構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Hideous Korea

国策研究会という伝統ある調査研究の団体がある。http://www.kokusaku.or.jp/history.html 今でも、月例の昼食会などが頻繁に開催されている。新国策と言う機関誌を発行しているが、その平成25年1月号、つまり新年号に、東アジアの中の日韓関係史と題して、評論家で拓殖大学国際学部の呉善花教授の講演記録が掲載されているので、注目される。原文にご関心の向きは、その機関誌を入手するなりして、直接原文に当たって頂くとして、当方ブログとしては、その要点をかいつまんで紹介する。

韓国人の反日感情は侮日感情であり、それは伝統的な中華思想にねざすものだ。弟が兄を侵略した、戦後は弟のくせに経済大国になった、許せない気持ちーーそれが日本への屈折した思いになっている。

呉教授の本も、日韓・日中問題が燃えたせいで、売れるようになったと笑いながら、韓流ブームと日本人は誰でも往来できる中で、「韓国を批判していると言うことだけではなく、日本を評価することが許されず」韓国に行けなかった、という。(呉教授は、日本に帰化している。)2011年からまた渡航できるようになっていたが、「虚言と虚飾の国・韓国」と言う本を書いたら、また、行けなくなった。(当方ブログは驚いたのであるが、日本人となった呉教授を,入国禁止の対象にしていることである。日本側で、犯罪者以外に日本入国禁止にしている韓国人がいるのだろうか。韓国の当局が日本人となった呉教授を入国禁止にするのであれば、日本の外交当局は呉教授の名誉のためにも抗議などの措置をとってしかるべきである。)

韓国で竹島は日本のモノだと言おうものなら、生命の危険を覚悟しなければならない。

「竹島は国際法としては日本のものになっている。一九〇五(明治38年)日本政府は島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定した。1951年(昭和26年)、韓国の李承晩大統領は,サンフランシスコ平和条約で日本は色々な土地を放棄しているが,竹島を韓国のものにしてほしいと、アメリカに要求した、アメリカは竹島は歴史的にも法律的にも日本のものだと拒否するのだが、その翌年の1952年、韓国は勝手に李承晩ラインを引いてしまう。それ以降、島根県あたりの猟(まま)師たちが魚をとりにいくと、抑留されるようになる。数年の間に三十二隻の船と三千九百四人が抑留され,三年から四年収容所に入れられた。朝鮮戦争後のことだから,一般の韓国人も食料が貧困だった時代である。それが収容所となると、コメなどなく、海藻を使った食事が与えられたという。こうして、戦後韓国は竹島を実効支配するようになった」--

国際司法裁判所に韓国は出ようとしない。出なければ裁判にならない。そうすると誰が勝つか。声が強い,わがままを言う国が勝ってしまう。

韓国で強烈な反日教育が行われた。日本列島には未熟な人たちが住んでいて、そこにわが国から漢字や仏教を教えてあげたという自負心がある。そこから、日本はやっと国らしき国になったと韓国の教科書には書かれている。その恩恵を忘れて豊臣秀吉は侵略して、近代になると36年間の植民地支配があって、いかに苦しめられたか,日本人は常に反省しなければならないと言うことが書かれている。

韓流ブームを創ったのは、「冬のソナタ」であり、「ヨン様」であるが、なよなよした男になぜ日本女性が嵌まっていくのか分からない、韓国人にとっては、強そうな男性が,受けがいい。朝鮮半島は、強固な儒教社会であり、男尊女卑社会である。日本の場合、表面的には,男性は強そうに威張っているが、実は女性が支えている社会である。韓国ではかかあ天下はありえない。

冬のソナタには、日本の古き良きものがあると言われるが、韓国にとってなつかしいものではなく、なぜ日本人に懐かしいと思われるかと言うと、日本のアニメを真似して,大人向けのドラマに作り上げているからである。音楽やストーリーなど日本のアニメとそっくりになっている。

韓流ブームなるものが表面的なものに過ぎないことが,今回はっきりとあらわれたのではないか。

日本統治時代の経験が反日感情の源泉だと,韓国でも日本でも思われているが,それは正しい見方ではない。韓国人の反日感情は、日本から酷いことをされたと言うよりも侮日的な意識がその根に潜んでいる。

儒教という一つの軸からの考え方を倫理的、道徳的とするが、日本人は様々な考え方を認める。儒教の国の人から見れば、節操がないようにみえる。伊勢神宮となると,女神ではないか。女神を拝むために,大勢の人が列に並んでお参りをしている。政治家まで,その女神を拝みにいく。これはものすごく低いレベルで、未開人的だという発想になる。

侍は、韓国人からすれば野蛮人のイメージしかない。

大統領が替わるたびに、日本に対して反日感情をぶつけて、反省しろ,謝罪しろと捲し立てる。日本人からすれば,何度も同じことを繰り返してみっともないと思うかも知れないが、韓国人にみっともないという発想はない。

日本人は美学を大事にするが、朝鮮と中国には善か悪しかない。善いか悪いかおしえて上げることは、感化するのは善なる行為である。

韓国の大統領は、初めのうちは,未来志向で,反日感情を捨てようというと、日本人は安心するが、政権末期になると露骨に反日感情を示す。韓国人の反日感情は,侮日感情だと理解しないと、こうした行き違いは永遠に続く。

李明博大統領の発言をご紹介しよう。「北朝鮮の復興は心配ない。日本にやらせる。私が日本にすべてのカネを出させる。われわれは、既に日本を征服しているのだ。やつらのカネは,我々が自由にできる。日本は,今や韓流漬けになっている。日本の広告代理店、テレビなどのマスコミ、スポンサーとしての大企業は、こぞって韓流ドラマ、韓流ミュージック、韓流タレントに群がっている。フジテレビが,その典型だ。日本は,最早韓流なしではいられない。私が仕掛けた対日韓流政策が大成功しているのだ。日本には,私の対日政策によってならされた兵隊が大勢いる。だから,すべて私にまかせておけばよい。」

要するに、日本をなめているのである。今回の天皇に対する発言もそうである。

韓国では手をこすりながら土下座をすると,めちゃくちゃ悪人と言うことになる。謝罪するときは、土下座して、泣きながら「許してください、許してください」とと言わないと、本当の謝罪にならない。それを、日本の天皇にしろと言っているわけである。日本人からすれば言語道断だろう。

遺憾であるとか、日本の政治家はよく言うが、申し訳なかったなどと言うと韓国では反発が強まる。なぜなら、本当の謝罪なら、涙を流しながら,繰り返し許してくださいと言う輪なければ本当の反省にはなっていないことになるからである。

韓国に対して安易に謝罪などしない方がいい。すればするほど、問題はこじれる。

小中華思想である。韓国では、島は文化・文明に弱いと言うことで、国内でも島人は差別される。島国の日本となると低く見るのは当たり前と言うことになる。日本となかよくしようという感覚はない。

日本人は色々な歴史観があってしかるべきだから話し合いをしましょうと言うが、韓国人にはその理由がわからない。韓国人は韓国の歴史観を日本人が一〇〇%受け入れるべきだと考えているから、話し合いをしましょうといってもつうようしない。日韓歴史研究は膨大な予算と時間を使い,多くの頭脳を集めて行ったが失敗した。最近懲りずに再開したが,すぐに失敗した。

韓国人には、価値観を巡る話し合いはない。会議という発想がそもそもない。上からの命令を下に伝えることが会議なのである。

歴史的に生成された根源的な違い。日本の場合は、室町時代から江戸時代にかけて,学問的にも思想的にも多様なものが生まれ,磨かれたが、朝鮮では一元的な思想が強固に作られた。

日本統治時代、日本は酷いことをしたのだろうか。日本は朝鮮に入って膨大な投資を行い、大赤字だった。一九〇〇年代以降、日本から投入された資本は八〇億ドルになる。土地改良が盛んに行われた。それまで,土地の所有権が曖昧。これを整えた結果、コメ生産が飛躍的に伸長したし、道路や港湾、灌漑など,インフラ整備を凄まじい勢いで、しかもすべて日本からの持ち出しで行った。十年から二十年の間に、ひっくり返るほど変わっていく、ひとりあたりのGDPが年間平均4%も上昇する。当時の世界の主要国の成長は,二%だった。人口も増えた。二倍になった。悲惨な植民地支配でどうして人口が増えるのか。学校を全土に作った。日本と同じ、普通学校と国立大学を設置する。併合当初は、百校だった普通学校が、1943年には、六年生の国民学校は、五九六〇校になっている。識字率も6%が、22%になる。学校では、日本語と共に朝鮮語・ハングルも教えた。ハングルは、1443年に作られたが、ほとんど使われることはなかったのを、初めて、しかも福沢諭吉の発案で、1886年に漢城周報というハングル新聞が出されたが、うまくいかずに、日本統治になって初めて一般人がハングルを学ぶことができたのである。

大東亜戦争の時に、強制的に軍隊に徴兵されたと言うが、日本人の若者は無条件で軍隊に行かなければならなかったが、朝鮮人の場合は全員ではなく、募集していた。希望者だけで,強制ではなかった。昭和十三年には、採用数四〇六人に対して、応募数は7.七倍の二九四六人にのぼった。戦争がはじまった昭和十八年には、採用数6300人に対して、なんと48.2倍の三十万3394人に上った。農地改革で生産量が倍増したので、コメも食べた残りを日本に輸出していた。李朝の時代には、田舎の一つの村で、十世帯のうち三世帯がぎりぎり食事ができる世帯であった。

「日本統治時代に入って、朝鮮総督府は貧富の調査をしている。初期の朝鮮人の生活は,いかに貧困だったかという調査データも出てくるが、そんなことは構わないで、日本人に統治されたのが良くないということになってしまって,今の反発になっているのである。」と結語している。

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コメント

アセアン・プラス・スリー (ASEAN+3) は、東南アジア諸国連合と日本・中国・韓国で協力してゆく枠組みである。
プラス・スリーは、日本・中国・韓国で、特殊なアジアの3国 (特ア3国) とも呼ぶことのできる漢字の使い方を知っている国々である。
これらの国々は、儒教に関係が深い。儒教は、孔子を尊ぶ。どの社会にも孔子の教えに対して愛憎の念を持っている。批林批孔のようなものである。

日本語にも、中国語にも、韓国語にも時制がない。
だから、話の内容が実況放送・現状報告のようなものになる。それで、これら3国の民族間では漢字を介したナウな感じのする話が通じやすいのであろう。
聖人である孔子の発言内容も御多分にもれず実況放送・現状報告であった。
論語の <述而第七> には、「子不語 怪・力・乱・神」(し かい・りょく・らん・しん をかたらず) と書いてある。
孔子は、奇怪なこと、勇力のこと、乱倫のこと、神秘なことを口に乗せて主張することがなかったと弟子が証言しているのである。

インド・ヨーロッパ語族の人々は、時制にしたがって、我々はどこからきて、何者であり、どこに行くかを考える。特ア3国においては、その形式がない。
だから、我々には現世はあっても、インド人のように前世と来世の内容には深くかかわる考え方がない。
その結果、仏教の伝来も正確にはならない。禅問答では世界観は生まれない。
インド人は、瞑想により3世界の内容を考えてゆく。だから、実験・観察を必要としない。
アングロ・サクソン人は、経験に基づいて考察することにより、3世界の内容を満たしてゆく。だから、実験と観察が必要になる。

現実の内容をこの世で再現すれば、それは模倣である。
非現実の内容をこの世で実現 (現実化) すれば、それは創造である。
特ア3国は、程度の差こそあれ、模倣が得意で、創造は苦手である。

日本人には心がない。それは、自己の理想を示す構文 (未来時制) が日本語にはないからである。
心がなければ、自分もない。滅私奉公の世界である。
個人は、世間で決められたことを行っているので、作法・法律が重要になっている。
人々は、自分の恣意 (本音) を作法・規則 (建前) の中にしのばせて実行する。
そして、作法・法律の名のもとに自己の行為を正当化している。
我が国においては、作法・法律は個人の理想を実現するための手段とは考えられていない。
理想・意思の実現がなくて恣意 (私意・我儘・身勝手) の実現がある。恣意は得体の知れないものである。
意思には文章・文脈があり、恣意には文章・文脈がない。
意思 (will) のない社会は、あたかも子供の社会のようである。
心から「悪い」と思うことを「悪い」と発言することは難しい。
それには根拠がないからである。日本語には、'あるべき姿' を盛り込むための構文 (未来時制) が欠如しているからである。

http://3379tera.blog.ocn.ne.jp/blog/2012/03/post_a8c2.html
http://www11.ocn.ne.jp/~noga1213/

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