構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

« The Revolt of the Bureaucaracies 5 | トップページ | Info-communications in crisis 2 »

Info-communications in crisis

東北大震災の際の情報通信の運用状況について、何かの参考になるかと思ってメモしておいたものである。本格的に検討したものではないので、あくまでもご参考まで。長いので、二分割する。

平成23年(2011年)は、アナログの地上テレビ放送が停波して、テレビ放送の電波がデジタル方式に変更するという画期的な年となるはずであった。日本が、明治以来営々として電気通信のインフラを整備してきたが、非西欧の国家として、初めて自動電話の全国普及に成功して、それに加えて、携帯電話の全国普及にも成功した。一方ではインターネットのインフラについても整備を進め、世界のトップクラスの情報通信基盤を備えた国家と変貌していた。携帯電話に至っては、国民の総人口を超える普及となっており、従前の固定電話を越えてインフラ化したことが考えられる状況となった

1995年に発生した阪神大震災の際には、インターネットはまだ

一般的にはなかった。グローバルな基盤として、大学や一部の大企業で利用が開始されたころであった。(筆者は、学術情報センターと接続するインターネットを使った経験を持つが、ユニックスのコマンドでチャットを行い、将来自分の子供たちと外国の遠隔地などから、通信が行える時代になることを想像したが、現在ではその夢が容易に達成されたことを実感している。当時のコンピュータは、表示部の液晶が一列の棒状であり、電光掲示板のように、アルファベットの文字が右から左に流れた。)米国のマイクロソフト社がウィンドウズ95を発売したのこの頃で、IBM社から、そのウィンドウズが動く卓上型のコンピュータであるAptivaが発売されたりした頃であった。その年の流行語大賞にインターネットという言葉が加わっている。ホワイトハウスでの記者会見が卓上のインターネットで読むことができると、知人の高名の国際政治評論家を自宅に招いて,実演して見せた経験がある。
阪神大震災の救援部隊の指揮を経験したが、携帯電話を装備している者と層でそうでない者とが斑模様になっており、しかも、携帯電話は一部の指揮官が保有する機器にとどまった。

日本における情報通信基盤の整備が頂点に達した時期、つまり、アナログテレビが廃止される直前に、東北地方での大地震と福島第一原発の大事故が発生したことになる。つまり、インターネットや、携帯電話の圧倒的に普及した社会を前提とした大規模な災害は、世界の中でも類例を見いだすことができない。安否確認、災害復旧、など、様々な情報の、しかも地域社会などの小規模な空間にとどまらず、全地球的な情報の流通と展開を含めて、災害発生直後から、情報通信の役割と機能が、その利害得失があるにせよ、大いに発揮された。今回の大災害では、安否確認の方法がインターネットを駆使する新しい方法が広範に採用されたことは注目に値する。グーグルのパーソンファインダーや、ツイッターのつぶやきが有効に機能したが、その例である。

筆者は、大地震に東京赤坂の溜池の交差点近辺で遭遇したが、ビルに逃げ込んで,揺れが収まった直後に,同じく上階から慌ただしく降りてきた米国人とおぼしき外国人に向かって、本国の家族に直ちに電話をするように忠言した。その後、夕刻までは、千代田区の知人の会社に避難して、携帯電話を通じて、なんとか家族と連絡が出来た。

その後、宮城県の女川と石巻に居住する二人の知人の消息を求めて、グーグルが開設したパーソンファインダーを安否確認の為に使用したが、翌日には二人の消息を確認できたことが印象的に残る。

9.11事件の時に、グーグル社のパーソンファインダーに似たシステムを総務省の通信総合研究所の専門家が開発して設置して、日本の在ニューヨークの邦銀関係者から感謝されたことを思い出したが、今回は、米国企業のグーグル社がインターネット上でのデータベースを設置して、60万件に及ぶ安否確認の為の情報システムを設置した。

こうした安否情報の確認のシステムは、携帯電話会社なども運営したものがあったが、グローバルな環境の中での発動は画期的なものであった。反面、公的な役割を担うはずの日本政府の関係機関などからの提案はなく、外国企業の主導で行われた。幸いにして特段の問題が発生しなかったばかりではなく、外国企業で会ったにもかかわらず、グーグル社の関係者が誠実に緊急事態での対応を行ったことは賞賛されるが、国内の公共的役割をはたすはずの機関が、情報通信基盤を活用できなかった事態は、今後の課題として対処すべきであり、万一次回に災害が発生する際には、グーグル社という私企業のパーソンファインダーの機能を圧倒するような安否情報システムを稼働させて、公共機関である政府や自治体の責務として名誉挽回を計ることが期待される。

また、情報通信を巡る制度上の制約についても,緊急事態の中で次々と弾力的で現実的な対応が行われたが、こうした有事の情報通信のあり方についての、危機管理としての対応が従来の行政機関には,決定的に欠けていたことが明らかになったことは、残念なことである。消防団は、250人を越える団員が、献身的に堤防を閉鎖に赴き、津波に襲われて殉職する事態が発生している。現場に赴いた消防団員との連絡は、決定的に途絶したといわれており、トランシーバーが数台あっただけだったとの指摘が行われたことであり、的確な津波の波高の情報は、現場の消防団員に決して伝わることはなかった。

米国で気象情報と災害情報を提供する放送局が国営で運営されているのは皮肉な話で、日本では、構造改革論に基づいた民営化論が猖獗を極めており、そうして公的な情報通信網は不要だとする極端な市場原理礼賛の考え方が一世を風靡して、結局は裏目となった。防災対策の予算が、削減されていたことも、決定的な要因であったと指摘する消防庁のOBの意見がある。

大震災を通じて、高度な情報通信基盤こそが、安全な社会の基盤で有り、災害予知、復旧の最も大切な基盤であることが改めて認識されたことは、不幸中の幸いといわなければならない。

まずは、効果的でかつ迅速な貢献をすることとなった、グーグル日本法人の動きを観察してみたい。

●グーグルの72時間

日本法人の川島優志、三浦健、村井説人氏の証言をもとに記録が行われ、「IT時代の震災と核被害」(インプレスジャパン刊)の冒頭にまとめられているので、その重要な部分を抜き出しながら、コメントを加えることにする。

グーグルの消息情報検索ツール「パーソンファインダー」は、震災発生後二時間弱で提供された。迅速な対応ぶりである。筆者は、地震発生後、皇居前広場から、竹橋のKKR会館で会合予定があり、そこで、時間を費やし、その後、知人の会社に避難して、夕方七時頃徒歩での帰宅を決断して、夜中の十時頃に世田谷区の自宅に帰着した。

グーグル日本法人の担当は、六本木ヒルズ森タワー26階にあった。揺れ方が大きい割には、キャビネットが倒れるようなことはなかったという。後述するが、こうした危機管理に係わる担当部署が、高層ビルの高層階にあることは、問題である。ヤフーの場合には、六本木のミッドタウンの高層ビルに入居しており、同じように、全館から地上に退避命令が出たために、もとのオフィスに戻るのに時間がかかっている。グーグル社の場合には、担当の三浦氏は26階に残ったというが、その判断は、阪神大震災に遭遇した経験があったために、余裕の或る判断ができた可能性が高い。三浦氏は38歳である。初期情報の収集と外部との連絡を始めるが、通信の途絶えもなかったことが幸いであった。

首都東京の通信機能が、残ったことは僥倖であったが、もし東京の通信機能が破壊された場合に、その支援を行う機能が,日本国内のどこかにバックアップのために設置されることが必要である。その昔、国際電信電話会社のKDDは、新宿の本社に加え、栃木県の小山に、東京の支援機能を持った施設を運営していたが、東京のバックアップを行得る機能を有する施設や場所が、設定されることが必要である。さて、グーグルの本社は、サンフランシスコ郊外のシリコンバレーにあり、東北大地震が発生したときは、アメリカ西海岸時刻3月10日午後9時46分であった。

●災害発生時の活動方針

巨大地震の発生の報を受けて動き始めて、危機対策チームの本部が設定されている。グーグル社は、2008年5月のミャンマーにおけるサイクロン被害を手始めに世界各地の大規模災害を対象として経験を重ねてきており、パーソンファインダーは、2010年のハイチでの地震が契機となっている。ただ、ハイチでの地震の対応は,アメリカで行われたために、今回の日本での大震災の対応とは異なり、現地との距離感が見られたという。つまり、危機管理の対策本部は、現場とある程度緊密に連絡が取れる可能性がある場所が大切であり、災害の全体像を監督指揮する場所はより遠隔の地にあっても差し支えないことが分かる。

「パーソンファインダー」とは、肉親や知人、あるいは被災者・救援者間で安否確認を行うための消息情報検索ツールである。このツールにアクセスすれば、被災者の消息情報を検索したり、被災者側から自らの消息情報を入力することもできる。パーソンファインダーは、グーグル社では、危機対策チームが災害発生時に最も起動を急ぐツールであると位置づけ、最初に稼働したハイチ地震以降、チリ、中国青海、ニュージーランドのクライストチャーチ地震などで稼働した実績があった。

危機対策チームには明文化した活動方針があるのも特徴である。それは、www.google.org/crisisrespoonse/about.htmlに掲載されている

明文化された活動方針を共有していて、さらに実績があったことが、現実の要素を加えて、柔軟に迅速に対応できた理由の一つであるとする。

●何と1時間時間46分でパーソンファインダーを公開している。

地震発生後1時間が経って、階段を使って26階の職場に戻ってきたが、殆ど全員が息切れしていた。窓の外には、地震発生時には窓掃除のためのゴンドラが窓の外に見えたが、それは巻き上げられていたという。窓から南東方向にはお台場があるが、葛西の方向から、灰色の煙が見えたという。つまり、高層階での危機管理対応は、全館退避の場合に、職場に戻るときの時間的なロスがある。周辺の状況を観察するためには、展望台の役割になって便利であるが、双眼鏡などを使ったとの話はないので、優位性はなく、全館退避の時間的なロスを考えれば、緊急対策のチームは,低層階に位置した方が良い。

パーソンファインダーは、欧米圏と中国語圏との対応はあったが、日本語対応ができていなかったために、先行した米国の危機対策チームは、まず日本語化に着手している。

危機に際して、時間的に早いリリースを優先している。すなわち、拙速を優先した。

地震発生後、約90分で、米国チームから立ち上げようかとの声がかかり、日本法人側も後で修正作業を行うことで同意した。日本時間の16時32分、日本語仕様のパーソンファインダーが公開された。

このときに、グーグルは、人工衛星による被災地写真の収録も始めている。衛星情報業の大手である、Geoeye社と提携している。さて、日本政府も偵察衛星からの人工衛星の写真情報をもっていたはずであるが、こうしたインターネットとの連携が図られたとの話は残念ながら聞かない。人工衛星の軍事的な利用と、こうした災害時の利用の区分や利用方法の手順などが平時から検討されておく必要がある。

さらに、9時間後には、パーソンファインダーは、携帯電話からアクセスできるように改良されて公開された。これは、日本における携帯電話の普及状況をみて、踏み切った措置である。固定回線によるインターネットへのアクセスもあるが、日本では携帯電話を通じてインターネットを利用する仕方が大いに普及しているからで、携帯電話によるネット利用による安否確認の有用性がいかんなく発揮された。

携帯電話は、ユニバーサルサービスとは定義されていないが、ユニバーサルサービスの規制としては、固定電話で110番や119番などの緊急通信を国民への普遍的なサービスとすることが定められており、予備電源の整備など、災害に対する耐性などが定められているが、携帯電話の基地局でも、固定電話の規制に準じて、三時間以上の非常時電源装置が、基地局に設置されていた事例が多くあった。都市部では、24時間以上運転可能な非常電源が備えていた基地局も多数あった。

固定電話は、給電という電話局からの電源供給が機能しない状況になっており、つまり、停電になっても電話がかけられるという機能は、殆ど失われた状況にあったが、一方で、携帯電話の方が、バッテリーの寿命ののびがあり、基地局が先述のように三時間以上の非常電源をもっていたので、固定電話のインフラから、携帯電話のインフラの重要性への大きく転換したことをも観察することができる

更には、携帯電話が音声の通信にとどまらずに、インターネットなどのデータ通信の媒体となったことで或る。日本では、3Gと呼ばれる高速通信を可能とするデジタル通信方式が広範に導入され、整備を完了していた。

大震災で、もちろん、情報通信の量の総量が規制されたが、そのなかで、音声は、呼数の制限となり、データ通信は遅れとなった。通信会社によっては、音声通信を極度に制限して、データ通信に振り向けたという噂があり、電気通信の法制度に違反する可能性があるとの指摘もなされたが、音声とデータとの比率をどうするか、あるいは緊急事態における適正な比率については、今後の検討課題である。音声通話では、電話番号で管理されているために,必要な通話を僅かな回線として優先的に割り当てることができるために、その優先度の判断が重要であるが、その判断を放棄して、データを優先することの意味あいが未だに決定的に説得力があるとは考えられないが、今後の慎重な検討が必要で有り、電気通信の強制力をもつ法体系の中では、一定の線引きが必要であることは論を待たない。

グーグル社の緊急時の対応の最初の24時間は、川島氏が中心的な存在となり、その後や、三浦氏とプロダクトマネージャーのブラッド・エリス氏がが、その役割を引き継いだという。川島氏は、日米欧のスタッフを効率よく稼働させることに力を注いで、外国にある対策本部との調整に努力した。グローバル化した企業活動においては,こうした役割を果たす人材が貴重である。

オフィスに畳と炬燵を持ち込んでいたとされるが、その「炬燵のまわりにどういうわけか、人がいちばん集まった」と、川島氏はは振り返っている。近代的な高層ビルの事務所に畳と炬燵を持ち込んでいたとは意外な話であるが、こうした日本的な環境を持たせることが、危機管理の緊急事態に臨む場合に、環境作りのひとつとして作用したものと思われる。こたつは、殆ど電気を通電はしていなかったが、交流の場、時には雀卓としても使われたというが、この事例は、むしろ日本の企業が学ぶべきことで、外資企業に日本の炬燵いう団らんの場所が実際に作られていたことは注目に値する。日本の大企業の危機管理センターに、炬燵とと畳が配備されている事例があるだろうか。

●海外からの緊急援助隊に地図情報を提供

村井説人氏(37歳)は沖縄に出張中であったが、震災発生から半日後に米国本社から連絡があった。オフラインでも地図データを使えるようにして、緊急救助隊のパソコンに提供する必要があったために、地図の業者のゼンリンや、国際航業から得ている権利はオンライン使用権だけであったので、別途許諾を得なければならなかった。村井は、緊急処置としての諒解を取り付けている。13日の昼には、空席待ちの飛行機に乗って、東京の自宅に戻った。東京の自宅からビデオチャットなどを利用して、米国本社や日本法人の会議に参加し続けた。いずれにしても、沖縄と米国本土の通信回線は維持されており、また、東京の自宅と米国本社や、日本国内の電話会議などが確保されていたことは僥倖であった。再三繰り返すのであるが、東京が被災したときに、どこで、その代替措置を担当するかが、予め決められておく必要がある。

米国の本社から、沖縄にいる村井氏に連絡があったことが象徴的であるが、国際通信面で、海底ケーブルのインフラがどのような状況にあったかを概観してみたい。

国際海底ケーブルは、千葉県や茨城県の海岸に集中していたが、太平洋北部を横断する最短距離の海底ケーブルは、震源地近くの海底を通過していたこともあり、ほぼ切断された。三重県などに陸揚げされるケーブルなど、太平洋の南部を通過するケーブルは、無事であった。台湾付近のケーブルも地震に夜リスクが高いとされるが、今回も、余震により切断されている。日本に陸揚げされる海底ケーブルは、米国に取って死活的なインフラである指摘していることが、ウィキリークスの漏洩によって明らかになっているが、特に中国との中継する情報通信回線にも大きな影響が出ている。インターネットの利用者は、殆ど、海底ケーブルが切断されても、表面的な影響は見られなかったが、これは、通信事業体同士の互助と、通信トラフィックの調整が行われたためである。一方、国際金融の関係企業などは、大容量の通信を使用するが、調整できずに、東京から関西方面に移設したり、外国に本拠を移設することしか方法がなかった事象も見られたのは残念なことである。

海底ケーブルは、いよいよ世界を接続する日本の死活的なインフラ施設となっている現実が明らかになった。日本の海底ケーブルの信頼性確保と多様化については、日本の安全保障の観点からも再検討を計り、敷設を推進するための投資を積極的に行うことが必要である。日本としては、今後、ヨーロッパとの大容量の通信を確保する為に、北極海経由の海底ケーブルや、中南米との直通海底ケーブルなどの敷設を検討する時期に立ち至ったものと考える。

●被害者情報をパーソンファインダーに統合

被災者自身がパーソンファインダーに入力できるか疑問で、グーグル社が設置した直後の名簿データは3000人で低迷した。そのために、避難所で作成した名簿を携帯電話のカメラで写して、画像データとして受け取る案が浮上した。名簿写真を、グーグルのウェブアルバムに送信してもらう案が浮上した。避難所名簿サービスと名付けて、名簿の文字情報を読み取って、パーソンファインダーに入力して検索可能な状態にする手順である。

村井氏は、連絡先のリストをつくり、電話で7つの県に依頼した。被災地の県警にも安否情報の提供を求めた。後日、警察庁に窓口が一本化されて、警察庁を通じて一元的に受け取ることができるようになった。

募集を開始すると、続々と名簿写真が届き始めた。

●ボランティアに協力を求める

名簿写真の名前をOCRで自動的に読み取ることを検討したが、手書きの名簿がほとんどで、自動的に読み取ることには無理があった。有志をつのり目視で読み取る方法を選んだ。
2重3重のチェックをして、パーソンファインダーに取り込んでいく、集中力のいる作業となった。毎日1,000枚を超える名簿写真は、社内の200名の有志でも処理できなかったので、登録進捗率は、40%と低迷していた。3月17日に、外部のボランティアを募集に踏み切る。「外部のボランティアを信じましょう」との方針の下に決断している。

たった1日で、進捗率は90%に向上。5000人以上のボランティアが参加した。2011年四月下旬の時点で、パーソンファインダーには、67万人のデータが登録された。比較的初期の14万人以上のデータは、ボランティアによって登録されたものである。

●外部メディアからの情報が合流する。

3月13日深夜から14日未明にかけて、グーグル社はNHKに連絡して、NHKは16日に安否情報をグーグルに提供する決断をした。判断に二日間かかったことの背景については,十分な検証が行われることが期待される。 

グーグル社は,次々と外部メディアの情報との統合を図り、そのほか、14日には、宮城県と岩手県の安否情報と連携、17日は、携帯電話各社の災害用伝言版と連携、22日は、朝日新聞、警察庁の消息情報と連携した。24日には、福島県の安否情報、30日には、毎日新聞朝刊の希望新聞と連携した。とくに22日の朝日新聞から提供された約8万3千人に上る安否情報には、記者が被災地を歩いて収集して来た消息情報も含まれていた。

今回のパーソンファインダーで、登録された件数は、67万件であると前述したが、チリ地震の時は,7万7千件、ハイチ地震が5万五千件だから、ざっと10倍の登録数であった。

グーグル日本法人は比較的に被災地の東北と近い東京にあったことは、言語と文化を理解できるなど有利な僥倖であったが、大地震が東京を直撃していたら、グーグル日本法人が動けなくなったことは明白で、首都東京が被災したときに、どこでだれが、東京以外の場所で、指揮をとる役割を果たすのかとの問題が新たに浮上している

日本はインターネットが普及している国である。携帯電話のカメラで名簿写真を撮るといったことは、おそらく世界の中で日本でしか実現できない方法であったが、迅速に実行に移した。

被災地側からすれば、高齢者が、携帯電話でで写真を撮ったりすることができなかったし、ネットアクセスを殆どできないという問題が残った。新聞の回し読みや、テレビを見ることが中心の情報収集であったこと、避難所ではない個人宅ではなお情報が伝わらなかったとの現実が指摘されている。

日本経済新聞社は、一部の紙面をPDFファイルにして、通信が可能な東北地方の販売店に送信して、それを印刷して掲示板に掲示するように働きかけたという。

もともと東北地方はインターネット普及率が低かった。「PC版だけでなく、携帯版とか一生懸命やったんだけど、やはり被災県からのアクセスよりも東京からのアクセスが多かったのは事実。次に災害があったときに、どういうアプローチならいいのかということは今後の課題」とされる。

グーグル社のデータベースに登録された67万件は、被災者情報の登録だけではなく、家族や友人を探しているとの登録も一定割合で含まれている。3月22日付けでは、総登録者数40万人の内、半数は、家族や友人を探しているという登録であった。初期段階でも被災者情報を充実させることは、検討課題である。一度は見つかったのが、同姓同名の人違いだったという複数の報告がある。

さて、同姓同名や二重登録の混乱の可能性については、想定されていた。緊急事態であるから、断片の情報でも伝えることが重要だったとの判断を行ったことは、妥当な判断であった。

名簿情報をパーソンファインダーに統合・公開するなかで、個人情報をどのように保護尊重するかと議論したが、緊急性を優先すべきだとの判断をしている。いわゆる完璧主義は採用していない。

個人データについては、一定期間経過後に消去して、インデックスにも残さないことをグーグルは表明している。パーソンファインダーは、緊急時用の統合データベースとしての位置づけである。

グーグルは、震災特設サイトを3時間後に開設している。「ウェブ上の新聞の号外のようなもの」であるとしている。

地震発生後72時間以内に、グーグルが提供したツール類、あるいは公開した情報は、時系列で並べると次のとおり。

① 3月11日午後四時頃
地震発生後2時間弱で、パーソンファインダーを提供。
午後11時五十分頃には携帯電話に対応。

②.3月11日午後5時頃
3時間弱で「震災特設サイト」を開設(グーグル・クライシスレスポンス)

③ 3月11日午後10時頃
YouTubeで、TBSが放映するニュースをリアルタイムで世界中に配信。日米欧のエンジニアが対応。初めてのこころみ。18日には、被災者の動画メッセージを集めた「YouTube消息情報チャンネル」を開始。最終的に,650名以上の安否情報を含む動画350本以上を公開。

④ 3月12日午前1時三十分頃
非難所情報公開。自治体ホームページなどから、避難所情報を収集。グーグルマップ上に展開して公開。(17日 毎日新聞社が提供するデータを統合)

⑤ 3月12日午後8時15分頃
原発関連情報として、震災特設サイトに,原子力安全・保安院ホームページへのリンク。
福島第一原発避難範囲(地図に追加)/原発、発電所に関連したニュース、リアルタイム検索の結果も表示。

⑥ 3月13日正午頃
被災地の衛星写真公開。画像提供で提携しているGeoEye社の人工衛星が撮影した最新の被災地の衛星写真を公開した。後日更新した。

⑦ 3月13日午後5時頃
募金受付の開始

⑧ 3月14日午前2時頃
避難所名簿共有サービス開始。避難所に名簿写真の送信を呼びかける。名簿情報は目視でパーソンファインダーに入力。

⑨ 3月14日午後5時頃
自動車・通行実績情報マップ提供
ホンダ技研工業・パイオニアからの情報提供に基づき,グーグルマップ上に展開。前日に通行実績の或る道路を,ホンダが24時間毎に更新して、その情報をグーグル側でも更新。トヨタ、日産からの情報提供も受けて,表示地域を拡大して制度を向上させた。

従前から、プローブ情報システムという分野の研究開発は日本では進展しており、カーナビを搭載している車がどの道を通っているかという情報を、自動車メーカーやカーナビメーカーがリアルタイムに集める仕組みがあったが、この公開は個人情報を含むために公表が憚られてきたが、大震災のさなかで、この情報を公開することで、通行可能な道路の情報が明らかとなって、被災地への物資の運搬の円滑化などが図られた。

どんな単語の検索が急上昇しているのか、原発と輪番停電に対する関心が殆どであったとされる。輪番停電は突然発表されたために、その情報に対するアクセス集中がおこり、東京電力のホームページは,完全に破綻した。この点も東京電力という会社の情報通信に対する危機管理の基本的に知識と経験の欠如を想像させる例である。放射線の測定値の発表についても、文部科学省での発表にアクセスが集中した。

アクセス集中の問題については、具体的には、クラウドやCDNといった技術を使って、アクセスを分散させた。新しい情報の発表が強い影響を与えるときには、必ずアクセスの集中がおきるので、集中を回避する予防的な方策を採ることが重要であることが明らかになった。

グーグル社は、放射線は、計測の仕方や、機器の性能によって数値が異なる、風向きも予想しきれないから、複数意見を経ない情報を公表し続けると、人々を不安に陥れるので、未確認の放射能情報を漫然と流すことはせずに、行政が発表する一次情報と放射線の基礎知識への誘導に留めた。

「信頼出来る情報なのか,不安に陥れる情報では無いのかというユーザー目線で、考えた。どんな情報が求められているのか、どんな情報を出せば混乱しないで済むのか、緊急事態でどれだけ時間を無駄にしないで済むのか、本当に有益な情報は何なのか。整理されていない情報、未確認の情報を氾濫させると、被災者や救援者が,本当に必要とする情報にたどり着けないと言う状況を引き起こす」と優れた判断を行っている。

「必要のないものは徹底的にそぎ落とす。素っ気ないくらいにシンプルにする。」との対象方針だったという。

グーグル社では、救援物資のマッチングシステムを作ったらどうかとの提案が14日にあったが、その提案には待ったをかけている。三浦氏は、神戸大学在籍中に阪神大震災に遭遇した経験があり、ボランティアの善意の活動が時に被災者の反感を買う可能性があることを知っていたし、ボランティアが何度も同じ質問をして、必要物資のヒアリングを行うことなどがあったことを知っていたし、14日の時点では、陸海空の運送の動脈はまだ麻痺したままだった。

ともあれ、グーグル社は、迅速な決断を行った。稟議書等はなかった。数分協議して結論を出して前に進む方式をとった。若いメンバーでも,極度の緊張を強いられると相当に参っている。被害現場では,72時間を過ぎると生存率が下がることは、頭では分かっているが、グーグル社の緊急対策チームの指導者に阪神大震災時の経験者がいたためにリアリティーが違った。

グーグル社は、英語で読めるサイトもつくり、英語圏からのアクセスも相当数に登ったが、具体的なアクセス数は公表していない。

グーグル社の日本における検索エンジンのシェアは、90%でほぼ独占に近い状況にある。マイクロソフトや楽天の強い反対にもかかわらず、公正取引委員会はこれを許可している。寡占状況であるから、私企業とはいえ、そのまま公共性に繋がる。既に、株式の時価総額は、インテルやトヨタ、コカコーラを抜いており、13兆4560億円の超大企業で有り、グーグルは社会的責任を逃れることはできないという認識が共有されている。
日本の大企業などでは、そうした公共性にも続く社会的責任の意識が、構造改革論などの政治経済の風潮の中で,むしろ希薄化していた現実があったのではないだろうか。

« The Revolt of the Bureaucaracies 5 | トップページ | Info-communications in crisis 2 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Info-communications in crisis:

« The Revolt of the Bureaucaracies 5 | トップページ | Info-communications in crisis 2 »

2022年2月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          

興味深いリンク