、政権党の座から転落するのは避けられなかった。

 そこで、自民党政権は、グローバル化に対応すべく、みずから構造改革に打って出た。それが橋本龍太郎内閣による六大改革である。それは、自民党が政権の座を維持するために妥協して、構造改革を始めたのではない。当時の自民党、少なくとも橋本首相は本気で構造改革が必要であると信じていたのである。

 戦後の自民党政権は、焼け跡から高度経済成長を成し遂げ、石油危機や円高不況をも克服した。イデオロギーにとらわれずに、時代環境の変化に応じた、柔軟で実利的な経済運営を行い、つねに豊かさという結果を出すところに自民党の強さがあると言われてきた。90年代半ばの自民党は、グローバル化という時代環境の変化に対応して、構造改革路線へと向かった。それは、ある意味、柔軟で実利的な自民党らしい方針転換だった。
 ところが、グローバル化は、自民党がうまく対応してきたかつての時代環境の変化とは勝手が違ったのである。

 そもそも、自民党は、よく指摘されるように、様々な業界団体の支持を基盤にしてきた。そうした特定の業界団体が強い政治的影響力を行使するためには、時間をかけて粘り強く政治に働きかけ続ける活動を可能にする強固な組織がなければならない。さらには、そういった組織の日常的な政治活動を可能にするのは、その組織を丸抱えで支える地域共同体の存在が不可欠である。
 自民党の政権基盤とは、つまるところ、地域共同体であったのである。ところが、グローバル化は、そのような地域共同体を衰退させ、解体させるものである。したがって、自民党がグローバル化を進めて政権を維持できるはずがない。グローバル化はみずからの支持基盤を崩壊させるものだからである。構造改革を最も急進的に推し進めた小泉純一郎首相は、「自民党をぶっ壊す」と絶叫したが、まさにその通りだった。そして「自民党をぶっ壊す」とは、地域共同体をぶっ壊す」と言うことだったのである。
(中略)
経済界の変質
(中略)
 しかし、グローバル化によって、企業が国を選ぶ時代になると、企業の利益と国民の利益が一致しなくなってくる。
 例えば、日本企業の外国人持ち株比率は、90年代半ばまでは一割程度であったが、06年度には全体の約四分の一を占めるに至っている。また、01年から06年までの間、輸出が拡大し、大企業の純利益は急速に伸びた。大企業の役員報酬と配当も急上昇している。しかし、失業率は高止まりし、一人当たりの給与は下がり続け、労働分配率も低下していった。株主利益の最大化を求める海外ファンドなどが増加し、株主への配当を優先する経営を求める傾向が強まったため、人件費が抑制されるようになったからである。
 これは日本だけの傾向ではない。アメリカやドイツなど他の先進国でも、2000年代は労働分配率が低下し、賃金上昇率も伸び悩むといった現象が起きている。企業はグローバルな競争を勝ち抜くために人件費を抑制せざるを得ないが、それは国民所得の抑制をもたらす。かつては、国民所得の抑制は国内市場の縮小をもたらすので企業にとっても不利益となった。しかし、グローバル化した現在では、企業は国内市場が縮小するのなら、海外市場へと進出すればよいので、国民所得の低下は問題にならない。むしろ、人件費が抑制できるので国際競争力が増して結構だというわけである。
 グローバル化の時代には、経済界が企業利益を追求して政治に働きかけることは、国民の利益を損なうことになる。経済界は構造改革を強く要求したが、それは、既存の利益集団による既得権益や利益誘導を否定して国民全体のことを考えてのことではない。ただ、グローバル企業の利益を誘導しようとしていただけなのである。
 このクローバル化の時代には、もはや現在の経団連会長に、かつての石坂泰三や土光敏夫のような、企業や経済界の利害を越えて国民全体を視野に入れて発言する財界人の登場を期待することはできない。
 (中略)
 しかし、構造改革の失敗はすでに明らかである。08年のリーマンショック移行は、グローバル化の破綻も明確になった。グローバル化の悪影響を遮断し、グローバル化した経済界と対立してでも、国民そして地域共同体を守る政治が求められている。反動の誹りを恐れずに言えば、「古い自民党の政治」こそが必要なのだ。少なくとも、その方が、これまで世論が求めてきた「新しい政治」よりはずっとましであるし、しかも時代の変化に対応しているのだ。(表現者43号2012年6月)

田中角栄「日本列島改造論」

むすび

 明治、大正生まれの人びとには自分の郷里にたいする深い愛着と誇りがあった。故郷はたとえ貧しくとも、そこには、きびしい父とやさしい母がおり、幼な友達と山、川、海、緑の大地があった。志を立てて郷関をでた人びとは、離れた土地で学び、働き、家庭をもち、変転の人生を送ったであろう。室生犀星は「故郷は遠くに在りて思うもの」と歌った。成功した人も、失敗した人も、折にふれて思い出し、心の支えとしたのは、つねに変わらない郷土の人びとと、その風物であった。
 明治百年の日本を築いた私たちのエネルギーは、地方に生まれ、都市に生まれた違いはあったにせよ、ともに愛すべき、誇るべき郷里のなかに不滅の源泉があったと思う。
 私が日本列島改造に取組み、実現しようと願っているのは、失われ、破壊され、衰退しつつある日本人の”郷里”を全国的に再建し、私たちの社会に落着きとうるおいを取戻すためである。
 人口と産業の大都市集中は、繁栄する今日の日本をつくりあげる原動力であった。しかし、この巨大な流れは、同時に、大都会の二間のアパートだけを郷里とする人びとを輩出させ、地方から若者の姿を消し、いなかに年寄りと重労働に苦しむ主婦を取り残す結果となった。このような社会から民族の百年を切りひらくエネルギーは生まれない。
 かくて私は、工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”を推進することにした。
 この「日本列島改造論」は、人口と産業の地方分散によって過密と過疎の同時解消をはかろうとするものであり、その処方箋を実行に移すための行動計画である。
 私は衰退しつつある地方や農村に再生のためのダイナモをまわしたい。公害のない工場を大都市から地方に移し、地方都市を新しい発展の中核とし、高い所得の機会をつくる。教育、医療、文化、娯楽の施設をととのえ、豊かな生活環境を用意する。農業から離れる人びとは、地元で工場や商店に通い、自分でたべる米、野菜をつくり、余分の土地を賃耕にだし、出かせぎのない日々を送るだろう。
 少数・精鋭の日本農業のにない手たちは、20ヘクタールから30ヘクタールの土地で大型機械を駆使し、牧草の緑で大規模な畜産経営を行い、くだものをつくり、米をつくるだろう。
 大都市では、不必要な工場や大学を地方に移し、公害がなく、物価も安定して、住みよく、暮らしよい環境をつくりあげたい。人びとは週休二日制のもとで、生きがいのある仕事につくであろう。二十代、三十代の働きざかりは職住近接の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜大工、日曜農業にいそしむであろう。
 こうして、地方も大都市も、ともに人間らしい生活が送れる状態につくりかえられてこそ、人びとは自分の住む町や村に誇りをもち、連帯と協調の地域社会を実現できる。日本中どこに住んでいても、同じ便益と発展の可能性を見いだす限り、人びとの郷土愛は確乎たるものとして自らを支え、祖国日本への限りない結びつきが育っていくに違いない。
 日本列島改造の仕事は、けわしく、困難である。しかし、私たちがこんごとも平和国家として生き抜き、日本経済のたくましい成長力を活用して、福祉と成長が両立する経済運営を行う限り、この世紀の大業に必要な資金と方策は必ずみつけだすことができる。
 敗戦の焼け跡から今日の日本を建設してきたお互いの汗と力、智慧を技術を結集すれば、大都市や産業が主人公の社会ではなく、人間と太陽と緑が主人公となる”人間復権”の新しい時代を迎えることは決して不可能ではない。一億を越える有能で、明るく、勤勉な日本人が軍事大国の道をすすむことなく、先進国に共通するインフレーション、公害、都市の過密と農村の過疎、農業のゆきづまり、世代間の断絶をなくすために、総力をあげて国内の改革にすすむとき、世界の人びとは文明の尖端をすすむ日本をそのなかに見出すであろう。そして、自由で、社会的な偏見がなく、創意と努力さえあれば、だれでもがひとかどの人物になれる日本は、国際社会でも誠実で、尊敬できる友人として、どこの国ともイデオロギーの違いを乗り越え、兄弟づきあいが末長くできるであろう。
 私は政治家として25年、均衡がとれた住みよい日本の実現をめざして微力をつくしてきた。私は残る自分の人生を、この仕事の総仕上げに捧げたい。そして、日本じゅうの家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光が輝く社会をつくりあげたいと思う。」

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