Kuroshio 95
まだ戒厳令が敷かれ、朴正煕大統領の軍事政権の時代に韓国を旅行したことがある。帰国してすぐに博多から唐津の舞鶴城と虹の松原を訪ね、中里太郎右衛門窯に立ち寄り、おくんちの祭の夜を過ごした思い出があるから、昭和四六年の秋だった。高校の同級生で、本郷の下宿屋泰明館の友人の部屋に居候を決め込んでいた畏友、故清原壮一郎君と連れだって韓国を漫遊した。下関から関釜連絡船に乗り、釜山港で税関の開くのを沖待して早朝に船が着岸して、観光案内所で色々な説明を受け、できたての高速道路を使ってバスで京城に行った。当時、韓国はベトナム戦争に派兵していて、ある種の軍事歌謡で、サランヘ(愛してます)という歌が大流行していた。新世界レコードという会社から発売された一枚を買って、東京に戻ってから歌手の加藤登紀子の銀座の事務所に持参して、日本語での吹き込みを提案して売り込んだことがある。明洞の天主教(カトリツク)の司教座の教会(カテドラル)に行って、日本に亡命したこともある金寿煥(きむすーはん)枢機卿に面談して、学生を紹介して頂いた。西江大学校(そがんてーはつきよ)の寮に泊まったが、YMCA書店に安重根の掛け軸がかかっていたことを記憶する。市内には日本統治の名残のように多くの銭湯が残っていた。京城から南下して水原から列車に乗ったりバスに乗ったりで馬山を目指した。名刹華厳寺(ふぁおむさ)のある智異山(ちりさん)の麓の駅の名前が呉(くつれ)で、駅前の旅人宿(よいんすく)(旅館よりもワンランク粗末な宿)に宿を取ったが、警察が観光客の検めに深夜に来て、両掌に墨を真っ黒に塗られて指紋を採られた。馬山の手前の峠で、乗り合いの木炭バスがエンストし、乗客が総出で押してエンジンを始動させた。馬山にはまだ工業地帯もなく、日本人学生として珍しがられた。慶州で泊まった旅館の名前は大王旅館(てーわんよーかん)だ。入口が風呂屋の番台みたいになっていて、子守をしながら針仕事をしている女の子が受付だったが、夕日が落ちるとオンドルのために、部屋の後ろに回って練炭に火を点けた。蔚山(うるさん)にはまだ製鉄所もなかったから、今ほど賑わっていない駅前でタクシーを手配して、郊外の華山里(ふぁーさんり)という集落にあった友人の実家を訪問した。韓国の私立の名門高麗大学校(こーれーてーはつきよ)の学生で、後に韓国空軍の将校として智異山のレーダーサイトに勤務しているとの消息を聞いたが、それが最後で以後会ったことはない。旧家で、訪問すると早速墓参りをすることになり、墓は土饅頭の形をしていて、慶州の壮大な古墳ではなくとも、慟哭の対象となるに相応しい堂々たる墳(つか)の形であった。客間に主人の読みかけた文藝春秋の古雑誌が無造作に広げられていた。その蔚山の海岸の沖にある小島の目島(もくどん)に行ったことがあるが、目のような形をした椿の花が群生していた。椿は日本の国字で、韓国にはない字だ。韓国の天然記念物の第〇六五号に「蔚山目島の常緑樹林」として指定され、青森の深浦の椿が日本列島の日本海側の北限であるが、朝鮮半島の日本海側の椿の北限が目島となろう。ちなみに朝鮮半島西岸における椿の北限自生地は、仁川市甕津郡の大青島にあり、天然記念物〇六六号に指定されている。
タブノキは日本列島にとどまらず、アジアの全域の海沿に広がる。韓国の天然記念物に指定されたタブノキを纏めて挙げると、天然記念物第一二三号が全羅北道扶安郡の扶安格浦里のタブノキ、第二一九号が全羅南道珍島郡珍島観梅島のタブノキ、第二九九号が慶尚南道南海郡の南海昌善島のタブノキ、第三四四号が慶尚南道統営市の牛島のヤブニッケイとタブノキ、第三四五号が同市の統営楸島のタブノキ、第四八一号が全羅南道長興郡三山里のタブノキである。タブノキの実は天然記念物第二一五号の烏鳩(カラスバト)の餌になる。麗水の梧桐島にもタブノキ林がある。鬱陵島の名物にカボチャ飴があるが、元々はタブノキのエキスが加えられていたという。
タブノキは海岸に植わっており、湿度がそれなりに確保されることが必要だから、瀬戸内海では乾燥する海岸にはなくてむしろ内陸の吉備高原に植わっているが、朝鮮半島では大陸性の寒さのせいもあり北部と内陸には育たない。台湾ではタブノキは島全体に生育している。インドシナのラオスあたりではタブノキが植林の対象となっている。タイやベトナムではタブ粉が線香等の原料として使われるので、タブノキが乱伐され、今ではラオス産のタブ粉の輸入に依存するようになっているからだ。日本にも一〇〇〇トンくらいのタブノキの粉が輸入されて、南九州の人吉や大隅で生産されている国内のタブ粉を補充している。
タブノキの学名は「Machilus Thunbergii」とラテン語で命名されているが、スウェーデン人の植物学者のカール・チュンベリーの名前をとり、それにモルッカ諸島でのタブノキの呼名であるMakilanをラテン語化したものをくっつけており、インドネシアの広大な島嶼域に自生する。
厚朴(こうぼく)は漢方の生薬である。喘息や胃腸病に効果があるが、モクレン科のホオノキの樹皮を和厚朴、シナホオノキの樹皮を唐(から)厚朴と区別して扱う。朝鮮半島では、クスノキ科のタブノキの樹皮も、薄朴と呼ばれて厚朴代わりの生薬として流通している。 (つづく)
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