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To Rectify the Deflation

田中角栄総理の時代が見直されている。日本列島改造論の要約をまとめた方がいるので、それを転載したい。デフレにあえいでいる日本から脱却する為の処方箋が書かれている。

デフレ脱却のために!(その1)
田中角栄著「日本列島改造論」は絶版になっていて、皆さんの目に触れる機会が少ないと思います。A氏が主要な部分をタイプされた。それをいただいたので、順次紹介します。
経済、地方経済、財政、社会福祉、国際関係など、現在の「デフレ」から脱却する上で、参考になる内容が多く書かれています。


夢を語り現実にする政治家「田中角栄」(A氏コメント)
 我々がこの豊かな日本の社会で生活できるのは、天才的な政治家田中角栄の功績によるところが大である。ロッキード事件の被告、金権政治家の悪評から、目を背けてしまう人びとが多いが、現在の社会構造、政治構造の所以

を考えてみると、彼の業績は、人びとの暮らしを豊かにし、住みよい国土を作り上げる巨大な夢を実現したことである。その方法は法律をつくることであった。議員立法33 件を含め120本以上(一説には200本以上)の法律を成立させた。議員の仕事は法律をつくり成立させることである。
 その後、多くの政治家や官僚が、彼のつくったシステム(利権、天下り)にただ乗りし、不労所得を手に入れた。また、口先だけの理念を唱えるだけで、政治を不安定にし、人びとの苦しみを放置したまま、政争に明け暮れている。夢をつくることも実現する能力も無い人間が、総理大臣という権力にしがみついている醜態をみて、日本人はこのように劣化したのかと落胆している。

 田中角栄は、多くの夢を語り、それを実現した日本近代史のなかで傑出した政治家である。その考え方・思想の一端が読み取れるのは、「日本列島改造論」(昭和四十七年六月出版)である。この書籍から彼の声を聞き、今もう一度振り返って見よう。
 まず、その「目次」と、基本的な考えをまとめた「むすび」を掲載する。
(むすびは、前出の投稿に添付)

田中角栄著「日本列島改造論」
目次(*部を紹介)
Ⅰ 私はこう考える            *
「都市政策大綱」成る          *
ガソリン税の採用            *
 「平和」と「福祉」に徹しよう      *
Ⅱ 明治百年は国土維新
 近代日本を築いた力
 戦後経済の三段飛び           *
 人口の32%が国土の1%に住む
 許容量を越える東京の大気汚染
 一寸先はやみ、停電のピンチ
 時速9キロの“くるま社会”
 一人、1平方メートルの公園面積
 5時間で焼けつくす東京の下町
 生活を脅かす大都市の地価、物価
 一人あたり四畳半の住宅
 不足する労働力
 過疎と出かせぎでくずれる地域社会
Ⅲ 平和と福祉を実現する成長経済     *
 経済の成長は可能かつ必要       *
 日本経済の未来像           *
 世界のなかの日本           *
Ⅳ 人と経済の流れを変える
 工業再配置で描く新産業地図
  過密と過疎の同時解決
  産業地図を塗り変える
  無公害工業基地
  インダストリアル・パーク
  動き出す工業再配置計画
 工業再配置を支える交通ネットワーク
  1兆3200億トンキロをどうさばく
  開幕した新幹線時代
  縦貫と輪切りの高速道路
  四国は日本の表玄関
  工業港と流通港の整備
  ダム1千ヵ所の建設を
  ジャンボとSTOL機で結ぶ日本の空
Ⅴ 都市改造と地域開発
 花ひらく情報化時代
 新地方都市ビジョン
 農工一体でよみがえる近代農村
 平面都市から立体都市へ
 住宅問題をとくカギ
Ⅵ 禁止と誘導と
 自動車重量税でトクをするのはだれか
 産業政策の大転換
 新しい官民協調路線を求めて
Ⅶ むすび

デフレ脱却のために!(その2) 田中角栄著「日本列島改造論」 
 単年度予算では、国土改造のような長期にわたる事業を継続するのが困難であり、その資金集め(民間資金や公債)の方法、運用方法を問題提起している。現在、「維新の会」の地方分権と地方税化は過疎地をさらに過疎地にすると言われているが、田中元首相は地方への優遇措置を実施した。
(単年度予算は、日本国憲法 第八十六条と財政法に規定されている。公債発行は国会の議決事項である。今年度予算の裏付けの公債の議決が未解決の状態である。)

Ⅰ 私はこう考える
 (途中省略)

 財政との関係
 まず、財政問題である。わが国は明治から百年間、一貫してとりつづけた財政中心主義、つまり財政資金による資源配分が国を運営する中心であり、税制はその補完的役割を果たすという財政の仕組みは、明らかに改めるべき時期にさしかかっている。これまでの財政資金中心の制度は
発展途上国の制度であり、主要工業国として新しい百年のスタートを切ろうとする日本では、財政資金を先行的・効率的に運用するとともに、税制の機能を活用し、これを財政の二本柱として国土改造を推進すべきである。
 わが国の財政は、たとえば重要港の指定が貨物取扱い量の実績を基準に行われるなど実績主義による後追い投資の方法を中心に運営されてきた。そのため、その果たすべき役割を果たせないばかりか、結果的には財政膨張を促進することになった。国土改造にあたっては、このように消極的な財政運用は許されない。国土改造は未来を先取りするものであり、交通網の整備などには巨額の資金が必要だからである。私はこれを財政の先行的運用といっている。
 これと並行して、これまでの財政の補完的役割にとどまっている税制の積極的活用が必要になってきた。大都市の機能を鈍化し、地方開発を促進するには、税制の政策的な調整機能、すなわち禁止税制と誘導税制を有効に活用しなければならない。大都市では受益者負担あるいは原因者負担の原則のもとに集積と開発の利益を吸収して新しい国つくりの資金にあてるとともに、高層住宅の建設などについては税の減免措置をとるという弾力的な税制が必要になっている。一方、大都市のように集積の利益を享受できない地方にたいしては、生活・産業の基盤整備、工場の新規立地などについて思い切った優遇措置がとられなければならない。すなわち、電力料金については過密地域と過疎地域とのあいだで料金差を設ける。工業用水道についても同じような政策的な配慮を加える。住民税についても過疎地域のほうが相対的に安くなるような配慮をする。過疎地域へ立地する企業にたいしては、固定資産の25年減免を行い、それによって税収の減る関係地方公共団体にはたいしては、別に国が交付金などの形で減収分を埋め合わせる措置をとる。こうした多角的な施策を検討し、実施しなければならない。
 ともかく、国土改造には巨額の資金を必要とする。国の財政面からの支出だけではとても足りない。その不足をカバーするためには、金融メカニズムにそういう仕組みをつくり、民間資金を動員しなければならない。利子補給は、民間資金を活用する有力な方法である。生命保険、損害保険、信託、農協などの資金を、新しい国づくりに投入していくべきである。
 公債政策もその体制の一環である。単年度ごとの財政均衡という考え方ではなく、長期財政計画のもとで、計画的かつ積極的な公債政策をとり、社会資本の蓄積につとめ、未来の世代の繁栄にも生かしていかなければならない。

デフレ脱却のために!(その3) 田中角栄著「日本列島改造論」
(田中角栄の国家観と平和主義は、戦中派としての悲惨な戦争と敗戦、焼け野原からの復興の体験をベースにしている。)

Ⅰ 私はこう考える
 (途中省略)
 世界のすう勢を考える
 ところで、私の提唱している国土総合改造政策は急速に変化する世界経済の動向に対応したものでなければ真の効果をあげることはできない。戦後のわが国経済は、復興経済-高度成長経済-国際経済の三段階を経て今日にいたっている。現在の開放経済体制のもとでわれわれは貿易・資本の本格的な自由化を経験し、四十六年末には国際通貨調整の一環として初の円平価切上げに踏切った。これはわが国が名実ともに国際経済社会の有力な一員として認められたことを意味する。昭和三十九年、時の大蔵大臣としてIMF八条国への移行に踏切った私としては、いまのわが国の国際的立場をみるにつけても感なきをえない。
 巨大な日本経済がこんごとも発展し、国民が安心して豊かに暮らせるようにするためには、なによりもまず世界、とくにアジアの平和が保たれ、世界の国々が平等互恵の原則でともに繁栄できることが必要である。こうした条件をつくりあげるため、いま日本はその実力にふさわしい責任の遂行を世界各国から求められている。したがって、わが国がこんごとるべき70年代の対外経済政策の重点は、①発展段階を異にする多数の諸国が世界的に望ましい国際分業を形成し、ともに発展をとげうるような貿易取引のルール、②国際企業時代を迎えて、国際企業の活動と各国民経済の利益を調和させるような国際投資のルール、③南北問題の解決に役立つ援助と受入のルール。④国際収支の不均衡を円滑に調整し、また国際通貨準備の量的不足、信用喪失を解決するための国際通貨体制のルールなどを早急に確立するため積極的に行動することである。

 「平和」と「福祉」に徹しよう
 戦後の東西冷戦構造は基本的にくずれ、世界は平和共存に向かってすすみつつある。他方、南北の問題はますます深刻化するにいたった。戦後世界の秩序は政治、経済の両分野で明らかに再編成の局面を迎えている。こうした戦後体制の転換期にあたってわが国の内外政策は根本から再検討されなければならない。日本のこんごの進路を一言にして要約すれば「平和」と「福祉」につきよう。外に対しては、戦後25年間、一貫してきた平和国家の行き方を堅持し、国際社会との協調・融和のなかで発展の道をたどることである。内についていえば、これまでの生産第一主義、輸出一本ヤリの政策を改め、国民のための福祉を中心にすえて、社会資本ストックの建設、先進国なみの社会保障水準の向上などバランスのとれた国民経済の成長をはかることである。こうした内外両面からの要請に応えるための大道こそ私の提唱してやまない日本列島の改造なのである。世界中の国から信頼され、国民が日本に生まれ、働き、そして死ぬことを誇りとする社会をつくりあげるために、私は在職25年の議員成果を生かし、国土改造という壮大な事業に取組みたいと考えている。

 国家観の原点、焼け野原からの復興と経済成長

Ⅱ 明治百年は国土維新
 (省略)
2 戦後経済の三段跳び
 産業と人口の都市集中は、戦後の高度成長にともなって加速化された。
 戦後の日本経済は三つの段階を経て発展してきたといえる。それは復興経済から高度成長経済を経て国際経済へとうい展開である。別の言葉でいうと、量的拡大の時代-質の時代-国際的質の時代への移行であり、また食の時代-衣の時代-住の時代への変貌ともいえる。
 昭和二十年八月十五日、日本はポツダム宣言を無条件で受諾し、第二次大戦が終わった。この戦争によって、わが国経済は壊滅的な打撃を受けた。国土面積の44%が失われ、敗戦直後の鉱工業生産も戦前(昭和十~十二年平均)にくらべ、消費財で約30%、生産財で約10%というさんたんたるありさまであった。それから25年、日本経済は”世界の奇跡”といわれる復興をなしとげ、今日の繁栄を築きあげた。敗戦当時、だれがいまの日本を予見できたであろうか。
 戦後、しばらくのあいだ、国民の多くはボロをまとい、すき腹をかかえ、その日暮らしに耐えながら日本経済の復興に取組んだ。航空機や戦車など兵器をつくっていた工場でもナベ、カマやクワ、スキをつくって露命をつないだ。

 日本経済に立ち直りのきっかけを与えたのは石炭、鉄鋼などの生産財を重点的に増産するために二十二年一月から実施された傾斜生産方式の採用であり、アメリカの対日援助であった。次いでインフレの終息を市場経済の復活を目的として、二十四年に1ドル=360円という単一為替レートが設定され、超均衡予算が実施された。日本経済は否応なく合理化へのきびしい努力を強いられ、その結果、企業は長い戦争期間中に忘れていた能率、コスト、生産性、採算性の経営理念をふたたび自己のものとして取戻した。

 このようにして、ほぼインフレの終息に成功したものの、海外市況の不振によって輸出が停滞し、滞貨が増大する一方、徴税の強化によって有効需要が減退し、不況に陥った。

 ところが二十五年六月、朝鮮動乱がぼっ発して内外の経済情勢は一変し、輸出と特需の急増で二歩経済は生産拡大、近代化への道を歩みはじめた。生産水準の上昇し、同年十月には早くも戦前の水準を超えた。二十七年八月、日本は世界の為替相場の安定と為替取引の自由化推進を目的として設立されたIMF(世界通貨基金)に加盟が認められた。かくしてわが国はIMF十四条国として、国際社会復帰の第一歩をしるし、二十年代の復興経済はここに終わりをつげた。
 (省略) 

デフレ脱却のために!(その4) 田中角栄著「日本列島改造論」
(この章は基本的な考えが表されているので、全てを紹介する。内需(公共投資)拡大と経済政策(物価と雇用)について考えを述べている。)

Ⅲ 平和と福祉を実現する成長経済
成長追求型から成長活用型へ

1 経済の成長は可能かつ必要

「奇跡」ではない日本の成功
 戦後の日本経済は。平均して実質10%以上の高度成長をつづけてきた。これは、日本経済が戦後の復興をとげる過程だけではなく、そのごも衰えることなくつづいた。三十五年から四十五年までの平均成長率が、実質で11.1%という数字がこれを物語っている。このような経済発展は、世界史上にも例がなく、世界各国から”日本の奇跡”として高く評価された。その原因について、多くの専門家がつぎのような理由をあげている。
 第一は、日本が現行憲法のもとで平和主義を貫き、軍事費の負担をできるだけすくなくしてきた。
 第二は、教育水準が高く、勤勉な労働力が豊富に存在した。
 第三は、新技術や新設備を積極的に導入して技術革新につとめた結果、産業の生産性が向上し、その国際競争力が強化された。
 第四は、企業経営者の積極経営を支える金融機関が存在し、政府も建設的な役割を果たした。
 第五は、自由、多角、無差別の戦後世界貿易体制が、わが国に有利に作用した。
 第六は、自由民主党が国民多数の支持をえて、政治を安定させてきた。以上の理由である。
 この結果、日本経済には好循環ともいうべき”成長のサイクル”ができた。これは、民間企業の設備投資を起動力とし、投資が投資をよぶという循環であった。

 今後も成長は可能
 ところがここ数年、日本経済をめぐる内外の情勢が急速に変化してきた。
 第一は、これまでの好循環を支えてきた民間設備投資が、停滞のきざしをみせていることである。民間設備投資は、三十五年度から四十五年度までのあいだ、年平均14.8%の拡大をしてきたが、四十六年度は前年より減少し、四十七年度も停滞、現象が見込まれている。
 第二は、輸出の拡大がこれまでのテンポでなおつづくのを、あまり期待できないことである。輸出は戦後日本の経済発展にとって、先導的な役割を果たしてきたが、その伸びすぎにたいする諸外国の警戒心が高まり、輸入制限の動きが続発している。
 第三は、高度成長時代をつうじて、大都市の過密、環境の汚染が深刻化し、工場立地は公害を連れてくるという住民の反対が強まっている。このため業種によっては工場の新規立地が困難になりつつある。
 第四は、労働力、特に若年労働力が不足してきている。
 このような理由を指摘して「日本経済の高度成長は終わった」という人もすくなくない。しかし、民間設備投資や輸出の伸びが大きく期待できないとしても、こんごのわが国経済の成長を支えうる要因はまだ十分に存在している。
 その一は、社会資本投資の拡大である。四十五年の国民一人当たりの社会資本ストックは、45万円であった。これはアメリカの三分の一、イギリスの八分の五、西ドイツの三分の二に過ぎない。過密と環境の悪化を防ぎつつ、より高い水準の生活と大きな産業活動を実現し、美しい日本を築くためには、なによりも社会資本の全国的な充実が必要である。アメリカとの格差をなくすためには、 70年代をつうじて270兆円程度の社会資本が必要であると計算されている。公園、運動場、下水道、ゴミ処理場、医療施設、道路、港湾などを緊急度の高いものから建設し、整備し、拡充していくことが、国民から強く求められている。
 その二は、個人消費の拡大である。現在、わが国の個人消費額は一人あたり平均738ドルであり、アメリカの25%、西ドイツ、フランスの半分にすぎない。しかし、こんご国民所得が増大し、生活水準が向上する過程で、国民の欲求も高度化し多様化する。このため、住宅をはじめ、教養や余暇利用、スポーツなどの個人消費支出が飛躍的に増大することである。また伸びが鈍化している民間設備投資についても、省力化、公害防止、安全確保などの部門では、活発な投資が期待できる。
 その三は、わが国が一億人を超えるすぐれた国民をもち、自由で民主的な経済、社会体制のもとで平和と国際協調を促進する積極的な経済運営が可能であることである。
 したがって、私たちが時代の変化に対応し、これまでの民間設備投資主導=輸出第一主義の経済運営を転換して、公共部門主導による福祉重点型の路線を政策の根幹にすえ、その実現につとめるならば、日本経済はまだ高い成長を持続していくことが可能なのである

デフレ脱却のために!(その5) 田中角栄著「日本列島改造論」
(福祉の原資はなにか。)
(生産性向上と地価負担軽減のための地方分散、流通コスト低減で物価上昇を抑制。)

福祉は天から降ってこない
 一部の人びとは「高度成長は不要だ」「産業の発展はもうごめんだ」とか「これからは福祉の充実をはかるべきだ」と主張している。しかし「成長か福祉か」「産業か国民生活か」という二者択一式の考え方は誤りである。福祉は天から降ってくるものではなく、外国から与えられるものでもない。日本人自身が自らのバイタリティーをもって経済を発展させ、その経済力によって築きあげるほかに必要な資金の出所はないのである。
 仮りに日本経済の成長率をかなり下げた場合、わが国の経済社会はどうなるだろうか。まず公共施設の整備や住宅の建設が相対的におくれ、個人所得の伸びも低下する、ある試算によれば、企業の内部留保や利益を大幅に減らして
給与に回したとしても、毎年の定期昇給に吸収されてしまい、実質的なベースアップはほとんど不可能となる。貿易の面では、停滞経済のもとで原材料の輸入が大幅に減り、日本への輸出に依存している発展途上国の期待を裏切ることになる。さらには国内需要の不振から輸出に活路を求めざるをえない産業の場合、諸外国とのトラブルを引き起こす可能性が大きい。他面、社会保障のほうも重大なピンチに見舞われる。これに必要な財政収入が増加しないからである。過密と公害を克服し、住みよく豊かな社会を作るためには、工業の再配置、過密都市の再開発、道路、下水道などの社会資本の充実、公害絶滅技術の早期開発などが必要である。これらに要する膨大な資金は、低い経済成長のもとではねん出できない。したがって、適当に高い経済成長ができる体制を前提としない限り、日本経済が当面している多くの問題を解決することは困難である。

 物価上昇を押さえる
 「成長が低下すれば物価の上昇もとまる」という説がある。しかし、イギリスでは経済成長率が実質2.7%という低成長国であるにもかかわらず、消費者物価は年率4.1%もの早さで上昇している。またニクソン大統領は、物価上昇を押さえるために経済引締め政策をとったが、結果は物価が下がらず失業者がふえただけであった。このためアメリカも、四十六年夏から成長政策に転換している
 たしかに物価上昇のひとつの原因として、成長率が高く需要が強いために起きるデマンド・プル・インフレがある。しかし、わが国の物価上昇のおもな原因は、そのようなものではない。生産性の上昇がいちじるしい産業と、そうでない産業との賃金が同じように上昇するために起こる、いわゆる生産性格差が問題なのである。このことは、物価の上昇が農産物、中小企業製品、サービス業など生産性向上の低い分野に集中していることからみて明かである。
 したがって、物価上昇を抑制するためには、第一に農業や中小企業、サービス業など低生産部門の近代化、合理化をすすめて、その生産性を向上させることである。第二は道路や鉄道などを整備し、流通機構の近代化を大胆にすすめて流通コストを引下げることである。第三に産業や人口の思い切った地方分散によって、物価に占める地価負担を軽減することである。こうした政策の総合的な展開によって、物価上昇を抑制する道がひらかれよう。

デフレ脱却のために!(その6) 田中角栄著「日本列島改造論」
(日本経済発展;産業構造を資源を消費する重化学工業から知的集約型産業へ)
2 日本経済の未来像

 昭和六十年は三百兆円経済
 日本経済が四十五年度の国民総生産73兆円を基礎として、このご仮りに年率10%の成長をつづけるとすれば、六十年度の国民総生産は304兆円=1兆ドルとなる。これは巨大な可能性であるが、国民の英知と日本経済のエネルギーはこれだけの成長を達成する力を秘めている。
 こんごの経済成長率については、いろいろな見方がある。仮りに年率5%とみると、六十年度の国民総生産は152兆円(四十五年価格)、7.5%とみると216兆円(同)、8.5%とみると248兆円(同)になる。新全国総合開発計画では、四十年価格をベースにした六十年度の国民総生産を130~150兆円とみているが、これを四十五年価格ベースに直して推算すると、200
兆円前後になる。これは7.5%の成長にほぼ相当する。
 国民総生産が304兆円の場合、製造業の生産額は実質273兆円となり、工業はいまの四倍以上の規模となる。これにともなって工業用地の必要量は28万ヘクタール(四十四年度末12万ヘクタール)となり、工業用水は補給水量ベースで日量9370万立方メートル(四十四年4470万立方メートル)となる。また貨物輸送も、四十四年度の3500億トンキロから、1兆3200億トンキロとなり、四倍にふくれあがるだろう。
 一方、国民所得は大幅に伸び、就業者一人あたりの年間所得は300万円(四十五年価格)をかなり上回ると試算されている。
 問題はアメリカの三十分の一に過ぎない日本列島の成長の四つの島に、今のアメリカなみの経済をどうして上乗せするかということである。こうした日本経済の成長の可能性は”両刃の剣”であり、使い方によっては善ともなり、悪ともなる。このような富をなにに、どのように使うかが、私たちに与えられている選択だと思う。

 産業構造は知的集約型へ
 三十年代の産業構造政策は、もっぱら経済成長を目標としたため、重化学工業の振興に重点がおかれた。所得の伸びにともなう需要の拡大率(需要の所得弾力性)が高く、生産性の向上もいちじるしい重化学工業は、これまでの経済成長時代をつうじ、中核産業として経済全体を引っぱる歴史的な役割を果たしてきた。しかし、その半面で過密の激化と環境汚染を深刻にし、輸出入の面で国際的な摩擦を増大させていることも事実である。
 そこでこんごの産業構造は、経済成長の視点に加えて、わが国を住みよく働きがいのある国にするという観点から選択されなければならない。つまり、こんごの日本経済をリードする産業は、在来の重化学工業ではなく、公害や自然破壊がすくないかどうか(環境負荷基準)、国民が誇りと喜びをもってあたれる仕事かどうか(労働環境基準)、という尺度から選び出すことが必要である。
 このようにみると、将来の産業構造の重心は、資源・エネルギーを課題に消費する重化学工業から、人間の知恵や知識をより多く使う産業=知識集約型産業に移動させなくてはならない。知恵や知識を多用する産業は、生産量にくらべて資源エネルギーの消費が相対的に低いので、公害を引き起こしたり環境を破壊することもすくない。また、教育水準が高くなっている労働力にたいし、単純労働ではなく、知的にも満足できる職場を多く提供できるので、人びとが誇りと喜びをもって働くことも可能になるだろう。いいかえれば、知識集約型産業こそは、産業と環境との共存に役立ち、豊かな人間性を回復させるカギをもつものである。
 それでは、知識集約型産業構造を形成するためにはどうするか。知識、技術、アイデアを多用する研究開発集約型産業(電子計算機、航空機、電気自動車、産業ロボット、海洋開発)、高度組立産業(通信機械、事務機械、公害防止機器、教育機器など)、ファッション産業(高級衣類、家具、住宅用調度品)それに知識、情報を生産し提供する知識産業(情報サービス、ビデオ産業、システム・エンジニアリング)などを発展させるとともに、一般産業の製品や工程について、その高度化をつうじて知識集約化をすすめていくことである。この方向を推進するためにには、新しい時代の要求に適応する技術の開発や、人材の育成が急務である。知識集約型産業において知的活動のにない手である人の資質、能力が発展のカギをにぎっているからである。もとろん、新たに開化する産業群をつちかうものとしての素材産業やエネルギー産業の役割は軽視できないし、日本列島のなかに適正に配置していくことが大切であるが、経済全体を引張る役割は、知識集約型産業にバトンタッチされるわけである。

デフレ脱却のために!(その7) 田中角栄著「日本列島改造論」 
(社会資本の整備に充当する長期財政運営のための公債(国債)などは、子供たちや孫たちへの借金ではなく、むしろインフラを整備しない方が悪である。自民党の国土強靱化法案は、将来の災害被害を軽減し子孫を守ることになる。)

 成長追求型から成長活用型へ
 これまでの日本経済は、高度成長でえた経済力をます設備投資にふり向け、ふたたび高度成長に突進するという「成長追求型」の経済運営を行ってきた。政府の政策も、経済成長の維持と拡大に重点をおき、企業も経営の規模拡大をおもな目標としてきた。その結果、国が国民総生産の伸びを誇れば、企業は業界内のシェア拡大を自慢するという具合であった。こうしたなかで、日本経済は世界有数の実力を持つにいたり、企業は規模と経営基盤を拡大し強化することに成功した。国民の所得もふえ、生活水準も向上した。戦後のわが国経済の
歩みは、疑いもなく成功の歴史であった。
 しかし、日本の内外の条件は根本的に変わった。こんごは成長を追求するだけではなく、成長によって拡大した経済力を、国民の福祉や国家間の協調などに積極的に活用していくことが強く要請されている。私たちは、これまでの「成長追求型」の経済運営をやめて「成長活用型」の経済運営に切り替えるべき時を迎えているわけである。
 高度成長時代を通じ、公害、インフレーション、都市の過密と農村の過疎、農業の停滞など多くのひずみ現象があらわれた。これらの問題を解決し、国民に住みよく、生きがいのある日本を提供するために、社会資本の充実、社会保障の大幅な水準引きあげを急がなくてはならない。例えば教育である。わが国に大学の数は多いが、学生数にくらべて教育施設は不十分であり、教育環境も良好とはいえない。国の進歩を決めるのは結局、教育の質である。私たちは教育に思い切った投資をしなければならない。次の時代をになう青少年が快適な環境のもとで、自由闊達な教育を受けられるようにすることは、私たちの責務だからである。国民の健康も大事に守ることが必要である。無医村の解消や病院施設の拡充、とくに老人・成人病医療施設の重点的な設置が緊急に求められている。社会保障の水準も大胆に引きあげ、社会の急激な変化に対応できない身体障害者や老人、病弱者を国民すべての力で守るべきである。
 このように成長した経済力を積極的に活用していくことによってのみ、国民生活の向上と社会福祉の充実をはかることができるし、同時に新しい好循環の経済成長を達成する道もひらけてくるのである。

福祉が成長を生む長期積極財政
 日本経済の軌道を修正し、成長活用型の経済運営をすすめていくためには、政府の財政政策を根本から転換することが必要である。これまでの日本の財政は、年度ごとの収支均衡を重視してきた。これは健全な財政思想ではあるが、わが国のような高度成長経済の国では多くの無理が生じる。現在時点の日本経済の規模と能力に合わせた財政収入では、拡大する日本の経済社会に対応する十分な事業は実施できない。
 たとえばいま、一つの事業が計画から完成まで七年かかるとしよう。年平均 10%の経済成長を想定するならば、この七年間で日本経済の規模は二倍となる。したがって、計画のときに、その年の財政収入に見合った規模で査定し、事業をはじめると、事業完成時にはもう小さすぎるというケースが生じる。公共施設などは、もともと十五年先くらいを見越して建設すべき性質のものであるのに、このような財政均衡思想がある限り、需要に対応できる社会資本の整備はすすまない。
 これまでの日本経済では、財政があまり拡大すると景気過熱や国際収支悪化の危険があった。今日の日本は十分な供給力と大きな外貨準備を持っているので、その面の心配はない。したがって、こんごの財政運営は、単年度均衡の考え方から脱して、長期的な観点に立った財政の均衡を重視していくべきである。つまり、現在の世代の負担でだけではなく、未来の世代の負担も考慮した積極的な財政政策を打ちだすことが必要である。子どもや孫たちに借金を残したくないという考え方は、一見、親切そうにみえるが、結果はそうではない。生活関連の社会資本が十分に整備されないまま、次の世代に国土が引きつがれるのならば、その生活や産業活動に大きな障害がでてくるのは目にみえている。美しく住みよい国土環境をつくるには、世代間の公平な負担こそが必要である。

 このような積極財政は、社会資本の充実や教育、医療の改善、技術開発の促進につながるだけでなく、経済の高成長をうながす道にもなる。これは単に、公共投資の拡大や所得の再配分によって直接的に需要が増加するというだけではなく、それに付随する経済効果が大きいからである。たとえば、鉄道や道路の整備によって土地の供給が増え、住宅建設がすすむ可能性がでてくる。社会保障が拡充されて人びとに老後の不安がなくなれば、増加する所得を使って豊かな消費生活が楽しめるようになる。また公害防止、住宅、交通、教育、医療などにたいする新技術の応用が盛んになれば、知識集約型産業の次の発展をうながすことにもなる。
 このようにして、成長活用型の経済運営は「福祉が成長を生み、成長が福祉を約束する」という好循環をつくることができる。

デフレ脱却のために!(その8) 田中角栄著「日本列島改造論」
(当時、日本経済は世界の脅威であった。それを緩和するための貿易交渉や発展途上国支援などの考えを述べている。) 
平和主義と国際協調、国際分業の推進

3 世界のなかの日本
 貿易立国は不変の国是
 みるべき資源にとぼしく、せまい国土に一億を超す人口をかかえるわが国は、資源エネルギーなど、原材料を輸入し、これに付加価値を加え製品として輸出するという貿易パターンをとっている。わが国が今日、アメリカやヨーロッパと列んで自由世界の高度経済圏の一角を形成するにいたったのも貿易を国是とし、通商立国の道を歩いてきたからである。こうした過程で国際貿易における日本の比重も急速に高まってきた。自由貿易の全輸出額に占めるわが国輸出のシェアは、四十五年で6.9%となっており、十年前にくらべて倍近くふえている。これはアメリカ、ドイツに次ぐ世界第三位の規
である。わが国の貿易が、このように急速に成長してきたのは、国民自身の努力のたまものであるが、同時に自由、高く、無差別の国際経済体制が存在し、それが戦後日本にとって有利に作用したことも大きな理由のひとつである。
 ところが、最近では世界各国のあいだに「日本経済の急成長は国際経済レースのスピード違反だ」という批判が高まってきた。またアメリカやヨーロッパの一部では、日本商品の急増にたいして輸入制限の動きが表面化してきている。私が心配するのは、世界貿易が拡大均衡ではなく、縮小均衡の道をたどることである。
 戦後のわが国はブレトンウッズ体制やガットなど既存の国際経済秩序へのひかえ目な参加者として、自国の経済体制をもっぱら既存秩序に適応させることに意を用いてきた。しかし、日本はいまやその一挙手一投足が国際社会に大きな影響力をおよぼす有力な経済国家である。いつまでも受動的な立場にとどまって、果たすべき責任や義務の遂行を避けることはできない。最近の国際通貨、南北問題にみられるように、国際経済秩序はいま、苦痛に満ちた再編成の途上にある。日本はアメリカやヨーロッパなどと協力して、平和と国際協調をつくりだす新秩序形成のため積極的に行動しなければならない。
 日本と各国のあいだで、かりに部分的な利害の対立があるとしても、国際経済社会の発展と平和に寄与することを互いに基本目的としている限り、問題は話し合いで必ず解決できる。大切なのはそうした率直な話し合いができるような全体的なふんい気を各国とのあいだにつねに保ちつづけることである。平和無くしては日本は生きていけないし、巨大な日本経済は平和な国際環境のもとでのみ、はじめて発展することができる。その意味で、私たちは日本経済の高い成長率がそのまま国際経済の発展に役立ち、日本の繁栄をそのまま世界の繁栄に拡大しうる体制をつくりあげることに力を傾けなければならない。

 南北問題とわが国の役割
 1960年代において「南」の発展途上国は平均5.5%の経済成長をとげ、先進諸国の4.8%をリードした。しかし、この間においても「南」の人口が爆発的に増加したため、一人当たりの所得の南北間の格差はかえって拡大した。また、一部の発展途上国の工業開発によってとり残された国々とのあいだに”南のなかの南北問題”が新たに生じている。四十六年から発足した「第二次国連開発の10年」のなかで発展途上国にたいする経済協力は、全世界共通の課題として取り上げられた、四十七年四月の国連貿易開発会議第三回総会(サンチャゴ)においては、70年代のなかばまでに先進各国が政府開発援助をGDP比の0.7%まで達成すべきであると討議された。
 いまや南北問題は共存に向かう東西関係に代わって、二十世紀の残る30年間のいちばん重要な課題として登場してきた。日本の新しい発展は「南」に経済的自立と国民生活の向上にどれだけ貢献できるかにかかっているといえよう。
 わが国は「南」の発展途上国にたいし、四十五年において18億2千万ドルの経済協力(対GNP比率0.93%)を行い、うち政府開発援助は4億6千万ドルであった。五十五年には、この経済協力を75億ドル以上に拡大しなければならない。援助すべき対象が日本と関係のあるアジア、アフリカ、ラテン・アメリカ全域にわたることはいうまでもない。とくにアジア諸国にたいしては、自らの利益追求に傾きがちであった過去を深く反省し、ほんとうに相手に役立つ援助方式をきめこまかく誠実に実行することが必要である。少数の先進国だけで国際経済の問題を談合し、取決める時代はすぎた。日本は構成で合理的な国際分業の再編成を求める「南」の声に耳を傾け、多くの発展途上国と互恵平等、自他ともに繁栄できる道をさぐるため、国内の産業構造を高度化し、地域構造を改善して必要な国内改革をすすめ、成長する経済力を広く「南」の援助に向けるべきである。

デフレ脱却のために!(その9) 田中角栄著「日本列島改造論」
(最終回)
読み直してみると、庶民の目線で生活や環境をいかに改善してきたか、努力していることがわかる。その中心にあるものは、安定した経済成長と平和主義への希望である。国家観、国益などについての主張が少ないが、戦いに参加し負け、戦後の混乱を生き抜いた体験から、口に出さないようにしていると思われる。
GHQの占領下で不自由な政治活動を強いられながら日本の復興に努力された。また首相就任後、ソ連のブレジネフ、中国の周恩来との会談で国益をしっかり守ったことが語られている。後世の方々のいろいろな評価があるが、最近では尖閣問題などで日中共同声明などを取り上げる方もいる。

田中角栄元首相が関与した法律、会議、組織の一覧表
「戦後国土開発計画の歩み」

昭和20年 国土計画基本方針
21 復興国土計画要綱
22 国土計画審議会
24 総合国土開発審議会
25 国土総合開発法
  国土総合開発審議会
  港湾法
  北海道開発法
  首都建設法
26 経済自立三カ年計画案発表、自立経済審議会発足
  旧河川法改正
  公営住宅法
27 企業合理化促進法
  国土総合開発法一部改正
  道路法
  道路整備費の財源等に関する臨時措置法
  農地法
  電源開発促進法(電源開発(株)発足)
28 港湾整備促進法
  離島振興法
29 土地区画整理法
30 経済自立五カ年計画
  愛知用水公団
  日本住宅公団
31 道路整備特別措置法
  日本道路公団
  首都圏整備法
  工業用水法
  空港整備法
32 新長期経済計画
  国土開発縦貫自動事道建設法
  高速自動車国道法
  東北開発促進法
  東北開発株式会社
  特定多目的ダム法
33 工業用水道事業法
  道路整備緊急措置法
  首都圏市街地開発区域整備法
  公共用水域の水質の保全に関する法律
  工場排水等の規制に関する法律
34 首都圏の既成市街地における工業等の制限に関する法律
  特定港湾施設整備特別措置法
  九州地方開発促進法
  首都高速道路公団
35 国民所得倍増計画
  治山治水緊急措置法
  四国地方開発促進法
  北陸地方開発促進法
  中国地方開発促進法
  東海道幹線自動車道建設法
36 港湾整備緊急措置法
  後進地域の開発に関する公共事業等に係る国の負担割合の特別に関する法律
  低開発地域工業開発促進法
  産炭地域振興臨時措置法
  水資源開発促進法
37 新産業都市建設促進法
  水資源開発公団
  全国総合開発計画
  豪雪地帯対策特別措置法
38 近畿圏整備法
39 工業整備特別地域整備促進法
  河川法
  日本鉄道建設公団
40 中期経済計画
  山村振興法
41 中部圏開発整備法
  国土開発幹線自動車道建設法
  新東京国際空港公団
42 経済社会発展計画
  公害対策基本法
  外貿埠頭公団
43 都市計画法
  自民党都市政策大綱
44 新全国総合開発計画
  都市再開発法
45 過疎地域対策緊急措置法
  新経済社会発展計画
  本州四国連絡橋公団
  全国新幹線鉄道整備法
46 農村地域工業導入促進法
47 工業再配置促進法

フレ脱却のために!(番外編)
「財政出動と金融緩和をルーズベルト的な決意で効果が出るまでやれ」
バーナンキFRB議長はフリードマン先生の教えを守り、その通りリーマン破綻後の政策を実行したが、先生の予測通りにはならなかった。

クルーグマン「さっさと不況を終わらせろ」より
「クズ経済学」142頁~144頁
 第二章で説明した通り、ごく普通の不景気に対処するのはかなり簡単だ。FRBがお金をもっと刷って金利を引き下げればいい。実際には、この仕事はみなさんが思うほど簡単なものではない。というのもFRBは、金融のお薬をどれだけ与え、いつそれを止めるか見極めなくてはならないし、それを実施しようとする時点ではデータが絶えず変動を続け、しかもある政策の結果が観察できるようになるまでには、かなりのタイムラグが発生するからだ。でもそうした難しさがあるからといって、FRBは仕事をためらうことはなかった。多くの
学術的なマクロ経済学者たちが、あさっての方向へさまよい出てしまっても、FRBはしっかり地に足をつけて、自分たちの仕事に関係ある研究に資金を提供し続けた。
 でも、経済が本当に深刻な不景気に直面し、金融政策ではおさまらなかったら? まあ、そんなことは起こるはずはなかった。実はミルトン・フリードマンも、そんなことはあり得ないと言った。
 フリードマンの取った政治的な立場の多くを嫌う人々でさえ、彼が立派な経済学者だったことは認めざるを得ないし、非常に重要な点をいくつか指摘したのも否定できない。残念ながら、彼の最も影響力ある宣言の一つ・・・大恐慌はFRBがちゃんと仕事をすれば起こらなかったはずだし、適切な金融政策があれば、二度目の大恐慌に類するものは決して起きないという宣言・・・は、ほぼ確実に間違っていた。そしてこの間違いには深刻な結果が伴う。金融政策が十分でないときにはどんな政策が使えるか、FRB内部でも、他の中央銀行でも、学術研究の世界でも、ほとんど議論が行われていなかったのだ。
 危機前に一般的だった考えの一端をうかがわせる例として、2002年にフリードマンの90歳誕生日を記念する会議でベン・バーナンキはこう述べた。「最後に、連邦準備制度の公式代表という立場をちょっとだけ濫用させてもらいましょう。ミルトンとアンナにこう言いたい。大恐慌については、おっしゃる通り、FRBが悪かった。本当にごめんなさい。でもあなたたちのおかげで、繰り返しはしません、過ちは」
 もちろん実際には何が起きたかというと、2008年から2009年にかけて、FRBは1930年代にやるべきだったとフリードマンに言われたことはすべてやった・・・そしてそれでも経済は、大恐慌ほどではないにしても、明らかに似た症候群にはまりこんだままだった。さらに多くの経済学者たちは、追加の手段を考案して裏付ける用意ができているどころか、行動に対して余計な障壁を設けてしまった。

(注釈)
フリードマン先生の予測が外れたのは「ルーズベルト的な決意で、必要なことはなんでもやるという意欲」がなかったというより、周囲の圧力に萎縮してしまったのだろう。書物を読んでいただければご理解いただけるのだが、かいつまんでご理解いただくのなら、訳者の解説をご覧下さい。

ポール・クルーグマン「さっさと不況を終わらせろ」P277
FRB
日本は1990年に、しつこい停滞に突入した。そしてその停滞から未だに完全には脱出できていない。これは経済政策の大失敗を示すもので、部外者たちは口々にそれを示した。例えば2000年に、ある有名なプリンストン大学の教授が、日本銀行がもっと強い行動を採らないといって厳しく批判する論文を刊行した。この教授は、日本銀行が「自縄自縛の麻痺状態」に陥っていると主張した。そして日本銀行が採るべき各種の具体的な行動を示唆すると同時に、強力な経済回復を実現するために、日本銀行はできることは何でもいいからやるべきだという一般的な主張もおこなった。
 その教授の名前は、一部の読者はおわかりだろうが、ベン・バーナンキと言って、いまはFRBを率いている人物だ・・・そしてこの機関は、バーナンキ自身が他の他の機関について嘆いてみせた、自縄自縛の麻痺状態に苦しんでいるように見える。
 2000年の日本銀行と同様に、今日のFRBはもはや伝統的な金融政策を使えない。つまり、短期金利を使って経済にさらなる刺激を与えることができないという意味だ。というのも短期金利はすでにゼロで、それ以下に下がれないからだ。でも当時のバーナンキ教授は、短期金利が「ゼロ下限」に張り付いていても、金融当局がとれて有効性を持つ方策が他にもあると論じていた。そうした方策としては以下のようなものがあった。
・新しく刷ったお金を使い「非伝統的」な資産、例えば長期債や民間債券を買う
・新しく刷ったお金を使って一時的な減税を埋め合わせる
・長期金利の目標を設定・・・例えば、10年物国際の利率を4~5年にわたり2.5%以下にすると宣言し、そのために必要ならFRBにそうした国債を買わせる
・外国為替市場に介入して通貨の価値を低く抑え、輸出部門を強化する
・今後5年から10年にわたり、高めのインフレ目標、例えば3~4%を設定する

 バーナンキは、こうした政策のどれも成長と雇用に本当のプラスの影響を持つという経済学的な分析と証拠が大量にあることを指摘した。(インフレ目標のアイデアは、実はこのぼくが1998年に発表した論文からきたものだ)また、細かいところはおそらくあまり重要ではなくて、本当に必要とされているのは「ルーズベルト的な決意」なのだと論じた。つまり、「過激で実験的になる意欲、国を再び動かすために必要なことはなんでもやるという意欲」が必要なんだ、と。
 残念ながら、バーナンキ議長はバーナンキ教授の助言に従わなかった。公平を期するなら、FRBは上の第一点についてはある程度の動きを見せた。「量的緩和」というひどく混乱を招く名前の下で。長期国債と不動産担保証券を買い入れた。でも必要なことはなんでもやるというルーズベルト的な決意を示すものはない。過激で実験的になるよりも、量的緩和にこわごわと歩み寄った感じで、経済がことさら弱く見えるときにはたまにはやるけれど、ちょっとでもニュースが良い方向に動いたらすぐやめてしまう。
 議長の著作を見れば、FRBはずっとずっと多くのことをやっているべきだ。それがなぜかくも臆病なんだろうか? 答えの一つは、FRBが政治圧力を怖がっているというものだ。議会の共和党は、量的緩和で大騒ぎして、バーナンキが「ドルを毀損した」と批判した。テキサス州知事リック・ペリーは、バーナンキがテキサス州にやってきたら、彼の身に何か「手荒な」ことが怒るぞと警告したことで有名だ。
(以下要約)
 ジョンズ・ホプキンズ大学のローレンス・ポールのバーナンキ研究によると、
「バーナンキはFRBボーグ(スタートレックに出てくる集合生命体)に取り込まれてしまった。みんなと仲間になりたいという誘惑のために、バーナンキはやがてFRBの目標を穏健にして、経済をありとあらゆる手で助けるよりは、機関にとって仕事を楽にすることが優先されるような立場に押しやれてしまったんだ。」

訳者解説(山形浩生氏)
本書の主張は極めて単純明快。いま(2012年)はまだ、リーマンショック後の不景気が続いていてまともに回復していない。そして失業者の技能や労働市場での価値の低下から、その害が一時的なものではなく、長期的な被害になりつつある。だから景気復策をきちんとやろうということだ。
そして、その手法も明快。昔ながらのケインズ的な財政出動をやろう。赤字国債を出して、大量の公共事業をやろう。いままで行われている景気刺激策は小さすぎる。これまでの規模の数倍をどーんとやるべきだ。そしてGDPの需要と供給のギャップを見て、それを埋める規模のものを一気にやるべきだ。そして中央銀行はそれを金融緩和で徹底的に支援すべきだ。それに伴う財政破綻だの金利上昇だのは、全く心配する必要はない。
さて、ご存じの通りいまはこうした施策は行われていない・・・わけではない。財政刺激策も行われている。金融緩和も行われている
でも、これまで実施されているものは、その規模があまりにも小さい。さらに、その不十分なものがうまくいかなかった(というより、規模が小さかったために小さい効果しか出なかっただけなのだが)ことを理由に、「財政刺激も金融緩和も役に立たない」といって対策をあきらめてしまう動きがますます強くなっている。
(中略)
 2011年の東日本大震災は、大きな不幸だったが、日本経済にとってはまたとないチャンスだった。震災からの迅速な復興を望まなかった日本人(いや世界の人)がいるだろうか。この時にこそ、一気に巨大な公共投資を行い、同時にさらなる大規模な金融緩和をやって、震災復興と日本経済の回復とを同時に実現する大きな機会があった。
 ところが、復興のための各種対応は遅々たるものだった。細かいことを詮索するより、まずドーンとばらまくことが必要だったのに、あれこれくだらない会議だの委員会だのたくさん設けているうちに、どんどん好機は失われ、そうした委員会のほとんども、なんと復興に便乗した増税の正当化に使われるという有様。そして、せっかく確保された復興予算は、きちんと使われることはなかった。2012年には、復興予算の相当部分が余っていることが判明し、来年に繰り越し。

(注1、19兆の復興予算の内執行できない予算が7兆円と遅れている。また、復興とは関係のない予算は消化され、国会の復興予算審査会で審議しようとしたが民主党が欠席。)
(注2、日本のデフレギャップは20兆円と言われている。自民党の国土強靱化計画はほぼこのギャップを埋める。10年で200兆円)
(注釈)
クルーグマンの「さっさと不況を終わらせろ」の主題は、「完全雇用の目標」を追いかけること、そのためにはありとあらゆる政策、特に財政出動を行え、と。
導入部分では、米国の深刻な失業問題が継続していることを訴え、ケインズの「私たちが暮らす経済社会の突出した失敗とは、完全雇用を提供できないことであり、そして富と所得の分配が恣意的で不平等であることです。(雇用、利子、お金の一般理論1936年)」を紹介している。トップ1%はますます裕福に、99%は貧困に向かい、失業が増加したことは、ケインズが言った1936年ではなく、現在のことだ。
最後に次のように結んでいる。「疑問の余地なく、ぼくがここで書いた政策の一部は、実際にやってみると思ったほどの成果はあがらないだろう。でも、予想外にうまく行くものもあるはずだ。どんな細かい話より重要なことは、何かをするという決意で、雇用創出の政策を推し進め、完全雇用という目標が実現するまでやめないことだ。」
クルーグマンは、10年前、財政出動については懐疑的だった。最も早くこの政策を提案していたのは、野村総研のリチャード・クーだった。(バランスシート不況)クー氏の説は、橋本・小泉構造改革推進者や財政緊縮論者から袋だたきにされ、注目を集めることがなかったが、リーマンショックの経済分析とその処方箋を求めたとき、この説を取り上げる方々が増えた。(ググれば、多くの評論家、政治家が罵詈雑言を吐いているのがわかる)

三橋貴明氏ブログ
「財出と金融緩和でデフレが脱却出来るのは自明;藤井聡京大教授
http://ameblo.jp/takaakimitsuhashi/entry-11380205491.html

三橋貴明「新」日本経済新聞「バーナンキ議長の本当の狙いとは」
「フリードマンは、世界恐慌は基本的には金融政策の失敗が原因であり、 FRBが通貨供給の落ち込みを防いでさえいれば容易に回避できたと 唱えました。 バーナンキ議長は、世界恐慌の原因は中央銀行の失敗にあるのであり、 仮に金融危機が起きても、FRBが資金供給を増やせば恐慌は防げる と考えていたわけです。」
http://www.mitsuhashitakaaki.net/2012/10/10/korekiyo-12/

田中角栄「日本列島改造論」
むすび
 明治、大正生まれの人びとには自分の郷里にたいする深い愛着と誇りがあった。故郷はたとえ貧しくとも、そこには、きびしい父とやさしい母がおり、幼な友達と山、川、海、緑の大地があった。志を立てて郷関をでた人びとは、離れた土地で学び、働き、家庭をもち、変転の人生を送ったであろう。室生犀星は「故郷は遠くに在りて思うもの」と歌った。成功した人も、失敗した人も、折にふれて思い出し、心の支えとしたのは、つねに変わらない郷土の人びとと、その風物であった。
 明治百年の日本を築いた私たちのエネルギーは、地方に生まれ、都市に生まれた違いはあったにせよ、ともに愛すべき、誇るべき郷里のなかに不滅の源泉があったと思う。
 私が日本列島改造に取組み、実現しようと願っているのは、失われ、破壊され、衰退しつつある日本人の”郷里”を全国的に再建し、私たちの社会に落着きとうるおいを取戻すためである。
 人口と産業の大都市集中は、繁栄する今日の日本をつくりあげる原動力であった。しかし、この巨大な流れは、同時に、大都会の二間のアパートだけを郷里とする人びとを輩出させ、地方から若者の姿を消し、いなかに年寄りと重労働に苦しむ主婦を取り残す結果となった。このような社会から民族の百年を切りひらくエネルギーは生まれない。
 かくて私は、工業再配置と交通・情報通信の全国的ネットワークの形成をテコにして、人とカネとものの流れを巨大都市から地方に逆流させる“地方分散”を推進することにした。
 この「日本列島改造論」は、人口と産業の地方分散によって過密と過疎の同時解消をはかろうとするものであり、その処方箋を実行に移すための行動計画である。
 私は衰退しつつある地方や農村に再生のためのダイナモをまわしたい。公害のない工場を大都市から地方に移し、地方都市を新しい発展の中核とし、高い所得の機会をつくる。教育、医療、文化、娯楽の施設をととのえ、豊かな生活環境を用意する。農業から離れる人びとは、地元で工場や商店に通い、自分でたべる米、野菜をつくり、余分の土地を賃耕にだし、出かせぎのない日々を送るだろう。
 少数・精鋭の日本農業のにない手たちは、20ヘクタールから30ヘクタールの土地で大型機械を駆使し、牧草の緑で大規模な畜産経営を行い、くだものをつくり、米をつくるだろう。
 大都市では、不必要な工場や大学を地方に移し、公害がなく、物価も安定して、住みよく、暮らしよい環境をつくりあげたい。人びとは週休二日制のもとで、生きがいのある仕事につくであろう。二十代、三十代の働きざかりは職住近接の高層アパートに、四十代近くになれば、田園に家を持ち、年老いた親を引き取り、週末には家族連れで近くの山、川、海にドライブを楽しみ、あるいは、日曜大工、日曜農業にいそしむであろう。
 こうして、地方も大都市も、ともに人間らしい生活が送れる状態につくりかえられてこそ、人びとは自分の住む町や村に誇りをもち、連帯と協調の地域社会を実現できる。日本中どこに住んでいても、同じ便益と発展の可能性を見いだす限り、人びとの郷土愛は確乎たるものとして自らを支え、祖国日本への限りない結びつきが育っていくに違いない。
 日本列島改造の仕事は、けわしく、困難である。しかし、私たちがこんごとも平和国家として生き抜き、日本経済のたくましい成長力を活用して、福祉と成長が両立する経済運営を行う限り、この世紀の大業に必要な資金と方策は必ずみつけだすことができる。
 敗戦の焼け跡から今日の日本を建設してきたお互いの汗と力、智慧を技術を結集すれば、大都市や産業が主人公の社会ではなく、人間と太陽と緑が主人公となる”人間復権”の新しい時代を迎えることは決して不可能ではない。一億を越える有能で、明るく、勤勉な日本人が軍事大国の道をすすむことなく、先進国に共通するインフレーション、公害、都市の過密と農村の過疎、農業のゆきづまり、世代間の断絶をなくすために、総力をあげて国内の改革にすすむとき、世界の人びとは文明の尖端をすすむ日本をそのなかに見出すであろう。そして、自由で、社会的な偏見がなく、創意と努力さえあれば、だれでもがひとかどの人物になれる日本は、国際社会でも誠実で、尊敬できる友人として、どこの国ともイデオロギーの違いを乗り越え、兄弟づきあいが末長くできるであろう。
 私は政治家として25年、均衡がとれた住みよい日本の実現をめざして微力をつくしてきた。私は残る自分の人生を、この仕事の総仕上げに捧げたい。そして、日本じゅうの家庭に団らんの笑い声があふれ、年寄りがやすらぎの余生を送り、青年の目に希望の光が輝く社会をつくりあげたいと思う。
          

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