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Kuroshio 93

折口信夫の古代研究とタブノキ

 竹橋での会合の帰りに、皇居前広場を散歩しながら虎ノ門に戻る途中、前号に書いた楠正成銅像の左後方に植わっているタブノキの春の花盛りを眺めようと立ち寄った。楠とタブノキの見分け方を身につけるべく、幹周りを回った。楠は遠くから見ると、春の新芽が黄緑色に輝いているが、タブノキは新芽が赤い色に見えるから、遠目にも明らかに異なり区別できる。その新芽は花の蕾のように大きく、新緑の葉先に無数の赤色のつくしん坊がくっついて空に伸びているかのようだ。異国では紅楠という名前になっているのも故なしとしない。銅像の右前方にも、タブノキと思われる木があるが、楠でないことははっきりしても、蕾が小さく赤色が薄いから、素人目には本当にタブノキかどうか見極めがつかなかった。

 宮脇昭先生は、防波堤を越えて来た津波をくいとめたタブノキの生命力について書いている。それは、原爆が投下されて三~四年後の広島市内でタブノキが芽吹いているのを広島文理大学生物学科の学生の時に見て大変驚いた経験があったからだという。爆心直下の二キロ周辺には、全く樹木は残っていなかったが、爆心地から外れた比治山の谷沿いにタブノキが自生しているのを発見して、他はどうなっているだろうかと調査したところ、原爆ドームから二キロほど離れた神社に三本のタブノキが枝葉を枯らして立っているのを見つけたという。しかも、その一本の幹の根元から新芽を出していたことに感動して、なぜタブノキだけが再生しているのか不思議に思い、強い関心を寄せて研究調査を続けた。その結果、北海道と東北北部を除く日本列島の低地の小樹林の主木がタブノキであることがわかったと結論づけている。謎解きのような話だが、折口信夫の名著『古代研究』(昭和五年)の第三巻の口絵にタブノキの写真が説明もなく掲載されているが(「標著神(よりがみ)を祀ったたぶの」
は能登一宮の気多大社にあるタブノキである)、折口の弟子である慶応大学の池田弥三郎教授から、その意味あいを知るために、タブノキについて説明を求められ、タブノキこそ日本の土地本来の照葉樹林文化の原点だと説明したことがあると、忘れえぬ思い出と題して記録している。池田教授は宮脇先生の説明に深く感銘を受けて、昭和五五年三月に大学を退職した時に、苗を百本ほど(八〇本と具体的な数字を出している向きもある)購入し記念植樹をして、「池田弥三郎 タブノキを植える。宮脇昭 これを助くる」という記念碑を建
立したと言う。筆者は、五月一一日、そぼ降る雨の中を「たぶの森」を確かめ
るために、慶応大学の三田キャンパスに赴いた。正門の警備員にタブノキのことを聞いたが、市場原理主義の権化の元閣僚の大学教授を厚遇する「市場と権力」に特化した学風になってしまったのか、興味もない風で回答は要領を得なかった。日本最初の演説会堂で重要文化財の三田演説館の近辺に植わっているとは聞いていたので、探してみると、エノキや椎の大木があり、演説館の鬼門の方角に最近植えたらしいタブノキの植木が数本見つかった。四年前の五月に正門の守衛室奥にあった二八本のタブノキとシラカシが間引かれ、一二本のタブノキが創立百年記念のオリーブの木の隣に移植されている。南校舎が新築されたときに森を失くしたらしく、「たぶの森 由来」と題する、銀色の板に黒の活字体で書かれている碑板は、演説館の裏の右手の方向にすぐに見つけることができたが、これも移されてきたようだ。

 池田教授が直々に建立した元の碑はどこにあるのかわからなかったが、昭和六二年(一九八七)折口信夫生誕一〇〇年記念講演会の際に、慶応義塾国文学研究会により設置、除幕された碑文には、「たぶは 古来国内各地の山里に自生し、鬱蒼たる樹林は社叢等の聖地として郷里に親しまれている。折口信夫はその古代研究に関連してたぶの木に深い関心を寄せ、終生愛着を持ち続けた。たぶの木のふる木の 杜に 入りかねて、木の間あかるき かそけさを見つ 迢空 昭和五十五年三月、門下の池田彌三郎君は、退職に際して、三田山上に先師を偲ぶよすがを残すことを発議、植生学者 宮脇昭氏の協力を得て、正門内および演説館前に植樹を行い、ここにたぶの森の実現を見たのである」と銘文になっている。実際は、森と呼ぶことはできない数本のタブノキの植木になっていることは残念である。さて、碑文にある折口信夫の歌は、昭和二年に、能登を訪れた時の歌である。折口は「我々の祖(おや)たちが、此国に渡つて来たのは、現在までも村々で行はれてゐる、ゆいの組織の強い団結力によつて、波頭を押分けて来ることができたのだらうと考えられる。我々の祖たちが漂着した海岸は、たぶの木の杜に近いところであつた。其処の渚の砂を踏みしめて先、感じたものは青海の大きな拡がりと妣(はは)の国への追慕とであつたらう」(「上代日本の文学」)と書き、タブノキは海を渡ってきた祖先の漂着地の印だと主張した。タブノキが波濤を越える浮宝(舟)の材料であり、やがて結界を示すサカキ(境木=榊)になったとも推理する。黒潮の民の澪標(みおつくし)である。 (つづく)

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