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The Great Wall in Tohoku but useless

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村上正邦先生が、東北の宮城県知事と、国土交通省が強行しようとしているコンクリート防潮堤の建設を愚行として痛烈に批判している。3月の七日付で掲載されている。祈りの日が明治記念館で開催されたのは、勿論3月11日である。

●大津波に無力な全長163km「コンクリート防潮堤」の愚行

  宮城県ですすめられている防潮堤の建設現場と建設予定地を視察してきました。
 この防潮堤は、高さが2~14.7mのコンクリート構造で、宮城県発注分だけでも、全長が163kmにもおよぶ壮大なスケールです。
 海岸線沿い、場所によっては、波打ち際に、たとえば高さ7mの壁をつくると、陸から海への眺望が断たれて、松原遠くと唱歌にうたわれた海の景観が、コンクリートの塀に閉ざされてしまうことになります。
 美しい景色と自然の生態は、つながりあい、一体化しています。
 自然環境は、つねに、美しい風景とともにあるのです。
 そのことは、美しい日本近海の豊かさが、国土の70%を占める森林から海洋に染みでる地下水によってささえられていることからもおわかりでしょう。
 163kmにわたって、コンクリート防潮堤の支持杭が土中に深く打ち込まれることになれば、森林から海にいたる地下水脈が断たれて、東日本の海は、死に瀕することになります。
 支持杭が打ち込まれなくとも、自然の景観を一変させる巨大な人工物が、海と陸の交流を断って、環境に甚大な影響をおよぼさないわけはありません。
 自然と共に生きてきた日本人なら、海の景観をコンクリートの壁で隔てる防潮堤が、自然と人間のつながりを断ち切る愚行と気づかないわけはありません。

 コンクリート防潮堤には、科学的な検討が、何一つ、くわえられた形跡がありません。
 環境アセスメントも、堤防の補強という理由から、適用を除外されています。
 科学的な検討という意味は、2つあるでしょう。
 1つは、なぜ、大津波の被害を防ぐことができなかった、コンクリートの防潮堤を再びつくらなければならないのかという素朴な疑問です。
 2つ目は、数千億円を投じるコンクリート防潮堤建設が、大津波の被害を防ぐための本格的な議論抜きで決定されたことです。
 東日本大地震の大津波は、高さが40mにたっしたといいます。
 高さ7mの防潮堤は、何の役にも立たないばかりか、台形構造の防潮堤をのりこえた大津波は、ジェットコースター効果によって、かえって、勢いをつよめて、陸地へむかうといわれます。
 しかも、陸地を暴れまわった大津波の海水は、防潮堤のダムに堰き止められ、長時間、陸地にとどまって、被害を拡大させるばかりか、復旧を遅らせることになりかねません。
 科学的な検証をおこなえば、コンクリート防潮堤が、最悪の方法だったことは、すぐにわかることです。
 ところが、国土交通省の資料には、コンクリートの防潮堤が最善の方法であるかのように書かれています。
 そして、大津波の被災者が、防潮堤の1日も早い完成を望んでいるとPRしています。
 これでは、コンクリート防潮堤で、大津波の被害を防ぐことができると、住民を騙していることにならないでしょうか。

 村井嘉浩宮城県知事や国土交通省が、コンクリート防潮堤の建設に熱心なのは、防災という観点からではありません。
 予算の分捕りのためで、同防潮堤の建設予算が、どのような過程できまったのか、いまなお、明らかになっていません。
 自民党から共産党まで、宮城県議会の全議員59人が反対したにもかかわらず、建設が決定したのは、国土交通省の「地元の意向重視」という方針を受けて、村井知事が、国交省からの指示という大義名分を立てたからです。
 そして、復興予算から捻り出した数千億円を充て、知事の権限で、工事着工にふみきったというのが、実情だったでしょう。
 コンクリート防潮堤が、防災や自然環境などにたいする科学的な視点を欠いているのは、予算主導型事業だったからで、予算さえとってしまえば、あとは、突っ走るだけというのが、これまでの、役人のやり方です。
この愚かな事業が、コンクリートから人へ、をスローガンにした民主党政権下でおこなわれたのは、嘆かわしいかぎりです。

 今回の計画では、仙台湾南部海岸のなだらかな砂浜からいりくんだ岩場にいたるすべての海岸に、画一的に、コンクリートの台形鋳型がはめこまれます。
 半ば完成している仙台湾南部海岸の防潮堤は、砂浜から100mほど陸側の 旧堤防のコンクリート補強で、その背後で、岩沼市が千年希望の丘「森の防潮堤」の盛土工事をおこなっていました。
防潮堤は、高潮やレベル1の津波被害を防ぐためのもので、防潮堤をのりこえてくる、東日本大震災級の大津波にたいしては、まったく、無力です。
大津波の被害を軽減させるのが、防潮堤の背後で造成がすすめられている盛土の森林で、仙台湾南部海岸(岩沼)では、コンクリートの防潮堤と「森の防潮堤」が、対になっているように思えました。

  そのつぎに視察した七ヶ浜町では、事情が異なります。
 七ヶ浜は、海岸線が複雑な岩場で、3・11の大津波で大きな被害をうけた地区です。
 そこに、工事予定の目印となる足場が組まれていました。
 足場の形は、岩沼のコンクリート防潮堤と同じ形状の台形で、そのコンクリートブロックが、163kmにわたる今回の大工事の基本形なのでしょう。
 七ヶ浜の工事予定は、点在する海岸線の岩礁をコンクリートでつなぐ粗雑なもので、美しい海岸を根こそぎに破壊するだけではなく、海と陸を遮断するコンクリートの壁が、大津波の海水を堰き止めるダムになってしまいかねません。
 道路から、美しい岩礁海岸の風景がひろがっています。
 その眼前に、コンクリートの壁ができると、海が見えなくなるばかりか、壁をのりこえて、大津波が襲ってきた場合に、浜全体が、ダムに水没することになるでしょう。
 163kmの海岸線には、さまざまな地形、地勢があります。これを無視して、片っ端から、既製基準のコンクリートブロックをはめこむ発想では、防災効果が期待できないばかりか、自然環境や生態系に大きなダメージがあたえられます。

 現在、岩沼市が中心になって、千年希望の丘の盛土工事をすすめ、「いのちを守る森の防潮堤」協議会が、植林する苗木を育てる支援をしています。
 七ヶ浜でも、町議や有志が、防災林の計画を練っています。
 大津波を7~8mのマウンドでくいとめ、のりこえてきた大津波を森林でうけとめて、津波の破壊力を弱め、海水が陸地へ侵入する時間を遅らせるという考え方です。
 直線的にすすんでくる津波は、森林のなかで分流され、衝突をくり返すことによって、エネルギーが分散されます。
 木々の抵抗によって、水の流れに時間差が生じて、大津波の瞬間的な破壊力が弱まるというデータもあるようです。
 宮城県の松島湾と石巻市万石浦地区で、津波の被害が軽微だったのは、津波が島や岬などの障害物にあたって、進行方向を変え、エネルギーが減殺されたためでした。
 このことから、岩沼市が15の森の丘を造成して、「いのちを守る森の防潮堤」協議会がサポートするかたちで、大津波の流れを変える計画をすすめています。
 ところが、この計画について、関係省庁は、盛土に瓦礫を混合させるとメタンガスが発生するとか、指定外の品種を植樹してはならないなどと妨害するばかりです。
 そして、一方、ゼネコン型、予算消化型の事業を問答無用にすすめています。
 
 復興庁や関連官庁は、地元が主導している防災活動を積極的に応援しなければならなかったはずです。
 地元の有志が、専門家ともに研究をおこない、活動をすすめているのは、郷土愛からです。
 かれらは、防災効果がなく、自然や景観を破壊するコンクリート防潮堤に反対しています。
 海岸線に、コンクリートブロックを打ち込んでも、高さが40メートルの大津波を防ぐことができないことを知りながら、着々と工事をすすめているのは、分捕った予算を消化するためでしょう。
そして、その乱暴な工事を正当化するために、住民の安心や安全というキャッチフレーズをもちいて、あたかも、コンクリートブロックで、大津波をくいとめることができるかのような幻想をまきちらしています。
  来る3月11日「祈る会」式典には、いのちを守る森の防潮堤建設運動をすすめられている宮脇昭先生(国際生態学センター)と支援活動をおこなっておられる菅原文太先生の講演を予定しています。
  お二人には当日、会場で、この問題について、おおいに語っていただきたいと思います。
 合掌

  被災者を悼み、鎮魂の祈りに参加しましょう
 3月11日 日本人の原点「祈りの日」式典(3月11日開催 於 明治記念館)

http://blog.shunpunokai.com/?p=396

それに続けて、政治家の無責任を糾弾している。

●だらけた世相、風潮の根底にある政治家の無責任

 わたしは、最近の日本のだらけた世相、風潮に、つよい苛立ちや不安をおぼえます。
 現在、日本をとりまいている状況、内在している諸問題は、きわめて、きびしいものがあります。
 その現実を直視し、その問題を正面からとらえ、行動を おこそうとしている政治家が、どれほどいるでしょうか。
 マスコミも、日本の将来を左右しかねない問題にはふれず、ふれても、興味本位の報道に終始して、あとは、一日中、おチャラけ番組を流しています。
 国民も、日々の出来事、娯楽、損得ばかりに目を奪われています。
 日本中が、弛緩した空気に、すっぽりと呑みこまれているのです。
 とくに、政治家の気のゆるみには、目を被いたくなります。
 国家や国民の命運を担う政治家は、危機にたいして、つねに神経をとぎすませていなければなりません。
 政治家は、天からの使命をおびた選ばれし者だからです。
 ところが、国会のTV中継を見て、微塵も、そんな気迫をかんじることはできません。
 官僚が書いた下書きを読み上げる茶番劇に、質問するほうも、されるほうも、弛緩しきっているのです。
 質問の内容を官僚が事前にチェックする現在のやり方を改めなければ、政治家の不勉強、問題意識の低下に歯止めがかからず、官僚主導型政治が、さらにすすむことになるでしょう。
 かつて、御政道をあずかった武士は、腹を切って、みずからの失策を天下に詫びました。
 現代の政治家が、この峻烈さを理解できなのは、政治が、上からの使命ではなく、下からの選挙から生じているからでしょう。
 政治が、天命ではなく、世俗の家業になっているのです。
 政治家になることは、選挙にうかって、赤絨毯をふむことではありません。
 御政道をあずかって、生死を分かつ戦場に身をさらすことです。
 たとえ、国民が太平楽にうかれていても、1人、刀の柄に手をかけているのが、政治家で、だからこそ、国家の危機をのりこえる覚悟、知恵、胆力がそなわるのです。
 過日、テレビに、山梨の別荘にでかけ、秘書官らとゴルフに興じている安倍首相の姿が映し出されました。
 安倍首相は、衆院選挙前、憲法改正や靖国神社の参拝、領土問題の解決を訴えましたが、政権につくと、すべて、参院選挙後へ、先送りしてしまいました。
 そして、領土問題をかかえる中国やロシア、韓国との外交で大きな失策を重ねました。
 習近平総書記への親書を、尖閣諸島の共同管理を公言している公明党の山口那津男代表に託し、「4島といっても、返してくれるわけはないので、せめて、3島だけでも」などと能天気なことをいっている森元首相を、特使としてロシアに派遣したのは、どういう了見だったのでしょうか。
 
 問題なのは、安倍首相の選択が、それまでのご自身の主張を裏切るものだったことです。
 尖閣防衛も北方領土返還も、一歩も後に引けない国家の最重要課題で、尖閣の共同管理や北方領土3島返還は、論外どころか、議論にもなっていなかったはずです。
 とくに、島根県と同じ面積で、北方領土の63%を占めている択捉島の放棄は、日本政府の長年の悲願を投げ捨てるにひとしい外交上の大失策です。
 安倍首相は、この失策にたいして、どのような責任をとるおつもりでしょうか。
 御政道をあずかる者は、かならず、責任を問われるのです。
 責任をとる気がないなら、安倍首相は、政治家の風上にもおけない腑抜けたお坊ちゃん政治家、二世、三世政治家の烙印が押されることになります。
 安倍首相は、安全保障や領土問題など、国家的なテーマを先送りして、専ら、経済問題で点数を稼いでいますが、金融や経済は、閣僚や政策ブレーン、官僚の仕事です。
 経済問題ばかりを取り沙汰して、国家運営の大仕事を放置しては、一国の首相として、無責任の謗りを免れないでしょう。

 だらけた世相、風潮になったのは、責任をとるという決意や覚悟がなくなったからでしょう。
 失敗しても、失策を犯しても、ゆるされる。
 これでは、天下の御政道が、立ち行きません。
 規律が緩み、不正やデタラメが横行し、モラルが破壊されて、政治が、地に堕ちるだけです。
 政治家の無責任が、国家を滅ぼしかねないのは、かつての大政翼賛会が、国の進路を誤らせた例を挙げるまでもないでしょう。
 日本歴代の幕府が峻厳だったのは、天皇から、御政道をあずかっているという覚悟があったからです。
 天皇の御心にそって権力をうごかすことが、政治家にあたえられた使命で、権力者は、民の幸と国家の繁栄を祈願されてきた皇祖皇宗の大御心にそって、決死の覚悟で、はたらく。
 それが、わが国の国体なので、権力者は、失敗すると、腹を切って天下に詫びたのです。
 天皇皇后両陛下は、東日本大震災の被災地に足を運ばれて、被災者の救済と復興をつよく願われました。
 ところが、当時の民主党政権も中央省庁も、被災地の切実な要望をはねつけて、復興予算の多くを、霞ヶ関へ返還してしまいました。
 このとき、大津波で流失した公共施設の立て替え、水没地域の地盤かさ上げ、商店街の復興、小・中学校の耐震工事、宅地造成、避難所までの道路設備などの予算は、ほとんど、却下されたといいます。
 これが、国家にも国民にも、責任をとろうとしない政治家、官僚のふるまいで、責任や使命感を忘れ、保身やかけひき、思いつきやなりゆきだけで気ままに政治をおこない、それが、国益を害っても、何の痛痒もかんじないのです。

「祈りの日」式典は、テーマに、「森の防潮堤」をえらび、講師に、植物生態学者で、これまで、4千万本の植樹をおこなってこられた宮脇昭先生、宮城県で、岩沼市とともに、宮脇理論を実践に移しておられる輪王寺住職の日置道隆さん、宮脇先生の活動を支援しておられる元俳優の菅原文太さんをお迎えしました。
 現在、宮城県では、海岸沿い160km余にわたって、高さが平均7mほどのコンクリートの防潮堤をつくる工事がすすめられています。
 被災地の復興予算が軒並みカットされたのとは裏腹に、大津波に無力で、自然環境や景観を破壊するだけのコンクリート防潮堤に、3千億円の予算がついたのは、工事が、宮城県村井嘉浩知事と国土交通省のお手盛りだったからでしょう。
 村井知事は、160km余にわたって、無粋なコンクリートの塊を打ち込んで、自然の生態系と東日本の美しい海岸線を破壊した責任をどうとるつもりでしょうか。
 宮脇先生の講演で、印象的だったのは、宮脇先生が、天皇皇后両陛下に御進講をおこない、そのとき、両陛下から、平成の森をつくってくださいというおことばを賜ったというエピソードでした。
 後日談になりますが、当日、来賓のスピーチをいただいた亀井静香衆議院議員が、翌日以降、工事の中止をもとめて、国土交通省と交渉を開始しました。
 両陛下の御心にそった亀井さんの行動は、政治家の鑑で、政治家や役人が、早くから、両陛下の御心にそっていたら、復興は、これほど遅れることがなかったでしょう。
 現在の日本の弛緩は、元凶が、使命感を失った政治家の ていたらくにあったと断言せざるをえません。

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