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Repentence

日本の経済発展を図る為に、吉田茂は占領軍に屈従した。しかし,晩年に至り、苦渋の懺悔に近い言葉を残している。

吉田茂は、死ぬ前に書いた本では、自分の行為を後悔して慚愧の念に駆られた文章を残している。その懺悔を書いたのは、1963年のことで、池田内閣と所得倍増の全盛期であった。経済大国の建国の父は、永久占領体制の過ちを悔やみながら、1967年に逝去した。

死ぬ前に書いた一文は次の通りである。
「再軍備の問題については、私の内閣在職中一度も考えたことがなかったこと、・・又・・強く再軍備に反対し,・・且つその反対を貫いたこと等は、本書・・で記した通りである。しかし、それは私の内閣在職時代のことであった。その後の事態にかんがみるに連れて、私は日本の防衛の現状に対して、多くの疑問を抱くようになった。当時の私の考え方は、日本の防衛は主として同盟国アメリカの武力に任せ,日本自体はもっぱら戦争で失われた国力を回復して,低下した民生の向上に力を注ぐべしとするにあった。然るに今日では、日本を巡る内外の諸条件は,当時と比べて甚だしく異なるものとなっている。経済の点においては、既に他国の援助に期待する域を脱し、進んで後進諸国への協力をなし得る状態に達している。防衛の面においていつまでも他国の力に頼る段階はもう過ぎているのではないか。私はそう思うようになったのである。警察予備隊が自衛隊となり、或る程度の体制を整えた今日でも、世間のこれに対する態度はとかく消極的であり、政府の取り扱いぶりにも不徹底なものが感ぜられる。立派な独立国、しかも経済的にも、技術的にも、はたまた学問的にも,世界の一流に伍するに至った独立国日本が,自己防衛の面において、いつまでも他国依存の改まらないことは、いわば国家として片輪の状態にあるといってよい。国際外交の面においても、決して尊重される所以ではないのである。
憲法九条のいわゆる平和条項、即ち、国際紛争解決の手段としての武力行使を否定する条項は別として、第二項の戦力否定の条項は、万世不磨の大典としての憲法の一分というよりも、軍国主義国、侵略国としての日本多年の汚名を雪(すす)ぎ、1日も早く国際社会に復帰したいという政治的な狙いが本義であったのが、私の関する限り真実である・・・だから、もし条文を厳密窮屈に解釈して、自衛隊をすら否定するに至るならば、必ずや世界の現実と乖離し、政治的不安定の因となるであろう。この道理は多くをいわずして明らかなはずである。上述のような憲法の建前、国策の在り方に関しては、私自身自らの責任を決して回避するものではない。憲法審議の責任者でもあり、その後の国政運営の当事者でもあった私としては、責任を回避するよりは責任を痛感するものである。それだけにまた日本内外の環境条件の変化に応じて、国策を改める必要をも痛感する。日本は政府当路も、国民も、国土防衛というこの至上の命令について、すべからく古い考え方を清算し、新しい観点に立って再思三考すべきであろうと思う」と書いている。(注、吉田茂「世界と日本」番町書房、1963年、202/207ページ)
これを読んで分かるのは、現在の自由民主党が、鳩山一郎、三木武吉、河野一郎、岸信介の伝統を無視しているだけではなく、吉田茂の一生の願いをも無視していることである。

さて、安倍新政権は、戦後レジームから脱却できるのか。戦後史の正体は,何十万部と言う単位で飛ぶように売れている。日本国民は、自立・自尊の日本をめざして覚醒したかのようであるが。

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