構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2013年1月

Unfounded Territorial Claim

「明の時代から尖閣は中国が支配していた」と強弁してきた中国共産党であるが、このほど長崎純心大学の石井望准教授が発表した明朝の公式文書「皇明実録」の中では、尖閣は琉球に­属し「明の領土ではない」ことが明示されており、さらに「台湾の付属島嶼」でも無いことが証明された。中国政府の支離滅裂なプロパガンダを完全に粉砕した石井望准教授と電話で­繋ぎ、この発見の意義について聞いている。尖閣の領土問題を棚上げすることが智恵だなどと、訳知り顔に解説している政治勢力があるが、売国の勢力である。尖閣はもともと大陸の影響下にはない。黒潮の民族の島々だ。日本の領土である。

Unfounded Claim

Chinese document contradicts Beijing's claim to Senkakus


A document from the early 17th century shows that China did not control the Senkaku Islands, contradicting Beijing's more recent claims and underlining Japan's insistence that they are an inherent part of this country's territory, according to a Japanese researcher.

During China's Ming dynasty, a provincial governor told a Japanese envoy that the ocean area under the dynasty's control ended with the Matsu Islands, now under Taiwan's administration, and the sea beyond that was free for any nation to navigate, said Nozomu Ishii, an associate professor of Nagasaki Junshin Catholic University.

The Matsu Islands are much closer to China than the Senkaku Islands, which China claims to have controlled since the Ming dynasty about 600 years ago.

At a press conference Monday, Ishii said the Chinese governor's statement appears in Huangming Shilu, the official annals of the Ming dynasty.

"This historical material proves that Japan's claim over Senkaku Islands is historically correct," he said.

Huangming Shilu comprise the records of the activities of Chinese emperors, addresses the throne and others. Transcriptions of the records can be found in the National Archives of Japan.

Ishii found a record in the annals dating from August 1617, which describes the arrest and interrogation of Akashi Doyu, a Japanese envoy from Nagasaki, by the head of the Chinese coast guard. The description was in the form of an address to the throne.

According to the record, the governor met the envoy and mentioned the names of islands, including one on the eastern edge of the Matsu Islands, about 40 kilometers off the Chinese mainland, that was controlled by the Ming and said the ocean beyond the islands was free for China and any other nation to navigate. The Senkaku Islands, including Uotsurijima island, are about 330 kilometers from the Chinese coast.

However, China says the border of the Ryukyu kingdom, present-day Okinawa Prefecture, lay between Kumejima island, east of the Senkaku Islands, and Taishoto island, one of the Senkakus, so Uotsurijima island and the other islands belonged to Ming-dynasty China.

Ishii says the record he found proved the Ming controlled the ocean within 40 kilometers from the mainland and the Senkaku Islands belonged to no nation. The Japanese government says the islands were put under its jurisdiction in 1895 after confirming that no nation had claimed them.

Shigeyoshi Ozaki, emeritus professor of the University of Tsukuba and an expert in international law, said: "We know the Ming had effective control only of the coastal area from other historical sources. What is remarkable about this finding is that a Chinese official made a clear statement along these lines to a Japanese envoy. This proves the Senkaku Islands were not controlled by the Ming."

(Jan. 23, 2013)

Stronger Japan

http://www.kantei.go.jp/foreign/96_abe/statement/201301/18speech_e.html

(注)このスピーチは、18日にジャカルタで行う予定であったが、安倍総理がアルジェリアでの邦人拘束事案について直接指揮をとるため、予定を早めて帰国することとなったことにより、行われなかったもの。

I 国益における万古不易

 ご列席のみなさま、とくに、インドネシアを代表するシンクタンク、CSISのみなさま、本日はすばらしい機会をいただき、ありがとうございます。

 本年で、わが国とASEANの関係は、40周年を迎えます。節目に当たり、わたくしは、日本外交の来し方をふりかえるとともに、行く末について、ある決意を述べたいと思ってこの地へまいりました。

 日本の国益とは、万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとするところにあります。法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続けるところにあります。

 わが日本は、まさしくこの目的を達するため、20世紀の後半から今日まで、一貫して2つのことに力をそそいでまいりました。それは、海に囲まれ、海によって生き、海の安全を自らの安全と考える、日本という国の地理的必然でありました。時代が移ろうとも、変わりようはないのであります。

 2つのうち1つは、米国との同盟です。世界最大の海洋勢力であり、経済大国である米国と、アジア最大の海洋民主主義であって、自由資本主義国として米国に次ぐ経済を擁(よう)する日本とは、パートナーをなすのが理の当然であります。

 いま米国自身が、インド洋から太平洋へかけ2つの海が交わるところ、まさしく、われわれがいま立つこの場所へ重心を移しつつあるとき、日米同盟は、かつてにも増して、重要な意義を帯びてまいります。

 わたくしは、2つの大洋を、おだやかなる結合として、世の人すべてに、幸いをもたらす場と成すために、いまこそ日米同盟にいっそうの力と、役割を与えなくてはならない、そのためわが国として、これまで以上の努力と、新たな工夫、創意をそそがねばならないと考えています。

 これからは日米同盟に、安全と、繁栄をともに担保する、2つの海にまたがるネットワークとしての広がりを与えなくてはなりません。米国がもつ同盟・パートナー諸国と日本との結び合いは、わが国にとって、かつてない大切さを帯びることになります。

 海に安全と繁栄を頼るわが国の外交を貫いたいまひとつのモチーフとは、海洋アジアとのつながりを強くすることでした。

 このためわたくし自身かつて、インドと、あるいは豪州と日本の結びつきを、広く、深いものとするよう努めました。また、発足以来8年を迎える東アジアサミット(EAS)が、こころざしを同じくし、利益を共有する諸国の協議体として、2つの大洋をつないで成長しつつあることくらい、わたくしにとっての喜びはありません。

 しかしながらなんといっても、ASEANとの関係こそは、かかる意味合いにおけるわが国外交にとって、最も重要な基軸であったのです。

 そう考えればこそ、政治や通商・投資の関係において、平和の構築から、域内連結性の向上まで、この地域において、わが先人たちは、いちどたりとも努力を惜しみませんでした。

 無数の日本人がそのため働き、資本や、技術、経験が、日本からこの地に向かったのであります。

 わたくしどもが世界に打ち出し、大切に思ってきた「人間の安全保障」という考え方にとって、大事な実践の場となったのもやはりこの地でありました。

 2015年、みなさんがたASEANは、名実とも共同体として、ひとつの脱皮を遂げます。こころからのお祝いを申し上げます。

 インドネシアがその最も顕著な実例でありますが、法の支配と人権を重んじ、民主主義を根づかせる動きは、ASEAN諸国を貫く基調となりました。いまや、ミャンマーも、みなさんを追いかけ始めています。このことを、わたくしは、うれしい驚きをもって眺めてまいりました。

 万人のみるところ、インドネシアにはいま、世界有数の、幅と、奥行きをもった中間層が生まれはじめています。ASEANは、域内の連結を強めながら、互いの開きを埋めるとともに、それぞれの国に、豊かな中産階級を育てていくに違いありません。

 そのとき世界は、ある見事な達成を、すなわち繁栄と、体制の進化をふたつながら成し遂げた、美しい達成を、見ることになります。

 そしてわたくしは、ASEANがかかる意味において人類史の範となることを信じるがゆえに、日本外交の地平をいかに拡大していくか、新しい決意を、この地で述べたいと思いました。

II 未来をつくる5原則とは

 それは、次の5つを原則とするものです。

 第一に、2つの海が結び合うこの地において、思想、表現、言論の自由――人類が獲得した普遍的価値は、十全に幸(さき)わわねばなりません。

 第二に、わたくしたちにとって最も大切なコモンズである海は、力によってでなく、法と、ルールの支配するところでなくてはなりません。

 わたくしは、いま、これらを進めるうえで、アジアと太平洋に重心を移しつつある米国を、大いに歓迎したいと思います。

 第三に、日本外交は、自由でオープンな、互いに結び合った経済を求めなければなりません。交易と投資、ひとや、ものの流れにおいて、わたくしたちの経済はよりよくつながり合うことによって、ネットワークの力を獲得していく必要があります。

 メコンにおける南部経済回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は、いまや、そのみのりを得る時期を迎えています。

 まことに海のアジアとは、古来文物の交わる場所でありました。みなさんがたインドネシアがそのよい例でありますように、宗教や文化のあいだに、対立ではなく共存をもたらしたのが、海洋アジアの、すずやかにも開かれた性質であります。それは、多くの日本人を魅了しつづけるのです。だからこそわが国には、例えば人類の至宝、アンコール・ワットの修復に、孜々(しし)としておもむく専門家たちがいるのです。

 それゆえ第四に、わたくしは、日本とみなさんのあいだに、文化のつながりがいっそうの充実をみるよう努めてまいります。

 そして第五が、未来をになう世代の交流を促すことです。これについては、のちほど申し上げます。

 いまから36年前、当時の福田赳夫総理は、ASEANに3つの約束をしました。日本は軍事大国にならない。ASEANと、「心と心の触れ合う」関係をつくる。そして日本とASEANは、対等なパートナーになるという、3つの原則です。

 ご列席のみなさんは、わたくしの国が、この「福田ドクトリン」を忠実に信奉し、今日まできたことを誰よりもよくご存知です。

 いまや、日本とASEANは、文字通り対等なパートナーとして、手を携えあって世界へ向かい、ともに善をなすときに至りました。

 大きな海で世界中とつながる日本とASEANは、わたくしたちの世界が、自由で、オープンで、力でなく、法の統(す)べるところとなるよう、ともに働かなくてはならないと信じます。

 ひととひとが自由に交わりあうことによって、互いを敬う文化が根ざすよう、努めねばならないと信じます。

III 日本を強くする

 みなさん日本には、世界に対して引き受けるべき崇高な責任があり、なすべき幾多の課題があります。しかしおのれの経済が弱まるなかでは、どんな意欲も実現させることができません。

 わたくしにとって最も大切な課題とは、日本経済をもういちど、力強い成長の道に乗せることであります。

 伸びゆくASEANと結びつき、海という海に向け、自らをもっと開放することは、日本にとって選択の対象となりません。必要にして、欠かすことのできない事業だからであります。

 日本には、資本があります。技術がありますし、社会の高齢化という点で歴史の先端を行く国ならではの、経験も増えてきました。不況が続き、一昨年は、千年に一度の災害に見舞われ、多くの犠牲を生んだにもかかわらず、社会の安定は、まだびくともしていません。

 いままで、育てることを怠ってきた人的資源もあります。日本女性のことですが、わたくしはこれらのポテンシャルを一気に開放し、日本を活力に満ちた、未来を信じる人々の住む国にしたいと考えています。

 いま日本人に必要なものがひとつあるとしたら、それは「自信」です。夏に咲いて、太陽を追いかけるひまわりのような、「向日性」です。かつて日本に、あふれるほどあったものが、いま、欠乏しています。

 だからといって、わたくしはなにひとつ悲観しようと思いません。わたくしたち日本人が「自信欠乏症」にかかっているとすれば、それをなおしてくれる人があり、歌があるからです。ここからわたくしの話は、みなさんへの感謝に焦点を移します。

IV インドネシアにTerima kasih

 すでにみなさん、インドネシアの人々は、日本人にたくさんの自信と、勇気を与えてくれました。そのおひとりが、この場にいないのはとても残念に思えます。

 インドネシアと日本が結んだEPAは、多くの看護師を日本へ送りました。日本の資格を取ろうとする人も少なくありません。

 それには、難しい試験を突破する必要があります。

 2011年の資格試験は、地震が起きた直後に、結果発表の日を迎えました。難関を突破したおひとりが、兵庫県の病院で働くインドネシア人の女性、スワルティさんでした。

 合格発表を受け、病院でスワルティさんが記者会見をしていたときです。喜びの顔が突然くもり、彼女はこう言い始めました。

 「福島県で、宮城県でも、津波がきました」

 声を詰まらせたスワルティさんは、病院の医師に向き直り、涙で声を震わせながら言ったのです。

 「私もできれば行かせてください、先生。みなを手伝いたい。お願いします」。

 スワルティさんは、被災地の、避難所へ入りました。家屋の半分が流され、500人以上の人が命を落とした町の避難所です。そこで、彼女は不思議な能力を発揮します。

 ショックのせいで泣いてばかりの少女が、スワルティさんと話し始めると笑顔になりました。年老いた女性が、まるで孫に接するように、彼女にほほえみをみせました。不自由な避難所で、そんな光景が生まれました。

 「大丈夫です。これからみなさん、ピカピカの未来がくるので、一緒にがんばりましょう」

 避難所を去るときの、それが、スワルティさんのあいさつでした。

Wahai sakura,(ワハイ、サクラ)
mekarlah.(メカルラー)
mekarlah dengan penuh bangga,
(メカルラー、ドゥンガン、プヌー、バンガ)
di seluruh pelosok Jepang.
(ディ、スルルー、プロソック、ジパン)

Mari Jepang,(マリ、ジパン)
bangkitlah.(バンキットラー)
bangkitlah, dengan percaya diri,(バンキットラー、ドゥンガン、ペルチャヤ、ディリ)
di dunia ini.(ディ、ドゥニア、イニ)

 わたしの下手なインドネシア語は、大目に見てください。この歌は、歌詞がもともと日本語なのです。

 「桜よ」という、歌の一節です。「桜よ、咲き誇れ、日本の真ん中で咲き誇れ」「日本よ、咲き誇れ、世界の真ん中で咲き誇れ」と、歌ってくれています。

 ジャカルタに、大学生たちによる、日本語でミュージカルを見せる「エン塾」という劇団があります。

 2011年3月11日の悲劇を知り、心をいためたエン塾の学生たちは、日本よがんばれ、桜のように、世界で咲き誇れという歌を、美しい曲に乗せてくれました。

 そして5月1日、30を超す大学から500人の学生がつどい、すばらしい合唱をしてくれたのです。

 わたくしは彼らの合唱を見、声を聞きました。そして、深く、感動しました。いまから1分20秒だけお見せします。どうかご一緒にご覧ください。

 ご列席のみなさま、この歌を作曲した青年がいます。JCC、ジャカルタ・コミュニケーション・クラブで、広報を担当している、ファドリ君です。

 そして、JCCを創立し、エン塾の指導に努めてこられた先生、かいきり・すがこ(甲斐切清子)さんです。

 ファドリ君、ありがとう。やさしいインドネシアのみなさん。みなさんと日本人は、みなさんが好きだという日本の歌、五輪真弓の歌がいう、「心の友」です。

 そのことをスワルティさんや、ファドリ君たちが改めて教えてくれました。Terima kasih(テリマ・カシ)。

V JENESYS 2.0を始める

 わたくしは、ファドリ君たち、20年、30年先のインドネシアを担う世代の人々、ASEANの将来を引っ張る若者たちに、日本を訪れてほしいと思います。

 エン塾のすばらしい学生たちにも、日本のいろいろなところへ見に来てもらいたい。そう思って、このたび、ASEANや、アジアの若者をお招きするプログラムを拡充し、強化することにしました。

 ちょうど、6年前のことになります。わたくしは、日本の総理として、EAS参加国を中心に、ひろくアジア・太平洋各国から高校生や大学生、若者を日本へ呼ぶ事業を始めました。

 ジェネシスという名のもと、当時のレートで約3億ドルの予算を当て始まったプログラムは、いままでに、ASEAN各国から1万4000人を超す若者を日本へ受け入れてきました。

 これをもう一度、「ジェネシス2.0」と名づけ、熱意と感謝の気持ちを込めて、始めることにいたしました。

 ジェネシス2.0は、3万人の若者を、ASEANを含むアジア諸国から日本に招待します。どうです、ファドリ君、それから、かいきり先生、どしどし宣伝してくださいませんでしょうか。

VI アジアの海よ平安なれ

 40年前、日本がASEANとパートナーになったころ、インドネシアの経済がこれほど伸びると想像した人が果たしていたでしょうか。

 名目GDPの変化を比べてみますと、この40年の間に、インドネシア経済は、10階建くらいの、どこにでもあるビル程度の高さだったものが、スメル山の高さにまで伸びたことがわかります。

 古来、インドで生まれた仏教を大切にしてきた日本人にとって、スメル山とは、須弥山(しゅみせん)と称し、世界の中心にそびえる山を意味しました。

 インドネシア40年の達成を、このようにたとえてみることは、したがいまして、われわれに二重の意味で、深い感慨を催さずにいないのであります。

 わたくしはまた、アチェに津波が襲って以来の、みなさまの達成を、人類史が特筆すべきチャプターだと考えます。それは、復興と、和解、ひいては国全体の穏やかな民主化を、ともに達成した偉大な足跡でした。

 わたくしは、そんなみなさまインドネシアの隣人であることを、誇りに思います。

 初めにわたくしは、海に囲まれ、海に生き、海の安全を、おのれの安全とする国が日本であり、インドネシアであって、ASEANの、多くの国々であると申し上げました。

 それはまた、アジア・太平洋からインド洋に広がる一帯に住まう、われわれすべてにとって共通の条件であります。

 そんなわたくしたちが一層の安寧(あんねい)と、繁栄を謳歌できるよう、わたくしはきょう、日本外交がよって立つべき5つの原則を申し上げました。

 わたくしたちにとって大切な、価値の信奉。コモンズ、なかんずく海を、力の支配する場としないこと。経済におけるネットワークの追求。そして文化の交わりと、未来世代の育成、交流を追い求めることです。

 アジアの海よ、平安なれと祈ります。そのため、経済において強く、意思において強固で、国柄においてどこまでも開かれた日本をつくるべく、わたくしは身命を賭したいと思っています。

 インドネシアの人々に、わたくしは、自分の決意を語ることができ、ほんとうによかったと思います。ご清聴くださり、ありがとうございました。

 

 

Info-communications in crisis 2

後半部分。単なるメモか書き写しであるので、あくまで、ご

参考まで。

残念なことは、災害時に最も重要かつ信頼出来る第一次情報を発す

べき日本の政府と行政は、安否情報ひとつとっても、十分に情報を

統合して伝達する機能を果たせなかった。原発の事故についての情

報は尚更で、東京電力や担当官庁の情報通信の重要性についての対

応は稚拙なものであった。各被害に関する第一次情報についても同

様であった。グーグル社という優れたグローバル企業が大いに活躍

したのであるが、実は、そうした私企業が公的な責任を担う限界が

どこになるかを真摯に検討して、次の災害においては、公的な機関

こそが、グーグル社やそのほかの私企業の情報通信システムを凌駕

して、安否情報などを統合して一掃迅速に提供する役割を担うこと

が期待される。

●ヤフーの災害プロジェクト

ヤフーは日本最大のインターネットのポータルサイトであり、一日

平均20億ページビューであるが、大震災の中では、3月14日に、23億6500万ページビューを記録したという。アクセスの増大と共に、サーバーを維持することがじゅうようであったが、通常通り、ヤフーにアクセスできたこと自体が、パニックを抑止する役割を果たしたと指摘されている。

六本木ミッドタウンに本社があり、地震直後に社員は、敷地内の広場に退避したが、そこから、ニュースの更新に着手している。風評被害を避けるために、人の手によるニュース発信にこだわったという。スピードと効率を犠牲にしたが、人の手をかけずにニュースを生成することは避けている。災害プロジェクトを発足、専任チームを結成している。

東京・大阪・名古屋の作業室をリアルタイムで、テレビ会議システムで接続して、一体感を持たせることにしている。

インターネットで募金を訴えたら、6日間で、10億円の募金が集まった。

3億円の義捐金を堆対して、防災科学技術研究所へ贈った。絵本の自由図書館の開設を行い、一部の作品は著者と交渉して、著作権フリーで子供のための絵本を公開している。

情報の見やすさとわかりやすさに。エリアで必要な情報をトップページに表示されるように工夫した。

東京電力が公表する電力の使用状況データは、ヤフーで、「電力使用状況メーター」という分かりやすい見せ方にした。東電の発表から半日後。電気予報というシステムも構築。誤差が2%以内。

東京電力が公表した放射能や輪番停電の情報は、なんと加工が不可能な形で公開された。信頼性を考慮したという理由付けがあったことは言うまでも無いが、ヤフーが努力して分かりやすい見せ方に加工したことは、逆に東京電力から提供された情報が、最初から透明かつ再利用可能な形で公開されることが重要であることを示すものであった。東京電力の公表の仕方は、緊急時における悪しき事例である。

5000人のヤフーの社員のうち、7割がエンジニアであって、コンテンツメーカーではなかった。そのために、情報を提供する行政との協力関係を更に拡大すべく模索している。

インターネットを途切れさせてはならないとの至上命題の下で、サーバーを維持した。膨大なアクセスに対処して、アクセスの分散、海外サーバーとの連携などあらゆる手段を使った。東京電力や、日本赤十字のサイトがダウンしたが、特に東京電力は、原発の事故を抱えていただけに情報通信の重要性を認識していなかったことが、サイトダウンは大失態である。今後の対策が採られることが肝要で有り、その他の電力会社も似たように状況にあることが推測されるので、情報通信基盤の耐性について改善をおこなうことが喫緊の課題であろう。

ヤフーの場合は、キャッシュをすぐさま公開して、ミラーサーバーのような役割を担わせている。

地震発生直後からグーグルとヤフーの棲み分けがあったように見えたが、有事から2ヶ月間だけ続いた特殊な状況であったか。ヤフーは、被災地の写真を投稿してもらう「東日本大震災写真保存プロジェクト」を4月8日に立ち上げ、5月16日には、グーグルは、「未来へのキオク」という類似したプロジェクトを立ち上げている。グーグルは、キーワードを入力して情報を探すことに対して、ヤフーは一覧から情報を探すスタイルであるという違いがある。

震災に於いてインターネットは役に立ったかとの質問に対しては、全面的に役立ったとは言い切れない。

被災地では、殆どインターネットに繋がらない状況。情報へのアクセスは、携帯電話と紙媒体が中心。

敢えてやらないこともひとつの判断。緊急の線引きは実際には難しい。
インターネットなどの情報通信は、水道や電気と並ぶインフラになっているのか。アクセシビリティーの必要性については余り考慮されてこなかった。

● ツイッターの対応

一回あたりのデータが少ない。一部被災地でも使用できたのは、携帯電話対応が進んでいたからである。ツィッターの対処として、総務省消防庁と、NHK関連のアカウントを紹介した。デマやいたずらも横行した。(コスモ石油の火災で化学物質が漏れたとのデマもあった)

ツイッターの特徴は、「速報性」「簡便性」「伝搬性」「多様性」という4つの特質があり、リアルタイムで情報の拡散が行われ、少数ながら、被災地からもツイート。津波警報の呼びかけを行った地方自治体のツイッターのサイトもあった。つくば市で、毛布を募集したら,2時間で250枚集まった。

否定的なこともあった。総務省がデマの関係で、指導に乗り出す場面もあった。デマは、情報そのものが間違っている情報と、情報の正味期限が切れているという2種類がある。明らかな間違いの情報としては、例えば、「放射能対策に、うがい薬のヨウ素をのむと効く」というのもあった。

日本では非公式のリツィートが浸透しているために、独自ルールの問題がある。
ハッシュタグの混乱もあった。地震が、jisinとjishinとに分かれていたような例である。
そこで、ツイッターの日本法人の運営側が介入して整理をしたという。

ツイッターは、地震発生直後に極めて多数の人が参加して、つぶやいたために,この情報が、安否確認と震災の状況をいち早く伝える役割を担った。地震発生前後の携帯電話によるデータ通信のデータサイズとパケット数の変化を見ると,震災の瞬間からパケット数が飛躍的に伸びて、データサイズは、飛躍的に小さくなっていたことが確認されている。非常に短いメールや、ツイッターのつぶやきが安否確認に使われた証拠である。
ちなみに、ツイッターの利用者数は世界第二位である。アメリカが世界全体の半分のトラフックがあるとするが、大震災の時点で、日本人は、約15%を占めていたという。

●アマゾンの欲しいものリスト

アマゾンは、欲しいものリストの活用を検討が早くから行われていたが、物流機能の回復が行われるのを待って実行された。物流機能は、商品を届ける手段である。
その事例作りとして、陸前高田市の消防団の高田分断が求めている支援物資リストを入手しようとしたが、高田分団の或る地域は、ネットの接続はおろか、携帯電話も断続的にしか使えない状況であったから、リストの作成は、電話でひとつずつ確認して、これをツィッターで投稿した。

アマゾンは、ネット上の出店料を二年間無料にした。月額4900円である。

そのほか、震災情報サイトを緊急支援した。クラウド企業としてのアマゾンの動きは特筆される。海外現地法人の一社員が社長に直接メールして、サーバーを無料で提供することを決断したという。メディアへの露出は最小限にして、震災に乗じた宣伝だと誤解されないようにしたという広報の方針も注目される。支援表明は、ツイッターとアマゾンのアメリカの会社のウェブサイトに限った。

インフラだけを提供しても駄目だと分かった。
できるだけ多くの基幹のサイトを救うこととして、支援先は特別な制限を設けないと決めた。2週間で約70件の要請あり。

サーバーを、現在動いているサービスを停止せずにクラウドに移行しなければ成らないことは、技術的に困難であった。少しずつ、クラウドに負荷を逃していく技術が必要であった。

ミラーサーバーは設置しなかった。その理由は新しい情報が反映されるまで,どうしても時間がかかり、その遅れが、混乱や危険を招く恐れがあると判断して、例え要請があってもミラーサーバーは設置しなかった。

8月末までに、無償支援活動は終えた。

東日本大震災で、クラウドサーバーが災害に強いことを証明した。

それから、普段からの繋がりが大切であり、それがないとうまく動けないことが経験となった。人間とその共同体の力である。
タイガーチームとは、米国で、技術的な問題や危機に対処するチームに付ける名前である。

新自由主義の人間社会をアトム化する手法は、単なる災害利用の極端な惨害利用の醜悪は資本主義の極論でしかない。

●NHKの総合テレビをインターネットを通じて見えるようにしたことを許諾した。

Ustreamと、ニコニコ動画、そして、ヤフージャパンでも同時配信。3月25日まで継続した。特に、Ustreamは15分後にNHKから許諾を採っただけではなく、13社のテレビラジオが配信した。

テレビの報道をテレビ以外の機械でみたいと考えた人が多かった。総アクセスの26%が海外からのアクセスであり、国内に住む外国人には、NHKワールドテレビを同時配信でみた者も多数いたようだ。

広島の中学生が、NHKの放送をUstreamでテレビ映像を流して、テレビが見えないところでもパソコンや携帯電話で情報を得ることができることにすることを実行したという。もちろん、通常であれば規制の対象となるが、その中学生は迅速にNHKに問い合わせをして合法化をめざし、しかも、NHKの社員はメールで許可をあたえたうえに、公式のアカウントでこのアドレスを周知したという。「停電の為、テレビがご覧になれない地域があります。人命に関わることですから、少しでも情報が届く手段があるのでしたら、活用して頂きたく存じます(ただ、これは私の独断ですので、あとで責任はとるつもりです)」と書いてあった由である。とがめられることなく一件落着した由であるが、当然のことであるが、こうした緊急時の手順が確立されなければならない。ラジオ放送局もインターネット上で、ラジオを聴けるように実験を行っていたが、大地震への対応として、この地域制限を一時的になくして、携帯電話などで、ラジオを聴けるようにした。

●陸前高田市は、壊滅的な被害を受けたが、被災証明の発行は迅速に行われた。その理由は、衛星写真や、航空写真で、被災状況を画像で詳しく把握することができたことから、この情報を下に被災証明を発行している。登記や戸籍を含め、行政が持っていた情報は津波で跡形もなく流されてしまった状況の中でのことで有り、行政情報がオンライン化、デジタル化されてその保管が別の安全な場所で電子的に行われていれば回避されていた可能性を示唆している。もちろん、コンピュータが水没してしまった事例もあった。その場合には、クラウド化などが有効であるが、霞ヶ関や、地方行政のクラウド化などが急がれることが明らかになった。データフォーマットが共用できずに、新しい情報を生み出すことが困難であった事例も報告されている。例外もあるが、基本は、「データは原則としてインターネット上で公開されなければならず、かつそれは加工や再利用が可能な様式でなければならない。」それで、透明化が図られることは、大震災で得た大きな教訓である。

日本の携帯電話は、位置情報を殆どの機種で取得できるように鳴っている状況は特筆されなければならない。米国の連邦通信委員会は、2004年にE911政策と名付けた政策があるが、これは、携帯電話と位置情報を結びつけて、緊急の電話番号である911をダイヤルしたときに、発信の位置がわかるようにするとの仕組みを作る政策である。日本でも、この必要性が検討されて、2006年に総務省令が改正され、2007年から、実際に緊急通報位置通知が導入された。米国では普及が遅れたが、日本では急速に普及した状況があり、昨年三月の地震発生時には、日本のほぼ全ての携帯電話に、GPSのチップが搭載されていた状況があった。その理由は、GPSの半導体部品が急速に日本で普及して安価になったからである。
さらに、携帯電話の機能の高度化について、画期的なことは、蓄電池技術の進展である。
携帯電話のバッテリーを充電することは日常生活の習慣ともなったが、長寿命化が進み、一回の充電で二日間程度利用できることが可能となり、これが、大震災時にライフラインとしての重要な役割を発揮する原動力となった。
●最近まで、NHKの会長の職にあった福地茂雄氏が、電力供給が途絶したときにNHKがどのような対策をしているのかを産経新聞紙上で明らかにしている。東京渋谷の放送センターには、五台の自家発電機があり、屋上に一台、一回に三台、地下に一台設置されている。同じフロアにあることを回避しているのは正解であるとしている。甲府の放送局では、局舎の建て替えが行われたが、自家発電機は、旧局舎では一階にあったが、新局舎では、最上階に設置してあるという。また、渋谷の放送センターでは、発電機を積んだトラックと送信設備の或る車とが一台は必ず外に出ているから,アマン①,社屋がつぶれても安心だとしている。更に、地震の備えとして、東海、東南海、南海の大地震が同時に発生することも想定していることに言及して、「従来は大阪放送局が東京の代替機能を持っていたが、NHKは現在の会長の下で、三つ目の拠点を福岡放送局に準備して,リスクを軽減しているとしている。そひて、結語として、「想定外を想定することは,未経験のことを想定することである。危機管理の問題だけではなく、前例のないことに挑むという,ポジティブな見方もして行くべきだろう。「想定外」を想定することは根気が要るが,誰かがどこかで考えなくてはならない。それを怠ったとき、代償は計り知れないということを,私たちは肝に銘じなければならない」と述べている。蓋し、名言である。

以上、ご参考まで。

Info-communications in crisis

東北大震災の際の情報通信の運用状況について、何かの参考になるかと思ってメモしておいたものである。本格的に検討したものではないので、あくまでもご参考まで。長いので、二分割する。

平成23年(2011年)は、アナログの地上テレビ放送が停波して、テレビ放送の電波がデジタル方式に変更するという画期的な年となるはずであった。日本が、明治以来営々として電気通信のインフラを整備してきたが、非西欧の国家として、初めて自動電話の全国普及に成功して、それに加えて、携帯電話の全国普及にも成功した。一方ではインターネットのインフラについても整備を進め、世界のトップクラスの情報通信基盤を備えた国家と変貌していた。携帯電話に至っては、国民の総人口を超える普及となっており、従前の固定電話を越えてインフラ化したことが考えられる状況となった

1995年に発生した阪神大震災の際には、インターネットはまだ

一般的にはなかった。グローバルな基盤として、大学や一部の大企業で利用が開始されたころであった。(筆者は、学術情報センターと接続するインターネットを使った経験を持つが、ユニックスのコマンドでチャットを行い、将来自分の子供たちと外国の遠隔地などから、通信が行える時代になることを想像したが、現在ではその夢が容易に達成されたことを実感している。当時のコンピュータは、表示部の液晶が一列の棒状であり、電光掲示板のように、アルファベットの文字が右から左に流れた。)米国のマイクロソフト社がウィンドウズ95を発売したのこの頃で、IBM社から、そのウィンドウズが動く卓上型のコンピュータであるAptivaが発売されたりした頃であった。その年の流行語大賞にインターネットという言葉が加わっている。ホワイトハウスでの記者会見が卓上のインターネットで読むことができると、知人の高名の国際政治評論家を自宅に招いて,実演して見せた経験がある。
阪神大震災の救援部隊の指揮を経験したが、携帯電話を装備している者と層でそうでない者とが斑模様になっており、しかも、携帯電話は一部の指揮官が保有する機器にとどまった。

日本における情報通信基盤の整備が頂点に達した時期、つまり、アナログテレビが廃止される直前に、東北地方での大地震と福島第一原発の大事故が発生したことになる。つまり、インターネットや、携帯電話の圧倒的に普及した社会を前提とした大規模な災害は、世界の中でも類例を見いだすことができない。安否確認、災害復旧、など、様々な情報の、しかも地域社会などの小規模な空間にとどまらず、全地球的な情報の流通と展開を含めて、災害発生直後から、情報通信の役割と機能が、その利害得失があるにせよ、大いに発揮された。今回の大災害では、安否確認の方法がインターネットを駆使する新しい方法が広範に採用されたことは注目に値する。グーグルのパーソンファインダーや、ツイッターのつぶやきが有効に機能したが、その例である。

筆者は、大地震に東京赤坂の溜池の交差点近辺で遭遇したが、ビルに逃げ込んで,揺れが収まった直後に,同じく上階から慌ただしく降りてきた米国人とおぼしき外国人に向かって、本国の家族に直ちに電話をするように忠言した。その後、夕刻までは、千代田区の知人の会社に避難して、携帯電話を通じて、なんとか家族と連絡が出来た。

その後、宮城県の女川と石巻に居住する二人の知人の消息を求めて、グーグルが開設したパーソンファインダーを安否確認の為に使用したが、翌日には二人の消息を確認できたことが印象的に残る。

9.11事件の時に、グーグル社のパーソンファインダーに似たシステムを総務省の通信総合研究所の専門家が開発して設置して、日本の在ニューヨークの邦銀関係者から感謝されたことを思い出したが、今回は、米国企業のグーグル社がインターネット上でのデータベースを設置して、60万件に及ぶ安否確認の為の情報システムを設置した。

こうした安否情報の確認のシステムは、携帯電話会社なども運営したものがあったが、グローバルな環境の中での発動は画期的なものであった。反面、公的な役割を担うはずの日本政府の関係機関などからの提案はなく、外国企業の主導で行われた。幸いにして特段の問題が発生しなかったばかりではなく、外国企業で会ったにもかかわらず、グーグル社の関係者が誠実に緊急事態での対応を行ったことは賞賛されるが、国内の公共的役割をはたすはずの機関が、情報通信基盤を活用できなかった事態は、今後の課題として対処すべきであり、万一次回に災害が発生する際には、グーグル社という私企業のパーソンファインダーの機能を圧倒するような安否情報システムを稼働させて、公共機関である政府や自治体の責務として名誉挽回を計ることが期待される。

また、情報通信を巡る制度上の制約についても,緊急事態の中で次々と弾力的で現実的な対応が行われたが、こうした有事の情報通信のあり方についての、危機管理としての対応が従来の行政機関には,決定的に欠けていたことが明らかになったことは、残念なことである。消防団は、250人を越える団員が、献身的に堤防を閉鎖に赴き、津波に襲われて殉職する事態が発生している。現場に赴いた消防団員との連絡は、決定的に途絶したといわれており、トランシーバーが数台あっただけだったとの指摘が行われたことであり、的確な津波の波高の情報は、現場の消防団員に決して伝わることはなかった。

米国で気象情報と災害情報を提供する放送局が国営で運営されているのは皮肉な話で、日本では、構造改革論に基づいた民営化論が猖獗を極めており、そうして公的な情報通信網は不要だとする極端な市場原理礼賛の考え方が一世を風靡して、結局は裏目となった。防災対策の予算が、削減されていたことも、決定的な要因であったと指摘する消防庁のOBの意見がある。

大震災を通じて、高度な情報通信基盤こそが、安全な社会の基盤で有り、災害予知、復旧の最も大切な基盤であることが改めて認識されたことは、不幸中の幸いといわなければならない。

まずは、効果的でかつ迅速な貢献をすることとなった、グーグル日本法人の動きを観察してみたい。

●グーグルの72時間

日本法人の川島優志、三浦健、村井説人氏の証言をもとに記録が行われ、「IT時代の震災と核被害」(インプレスジャパン刊)の冒頭にまとめられているので、その重要な部分を抜き出しながら、コメントを加えることにする。

グーグルの消息情報検索ツール「パーソンファインダー」は、震災発生後二時間弱で提供された。迅速な対応ぶりである。筆者は、地震発生後、皇居前広場から、竹橋のKKR会館で会合予定があり、そこで、時間を費やし、その後、知人の会社に避難して、夕方七時頃徒歩での帰宅を決断して、夜中の十時頃に世田谷区の自宅に帰着した。

グーグル日本法人の担当は、六本木ヒルズ森タワー26階にあった。揺れ方が大きい割には、キャビネットが倒れるようなことはなかったという。後述するが、こうした危機管理に係わる担当部署が、高層ビルの高層階にあることは、問題である。ヤフーの場合には、六本木のミッドタウンの高層ビルに入居しており、同じように、全館から地上に退避命令が出たために、もとのオフィスに戻るのに時間がかかっている。グーグル社の場合には、担当の三浦氏は26階に残ったというが、その判断は、阪神大震災に遭遇した経験があったために、余裕の或る判断ができた可能性が高い。三浦氏は38歳である。初期情報の収集と外部との連絡を始めるが、通信の途絶えもなかったことが幸いであった。

首都東京の通信機能が、残ったことは僥倖であったが、もし東京の通信機能が破壊された場合に、その支援を行う機能が,日本国内のどこかにバックアップのために設置されることが必要である。その昔、国際電信電話会社のKDDは、新宿の本社に加え、栃木県の小山に、東京の支援機能を持った施設を運営していたが、東京のバックアップを行得る機能を有する施設や場所が、設定されることが必要である。さて、グーグルの本社は、サンフランシスコ郊外のシリコンバレーにあり、東北大地震が発生したときは、アメリカ西海岸時刻3月10日午後9時46分であった。

●災害発生時の活動方針

巨大地震の発生の報を受けて動き始めて、危機対策チームの本部が設定されている。グーグル社は、2008年5月のミャンマーにおけるサイクロン被害を手始めに世界各地の大規模災害を対象として経験を重ねてきており、パーソンファインダーは、2010年のハイチでの地震が契機となっている。ただ、ハイチでの地震の対応は,アメリカで行われたために、今回の日本での大震災の対応とは異なり、現地との距離感が見られたという。つまり、危機管理の対策本部は、現場とある程度緊密に連絡が取れる可能性がある場所が大切であり、災害の全体像を監督指揮する場所はより遠隔の地にあっても差し支えないことが分かる。

「パーソンファインダー」とは、肉親や知人、あるいは被災者・救援者間で安否確認を行うための消息情報検索ツールである。このツールにアクセスすれば、被災者の消息情報を検索したり、被災者側から自らの消息情報を入力することもできる。パーソンファインダーは、グーグル社では、危機対策チームが災害発生時に最も起動を急ぐツールであると位置づけ、最初に稼働したハイチ地震以降、チリ、中国青海、ニュージーランドのクライストチャーチ地震などで稼働した実績があった。

危機対策チームには明文化した活動方針があるのも特徴である。それは、www.google.org/crisisrespoonse/about.htmlに掲載されている

明文化された活動方針を共有していて、さらに実績があったことが、現実の要素を加えて、柔軟に迅速に対応できた理由の一つであるとする。

●何と1時間時間46分でパーソンファインダーを公開している。

地震発生後1時間が経って、階段を使って26階の職場に戻ってきたが、殆ど全員が息切れしていた。窓の外には、地震発生時には窓掃除のためのゴンドラが窓の外に見えたが、それは巻き上げられていたという。窓から南東方向にはお台場があるが、葛西の方向から、灰色の煙が見えたという。つまり、高層階での危機管理対応は、全館退避の場合に、職場に戻るときの時間的なロスがある。周辺の状況を観察するためには、展望台の役割になって便利であるが、双眼鏡などを使ったとの話はないので、優位性はなく、全館退避の時間的なロスを考えれば、緊急対策のチームは,低層階に位置した方が良い。

パーソンファインダーは、欧米圏と中国語圏との対応はあったが、日本語対応ができていなかったために、先行した米国の危機対策チームは、まず日本語化に着手している。

危機に際して、時間的に早いリリースを優先している。すなわち、拙速を優先した。

地震発生後、約90分で、米国チームから立ち上げようかとの声がかかり、日本法人側も後で修正作業を行うことで同意した。日本時間の16時32分、日本語仕様のパーソンファインダーが公開された。

このときに、グーグルは、人工衛星による被災地写真の収録も始めている。衛星情報業の大手である、Geoeye社と提携している。さて、日本政府も偵察衛星からの人工衛星の写真情報をもっていたはずであるが、こうしたインターネットとの連携が図られたとの話は残念ながら聞かない。人工衛星の軍事的な利用と、こうした災害時の利用の区分や利用方法の手順などが平時から検討されておく必要がある。

さらに、9時間後には、パーソンファインダーは、携帯電話からアクセスできるように改良されて公開された。これは、日本における携帯電話の普及状況をみて、踏み切った措置である。固定回線によるインターネットへのアクセスもあるが、日本では携帯電話を通じてインターネットを利用する仕方が大いに普及しているからで、携帯電話によるネット利用による安否確認の有用性がいかんなく発揮された。

携帯電話は、ユニバーサルサービスとは定義されていないが、ユニバーサルサービスの規制としては、固定電話で110番や119番などの緊急通信を国民への普遍的なサービスとすることが定められており、予備電源の整備など、災害に対する耐性などが定められているが、携帯電話の基地局でも、固定電話の規制に準じて、三時間以上の非常時電源装置が、基地局に設置されていた事例が多くあった。都市部では、24時間以上運転可能な非常電源が備えていた基地局も多数あった。

固定電話は、給電という電話局からの電源供給が機能しない状況になっており、つまり、停電になっても電話がかけられるという機能は、殆ど失われた状況にあったが、一方で、携帯電話の方が、バッテリーの寿命ののびがあり、基地局が先述のように三時間以上の非常電源をもっていたので、固定電話のインフラから、携帯電話のインフラの重要性への大きく転換したことをも観察することができる

更には、携帯電話が音声の通信にとどまらずに、インターネットなどのデータ通信の媒体となったことで或る。日本では、3Gと呼ばれる高速通信を可能とするデジタル通信方式が広範に導入され、整備を完了していた。

大震災で、もちろん、情報通信の量の総量が規制されたが、そのなかで、音声は、呼数の制限となり、データ通信は遅れとなった。通信会社によっては、音声通信を極度に制限して、データ通信に振り向けたという噂があり、電気通信の法制度に違反する可能性があるとの指摘もなされたが、音声とデータとの比率をどうするか、あるいは緊急事態における適正な比率については、今後の検討課題である。音声通話では、電話番号で管理されているために,必要な通話を僅かな回線として優先的に割り当てることができるために、その優先度の判断が重要であるが、その判断を放棄して、データを優先することの意味あいが未だに決定的に説得力があるとは考えられないが、今後の慎重な検討が必要で有り、電気通信の強制力をもつ法体系の中では、一定の線引きが必要であることは論を待たない。

グーグル社の緊急時の対応の最初の24時間は、川島氏が中心的な存在となり、その後や、三浦氏とプロダクトマネージャーのブラッド・エリス氏がが、その役割を引き継いだという。川島氏は、日米欧のスタッフを効率よく稼働させることに力を注いで、外国にある対策本部との調整に努力した。グローバル化した企業活動においては,こうした役割を果たす人材が貴重である。

オフィスに畳と炬燵を持ち込んでいたとされるが、その「炬燵のまわりにどういうわけか、人がいちばん集まった」と、川島氏はは振り返っている。近代的な高層ビルの事務所に畳と炬燵を持ち込んでいたとは意外な話であるが、こうした日本的な環境を持たせることが、危機管理の緊急事態に臨む場合に、環境作りのひとつとして作用したものと思われる。こたつは、殆ど電気を通電はしていなかったが、交流の場、時には雀卓としても使われたというが、この事例は、むしろ日本の企業が学ぶべきことで、外資企業に日本の炬燵いう団らんの場所が実際に作られていたことは注目に値する。日本の大企業の危機管理センターに、炬燵とと畳が配備されている事例があるだろうか。

●海外からの緊急援助隊に地図情報を提供

村井説人氏(37歳)は沖縄に出張中であったが、震災発生から半日後に米国本社から連絡があった。オフラインでも地図データを使えるようにして、緊急救助隊のパソコンに提供する必要があったために、地図の業者のゼンリンや、国際航業から得ている権利はオンライン使用権だけであったので、別途許諾を得なければならなかった。村井は、緊急処置としての諒解を取り付けている。13日の昼には、空席待ちの飛行機に乗って、東京の自宅に戻った。東京の自宅からビデオチャットなどを利用して、米国本社や日本法人の会議に参加し続けた。いずれにしても、沖縄と米国本土の通信回線は維持されており、また、東京の自宅と米国本社や、日本国内の電話会議などが確保されていたことは僥倖であった。再三繰り返すのであるが、東京が被災したときに、どこで、その代替措置を担当するかが、予め決められておく必要がある。

米国の本社から、沖縄にいる村井氏に連絡があったことが象徴的であるが、国際通信面で、海底ケーブルのインフラがどのような状況にあったかを概観してみたい。

国際海底ケーブルは、千葉県や茨城県の海岸に集中していたが、太平洋北部を横断する最短距離の海底ケーブルは、震源地近くの海底を通過していたこともあり、ほぼ切断された。三重県などに陸揚げされるケーブルなど、太平洋の南部を通過するケーブルは、無事であった。台湾付近のケーブルも地震に夜リスクが高いとされるが、今回も、余震により切断されている。日本に陸揚げされる海底ケーブルは、米国に取って死活的なインフラである指摘していることが、ウィキリークスの漏洩によって明らかになっているが、特に中国との中継する情報通信回線にも大きな影響が出ている。インターネットの利用者は、殆ど、海底ケーブルが切断されても、表面的な影響は見られなかったが、これは、通信事業体同士の互助と、通信トラフィックの調整が行われたためである。一方、国際金融の関係企業などは、大容量の通信を使用するが、調整できずに、東京から関西方面に移設したり、外国に本拠を移設することしか方法がなかった事象も見られたのは残念なことである。

海底ケーブルは、いよいよ世界を接続する日本の死活的なインフラ施設となっている現実が明らかになった。日本の海底ケーブルの信頼性確保と多様化については、日本の安全保障の観点からも再検討を計り、敷設を推進するための投資を積極的に行うことが必要である。日本としては、今後、ヨーロッパとの大容量の通信を確保する為に、北極海経由の海底ケーブルや、中南米との直通海底ケーブルなどの敷設を検討する時期に立ち至ったものと考える。

●被害者情報をパーソンファインダーに統合

被災者自身がパーソンファインダーに入力できるか疑問で、グーグル社が設置した直後の名簿データは3000人で低迷した。そのために、避難所で作成した名簿を携帯電話のカメラで写して、画像データとして受け取る案が浮上した。名簿写真を、グーグルのウェブアルバムに送信してもらう案が浮上した。避難所名簿サービスと名付けて、名簿の文字情報を読み取って、パーソンファインダーに入力して検索可能な状態にする手順である。

村井氏は、連絡先のリストをつくり、電話で7つの県に依頼した。被災地の県警にも安否情報の提供を求めた。後日、警察庁に窓口が一本化されて、警察庁を通じて一元的に受け取ることができるようになった。

募集を開始すると、続々と名簿写真が届き始めた。

●ボランティアに協力を求める

名簿写真の名前をOCRで自動的に読み取ることを検討したが、手書きの名簿がほとんどで、自動的に読み取ることには無理があった。有志をつのり目視で読み取る方法を選んだ。
2重3重のチェックをして、パーソンファインダーに取り込んでいく、集中力のいる作業となった。毎日1,000枚を超える名簿写真は、社内の200名の有志でも処理できなかったので、登録進捗率は、40%と低迷していた。3月17日に、外部のボランティアを募集に踏み切る。「外部のボランティアを信じましょう」との方針の下に決断している。

たった1日で、進捗率は90%に向上。5000人以上のボランティアが参加した。2011年四月下旬の時点で、パーソンファインダーには、67万人のデータが登録された。比較的初期の14万人以上のデータは、ボランティアによって登録されたものである。

●外部メディアからの情報が合流する。

3月13日深夜から14日未明にかけて、グーグル社はNHKに連絡して、NHKは16日に安否情報をグーグルに提供する決断をした。判断に二日間かかったことの背景については,十分な検証が行われることが期待される。 

グーグル社は,次々と外部メディアの情報との統合を図り、そのほか、14日には、宮城県と岩手県の安否情報と連携、17日は、携帯電話各社の災害用伝言版と連携、22日は、朝日新聞、警察庁の消息情報と連携した。24日には、福島県の安否情報、30日には、毎日新聞朝刊の希望新聞と連携した。とくに22日の朝日新聞から提供された約8万3千人に上る安否情報には、記者が被災地を歩いて収集して来た消息情報も含まれていた。

今回のパーソンファインダーで、登録された件数は、67万件であると前述したが、チリ地震の時は,7万7千件、ハイチ地震が5万五千件だから、ざっと10倍の登録数であった。

グーグル日本法人は比較的に被災地の東北と近い東京にあったことは、言語と文化を理解できるなど有利な僥倖であったが、大地震が東京を直撃していたら、グーグル日本法人が動けなくなったことは明白で、首都東京が被災したときに、どこでだれが、東京以外の場所で、指揮をとる役割を果たすのかとの問題が新たに浮上している

日本はインターネットが普及している国である。携帯電話のカメラで名簿写真を撮るといったことは、おそらく世界の中で日本でしか実現できない方法であったが、迅速に実行に移した。

被災地側からすれば、高齢者が、携帯電話でで写真を撮ったりすることができなかったし、ネットアクセスを殆どできないという問題が残った。新聞の回し読みや、テレビを見ることが中心の情報収集であったこと、避難所ではない個人宅ではなお情報が伝わらなかったとの現実が指摘されている。

日本経済新聞社は、一部の紙面をPDFファイルにして、通信が可能な東北地方の販売店に送信して、それを印刷して掲示板に掲示するように働きかけたという。

もともと東北地方はインターネット普及率が低かった。「PC版だけでなく、携帯版とか一生懸命やったんだけど、やはり被災県からのアクセスよりも東京からのアクセスが多かったのは事実。次に災害があったときに、どういうアプローチならいいのかということは今後の課題」とされる。

グーグル社のデータベースに登録された67万件は、被災者情報の登録だけではなく、家族や友人を探しているとの登録も一定割合で含まれている。3月22日付けでは、総登録者数40万人の内、半数は、家族や友人を探しているという登録であった。初期段階でも被災者情報を充実させることは、検討課題である。一度は見つかったのが、同姓同名の人違いだったという複数の報告がある。

さて、同姓同名や二重登録の混乱の可能性については、想定されていた。緊急事態であるから、断片の情報でも伝えることが重要だったとの判断を行ったことは、妥当な判断であった。

名簿情報をパーソンファインダーに統合・公開するなかで、個人情報をどのように保護尊重するかと議論したが、緊急性を優先すべきだとの判断をしている。いわゆる完璧主義は採用していない。

個人データについては、一定期間経過後に消去して、インデックスにも残さないことをグーグルは表明している。パーソンファインダーは、緊急時用の統合データベースとしての位置づけである。

グーグルは、震災特設サイトを3時間後に開設している。「ウェブ上の新聞の号外のようなもの」であるとしている。

地震発生後72時間以内に、グーグルが提供したツール類、あるいは公開した情報は、時系列で並べると次のとおり。

① 3月11日午後四時頃
地震発生後2時間弱で、パーソンファインダーを提供。
午後11時五十分頃には携帯電話に対応。

②.3月11日午後5時頃
3時間弱で「震災特設サイト」を開設(グーグル・クライシスレスポンス)

③ 3月11日午後10時頃
YouTubeで、TBSが放映するニュースをリアルタイムで世界中に配信。日米欧のエンジニアが対応。初めてのこころみ。18日には、被災者の動画メッセージを集めた「YouTube消息情報チャンネル」を開始。最終的に,650名以上の安否情報を含む動画350本以上を公開。

④ 3月12日午前1時三十分頃
非難所情報公開。自治体ホームページなどから、避難所情報を収集。グーグルマップ上に展開して公開。(17日 毎日新聞社が提供するデータを統合)

⑤ 3月12日午後8時15分頃
原発関連情報として、震災特設サイトに,原子力安全・保安院ホームページへのリンク。
福島第一原発避難範囲(地図に追加)/原発、発電所に関連したニュース、リアルタイム検索の結果も表示。

⑥ 3月13日正午頃
被災地の衛星写真公開。画像提供で提携しているGeoEye社の人工衛星が撮影した最新の被災地の衛星写真を公開した。後日更新した。

⑦ 3月13日午後5時頃
募金受付の開始

⑧ 3月14日午前2時頃
避難所名簿共有サービス開始。避難所に名簿写真の送信を呼びかける。名簿情報は目視でパーソンファインダーに入力。

⑨ 3月14日午後5時頃
自動車・通行実績情報マップ提供
ホンダ技研工業・パイオニアからの情報提供に基づき,グーグルマップ上に展開。前日に通行実績の或る道路を,ホンダが24時間毎に更新して、その情報をグーグル側でも更新。トヨタ、日産からの情報提供も受けて,表示地域を拡大して制度を向上させた。

従前から、プローブ情報システムという分野の研究開発は日本では進展しており、カーナビを搭載している車がどの道を通っているかという情報を、自動車メーカーやカーナビメーカーがリアルタイムに集める仕組みがあったが、この公開は個人情報を含むために公表が憚られてきたが、大震災のさなかで、この情報を公開することで、通行可能な道路の情報が明らかとなって、被災地への物資の運搬の円滑化などが図られた。

どんな単語の検索が急上昇しているのか、原発と輪番停電に対する関心が殆どであったとされる。輪番停電は突然発表されたために、その情報に対するアクセス集中がおこり、東京電力のホームページは,完全に破綻した。この点も東京電力という会社の情報通信に対する危機管理の基本的に知識と経験の欠如を想像させる例である。放射線の測定値の発表についても、文部科学省での発表にアクセスが集中した。

アクセス集中の問題については、具体的には、クラウドやCDNといった技術を使って、アクセスを分散させた。新しい情報の発表が強い影響を与えるときには、必ずアクセスの集中がおきるので、集中を回避する予防的な方策を採ることが重要であることが明らかになった。

グーグル社は、放射線は、計測の仕方や、機器の性能によって数値が異なる、風向きも予想しきれないから、複数意見を経ない情報を公表し続けると、人々を不安に陥れるので、未確認の放射能情報を漫然と流すことはせずに、行政が発表する一次情報と放射線の基礎知識への誘導に留めた。

「信頼出来る情報なのか,不安に陥れる情報では無いのかというユーザー目線で、考えた。どんな情報が求められているのか、どんな情報を出せば混乱しないで済むのか、緊急事態でどれだけ時間を無駄にしないで済むのか、本当に有益な情報は何なのか。整理されていない情報、未確認の情報を氾濫させると、被災者や救援者が,本当に必要とする情報にたどり着けないと言う状況を引き起こす」と優れた判断を行っている。

「必要のないものは徹底的にそぎ落とす。素っ気ないくらいにシンプルにする。」との対象方針だったという。

グーグル社では、救援物資のマッチングシステムを作ったらどうかとの提案が14日にあったが、その提案には待ったをかけている。三浦氏は、神戸大学在籍中に阪神大震災に遭遇した経験があり、ボランティアの善意の活動が時に被災者の反感を買う可能性があることを知っていたし、ボランティアが何度も同じ質問をして、必要物資のヒアリングを行うことなどがあったことを知っていたし、14日の時点では、陸海空の運送の動脈はまだ麻痺したままだった。

ともあれ、グーグル社は、迅速な決断を行った。稟議書等はなかった。数分協議して結論を出して前に進む方式をとった。若いメンバーでも,極度の緊張を強いられると相当に参っている。被害現場では,72時間を過ぎると生存率が下がることは、頭では分かっているが、グーグル社の緊急対策チームの指導者に阪神大震災時の経験者がいたためにリアリティーが違った。

グーグル社は、英語で読めるサイトもつくり、英語圏からのアクセスも相当数に登ったが、具体的なアクセス数は公表していない。

グーグル社の日本における検索エンジンのシェアは、90%でほぼ独占に近い状況にある。マイクロソフトや楽天の強い反対にもかかわらず、公正取引委員会はこれを許可している。寡占状況であるから、私企業とはいえ、そのまま公共性に繋がる。既に、株式の時価総額は、インテルやトヨタ、コカコーラを抜いており、13兆4560億円の超大企業で有り、グーグルは社会的責任を逃れることはできないという認識が共有されている。
日本の大企業などでは、そうした公共性にも続く社会的責任の意識が、構造改革論などの政治経済の風潮の中で,むしろ希薄化していた現実があったのではないだろうか。

The Revolt of the Bureaucaracies 5

中野剛志著「官僚の反逆」の第四章は、反逆の真相と題して、日本の官僚制についての誤解を提示する。そもそも、日本の政治は官主導ではなかったことを指摘して、通俗の観念を覆している。日本が他の先進国に比べて、大きな政府であるとか、権限が強力であるとする批判もまた誤解に基づくものであることを明らかにしている。日本が中央集権的で地方分権が進んでいないという観念も単に通俗的なもので、否定されるべきであることを指摘している。

日本の官僚は、行政を政治の一部と考えて,政治のただ中に積極的に入り、様々な利害調整の過程を経て、公益を実現しようと活発に活動していた。こうした官僚のタイプを,政治的官僚と呼んでいる。官尊民卑の傾向にあり、傲然とした国士型官僚も曽てはいたが、それもせいぜい五〇年代から六〇年代のことであった、七十年代には、ほとんどなくなっていた。政治的官僚は、政官スクラム型りーだーしっぷのなかにあって、政治家や利権集団との間の調整や人脈作りに膨大な時間と労力を費やしていたのである。政官スクラム型のリーダーシップは厳然たる政治主導であった。しかし、政官スクラム型の政官の関係は、2000年以前に崩壊したとの見方を紹介している。グローバル化とは、全般的な非政治化・官僚制化である。吏員型の官僚が台頭してきたという。

小泉内閣の官僚操縦についても述べられている。「実際,小泉政権は官僚機構と対立するのではなく、むしろ官僚を巧みに操縦したことが知られている。例えば、2004年に設けられた内閣官房郵政民営化準備室では、室長には前農林水産事務次官、副室長には、前総務審議官及び前金融庁長官が任命され,準備室審議官には財務省関東財務局長が起用された。小泉政権における内閣官房への各省官僚の登用は顕著であり、政権発足当時は100人程度であったのが、政権末期には700人規模までふくれあがっていた。小泉首相の主席秘書官であった飯島勲は,官邸に集めた官僚には人事で報いることで操縦したと述べている。「官邸に行けば昇進が早まる」と言うことで、官僚達はこぞって官邸を目指し、率先して小泉政権の方針に従うようになったというのである。」と書いた上で、「それが本当のあるべき行政の姿と言えるのだろうか」との深刻な問いを投げつけている。ウェーバー的な吏員型の官僚の目の前に出世の機会という餌をぶら下げ、しゃにむに働かせたと言うに過ぎないのではないのか、と。

小泉改革とは、官僚制による政治の破壊であった。

官僚の無責任化は、制度の問題と言うよりは、吏員型化した官僚の精神の問題であるとする。吏員型官僚は、丸山真男や辻清明の教えにしたがって、日本に残る前近代的な社会的な拘束を撤廃して、近代化を干瀬一世手、自由な主体にと解放することを指名とした。近代主義にアメリカから輸入した新自由主義のイデオロギーがなじんだ。

吏員型の官僚は、官僚制化の徹底する改革に邁進した。農村共同体というゲマインシャフトを破壊して、農業生産の効率化と言う官僚制化を実現するためには、外圧を使ってもよいと悪びれもせず、公言するに至ったが、それが、官僚の反逆の真相である。

最終章は、政治主導を目指してと題しているが、どうしたら政治主導を実現できるのかと絶望的な状況であることを認識しながら、

「この世の中というものは、自分が世のためにささげようとおもっていることにくらべ、余りに愚かしく低俗だと自分なりの立場からかんがえるようなときでも、それにくじけないで、鈍なことに直面しようとも、「それにもかかわらず!」といえる確信のある人間、そういう人間だけが,政治を「天職」とすることができるのである」、と、マックス・ウェーバーの言葉を最後に引用にしている。(おわり)

The Revolt of the Bureaucracies 4

中野剛志著「官僚の反逆」の第三章は、グローバルな統治能力の危機と題して、統治能力の危機が、民主主義の節度を与えることによって、解決することにはならず、新自由主義というイデオロギー、つまり経済の領域から政治を排除するという戦略が採用されることとなったことを説明している。新自由主義と官僚制とが結託して、民主政治が破壊されたとして、その例として、韓国とペルーとの構造改革をあげている。その結果が無残なものであったことを数字をあげてせつめいしているので、当方ブログの読者は、124頁を熟読されることをおすすめする。ナオミクラインのショックドクトリンの解説も行われている。日本においても、非政治化という、新自由主義の政策手法が採用されたことを実例を挙げて、解説している。ヨーロッパの官僚支配についても詳述する。

リーマンショックやユーロの危機があって、統治能力の危機を克服するために自由民主の政治を官僚制的な支配に代えようとした新自由主義のプロジェクトは完全な失敗に終わった。(つづく)

The Revolt of the Bureaucracies 3

中野剛志著「官僚の反逆」の第二章は、官僚制化する世界と題して、小節を、マクドナルド化、グローバル化とは官僚制化、マクドナルド化は非人間化でもある、国際機関によるグローバル化、国際機関の官僚制化、経済額の官僚制化、主流は経済学は科学ではない、反ケインズ革命の意味、異様な経済モデル、歪んだ実証経済学、画一性を好むアメリカ、大学の官僚制化、専門家こそが大衆的人間、経済政策の官僚制化、経済学の危機、ケインズ復活の意味、と見出しがつけられている。

構造改革論者が、官から民へをスローガンに行政の役割を制限したり、規制緩和や自由化によって市場の領域を広げたり、あるいは大企業組織を解体したりしても、疎ピーアール絵は官僚化現象を交代することにはならない。むしろ市場の拡大は、官僚制化を強化する事に他ならない。構造改革は、経済社会全般の官僚制化を促進する。看板には偽りがある。

国際機関の政策要求は、激しい通貨危機に見舞われ、社会や政治体制の崩壊をもたらしたが、原因がワシントンコンセンサスにあったとする。国際機関のエコノミストの思考と行動パターンが、マクドナルド化=官僚制化の症状が顕著にあらわれたとする。主流派の数学的な定式化も科学ではなく官僚制化の特徴を示している。統計データと事実とは同じではないとも指摘している。

アメリカの経済学の大学院は、まるでマクドナルドのハンバーガーのように、定型化されたプロセスを経て、経済学博士を量産しているし、博士号は既得権益であり、経済学産業という一大産業になっていると指摘している。

エコノミストこそが、歴史を初めとする教養を侮蔑する「専門人」の典型である。専門家こそが、自らの愚かな判断に満足している慢心した坊ちゃん、のことである。

経済運営は、官僚的ではなく、政治的でなければならない。政治的な対立や妥協がなく、不確実性のない統治体制とは、自由なき官僚制的支配に他ならない。(つづく)

The Revolt of the Bureaucracies 2

中野剛志著「官僚の反逆」の第一章は、虚妄の行政改革と題している。

まず、官僚とは何かを、マックス・ウェーバーの論文を議論の出発点として定める。行政組織ばかりではなく、私企業の官僚制的な組織を含めて、官僚制現象について考察する。最も純粋な官僚は,自動化されたマシーンのようなものであるとする、官僚制現象の特徴を,計算可能性として抽出している。ウエーバーが、近代資本主義が求める美徳は、「非人間化、冷酷で紋切り型の,融通が利かない,血が通っていない,ことが特質である。大衆民主政治においては、民主政治とは言う者の,大衆は実際には政治に参加しているとは言えず、自治が実現しているわけでないとする。古賀茂明については、倒錯であると直裁に批判して、「古賀と言う元官僚は、ウエーバーに言わせれば,改革派どころか,官僚制の徹底を目論む純粋な貫楼主義者だと言うことなのだ」と指摘する。

大衆は何故官僚を批判するのかという問いには、名望家支配を完了すると今度はさらなる平準化を目指して、官僚制を次なる攻撃目標とするとしている。

東京大学の高橋伸夫教授の「虚妄の成果主義」が、経営学の観点から制かスギを徹底的に論破していることを紹介した上で,古賀はそうした企業の実態をも知らないと揶揄している。日本の企業の人事は、年功序列制ではなく、年功制であり、激しい競争が展開されていることを指摘している。「日本的経営の問題を解消すべく導入された成果主義は,却って日本企業のパーフォーマンスを低下させ,無残な失敗に終わった。行政への成果主義の導入もまた、公務員の業績を低下させることになるであろうことが容易に類推できるとする。人間の能力を客観的な指標によって的確に測定できるとしたことが誤った信念である。営利目的ではない公務員の業績は,一層測定することが不可能に近い。成果主義が採用されれば、公務員は複雑な仕事をしなくなる、むつかしい仕事からは逃げるようになること必定である。

人事の一元管理も問題がある。政治家の介入による情実人事が横行することになる。適材適所の逆が横行する。政治主導の意味のはき違えがお今会われている。従順な官僚の危険性について、官僚達が,どんな政権がせいりつしても、その意向に忠実に従うようにする改革は、政治主導ではなく、官僚制化の徹底である。内閣の人事の一元化が行われれば、日本の行政機関は遙かに官僚制化するだろうと指摘しているう。

古賀の提案する,回転ドアの方式の官民の人事交代に対しては、ワシントンとウォール街とが政治と金融との癒着をアメリカで引き起こした原因であるとする、サイモン・ジョンソン、MIT教授の厳しい糾弾を紹介している。

改革が癒着を招いた例として、小泉政権下で、推し進められ、宮内義彦オリックス社長が委員長を務めた,規制緩和委員会の例を紹介している。

政治も官僚制化していると指摘して、マニフェストそのものが、定量的ではない,質的な理想を排除するとしている。

人間から成り立つ社会を、予め定めた計算可能な規則、定量的な目標、工程表、検証体制などで管理できるはずがないのである。マニフェストを実行するだけの政治家は、本当の政治家ではなく、官僚に過ぎないのだ、とウェーバーを引用する。(つづく)

The Revolt of the Bureaucracies

中野剛志氏による新著「官僚の反逆」を当方ブログの読者にお勧めしたい。幻冬舎新書から出版された新書版の,しかも定価が740円+税という入手し安い本である。

「TPP問題をめぐり「外圧を使って日本を変える」と公言する元官僚達。政治主導と称して公務員制度の破壊を訴える行政改革。国民はCholera「改革派官僚」の言動に喝采を送るが,その本質は,さらなる官僚制の支配と政治の弱体化である。日本を国力低下の危機に陥れる官僚達の反逆を許してはならない。気鋭の論客が日本を蝕む官僚制の病理に警鐘を鳴らす」と、宣伝文句が書かれているが、新自由主義を厳しく非難してきた当方ブログとしては、新たな援軍を得た思いのする近著となった。当方ブログの読者の皆様には、必読の図書のひとつとしておすすめする次第である。

序章を反逆の宣言と題して、屈辱的な話であるはずの外圧をアメリカにお願いに行ったという、「反逆」の事例をだす。元外務審議官の田中均の発言を引用して、公の場で外圧を利用することが悪いことだとはまったく思わないと断言していることを紹介する。元経産官僚の古賀茂明と、元農水官僚の山下一仁を糾弾する。外国の勢力を国内に引き込んででも日本の政治を動かしてやろうとする「官僚の反逆」をどう解釈するのかが、テーマである。

もちろん、「官僚の反逆」とは、オルテガの「大衆の反逆」を意識してつけられた本の題名である。オルテガの本が、三〇年代の全体主義の病理現象を捉えたと同じように、官僚の反逆もまた、現代日本の病理現象である、とする。豊かさと安全か、自由民主主義かと、問いかけ、一部の官僚の発言について、「国益とは何かを分かっておらず、床屋談義レベルの国家観しかなく、論理性すら怪しい凡庸な人間がエリートとしての地位にいたというなら,それこそが、オルテガの意味における「反逆」に他ならない、と酷評する。

官僚批判を好む大衆が,官僚の反逆を何故許しているのか、それは、台風は自由民主主義を嫌っているのではないか、それが、現代日本の恐るべき事実ではないかと書く。エリートであることを官僚達がやめて、反逆したばかりか、安易な姿勢隣、困難な道を進むことをあえて義務として自らに課すことをやめたのではないか,「外圧を利用しようとする現代日本の官僚たちは国民に対して,自由民主政治に対して,そしてエリートであることに対して反逆している」とする。(つづく)

Saving the Japan Economny

イェール大学名誉教授の講演会が、18日正午から2時間程度、東京有楽町の外国特派員協会で行われた。浜田宏一教授は、アメリカは日本経済の復活を知っている,と言う題の、本を12月20日に講談社から刊行したが、たちまち4刷となった。アベノミクスと名付けた積極金融政策を提唱して、厳しく日銀を批判している。安倍内閣の内閣官房参与にも就任した。

その講演会の内容の一部を紹介することにする。

生まれは、1936年1月8日であり、エルビスプレスリー、小泉純一郎元総理と同世代であると切り出し、松尾文氏の発言として引用して、エルビスを訪問するのではなく、真珠湾を日本の総理は訪問した方がいいと話を始めた。

こんなに長い間、経済額は間違えるのだろうか。。15年間の緊縮だった。アメリカの銃砲規制のように、すぐすれば問題がないことがなかなかできないことがあるようだ。

インフレを僅かに起こすことが重要であると説いても理解がない。外国プレスの日銀のデフレがいい策だと書く始末であった。人口の増減がデフレの原隠田などとまともな経済学者は書かない。今日の講演会も人が沢山出席しているが、確かに、政治的なリーダーシップが重要だ。論より証拠。金融政策が聞かないなどとは,間違った経済学である。

マンデルフレミングの理論は、200年かけて達成した経済学の結論である。

税収が増えると言うことで大盤振る舞いするのは間違いと思う。財政支出は必ずしも、経済を刺激しない。

しかし、クルーグマンは金融政策だけではなく、財政も必要だと言っている。東北の強靱化の為に、財政支出をすることも理解できる。

日銀がエルピーダと潰したのと同じだ。

日本の成長が低いのhあ、金融政策の無策が聞いている。

構造改革は必要である。(浜田教授は竹中平蔵氏の緊縮論を支持するところが、当方ブログとの見解が異なる点であり、非情に奇異に感じられた。当方は、竹中小泉構造改革は、健康な人間を強制的に手術して病人にしたことと同じではないかと,浜田教授に指摘しておいた。)

本の内容の説明は、「ノーベル経済学賞に最も近い経済学の巨人、研究生活50年の集大成!! 
この救国の書は、東京大学での教え子、日本銀行総裁・白川方明に贈る糾弾の書でもある。20年もの間デフレに苦しむ日本の不況は、ほぼすべてが日銀の金融政策に由来するからだ。白川総裁は、アダム・スミス以来、200年間、経済学の泰斗たちが営々と築き上げてきた、いわば「水は高いところから低いところに流れる」といった普遍の法則を無視。世界孤高の「日銀流理論」を振りかざし、円高を招き、マネーの動きを阻害し、株安をつくり、失業、倒産を生み出しているのだ。
本書で解説する理論は、著者一人だけが主張するものではない。日本を別にすればほとんど世界中の経済学者が納得して信じ、アメリカ、そして世界中の中央銀行が実際に実行しているもの。実際に著者は、日米の学者・エコノミスト・ジャーナリストたちにインタビューを行ない、すでに60人以上から聞き取りを行なっているが、ほとんどすべての俊才が、潜在成長率のはるか下で運営されている日本経済を「ナンセンスだ」と考えている。たとえば教科書でも有名なグレゴリー・マンキュー、ウィリアム・ノードハウス、ベンジャミン・フリードマン、マーク・ラムザイア、デール・ジョルゲンソン、ロバート・シラー、黒田東彦、伊藤隆敏らだ。
世界から見れば常識となっている「日本経済の復活」を、著者50年間の研究成果をもとに、わかりやすく徹底解説!」

とある。

下記は、外国紙の報道例である。

TOKYO - The expert behind the monetary policies of Japan's new prime minister welcomed the recovering stock market and favourable exchange rate as signs of success Friday, and said the dollar can rise to 110 yen before excessive inflation risks kick in.

Koichi Hamada, professor emeritus of economics at Yale University, is the brain behind the "Abenomics" of Prime Minister Shinzo Abe, elected late last year, who has been pressuring the Bank of Japan to set an inflation target to fight deflation.

Although the Bank of Japan has not yet taken any action, Abe's pronouncements have been enough to lift the benchmark Nikkei and the dollar higher.

On Friday the dollar rose above 90 yen for the first time since June 2010. That's up from the 80 yen levels prior to Abe's election. It had traded below 80 yen during much of last year. A weak yen makes Japan's imports more expensive but is a boon for its exporters. The Nikkei 225 has gained almost 11 per cent since the Jan. 16 election.

"The proof is in the pudding. Evidence is stronger than any talk," said Hamada, recently appointed adviser to Abe's Cabinet.

Hamada's views, while shared by many economists around the world, is based on the idea that moderately rising prices are good for growth, and that Japan's big problem is deflation, or continuously plunging prices. Japan's economy has been in the doldrums for the past two decades after its 1980s bubble economy turned sour.

Hamada's proposals, which encourage the printing of more money, also help export-dependent economies such as Japan by lowering their currencies.

Japan's automakers and electronics makers have been at a huge disadvantage compared to their South Korean rivals because, as the yen surged 20 per cent in recent years, the won fell 40 per cent, according to Hamada.

"If the dollar goes above 110 yen, there may be reason for worry, but at 100 yen or 95 yen, it's OK," he said at the Foreign Correspondents' Club of Japan in Tokyo.

Hamada, who often advises Abe through telephone calls and memos, argued growth was being held down by failed monetary policies, and Japan can get back on a recovery track with the right measures.

He was less bullish about Abe's generous spending packages and urged that stimulus money go into fixing faulty bridges and rebuilding in the tsunami disaster zone, not pork-barrel construction as in the past.

When asked about Abe's nationalistic views, which are likely to anger China and other Asian neighbours, Hamada said he hoped to exchange views with the leader's political advisers to ensure the best for the Japanese people. He did not give details, stressing his expertise was economics.

Abe has promised to take a more assertive diplomatic stance and foster patriotism, moves that may seek to sugar-coat Japan's World War II atrocities and could intensify regional territorial disputes.

Kuroshio Culture and Tradition II

黒潮文明の旅をとぼとぼと続けている。67号から後をひとつのリストにしてみた。当方ブログのささやかな人生の探求である。ご一読を賜りたい。時々コメントなどを頂戴出来れば幸いである。

67 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/kuroshio-67.html

68 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/kuroshio-68.html

69 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/kuroshio-69.html

70 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kuroshio-70.html

71 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kuroshio-71.html

72 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/kuroshio-72.html

73 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/kuroshio-73.html

74 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/kuroshio-74.html

75 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/kuroshio-75.html

76 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/kuroshio-76.html

77 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kuroshio-77.html

78 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kuroshio-78.html

79 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/kuroshio-79.html

80 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/kuroshio-80.html

81 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/kuroshio-81.html

82 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/kuroshio-82.html

83 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kuroshio-83.html

84 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kuroshio-84.html

85 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/kuroshio-85.html

○の中に、数字を書くやり方がまだ判らないので○なしになっている。読者でご存じの方がおられれば,ご教示方お願いしたい

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Kuroshio 85

アイヌと黒潮文明

 宮崎から日南に向かって自動車で走り、油津港の入口で右折すると、海幸彦を祀る潮嶽神社に向かう、丁度その曲がり角に堀川運河がある。堀川運河には、約五十年ぶりに復元されたチョロ船が係留されている。チョロ船とは、沿岸漁業で活躍していた帆走木造船のことである。もちろん材料は、地元名産の飫肥杉が使われているが、飫肥杉は軽く弾力に富み,油分が多く水に強いところから、日向灘の漁船だけではなく、瀬戸内海以西の舟材として広く使われた。海外にも輸出された。飫肥杉は日向弁甲とも呼ばれる。沖縄の伝統的な漁船であるサバ二も日向弁甲の杉材で建造されている。油津港は、大正末期から昭和十六年頃まで東洋一のマグロ漁の基地として栄えたが、その漁船の主力もチョロ船であった。全長約八メートル、幅が約2.4メートルの構造で、大小二本のマストがあるのが大きな特徴で、(ウタセ船は三本のマスト)、船首部分には、畳一枚分くらいの空間があり、横になって休めるようになっており、漁撈の合間に休憩することが出来た。和船としては二本マストは珍しい
が、西洋ではケッチと呼ぶ方式でそれほど珍しくはない。マストを二本にして
帆を二分割して操作しやすくしながら、高さを抑え、また幅広の船幅にして帆
走時の安定性を高めている。広い船幅の外側に、でい(台木)と呼ばれる縁取
りを更に施した船もある。これは帆走時に船が傾斜するのを抑止して復元力を高める役目を追加したものである。ヨットのジブセールに相当する前帆を使って風上に向かうことが可能で、行動半径が広くなり、寝泊まりしながら、南九
州の難所である都井岬、佐多岬を超えて遠く薩摩の枕崎沖まで漁に出た。枕崎までは三日かかって、主にヨコワ(クロマグロの幼魚)を獲ったという。時に
は八十貫(300キロ)もあるマグロが獲れ、荒海で魚と格闘するから、チョ
ロ船はどっしりして評判が良かった。チョロ船は、エンジンを搭載した強化プ
ラスチック繊維で成形されたいわゆるFRP船が主力となった昭和四十年以降
は、すっかり姿を消してしまった。

 瀬戸内海を中心に,西は北九州から東は太平洋岸を回って東京湾に至る広い地域においては、チョキ(猪牙船)とも呼ばれる船があった。瀬戸内海や有明海でいうチョキは五十から六十石積みの大型運搬船であったが,油津のチョロ船よりも小型の、長さ六から七メートル、幅が一・三メートル程の軽快な船である。江戸では吉原通いの船として有名であった。チョキとはその形がイノシシの牙に似ているからだというが,利尻島で見かけた、アイヌのチップの姿を今に留める、舟の先がとんがって艫は広がって横幅で安定を図る構造になっているFRPの舟と同じ形だ。沖縄のサバ二の船型とも共通する細身の波きりの良い船型である。チョキはイノシシの牙ではなく、アイヌの舟を銚子で改良したことを示す。じゃんけんのチョキも鋏で切る音ではなくてチョキ船の形に似ているからチョキという可能性もある。チョキとは隠語で掏摸のことをいう。ともあれ、チョキ船は、幅広のチョロ船とはまったく別の構造の船である。沖縄の石垣島の先の黒島で、海神祭に使われる底の浅い幅広の船を見たことがあるが、こちらの方がチョロ船のずんぐりした形に似ており、完全に和船である。北のチョキこそ、南のサバ二の船型に似ている。

 最近、筆者は、川淵和彦著「東南アジアに見るアイヌ文化の伏流」(新読書
社、二〇〇一年)を、日立製作所のOBであるM.K氏から頂戴した。御両
親が雪深い北秋田の出身で、ご母堂がよく蛙のことをビッキと呼んでいたこと
を覚えており、沖縄奄美文化圏と北秋田に共通の言葉があると知って驚いたことが潜在意識下にあり、早稲田の図書館で前述の書籍を覗いて一読して何か魅かれたと言う。「アイヌ人は、縄文人の一部をなしていたとみられ、北海道から八丈島、沖縄まで、さらに、東南アジア一帯に多くの文化が流れている。本書は,織物文化を通して、その現実と歴史に迫る!」と銘打った稀覯本を、黒潮文明論の続編を書く際の参考になればとわざわざ来訪されて手交された。まず、「アイヌ文化の伏流」は、八丈島に織物の道具としてアイヌ語の名前が残っていたと書く。原始の機で細長い帯を織る眞田織が伊豆の島に伝わるが、その織で使うヘラが八丈島でカッペタと言う。ヘラの形は八丈もアイヌも同じで、登呂遺跡など弥生時代のヘラとはまったく異なり、両刃の剣の形をしている。沖縄のうるま市に残る伊波メンサー織、アイヌのアッツシ織が縄文時代から共通して残ったようだ。母系社会において重要である長女の通称「ニョコ」が女護の当て字がつけられ、八丈は女の分解ではないかと推測して、それが与那国島では「この島の波多浜(なんたはま)に船が着くと島の乙女(ミヤラビ)どもが各々自分の阿檀(アダン)葉の草履を浜に並べる」となり、与那国の
乙女と八丈島の女子(メナラベ)とは同じ古い言葉であると指摘する。八丈島で衣をへブラと言い、蝶をアイヌ語でヘポラブと呼ぶから、沖縄のハブル(蝶)と御衣(ミソ)に繋がる可能性を指摘している。(つづく)

Post Masters United(Continued)

「民なれど公の魂を失わず
 長い戦いに一定の結論が出た。サービス低下や業務煩雑、分社化の弊害など多くの課題が噴出した“理念なき民営・分社化”と指弾されてから5年。それを見直す改正郵政民営化法が4月27日に成立した。郵政事業に「公益性・地域性」を取り戻し、金融ユニバーサルサービスを含め三事業一体で郵便局を通じて提供する。郵便局会社と郵便事業会社を統合した「日本郵便」も10月1日発足した。今後は改正法の趣旨を生かした経営が強く求められる。小泉・竹中民営化とはいったい何だったのか、郵政事業、郵便局はどのような方向に進むべきか…。民営化の見直しに大きな役割を果たした全国郵便局長会、前会長の柘植芳文氏が「あの時、何が起こったのか…」を語る。現在も精力的に全国を回り、日本郵便からの相談も数多く寄せられている。」今回は七回目の記事を追加した。

① http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2911

② http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2937

③ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2962

④ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2980

⑤ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2994

⑥ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=3017

⑦ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=3037

Hideous Korea

国策研究会という伝統ある調査研究の団体がある。http://www.kokusaku.or.jp/history.html 今でも、月例の昼食会などが頻繁に開催されている。新国策と言う機関誌を発行しているが、その平成25年1月号、つまり新年号に、東アジアの中の日韓関係史と題して、評論家で拓殖大学国際学部の呉善花教授の講演記録が掲載されているので、注目される。原文にご関心の向きは、その機関誌を入手するなりして、直接原文に当たって頂くとして、当方ブログとしては、その要点をかいつまんで紹介する。

韓国人の反日感情は侮日感情であり、それは伝統的な中華思想にねざすものだ。弟が兄を侵略した、戦後は弟のくせに経済大国になった、許せない気持ちーーそれが日本への屈折した思いになっている。

呉教授の本も、日韓・日中問題が燃えたせいで、売れるようになったと笑いながら、韓流ブームと日本人は誰でも往来できる中で、「韓国を批判していると言うことだけではなく、日本を評価することが許されず」韓国に行けなかった、という。(呉教授は、日本に帰化している。)2011年からまた渡航できるようになっていたが、「虚言と虚飾の国・韓国」と言う本を書いたら、また、行けなくなった。(当方ブログは驚いたのであるが、日本人となった呉教授を,入国禁止の対象にしていることである。日本側で、犯罪者以外に日本入国禁止にしている韓国人がいるのだろうか。韓国の当局が日本人となった呉教授を入国禁止にするのであれば、日本の外交当局は呉教授の名誉のためにも抗議などの措置をとってしかるべきである。)

韓国で竹島は日本のモノだと言おうものなら、生命の危険を覚悟しなければならない。

「竹島は国際法としては日本のものになっている。一九〇五(明治38年)日本政府は島根県隠岐島司の所管の竹島と閣議決定した。1951年(昭和26年)、韓国の李承晩大統領は,サンフランシスコ平和条約で日本は色々な土地を放棄しているが,竹島を韓国のものにしてほしいと、アメリカに要求した、アメリカは竹島は歴史的にも法律的にも日本のものだと拒否するのだが、その翌年の1952年、韓国は勝手に李承晩ラインを引いてしまう。それ以降、島根県あたりの猟(まま)師たちが魚をとりにいくと、抑留されるようになる。数年の間に三十二隻の船と三千九百四人が抑留され,三年から四年収容所に入れられた。朝鮮戦争後のことだから,一般の韓国人も食料が貧困だった時代である。それが収容所となると、コメなどなく、海藻を使った食事が与えられたという。こうして、戦後韓国は竹島を実効支配するようになった」--

国際司法裁判所に韓国は出ようとしない。出なければ裁判にならない。そうすると誰が勝つか。声が強い,わがままを言う国が勝ってしまう。

韓国で強烈な反日教育が行われた。日本列島には未熟な人たちが住んでいて、そこにわが国から漢字や仏教を教えてあげたという自負心がある。そこから、日本はやっと国らしき国になったと韓国の教科書には書かれている。その恩恵を忘れて豊臣秀吉は侵略して、近代になると36年間の植民地支配があって、いかに苦しめられたか,日本人は常に反省しなければならないと言うことが書かれている。

韓流ブームを創ったのは、「冬のソナタ」であり、「ヨン様」であるが、なよなよした男になぜ日本女性が嵌まっていくのか分からない、韓国人にとっては、強そうな男性が,受けがいい。朝鮮半島は、強固な儒教社会であり、男尊女卑社会である。日本の場合、表面的には,男性は強そうに威張っているが、実は女性が支えている社会である。韓国ではかかあ天下はありえない。

冬のソナタには、日本の古き良きものがあると言われるが、韓国にとってなつかしいものではなく、なぜ日本人に懐かしいと思われるかと言うと、日本のアニメを真似して,大人向けのドラマに作り上げているからである。音楽やストーリーなど日本のアニメとそっくりになっている。

韓流ブームなるものが表面的なものに過ぎないことが,今回はっきりとあらわれたのではないか。

日本統治時代の経験が反日感情の源泉だと,韓国でも日本でも思われているが,それは正しい見方ではない。韓国人の反日感情は、日本から酷いことをされたと言うよりも侮日的な意識がその根に潜んでいる。

儒教という一つの軸からの考え方を倫理的、道徳的とするが、日本人は様々な考え方を認める。儒教の国の人から見れば、節操がないようにみえる。伊勢神宮となると,女神ではないか。女神を拝むために,大勢の人が列に並んでお参りをしている。政治家まで,その女神を拝みにいく。これはものすごく低いレベルで、未開人的だという発想になる。

侍は、韓国人からすれば野蛮人のイメージしかない。

大統領が替わるたびに、日本に対して反日感情をぶつけて、反省しろ,謝罪しろと捲し立てる。日本人からすれば,何度も同じことを繰り返してみっともないと思うかも知れないが、韓国人にみっともないという発想はない。

日本人は美学を大事にするが、朝鮮と中国には善か悪しかない。善いか悪いかおしえて上げることは、感化するのは善なる行為である。

韓国の大統領は、初めのうちは,未来志向で,反日感情を捨てようというと、日本人は安心するが、政権末期になると露骨に反日感情を示す。韓国人の反日感情は,侮日感情だと理解しないと、こうした行き違いは永遠に続く。

李明博大統領の発言をご紹介しよう。「北朝鮮の復興は心配ない。日本にやらせる。私が日本にすべてのカネを出させる。われわれは、既に日本を征服しているのだ。やつらのカネは,我々が自由にできる。日本は,今や韓流漬けになっている。日本の広告代理店、テレビなどのマスコミ、スポンサーとしての大企業は、こぞって韓流ドラマ、韓流ミュージック、韓流タレントに群がっている。フジテレビが,その典型だ。日本は,最早韓流なしではいられない。私が仕掛けた対日韓流政策が大成功しているのだ。日本には,私の対日政策によってならされた兵隊が大勢いる。だから,すべて私にまかせておけばよい。」

要するに、日本をなめているのである。今回の天皇に対する発言もそうである。

韓国では手をこすりながら土下座をすると,めちゃくちゃ悪人と言うことになる。謝罪するときは、土下座して、泣きながら「許してください、許してください」とと言わないと、本当の謝罪にならない。それを、日本の天皇にしろと言っているわけである。日本人からすれば言語道断だろう。

遺憾であるとか、日本の政治家はよく言うが、申し訳なかったなどと言うと韓国では反発が強まる。なぜなら、本当の謝罪なら、涙を流しながら,繰り返し許してくださいと言う輪なければ本当の反省にはなっていないことになるからである。

韓国に対して安易に謝罪などしない方がいい。すればするほど、問題はこじれる。

小中華思想である。韓国では、島は文化・文明に弱いと言うことで、国内でも島人は差別される。島国の日本となると低く見るのは当たり前と言うことになる。日本となかよくしようという感覚はない。

日本人は色々な歴史観があってしかるべきだから話し合いをしましょうと言うが、韓国人にはその理由がわからない。韓国人は韓国の歴史観を日本人が一〇〇%受け入れるべきだと考えているから、話し合いをしましょうといってもつうようしない。日韓歴史研究は膨大な予算と時間を使い,多くの頭脳を集めて行ったが失敗した。最近懲りずに再開したが,すぐに失敗した。

韓国人には、価値観を巡る話し合いはない。会議という発想がそもそもない。上からの命令を下に伝えることが会議なのである。

歴史的に生成された根源的な違い。日本の場合は、室町時代から江戸時代にかけて,学問的にも思想的にも多様なものが生まれ,磨かれたが、朝鮮では一元的な思想が強固に作られた。

日本統治時代、日本は酷いことをしたのだろうか。日本は朝鮮に入って膨大な投資を行い、大赤字だった。一九〇〇年代以降、日本から投入された資本は八〇億ドルになる。土地改良が盛んに行われた。それまで,土地の所有権が曖昧。これを整えた結果、コメ生産が飛躍的に伸長したし、道路や港湾、灌漑など,インフラ整備を凄まじい勢いで、しかもすべて日本からの持ち出しで行った。十年から二十年の間に、ひっくり返るほど変わっていく、ひとりあたりのGDPが年間平均4%も上昇する。当時の世界の主要国の成長は,二%だった。人口も増えた。二倍になった。悲惨な植民地支配でどうして人口が増えるのか。学校を全土に作った。日本と同じ、普通学校と国立大学を設置する。併合当初は、百校だった普通学校が、1943年には、六年生の国民学校は、五九六〇校になっている。識字率も6%が、22%になる。学校では、日本語と共に朝鮮語・ハングルも教えた。ハングルは、1443年に作られたが、ほとんど使われることはなかったのを、初めて、しかも福沢諭吉の発案で、1886年に漢城周報というハングル新聞が出されたが、うまくいかずに、日本統治になって初めて一般人がハングルを学ぶことができたのである。

大東亜戦争の時に、強制的に軍隊に徴兵されたと言うが、日本人の若者は無条件で軍隊に行かなければならなかったが、朝鮮人の場合は全員ではなく、募集していた。希望者だけで,強制ではなかった。昭和十三年には、採用数四〇六人に対して、応募数は7.七倍の二九四六人にのぼった。戦争がはじまった昭和十八年には、採用数6300人に対して、なんと48.2倍の三十万3394人に上った。農地改革で生産量が倍増したので、コメも食べた残りを日本に輸出していた。李朝の時代には、田舎の一つの村で、十世帯のうち三世帯がぎりぎり食事ができる世帯であった。

「日本統治時代に入って、朝鮮総督府は貧富の調査をしている。初期の朝鮮人の生活は,いかに貧困だったかという調査データも出てくるが、そんなことは構わないで、日本人に統治されたのが良くないということになってしまって,今の反発になっているのである。」と結語している。

Scape Goat

植草一秀氏のブログの去年の記事に,興味深い記事があった。日銀を悪し様にするのは間違いで、財務省の誤りがより問題で元凶であるとする指摘である。傾聴に値する。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/post-4493.html

日本円を暴落させて責任を問われるなら分かるが、日本円が堅調に推移してきたことで中央銀行総裁が批判されること自体がナンセンスである。

デフレ長期化の最大の元凶は財務省であって、白川総裁は財務省の責任を転嫁されている典型的なスケープゴートである。


財務省が日銀批判を強めている狙いは以下の三つだ。
1.日銀に際限のない金融緩和政策を強制し、2014年、15年の巨大増税を強行することが最重要課題。そのために、日銀を蹂躙する。
2.日銀総裁ポストを獲得する。この目的のために、白川総裁批判を全面的に展開している。大半の御用学者・御用言論人が利用されている。
3.究極の目標はハイパーインフレを引き起こすことだ。ハイパーインフレで政府債務は帳消しにすることを狙っている。


このような長期的視点で金融政策のあり方を検討しないと、大きな禍根を残すことになる。

We cannot pretend that there was no War.

ブログ「神州の泉」が、安倍新内閣において、麻生財務大臣と飯島勲氏(もと小泉総理の秘書官で安倍総理が内閣参与として起用)が竹中平蔵再登板を批判する理由とその意味について、興味深い記事を掲載した。郵政民営化をめぐる政治責任のありようについても関係するところであり、うがった見方かも知れないが、正鵠を射るような記事である。

http://shimotazawa.cocolog-wbs.com/akebi/2013/01/post-1764.html

ご参考まで。

Fair Share

オバマ政権は、富裕層に対する高税率を実行した。フェアシェア、フェアという言葉を強調している。この20年間で初めて富裕層に対する増税に踏み切った。日本では、消費税増税が言われているが、なぜ、オバマ政権のような政策がとれないのか。新自由主義の小泉・竹中政治はとっくの昔に終わっているのに、安倍新政権では、未だにそうした勢力が一部に温存されているばかりか、一部で重用されているかのようにみえる。新自由主義の残党が未だにはびこっているのが現実だ。安倍新政権は、小泉・竹中政治と決別すべきだ。

China and Japan: How different they are!

A Dialogue between Mr Kase and Mr Sekihei was translated into English language .

Mr Kase is a foreign affairs journalist and Mr Sekihei is a naturalized Japanese citizen from China.

The intellectual conversations illuminate the difference between China and Japan.

To the eyes of Westerners, the two cultures of Japan and China can be very similar or identical, but true picture is that they are totally differenct civilizations.

http://www.sdh-fact.com/CL02_1/96_S4.pdf

This blog sincerely wish that the translated work will  be read worldwide.

Japan's Energy Shift and the Cold War

Unequal Base Agreement

大ベストセラーとなっている「戦後史の正体」に続く第二弾の出版がいよいよ2月下旬に発売予定となった。当方ブログの畏友である前泊博盛・沖縄国際大学教授が著者である。自立・自尊の日本を追求する当方ブログの読者の皆様にご一読をおすすめしたい。

「戦後再発見」双書2
「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」である。

なぜ米軍は自国ではできない危険なオスプレイの訓練を日本では行なうことができるのか? なぜ日米地位協定は日本国憲法の上位法として扱われているのか? 基地問題だけでなく原発事故やその再稼働問題、TPP参加問題など、現在の日本で起きている深刻な出来事の多くが在日米軍がもたらす国内法の機能停止状態に起源をもっている。ベストセラー『戦後史の正体』
に続くシリーズ第二弾は「戦後日本」最大のタブーである日米地位協定に迫る!と宣伝している。

下記のURLより商品を注文できる。
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9784422300528.html?type=mail&date=0110

http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4422300520


「戦後再発見」双書1が、大ベストセラーとなった孫﨑享氏の著書である。
「戦後史の正体―1945‐2012」
http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/9784422300511.html?type=mail&date=0110
________________________________________
「戦後再発見」双書2が、
「本当は憲法より大切な『日米地位協定入門』」と題して、
 前泊博盛 創元社 (2013/02 出版) 416p / 46判 ISBN: 9784422300528で、価格は¥1,575 (税込)である。

Repentence

日本の経済発展を図る為に、吉田茂は占領軍に屈従した。しかし,晩年に至り、苦渋の懺悔に近い言葉を残している。

吉田茂は、死ぬ前に書いた本では、自分の行為を後悔して慚愧の念に駆られた文章を残している。その懺悔を書いたのは、1963年のことで、池田内閣と所得倍増の全盛期であった。経済大国の建国の父は、永久占領体制の過ちを悔やみながら、1967年に逝去した。

死ぬ前に書いた一文は次の通りである。
「再軍備の問題については、私の内閣在職中一度も考えたことがなかったこと、・・又・・強く再軍備に反対し,・・且つその反対を貫いたこと等は、本書・・で記した通りである。しかし、それは私の内閣在職時代のことであった。その後の事態にかんがみるに連れて、私は日本の防衛の現状に対して、多くの疑問を抱くようになった。当時の私の考え方は、日本の防衛は主として同盟国アメリカの武力に任せ,日本自体はもっぱら戦争で失われた国力を回復して,低下した民生の向上に力を注ぐべしとするにあった。然るに今日では、日本を巡る内外の諸条件は,当時と比べて甚だしく異なるものとなっている。経済の点においては、既に他国の援助に期待する域を脱し、進んで後進諸国への協力をなし得る状態に達している。防衛の面においていつまでも他国の力に頼る段階はもう過ぎているのではないか。私はそう思うようになったのである。警察予備隊が自衛隊となり、或る程度の体制を整えた今日でも、世間のこれに対する態度はとかく消極的であり、政府の取り扱いぶりにも不徹底なものが感ぜられる。立派な独立国、しかも経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも,世界の一流に伍するに至った独立国日本が,自己防衛の面において、いつまでも他国依存の改まらないことは、いわば国家として片輪の状態にあるといってよい。国際外交の面においても、決して尊重される所以ではないのである。
憲法九条のいわゆる平和条項、即ち、国際紛争解決の手段としての武力行使を否定する条項は別として、第二項の戦力否定の条項は、万世不磨の大典としての憲法の一分というよりも、軍国主義国、侵略国としての日本多年の汚名を雪(すす)ぎ、1日も早く国際社会に復帰したいという政治的な狙いが本義であったのが、私の関する限り真実である・・・だから、もし条文を厳密窮屈に解釈して、自衛隊をすら否定するに至るならば、必ずや世界の現実と乖離し、政治的不安定の因となるであろう。この道理は多くをいわずして明らかなはずである。上述のような憲法の建前、国策の在り方に関しては、私自身自らの責任を決して回避するものではない。憲法審議の責任者でもあり、その後の国政運営の当事者でもあった私としては、責任を回避するよりは責任を痛感するものである。それだけにまた日本内外の環境条件の変化に応じて、国策を改める必要をも痛感する。日本は政府当路も、国民も、国土防衛というこの至上の命令について、すべからく古い考え方を清算し、新しい観点に立って再思三考すべきであろうと思う」と書いている。(注、吉田茂「世界と日本」番町書房、1963年、202/207ページ)
これを読んで分かるのは、現在の自由民主党が、鳩山一郎、三木武吉、河野一郎、岸信介の伝統を無視しているだけではなく、吉田茂の一生の願いをも無視していることである。

さて、安倍新政権は、戦後レジームから脱却できるのか。戦後史の正体は,何十万部と言う単位で飛ぶように売れている。日本国民は、自立・自尊の日本をめざして覚醒したかのようであるが。

Postmasters United

「民なれど公の魂を失わず
 長い戦いに一定の結論が出た。サービス低下や業務煩雑、分社化の弊害など多くの課題が噴出した“理念なき民営・分社化”と指弾されてから5年。それを見直す改正郵政民営化法が4月27日に成立した。郵政事業に「公益性・地域性」を取り戻し、金融ユニバーサルサービスを含め三事業一体で郵便局を通じて提供する。郵便局会社と郵便事業会社を統合した「日本郵便」も10月1日発足した。今後は改正法の趣旨を生かした経営が強く求められる。小泉・竹中民営化とはいったい何だったのか、郵政事業、郵便局はどのような方向に進むべきか…。民営化の見直しに大きな役割を果たした全国郵便局長会、前会長の柘植芳文氏が「あの時、何が起こったのか…」を語る。現在も精力的に全国を回り、日本郵便からの相談も数多く寄せられている。」

① http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2911

② http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2937

③ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2962

④ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2980

⑤ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=2994

⑥ http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=3017

Destruction and Privatization

http://www.tsushin-bunka.co.jp/?p=3017

Votes Counting

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-b80e.html

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/post-ebe8.html

http://kiikochan.blog136.fc2.com/blog-entry-2682.html

ご参考まで。

Snow Falls

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御製 ふる雪に こころきよめて 安らけき 世をこそいのれ 神のひろまへ


Lost Justice

旭化成の元役員を務められ,退職後に活動を開始して、驚天動地の結論に至った、志岐武彦氏のブログを紹介したい。公正と正義とを追求すべき集団が、特定勢力の手先となり、また闇の中で蠢くような悪の集団となり、無実の人を冤罪に落とし込む犯罪集団となっている可能性を指摘している。日本国家が悪の権化に支配されようとしているのではないかと指摘・糾弾して、日本の司法当局を含む統治機構を正道に戻そうとする憂国のブログである。日本の権力の中枢が一部勢力によって簒奪されている可能性があることを明らかにした功績は大きい。

「平々凡々と過ごしてきた一市民ですが、退職後政治社会の問題が気になり、小沢検察審査会について調べてきました。その結果、小沢起訴議決は、「最高裁事務総局が検察審査員を選ばず、審査会議を開かず、架空議決をした」という驚天動地のことが分かってきました。このことを『最高裁の罠』(K&Kプレス)に著しました。全国民に知らせたい思いです。」と書いている。

志岐武彦(しき・たけひこ) 
1942年、京城(現ソウル)に生まれ、終戦とともに引揚げ。東京都立大学理学部化学科卒。1966年、旭化成(株)入社。10年間商品開発業務に携わった後、「住宅事業部門」(へーベルハウス)に移り、東京、北関東、関西の技術総括部長、関西営業部長、品質管理部門長などを歴任。阪神大震災では復興復旧本部長。2004年退社(旭化成元役員)。2009年からブログ「一市民が斬る! ! 」を主宰。 

http://civilopinions.main.jp/

Destructions named Structural Reforms

藤井聡教授の新刊書について紹介する内容のメールが届いた。当方ブログも拝読してみたが、的を射るような労作である。当方ブログの読者の皆様に、ご一読をおすすめしたいが、また、宍戸教授と藤井教授との対談の動画像番組があり、わかりやすい。

チャンネル桜【新春特番】 『維新・改革の正体を語る』[桜H25/1/2]   ←「日本維新の会」の事では有り ません。 出演:宍戸俊太郎(筑波大学名誉教授・国際大学名誉教授)      藤井聡(京都大学大学院教授) 聞き手:水島総(日本文化チャンネル桜代表) 1/2  http://youtu.be/wLzxRPjr4S4 2/2  http://youtu.be/yBxmSo6mpl0 歴史の現場検証から明らかにする「日本をダメにした6つの勢力」についてジッ クリと学びましょう!     

① 「大蔵省/財務省」による「緊縮財政主義」     ② 「経済学者」による「新自由主義経済学イデオロギー」     ③ ウォール街・アメリカ政府等による「日本財布論」     ④ アメリカ政府による「ジャパン・バッシング」     ⑤ 社会主義陣営(ソ連・中国)による「対日工作』     ⑥ 以上①~⑤の勢力の諸活動を吸収した「マスメディア」 上記動画は約2時間弱と長いですが、ご覧になれば下記の藤井聡教授の著作の内 容が殆ど網羅されています。 資料として興味がある方は書籍もお読み下さい。 「日本の黄金時代」を作り上げた各界三人の長老達(下川辺淳・宍戸駿太郎・小 里貞利)への 歴史のインタビューから得られた「改革こそが日本をボロボロにした」との確信 に基づいて まとめられた労作です。

以上です。

本を読みたい向きは,下記のリンクからいかがでしょうか。

http://bookweb.kinokuniya.co.jp/htm/4819111973_1.html

A Man in the Darkness

http://www.y-asakawa.com/message2009-1/09-message10.htm ダボス会議の謎より。

[竹中氏が小泉元総理と組んで、郵政改革(引用者注:国民資産の私物化?)を断行した男であることを知る人なら、この話を読んだ瞬間に、またあの男が出てきたのかと、眉を曇らせたのではないかと思われる。というのは、国内でしか投融資できない200百兆円を超す郵便貯金を、海外のマーケットで運用することを目指したのが、郵政改革の真の狙いであったからである。もしも、世界的な株価の暴落がもう少し遅れていたら、我々日本人のせっせと貯め込んだ膨大なお金が、魑魅魍魎(ちみもうりょう)の輩(やから)が運用するウオール街へと流れ込み、そのほとんどが海底の藻屑(もくず)と化すところであったことを考えたら、郵政改革は売国的行為だという主張にも一理ありと思わざるを得なくなってくる。小泉総理が衆議院を解散し、郵政改革を民意に問うと銘打った先の選挙の結果を思い出して欲しい。自民党自身が驚くほどの圧勝であったことを。これには裏があり、アメリカのウオール街を始めてとした資金の運用現場から数百億とも言われる資金が日本のマスコミ関係に流れ、小泉ブームを起こし、世論を自民党圧勝、つまり、郵政改革(引用者注、上記の私物化?)へと導いたのだと言われている。100億や200億の金など、将来、200百兆円の資金を運用することによって得られる膨大な利益を考えたら、カスのようなものである。その時の指導的な立役者だったのが、他ならぬ竹中平蔵氏である。竹中氏はかねてからアメリカ(引用者注:政府と関係があるかどうかは分からないが、後に世界銀行総裁に就任するゼーリック氏などとの郵政民営化をめぐる会議録は未だに公表されていない。)のロビーイストとして知られていたが、その姿がはっきり浮き出たのがこの時であった。]

Despair

http://sun.ap.teacup.com/souun/9620.html#readmore

「劇薬」にきしむ安倍官邸 竹中再登板の舞台裏と題しているが、毒薬の間違いではないか。

Reunion

昨年5月17日から22日まで一週間、米国マサチューセッツ州メドフォードにあるフレッチャー外交法律大学院の同窓会に出席するために訪米した。その際の事情を記録して、拙文ながらひとつの論考とするが、当方ブログは、日本にも外交を専門とする大学院大学の設立が重要な課題であると認識しているからである。。

メドフォードは、ボストン市の郊外にある自治体である。交通網は放射状にボストン市とをつなぐバスや地下鉄が経由している。空港からは、空港のある海岸側の場所から海底トンネルを経て環境対応型のバスが、ボストン市の地下鉄のサウスステーション(南駅)とを結んでいる。海底トンネルを経由するバスであるから、トンネル部分は、架線から電気をとってトローリーバスとしてモーターに供給して走るが、地上に出るとディーゼルエンジンを起動して走るというハイブリッドバスを運行させていることは興味深い。
サウスステーションでは、バスと地下鉄とのホームを相互接続して乗り換えを容易にしている。ちなみに、ボストン市内の地下鉄駅から空港までは、地下鉄やバスを乗り継いでも運賃は何と2ドルと格安である。米国の公共交通機関は治安が悪いのが通例であるが、今回はサウスステーションに駐在する警察官に対して聞き取りを行ったところ、最近は大きく改善しており、昼間観光客が往来する点では、殆ど問題がないと述べていた。日本航空が、本年4月22日から最新鋭のボーイング787型機を使用して、はじめて、日本からボストンへの直行便の運行を開始している。日本航空は、アメリカン航空とワンワールドの業務提携をしているが、ボストンのローガン空港のBターミナルの西半分はアメリカン航空のターミナルであり、ボストンがニューイングランド各地へのハブの空港となっており、小型の旅客機の発着が頻繁である。

ボストン市は、従来から京都市と姉妹関係にあり、また、ボストン美術館には、岡倉天心やフェノロサが収集した日本の美術工芸品が多数収蔵されており、また、ボストン近隣のセイラムにはモースが収集した日本の工芸品、特にねつけなどのコレクションが保存されていることで有名であり、日本からの観光客の増加が期待されていた。日露戦争の講話の地となったポーツマスは、マサチューセッツ州の隣のニューハンプシャー州の都市であるが、ポーツマスが日露戦争の講話談判の地と何故なったかについては、やはり、日露感の和平を仲介した当時のテオドア・ルーズベルト大統領がハーバード大学の出身で、日本側交渉全権の小村寿太郎もハーバード大学の卒業生であって、交渉のなかでそうした個人的な友情に基づく情報活動の動きがあったことはよく知られている。当時の戦費調達のための日本国債を調達した電話の発明者であるグラハムベルは、ポーツマスで青年時代を過ごしたこともよく知られている。ポーツマス自体は、イギリスの海軍都市と同じ名前であり、ニューイングランドと呼ばれるように、当時としてはニューヨークに伍する海港であったことが偲ばれる。交渉が実際に行われたポーツマスのホテルは、米国海軍の基地の中にあり、現在は、観光客の立ち入りが困難になっていると、ボストン在住の日本人が述べていた。筆者は、フレッチャースクールに1970年代半ばに在学したが、当時は、指導教官のグレゴリーヘンダーソン教授などと共に、紹介状を以て何とか見学することが出来た。後に、東大教授の月尾嘉男先生がポーツマスに赴いて見学した話を直接聞いたことがあるが、そうした規制があるのは、隣地に米国の海軍が直営する原子力潜水艦の修理を行う造船所があり、軍事機密が遠望される施設であることが、こうした立ち入り規制の原因であることは当時から容易に想像できた。日露戦争のポーツマス講和条約の百周年の記念行事は残念ながら、日露双方においても、賑やかに行われることはなかったが、米国側は、立ち入りを規制しているものの、歴史的な建造物の保存については,特にニューイングランドの各州政府は格別な注意を払っているところから、なおその施設を十全同様に保存していることが推察され、日本側からの観光客などの増加が日本航空の直通便の開設を機に増加しているのであれば、日本側から観光団体などを組成して、漸次、ポーツマスの日露戦争関連施設の開放を求めて行くことが出来る可能性があることを付記しておきたい。

フレッチャースクールは、国際問題を専門にして大学院レベルの教育を行う米国で最も古い大学院大学である。世界的に最も有名な国際法・外交の学校のひとつである。現在、毎年秋に265人の学生を入学させる(博士課程の人数は含まれていない)。フレッチャースクールには、30人の常勤の教授がいる。学長は、スティーブン W. ボスワー氏であり、最近まで、オバマ政権の北朝鮮政策の特別代表を務めていた、もともと、米国のフィリピン大使や韓国大使を経験した職業外交官である。フレッチャースルールは、1933年に創立されている。オースティン バークレイ フレッチャーという1923年に死去した人物の遺産がタフツ大学に寄贈されて、その三分の一の百万ドルをもって、外交と法律の学校が創立された。フレッチャー氏は、普通の法律家を育成する法学部ではなく、外交官となる者の人材育成をして、国際法の原則と徹底して身につけて、自らの外交を国際法の原則に基づくこととする他に、地理上のあるいは経済的な見地から、国と国との関係に影響を与える事象に対する知識を涵養することを目的とした学校を創立することとした。
フレッチャースクールの創立された建物で、ゴダードホールと称する。1939年の写真。その一部は今も保存されている。

フレッチャースクールは、ハーバード大学とタフツ大学の共同プロジェクトとして1933年に開校している。後に、タフツ大学が学校経営をもっぱら行うこととしたが、フレッチャースクールは、ボストンの他の大学との協力関係を緊密に維持しており、例えば、フレッチャースクールの学生は、マサチューセッツ工科大学やハーバード大学の大学院のクラスの授業を受けることが出来るなどの相互の授業に登録することが可能となっている。

フレッチャースクールと、ジョンズ・ホプキンズ大学のポールニッツェ国際問題研究高等研究所のふたつの学校だけが、法学部ではないにかかわらず、国際法の専門大学院としてよく知られており、模擬法廷のコンクールなどにも参加が認められている。

フレッチャースクールの殆どの学生は、MALDと呼ばれる学位を習得する。最近では、GMAPと呼ばれる、インターネットでの通信教育を加えて、必ずしも全期間フレッチャースクールに滞在する必要のない学位を授与している。また、MIBという、ビジネス関係の分野と国際問題との境界領域を研究する学位を授与している。これに、一年間、国際法の分野を加味したLL.Mを授与している。そのほか、通常の修士号としてのMAと博士号を授与している。いずれの学生も、一定の外国語の習得が前提条件となっていることは、米国においては珍しい事例で、英語以外の外国語を習得していることが入学の条件となっていることが特徴である。フレッチャースクールは、タフツ大学の中の工学部、医学部、歯学部、栄養学部、獣医学部などとの共同研究も行われているが、そのほか、ペンシルバニア大学のウォートンスクール、ハーバードのロースクール、ダートマスカレッジ、カリフォルニア大学(バークレー),ノースウェスタン大学のジャーナリズム学部、等の米国内の大学の他、ウィーンの外交アカデミー、マドリッドのビジネススクールなど、ヨーロッパのも教育機関との連携も行っている。最近では、インドのビジネススクールとの連携も模索されている。

現在、フレッチャースクールには、下記の様な研究センターや,研究組織が存在する。
• The Center for South Asian and Indian Ocean Studies
• The Global Development and Environmental Institute
• The Center for Emerging Market Enterprises
• The Institute for Business in the Global Context
• The Center for Human Rights and Conflict Resolution
• The Program in International Business
• The Center for International Environment and Resource Policy
• The Program in International Information and Communication
• The Fletcher Roundtable on a New World Order
• The Fares Center
• Refugees and Forced Migration Program
• The International Security Studies Program
• The Institute for Human Security
• The Maritime Studies Program
• The Program in Southwest Asia and Islamic Civilization
• The Program in International Negotiation and Conflict Resolution
• The Edward R. Murrow Center
• The World Peace Foundation

著名な教授陣としては、東チモールの法務大臣を務め、カンボジアや,コソボ、ルワンダの憲法草案作成に参加して、Louis Aucoink教授がいる。国際紛争処理のEileen F. Babbitt教授は、以前合衆国平和研究所の所長であった。Bhaskar Chakravorti教授は、以前は、マッキンゼイコンサル会社のパートナーだった由で、ハーバードビジネススクールの教員も堅忍している。Antonia Chayes教授は、元、米国空軍次官である。Daniel W. Drezner教授はForein Policyの定期的な寄稿者である。国際法では、Michael J.Glennon教授などがいる。

卒業生としては、次のような人物がいる。下記の情報は,必ずしも現行化されていないので、ご注意。
Rafeeuddin Ahmed 国際連合事務総長次長 56年卒業
Herman Escudero エクアドルの国際連合ジュネーブ代表大使、駐ペルー大使
Shafi U. Ahmed バングラデッシュの駐英国大使
Abul Ahsan バングラデッシュの駐米国大使、ユネスコの経営委員会委員 62年卒業
Bolaji Akinyemi ナイジェリアの元外務大臣 66年卒業
Mimi Almayehou アフリカ開発銀行の米国事務所所長 98年卒業
Sultan T.AlーNhayan アラブ首長国連邦観光貿易大臣 GMAP01
Joyce Aluoch 国際刑事裁判所判事 GMAP 08
Anthony Banbury 国際連合事務次長
Barbara Bodine 元駐イェメン米国大使および元駐クウェート米国大使 71年卒業
Mathew Bryza 国務省次官補(ヨーロッパ及びユーラシア担当)88年卒業
Pio Cabanillas 元スペイン外務省報道官 86年卒業
Dante Caputo 元国連総会議長 67年卒業
Tom Casey 元国務省次官補代理
Peter J. Chan シンガポールの駐タイ王国大使
Humayun Rashid Choudhury元バングラディシュ国会
Robin Chiristpher 英国の駐アルゼンチン大使 68年卒業
MusaJaved Chohan パキスタンの駐カナダ大使、駐フランス、駐マレーシア大使 84年卒業 
Erin Conaton 米国空軍省次官 95年卒業
Pamela Cox 世界銀行 ラテンアメリカ部長 77年、84年卒業
Charles Crawford 英国の元駐ポーランド、元駐セルビア大使
Walter L.Cutler 米国の駐コンゴ大使、駐チュニジア大使、駐サウジアラビア大使 54年卒業
C. Richard D'Amato 米国議会の上院民主党指導者顧問 米中経済安全保障見直し委員会委員 67年卒業
Liu Daqun 元ユーゴスラビアの国際刑事裁判所の常勤判事 86年卒業
Jaime DarembunーRosenstein 元コスタリカ駐米大使 64年卒業
Natahaniel Davis 元ジョンソン大統領のソ連及び東ヨーロッパ問題の上席顧問、アフリカ問題担当国務次官補
Giorgos Dimitrakopoulos ギリシャの政治家、ヨーロッパ議会議員 81年卒業
fyan ADjalil インドネシア 国営企業担当大臣。インドネシア通信情報大臣 93年卒業
Michael Dobbs 英国保守党の事務総長、ウィンストンチャーチルなどの伝記作家
先回筆者が参加した同窓会で記念公園を行い,イギリス人の立場から、イラクの戦争から撤退すべきことを促す演説をした。
William  B Edmonton 元米国の駐南アフリカ大使 51年卒業
J.Adam Ereli 米国の駐バハレーン大使 89年卒業
Pieter Feith  アチェの監視使節団のEU側団長 70年卒業
Jeffrey Feltman 中近東問題担当国務次官補 83年卒業
Colette Flesch ルクセンブルグ国会議員、ルクセンブルグ元副首相、外務大臣 EU議会議長 61年卒業
Jean Francois –Poncet 元フランス上院議員、元フランス外務大臣 48年卒業
Luis Gallegos-Chiribogaエクアドルの駐米国大使 83年卒業
Shukri Ghanem リビヤ石油ガス大臣、元リビヤ総理大臣 73年卒業
GiorgiGomiashvili グルジア元外務副大臣 99年卒業
Kennedy Graham ニュージーランド 緑の党の国会議員
Humayun Hmidzada アフガニスタン大統領府報道官、広報室室長 2002年卒業
Abdelaziz Hmzaoui チュニジア駐米国大使 60年卒業
Bryce Hrland ニュージーランドの駐国際連合代表部大使
John Herbst 米国の駐ウクライナ及びウズベキスタン大使 80年卒業
Robert Hormats 経済ビジネス及び農業問題担当、国務次官。ゴールドマンサックス副会長
Raffi Hovannisian アルメニアの元外務大臣 文化遺産党の党首

Jonathan Howe 大統領補佐官代理(安全保障問題担当) 67年卒業
WolfgangIschinger ドイツの駐米国大使及び駐英国大使 67年卒業
IsmatJahan バングラデッシュの駐国際連合大使 86年卒業
Ahmad Kamal パキスタンの駐国際連合大使
Kostas Karamanlis ギリシャ 総理大臣 82年卒業
Olga Kefalgianni ギリシャ 国会議員 2006年卒業
Shahryar Khan 元パキスタン外務大臣
Shah A M S Kibria 元バングラデッシュ大蔵大臣
Robert R. King 米国の北朝鮮人権問題担当特別代表
Liu Xiaming 中国の駐北朝鮮大使 83年卒業
Juan Fernanndo Lopez Aguilar スペイン法務大臣 88年卒業
Lui Tuck Yew シンガポール 運輸大臣 94年卒業
William J. Luti 国家安全保障会議、大統領特別補佐官、国家防衛政策戦略担当
Mary Locke 上院外交委員会上席調査委員 70年卒業
Winston Lord 東アジア及び太平洋担当国務次官補 60年卒業
そのほか、
• Mosud Mannan, F89, Bangladesh Ambassador to the Kingdom of Morocco
• Scot Marciel, F83, Deputy Assistant Secretary of State for East Asian and Pacific Affairs and Ambassador for ASEAN Affairs
• Edwin W. Martin, former U.S. Ambassador to Burma
• Freddy Matungulu, deputy division chief of the International Monetary Fund, former Finance Minister of the Democratic Republic of the Congo
• Cynthia McKinney, F80, former U.S. Representative from Georgia
• David McKean, F86, Chief of staff of the U.S. Senate Committee on Foreign Relations and former chief of staff for U.S. Senator John Kerry
• Wayne McCook, GMAP01, Ambassador of Jamaica to China
• Michael R. Meyer, F75, Director, Comm. & Speech writing for UN Secretary General
• Tariq M. Mir, former Ambassador from Pakistan to Sri Lanka, Iraq and Iran
• Derek Mitchell, current United States Ambassador to Burma
• William T. Monroe, F73, former U.S. Ambassador to Bahrain
• Daniel Patrick Moynihan, F49, former U.S. Senator, former United States Ambassador to the United Nations
• Bernd Mützelburg, F74, Germany’s special envoy for Afghanistan and Pakistan, former Ambassador to India
• Guy de Muyser, F55, Ambassador of the Grand Duchy of Luxembourg to the Soviet Union and NATO
• Kittiphong na Ranong, F81, Ambassador of Thailand to the United States
• Harvey Frans Nelson, Jr., F50, U.S. Ambassador to Swaziland
• Toshiyuki Niwa, F65, Deputy Executive Director for UNICEF
• Phyllis E. Oakley, F57, former U.S. Assistant Secretary of State for Population, Refugees, and Migration (1994–97) and Assistant Secretary of State for Intelligence and Research (1997–99)
• Vartan Oskanian, F83, former Foreign Minister of Armenia
• Frank Pallone, F63, U.S. Representative from New Jersey
• Farah Pandith, F95, Special Representative to Muslim Communities for the United States Department of State
• Frank Craig Pandolfe, U.S. Navy Rear Admiral
• Michael E. Parmly, former Chief of Mission of the United States Interests Section in Havana
• Thomas R. Pickering, F54, former U.S. Ambassador to the United Nations, Under Secretary of State, and Senior VP, International Relations, Boeing Co.; namesake of the prestigious Thomas R. Pickering Foreign Affairs Fellowship administered by the U.S. Department of State
• Shazia Z. Rafi, F83, Secretary-General of Parliamentarians for Global Action
• Masihur Rahman, F80, former representative of Bangladesh to the World Bank, the Asian Development Bank, and the Islamic Development Bank
• Bill Richardson, F71, Governor of New Mexico, former U.S. Secretary of Energy and U.S. Ambassador to the United Nations
• Iqbal Riza, F57, former Chief of Staff to the UN Secretary-General
• Leslie V. Rowe, F82, U.S. Ambassador, Mozambique, Papua New Guinea, Solomon Islands and Vanuatu
• Theodore E. Russell, First U.S. Ambassador to Slovakia, former Deputy Assistant Administrator for International Activities at the Environmental Protection Agency
• Akitaka Saiki, F79, Japan's representative to the Six Party Talks for North Korea,Former Japanese Ambassador to India, currently Vice Minister for Foreign Affairs(Political), Japan
• Omar Samad, GMAP06, Ambassador of Afghanistan to Canada and France
• Graham Maitland, F'06, South African Ambassador to Sudan
• Juan Manuel Santos, Chief Executive of the Colombian Coffee Delegation to the International Coffee Organization (ICO), former Minister of Foreign Trade, Minister of Finance and Defense. President of Colombia
• Abdulla Shahid, F91 Foreign Minister of the Maldives
• Antoinette Sayeh, F85, Director of the African Department, International Monetary Fund, former Finance Minister of Liberia
• Sir David Serpell, F37, former British MP, British Foreign Office, author of the Serpell Report
• Surakiart Sathirathai, F80, former Foreign Minister and Deputy Prime Minister of Thailand
• Klaus Scharioth, F78, Ambassador of Germany to the U.S.
• Konrad Seitz, F67, German diplomat and scholar, former ambassador to China, India, and Italy
• Radmila Sekerinska GMAP07, Deputy Prime Minister of Macedonia
• Godfrey Smith, GMAP02, Foreign Minister of Belize
• Shashi Tharoor, F76, former Under-Secretary-General of the United Nations for Communications
• Mary Thompson-Jones, Deputy Chief of Mission, U.S. Embassy to the Czech Republic
• Malcolm Toon, F38, former U.S. Ambassador (USSR 1963-1979, Czechoslovakia 1969-1971, Yugoslavia 1971-1975, Israel 1975-1976)
• Sandra Louise Vogelgesang, former Deputy Assistant Secretary of State, and U.S. Ambassador to Nepal
• Hassan Wirajuda, F84, Foreign Minister of Indonesia
• Peter Woolcott, F82, Australian Ambassador to Italy
• Chusei Yamada, Member of the United Nations International Law Commission, Special Advisor to the Japanese Foreign Minister
• Junsai Zhang, F89, Ambassador of China to Australia
• Philip D. Zelikow, F95, Counselor of the U.S. Department of State
• Edson Zvobgo, founder of Zimbabwe's ruling party Zanu-PF, later critic of Robert Mugabe
• Mary Burce Warlick, United States Ambassador to Serbia
• Harold Caballeros, Secretary of State Ministerio de Relaciones Exteriores de Guatemala
• Peter Ackerman, F69, Founding Chair of the International Center on Nonviolent Conflict
• Zainah Anwar, Women's rights activist, former head of the Sisters in Islam
• C. Fred Bergsten, F62, Director, Peterson Institute for International Economics, former U.S. Assistant Secretary for International Affairs, U.S. Department of Treasury
• Dale Bryk, Senior Attorney at the Natural Resources Defense Council, Director of the Yale Center for Environmental Law and Policy clinic
• Sean Callahan, F88, Executive Vice President, Overseas Operations, Catholic Relief Services
• Craig Cohen, Associate Vice President for Research and Programs at the Center for Strategic and International Studies
• Charles H. Dallara, F75, Managing Director, Institute of International Finance, former Asst. Sec. for Int’l. Affairs, U.S. Department of Treasury
• Dan Doyle, Executive Director of the Institute for International Sport
• Marsha Evans, F76, former President of the American Red Cross and Girl Scouts of America
• Evelyn Farkas, Senior Fellow at the American Security Project, former Executive Director of the Commission on the Prevention of Weapons of Mass Destruction Proliferation and Terrorism
• Stephen Flanagan, F79, Henry A. Kissinger Chair in National Security Policy and Senior Vice President and Director of the International Security Program, Center for Strategic and International Studies
• Stephen Flynn, F91, Council on Foreign Relations
• Jason W. Forrester, Director of Policy at Veterans for America
• Hilary French, Vice President for Research at the Worldwatch Institute
• Sakiko Fukuda-Parr, Founder of the Journal of Human Development, former Director of the Human Development Report Office at the World Bank (日本人)
• Paul Hsu, F66, President of Epoch Foundation
• Satish Jha, President and CEO of One Laptop Per Child in India
• Mark Krikorian, Executive Director of the Center for Immigration Studies
• Matthew Levitt, Director of the Stein Program on Counterterrorism and Intelligence at the Washington Institute for Near East Policy
• Bette Bao Lord, novelist and writer, Chair of the Board of Trustees of Freedom House
• George R. Packard III, F59, President of the U.S. Japan Foundation
• Jeremy Rifkin, F69, economist and writer, creator of the Foundation On Economic Trends
• Reeta Roy, F89, President and CEO of the MasterCard Foundation
• Kaare Sandegren, F53, former Secretary of International Affairs at the Norwegian Confederation of Trade Unions, former member of the Norwegian Nobel Committee
• Jonathan A. Small, F68, former President, Non-Profit Coordinating Committee of New York
• Crocker Snow, Jr., Director of the The Edward R. Murrow Center for Public Diplomacy
• John Stremlau, F69, F74, Vice President, Peace Programs, The Carter Center
• Fred Tanner, Director of the Geneva Centre for Security Policy
• Nicolás de Torrente, F82, Executive Director, Doctors Without Borders
• Lisa Anderson, Provost of the American University in Cairo, former professor at Harvard University and SIPA at Columbia University
• Arnaud Blin, French historian and political scientist, former researcher at the Institut Diplomacie et Défense, the French Institute for Strategic Analysis and the Ecole de la paix de Grenoble
• Clayton Clemens, Professor of Government at The College of William and Mary
• Richard N. Current, former Bancroft Prize-winning historian and University of Wisconsin Professor
• Harriet Elam-Thomas, Director of the Diplomacy Program at the University of Central Florida, former U.S. Ambassador to Senegal
• John E. Endicott, F74, Vice Chancellor of the Solbridge International School of Business and President of Woosong University
• Oliver Everett, CVO, former Royal Librarian to the Sovereign of the United Kingdom
• David W. Kennedy, F79, International Legal Scholar and Vice President International Affairs at Brown University
• Peter F. Krogh, F66, Dean Emeritus and Distinguished Professor of International Affairs, Edmund A. Walsh School of Foreign Service at Georgetown University
• Laurence Lafore, former author, Professor of History at the University of Iowa
• Mahmood Mamdani, F69, Professor of Government at Columbia University, Director of Columbia's Institute of African Studies, former President of the Council for Development of Social Research in Africa
• Colette Mazzucelli, Professor of international studies, New York University's Center for Global Affairs
• Satoshi Morimoto, F80, Professor of international politics at Takushoku University, member of the Congressional Forum for a New Japan
• Vali Nasr, F84, Professor of International Politics at The Fletcher School of Law and Diplomacy
• Cymie Payne, Professor at University of California, Berkeley School of Law, Associate Director of the Center for Law, Energy, and the Environment at the California Center for Environmental Law and Policy
• Joseph W. Polisi, F70, President of The Juilliard School
• Mitchell Reiss, Vice-Provost of International Affairs at The College of William and Mary, former United States Special Envoy for Northern Ireland, and Director of Policy Planning at the U.S. Department of State
• Dorothy Sobol, F66 & 79, Professor of International Economics and Emerging Markets at SAIS, former vice-president of the Federal Reserve Bank of New York
• Zvi Meir Shtauber, F74, Head of the Jaffee Center for Strategic Studies, Tel Aviv University
• Niklas Swanström, Program Director of the Central Asia-Caucasus Institute and Silk Road Studies Program, a research and policy center affiliated with the School of Advanced International Studies
• Gregory Unruh, F99, Director of the Lincoln Center for Ethics in Global Management at the Thunderbird School of Global Management, coiner of the term Carbon lock-in in his Fletcher dissertation
• Alan Wachman, F84, Professor of International Politics at The Fletcher School of Law and Diplomacy
• Norman Wengert, F39, Founder of the doctoral program in Environmental Politics and Policy at Colorado State University, author of the seminal work Natural Resources and the Political Struggle
• Wu Teh Yao, former Professor of Political Science and Vice-Chancellor of the National University of Singapore, took part in the drafting of the Universal Declaration of Human Rights while working at the United Nations
• Abdulaziz Al-Saqqaf, F79, Founder of the Yemen Times, Yemen's first English-language newspaper, winner of the National Press Club's International Award for Freedom of the Press
• Doug Bailey, F62, Founder of The Hotline, political consultant
• David Grann, F93, New York Times best-selling author
• Dan Green, F91, Producer, ABC's Nightline
• Tim Judah, front line reporter for The Economist and author
• Yitzhak Aharon Korff, publisher of The Jewish Advocate, dayan of Boston's rabbinical court
• Beto Ortiz, Peruvian journalist, critic of Alberto Fujimori's government
• Harry A. Radliffe II, F73, Producer, CBS 60 Minutes
• James S. Robbins, Senior Editorial Writer for Foreign Affairs at The Washington Times, winner of the Chairman of the Joint Chiefs of Staff Joint Meritorious Civilian Service Award
• Najmuddin Shaikh, F62, writer for the Daily Times (Pakistan), former Pakistani diplomat
• Thom Shanker, F82, The New York Times, Washington Bureau
• Fakruddin Ahmed, F08, Newsline, Pakistan
軍人も卒業生の中に少数ながらいる。
• Hans Binnendijk, F70, Theodore Roosevelt Chair in National Security Policy and Founding Director of the Center for Technology and National Security Policy at the National Defense University
• Erin Conaton, F95, United States Under Secretary of the Air Force
• Joseph F. Dunford, Jr., Commanding General of the I Marine Expeditionary Force
• Susan Livingstone, F73, former Undersecretary of the Navy
• Richard W. Mies, former Commander in Chief of the United States Strategic Command
• Daniel J. Murphy, Jr., F79, Vice Admiral, U.S. Navy (Retired), Chairman and CEO, Alliant Techsystems (ATK)
• James G. Stavridis, F84, Commander U.S. European Command, and NATO's Supreme Allied Commander Europe
• Patrick M. Walsh, F93, U.S. Navy Admiral, Vice Chief of Naval Operations
企業経営者も少数ながら見られるが、国際経済部門の充実が図られる中で、段々と卒業生の数の増加が顕著である。
• Khalid Al-Fayez, F74, CEO, Gulf International Bank
• Phillip K. Asherman, GMAP04, President and CEO of the Chicago Bridge & Iron Company
• Robert G. Bell, F70 Senior Vice President of Science Applications International Corporation (SAIC) and former NATO Assistant Secretary General for Defense Investment
• Charles N. Bralver, F75, former Vice Chairman and Founding Partner, Oliver Wyman
• Daniel K. Chao, F75, former President and Chairman, Bechtel Corporations, China(ベクテルの中国代表)
• Meng Dong, F99, President, Beijing Hengkun (Group) Ltd.
• Gerald W. Ford, F84, Founder and Chairman, Caffè Nero
• Robert Fisher, F77, Managing Partner, Goldman Sachs (ゴールドマンサックス)
• Mike Gadbaw, F70, VP & Senior Counsel for International Law & Policy, General Electric
• Ghazi Abdul Jawad, F72, former President & CEO, Arab Banking Corporation
• Ignasius Jonan, GMAP05, former President & CEO, Bahana Pembinaan Ushaha, Indonesia
• Chung Won Kang, F79, President and CEO of KB Kookmin Bank
• Robert E. Kiernan, F81, Chairman & CEO, Resolution Capital Advisors
• Michelle Kwan, F11, former figure skater[26]
• Susan Livingston, F81, Partner, Brown Brothers Harriman
• Jim Manzi, F79, Founder and former CEO of Lotus.
• Vikram S. Mehta, F79, Chairman, Shell Group of Companies, India
• Kingsley Moghalu, F92, Founder and Chief Executive Officer of Sogato Strategies S.A
• Janet Norwood , F46, Director, Mid Atlantic Medical Services
• B. Craig Owens, GMAP01, Exec. VP& Chief Financial Officer, Delhaize Group, Brussels, Belgium
• Betsy Parker Powel, F57, President, Diamond Machine Technology
• Andy Safran, F76, Managing Dir & Global Head Energy Utilities & Chemicals, Investment Banking, Citigroup
• Debasish “Dev” Sanyal, F88, CEO, Air BP
• Charles Sitter, F56, former President of Exxon Mobil (エクソンモービル社長)
• Neil Smit, F88, President Comcast Cable & former President & CEO, Charter Communications
• Greg Terry, F70, Senior Advisor, Morgan Stanley Asia
• Richard Thoman, F67, former President and CEO of Xerox, Inc.
• Dimitris Tziotis, F95, President and CEO of Cleverbank, an award-winning strategy consultancy
• Carl Walter, F74, CEO, JP Morgan (China)
• David Welch, F77, Regional President of Europe/Africa/Middle East/South West Asia for Bechtel and former Assistant Secretary of State for Near Eastern Affairs
• Walter B. Wriston, F42, former Chairman and CEO of Citigroup
• Ziwang Xu, F88, former Managing Director, Goldman Sachs Asia
• Mian Zaheen, F74, Managing Director, Lazard Company
日本人の卒業生は、次のような名前が挙がっている。緒方四十郎氏は、緒方竹虎の長男であり、国際金融問題の専門家であり、令夫人は緒方貞子氏であり、フレッチャーの東京における同窓会活動を実質的に差配されていた。現役の外交官としては、駐インド大使で最近外務審議官に就任した齋木昭隆氏が、活躍している。

• 明石康 - 国連カンボジア暫定統治機構事務総長特別代表・旧ユーゴ問題担当・事務総長特別代表就任・国連事務総長特別顧問等を歴任。
• 今井隆吉 - 元国連ジュネーブ軍縮会議大使、原子燃料政策研究会理事 昨年10月10日逝去

• 稲村公望-中央大学客員教授、日本郵便副会長
• 内田孟男 - 中央大学教授
• 緒方四十郎 - 元日本銀行理事
• 加藤洋一 - 朝日新聞社編集委員、前アメリカ総局長
• 河合正男 - 元駐ノルウェー大使
• 齋木昭隆 - 外務省アジア大洋州局長から駐インド大使を経て外務審議官
• 丹羽敏之 - 元国際連合児童基金事務局次長
• 原田義昭 - 衆議院議員
• 本田均 - 前駐フィンランド大使
•水野時朗-元国連職員、国連イラク支援団の法律顧問
• 森本敏 - 拓殖大学大学院教授 野田政権における防衛大臣

• 谷内正太郎 - 元外務事務次官

同窓会の日程は、四日間にわたるもので、第一日は、夕刻から、ニューイングランドの伝統的な料理であるハマグリの蒸し焼きであるクラムベイクから始まった。つまり、浜辺の貝をゆでて,それにバターを付けて野趣豊かな料理であるが、もちろん調理法は昔のように浜辺の砂浜に穴を掘ってやくのではなく、テントの裏で、大きな鍋でゆでるようになった違いはあるが。それからニューイングランド特産のロブスターも1匹ずつ調理されてテーブルに並んだ。音楽は、古いジャズである。会場は、運動場に臨時に建てられたテントの中で開催される。5月で気候はまだ、日本に比べれば肌寒いような気温であるが、春の到来で、学校のキャンパスの至る所にシャクナゲの花が咲き乱れていた。テントの中の映像を見るために、YouTubeに搭載したリンクは次のとおりである。

http://youtu.be/yY0wujoYVDI

http://youtu.be/CQV4zGj_WDQ

http://youtu.be/FRBolmgdUvw

翌日は、記念講演会が行われた。ひとりの著名人の演説と、卒業生のひとりが講演するのが普通である。今回は、外交評議会理事長のHaass氏の演説であったが、卒業生の講演は、ブラジルからの経済人の講演が予定されたがキャンセルされた為に、臨時に、卒業生のうちフレッチャースクールで教鞭を執っているエイカー教授の講演となった。迫力のある内容である。Haass氏の講演は、アメリカのエスタブリッシュメントを代表する外交評議会の理事長としての講演であるだけに注目されたが、講演後何人かの参加者に評価をきいたところ、クリントン国務長官の顧問を務めているとある卒業生は、アメリカのまだ優位を求めている旧態依然の見方だと酷評する向きもあった。しかし、アメリカが現在かかえる問題点などを,分かりやすく解説しているとの見方も出来るので、アメリカの将来動向を知る上では初心者向けの解説としては最適の内容であるのかも知れない。

http://youtu.be/cDrUciIKsMI

http://youtu.be/em1O1RXTiQ8

財政赤字、インフラの老朽化、そして、教育の問題、特に六三三制度の問題について言及している。教育は、安全保障の問題としても捉えている。

卒業生の講演のビデオは次のリンクからご覧願いたい。女性教授の堂々たる内容である。

http://youtu.be/lhC73btG5vw

合間に、合唱団の歌が唄われた。初めにインドネシアの歌が、最後に一曲が歌われた。

http://youtu.be/BlrmOymx5ug

http://youtu.be/EsEYUGEfbrg

更に、卒業生が参加するシンポジウムが開催された。1回目は、紛争処理と和解について
専門的な解説が行われた。講師は、フレッチャースクールの女性の教員が行った。女性の
進出が著しい。 


フレッチャースクールの経営状況についての説明もあった。 

学生による説明会もあった。 

次の日が卒業式である。

http://youtu.be/_htcV4npW2U

http://youtu.be/fSznlitqYcY

http://youtu.be/CkNVw2CsI-E

http://youtu.be/7Qn7F6VhPP0

http://youtu.be/RtxoOwcdxZU


学長の挨拶である。
http://youtu.be/Q5lEE-MEdSM

http://youtu.be/d6EsjQ8EH1s

日曜日の朝には、朝食会がある。そして、日程が終わった。フレッチャースクールの建物の最上階から,ボストンの市内の高層ビルが遠望できた。

http://youtu.be/zReUuBjUFyA



特に日本から学生を送り込むことが連絡役として重要である。卒業生は、文字通り世界中に展開しており、政府の職員としての外交官の層の厚さは格別であるとしても、ビジネス部門に於いても、どんどん人材を供給してきている。リストを見る限りでは、中南米や、中東ではビジネス界にもそれなりの活動をする卒業生が多数いることが分かる。日本の国益をかけてボストンに赴いた小村寿太郎、金子堅太郎、伊沢修二などの明治の俊秀に伍して行くための努力をしなければ日米は真の対等な同盟にはならない。日本にもフレッチャースクールのような国際問題を専門とする学校が設立されて然るべきであり、そこに世界のアジアの俊秀を集め、戦前の旧南方留学生の制度と同様に充実させることが必要である。

I wish you A Happy New Year

元旦の早朝に年賀状を配達する出発式が全国各地の郵便局で行われた。そのひとつ、福島県の郡山で開催された出発式の模様が記事になっている。

http://www.janjanblog.com/archives/88408

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