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Coming Apart

アメリカに迫る国家分裂の危機と題する記事に、更に詳細にデータを追加したものである。アメリカの政治経済社会の構造の変質を認識しないままに、敗戦後の政治経済の枠組みの中で、アメリカに対して旧態依然の考え方をしている政治家・官僚・経営者があとを立たないが、実は、アメリカ社会が60年代から変質しており、民主主義ならぬ、国内的には階級社会が成立して、国際的には、少数支配の軍事超大国となってきた現実がある。今年の年初に出版されて、ベストセラーとなった、「カミングアパート」を紹介しながら、アメリカの変質を検証することとしたい。企業経営の中でも、従来の対アメリカ観が役に立たなくなってしまっており、アメリカの変質という現実を直視しなれば、日米関係の差配に誤りを犯すことになるだろう。

筆者は、数ヶ月間英文のぶ厚い単行本を持ち歩いていた。とある知人から通読を進められていたが、気が乗らずに、海外旅行にも持ち歩いても,機内の天井の物入れから出して、座席前のポケットに出し入れしても、それでもまだ読まなかった。5月に米国旅行から帰ってきてから、突然興味が増して、ページを繰るようになった。それもそのはず、その本は、米国においては階級社会が成立したと主張する本で、海外旅行の行き先がボストンで、その本が取り上げていた新上流階級の住む町がベルモントで、ボストンの西の郊外の町であり、旅行中に通り過ぎることもあったから、感じるところあったことは間違いない。

本の題名は、Coming Apartである。著者は、チャールズ・マレー(Murray) という社会学者である。書評がいくつか出ているので,まず,そのリンクを掲げることにしたい。

ニューヨークタイムス
http://www.nytimes.com/2012/02/12/books/review/charles-murray-examines-the-white-working-class-in-coming-apart.html?pagewanted=all
ハッフィントンポスト
http://www.huffingtonpost.com/jared-bernstein/charles-murrays-coming-ap_b_1307926.html
ウォールストリートジャーナル
http://online.wsj.com/article/SB10001424052970203806504577181750916067234.html
ブルムバーグ・ビジネスウィーク
http://www.businessweek.com/magazine/book-review-coming-apart-by-charles-murray-01192012.html
などである。

●郵便番号を見れば階級がわかる社会

チャールズ・マレー氏は、保守系シンクタンク「アメリカン・エンタープライズ公共政策研究所」の研究員である。これまでもベストセラーとなったいくつかの著書がある。今年は、大統領選挙を控えている年であるから、年初に出版されているのは、大統領選挙を巡る政治の議論の際に討議資料となることを目論んだのではないかと言わんばかりである。原題は、『Coming Apart: The State of White America, 1960-2010(分断:アメリカ白人社会の状況─一九六〇~二〇一〇年)』である。同書の重要性は、これまでも、経済格差は指摘されてきたが、豊富な統計資料を駆使して、数値に基づいて格差拡大の実態を示したところに大きな意義がある。

アメリカでは、貧富の差が拡大して、一部の高い教育を受けたエリート層が,新上流階級をつくりだし、一方では新しい下層階級が出来たとしている。しかも、そのエリートは、政治的な影響力もあり、アメリカの政治を動かしているが、国内の現状については知らずに、アメリカがアメリカであることを支える伝統的な徳目が急速に失われている指摘している。階級によって、居住する地域が異なることは、日本の状況とはことなる。単に多民族社会であるということでは説得が出来ない。
この本は、アメリカの問題は、人種差別ではなく、新しい階級差別であるとする。労働階級の衰退と下級社会化について警鐘を鳴らしている。例えば、結婚している比率は1960年の84%から、半分を切り、両親と生活出来る子供の数は、1960年の96%から、急速に減って37%になっている。10万人あたりの逮捕者数は、125から592に増加した。宗教心が失われ,日曜日には協会に行く者も殆どいなくなり、年一回にとどまる者が59%を占める。

昨年は、真珠湾攻撃七十周年の日であったが、1941年12月7日は、米国が超大国化を始めた日であるしている。同じような社会変動が始まったのが、1963年11月22日、つまりケネディ大統領が暗殺された日からアメリカ社会の変化が始まったとしている。色々な国勢調査などのデータを駆使して、アメリカが新たな階級社会が生まれたことを検証している。

前日の1963年11月21日とはどんな日であったかを振り返っている。木曜日で、ニューヨークは雨模様であった。それほど冬の寒さではない。CBSのイブニングニュースのアンカーがウォルター・クロンカイトになっていたが、まだ、キャスターになって1年半が立っただけであった。その日のニュースは、サンフランシスコ湾のあるかトラス監獄から脱獄して有名だった、Robert Stroudという囚人がミズーリ州の刑務所で死亡したこと、有名な国際政治学者のポールニッツェが、海軍省の長官になったことなどであった。下院の野党の政治指導者は、ケネディ大統領の公民権法案は、クリスマスの休暇まで、議会に付託される可能性がないというニュースなどがあった。経済は上昇傾向であった。

当時は、情報の選択肢は限られており、テレビのチャン年ルは大都市で、四つ(CBS,ABC, NBCの三大ネットワークと、もうひとつの非営利の放送局)でしかなかった。今ではアメリカの豊かな都市の代表例となっているテキサス州のオースチンなどは、後のジョンソン大統領の夫人が経営するテレビ局が一つあっただけであった。60年代アメリカのキーワードは、単純明快=シンプルである。DVDはなかった。アマゾンはなかった。車は殆どアメリカ製で、ヨーロッパの車は値段が高くてで殆どなった。日本製の車はまだまだ安かろう悪かろうの代名詞であった。都市には、レストランは殆どなく、アメリカナイズした中華料理があり、ピザやスパゲッティをイタリア料理と称する食堂のようなものがあっただけであった。タイ料理や寿司ましてや生の魚を食べることなど思いもよらなかった時代だ。アメリカで最初のタイ料理のレストランが開店したのは1970年代に入ってからである。1963年8月28日は、マルチン・ルーサー・キング牧師の、「私には夢がある」と題する有名な演説があった日である。公民権運動には弾みがついていた。マイケル・ハリントンの著作「The Other America」がベストセラーとなった。アメリカに貧困があることを明らかにした本である。貧困は人種差別などの構造的な問題から来るので、経済成長があっても、解決できないので、別の解決方法が採用されるべきであるとの議論が行われた。http://en.wikipedia.org/wiki/Michael_Harrington 60年までには、まだ女性の地位向上の運動、フェミニズムはなかった。経口避妊薬が売り出された。ベティ・フリーダンの「The Feminine Mystique」が出版されたのが、63年である。62年は、カールソンの「沈黙の春」がベストセラーとなっている。ラルフ・ネーダー氏が、消費者運動の旗手として英雄となった。ボブ・ディランの歌「風に吹かれて」が出たのが、ケネディ大統領暗殺の半年前であった。63年の11月にはイギリスで、ビートルズがデビューしている。人口の50%労働者で、45%が中産階級に属するとされたが、アメリカには、ヨーロッパのような階級・クラスはないとされた。要すれば、Coming Apartは、1963年11月21日を境にして、アメリカに階級格差が生まれるようになったとして、格差が広がるほど、アメリカがアメリカであることを失いつつあると書いている

 アメリカでは、フードスタンプ(食料費補助券)がなければ飢えるしかない四千四百万人(全人口の一三%)の国民がいる。一方で、桁外れの富裕層が台頭してきている。マレー氏は、「新上流階級」を「狭い意味でのエリート」と「広い意味でのエリート」に分ける。前者には、ジャーナリスト、法律家、裁判官、政府官僚、政治家などが含まれ、その数は十万人程度、後者には企業経営者、医者、地方公共団体の職員、エリート・ビジネスマンなどが含まれ、172万七千世帯、二百四十万人程度と見積もられている。

 「新上流階級」とは、どのような人々なのか。マレー氏によれば、コレステロールの量を気にかけて減量に励み、ワインを嗜み、タバコは吸わない。(ちなみに、アメリカ人の三分の一が喫煙するといわれているが、上流階級はタバコを吸わないから、タバコを吸うこと自体が、下層階級と同一視されることになりかねない。)
『ニューヨークタイムズ』『ウォールストリートジャーナル』を毎日読み、テレビはあまり見ず、ラジオ番組を選択して聴いている。外国人のインテリの友人がいるといったイメージだ。

一方で、アメリカが階級社会のある国になり、一部の社会階層が、政治を支配して、しかももうひとつの貧しいアメリカの存在に気がつかなくなったにしても、アメリカという国が、没落することを意味するわけではない。軍事力のある超大国としては、いよいよ、軍事強国になる可能性もあるし、外交もいよいよ強圧を加えることになるのかもしれない。しかし、アメリカの理想は、少なくともこれまでは、人間の自由・フリーダムを確保することを主眼にして、国際政治のなかで国家としての力の増強を目的とするような国ではなかったが、アメリカの理想が変わってしまったということだ。階級社会の問題は、マレーによれば、人種の違いから発生したものではないから、人種差別や移民を制限しても問題の解決にならないと主張しているが、本当のところはどうだろうか。これまで、エスタブリッシュメント、という表現があったが、エスタブリッシュメントの中には、映画、テレビ、ハイテク、政治関連のビジネスでの成功者などが、含まれていない。

1960年代まで、アメリカで階級がなかったことの例として、アイゼンハワー政権は、「九人の億万長者と一人の水道工事屋」が閣僚となっており、ケネディ政権の場合は、「ポトマックのハーバード」と呼ばれ、ハーバード大学の卒業生が多数ケネディ政権を支えたが、それでも、毛並みの良い、つまりはエスタブリッシュメントの出身の人は少数であった。1963年のアメリカの家族の収入は、6万二千ドルであった。十万ドルを超える家庭は、8%、二十万ドルを超える収入のある家庭は僅かに1%敷かなかった。家は、12万9千ドルで買えた。ワシントンの郊外の高級住宅地でも、27万2千ドルの値段であった。中流階級の上の家屋が、四つの寝室、トイレが二つ、2階建て、書斎があるか、車庫(ガレージ)があるかと言うのが、標準であった。自家用飛行機は、あることはあったが、ごく稀で、DC-8とボーイングの707のエコノミーの座席の方が便利であった。1963年当時の100万ドルは、2010年の価値では,720万ドル相当である。億万長者、全米で八万人、0.2%の人口比しかなかった。新上流階級の住む町が姿を表したのは、1980年代になってから。例えば、ペンシルバニア州のウェインの町が、新上流階級の町に変化したのは,その頃である。アメリカの1%の収入が,80年代の終わり頃から急増した。他の社会階層は横ばいで、低所得者層は、むしろ、急激ではないにしても、収入が減少した。つまり,アメリカの経済成長の利益は、上流階級の上位半分にのみ配分されたことになったのである

 「新上流階級」が富を独占し、特定の高級住宅街に集中して住み、特殊の世界を形成している。五万六五〇〇平方フィート(一万七二二一平方メートル)の家と百二十三の部屋を持つ大企業トップが、九千九〇〇〇万ドルの退職金と八千二〇〇万ドルの年金をもらった例も挙げられているように、行き過ぎた富の独占が罷り通っている。

アメリカの新上流階級は、1980年代の終わりから生まれてきたことが,所得の分布のグラフをつくるとわかる。中産階級の収入は横ばいであるが、新上流階級の所得は89年頃から急増している。低所得者層は、むしろ、それほど急激でないにしても、所得が減っている。つまり、アメリカで、1980年代は好景気であったと言われているが、そうした経済成長の利益は、所得の上位の部分にのみ配分されたのであって、低所得者層にはその恩恵は全くなかったのである。 アメリカでは、高学歴の者同士が結婚する傾向も強まっている。これを「ホモガミー」(同類結婚、階級内婚)と呼ぶ。一九六〇年代には両親ともに大学卒の割合はわずか三%に過ぎなかったが、二〇一〇年には二五%に上昇した。高学歴の富裕層同士が結婚し、高学歴で培われた「才能」やエリート層の人脈も子どもに受け継がれるという。ちなみに、アメリカ政府の給料を見てみよう。閣僚クラスが、191300ドル、最高裁判事が208100ドル、議会議長が217400ドル、議員が169300ドルとなっている。政府機関の長が、大体172000ドルである。日本の国会議員などと比べて、額が小さいことが分かる。日本がいかにお手盛りの高い給料となっているかが分かる。大学が社会構成の選別機、あるいは区分機のようになっている。大学の階層化が急激に進行している。これまで、アイビーリーグなどと呼ばれた東部の名門大学があり、西部では、スタンフォード大学、南カリフォルニア大学、南部ではヴァンダービルト、デュークなどの名門大学があったが、学生の質にそれほどの差はなかった。しかし、最近では、名門大学に優秀な学生が集中するように案っている。そうなると、学位が問題ではなく、どの大学を卒業したかが重要にねってきており、学校の名前によって、順位付けが行われることになる。学校のランキ乱金が、週刊誌などで発表される。大学の入学の為の統一テストの試験成績の分布を見れば、ごく一部の大学、特定の大学に優秀な学生が集中していることが分かる。

── 富裕層は、治安の良い高級住宅街に固まって住んでいる。

いまやアメリカでは、居住地の郵便番号(ZIP)を聞くだけで、その人物が「新上流階級」か否かが見分けられるという。ワシントンDCの十三地域やマンハッタンなどの一部などの居住地が「スーパージップ」と呼ばれる。ハーバード、プリンストン、エール大学卒業生の四四%は「スーパージップ」の地域に住んでいる。かつてアメリカの一流大学は分散していた。東部の名門私立大学「アイビー・リーグ」だけではなく、西部にはスタンフォード大学、南カリフォルニア大学、南部にはデューク、ヴァンダービルトといった名門があり、大差はなかった。ところが、いまや優秀な学生が特定の大学に集中するようになった。Homogamyという概念がある。学歴の似た男女が結婚するようになった。60年代には、大学卒の両親がいたのは、たったの3%であったが、2010年には、25%が両親共に大学卒業となっている。親の学歴と子供の知能指数には、相関関係があり、高学歴の両親の子供の知能指数が高くなっている。教育水準と所得の高い社会階層は、一般的なアメリカ社会とはかけ離れた地域に住んでいる。高級住宅街の名前をあげると、ニューヨークは、上部イーストサイド、下部ウェストチェスター郡、コネチカット廻廊、ボストンでは、ブルックライン、西側郊外、フィラデルフィアではメインライン、首都ワシントンは、ノースウェスト、下部モンゴメリー郡、マクリーン・グレイトフォールズ、シカゴでは、ノースショア、ロスアンジェルスでは、ベバリーヒルズ、サンフランシスコでは、下部マリン郡、バーリンゲイム・ヒルズボロ、パオロアルト地域である。ハーバード大学のビジネススクールの卒業生の住む地域は,六割方高い所得水準の地域に住んでいる。ハーバード大学ビジネススクールの卒業生ほどではないにしても、プリンストンや、エール大学の卒業生も居住地域が集中している傾向は同様である。つまり、居住地域が郵便番号で、新上流階級の住む地域であるか否かが分かる。新上流階級の人々が居住する高級住宅街は、スーパージップと呼ぶ。

首都ワシントンとその周辺を,所得別に色分けすると、その格差がハッキリと分かる。東半分に、貧困地域があり、北西部から西部に掛けて、また、その周辺に黒塗りの高級住宅街が広がる。高級住宅街は、貧困地域に囲まれていることはない。

 筆者は、実際にワシントンの市内を歩き、また車で回って確かめたが、この本の記述は、なるほどと思わせた。首都ワシントンの北東地域は高級住宅街となり、今では夕方になるとジョギングをしたらしい若い男女が談笑しながら、屋外のテラスに張り出したレストランで夕食をとっていた。つまり、治安は良くなっている印象であった。しかし、ポトマック川の向かいの地域は、正確に言うと、リンカーン記念堂の向かいで、沿岸警備隊の本部の近くの地域などは、まだ地下鉄も通らずに、昼間から黒人の若者が失業してたむろして、缶蹴りをしている。

●ブルーカラー層の約半分は独身

マレー氏は、一九六〇年と二〇一〇年を比較し、多くの変化を具体的に示している。例えば、一九六〇年には三〇~四九歳のブルーカラー層の八四%が結婚していたが、二〇一〇年には四八%に低下している。「配偶者のいない出産」(nonmarital birth)は、一九六〇年代から急増し、二〇一〇年には三〇%近くにまで増加した。これは母親の学歴との相関があり、十二年間以下の教育しか受けていない母親で急速に増えている。 マレー氏は、上流階級の人々が多く居住する町としてマサチューセッツ州のベルモントを、下層階級の人々が多く居住する町としてフィラデルフィア郊外のフィシュタウンを比較して、一九六〇年から二〇一〇年までの様々な統計の推移を提示している。 まず、結婚率は、ベルモントにおいて九五%(一九六〇年)から八五%(二〇一〇年)に低下したのに対して、フィシュタウンでは八五%(一九六〇年)から四五%(二〇一〇年)に大幅に低下している。 子供が親と住んでいる比率は、ベルモントにおいて九五%から八五%に低下したのに対して、フィシュタウンでは九五%から二五%にまで低下している。労働時間が四十時間以上の労働者の比率は、ベルモントにおいて九〇%から八〇%に低下したのに対して、フィシュタウンでは八〇%から六五%にまで低下している。離婚率の上昇、片親と住んでいる子供の比率の上昇は、フィシュタウンで顕著だ。フィシュタウンでは、犯罪率、シングルマザーの比率も急増している。

── フィシュタウンにおいて、顕著な変化が生じたのはなぜか。
マレー氏は、格差の拡大の現実を突き付けはしたが、格差の原因として経済政策に焦点を当てることはしない。彼は、アメリカ人、特に下層階級の道徳、倫理の低下に警鐘を鳴らすのみだ。60年代のアメリカの社会は、離婚率は僅かに3.5%であった。別居している率が、1.6%であったから、家族に問題があるのは,5%以下にすぎなかったし、また、親の学歴も殆ど影響がなかった。そもそも、大学出が少なかったのである。また、母親は8割以上が家庭の中にいた。非常に禁欲的で、映画の倫理規制も厳しかった。「チャタレー夫人の恋人」が差し押さえられる事件なども話題になった。ヘンリーミラーの小説「南回帰線」や、ファニーヒルズなどの文学作品が規制対象となった。治安も良く、ドラッグは蔓延していなかった。「古き良きアメリカ」は確かに存在し、「American way of life」という表現が用いられていた。1963年の段階では、教会という言葉は重要であったが、ユダヤ人の集会場であるシナゴーグと区別して使うことはなかった。今では、特定の宗教に偏らないために、礼拝サービスと言う言い方が出て来ている。1963年の治安はまだ良かった。薬物中毒やドラッグの問題はなかった。アメリカ人は酒をよく飲み、タバコをよく吸っていたが、薬物の問題はなかった。60年代の最大の問題は、今でいうアフリカ系アメリカ人、すなわち、黒人に対する人種差別の問題が最大の社会問題であった。(

── マレー氏が重視する道徳、倫理とは何か。
彼がアメリカの徳目として挙げるのは、「勤勉」「正直」「結婚」「信仰」の四つである。アメリカでは、一九六〇年代には「女性は家庭を守る」という考え方に九〇%が同意していたが、その比率はどんどん低下していったという。
 アメリカでは、特に一九八〇年代から教会に定期的に行って礼拝する人の割合が急激に低下しており、「無宗教」者の比率が急増している。
 正直の徳目が崩壊し、一九八〇年代は強欲の十年とも呼ばれた。債権回収の可能性が低いとみなされる債券「ジャンクボンド」の開拓で名声を得たマイケル・ミルケンは、「ジャンクボンドの帝王」と呼ばれたが、一九八〇年代末にインサイダー取引や顧客の脱税幇助などの罪で起訴された。エンロン、ワールドコムなどアメリカ企業の経済犯罪も続出した。
 マレー氏は、アメリカでは、富める者も貧しき者も同じ行動原則を持っていたと説く。優しさ、親切、自己犠牲の精神を持ち、弱者を助ける「男らしさ」が貴ばれていた。マレー氏は、アメリカ国内の経済格差が拡大する中、アメリカを運営するエリートたちが「アメリカがアメリカたる徳目」が失われていることを認識していないことに危機感を覚えている。

新自由主義を批判しないマレー氏

── 新自由主義こそが格差拡大の原因なのではないか。
自動車などアメリカが誇っていた製造業における国際競争力が失われる中で、アメリカは金融やITに偏重するようになったことも新上流階級の台頭と密接に関係している。そして、規制緩和をはじめとする新自由主義的な経済政策が浸透したことが、アメリカの格差拡大に拍車をかけたと見るべきであろう。
 統計学者の吉田耕作氏は、二〇〇二年から二〇〇七年にかけてのアメリカにおける所得集中の異常な加速は、規制緩和によって不動産や金融業界の利益の急増したために押し進められたと見る。一方、堤未果氏が『ルポ貧困大国アメリカ』で紹介している通り、レーガン政権以降の新自由主義によって中間層が崩壊し、貧困層と富裕層の二極化が進んでいた。また、社会保障政策も削減され、本来、公の組織が管理するべき医療の民営化が進行していた。アメリカでは、高額の医療費が原因で自己破産に追い込まれるケースが急増している。同書には、二〇〇五年の初めに急性虫垂炎で入院し、手術を受けたところ、一万二〇〇〇ドル(百三十二万円)の請求書が送られてきたケースが紹介されている。アメリカでは、入院費用を負担できずに日帰り出産する妊婦が増加しているともいう。二〇〇七年には、マイケル・ムーア監督のドキュメンタリー映画『シッコ(Sicko)』が日本でも封切りになり、アメリカの医療保険制度の欠陥が広く知られるようになったが、日本でも医療分野に新自由主義が導入されれば、同じような結果をもたらす。

── 小泉・竹中路線は、まさにそれを試みた。
「規制改革」の旗印のもと、市場原理主義に追従する連中が、郵政の民営化を進めたがこれが大失敗の典型だ。病院の株式会社化とか、介護の民営化とか、混合医療の解禁とか、人間の病をネタに金儲けするアメリカ保険業界の手法を、次々と強気で提案してきた。混合医療の解禁などを迫られる可能性があるTPPへの参加は断固拒否すべきだ。
── 格差の問題が深刻化しているにもかかわらず、アメリカ政府は経済政策を転換しようとしない。

アメリカ国民の不満は高まっている。「オキュパイ・ウォールストリート」運動は、「上位一%の富裕層がアメリカの富を独占している。われわれは九九%だ」と叫んで、ウォール街を占拠した。ワシントンにはテント村ができた。かつてのアメリカでは考えられない事態である。ロン・ポール氏が善戦したのも、貧困層の不満が高まっていることが背景にある。
 世界的にも新自由主義路線は拒否されつつある。フランスでは、成長重視を掲げ、サルコジ氏が推進してきた緊縮路線を強く批判するフランソワ・オランド氏が大統領に就任した。ギリシャでは、緊縮財政に反対する急進派が支持を拡大している。

●対米自立を急げ!

── アメリカの徳目の崩壊に還元しようとするマレー氏の議論は、結局のところ現状肯定に陥るのではないか。

個人の自由と自助努力を尊重しようとするマレー氏の議論からは、経済政策の転換という発想は出て来ない。マレー氏は、自立・自尊を妨げるとして福祉国家論には批判的な立場をとっている。
 小泉改革に合わせて、わが国でも自己責任、自助努力がことさらに強調されるようになったが、本来自助の精神は、キリスト教価値観と不可分のものだ。明治初年にサミュエル・スマイルズの『Self Help』が『西国立志篇』として翻訳されて以来、わが国でも自助の精神の重要性が浸透していったが、宮崎学氏が指摘している通り、スマイルズの自助精神とは、キリスト教プロテスタンティズムとイングランド自由主義を柱としたものであった。
 欧米の自助の精神は、個人主義、個人の自由に最大の価値を置いており、それはわが国独自の伝統文化とは結局は相いれない。そして、市場原理主義は、同胞の安寧と幸福を念じる、日本の国体にはなじまない。

── 依然として、アメリカ流の新自由主義を信奉する日本人もいる。

日本はアメリカからの独立を急ぐ必要がある。新自由主義から脱却し、独自の経済政策に転換する必要があるからである。同時に、わが国の安全保障をアメリカに委ねることが困難になりつつあるからである。いまアメリカでは、現実主義学派を中心にオフショア・バランシングなど、新たな外交・軍事戦略が模索されている。アメリカの財政的困窮が改善される見込みは少なく、軍事費削減の要請はさらに強まっていくだろう。すでに、米国防総省は今後十年間で計約四千九百億ドルの予算削減を目指すとしおり、二〇一三会計年度から五年間で計約二千六百億ドルの国防予算を削減する方針を固めている。
 いまこそ、わが国はアメリカが古き良き伝統を失い、強い外交力を支えていた国力が衰退して、「少数支配の軍事大国化」に特化する勢力が台頭しているという認識に立って,わが国は真の日米友好の為にも対米追従外交を見直して、自立・自尊の日本を追求すべきだ。日本は国際拝金勢力のATMに堕してはならない。

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