構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Fool's Gold Revisited

2009年の暮れに書いていた。民主党政権の政権交代に期待したが、殊に菅総理大臣の出現以降は、全くの新自由主義の再演でしかなかった。また、自民党に政権が戻り、アベノミクスともてはやされているが、それが、第三の矢のような、新自由主義の政策推進に戻ることがあれば、また、愚者の黄金を崇拝する事態に立ち至ることは間違いない。僅か、数年前の教訓である。ジリアンテット氏の力作を再読する機会としたい。



「愚者の黄金」は、 日米英でほぼ同時に出版され、ベストセラーとなった。ジリアン・テット氏の新刊の書である。同氏は、約10年前にフィナンシャルタイムズ東京支局長をつとめ、その際、『セイビング・ザ・サン』という日本長期信用銀行の破綻の内幕を書いた単行本を出版して世界的なベストセラーとなった。新著「愚者の黄金」を紹介しながら、世界の政治経済の潮流が変化したことを確認して、外国型の経営の導入の問題点を探り、今後の企業経営の在り方を探る。なお、上記の二つの本は、いずれも日本経済新聞社から邦訳された。一読を勧める。

ジリアンテット氏は、新著「愚者の黄金」の前書きで、「巨大な信用バブルとその崩壊は、簡単に一握りの強欲で邪悪な人間たちの責任に帰せられるような話ではない。 銀行や投資ファンド、そして格付け機関などの大きな欠陥のある報酬制度、歪んだ規制の在り方、監督の不備などによって金融の”システム”全体がいかに道を誤ったかが問題なのだ」と述べている。リーマンブラザーズの破綻を契機にして、米国ではそれまでの共和党政権に替わって、民主党政権が成立して、しかも米国史上初の黒人の大統領が就任することとなった。オバマ新大統領の政策は、教育や医療、科学技術などの公共インフラの強化に力点を置く福祉型資本主義と呼ばれる積極財政論に立脚した政策で、新自由主義の政治・経済政策とは決別する内容である。例えば国民皆医療保険制度の創設が、最重要の公約として強調されている。小さな政府か大きな政府かという新自由主義の特徴についての議論も、小さな政府でも大きな政府でもどちらでも問題ではなく、国民のためになる政府であればよいと一蹴している。

テット氏の新著は、巨大な信用市場とその崩壊を、単に経営者や社員、従業員の個人の問題とするのではなく、企業のシステム全体の中で改善されなければ、洋の東西を問わず再演される恐れがあることを、膨大な現場取材の中から明らかにしている。ほぼ10年前に、フィナンシャルタイムズ紙の東京支局長として、日本長期信用銀行の破綻と日本政府の失政、外国資本の暗躍の過程をつぶさに見てきており、「セイビング・ザ・サン」という、本来であれば日本のマスコミ関係者によって執筆されるべきであった長銀崩壊の内幕を、調査報道の手法を駆使して大著としてまとめ上げ、日本のバブル崩壊の過程を克明に記録した出版物として世界に情報提供した。

氏は、近年の欧米を舞台にした、特にウォールストリートにおける、米国金融資本の連鎖的な破綻を観察しながら、十年前の東京で見たような崩壊過程と本質的には同じ現象だと、デジャビュ・既視感に囚われたとしている。日本長期信用銀行の破綻の過程において、責任感から自決した重役もいたし、また、長い裁判闘争を経て無罪を勝ち得た者もあったが、テット氏は、そうした日本型経営の手法に殉じた者は実は勇者であったのではないか、名誉回復が行われるべきではないかと、本年11月はじめに東京で行われた会見で感想を述べた。

日本でのバブルが崩壊した当時、日本の経営者はすっかり自信を喪失して、追い打ちをかけるかのように、外国の政府や関係者が頻繁に足繁く来日して、実は米国型にしか過ぎなかったのであるが、グローバルスタンダードに適合するよう要求すると共に、半ば説教するかのように、日本型経営を捨て去って米国型経営が当然優れたものであるとして半ば強制した。取引慣行や、会社の規制などの改変が法制度の改正をも伴って進められた。日本側では、成果主義の人事制度の採用などは、これまでの人事慣行を破壊するものであったから、会社が発展するどころか、混乱を起こして業績が低迷した企業も続出すると言う笑えない話もあった。

テット氏は、現実には、日本と西洋流の、彼我の経営・経済制度の優劣はなかったことを率直に指摘している。事実、米国における金融機関救済の渦中で、ノーベル経済学賞を昨年受賞したポール・クルーグマン教授が、日本に対する押しつけめいた経済政策の評論を過去に行ったことをわびるとの発言があったことは記憶に新しい。強硬な外国制度の押しつけを公認するかのように、日本の官民を挙げて、日本型経営手法を否定して、「国際基準」を採用するする動きが活発化させ、規制緩和などの会合を行政府の内部に創設して、外国仕込みの経済人や官僚が幹部を占めて、強力に推進した。

政府間では構造協議と称する日本改造計画を進行させた。企業経営を国際標準化するためとの大義名分の下で、経営陣の至れり尽くせりでしかも、高額の研修などが、財団法人などを殊更に立ち上げて活発な活動を展開した。市場原理主義を標榜する国際会議が、スイスや欧州の保養地で頻繁に開催され、その参加社リストに掲載されることが、一流企業の経営者や政治家の勲章のように称賛された。小泉・竹中政治は、米国の新自由主義政策を無批判に導入して、構造改革路線の名の下に、推し進めた典型である。財政政策は基本的に緊縮財政論がとられ、税制においても、新自由主義経済の教祖であるミルトンフリードマンが提唱するフラット税制を熱狂的に支持する、あるいは賛成する意見すら散見された状況で、また、教育制度の分野では、バウチャー制度による公的教育制度の漸減と私立学校の推進などを中心とする教育「改革」」が唱えられた。事実、公教育の予算削減も実行された。

民営化、規制緩和、公共事業の削減が呪文のように唱えられ、マスコミが無批判に後押しした。GDPは減少し、日本の経済規模は縮小した。ところが、米国で政権の交代があり、市場原理主義の現実が破綻する中で、日本でも、米国における新政権の登場に遅れることおよそ半年で、戦後初めての政権交代が行われ、いわゆる55年体制が終焉を見た。日本の場合には、米国の政治情勢とは異なり、与党第一党となった民主党は、マニフェストと呼ばれる抽象的な公約があるだけであり、しかも本質的には、マニフェストは財源論を含めて政権与党にとって有利となるものであり、野党として作成したマニフェストは現実から遊離しやすい内容となることが指摘されていたとおりに、新政権は、民主党、社民党、国民新党の三党連立政権の形をとることで、マニフェストの欠点を補完しながら、政権交代後の試行錯誤を断続的に継続している状況にある。(残念ながら、民主党政権は、小泉・竹中政治を踏襲するかのように、新自由主義の政策に加担して、再度の政権交代が1012年末に起きた。)

新自由主義の政治経済思想に基づく構造改革路線の導入は、日本国内でも、地方の疲弊、社会格差の増大などの現象を顕在化させ、また、金融資本の優遇から、いわゆるモノ作りの軽視などの政策を露骨に導入した。デフレ政策がおそらく意図的に採用され、キャリートレードという国内の金融資産の海外流出を促進するような金融政策も推進された。ホリエモン現象などと呼ばれる、新興金融資本がもてはやされ、株主重視、配当性向の重要視など、会社は誰のものかという神学論争が終わることなく続いた時代であった。

大手企業の場合などは、投資家向けの外国での説明会などが、株主重視の経済論に基づいて、きらびやかに行われた。社会的な弱者を顧みるという日本の精神伝統は失われ、自己責任の世界が称揚された。さて、リーマンショックが起きて、そのすべての幻想が崩壊した。崩壊の兆候は既に中南米での政権交代などに、新自由主義に反対する政権樹立が続出したことが顕著に表れていたし、ヨーロッパの先進国においても、新自由主義の政治経済と決別して、むしろ極端な民族主義には至らないまでも、国家としての独立性を保ちながら緩やかで前進的な経済統合を進めるような動きや、第三の道を求めるとの政治・経済活動が活発化していたが、残念ながら日本では米国への一極集中とも思われる政治が突出することとなり、また、マスコミの報道も市場原理主義の礼賛論が中心で、その批判は限定的に行われたから、リーマンショックに至るまで、新自由主義を批判する者は排除するような独裁的な雰囲気すら見られ、世界の動向の把握に遅れをとることとなった。

政治的には、郵政民営化をめぐる刺客選挙など、議会制民主主義の根幹である「適正な手続き」あるいは、「法の支配」を無視するような選挙が行われ、内閣直属として設立された経済財政諮問会議のように、一部の金融資本家を中心とする経営者が民間委員として参加して、選挙という代議政治の政治的な洗礼を受けないままで、議会を抜きにして、国家の基本的な処方箋を立案とする異常も放置されてきたところであった。

雇用慣行は、米国型に変更することが称揚され、正規社員と非正規社員の分離など、経営のコストダウンを人件費の削減で乗り切ることがあたかも優れた経営として称揚されたことになった。科学技術のイノベーションが取り違えられ、むしろ、研究開発のような長期的な投資をないがしろにして、短期的な利益を追求するという経営手法が称揚された。テット氏によれば、そうした外国による日本に対する説教にも似た強圧的な制度改変は、日本には不適合なものであり、文化人類学による世界の文化の多様性の現実を無視するようなものであったと示唆しているが、その指摘は、現実の世界経済の混乱によって証明されている。

日本は、米国の主導した新自由主義の政策に追随したが、それに対する一定の抵抗が見られ、根本的な破壊、日本改造には至らなかったことが不幸中の幸いであった。円高政策が推進され、米中の経済同盟が成立したような関係に成った、同じく市場原理主義を主導する中国経済との連動も称揚されたが一方で、従来の雁行型の経済発展の過程を辿ってきた東南アジアなどとの関係を疎遠にしてしまい、結局、アジアや、中南米の発展の果実の分配を、日本企業が受ける機会を著しく減少させるという結果を招いた。政府開発援助の仕方も、民間部門中心が正当であると主張され、日本の企業が緩やかに排除されることとなり、大きく日本の影響力を後退させることとなった。

しかし、それでもなお、日本の受けた新自由主義による経済破壊の傷は、米国国内での市場原理主義の破壊効果よりも小さかったのではないかと推測する米国内の有識者もいる。見方を変えれば、日本でも迅速に政権交代が行われ、日本が最も繁栄の基礎を形作った70年代の政治経済政策のありように復帰すること可能であり、まだ日本の復活の可能性が残ると指摘する外国の識者もまま見られる。

日本の基幹の企業の経営にあたっては、世界的な経済・政治の潮流が革命的に変化したことを認識することが重要である。新自由主義の極端な経済理論はあだ花であったことを認識して、今後とるべき道を確定するためにも、再度、日本型経営の長所と短所とを冷静に見つめ直すことが必要である。特にモノ作り企業の場合には、金融の資本のみではなく、人財とも表現するような社員、職員などの人的能力が重要な役割を占めるところから、人、モノ、カネと呼ばれる三要素の重要性の序列の再検討が必要である。

会社の縦割り化を促進するばかりで、風通しを悪くしたいわゆる執行役員制度の見直しなどもそのひとつであるが、外国から近年移入した制度の有効性について再検討することが必要である。テット氏は、金融機関の暴走は、その報酬制度にも問題があったと指摘しているが、役員会の報酬委員会の制度なども、人事委員会の機能を含めて見直されて然るべきである。社外重役の制度なども、実際には仲間内のもたれ合いを強化しただけに終わっている場合がまま見られる。月に何回か儀式を行うために参加しているような形式的な重役制度は、本当に必要なのか真剣な問が発せられて然るべきである。

市場原理主義のなかで、経営者に対する配分が手厚く、労働側に対する配分率が低かったことは周知の事実であり、一企業に留まらず、国を挙げて、雇用の適正な配分を基にした経済政策が考究されて然るべきである。

企業文化も、実は、伝統や社是、社訓と言ったものがなおざりにされ、一方的な利益率の提示が行われる傾向があったが、創業者の伝記などの発刊や、従来の伝統文化の強調や、社員先輩の絆の強化や、冠婚葬祭の礼儀の活発化など精神的な紐による共同体意識の涵養が重要である。コンプライアンス、ガバナンスという未だに定着しない外国の経営手法が声高に叫ばれるだけでは、生産現場では、志気が低下する傾向がまま見られ、日本企業の強みであった共同体意識の共有が失われつつある今、再生を目指すことを経営課題の重要な柱として捉えることが大切である。

社章や社歌の復活なども検討されてよい。社名や会社のロゴをグローバル化と称して、外国読みに変更した企業もあるが、効果を出しているとはとうてい考えられない。むしろ、創業の時代の歴史を再現して啓発を行うなどして、経営者と従業員が一体となった共同体意識を醸成する方が、長期的な発展の礎と成ってきた可能性が高い。

ブランド化も、短期的には巨大な利益を上げる可能性を持つが、それは企業宣伝の投資効果と密接に関連しており、実態が伴わないケースが多く、従業員などの福利厚生や企業の持続的な発展とは関わりなく、単純に資本に支配された枠組みとして見た場合に最も効率的な経営を行っている企業が多い。

そうしたバランスシート上の数字の改善は、経営の優れた手法のひとつではあるが、情報の非対称性もあるとすれば、長期的には、必ずしも均衡が成立する経営になると断言することは出来ない。

市場原理主義を推進する為に、国内団体が組成されたが、企業の参加費用としては効果のない出費であった。大企業であれば、類似の団体が多数あるところから、会費支出削減の対象とすべきである。誤った経済理論を応援してしまうことになりかねない。経済団体の中には、大規模に新自由主義の政策を称揚したむきもまま見られたので、特に指摘しておきたい。

日本型の経営には、欠点もある。日本長期信用銀行の破綻に象徴されるように、問題の所在がすぐに明らかにされず、責任の所在を曖昧にすると言う馴れ合いが生まれやすい体質があるとされる。その点からすれば、日本型経営の欠点を補うためにも、進取の気性に満ちた伝統などを再生させることが具体的に検討されても良い。テット氏の新著は、日本型経営の短所についても触れているが、誤った経営手法であるとは捉えていない。

ともあれ、ひとつのバブル経済が破綻して、新しい時代の幕が開けられた。ジリアン・テットという優れたジャーナリストの執筆による世界政治と経済の迷妄の部分について、東西比較の視点を保持しながら、二册の単行本がそろった。ご託宣を述べた外国の圧倒的な経営者も、危機に臨んでは、慌てふためいた10年前の日本の経済危機の時と同じような行動しかできなかった。余計なお説教であったが、それを聞きすぎたのではないだろうか。世界的にもベストセラーとなっている著書であり、経営の一線にある者に一読を勧めたい。真にグローバル企業を目指すとは、一部世界の物まねをすることではないことが一目瞭然である。企業を支え、新たな会社共同体の構築を目指す若い社員、従業員の皆様にも一読を勧めたい。日本の企業が最も栄えた時代の底流に流れる構造を探求して学び取り、世界に打って出て、特にモノ作り企業の復活をはかる好機であり、良書をその糧としたい。 

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