Kuroshio 92
タブノキ探訪記
Kuroshio 91で、タブノキの全国分布を一覧したが、もとよりごく一部を掲載したのみである。早速、越後の光兎山の麓の関川村に住む畏友、大島文雄氏から、タブノキ情報の提供があった。新潟県村上市のイヨボヤ会館の側を流れる三(み)面川(おもて)は下流二キロ地点で日本海に注ぐが、その河口に多岐神社(たきじんじや)があり、義経主従が奥州に落ち延びるときに休んで、武蔵坊弁慶が「観潮閣」と名付けたと言われ、境内に大きなタブノキがあるとの情報である。しかも、三面川には他にもタブノキの森があり、タブノキの匂いを求めサケが海から帰ってくるとの伝承もあるとの指摘で、魚を寄せるというタブノキの新たな効用を知った。多岐神社について、羽賀一蔵(元豊栄山岳会会長)著『越後の海岸路を歩く』(二〇〇一年六月)を紹介していただいた。地況を的確に説明しているので、その一部を引用する。
(以下引用) (前略)国道から岩ケ崎集落の海岸通りに回り込み、目の下の三面川を目がけて坂道を下る。この坂の上には「岩ケ崎遺跡」がある。(略)背後は山に囲まれ、山の幸に恵まれ、三面川の河口を扼した地点であってみれば、外敵を見張るにも海や川の幸もまた豊かに手にすることが出来たはずだ。(略)道路の右、川に面した林の中には「明治四四年魚つき保安林指定」と書かれた木の柱が立っていた。古い明治のころに既に魚つき林とした先賢のすばらしい思想と、すぐ道路上のブル開発とは、私の頭の中には俄には結びつかない。(略)たたたあーっと坂を下って一二時。三面川の河口にある赤い神社「多岐神社(たきじんじゃ)」に足を延ばした。前々から何時か行ってみたいと望見していた滝の前の河口にある社殿である。三面川河口右岸に沿った細い岩道を辿った一番突端に、その社殿はある。法務大臣稲葉修の揮毫による「多岐神社」の扁額がある。由緒を読むと、どうしてどうして、延喜式内社で多岐津姫(たきつひめ)を祀ってあるのだという。「多岐津比売命」とはどういう神様か知らないが、家に帰って調べてみると、何と「天照大神と弟の須佐之男命が天乃安河原で誓約したおりに、天照大神が弟神の十拳の剣(とつかのつるぎ)を噛んで吹き捨てた。その天照大神の息から最初に生まれた女神で、名は安河の瀬の速い様を示したもの」だという。そうだとすると、ここもまた三面の瀬の速い河口であって、誠にこの神様の住むにふさわしい処だということができるだろう。(略)海と川の境目におきる三角波を眺めながらだと、豪華なランチとなる。その光る三角波を砕いて、今一艘の船外機ボートが海に乗り出して行った。上に下に揺られながら出て行くボートの航跡が、三角波にすぐに消された。(略)滝の前の岸辺に数人の老人たちがイサザ(しろうお)捕りの網を張っている。こういう魚を誘うような形の網を張るイサザ捕りは初めて見た。(ここまで引用)
奄美・徳之島出身の親戚筋が、埼玉県の越谷市で整形外科を開業しており、病院を新築落成させた祝宴に招かれ出かけた。北千住から東武線に乗り換えて都内から二時間足らずで着いた。越ヶ谷久伊豆神社(ひさいづじんじや)の森にタブノキがあると聞いていたので、地元のロータリークラブの会員のご案内で、落成式の祝いの幕間を抜け出して、タブノキ探訪に出かけた。なるほど、元荒川から参道が神社の本殿まで伸びていて、その間が森になっている。藤も今を盛りと咲いていた。久伊豆神社は、元荒川沿いに岩槻久伊豆神社などいくつかあり、埼玉県加須市(騎西地域)にある己貴命を主祭神とする玉敷神社が各地の久伊豆神社の総本社である。越ヶ谷久伊豆神社の本殿の裏手に、パラオのコロール島にあった「南洋神社」を遙拝する社がある。土屋義彦元埼玉県知事が遺骨収集団団長としてパラオを訪問していて交流が深く建立された。平成一六年四月の竣工祭にはパラオのレメンゲサウ大統領が出席している。元荒川が南洋群島に繋がる。久伊豆神社は、そもそも伊勢神宮との関係が深く、北畠親房が伊勢と筑波とを往来したように、伊勢と関東の越谷とがつながっていて、出雲との係累もあり、黒潮の民の交流を実証している。筆者は、最新鋭の医療で地域医療に貢献しようとする、もとは南方同胞の若手医師の志に呼応して、タブノキのように地域社会に深く根を下ろし、仁術満堂となることを祈ると手短に挨拶した。越谷小学校の校庭にタブノキがあるというので見に行ったが、隣の高層アパートの庭にそれらしき大木があった。越谷市相模町にある大聖寺の境内にもタブノキの大木があり、市の天然記念物になっている。越谷は外来者を余所者と排除しないで歓迎する気風に富むと、地元ロータリークラブの会員から聞いた。タブノキは黒潮文明の南方から発出して、関東平野に根付くべく元荒川を遡り、久伊豆神社に根を下ろした。
皇居外苑の楠正成銅像の左斜め後ろに一本のタブノキが植わっている。東御苑や北の丸公園のタブノキは、まだ機会がなく実見していない。 (つづく)
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