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San Franscisco Peace Treaty and Continued Occupation

61年前の昭和27年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した。占領統治が終わり、GHQが日本国から撤退した日で、国家主権を回復した歴史的な記念日であるが、「これは本当に主権の回復だったのだろうか、真に主権回復したと言えるのか」と言う問いが突きつけられている。

サンフランシスコ講和条約第三条によって、沖縄は日本国からきりはなされたので、4月28日は、政府が同法である沖縄を切り捨てた、悲しみ、失望、痛み、屈辱の日として、沖縄では記憶されている。「「親が子を質に入れて獲得した「独立」だという比喩が、あながち的外れではない」。

沖縄県副知事であった、嘉数昇明氏が、昨年の4月28日に、主権回復60周年記念国民集会における挨拶である。。

当方ブログは、自立自尊の日本を追求する立場から、嘉数氏の格調高い挨拶に賛同する。日本は、真の独立を果たしているのか、との問いかけを継続するとともに、TPPや構造改革論をはじめとして、むしろ属国化が進行していることに警鐘を鳴らすものである。

なお、動画像には記録がないので、実際の演説の際にはしょられたと考えられるが、演説の原稿には、下記の◆の部分も書かれていたので、ご参考までに、紹介しておきたい。

固有の領土たる尖閣列島に主権の発露たる実効支配を積み重ね、主権の内実を確保する為に国の普段の努力が欠けていたのではないのか、日本がなめられている、わが国の政治の怠慢や劣化がいるのではないかと思う、サンフランシスコ条約を語るとき、その発端となった太平洋戦争をはじめとする日本が係わった戦争に思いを致さなければならないと思います、と述べた以降の挨拶の映像から、◆の部分がぬけている。

◆私は戦後の日米関係を見るとき、アメリカ人は70年のスパンで捉え、日本人は60年のスパンで考えているとの感を深くする。アメリカ人は真珠湾攻撃を起点としているのに、日本人の視点はサンフランシスコ条約からスタートしているのではないか。この10年間の空白が歴史認識のギャップとなっている。

◆昨年9月にハワイに行ったが、日米開戦70周年を迎えたハワイで貴重な体験をした。真珠湾を訪れ、今なお海上に油を流しながら鎮魂のメモリアルの場になった戦艦アリゾナ号、記念資料館の数々のパノラマ展示、沖縄の学童疎開船対馬丸を撃沈した潜水艦ポーフィン号の展示、捕らえられた人間魚雷展示、更に1945年9月2日東京湾上、勝者と敗者に分かれて重光葵日本全権代表とマッカーサー連合国最高司令官などが対置して、降伏文書が調印された戦艦ミズーリ号の繋留展示などを間近に見るにつけ、日米間に横たわる歴史の重みに圧倒される思いを禁じ得なかった。

◆特に写真や映画でしか見たことのないミズーリー艦上の降伏調印式のれ岸的場面の同じ甲板の上に立ったとき、タイムスリップしたいいしれぬ特別の感慨を覚えました。

◆米国は、自国民は勿論、訪れる諸外国人に対しても、日米開戦の発端から日本の降伏にいたる劇的な歴史の展開を、効果的に再現してみせる舞台設定に唸らされました。

◆これまで私は、ハワイの米太平洋軍司令部を数度訪れる機会がありましたが、そこのボードに掲示された標語「リメンバー・パールハーバー」の文字に釘付けになりました。その時に、それは米国土への日本軍の襲撃を許した自らへの戒めと同時に、今日、同盟国であっても、かつて敵国として戦火を交えた日本への根底になる冷めた認識を痛いほど感じたのである。対日政策の根っこにしみ込んでいるアメリカの告解しに触れたように思いました。

◆リメンバーとは、単に思いおこし名代ではなく、ドントフォーゲット、むしろネバーフォーゲットとして、理解するのが正しいのではないかとさえ思った。いっぽう、戦争を仕掛けた我が日本の方では太平洋戦争が風化して忘れ去られようとしているのではないか。日米間に横たわる認識のギャップの存在を改めて見つめ直す必要がある。

◆更に、私は、2005年、戦後60周年の節目の年に、サイパン、テニアン、ロタ島へ慰霊墓参へ参りました。多くの日本人、その大半は沖縄県出身者が、米軍に追い詰められて、バンザイクリフと呼ばれる断崖絶壁から身投げをした激戦地である。特にテニアン島は、B29エノラゲイ号が、原爆を抱いて広島長崎へ飛び発ち、更に東京などへの主要都市へ空襲にとびたった因縁の島であります。その飛行場の跡地に立ったとき、身震いするような複雑な感慨をおぼえました。

◆その年、天皇皇后両陛下におかれては、南洋の島々や海域で散華された多くの御霊を慰霊する為にサイパンを初めて訪問され、遺族関係者を激励し、今後の日米友好への足跡を残されました。

と原稿には書かれているが、◆の部分は、動画像には記録されていない。

そして、動画像の部分に戻ると、

 かつて戦地となった太平洋の島々から、我が日本を眺めたとき、太平洋の島々アジア各地、沖縄、本土各都市で失われた多大な生命や財産を思うときはたして、あの戦争で得たものは何だったのかと思わずにはおられませんでした。

 そして、戦後日本の独立や主権を大切にし、それを守るために普段の努力をして行く決意と覚悟が必要であり、日本の政治蚊は、安保の恩恵については語るがそれに伴う負担については語らない、行動しないと、指摘するアメリカ人の友人がいる。

負担の公平がなければ、日米安保は早晩行き詰まり、空洞化、砂上の楼閣となっていかないか危惧する。喜びも悲しみも共にわかちある日本でありたいと願う。4.28がそれを目指す決意や覚悟を新たにする日であって欲しいと思うと述べて、

挨拶を締めくくっている。

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