構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2013年6月

Innocence and Corrupt Court and Prosecutors

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http://blog.livedoor.jp/hbk3253/archives/51388839.html

http://blog.shunpunokai.com/?p=421

ご参考まで。

Fool's Gold Revisited

2009年の暮れに書いていた。民主党政権の政権交代に期待したが、殊に菅総理大臣の出現以降は、全くの新自由主義の再演でしかなかった。また、自民党に政権が戻り、アベノミクスともてはやされているが、それが、第三の矢のような、新自由主義の政策推進に戻ることがあれば、また、愚者の黄金を崇拝する事態に立ち至ることは間違いない。僅か、数年前の教訓である。ジリアンテット氏の力作を再読する機会としたい。



「愚者の黄金」は、 日米英でほぼ同時に出版され、ベストセラーとなった。ジリアン・テット氏の新刊の書である。同氏は、約10年前にフィナンシャルタイムズ東京支局長をつとめ、その際、『セイビング・ザ・サン』という日本長期信用銀行の破綻の内幕を書いた単行本を出版して世界的なベストセラーとなった。新著「愚者の黄金」を紹介しながら、世界の政治経済の潮流が変化したことを確認して、外国型の経営の導入の問題点を探り、今後の企業経営の在り方を探る。なお、上記の二つの本は、いずれも日本経済新聞社から邦訳された。一読を勧める。

ジリアンテット氏は、新著「愚者の黄金」の前書きで、「巨大な信用バブルとその崩壊は、簡単に一握りの強欲で邪悪な人間たちの責任に帰せられるような話ではない。 銀行や投資ファンド、そして格付け機関などの大きな欠陥のある報酬制度、歪んだ規制の在り方、監督の不備などによって金融の”システム”全体がいかに道を誤ったかが問題なのだ」と述べている。リーマンブラザーズの破綻を契機にして、米国ではそれまでの共和党政権に替わって、民主党政権が成立して、しかも米国史上初の黒人の大統領が就任することとなった。オバマ新大統領の政策は、教育や医療、科学技術などの公共インフラの強化に力点を置く福祉型資本主義と呼ばれる積極財政論に立脚した政策で、新自由主義の政治・経済政策とは決別する内容である。例えば国民皆医療保険制度の創設が、最重要の公約として強調されている。小さな政府か大きな政府かという新自由主義の特徴についての議論も、小さな政府でも大きな政府でもどちらでも問題ではなく、国民のためになる政府であればよいと一蹴している。

テット氏の新著は、巨大な信用市場とその崩壊を、単に経営者や社員、従業員の個人の問題とするのではなく、企業のシステム全体の中で改善されなければ、洋の東西を問わず再演される恐れがあることを、膨大な現場取材の中から明らかにしている。ほぼ10年前に、フィナンシャルタイムズ紙の東京支局長として、日本長期信用銀行の破綻と日本政府の失政、外国資本の暗躍の過程をつぶさに見てきており、「セイビング・ザ・サン」という、本来であれば日本のマスコミ関係者によって執筆されるべきであった長銀崩壊の内幕を、調査報道の手法を駆使して大著としてまとめ上げ、日本のバブル崩壊の過程を克明に記録した出版物として世界に情報提供した。

氏は、近年の欧米を舞台にした、特にウォールストリートにおける、米国金融資本の連鎖的な破綻を観察しながら、十年前の東京で見たような崩壊過程と本質的には同じ現象だと、デジャビュ・既視感に囚われたとしている。日本長期信用銀行の破綻の過程において、責任感から自決した重役もいたし、また、長い裁判闘争を経て無罪を勝ち得た者もあったが、テット氏は、そうした日本型経営の手法に殉じた者は実は勇者であったのではないか、名誉回復が行われるべきではないかと、本年11月はじめに東京で行われた会見で感想を述べた。

日本でのバブルが崩壊した当時、日本の経営者はすっかり自信を喪失して、追い打ちをかけるかのように、外国の政府や関係者が頻繁に足繁く来日して、実は米国型にしか過ぎなかったのであるが、グローバルスタンダードに適合するよう要求すると共に、半ば説教するかのように、日本型経営を捨て去って米国型経営が当然優れたものであるとして半ば強制した。取引慣行や、会社の規制などの改変が法制度の改正をも伴って進められた。日本側では、成果主義の人事制度の採用などは、これまでの人事慣行を破壊するものであったから、会社が発展するどころか、混乱を起こして業績が低迷した企業も続出すると言う笑えない話もあった。

テット氏は、現実には、日本と西洋流の、彼我の経営・経済制度の優劣はなかったことを率直に指摘している。事実、米国における金融機関救済の渦中で、ノーベル経済学賞を昨年受賞したポール・クルーグマン教授が、日本に対する押しつけめいた経済政策の評論を過去に行ったことをわびるとの発言があったことは記憶に新しい。強硬な外国制度の押しつけを公認するかのように、日本の官民を挙げて、日本型経営手法を否定して、「国際基準」を採用するする動きが活発化させ、規制緩和などの会合を行政府の内部に創設して、外国仕込みの経済人や官僚が幹部を占めて、強力に推進した。

政府間では構造協議と称する日本改造計画を進行させた。企業経営を国際標準化するためとの大義名分の下で、経営陣の至れり尽くせりでしかも、高額の研修などが、財団法人などを殊更に立ち上げて活発な活動を展開した。市場原理主義を標榜する国際会議が、スイスや欧州の保養地で頻繁に開催され、その参加社リストに掲載されることが、一流企業の経営者や政治家の勲章のように称賛された。小泉・竹中政治は、米国の新自由主義政策を無批判に導入して、構造改革路線の名の下に、推し進めた典型である。財政政策は基本的に緊縮財政論がとられ、税制においても、新自由主義経済の教祖であるミルトンフリードマンが提唱するフラット税制を熱狂的に支持する、あるいは賛成する意見すら散見された状況で、また、教育制度の分野では、バウチャー制度による公的教育制度の漸減と私立学校の推進などを中心とする教育「改革」」が唱えられた。事実、公教育の予算削減も実行された。

民営化、規制緩和、公共事業の削減が呪文のように唱えられ、マスコミが無批判に後押しした。GDPは減少し、日本の経済規模は縮小した。ところが、米国で政権の交代があり、市場原理主義の現実が破綻する中で、日本でも、米国における新政権の登場に遅れることおよそ半年で、戦後初めての政権交代が行われ、いわゆる55年体制が終焉を見た。日本の場合には、米国の政治情勢とは異なり、与党第一党となった民主党は、マニフェストと呼ばれる抽象的な公約があるだけであり、しかも本質的には、マニフェストは財源論を含めて政権与党にとって有利となるものであり、野党として作成したマニフェストは現実から遊離しやすい内容となることが指摘されていたとおりに、新政権は、民主党、社民党、国民新党の三党連立政権の形をとることで、マニフェストの欠点を補完しながら、政権交代後の試行錯誤を断続的に継続している状況にある。(残念ながら、民主党政権は、小泉・竹中政治を踏襲するかのように、新自由主義の政策に加担して、再度の政権交代が1012年末に起きた。)

新自由主義の政治経済思想に基づく構造改革路線の導入は、日本国内でも、地方の疲弊、社会格差の増大などの現象を顕在化させ、また、金融資本の優遇から、いわゆるモノ作りの軽視などの政策を露骨に導入した。デフレ政策がおそらく意図的に採用され、キャリートレードという国内の金融資産の海外流出を促進するような金融政策も推進された。ホリエモン現象などと呼ばれる、新興金融資本がもてはやされ、株主重視、配当性向の重要視など、会社は誰のものかという神学論争が終わることなく続いた時代であった。

大手企業の場合などは、投資家向けの外国での説明会などが、株主重視の経済論に基づいて、きらびやかに行われた。社会的な弱者を顧みるという日本の精神伝統は失われ、自己責任の世界が称揚された。さて、リーマンショックが起きて、そのすべての幻想が崩壊した。崩壊の兆候は既に中南米での政権交代などに、新自由主義に反対する政権樹立が続出したことが顕著に表れていたし、ヨーロッパの先進国においても、新自由主義の政治経済と決別して、むしろ極端な民族主義には至らないまでも、国家としての独立性を保ちながら緩やかで前進的な経済統合を進めるような動きや、第三の道を求めるとの政治・経済活動が活発化していたが、残念ながら日本では米国への一極集中とも思われる政治が突出することとなり、また、マスコミの報道も市場原理主義の礼賛論が中心で、その批判は限定的に行われたから、リーマンショックに至るまで、新自由主義を批判する者は排除するような独裁的な雰囲気すら見られ、世界の動向の把握に遅れをとることとなった。

政治的には、郵政民営化をめぐる刺客選挙など、議会制民主主義の根幹である「適正な手続き」あるいは、「法の支配」を無視するような選挙が行われ、内閣直属として設立された経済財政諮問会議のように、一部の金融資本家を中心とする経営者が民間委員として参加して、選挙という代議政治の政治的な洗礼を受けないままで、議会を抜きにして、国家の基本的な処方箋を立案とする異常も放置されてきたところであった。

雇用慣行は、米国型に変更することが称揚され、正規社員と非正規社員の分離など、経営のコストダウンを人件費の削減で乗り切ることがあたかも優れた経営として称揚されたことになった。科学技術のイノベーションが取り違えられ、むしろ、研究開発のような長期的な投資をないがしろにして、短期的な利益を追求するという経営手法が称揚された。テット氏によれば、そうした外国による日本に対する説教にも似た強圧的な制度改変は、日本には不適合なものであり、文化人類学による世界の文化の多様性の現実を無視するようなものであったと示唆しているが、その指摘は、現実の世界経済の混乱によって証明されている。

日本は、米国の主導した新自由主義の政策に追随したが、それに対する一定の抵抗が見られ、根本的な破壊、日本改造には至らなかったことが不幸中の幸いであった。円高政策が推進され、米中の経済同盟が成立したような関係に成った、同じく市場原理主義を主導する中国経済との連動も称揚されたが一方で、従来の雁行型の経済発展の過程を辿ってきた東南アジアなどとの関係を疎遠にしてしまい、結局、アジアや、中南米の発展の果実の分配を、日本企業が受ける機会を著しく減少させるという結果を招いた。政府開発援助の仕方も、民間部門中心が正当であると主張され、日本の企業が緩やかに排除されることとなり、大きく日本の影響力を後退させることとなった。

しかし、それでもなお、日本の受けた新自由主義による経済破壊の傷は、米国国内での市場原理主義の破壊効果よりも小さかったのではないかと推測する米国内の有識者もいる。見方を変えれば、日本でも迅速に政権交代が行われ、日本が最も繁栄の基礎を形作った70年代の政治経済政策のありように復帰すること可能であり、まだ日本の復活の可能性が残ると指摘する外国の識者もまま見られる。

日本の基幹の企業の経営にあたっては、世界的な経済・政治の潮流が革命的に変化したことを認識することが重要である。新自由主義の極端な経済理論はあだ花であったことを認識して、今後とるべき道を確定するためにも、再度、日本型経営の長所と短所とを冷静に見つめ直すことが必要である。特にモノ作り企業の場合には、金融の資本のみではなく、人財とも表現するような社員、職員などの人的能力が重要な役割を占めるところから、人、モノ、カネと呼ばれる三要素の重要性の序列の再検討が必要である。

会社の縦割り化を促進するばかりで、風通しを悪くしたいわゆる執行役員制度の見直しなどもそのひとつであるが、外国から近年移入した制度の有効性について再検討することが必要である。テット氏は、金融機関の暴走は、その報酬制度にも問題があったと指摘しているが、役員会の報酬委員会の制度なども、人事委員会の機能を含めて見直されて然るべきである。社外重役の制度なども、実際には仲間内のもたれ合いを強化しただけに終わっている場合がまま見られる。月に何回か儀式を行うために参加しているような形式的な重役制度は、本当に必要なのか真剣な問が発せられて然るべきである。

市場原理主義のなかで、経営者に対する配分が手厚く、労働側に対する配分率が低かったことは周知の事実であり、一企業に留まらず、国を挙げて、雇用の適正な配分を基にした経済政策が考究されて然るべきである。

企業文化も、実は、伝統や社是、社訓と言ったものがなおざりにされ、一方的な利益率の提示が行われる傾向があったが、創業者の伝記などの発刊や、従来の伝統文化の強調や、社員先輩の絆の強化や、冠婚葬祭の礼儀の活発化など精神的な紐による共同体意識の涵養が重要である。コンプライアンス、ガバナンスという未だに定着しない外国の経営手法が声高に叫ばれるだけでは、生産現場では、志気が低下する傾向がまま見られ、日本企業の強みであった共同体意識の共有が失われつつある今、再生を目指すことを経営課題の重要な柱として捉えることが大切である。

社章や社歌の復活なども検討されてよい。社名や会社のロゴをグローバル化と称して、外国読みに変更した企業もあるが、効果を出しているとはとうてい考えられない。むしろ、創業の時代の歴史を再現して啓発を行うなどして、経営者と従業員が一体となった共同体意識を醸成する方が、長期的な発展の礎と成ってきた可能性が高い。

ブランド化も、短期的には巨大な利益を上げる可能性を持つが、それは企業宣伝の投資効果と密接に関連しており、実態が伴わないケースが多く、従業員などの福利厚生や企業の持続的な発展とは関わりなく、単純に資本に支配された枠組みとして見た場合に最も効率的な経営を行っている企業が多い。

そうしたバランスシート上の数字の改善は、経営の優れた手法のひとつではあるが、情報の非対称性もあるとすれば、長期的には、必ずしも均衡が成立する経営になると断言することは出来ない。

市場原理主義を推進する為に、国内団体が組成されたが、企業の参加費用としては効果のない出費であった。大企業であれば、類似の団体が多数あるところから、会費支出削減の対象とすべきである。誤った経済理論を応援してしまうことになりかねない。経済団体の中には、大規模に新自由主義の政策を称揚したむきもまま見られたので、特に指摘しておきたい。

日本型の経営には、欠点もある。日本長期信用銀行の破綻に象徴されるように、問題の所在がすぐに明らかにされず、責任の所在を曖昧にすると言う馴れ合いが生まれやすい体質があるとされる。その点からすれば、日本型経営の欠点を補うためにも、進取の気性に満ちた伝統などを再生させることが具体的に検討されても良い。テット氏の新著は、日本型経営の短所についても触れているが、誤った経営手法であるとは捉えていない。

ともあれ、ひとつのバブル経済が破綻して、新しい時代の幕が開けられた。ジリアン・テットという優れたジャーナリストの執筆による世界政治と経済の迷妄の部分について、東西比較の視点を保持しながら、二册の単行本がそろった。ご託宣を述べた外国の圧倒的な経営者も、危機に臨んでは、慌てふためいた10年前の日本の経済危機の時と同じような行動しかできなかった。余計なお説教であったが、それを聞きすぎたのではないだろうか。世界的にもベストセラーとなっている著書であり、経営の一線にある者に一読を勧めたい。真にグローバル企業を目指すとは、一部世界の物まねをすることではないことが一目瞭然である。企業を支え、新たな会社共同体の構築を目指す若い社員、従業員の皆様にも一読を勧めたい。日本の企業が最も栄えた時代の底流に流れる構造を探求して学び取り、世界に打って出て、特にモノ作り企業の復活をはかる好機であり、良書をその糧としたい。 

Soul of Water

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第19回東西四大学OB合唱連盟演奏会に出かけた。稲門グリークラブによる、男性合唱組曲「水のいのち」を聞いた。 昨年5月24日に90歳で逝去した、故畑中良輔氏を偲んで、氏が繰り返し演奏した「月光とピエロ」を、全員で歌った。

念の為であるが、YouTubeの動画像は、今日の演奏会のものではない。

Stop the Vaccination

(This is an excerpt from June 2013 issue of Gekkan Nippon Magazine.)

http://gekkan-nippon.com/?p=5053

No end of trouble! Cervical cancer vaccine

Prime Minister Abe, Please Stop This Vaccination at Once!

“I want to die.” Those were the words of a young girl aged just 13 at the time.      The reality of the harmful side effects of a vaccine to prevent cervical cancer is becoming evident. The vaccine received approval under the administration of the Democratic Party of Japan soon after the change of government in 2009, and some local governments began providing subsidized vaccinations the following year.      The elder daughter of Mika Matsufuji of Suginami-ku, Tokyo, received a second dose of the cervical cancer vaccine Cervarix on October 19, 2011. The girl, aged 12 at the time, received the injection in the muscle of her upper left arm. She immediately felt pain and numbness in her hands, and three hours after the injection the pain spread to her shoulder, left leg and thigh, and down to her toes. She suffered vomiting and headaches, and the left side of her back swelled abnormally. Even now, the girl still suffers pain.      According to the Ministry of Health, Labor, and Welfare (MHLW), 1,926 cases of side effects have been reported nationwide; the number of victims can be expected to further increase from now on. The National Liaison Council for Victims of Cervical Cancer Vaccine is receiving a variety of reports about the harmful side effects. People talk about “a throbbing pain that turned into a sharp pain like being hit with a hammer,” “not being able to stand up and walk at all,” “being almost bedridden,” “motor function disorder,” and “difficulty remembering and calculating.” But despite the fact that it has caused such serious side effects, this vaccine was approved at extraordinary speed, and already \15 billion of public money has been spent on it. What is this cervical cancer vaccine, and what problems are lurking behind it? What is this cervical cancer vaccine? Cervical cancer is thought to be caused by infection with the human papillomavirus (HPV) transmitted through sexual intercourse. The so-called cervical cancer vaccine prevents HPV infection; it does not prevent cervical cancer itself.      Since this vaccine is not effective after HPV infection, its aim is to prevent HPV infection by injecting the vaccine before women become sexually active.      However, Toshie Ikeda, secretary of the National Liaison Council for Victims of Cervical Cancer Vaccine (and member of the Hino City Assembly), points out the following: “First of all, the cause-and-effect relationship between HPV infection and cervical cancer is not clear. It has only been shown that HPV infection exists in cases of cervical cancer. The mechanism by which HPV infection causes cervical cancer has not been revealed. Certainly the probability of HPV infection increases as people get older and more sexually active. But in almost all cases, the virus is discharged in a precancerous condition by the body’s own immune system. It does not inevitably lead to cervical cancer.      “Because the precancerous condition [dysplasia] has been overemphasized, the impression has been created that the increased risk of cervical cancer among women in their twenties and thirties, when they become more sexually active, means that they are going to die from cervical cancer.      “The reality, however, is just that women might get infected with the HPV virus. Cases in which HPV infection leads to cervical cancer and, in the worst scenario, death are almost entirely limited to elderly people in their sixties or over. And this pattern of people becoming ill in old age and sometimes dying from the disease is the same as that for other cancers. There are almost no cases of women in their twenties getting cervical cancer and dying from it. So it is quite insincere to argue as if women in their twenties are at grave risk of cervical cancer and to ballyhoo a vaccine that can prevent this disease.”      The graph as attached is from a pamphlet for a cervical cancer vaccine awareness-raising campaign. It seems to show that the occurrence of cervical cancer increases sharply among women in their thirties, but this is a pernicious manipulation of the facts. This graph does not show cases of actual cervical cancer but cases of dysplasia, the precancerous condition.      Dysplasia is caused by HPV infection, but it is not cancer as such. Dysplasia (low, medium, high grade) is said to transform into intraepithelial carcinoma and then invasive carcinoma, or cervical cancer, but most dysplasia heals naturally.      “Actually,” “says Ikeda, “Harald zur Hausen, the German scientist who discovered the human papillomavirus and a Nobel Prize winner, has written that the vaccine is effective not against cancer but against the precancerous condition, that is, dysplasia. The precancerous condition sometimes does turn cancerous, but often it just disappears as well. In the case of cervical cancer, it is said that almost all cases will probably disappear. The Tumor Research Office of the Department of Obstetrics and Gynecology in Keio University’s School of Medicine has issued an opinion backing Hausen’s assertion. It is now known that cervical cancer is not caused by HPV infection alone. Various environmental factors are also at work, such as smoking and infection by microorganisms. In other words, this vaccine has absolutely no track record relating to the reduction of cervical cancer.”      Vaccination has been promoted by giving the false impression that dysplasia is the same as the onset of cervical cancer itself. Cervical cancer vaccine is ineffective Cervical cancer vaccine is effective in preventing HPV infection but does not prevent cervical cancer itself.      At present there are two vaccines that have been approved in Japan: Cervarix, manufactured by the UK company GlaxoSmithKline (GSK), and Gardasil, manufactured by the US firm Merck & Co. There are around 100 types of HPV, and these two vaccines do not prevent all of the HPV strains. Cervarix is effective against HPV types 16 and 18, and Gardasil is effective against HPV types 6, 11, 16, and 18. They do not prevent types 52 and 58, which are the strains most often seen among Japanese people. Furthermore, GSK proclaims peace of mind for 20 or 30 years and advertises the product as if it has long-term effect, saying that if the vaccine is injected into young teenage girls, its effect can be expected to last well into their adulthood. In practice, however, the effect lasts for just six or seven years, so even if the vaccine is injected into teenage girls, it will have lost its effect by the time they are adults.      The “Fact Sheet Regarding the Human Papillomavirus (HPV),” issued by the National Institute of Infectious Diseases of Japan on July 7, 2010, states as follows: “The effect of the HPV vaccine in preventing the occurrence of precancerous lesions in the cervix is thought to last from at least 5 years to 6.4 years after vaccination.” Also, in response to a written question submitted by Eriko Yamatani, a member of the House of Councillors, the government’s reply on August 6, 2010, was that “Although it has been confirmed that the preventive effect lasts for 6.4 years at the most, the duration of the preventive effect has not been established.”      Thus, the true nature of the “cervical cancer vaccine” is that it does not prevent cervical cancer as such; it is effective in preventing only a very small number of HPV types; its preventive period is very short; and it has serious side effects that could wreck a person’s life. A whopping budget is being earmarked for this vaccine—\15 billion a year so far and a scheduled \100 billion in 2013—yet the process by which it obtained approval, and this huge budget, is rather spurious. Extraordinary speed of approval Approval of the HPV vaccine and the allotment of public money for subsidies took place at a speed that can only be described as extraordinary. There were three factors in the background of this approval and subsidization: political pressure, lobbying, and extraordinary guidance from the MHLW.      On June 29, 2011, Akira Matsu, a New Komeito member of the House of Councillors, got up and asked a question in the upper house’s Committee of Audit (quoted from the official record of the meeting): “I want this vaccine to be approved as quickly as possible. . . . I understand that it will probably be approved in Japan by the end of this year, but in other countries it is already being used on girls aged 11 or 12 years. . . . Since it is not the case that bacteria are being injected, actually there are almost no side effects. Everyone understands this in other countries. I would like to ask whether Japan will be able to maintain the setup after approval and whether the use of public funds as subsidies is being considered.”      Matsu was actively pushing for approval and subsidization of the cervical cancer vaccine. In her investigations into Cervarix, Mika Matsufuji, the representative of the National Liaison Council for Victims of Cervical Cancer Vaccine, heard an odd rumor: “I heard that the husband of Akira Matsu is an advisory lawyer for GlaxoSmithKline. Surprised, I made an inquiry to New Komeito. The reply was that ‘There is no truth in this matter,’ but . . .” The editorial board of this magazine, through the public relations department of New Komeito, requested an interview with Matsu, but instead we received a written reply from the PR department as follows: “Akira Matsu is extremely busy and is unable to make time for an interview. . . . Regarding your suggestion that her husband is an advisory lawyer for GlaxoSmithKline, there is no truth in this matter.”       On August 31, 2009, Cervarix was approved by the Second Pharmaceuticals Subcommittee of the Pharmaceutical Affairs and Food Sanitation Council of the MHLW. The record of that meeting includes the following statement: “As of August 2009, this vaccine had received approval in 96 countries in Europe and elsewhere. At the present point in time, while no similar medical product has received approval in Japan, demands from medical circles for clinical use of the HPV vaccine as a means of preventing cervical cancer and social interest are increasing. In view of this background, an application for approval of the manufacture and sale of this vaccine was filed on September 26, 2007, without waiting for the completion of domestic clinical trials and in accordance with the instructions of the MHLW.      “Regarding the results of domestic clinical trials, a final report on HPV-046 trials on healthy girls aged 10–15 years was submitted on xxxx/xxxx/xxxx, and the results of an interim analysis of HPV-032 trials on healthy women aged 20–25 years, the main test in Japan, were submitted on xxxx/xxxx/xxxx. On the basis of the results of this interim analysis, the examination team proceeded with its assessment of the HPV-032 trials and confirmed that there was no inconsistency with the content of the final report submitted on xxxx/xxxx/xxxx. This product is designated as an item for prioritized examination.”  

Examples of Critical Side Effects of Cervarix (Some of the 1,926 cases)

Age Date of vaccination Side-effect symptoms Criticality 20s Nov 9, 2010 Chill, red rash, hot sensation, fever, anemia Critical 10s Aug 7, 2011 Arthritis, arthralgia, fever Critical Sep 2011 Pneumonia Critical 10s May 23, 2012 Mycoplasma pneumonia, arthritis, arthralgia, fever, gait disorder Critical 10s Jun 19, 2012 Papillitis optica, weakened vision Critical 10s Jun 29, 2012 Hypesthesia, local swelling, muscle weakness, loss of limb movement due to injection Critical 10s Jul 4, 2012 Dysphonia, laryngeal edema Critical 10s Aug 2012 Purple spots, reduced blood platelet count, hemorrhage Critical 10s Aug 2, 2012 Angioma, pain Critical 10s Aug 7, 2012 Shock, nausea, decline in level of consciousness, loss of consciousness, discomfort, fainting, fall Critical 10s Aug 27, 2012 Suicidal impulse, abdominal pain Critical 10s Aug 30, 2012 Shock, cyanosis, loss of consciousness, foreign body sensation, musculoskeletal pain, decrease of blood pressure, respiratory distress, pallor, choking sensation, polypnea, tachycardia, vomiting Critical 10s Oct 11, 2012 Encephalopathy, gait disorder, fatigue, muscle weakness, Guillain-Barre syndrome, simple rash, motor impairment Critical 10s Nov 1, 2012 Hives, respiratory distress, hypersensitivity, facial swelling Critical

  Occurrence of Cervical Cancer Among Japanese Women (2001) (No. of persons per 100,000 population) No. of persons with cervical cancer (years) Age The occurrence of cervical cancer peaks among women in their thirties. If the cervical cancer vaccine is given to teenage girls, its effect can be expected to continue for a long time into their adulthood. In addition, in order to detect cervical cancer that cannot be prevented by the vaccine early, it is recommended that women have regular tests from their twenties. Japan Vaccine hopes that teenage girls will look after their uteruses by following these two guidelines.

  Process up to Approval of Cervarix May 2007 Launch of Cervarix Sep 26, 2007 Application in Japan Jul 17, 2009 Submission of final general report Aug 20, 2009 Submission of examination results by the Pharmaceuticals and Medical Devices Agency Aug 31, 2009 Approval by the Second Pharmaceuticals Subcommittee Sep 8, 2009 Report on examination results by the Evaluation and Licensing Division, Pharmaceutical and Food Safety Bureau Oct 16, 2009 Approval in Japan Dec 22, 2009 Start of sales in Japan May 13, 2010 First group vaccination in Otawara City, Tochigi Prefecture Feb 1, 2011

Start of public subsidies by the state Protect women’s lives and health from cervical cancer with a vaccine! Proposal by New Komeito! On July 21, 2010, the group of New Komeito members of the Nakano-ku municipal assembly submitted a “Demand for Further Improvement of Measures to Protect Life” to Nakano-ku Mayor Daisuke Tanaka. They called for the establishment of a subsidy system for cervical cancer and pediatric pneumococcal vaccine. For details, see http://www.nakano-komei.net.

A Leader in Exile

http://www.authintmail.com/news/asia/china-used-military-xinjiang-exiled-uighur-leader

The third Arrow out of Target 2

安倍内閣は、第三の矢がアキレス腱となっていることを指摘したが、更に心配、危惧されることは、民主党内閣が、閣議決定した、基礎的財政収支の赤字を2015年までに2010年度の半分にするという方針を墨守していることである。その基礎的財政収支、つあmり、歳出を税収の範囲内に抑えると言うことは典型的なデフレ経済の税制規律であり、日本を縮小経済にする頑強であるばかりではなく、外国勢力の利益に奉仕するものでしかないが、日本の財政当局は狂ったように、つまり、家計簿の赤字を消すかのように、2010年のプライマリーバランスが、34兆円であったので、五年後には、その赤字を17兆円にするなどと躍起になっているが、全く根拠のない話である。既に、財政赤字は、ほとんど実体経済とは関係が無いことが、経済学的には多数説であるにもかかわらず、根拠のない神がかりの話を財政当局が押し広めて、日本国家を弱体化させつつあるのは、遺憾旋盤としか言いようがない。

次の写真は、ボストンの国際政治の専門とする大学院で発表された資料の映像である。

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財政の赤字など、極端にならない限り心配する必要などないのだ。
消費税を増税などしたら、確かに、三パーセントアップすれば、税収は7.5兆円増加するか、プライマリーバランスの改善の為には、財政収支の削減が必要となり、これは、デフレは解消するどころか、一段と深刻になることは間違いない。財政収支の均衡策は、アルゼンチンで採られて、国家破綻が生じたことは記憶に新しい。プライマリーバランスを達成したときには、外債の債務履行に直面した。日本でもアルゼンチン債権で大損をした向きは多かった。しかも、上記の映像にある資料ではないが、均衡財政論は、、全く根拠がなく、日本に均衡財政策をとるように求めた米国に於いても最早説得力の有る議論とはなっていない。全く非科学的な根拠のない、神がかりの経済政策でしかない。数値目標がついている基礎的財政収支の均衡策を閣議決定することは、民主党政権に続いて日本を破壊しようとして、デフレ政策を維持刺せよとすmる外国勢力の陰謀に従った、政策でしかない。アベノミクスの戦後レジーム乃克服を目指す政策には、全くそぐわない相反する従属的な政策であり、矛盾する。

財政主導に夜有効需要の喚起を優先する政策こそが正道である。金融政策が株式市場を活性化することは重要であるが、やはり、実体経済に分配が雄こなれるなど、波及効果がない限り、デフレ政策の改称には役立たない。基礎的財政収支の目標達成の為に、二年間で17兆円の財政収支改善策をとることは、全く根拠のない愚策であり、日本を縮小させ、破壊する、デフレ政策でしかないことははっきりしている。

出だしが華々しく出発して、安倍政権が、新自由主義の残党の影響で、トドのつまりに大失策を犯しかねない状況に至っていることは慚愧にたえない。

国土の強靱化を目指す、財政出動こそが、デフレ脱却の切り札である。インフレを押さえ込む目標を立てて、それに従うことが重要である。

ケネス・ロゴフの均衡財政論の利害得失については、世界的にも議論されて、実質的な回答が現実の政策に於いて説明されていることからも、日本の財務当局による均衡財政論が稚拙なものであることが理解できる。

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B1%E3%83%8D%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AD%E3%82%B4%E3%83%95



The Third Arrow out of Target

 三本の矢で、デフレ政策をやめて、デフレ解消策と実行すると宣言した安倍内閣の決断は高く評価され、昨年末の選挙に大勝利すると共に、大胆な金融改革が実行された。アジア開発銀行の総裁をしていた元財務官の黒田東彦氏がマニラから呼び戻されて、日本銀行総裁に就任した。リフレ政策を主張していた岩田規久男氏が日銀副総裁に就任して、日銀は矢継ぎ早に超金融緩和を行った。株式市場は、投機的なバブル相場の状況を呈して、資金が、これまでの動きとは逆に外国からも流入して、株式市場の活況を呈していた。第二の矢は、機動的な財政支出であるが、これは未だに、10兆円の補正予算にとどまってはいるものの、景気の下支えになった。

しかし、産業の競争力の強化をめざす、とする第三の矢が放たれた瞬間に、アベノミクスと命名された、日本経済復興の道が停滞をみせた。

安倍首相は、6月5日の新聞の夕刊の締め切り時間と株式市場を意識しながら第三の矢を発表したが、期待とは逆の展開となり、投資家は売り注文を増やして行って、東京の株式市場は続落して行った。

当方ブログは、三本の矢については、金融緩和によるデフレ克服の目標についても評価できるが、第三の矢は、従来の構造改革路線を踏襲しようとする、いわゆる小泉・竹中政治の延長線上にあり、それを推進する勢力も、従来日本経済を縮小させてきたいわゆる規制緩和論者が占めていることに警鐘を鳴らしてきた。今回の第三の矢のなかという、薬をインターネットで売るネット利益を推奨する楽天の社長の意見が突出する、いわば政商の利益を前面に出して、あらたな利権作りの構造が提案されるばかりで、国民の幸福を考える姿勢が不足していた。子宮頸がんのワクチンを巡る問題が底流にある中で、薬品の規制緩和に対する真摯な対応が欠落していると見えた可能性があり、特に、雇用の問題では、限定正規社員、とか、金銭解雇の合法化とか、ホワイトカラーエグゼンプションなどと横文字で体よく隠蔽した、残業手当の召し上げ等、日本人の万民思想にはとても合致しない、外国来の搾取の思想がてんこもりになった内容が、発表された。国民の幸福に繋がる者は見当たらないと酷評する向きも見られた程である。

第三の矢の内容をみると、達成すべき目標を年限も含めて明確にして、国民総所得を10年後にひとりあたり150万円増やすと宣言するものである。国民総所得とは、国民総生産に企業や配当金収入などを含めたものであるが、今後10年間で、国民総所得を年平均三パーセント増やせば、10年後には1.38倍になるから、現在の年間平均収入が400万円であり、これが550万円近くになるという計算である。当方ブログが指摘してきたように、分配政策が欠落しているので、企業が手にした配当金や利子収入が国民に配分される保障は全く書かれていない。三年間で民間投資を70兆円回復するとか、インフラ輸出を拡大するとか、数字がたくさん掲出されているが、具体策がわからず、つまり、第三の矢は、国民の信頼を失ってしまうような、昔の名前をやめて、装いを新たにした規制緩和路線の再来であることが見透かされてしまった。市場は規制緩和路線が不十分であることに失望しているのではない。一部の資本家だけが濡れ手に粟の利益を手中にする市場原理主義が世界的に破綻する中で、日本だけがまだ、その政策を残していることに、目をつけたファンドの投機資本家などが、日本市場の上がり下がりを利用していることだ。日本が強くなるからこそ、資本は日本に流入するのであって、弱くなることが見通せるのであれば、資金は日本から流出する。株を売って円資金でドルを買い、本国に持ち去る。更に国債を売って、ドルを買い、海外に戻すことが行われかねない。第一の矢は、投機資金が活動しやすい環境がつくられたことにもなりかねない状況に反転する恐れがある。

これをくい止めなければならない。

Kuroshio 95

まだ戒厳令が敷かれ、朴正煕大統領の軍事政権の時代に韓国を旅行したことがある。帰国してすぐに博多から唐津の舞鶴城と虹の松原を訪ね、中里太郎右衛門窯に立ち寄り、おくんちの祭の夜を過ごした思い出があるから、昭和四六年の秋だった。高校の同級生で、本郷の下宿屋泰明館の友人の部屋に居候を決め込んでいた畏友、故清原壮一郎君と連れだって韓国を漫遊した。下関から関釜連絡船に乗り、釜山港で税関の開くのを沖待して早朝に船が着岸して、観光案内所で色々な説明を受け、できたての高速道路を使ってバスで京城に行った。当時、韓国はベトナム戦争に派兵していて、ある種の軍事歌謡で、サランヘ(愛してます)という歌が大流行していた。新世界レコードという会社から発売された一枚を買って、東京に戻ってから歌手の加藤登紀子の銀座の事務所に持参して、日本語での吹き込みを提案して売り込んだことがある。明洞の天主教(カトリツク)の司教座の教会(カテドラル)に行って、日本に亡命したこともある金寿煥(きむすーはん)枢機卿に面談して、学生を紹介して頂いた。西江大学校(そがんてーはつきよ)の寮に泊まったが、YMCA書店に安重根の掛け軸がかかっていたことを記憶する。市内には日本統治の名残のように多くの銭湯が残っていた。京城から南下して水原から列車に乗ったりバスに乗ったりで馬山を目指した。名刹華厳寺(ふぁおむさ)のある智異山(ちりさん)の麓の駅の名前が呉(くつれ)で、駅前の旅人宿(よいんすく)(旅館よりもワンランク粗末な宿)に宿を取ったが、警察が観光客の検めに深夜に来て、両掌に墨を真っ黒に塗られて指紋を採られた。馬山の手前の峠で、乗り合いの木炭バスがエンストし、乗客が総出で押してエンジンを始動させた。馬山にはまだ工業地帯もなく、日本人学生として珍しがられた。慶州で泊まった旅館の名前は大王旅館(てーわんよーかん)だ。入口が風呂屋の番台みたいになっていて、子守をしながら針仕事をしている女の子が受付だったが、夕日が落ちるとオンドルのために、部屋の後ろに回って練炭に火を点けた。蔚山(うるさん)にはまだ製鉄所もなかったから、今ほど賑わっていない駅前でタクシーを手配して、郊外の華山里(ふぁーさんり)という集落にあった友人の実家を訪問した。韓国の私立の名門高麗大学校(こーれーてーはつきよ)の学生で、後に韓国空軍の将校として智異山のレーダーサイトに勤務しているとの消息を聞いたが、それが最後で以後会ったことはない。旧家で、訪問すると早速墓参りをすることになり、墓は土饅頭の形をしていて、慶州の壮大な古墳ではなくとも、慟哭の対象となるに相応しい堂々たる墳(つか)の形であった。客間に主人の読みかけた文藝春秋の古雑誌が無造作に広げられていた。その蔚山の海岸の沖にある小島の目島(もくどん)に行ったことがあるが、目のような形をした椿の花が群生していた。椿は日本の国字で、韓国にはない字だ。韓国の天然記念物の第〇六五号に「蔚山目島の常緑樹林」として指定され、青森の深浦の椿が日本列島の日本海側の北限であるが、朝鮮半島の日本海側の椿の北限が目島となろう。ちなみに朝鮮半島西岸における椿の北限自生地は、仁川市甕津郡の大青島にあり、天然記念物〇六六号に指定されている。

タブノキは日本列島にとどまらず、アジアの全域の海沿に広がる。韓国の天然記念物に指定されたタブノキを纏めて挙げると、天然記念物第一二三号が全羅北道扶安郡の扶安格浦里のタブノキ、第二一九号が全羅南道珍島郡珍島観梅島のタブノキ、第二九九号が慶尚南道南海郡の南海昌善島のタブノキ、第三四四号が慶尚南道統営市の牛島のヤブニッケイとタブノキ、第三四五号が同市の統営楸島のタブノキ、第四八一号が全羅南道長興郡三山里のタブノキである。タブノキの実は天然記念物第二一五号の烏鳩(カラスバト)の餌になる。麗水の梧桐島にもタブノキ林がある。鬱陵島の名物にカボチャ飴があるが、元々はタブノキのエキスが加えられていたという。

タブノキは海岸に植わっており、湿度がそれなりに確保されることが必要だから、瀬戸内海では乾燥する海岸にはなくてむしろ内陸の吉備高原に植わっているが、朝鮮半島では大陸性の寒さのせいもあり北部と内陸には育たない。台湾ではタブノキは島全体に生育している。インドシナのラオスあたりではタブノキが植林の対象となっている。タイやベトナムではタブ粉が線香等の原料として使われるので、タブノキが乱伐され、今ではラオス産のタブ粉の輸入に依存するようになっているからだ。日本にも一〇〇〇トンくらいのタブノキの粉が輸入されて、南九州の人吉や大隅で生産されている国内のタブ粉を補充している。

タブノキの学名は「Machilus  Thunbergii」とラテン語で命名されているが、スウェーデン人の植物学者のカール・チュンベリーの名前をとり、それにモルッカ諸島でのタブノキの呼名であるMakilanをラテン語化したものをくっつけており、インドネシアの広大な島嶼域に自生する。

厚朴(こうぼく)は漢方の生薬である。喘息や胃腸病に効果があるが、モクレン科のホオノキの樹皮を和厚朴、シナホオノキの樹皮を唐(から)厚朴と区別して扱う。朝鮮半島では、クスノキ科のタブノキの樹皮も、薄朴と呼ばれて厚朴代わりの生薬として流通している。 (つづく)


Market and Corruption

Photo

当方ブログは、構造改革という名の破壊の闇を明らかにするためにも、本書のご一読を勧めます。

A Doctor in the House

アジアの賢人政治家であり、マレーシアの第四代総理大臣として、ルック・イースト政策を導入して、高度成長を実現し、また、通貨危機に対しても断固として西欧の投機と対峙してマレーシアを破綻から救ったマハティール・ビン・モハマド氏の回想録が出版されていた。A Doctor in the Houseと題する800ページにも及ぶ大部の単行本である。邦訳をする出版社がなかなか見つからなかったが、ようやく、大部の回想録の中から抜粋して翻訳して第一部とし、日本経済新聞に連載された私の履歴書を第二部として一冊の本にして、題してマハティールの履歴書とする単行本が出版された。

「日本は、アメリカが言うことをただ聞くのではなく、自国についてきちんと考えるべきだ。日本は独立国家である。戦後、経済復興を遂げるために、日本は独自の方法を採用して遂行してきた。そして、成功し、世界第二位の経済大国に成長した。しかし、いまや自らのやり方を諦め、欧米のやり方を採用してしまった。(序文より)

「(日本が)立ち直ることができない理由は、私たちマレーシアが採用した日本のシステムへのシンえんんを、日本人自身が失ってしまったからではないかと、私は結論づけた。どういうわけか、自分たちがやっていることは間違っていると。(本文より)

Mahathir

Kuroshio 94

異郷に根付くタブノキと島人(シマッチュ)

 タブノキが皇居前広場の楠木正成像の左後にあることは確かめたが、皇居の中に植わっているかどうか気がかりになった。一般に公開されている東御苑にあるか否か、新装のパレスホテルの地下道を抜けお堀の端に出て大手門から苑内に入りタブノキを探してみた。

 東御苑には千代田城と呼ばれたころの本丸の跡が残る。明治天皇の皇居は千代田城の西の丸に宮殿が作られたから、今の東御苑の方が、幕府の本拠地たる千代田城の本丸としては重要な場所であった。天守閣があり、将軍の日常生活の場所であった大奥も今の東御苑にあった。忠臣蔵の刃傷沙汰の舞台となった松の廊下のあった御殿も本丸にあったから、東御苑に跡地が残る。東御苑に一歩足を踏みいれると、東京の大都会の喧噪からは想像もできないような自然の豊かさが支配している。全国各地を代表する木が植えられている森があり、小鳥のさえずりがこだまするような美林が造られている。入場は無料で、プラスチックの入場証が渡され帰りにそれを返却することで退園を確認することになっているが、江戸時代そのままの百人番所が残り、また千代田城の精緻な石組みが美しく残る石垣が連なって、最高の庭園となっている。内外の観光客がカメラを携えて訪れる日本を代表する観光地ともなっている。天守閣のあった本丸は大手門のある場所からも一段と高く、土盛りがなされた高台となっている。本丸は坂を登って入る地形に設計されている。

 汐見坂が本丸北東の出入口となっているが、何と、その坂を登り切った右側
にタブノキの大木が植わっていることを確認することができた。ちゃんと「タ
ブノキ」と書いた木の名札も付けられていた。かつて上級職国家公務員に任官した者の初任研修の場所として、先の皇后陛下を記念する苑内の楽堂で雅楽の鑑賞会が開催されたが、その前庭には楠の大木がある。在りし日の大奥は今は整備された芝生の広場となっているが、天守閣の南側に広がる本丸に甍を連ねて、歴代の将軍の日常生活の場所として、御殿が建て込んでいたであろうことが想像される。

 本丸の広場を抜けて、台地の南側の出入口として中之門がある。その下り坂の始まる左側、逆に言えば坂を登り切った右側に、タブノキの一群の叢林がある。タブノキは本丸の出入口となる二つの坂を登り切った場所の海側に、深く根を下ろして天守閣の住人の往来を外敵から守るかのようである。東御苑のタブノキは、都を守るために南九州からはるばる畿内に移り住んだとされる、海人である大隅や日向の隼人を象徴しているかとも想像する。

 五月二六日に尼崎の中小企業センターで、関西天城町連合会の創立五〇周年の記念行事が開催された。今年は、奄美群島が昭和二八年に日本復帰して六〇周年の節目の年で、併せてお祝いする行事であったから、来賓として奄美全体の各郷土会の関係者も出席した。天城町は奄美群島の中央に位置する徳之島の北西部にあり、明治二〇年に天城村が造られ、大正六年に東天城村が分離して現在の境域となり、昭和三六年に調整が施行された自治体である。奄美群島が、米軍統治から祖国復帰を果たしたことは、日本で希にみる民族運動の成果であったことは、その指導者であった徳之島出身の詩人泉芳朗氏とともに忘れてはならない。

 復帰後の三〇年代には、黒潮の民がホモ・モーベンスとなり、故郷の島を離
れて、多くの人口が関西地方に定住することになった。出身の集落ごとにでき
た一一の親睦会が糾合され連合会が成立したのが日本でオリンピックの開催される前年の昭和三八年である。 連合会元幹部は述懐する。
「……一九四五年八月十五日を以って終戦になったが、……なぜかアメリカ軍の統治下に置かれた。長い戦時態勢が終わり、平和を期待したのに、本土から切り離され、生き地獄は続いた。本土に渡航すれば密航者として罪人とされ、島民はまるで捕虜扱いだった。畑仕事や生活は普通に戻ったが、経済・行政・物品の流通も皆軍事態勢のままだった。……」
 

また、連合会の記録にはこうある。

「……思えば昭和二十八年十二月二十五日故郷奄美は本土復帰を果たし喜びしたる(ママ)間もなく昭和三十年・四十年代には、関西の工業都市に何万人という人たちが職場を求め移住され関西のどの市に行っても島の人たちが居住されてうれしく思われました。反面島と違う言葉や社会環境に中々馴染まず苦労されている人達も多く、若人の中にはホームシックで島に帰る人も事情を聞くと情報不足で、親兄弟、友人知人連絡消息不足等が一番の原因で、次は職場に溶け込めない等でした。
 ……郷土会の充実した集落や町村は花見・総会・運動会等によって年に二~三回逢うことが出来、お互い励ましたり慰めあったり、会によって情報が伝わると言う大事な場所で、天城町でも、昭和三十八年大阪市労働会館で近畿天城会の設立が決定……」

 島人はタブノキのように異郷に根を張った。記念行事にはその先達の霊魂(マブイ)が挙って参加しているかのような幻覚を覚えたことであった。 (つづく)

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