構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2013年7月

Ueno Station celebrates 130th anniversary

上野駅が開業して130年になったという。今日は、発車のベルの代わりに、伊沢八郎の歌謡曲、ああ上野駅がかかったという。集団就職の時代に上野駅を乗り降りしたことを懐かしく想う人が多いと思う。上野駅は豊北からの出入り口だけではなかった。東京駅を降りてから、上野駅の周辺に1日の宿を探し求めた「おのぼりさん」は多かったと思う。

http://youtu.be/FpYczKJinqc

Corrupt Insurance

http://hoken-guide.jimdo.com/2013/03/15/日米保険協定ってなんだ/

日米保険協議は1994年から日本とアメリカとの間で毎年開催された保険に関する協議。

日米保険協議とGATSサービス交渉(PDF)(山浦広海氏。福島大学教授)

 

民間の保険を、

第一分野:生命保険

第二分野:損害保険

第三分野:いずれにも属さない第三分野(医療保険、がん保険などはここにあたる) 

の三つに分け、それぞれについて規制の緩和を協議する内容だった。   

そもそも、日本国内では第一分野の生命保険会社が第二分野の損害保険を販売することは規制により認められていなかった(その逆も)。   

そして第三分野については、アメリカとの約束で日本の保険会社が参入することが禁じられていました(なぜ?)。

1970年代にアフラック(アメリカンファミリー)が日本で初めてがん保険の販売をしましたが、がんの不安を煽ってがん保険を売りまくり、1999年には日本国内でのシェアは85%以上にもなりました。外資によるがん保険の独占は日本の国策であったのです。

この状況の中、行われた日米保険協議は1994年にスタートするものの、内容は生命保険業と損害保険業の相互参入の解禁にとどまり、肝心の第三分野における外資の独占については「激変緩和措置」として2001年まで延長することが決定されました。   

2001年この措置は期限を迎え撤廃されましたが、そこでも参入が解禁されたのは大手生命保険会社と損害保険会社の子会社生保のみで大手損保の市場参入は半年遅れての7月から。これも米国の要求であったといわれています。

 

2013年安倍総理大臣はTPPの参加を決定しましたがここでも大きな争点となるのは保険。アメリカの保険会社にとって日本の保険市場は大変魅力的なようであの手この手で規制緩和という名目の規制をかけてきています。

 

ちなみにかんぽ生命ががん保険を販売しないのも ---

政府の郵政民営化委員会(西室泰三委員長)は今月22日、学資保険の見直しを認める一方、かんぽ生命が将来、がん保険などの認可を申請しても認めない意向を明言。日本の環太平洋経済連携協定(TPP)交渉参加をめぐり、米国がかんぽ生命の事業拡大を懸念しているのに考慮し、新規業務に一定の制約をかけた。

(2012/11/27 サンケイ新聞)

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事実上政府の生命保険会社であるかんぽ生命が事業を拡大して アメリカの生命保険会社の参入をさまたげているという主張に遠慮した形になっています。 

へんな話ですよね。   

誰も困っていない郵便局を解体し民営化をすすめたのがアメリカの生命保険業界のためだとすればおかしなことですね。 こういった真相についてどのマスコミもきちんと報道をせず、いたずらにがん保険のコマーシャルを流し続けているという事実を 私たち消費者は知っておく必要がありそうです。

追加の情報です。これまたご参考まで。

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=271480

Bowing

最近コンビニあたりで、店員が深々とわざとらしくお辞儀をする。しかし、どこかぎこちない。よそよそしい。不思議な例の仕方だなあ、何の風の吹き回しか、等と思っていたら、図星の解説だ。外国勢力による破壊工作だ。こんなお辞儀をさせている会社や店があれば、注意をしよう。http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-1958.html

きっと、組織的に行われているに違いない。

Tokyo Station being restored

Free Wi-Fin in Tokyo Metro(Subway)

Kuroshio 97

黒潮文明源流域の漂海民

 黒潮の源流はフィリピン諸島の東側海域に発する。フィリピンから沖縄まで
約一〇〇〇キロの距離があるが、黒潮文明の源を黒潮の発するフィリピン東部海域とその先の多島海にたどることができないだろうか。黒潮は時折り大きく蛇行する。二万年前に流れ始めた黒潮は一万二千年前に日本列島に近づいて流れるようになったと言われる。九州の一〇ヶ所以上の遺跡で丸木舟を加工するための石斧が見つかっている。マニラのフィリピン国立博物館にも、パラワン島で発見された全く同じ形状の石斧が展示されている。

 ルソン島の北部にポリリョ島があり、マニラから今では定期便の飛行機が飛
ぶ観光地となっているが、昔ながらの丸木舟を使って漁労をするルマガットと
いう海辺に暮らす人々がいる。ルマガットとは、海から来た民という意味であ
る。ルマガットの祖先のすんでいた海はもっと南の多島海とも称すべきフィリ
ピン南部からボルネオにかけての海域である可能性が高い。そのルマガットが黒潮に乗って沖縄を経由して日本列島や朝鮮半島の沿岸を目指したのか。台湾とフィリピンの諸島とを分かつバシー海峡は荒れる海で有名であるが、バシーとは「境界」を意味する言葉であり、「バシ切る」は境界をはっきりさせることで、日本語の中に隠語として今に残る。バシー海峡にさしかかれば、激流は北上するだけで、二度と元のふるさとに戻れる船旅ではなくなるから、ルマガットの人々にとっては、バシ切る海峡を渡り黒潮に乗ることは、永訣の水杯を酌み交わすことであったろう。

 東南アジアでもフィリピンのルソン島からインドネシアのバリ島とを一直線
で南北に結ぶ線の東側の海域は世界有数の多島海である。この海域に住む動物がアジア大陸の種と異なることは英国人博物学者A・R・ウォーレスにより発見され、この海域は彼の名にちなんで、ウォーラセアと名付けられている。オ
ーストラリア大陸ともパプアニューギニアとも異なる海域で、ウォーラセアに
はオーストラリアとアジアの大陸とを分かつ深い海が太古から横たわってい
た。その珊瑚礁の海域に、フィリピンの南西部のスル諸島から、ミンダナオの
沿岸、ボルネオ島の北部と東岸、インドネシア東部にかけて、バジャウあるい
はバジョとして知られる漂海民がいる。 マレー語でペラウまたはビンタと呼
ぶ小さな帆船を操り、レパと呼ばれる家船に乗って移動して漁労をしながら生
活を営む人々である。珊瑚礁がない海岸の場合には、河口の当たりなどの浅瀬に杭を打ち込んで建てた木造家屋に住んでいる。ブルネイの首都の海上家屋などは壮観である。最近でこそ、陸上に移り住む者も多くなったが、台風のない海域では、熱帯特有のマラリア蚊がいない海上の方が、清潔で健康にも良いし、涼しくて快適であることもあり、好んで海上に住んでいるのが実態である。ミンダナオでは長年武力紛争があって、多くのバジャウの人々が、フィリ
ピン北部や、ボルネオ側のマレーシアのサバ州やサラワク州に避難したから、サバ州では、全人口の内一三パーセントを構成する第二の集団となっている。バジャウの人々は自分たちのことをサマ人と自称している。サマ語を使う人口は百万人ほどいるのではないかと推定されている。サマ語は、フィリピンのサマール島の近辺のアバクノン、ミンダナオのバラギンギ、スル諸島の中央サマ、パングタラン、ヤカン、北ボルネオの南サマ、マプン、西海岸バジャウ、そして、ハルマヘラ、フローレス、スラウェシから、南ボルネオまでのいわゆるインドネシア・バジャウ九言語集団に分類されており、ウォーラセアを中心
に広大な海域に居住している。その他にも、タイとビルマの国境のメルギ諸島
のモケン、南スマトラとラウト諸島のオランラウトもバジャウとの共通性があ
り、広い意味では、同じ民族ではないかとの指摘もある。サマといえば海上家
屋に定住している人々の呼び名で、バジャウといえば舟に乗って生活している人々を指すのであるが、漂海民としてのバジャウは、貧困な生活を想像せざるを得ないから、自らの呼び名としては卑下することになる。バジャウの人々は、一般的には、浅黒い肌をしているが、どちらかと言えば色白なシヌムルと言う集団もある。マレーシアのラハダッには、バジャウの家船の集落があるが、イギリスの植民地時代には、マレー人として登録した方が有利であったため、自らをマレー人と考えている向きもある。特にフィリピンから移住してき
た人々はマレー人として、マレーシア国籍を取得することを希望する向きが多
い。

 サマ人は、米や芋などの炭水化物を生産しないで漁撈を中心としているか
ら、交易は商業主義の色が強い。田中一村の絵の一幅に、ガジュマルの木の下で糸満の女が集まり、「魚を買わないか(ユーコンソラミ)」と呼びかけている構図の絵があるが、バジャウの市場風景も同じである。スル諸島では一八世紀から一九世紀にかけて王国が隆盛になったが、その繁栄はナマコやフカヒレなど、中華料理の原材料としての商業海産物を大量に採取・販売したことに基づいていた。 (つづく)

New World Order

これまた2年前に書き留めた備忘録である。当たり外れがある。ご参考まで。

米国で、バラク・オバマ上院議員(民主党)が、大統領に就任してほぼ一年が経った。新政権の登場まで、一年半の準備期間があったが、共和党のレーガン大統領の時代からの市場原理主義の跋扈による、世界金融危機の引き金をも引き起こしかねない緊迫した状態の中での政権交代であったから、オバマ新政権の閣僚には、ゲイツ国防長官のように、ブッシュ前政権からの継続した人事もみられたところである。極めつきは、大統領選を競ったヒラリー・クリントン上院議員を国務長官に起用したことに象徴されるように、米国の歴史上初の黒人大統領として、妥協色の強い人事で発足している。

しかし、一年を経過した今、政権交代期の混乱が沈静化して、オバマ新政権の方向が具体化する年であるから、その動向を的確に把握することが重要である。特に、日本の場合は、共和党の政権に追従した時代が長く続いたために、オバマ大統領の所属する民主党政権に対する人脈などのパイプが不足していることが指摘されてきている。米国の失業率は、10%を超える高水準にあり、国内の不満が外国企業等に向けられる懸念もなしとはしないので、いわゆるトヨタバッシングの動向に注目することは、米国市場に橋頭堡を持つ日本企業にとって、重要である。対米市場戦略を一新させ、あるいは再定義することに全力を傾注することが求められる年である。米国の変化に対応して、日本企業のグローバル企業の展開は、また変化せざるを得ないが、オバマ新政権の出方によっては、日本においても登場した新政権と同調する可能性も残されている。日本国内では、従来の共和党政権の関係者の意見が強調されて、悲観論が伝わる傾向があるが、現実に権力を奪取しているのはオバマ新政権であるから、米国内政に対して不偏不党の中立を保ちつつ、積極的に対応することが肝要である。

 

米国における、ものづくり企業は、市場原理主義の政策のもとでは、徹底的に冷遇され、中国などへの海外移転がはかられたが、そうした動きは停止する方向である。財政経済政策としては、ケインズの拡大均衡論の政策に戻ることが必至であり、米国市場においても、原子力発電や高速鉄道などのインフラ建設のプロジェクトが推進される可能性が大であり、これに対応した人脈作りなど、米国国内における営業推進体制の構築が必要である。さらには、米国の政策変更の影響が大きい中南米での活動や、米国と準経済同盟の関係に至った中国などに与える影響について検討して具体的な対策を講じて、従来の市場原理主義型の経営方針を改めることが必要である。

 

米国における政変とも言い得る政権交代があり、日本国内でもこれに影響を受けた政権交代があり、歴史のパラダイムの転換の時期にある。ものづくり企業にとっては、実体経済を優先することであるから基本的には歓迎すべき転換であるから、基本と正道に立ち返って、内外で積極的な市場開拓を行う提案活動を行うことが必要である。

 

世界の金融危機の引き金をも引いたウォール街に対する、アメリカの新政権の対応は強烈なものである。1月14日に行われたオバマ大統領の演説では、「我々は、国民の皆様方の大金を取り戻す、わずか10セントでもだ。」と強い語調の挑発的な言葉で、金融危機責任税を課すことを発表した。新政権は、発足時と機をいつにした世界的な金融大混乱の中で、金融機関に税金を投入して救済に踏み切ったことに対する批判の高まりに呼応したものである。米国下院では、救済法案を一時は否決したが、金融危機の高まりとともに、保険業界などの救済に踏み切ったが、金融会社の役員給与が天文学的な額が支払われ続けるなど、米国内には、ウォール街に対する反感が残り、オバマ新政権は、そうした勢力を温存しているのではないかとの疑惑も高まっていた。

1月21日には、商業銀行によるヘッジファンド投資の禁止や、金融機関の肥大化を制限する金融機関を規制する新しい規制法案を発表している。1月28日、米国上院は、連邦準備理事会のバーナンキ議長の再任を巡る承認投票をおこなった。ブッシュ政権の最後のポールソン財務長官こそ、オバマ政権を去ったものの、サマーズ氏や、連邦準備理事会のバーナンキ議長など、ブッシュ政権下での実力者が居残ったままでの経済政策の運営であったから、「反ウォール街の姿勢」を見せることが必要であったが、反対票は史上最大の三十票となり、賛成が70票にとどまり、審議打ち切り動議も、77票で可決される、つまり、議論の継続を求めた意見が23票もあったことである。オバマ大統領は新規制法案を発表する中で、「彼らの金融界が戦う気なら、こちらも戦う用意がある」と過激な発言を行っていることからもわかるように、日本国内ではほとんど報道されていないが、激しい政治闘争が継続している。

1月19日に行われたマサチューセッツ州の補欠選挙では、共和党候補に大統領の与党民主党からの候補が、しかも民主党勢力の強いところで、敗北するという番狂わせがあり、余計に「反ウォール街」の姿勢を明らかにせざるを得ない状況に追い込まれたものとみられている。上院の議決数に現れた批判票は、それなりに、オバマ政権の努力を評価されたとの数字であるとの見方ができる。日本では、米国の格差社会となった過酷な現実をあまり知らされていないから、黒人大統領が就任するに至った激しい国内政治・経済の状況について、認識を改め理解を深めることが必要である。

余談になるが、マイケル・ムーアが監督した映画「キャピタリズム」が、日本全国で上映されている。米国における自動車産業を中心としたものづくり産業が、銀行や保険など金融資本が政治を手中に収める中で、衰退していく様を活写する内容の映画となっている。80年代に登場したレーガン政権においては、メリルリンチ証券の会長から就任した財務長官が、大統領にも指図をする、金融資本に支配されるようになった米国の実態が、早わかりできる映画となっている。

ものづくり企業においては、社員教育・研修の一環として、映画「キャピタリズム」の鑑賞をすすめるのも一策である。米国事情に疎いものづくり企業の経営陣や中間管理職はもとより、多くの社員が米国の政治・経済の実態を早わかりする映画として、一覧を勧めておきたい。労働組合の推薦と言うよりは、経営者側からの推薦であればこそ、ものづくり企業においては、なお効果が高い可能性があるのは、市場原理主義万能の時代においては、日本の労働組合は、非正規労働の問題など、世界的にも金融立国論と安易に妥協した嫌いがあるが、その点、ヨーロッパでは依然として、同一賃金、同一労働が原則である。だからといって、国際競争力がそれほど低下した話も聞かない。

映画の中には、株式会社ならぬ生産組合方式のエンジニアリング会社の成功例も紹介されており、また、知的財産権にこだわらない、小児麻痺ワクチンの開発者の事例も取り上げられている。

1月27日、オバマ大統領は、大統領就任後初の一般教書演説を行った。http://www.whitehouse.gov/photos-and-video/video/2010-state-union-address

 

 

 一般教書演説は、日本の総理大臣が行う、所信表明の演説よりも詳しく、予算の裏付けを示す演説であるが、米国の政策がどのように具体化するかを知ることのできる議会演説である。一般教書演説の中で、高速鉄道網の整備に約80億ドルの予算を配分する計画に触れて、その内容は、翌日の28日にホワイトハウスから発表されている。31州で高速鉄道を建設して、鉄道の敷設はもとより、駅、トンネルなどの施設建設によって、雇用拡大、景気浮揚策を打ち出している。大統領はオバマ副大統領とともに、フロリダ州のタンパを訪れて、同州内にあるディズニーワールドに鉄道でいけるようにすることを発表している。同時に、ニューヨーク州の北部にも鉄道を建設することに言及している。日本は新幹線技術を保有しており、米国の鉄道再生のためにもっとも貢献できる可能性がある。大統領と副大統領とがそろって、雇用と景気のための投資案件としてめだまとしたことからも、意気込みが伝わってくるから余計に、日本側のものづくり企業の積極的な対応が求められている。自動車産業に対する関与は、日本企業が、米国自動車産業を没落させた悪者に仕立て上げられる可能性があるので、注意深く対処することが必要である。その点、高速鉄道敷設については、米国の威信を害さない限りにおいては、むしろ日本の高度な技術を紹介することが得策である。日本のものづくり企業は、高速鉄道の再先進国として、米国国民に対する広報宣伝活動を開始するタイミングであり、ハイブリッドあるいは各種の電気自動車と異なり、日本国内で確立した技術を輸出することであるから、リスクがもともと低いことも有利性の一つである。

 

一般教書演説の翌日に掲載された、米国マスコミの社説などの論評は二分されるものであった。雇用と財政再建を打ち出す演説であったが、マスコミの反応が二分されたことは、前述したように、米国内において激しい内部対立が続いている証拠である。もちろん、ウォールストリート氏などは、激しい批判をしている一方で、ニューヨークタイムズ紙などは、伝統的な民主党の政策よりを鮮明にしてオバマ政権を支持する社説であった。

更に、2月1日、オバマ政権としては初めて「国防戦略見直し」を発表している。四年ごとの見直しであるから、今回の焦点は、アフガニスタンとイラクにおける二つの戦争についての戦略をどう見直しているかが世界の関心事であった。国防長官は、「アメリカは二つの戦争を戦う準備をしてきた。我々は安全保障の課題により広く備えなければならない」と演説して、これまでの戦争に全力を注ぐ戦略を見直して、幅広い分野に対する国防計画を進めることを明らかにした。報告は、120ページに及ぶものであるが、アジアの地域情勢に対する分析の内、中国の今後の方向について記述しているのが特徴であり、中国の軍事力増強については、透明性が欠けると指摘して、警戒感をあらわにしていることが特徴である。

昨年にまとめられた一次草案では、中国の衛星破壊や、航空母艦建造、あるいは米国艦船に対する挑発などに対する対応の必要性が記述されていたが、そうした具体策についての言及は一部削除され、替わって、アジア・太平洋のみならず、地球的な規模で、中国が政治・軍事で存在感を高めているとして、軍事拡張の不透明性が疑念を生じさせているとしている。

 

 

 

日本との間では、普天間基地の移設問題などがあるが、もし、従来の米国の軍事戦略であった、二正面作戦がとられない可能性があるのであれば、米朝国交回復の可能性がいよいよ高まった可能性がある。前回の2006年の見直しでは、テロとの戦いを長期戦と位置づけて、報告書中で頻繁に言及したが、今回は全くの言及が行われていない。米国の国防予算は、史上最大の7080億ドルの予算要求となった。軍事的には、旧兵器の体系を見直すような現代化の方向が強調されており、電磁波兵器などに対する関心が強調されている

二正面作戦論は、東西冷戦の頂点であったケネディ大統領の時代に採用された戦略であり、軍事力を強調した戦略であるが、今回のオバマ大統領の国防戦略は、軍事力を強調しながらも、軍事力以外の力をも活用する非対称戦にも重きを置くことを明らかにしている。中国が、超限戦と称して、サイバーテロ攻撃や、グーグルに対する情報規制の要求など、非軍事的な戦争論についての懸念にも明確に対処すること明らかにしている。

 さて、1月29日には、米国は台湾に対して総額64億ドル相当の武器輸出を行うことを決定したとして、議会に正式通告したと発表した。オバマ政権下における初の台湾向けの武器輸出の決定である。輸出品目は、地対空の、ミサイル迎撃用のパトリオット、ブラックホークヘリコプター、機雷掃海艇である。中国側は、早速反応して、次官級の戦略安保対話の中止、軍人の相互訪問の停止、米企業に対する報復制裁などを発表したが、姿勢は激しく反発しているものの、米中関係が深い傷を負うことにはならないだろうとの見方もある一方で、オバマ大統領とチベット仏教の最高指導者ダライラマ14世との会談などで、深刻になるとする見方も残る。オバマ政権は、米国が達成した未曾有の黒人の大統領であり、基本に人権尊重、宗教、政治の自由があり、どんなことがあっても中国の要求に屈することはできない。

軍事的な力ではなく、非対称戦の駒として、チベット問題を使っている可能性もある。チベットにとっては、中国の国力急進で米国の力が軍事的には相対的に低下していることを懸念しているはずである。アフガニスタンにおける米国の出口戦略が模索されていることが伝えられているが、アフガニスタンやイラクにおける中国の対処いかんによっては、米中摩擦が激化する可能性が高いものと考えられる。

その傍証であるが、オーストラリアは、第二次世界大戦後、最大級の軍事予算の増強に踏み切った。経済的な二国関係でみると、豪中関係は最大の貿易相手国となり、豪州南部の、鉄鉱石の積み出し港である、パースなどは、完全雇用の景況を呈しており、表面的には何の問題もないようであり、パース市内では、中国人用のビルが建設工事を進めている。50万人にも及ぶ観光客が訪れているが、それでも、豪州政府は、初めて、太平洋地域における中国の軍事的な脅威を感じて、軍備増強に踏み切っている。オーストラリアの首相は、西側諸国の総理大臣としては、まれに、中国語が流暢に話せるとして、中国に友好的な人物であると評論されているが、安全保障面では、表面上の貿易の数字の拡大とは、うらはらの動きとなっている。豪州は鉱物資源に恵まれているところから、中国の天然資源政策との間で、必ずしも利害が一致せずにいることが背景にあることは疑いない。中国が台頭する中で、日本の中の経済人は、中国になびいて、安全保障や、その他の、例えば、非対称戦の考え方からは、日中関係を捉えてこなかった嫌いがあるが、そうした意味からは、オーストラリアの政経分離の、更に厳密に言えば、軍経分離のような対中国政策の対応ぶりは興味深いものがある。http://www.washingtonpost.com/wp-dyn/content/article/2010/02/13/AR2010021303651.html?wpisrc=nl_headline

 

 オバマ政権は、アフガニスタンにおける戦争の姿勢を微妙に変更してきていることが指摘されている。新大統領は、日本に対しても派兵を求めるのではないか、政権交代があっても、国連軍に所属させて派兵するのではないのかなどとの、議論が日本国内における政権交代の直前まで起きたが、そうしたことは起きていない。タリバン絶対敵視路線を微妙に変化させてきているのが近況ではないだろうか。オバマ政権は2011年夏の撤退開始を表明している。

 2月6日に、G7の財務省・中央銀行総裁会議が開催されているが、共同声明の採択が行われなかったことで、日本の閣僚が指摘したように、ギリシアの財政悪化問題に焦点が当たったが、日本や米国の対応策としてではなく、ヨーッパの内部の問題としての会合であり、しかも、カナダのイカルイトという極寒の地で開かれたことが話題となった。G7であるから、当然中国は仲間に加えられていないから、疑心暗鬼の状態にあったことも推察されるが、いわゆるダボス会議には、中国は李克強副首相を送り込んでいるから、市場原理主義を中心とするダボス会議と、オバマ政権が参加するG7との色合いの違いがはっきりしたとの考えもあり得る。ダボス会議はどちらかと言えば、オバマ政権に対する批判勢力が、つまり、前の時代のブッシュ政権のネオコン勢力など、国際金融支配を目指した勢力がなお集結する場所となっていることが感じられる。日本でも、ダボス会議には、経済同友会を中心とする経済界の関係者が多数出席してきたが、日本の大企業の出席に当たっては、世界からどのようにみられているかを理解して出席することが必要であるから、特にものづくり企業の場合は、敬して遠ざかる方が得策である。東京にも支部が開設されているので、余計に注意を払うことが必要である。世界における国際金融資本勢力と伝統的な欧米の勢力との紛争はいよいよ激化する傾向がみられ、それに巻き込まないことが得策である

オバマ政権は、中国の金融政策に対する批判的な言辞を始めたようである。人民元の切り上げを念頭に置きながら、通貨レートは問題だと発言したのが、2月3日である。米国内の失業率はなんと10%を依然として超えており、「米国製品の価格が上がり、他国の製品の価格が引き下げられることの内容にすることだ」と述べているが、その他国とは、中国でしかないが、米国がもっとも懸念することが、米国債の大量売却である。今年五月から、上海万博が開催されるが、それ以降には国民の不満をそらすイベントを持たないところから、国内問題の不安定化の中で、万一の敵対策があれば、実質的なデノミの対策でしかあり得ないことになる。

 米国の真の同盟国はどこであるのかという議論にもつながるのであるが、日本は早々に、米国の国債を引き続き必要に応じて買い続けることを声明しているので、売国側の疑心暗鬼は払拭された可能性がある。その見返りとも思われるが、すでに、日米構造協議の問題は話題にもなっていないのは、薄気味悪いほどの日米関係の変化である。米国政府の貿易代表部の次席代表が来日しても、無差別な貿易、機会均等を主張するのみで、従来ブッシュ政権時にみられた、個別の日米の利権が錯綜する分野に対する対日要求は、影を潜めたかのように見える。旧態依然の日本のマスコミは、対日圧力かと書き続けるが、もはや、そうした個別利権の共和党型の二国間の圧力をかけるやり方ができなくなった。

 

 中国とアメリカとは、消費財の分野では、準経済同盟、あるいは、米国の工場に中国がなってしまった感があるが、国家の存在価値としてのぎりぎりの観点では、中米同盟が成立する可能性はほとんどないことが、明らかになったのではないだろうか。中国共産党の指導部の中には、金融資本勢力を取り込んで、米国の基軸通貨体制の切り崩しをはかろうとする考えの勢力もまま見受けられるが、そうした資本主義体制の安定的な発展を破壊する可能性について対処するために、再度G7の重要性が認識された可能性が高い。

 ちなみに、今回のG7の会合の呼びかけ人は、米国であり、表面上の理由は、共同声明作りに傾斜せずに、中身のある会議にしようとの呼びかけであったが、極北の地で、しかも、新参者を寄せ付けないような開催場所であるから、中国の通信社あたりが疑心暗鬼をなったことも当然であろう。米欧のなかにあって、唯一の経済大国としての日本の対処が扇の要になる可能性がある。なお、今回のギリシャのデフォルトの問題では、ワシントン主導の国際通貨基金の力を借りないで、欧州独自の枠組みの中で対処するとしたことが多きな特徴である。

 さて、前代未聞の通貨政策、デノミが北朝鮮で行われた。核兵器や長距離ミサイルを保有しながら、食料に事欠くという奇妙な状況にあり、その実情について、金正日総書記が、電気も米もなく、人民がまだトウモロコシの飯を食べていることにもっとも胸が痛むと発言したとの報道があったが、デノミの実施は、人民元に対抗する政策であったと考える方が簡単ではないだろうか。外国紙幣を貯め込んだ社会階層から吐き出しを狙ったことも間違いないが、ドル紙幣もさることながら、人民元の吐き出しを狙ったとすることが穏当ではないだろうか。 北朝鮮の対ドルレートは、一ドル=3500ウォンまで急落していたが、それを一ドル98ウォンまで引き上げたが、最近では、一ドル300ないし、500ウォンで取引されているようである。(ちなみに、一ドル98ウォンとして目標の数字は、筆者の妄想に過ぎないかもしれないが、日本の円との連動の気配があるとしたらどのような背後関係があるか想像ができる範囲が広がるように考えられるがどうだろうか。)そうしたことから考えると、北朝鮮のデノミ政策は、米国に対する政治的な信号の最たるものであったと考えざるを得ない。事実、抑留されていた人権活動家の米人の釈放にも踏み切っているが、昨年三月の米国人記者の解放のさいには、わざわざ、クリントン元大統領が、平壌に赴いて釈放を実現させているが、今回はそういうこともなく、交渉が行われていることから、両国間での対話チャンネルが広がっている証左である。オバマ政権の北朝鮮問題の特別代表は、米国ボストン市にある、フレッチャー スクールのボスワース校長が任命されており、日本の交渉担当である、斎木昭隆外務省アジア太平洋局長も、同窓であるのは、単なる奇遇と言うことではない。グローバルな外交の世界でも、人脈の重要性があるのは、古今東西変わりがないようである。

 日本の大企業の中には、朝鮮半島で、大東亜戦争以前に活躍してきた企業がみられるが、そろそろ古い社史をひもとき、あるいは、過去の関連を調査しておくことが必要なタイミングかもしれない。日本の場合には、戦前と戦後の間には断絶があるが、旧宗主国である日本に対しては、むしろ朝鮮半島の平和と安定の介添え役としての期待が高まる可能性がある。北朝鮮は、朝鮮戦争において、中国の人民解放軍を受けて入れて、兄弟の戦争を戦ったとするが、その後の関係の中で、北朝鮮が中国の同盟国として裨益したかどうかについても、議論の余地があり、工場の写真などを見ると、その遙か昔の日本の植民地時代の遺産のような風景を見るにつけても、冷戦が崩壊して、その二十年を経て市場原理主義が崩壊して、世界の地図が書き換えられようとする時代の中で、日本の国益を追求する必要がある。非対称戦、超限戦が話題になる時代の変化の中で、日本は戦後、軍事力を正面の国力に据えてこなかっただけに、非対称戦、あるいは超限戦の時代には、その点で、日本独特の文化・伝統の力を敗戦したにもかかわらず維持してきており、東アジアの安定のために、非軍事のソフトパワーの中枢として発揮することが、官民を問わずに期待されている。特に朝鮮半島においては、代理戦争のような第二の朝鮮動乱を抑止する介錯人としての役割が考えられるからである。

 

To overcome deflated economic policies

2年前の1月に当方ブログが書き留めておいた、拙論である。ご参考まで。

常識のウソ

政治宣伝が行われて「常識のウソ」が流布され、誤った判断と結論

に誘導される事態が多発している。特に、企業経営者の場合、理工

系の人事登用が多発して、基礎的な政治経済学の素養を欠く場合に

は、「常識のウソ」に惑わされて、誤った経営判断となる場合がま

ま見られる。経済団体などでも、一部の業界の利益が主導されて、

他の業界には不利益となるような場合にも、「常識のウソ」が見抜

けずにまかり通る状況が生まれる。例えば、近年の金融立国論など

は、物づくり企業に対する「常識のウソ」を駆使した政治宣伝によ

る攻撃に対しても、ものづくり企業の側からの、適切かつ効果的な

反論は欠落している。
日本の長期的な政治・経済の停滞の根幹に、デフレがあることを指

摘して、関係者の「常識のウソ」に対する抵抗力を高める参考とし

たい。本報告は、物づくり企業の関係者が「常識のウソ」を打破するために、最低限度の経済知識をまとめることを意図している
物づくり企業の経営者や関係者が関心を寄せるべきは、現下の収縮する経済実体の中では、産業政策ではなく、デフレ政策の中止を求める金融経済政策の主張を行うことがより肝要である。

日本の長期的な停滞の原因は、実は誤った政治経済政策の結果にすぎない。政策の誤りは、ひとつの国家を短期間で大きく低下させる前例は枚挙される。しかも、一旦凋落した国家の回復は、至難の技である。例えばフィリピンの場合であるが、朝鮮戦争前までは、日本の経済状況よりも優れたところが多々あり、繁栄した。大東亜戦争中に、マニラに進駐した日本軍の兵士や将校のなかには、マニラホテルの豪壮さに惑わされた者があったほどで、先進国がフィリピンであり、後進国が日本であったが、日本が敗戦国となったものの、フィリピンは、マルコス大統領の政権で腐敗が横行する中で、
急速に国富を消耗して、今でも、繁栄を続ける南東アジア諸国の中では、大きく立ち後れた国家経営の状況となっている。つまり、政策の誤りはつるべ落ちの夕日のように、国家を衰亡させる。企業の場合も同様に、誤った経営方針をとれば、いかなる過去の栄光ある企業も急速に衰亡させることになる。従って、単なる精神論や井戸端会議の議論に留まるところなく、冷静な科学精神に基づいた分析と対策に依拠することが必要である。特に経済政策においては、現実の成果と政策実施の前提条件との絶え間のない突き合わせと検証が必要である。

日本は、特に朝鮮戦争を境に、いわゆる自由主義陣営に組み込まれていく冷戦の時代の中で、大きく経済成長を遂げたが、1990年頃にはいわゆるバブル景気となった。とある大企業の宣伝部署に所属していた関係者が製作した映画「バブルへゴー」が、時代の雰囲気をよく描写している。そのバブル景気は、日本銀行の政策によって徹底的に鎮圧された。つまり、極端に信用を縮小させて、バブルの息の根を止めたが、カネの供給を極端に減らしてしまうことで、経済の急激な伸びを抑えて、モノ(バブルの場合には、不動産を中心とするモノに対する需要の急激な増加が見られた)が飛ぶように売れ、企業の業績は大きく伸張して、完全雇用で、お台場のダンスの社交場が夜な夜な賑わった時代を急速に終わらせた。時の日本銀行総裁は、鬼平などと称賛されたが、実際には誤った政策であり、バブルを鎮圧するとして、信用を収縮させたために、急速に信用、カネが海外に移転する現象が起きたことがよく知られている。上記の映画では、政策当局の関係者と外国の投資家が共謀したのではないかとほのめかす場面が出てくる。ところが、そうした緊縮の金融政策の失敗が反省されることなく、後生大事に今でも続けられ、モノよりもカネを欲しがるというデフレの状況がいよいよ深刻化しているのが、現下の日本である。デフレの時代には、カネ(紙幣)がモノよりも大事となり、モノが売れないので、モノつくり企業の業績は悪化することが必定であり、失業者が増えることは当然の結末である。そうした中で、モノ作り企業の経営者やその団体が、デフレ政策を批判せず放置したり、あるいは、デフレの政策を推進する経済団体に荷担することは、自らの企業の継続と繁栄に無関心であるか、あるいは、単に簡単な経済の知識を欠いているかのどちらかであろう。

バブルが急速に鎮圧され、その後に起きた日本長期信用銀行の破綻は、バブル崩壊の象徴的な事例となった。日本長期信用銀行の破綻の内幕については、ロンドンのフィナンシャルタイムズ紙の元東京支局長であったジリアン・テット女史の著作である、「セイビング・ザ・サン」において詳述されていることを紹介したが、今となれば、長銀の破綻も、その後の外国資本による乗っ取りも、政府と日本銀行の政策の誤りであり、また、一部経営陣の誤った対応であったことがより明らかとなっている。ちなみに、粉飾決算の疑いで重役三人が逮捕されたが、長い裁判を経て無罪となっている。日本長期信用銀行は、わずかの額で外国資本に売却され、また、国会による立法を行わずに行政当局が恣意的に付与したと言われる瑕疵担保付き責任条項により、外国資本が巨額の利益を手中にして、しかも、その利益はオランダに移転されて、日本の国税当局からの徴税は行うことができなかったとされ、テット女史によって、日本の失策として揶揄されているところである。

一昨年のリーマン・ブラザーズの破綻に始まった、いわゆるリーマンショックの後の対応を見ていても、日本の対応は後手後手に回っている。諸外国では、金融危機発生直後に、カネの供給を迅速かつ大量に行ってきているが、日本は、なんと5%増加させただけであった。日本のカネの供給が全然増えず、外国通貨であるドルなどの供給が一気に増えた結果、日本のカネが極端に不足して、急激な円高が日本経済を襲うこととなった。米国や英国の中央銀行は約3倍、ヨーロッパの中央銀行は約2倍のカネを供給しているが、日本だけがそうしたカネの供給を怠り円高となった。2009年11月には、1ドル90円で、2007年は1ドル120円であったから、たった2年で、25%円高に急進したわけであるから、輸出産業は、値段が上がり、どんどん売り上げが減ってくることは当然の成り行きで、製品価格の25%に相当する部分をコストダウンすることは至難の技であるから、あらゆる経営努力が空しい徒労に終わることになったことは論を俟たない。しかも、政府と日銀は、円高を放置した気配であり、2009年の政権交代で就任した財務大臣は、円高傾向に対して「介入に反対」と、許容する発言を行って、その後その火消しに回るというどさくさがあった。2009年12月に日本銀行は、世論に押されて、10兆円規模のカネの供給を行ったが、その効果は極めて限定的なものであった。それに引き換え、アジア諸国は、通貨を割安に管理しており、それが、経常黒字の拡大を助長してきたことは間違いない。北京政府などは、大規模な資金注入を行い、再び、二桁の成長を維持していることが、新年早々に発表され、しかも、日本の経済規模を抜く可能性が高まったとしている。

デフレとは、モノの値段が下がることであるから、良いことなのではないかとの感覚が流布されるが、そこが「常識のウソ」である。衣料品の価格革命があり、主婦が喜んだが、しかし、そのうちに夫の賃金もどんどん下がり、首切りにあったようなたとえ話があるが、社会全体として失業倒産が増えることになる。デフレの現象は、死に至る経済の病と呼んでも差し支えない。デフレの定義は、「物価下落が2年以上継続している状態」で、一時的な物価の下落は、定義上はデフレにはあたらない。しかも、商品個別の問題ではなく、物価、すなわち、モノ全体の価格という抽象化された存在である。デフレになれば、将来は物価が下がることが見込まれるようになり、今いくら値下げしてモノが売れなくなる状態になる。買い控えが、デフレの伴うのは当然の現象である。
デフレで、物価下落の恩恵を受ける者があるかどうかの議論をすると、確かに一部に存在することは明らかで、例えば公務員や、大企業の正社員のように、倒産の危険が少ないとか、リストラされにくい人々である。賃金の値上げがなくとも、デフレであれば、実質的な給料の価値は上がることになるから、公務員の給料が据え置きであっても、実際には、賃上げがあったと同じ効果が見込まれたことになる。首切りのあった日産自動車などの社員が一番被害になったわけであるが、放送会社などその他の大企業も正社員の首切りはほとんど行われなかったから、対岸の火事でしかなかった。デフレの怖さについては、その影響を受ける社会階層が異なることもまた事実である。「買い控えるのは、商品に魅力がないからだ、カネを出して買いたい商品が少ないからだ」という主張も単なる精神論であった、経済の論理から言えば、非常識な主張であるが、それが「常識のウソ」として出回ることが多い。デフレと言うのは、モノよりもカネを大事にすることであるから、実際には、モノ造りなどよりも、金融立国でカネを大事にするという主張は当を得ているが、実際には、デフレの結果として倒産が増加して、失業者があふれることになることには言及しない。もし、経済団体などで、モノつくり企業の経営者が参加して金融立国論を支持する発言を行った事例なども見受けられたが、全くの矛盾した行動であった。物づくり企業が、金融立国論、あるいは、市場原理主義に忠実になって、金融会社に変身した事例も外国などで見られたが、本業は全くおろそかになり、その後市場から姿を消した大企業の事例があったことは、よく知られているとおりである。

細かい議論になるが、消費者物価指数には、三種類の総合指数があることは、指摘されて良い。日本では、総務省が消費者物価の調査に責任を持っており、統計局が担当している。日本の消費者物価指数は、総合指数、生鮮食品を除く総合指数、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数の三種類である。日本では、生鮮食品を除く総合指数が、一般的に、マスコミや政府で消費者物価指数として使われているから、混乱があり、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数は、統計を取り始めたのが、なんと2006年からであるから、海外比較が非常に困難になる可能性がある。もちろん、日本以外では、食料とエネルギーを除いた総合指数が、コアCPIと言われて使われる。日本のマスコミは、日本独自で作っていた生鮮食品を除く総合指数を消費者物価指数と考えているために、特定の商品の物価が乱れて上がったり、下がったりする場合には、これまでの消費者物価指数似たよってしまうと、木を見て森を見ずの状態になってしまうことが想像される。食料は、天候に左右されて値段が上がり下がりする場合がよくあり、また、エネルギーも投機的な値動きがあって、価格が乱高下するので、物価を測定するには、食料とエネルギーを除外して考える方が、物価の趨勢を見る上では適当な方法になる。原油価格が高騰した2007年から08年にかけての日本のマスコミが、インフレが到来したと誤った報道を大量にしたのが、物価指数の取り違えたことが原因であった。総合指数と、生鮮食品を除く総合指数は、確かに、大きく上昇したが、食料とエネルギーを除けば、むしろデフレであることがハッキリしていたにも関わらず、マスコミがインフレの到来と大騒ぎをして、その中で、実際にはデフレが直深刻化すると言う、国民に誤った情報を与えた恐ろしい話であって、未だにその誤った対応が続けられている。過去の消費者物価指数は、総務省統計局のホームページに掲載されているが、その内の点線の指数を読み取ることが重要である。統計局の消費者物価指数の過去のデータが掲載されている頁のアドレスは、http://www.stat.go.jp/data/cpi/kakoである

しかも、物価上昇率は、高めに表示されることが明らかになっている。消費者物価指数は、ある一定の前提を置いて品目が選ばれて、計算されているので、その中に、誤差が入ってくることになるという。その誤差が放置されているために、日本政府の発表する物価指数の数字よりもデフレの状況はより深刻であることにある。公表された数字がマイナス2.4%であれば、マイナス4%を超えるデフレの状況の可能性があることになる。2006年のゼロ金利解除もデフレの実態を軽視したことから、数字だけを追って、実態を確認せずに、ゼロ金利解除を称賛したマスコミの責任は大きい。

デフレの原因が、中国からの安い製品が流入したから、物価が安くなってデフレになったという説もまた誤りである。中国からの輸入増は目を見張るようなものであったが、それは、何も日本だけの現象ではなく、米国は言うに留まらず、諸外国でも世界中で、中国からの輸入品が急増している中で、デフレの状況に至っているのは、日本だけである。中国からの輸入の増大とデフレとは関係がないことが、諸外国の状況を見れば容易に理解できることで、確かに、物価下落の要因ではあっても、無視することの出来るような小さな要因に留まることが明らかである。2003年4月26日に内閣府は「世界経済の潮流」と題する報告の中で、デフレの主犯は中国にあらずと分析結果を発表したが、実際には、自国の経済政策の失敗を他国になすりつけようとした陰謀の可能性があり、それにマスコミが荷担するという「常識のウソ」を流布する典型であった。中国からの主要な品目としての食料や衣類などが、日本の物価指数に決定的な影響を与える要素とはなり得なかったのであるが、日常生活における実感があるために、中国製品の輸入がデフレの原因であるかのように煽った。問題解決の方向を誤らせる結果となった。オーストラリアの中央銀行は、景気の力強さから、リーマンショック以降、世界に先駆けて、インフレ警戒のために、利上げを行ったほどであるから、オーストラリアは、2007年から8年にかけて、中国からの輸入が21%急増している中であるから、デフレとは関係がないことは明白である。

デフレ下では、借金返済の負担が契約上の利率よりも重くなる。デフレ下では、例えば購入した不動産の価格が下がり、契約したときの金額を返済していくとすると、実質的な金利負担は増えていくことになる。契約上の金利が3%であれば、消費者物価指数がマイナス2%であれば、実質的な金利は5%になるというカラクリである。「今は住宅が買い時である、価格も下がったし、金利も安い」と言う主張は、「常識のウソ」の典型である。住宅や不動産を買って資産を形成しようとすることが、負担を背負い込んでしまうことになり、住宅など不動産の需要は低迷する方向に向かうことは当然である。物価の上昇があればこそ、カネをモノに交換しようとする行動が起きて、それに対応して、企業はモノの生産を増加させる。その中で、雇用が生まれる。企業が内部留保を取り崩してまでに、下請けや孫請けに回し、労働者の待遇改善に熱心であったのは、物価が適当に上昇したことにその根幹があった。終身雇用と年功賃金の制度は、その象徴であった。

1997年の消費税の増税と2000年と2006年のゼロ金利解除は、経済引き締め政策の典型で、デフレに引き戻した典型的な愚策であることが指摘されている。ヨーロッパ諸国では、年2~3%の物価上昇を目指した政策が行われていたが、その間に、日本では、政府と中央銀行が足並みをそろえるかのように、緊縮方向の誤った経済政策を行ったことになる。急激な物価高は問題であるが、資産形成を図る点では、緩やかな物価上昇が必要な刺激策であり、企業に生産増大の契機を与え、また、労働や待遇の改善を促すことになるので、緩やかな物価上昇の方が、国益であることが、ヨーロッパの政策とその結果によって明らかになっている。ヨーロッパ経済統合後のスペインなどでは、首都のマドリッドの改造などに踏み切り、カネの供給を増大させ、その余勢で中南米での経済活動を活発化させたことが好例であるが、日本では、企業の海外活動の意欲を減退させ、むしろ、国内需要の低迷にくわえて、コストダウンの為に工場などの海外移転を促進させただけの空洞化をもたらした。

物価を議論する場合に重要なことは、特定品目の価格である相対価格と、すべてのモノの値段である一般価格とを混同しないことである。「デフレでも値上がりしているモノがある。企業の努力で解決できる」と言う主張が、「常識のウソ」で、デフレやインフレは、モノの量とカネの量とのバランスによって起きる現象であるから、特定の品目に対する支出が増えても、他の消費が減ることになる。物価高騰の対策としてガソリン税の暫定税率廃止が喧伝されたが、ガソリン高騰の原因が原油価格が投機マネーの流入による高騰であれば、暫定税率を廃止してもその効果は、限定的になることが容易に理解できよう。確かに、特定の商品が大当たりすることもあり得るが、その場合には、特定の会社が利益を上げることになったとしても、経済全体としては効果が限定的である。

この議論に派生するのが、産業政策の議論であるが、産業政策は特定品目の生産の工場についての議論であり、価格の現象であるデフレの解消には繋がらない。産業政策は特定の技術や製品の開発には役に立っても、経済全体としてはほとんど影響がない。物づくり企業の経営者の中には、産業政策に関心を集中して、デフレ対策には関心を示さない人士がまま見られるが、的外れである。モノとカネとのバランスを回復するためには、通貨の発行余力を使ってでも、財政にたいしてカネを供給する(ファイナンスする)ことの方が正論である。更に、政府支出が増えて、需要が喚起されても、設備投資や雇用の問題に着手される段階に至るためには、時間差があり、先述のオーストラリアの中央銀行のような金利引き上げに至るまでには、相当な時間が必要である。財政支出を始めると金利が上がるというのも、「常識のウソ」の典型的な例である。資金需要が生じるまで、時間がかかるとすれば、それまでのつなぎとして、カネを供給する政策が必要である。定額給付金や、教育対策など臨時の政策が必要である。政権交代後の与党がそうした政策が採用したが、「ばらまきではみんなが貯金してしまうから効果がない」と指摘する向きがあるが、いずれかの時点で、カネが市場に出て行くことになるから、時系列をどうとるかの制度設計が重要になるとしても、継続されれば、効果を現すことになる。

失業率と物価上昇率との関係を示すグラフは、フィリップス曲線として有名で、ある程度失業率が改善すると物価が上昇してくることが知られる。逆に述べると、失業率が上がると物価が低下してくる関係である。デフレが、通貨の価格の現象である以上、カネを供給すれば解決できることが、80年前に、高橋是清が金本位制から離脱して国債を日限直接引き受けさせて、世界恐慌からいち早く立て直した事例として証明されている。

財政危機を煽る論議も「常識のウソ」のひとつである。巨額の債務残高があり、それが864兆円で、ひとりあたり678万円の国の借金があるから、消費税の税率を上げて解決しようという論理がマスコミによって重用されているが、全く根拠の無い話である。税収を増やすには、名目のGDPをふやすか、税率を上げると言うふたつの選択肢が考えられ、デフレ下で消費税の税率を上げても、カネの供給を増やすことには繋がらないために、デフレを加速化して、雇用や給与を悪化させるというマイナスの効果を生むことになる。1997年に橋本内閣が行った消費税の税率アップは、散々な結果をもたらし、財政再建は達成されるどころか、いよいよ悪化した結果となった。税率アップを決断した橋本龍太郎総理(当時)は、政策を誤ったことを後日国民に謝罪している。イギリスは、2008年11月に、日本の方向とは逆の減税策を打ち出して、デフレの発生を阻止する策に売って出たことも特筆してよい。

国家の財政を個人や企業の会計で判断することは根本的に誤りであり、毎年、少しでも借金を返していける状態の方が健全で、財政の健全化という点でもデフレ脱却が優先されるべきである。国債金利が上昇するとの誤報が相次ぐが、デフレを脱却する過程で金利が上がるという説には根拠がなく、デフレが解消されて、物価上昇率はマイナスからプラスになるので、本当に金利が上昇していくまでの間は、実質的な金利負担が軽減されるという利点の方が魅力を与える。しかも、財政危機と言われる実態は、純債務で見ると、387兆円で、その約93%は国民が政府に貸しているもので、残された外国に返済しなければならない借金はわずかに27兆円でしかない。日本の財政を危機的な状況にあると指摘する外国政府も金融機関も全くないが、日本のマスコミは財政危機を強調して紙面を賑わす傾向がある。国の財政を、家計の借金と混同していることから来る「常識のウソ」としか考えようがない。

デフレ下での増税がいかなる悲惨な結末に至るかを危惧することの方が遥かに大切である。1930年1月11日、金本位制に回帰した井上準之助蔵相の暴挙で、最近の小泉・竹中政治の際に見られた痛みに耐えろという暴論と同様の誤った政策の先例があることは記憶されてよい。金解禁は、円の切り上げとなり、輸出は激減して、円貨は、海外に大量に流出した。商品市場は暴落して、生糸、農産物などの物価は低下して、失業者は町中にあふれた。農村は壊滅的な打撃を受けた。財政復興に成功した高橋是清は、財政調整の為の緊縮財政をとったために、民衆の反感を買い、2.26事件で暗殺された。その後の日本が、軍事費の拡張に向かったことも念頭に置くべき教訓である。

小泉・竹中政治に見られた「構造改革」は、デフレに、市場原理主義を加味した最悪の政治・経済政策であった。新自由主義と言ういわばカルトの経済理論の影響を強く受けたアメリカのブッシュ政権との連動の下で日本を破壊した。日米間で構造協議が行われ、日本の優れた制度が次々と改変され、戦後の日本の中で、営々として成長の原動力となった制度をも惜しげもなく破壊して、デフレ政策を継続することに狂奔した。金解禁の時と同様に、日本の国富を確実に外国に流出させ、また国家の経済規模を収縮させた。デフレは、失業率を高め依然として5%の大台にあるし、非正規社員が大量に生まれ、社会の経済格差が拡大して「貧困の問題」が議論されるに至っている。

さて、文藝春秋社が行った、エコノミストの格付けで堂々一位となった菊池英博氏の「消費税は0%に出来る」(ダイヤモンド社、2009年)の最終章に、日本の財政の正しい考え方が、要領よくまとめてあるので、それを転載して、拙論の締めくくりとしたい。

① 日本は財政危機ではない。
一国の財政事情は「純債務」(粗債務から金融資産を控除したネットの債務)で見るのが国際的に適切な捉え方である。特に日本はGDPを超過する金融資産を保有しているので、「粗債務」だけで見るのでは、日本の財政事情を的確に把握できない(主要他国の政府保有金融資産はGDPの15~20%程度)。海外で日本が財政危機だと思っている国は、どこにもない。

② 経済成長率を向上させれば、増税なしで社会保障費を賄える。
「10年ゼロ成長」「10年デフレ」の解消には財政出動以外にないことは、歴史的事実であり、現在のアメリカを初めとした主要国が実証している。日本には財源がいくらでもある。新規の国債発行なしで仕える財源(国家備蓄金100兆円)、建設国債の発行ですぐに調達できるおカネは100兆円ある。経済を成長路線に戻せば、増加する税収で、増税なしで社会保障費が賄える。

③ 財政規律の指標は純債務を名目GDPで控除した数値
財政規律の指標は、「純債務を名目GDPで控除した数値であり、数年かけてこの数値が下がるようにしていけばよい。短期間に数値目標を作って債務だけ押さえ込むと大失敗する。

④ 財政改革の数値目標は世界中ですべて大失敗。
財政改革と称して実行した数値目標は世界中何処でも大失敗している。具体的には次の通りだ。1985年のアメリカ:「財政均衡五カ年計画」(最高裁が意見判定)、1989年のアメリカ:父ブッシュ大統領の失敗、再選されず。1980年代のアルゼンチン:プライマリー・バランス目標達成後に国家破綻。1997年の日本:橋本財政改革が兵制金融恐慌を引き起こした。2001年からの日本:「基礎的財政収支均衡策」の結果は「ゼロ、マイナス成長」で債務だけ増加。

⑤ 経済を活性化させれば、財政規律は改善する。
経済を活性化させ、名目GDPが増加する政策をとれば、財政規律の指標は自然と改善する。1993年から5年間で財政赤字を解消したクリントン・モデルで実証済み。

⑥ 特別会計の債務は国民の債務ではない。(財政危機ではない理由)
「特別会計」が発行している国債は一般国民の負担にはならない。だから、国民受けの政府債務から除去すべきである。(2007円三月末現在305兆円)。「特別会計」では、政府が国民から徴収した税金と国債発行によって調達した国民の預貯金の資金で事業を行い、国債の利息と元本は「最終的に借りた者」から返済しているので、特別会計は自己完結している(国民の債務ではない)。
「特別会計の債務」が増えているのは、次の理由による。①2001年度から、従来、財務省の理財局に預託されていた郵貯資金の預託を止め、財投債を発行することになったこと(財投債140兆円増加、借入金53兆円減)。②2003年から、04年にかけて、財務省がドル買いをするために多額の政府短期証券を発行したこと(108兆円増加)。しかも、1999年9月まではこの政府短期証券を日本銀行が買い取っていたのに、それを止めて、1999年10月から国民の預貯金が外貨準備の原資となっている。政府が新規の建設国債を発行して、日銀が市場に流通している発行済みの政府短期証券を買い取れば、「外貨準備金は中央銀行の資金で保有するもの」という主要国と同じ正常な方式に戻ることになる。

⑦ 「10年ゼロ成長」「10年デフレ」の頑強は、基礎的財政収支均衡策にある。
日本は貯蓄過剰の国で、この貯蓄を日本のために国内で投資しないと資金が循環しない。石油危機後の1975年頃から、民間投資だけでは使い切れない預貯金を公共投資で回してきたことが経済成長のカギであった。これを止めて、1997年の橋本財政改革によって5年で均衡財政にしようとして大失敗した。さらに2001年4月から小泉構造改革で同じことをやってきたので、「10年デフレ」「10年ゼロ成長」となってしまった。「均衡財政」は日本の経済体質に合わない。

⑧ 一国の財政収支を家計の借金に例えるのは誤りだ。
ある全国紙では、予算案が出るたびごとに国家の財政を家計に例えた説明を行っている。これが誤りである。(中略)日本は国司彼の95%を日本国民が保有している。国内には、預金超過の家庭、預金不足で借金超過の家庭がある。政府が国債を発行して、預金超過の家庭から資金を集め、それを国内で使えば、経済は活性化して、国民の所得が増える。国債は日本国民に返済されるので、経済が活性化された分だけプラスである。

⑨ 現在の政府債務残高は子供の世代に引き継がれる。これを現世代で圧縮するために、経済成長を抑制して債務の回収に走るのは大きな誤りである。
これは、財務省が国民に向けて使う説明である。これも大きな誤りである。(中略)日本には資源(金融資産、遊休資産)があり余っている。政府が国債を発行して遊休資産を国内で使えば、その分、経済活動にプラスである。その後、国債の償還日に、日本国民に返済されれば、子孫が返済を受ける。親の代に資金を使用した分だけ経済活動は活性化され所得は増えている。子孫にツケが回ることではない。

⑩ 公共投資を5兆円出せば、4年目でほぼ五兆円の財政支出を税収の増加で改修できる。(宍戸駿太郎氏、日米・世界モデル研究所所長、元国際大学長、元筑波大学副学長)
経済が成長を取り戻すと、税収が増えて新たな財源となり、経済成長の財源、原資が増える。「若干でも税収が増えたら新規投資をやめる」ことを繰り返しやってきたのが、1990年代の日本であった。クリントン・モデルのように「八年間継続する」ことだ。日本は必ず甦る。

A True Villain?!

This is an excerpt and translated  from a monthly political journal Gekkan Nippon July 2013 issue.

A True Picture of Heizo Takenaka

Minoru Sasaki, journalist

Heizo Takenaka as Seeker of Regulatory Reform in the Field of Labor

NIPPON: In your book Shijo to kenryoku [Markets and Power] (Kodansha), you focus on depicting the real Heizo Takenaka. The book is full of suggestions for people who wonder just how it was that neoliberalism came to be introduced to Japan.

SASAKI: Takenaka said at the first meeting of the Industrial Competitiveness Council (ICC) on January 23, 2013, that “there is no magic wand for growth strategy; regulatory reform that gives corporations freedom and makes them more muscular is the first element of growth strategy.” The following day, Prime Minister Shinzo Abe proclaimed the necessity of regulatory reform using a manner of speaking that followed Takenaka’s statement almost to the letter. It was a scene that was symbolic of the closeness between Prime Minister Abe and Takenaka.

 Takenaka had played a major role during the years of the Koizumi administrations. He was subsequently the subject of various criticisms, and during the years of the Democratic Party of Japan administration it seemed for a moment that he might have become a has-been. However, he survived, was picked up by Prime Minister Abe, and is now the leading neoliberal ideologist.

 

NIPPON: Regulatory reforms in the field of labor, such as easing regulations on dismissal, are being debated in the ICC and the Council for Regulatory Reform (CRF). Isn’t there an element of blatant pork-barrel politics to this?

 The Koizumi administration took decisive action on regulatory reform in the labor field and brought about an expansion of the market for staffing businesses. After the curtains came down on that administration, Takenaka was brought in by the founder of the temporary staffing service Pasona Group, Yasuyuki Nanbu, to be a special advisor to the group. In 2009 Takenaka was made Pasona’s chairman.

SASAKI: There is no mistaking the fact that Takenaka brought along his interests in regulatory reform for the field of labor. In a conversation with Rakuten Chairman and CEO Hiroshi Mikitani (Bungei Shunju, April 2013), Takenaka said the following: “The fact is that healthy competition does not exist even in the labor market. Owing to a singular judgment that the Tokyo High Court handed down in 1979, Japan’s regular company employees are the most protected in the world.”

 

NIPPON: Isn’t it odd in itself that the chairman of the Pasona Group is arguing about regulatory reform in the labor field?

SASAKI: It is quite odd. However, the mass media only gives Takenaka’s title as that of “Keio University professor” and fails to take up the conflict-of-interest issue. They should also include his title of “Pasona Group chairman” from the outset. Before discussing the pros and cons of a particular argument, the ICC and the CRF should make an issue of the fact that their members are too heavily weighted in the direction of businesspeople and economists.

 

NIPPON: It would appear that a section of the elite passes around jobs in the government, major corporations, and academia in the name of an interchange of personnel between the public and private sectors—a phenomenon known as the “revolving door” in the United States—and runs the nation for the benefit of certain powers.

SASAKI: There was an Academy Award–winning documentary film called Inside Job (2010; Charles Ferguson, director) that attracted much attention. It depicted the collusive relationship between economists and the financial world in the United States. Japan appears to be attempting to emulate, in an even more distorted form, this “revolving door,” which one might even call a pathology in American society.

 The fact that there are fewer and fewer politicians who have no bias toward any particular business theory and are capable of making fair and informed comments from the perspective of the public as a whole is also a big issue.

 

US Influence: The Close Relationship between Takenaka and Calder

 

NIPPON: The appointment of an economist like Takenaka as a cabinet minister to spearhead the adoption of neoliberalism was made possible by the backing of the United States, wasn’t it? You have reconstructed the things that were happening around Takenaka when the Koizumi administration was launched and written in particular detail about the role of Kent Calder.

SASAKI: The relationship with Calder goes back to when Takenaka was in his twenties. Calder himself describes them as “close friends.” Calder studied Japan’s political economy under Edwin Reischauer and earned his Ph.D. in 1979. He chose to focus his doctoral research on treasury investments and loans. While collecting materials in Japan, he got to know Takenaka, who at the time was working at the Japan Development Bank. The pair gradually grew close. In 1997 Calder became special advisor to the US ambassador to Japan, in which post he provided his services to Ambassadors Walter Mondale, Thomas Foley, and Howard Baker. He served at the US Embassy until the summer of 2001, after which he returned to the United States. He was involved with Japan policy in the Bush administration when the Koizumi administration, which took office that April, was getting underway. Calder not only stressed the importance of “Minister Takenaka” in a Koizumi administration to Ambassador Baker and senior officials in the Bush administration but even passed on information that he had given to Baker to Takenaka.

 

NIPPON: The role that Calder played was important for Takenaka in creating his special place in the Koizumi administration.

SASAKI: The fact that Takenaka was able to wield such great power within the Koizumi administration cannot be understood without addressing the three-way ties between Takenaka, Junichiro Koizumi, and the Bush administration. For example, Glenn Hubbard, chairman of the President’s Council of Economic Advisors, gave his strong support to Takenaka in October 2002 when Takenaka put together his “Takenaka plan” for the handling of bad debts.

 

NIPPON: The fact that Calder was already arguing in 1993 that making use of Japan’s postal savings was connected to stimulating the global economy is deeply interesting.

SASAKI: At the end of 1992 the Center for Strategic and International Studies (CSIS) suggested in a proposal to the new Clinton administration that the United States and Japan should consult about joint projects for worker training, care for the elderly, and infrastructure construction by mass transit entities and the like. They indicated that Japan’s postal savings could be used to provide the financing for those infrastructure projects.

 In an article that appeared in the US magazine International Economist (May–June 1993), Calder wrote in his conclusion that the massive amounts of capital in postal savings would likely turn out to be “Japan’s final trump card.” Furthermore, according to an article by journalist Takao Toshikawa in the magazine Shukan Posuto (October 15, 1993), Calder had a conversation with then Prime Minister Morihiro Hosokawa a week before Hosokawa’s summit meeting with President Bill Clinton.

NIPPON: Many parts of the Koizumi administration’s postal privatization efforts are opaque. As you have indicated, the institutional design for postal privatization appeared on the surface to have been determined as a result of discussions in the Council on Economy and Fiscal Policy (CEFP), but in actual fact it was arranged by a “guerrilla band” put together by Takenaka.

SASAKI: “Guerrilla band” is the name given by Takenaka himself. In essence, a small and obscure group of people handled the institutional design of privatization. As yet it remains unclear as to whether or not there were people with interests at stake among those “guerrillas.” There were some efforts to track down how regulatory reform under the Koizumi administration was linked to certain interests, such as with the general assignment of the Kampo no Yado inns to Orix Real Estate Corporation, but those criticisms were consigned to oblivion. Once again with the Abe administration, Takenaka and scholars linked to him are flying the banner of regulatory reform.

 

Government Administrations Infiltrated by the “Takenaka Network” 

 

NIPPON: In Shijo to kenryoku, the image of Takenaka promoting neoliberal policies to the next government is depicted repeatedly. Whatever administration is put together, that sort of thing appears like an effort in line with US inclinations toward getting Japan to adopt the policy it wants.

SASAKI: In 2001, when he was serving as a brain for Prime Minister Yoshiro Mori, Takenaka had also proposed to Yukio Hatoyama that Hatoyama’s Democratic Party of Japan, which at the time was in opposition, create its own brain trust. Just before the Koizumi administration took office, Takenaka put together a team of lecturers, including Japan Center for Economic Research President Naohiro Yashiro, to provide Koizumi with an intensive series of policy talks. In short, Takenaka had made the preparations that would enable him to maintain his pipeline to the inner circles of government regardless of who wound up in charge.

 Just before the Liberal Democratic Party’s presidential election in September 2006, which decided Koizumi’s successor, Takenaka presided over a study session for Abe, who was a candidate. The experts who participated in the session included Hiroko Ota and Naohiro Yashiro, both of whom had supported Takenaka in the CEFP, as well as the economist Robert Feldman. Exactly as had been the case when he had approached Koizumi, Takenaka tried to corral Abe, who was a candidate to succeed Koizumi as prime minister, and provide guidance on policy. Having won the LDP presidential election, Abe selected Ota to be minister of state for economic and fiscal policy while installing Yashiro as a private-sector member of the CEFP. Takenaka had been successful in getting his “Takenaka network” into the administration.

NIPPON: At the time of last year’s House of Representatives election, Takenaka chaired the Japan Restoration Party’s candidate selection committee. When the Abe administration took office, he was installed as a member of the Industrial Competitiveness Council. One senses his intention to get whatever government took office to adopt a neoliberal line. There needs to be more debate about the US influence on Japanese economic policy.

SASAKI: At long last, the matter of American influence on Japanese policy is being openly discussed. I think this is also the flipside of Japan becoming relatively unimportant to the United States. Takenaka knows full well just how effective the American card can be when it comes to demonstrating influence in a government administration. However, the question is whether or not it will work as effectively now as it did during the Koizumi years. Of course, there is no mistaking the fact that the Trans-Pacific Partnership, which America is spearheading, is going to provide a tailwind for the adoption of neoliberal policies.

(Interview and editing by Mr. Takahiko Tsubouchi, editor-in-chief, Gekkan Nippon, a monthly political journal published in Tokyo, Japan)

Taiwan Identity

友人から新しい映画を紹介された。

「酒井充子(あつこ)監督のドキュメンタリー映画『台湾アイデンティティ』が「ポレポレ東中野」で本日公開された。
12:20~の上映では酒井監督と出演者の一人・呉正男氏(横浜在住)の挨拶があると聞いていたので出掛けたが、立ち見を含めて超満員で中に入れず。 次の14:50~の切符を買ったのだが、この回もほぼ満員だった。
館内には台湾関係の活動系の知り合いに会えるのではないかと見回してみたが知った顔は見当たらず、在日台湾人と思しき人が多かった。前作の『台湾人生』も中々良かったが、本作品は更に一層しっとりと味わいの深い作品に仕上がっていて感動した。台湾人による台湾国建設への主張がシッカリと込められており、まさにタイトルそのもの。この4年間で監督の台湾に対する見識と愛着が格段に深くなっている事が窺われる素晴らしい作品でした。皆さんにお勧めします。
* ポレポレ東中野  http://movie.walkerplus.com/mv53458/ 」

Kuroshio Culture and Tradition II

黒潮文明の旅をとぼとぼと続けている。67号から後をひとつのリストにしてみた。当方ブログのささやかな人生の探求である。ご一読を賜りたい。時々コメントなどを頂戴出来れば幸いである。90から96までは、タブノキにこだわりすぎたかも知れない。とうとうトルコのアンタルヤのタブノキまでを網羅することになった。

67 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/kuroshio-67.html

68 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/kuroshio-68.html

69 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/kuroshio-69.html

70 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kuroshio-70.html

71 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kuroshio-71.html

72 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/kuroshio-72.html

73 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/kuroshio-73.html

74 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/kuroshio-74.html

75 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/kuroshio-75.html

76 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/kuroshio-76.html

77 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kuroshio-77.html

78 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kuroshio-78.html

79 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/kuroshio-79.html

80 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/kuroshio-80.html

81 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/kuroshio-81.html

82 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/kuroshio-82.html

83 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kuroshio-83.html

84 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kuroshio-84.html

85 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/kuroshio-85.html

86 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/kuroshio-86.html

87 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/02/kuroshio-87.html

88 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/kuroshio-88.html

89 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/03/kuroshio-89.html

90 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/kurosio-90.html

91 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/kuroshio-91.html

92 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/kuroshio-92.html

93 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/kuroshio-93.html

94 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/kuroshio-94.html

95 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/kuroshio-95.html

96 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/kuroshio-96.html 

○の中に、数字を書くやり方がまだ判らないので○なしになっている。読者でご存じの方がおられれば,ご教示方お願いしたい

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Kuroshio 96

ツラン文明と黒潮文明の相性

 トルコに行く機会に恵まれた。報道では、イスタンブールや首都アンカラで
大規模な反政府デモがあり、衝突して混乱が予想されるとして、心配する向き
もあった。国際空港が閉鎖される事態にならない限り日程をとり止めるほどの
心配性ではないので、予定通りに、トルコ航空機で成田を出立した。一時間遅
れで離陸したが、イスタンブールでの乗り換えも入国管理も全く渋滞はなく、
更に一時間の飛行でトルコ南西の町アンタルヤに到着した。実はトルコで一番大きな空港がアンタルヤ空港である。国内線のターミナルに加えて、国際線のターミナルが二つもある大空港だ。その理由はアンタルヤがヨーロッパ有数の保養地で、各国からの直接乗り入れる国際線の発着数が多いからだ。ヨーロッパは、日本列島がすっぽり円内にはいるのと同じ大きさだから、東京から北海道や沖縄までの路線を考えれば、ヨーロッパ内で直接都市を結ぶ空路線を設定することが合理的で、トルコの場合であればイスタンブールやアンカラなどの主要都市の空港で接続する方がかえって非効率なのだ。空港からタクシーでほぼ一時間走り四〇キロの所にある、地中海岸のリゾートホテルに投宿した。大規模な施設で、宿泊棟から海岸までには大小のプールが並び、砂浜にはパラソルが林立し、観光客が日光浴をしている。まるでヨーロッパのハワイのようだ。各国の観光客の好みに応じてホテルの様式もさまざま。私の宿泊したホテルのフロントには、時計がモスクワ時間で表示されていたから、ロシアからの客がお目当てなのだ。食事のメニューはロシア語のほか、英語とドイツ語も書かれていたが、他の言語は付け足し程度。もちろん、日本語の説明は一切なかった。日本人の観光客は歴史探訪が主な目的だから、カッパドキアやイズミール、イスタンブール旅行を目玉として、バスでトルコ全土を走り回っているのが現実であるから、ゆったりとプールの縁で読書する日本人客などもともと期待もしていない。ホテルが集合している町の名はべレックという新開地で土産物屋が建ち並んでいた。ノルウェーからの避寒客用に建売住宅も軒を連ねている。さながら、米国でニューイングランドから老人夫婦が避寒のために移住するフロリダのような観光地が再現されていた。トルコ政府の関係者が言うには、「トルコ経済が急成長する中で、階層格差よりも地域格差が問題であり、トルコ西部はヨーロッパ並みの経済水準にあるが、東部は開発途上にあり、想像を超える格差がある。その解消が課題だが、トルコの近年の台頭を快く思わない勢力が西欧にあって批判の矛先を向けてくる」のだそうだ。

 アゼルバイジャンからの客はロシア語を使わず、これ見よがしにトルコ語を
使っていたし、グルジア人はipadを持ち出して、Facebookで友達申請するから
承認してくれと言い、サウジアラビアからの令夫人はトルコで弾圧されたアル
メニア人の末裔だったから、民族衣装を着て過去の横暴を咎めるような雰囲気だった。イスラム教徒アルメニア人はサウジに亡命し、キリスト教徒アルメニ
ア人が新大陸に移住したとのことだ。エリアカザンの映画に『アメリカ・アメ
リカ』という名作があるが、アルメニア人が米国へ移住する物語である。新ロ
ーマ法王がトルコの「アルメニア人虐殺」を批判したと、新聞が第一面で書い
ていた。リビア人は「カダフィ大佐は七〇年代には英明の指導者だったが、い
つしか腐敗して独裁者となり、若者を多数殺害したことが蜂起の原因だ」と解
説してくれた。納得のいく話であった。客はアフガニスタン、イラン、イラク
からも来る。これらの国はトルコとは切っても切れない関係にある。アラブ首
長国連邦やオマーンやカタールも、またエジプトもパレスチナも、レバノンも
シリアも、かつてオスマン帝国の領土だった。

 ホテルの庭の池に錦鯉が飼われていた。「Koi」とアルファベットで書かれ
た小さな看板に気づかなければ日本との関係はわからない。不思議なことに蘇鉄がホテルの中庭に植えられ、奇麗に手入れされて林のように茂りあっている。黒潮洗う南島に繁茂する古生代からの植物がトルコ地中海岸の観光ホテルの庭木となっているのであるだ! 蘇鉄はトルコ語でパルミラという。散歩にホテルを出て二キロの場所にあるベレックの町の土産物屋を冷やかしに行った。なんと、そこではタブノキが街路樹になっているではないか! トルコ語
でタブノキの名前は何と言うのか聞いたが、要領を得ないので、わざわざハン
バーガー屋に入って鶏肉のカバブを注文しながら、しつこく尋ねたら、紙切れ
に「Teynel Aĝaç」と書いて寄こした。黒潮の浜辺に咲くハマユウが世界に広
がっているのと同じように、タブノキも地中海沿岸にまで到達したのだろう
か。潮岬で遭難したエルトゥールル号の生存者を戦艦金剛と比叡に乗せて帰国させた際に、紀州の大蘇鉄を株分けしたのだろうかなどとも妄想を巡らせた
が、ツラン文明と黒潮文明とは相性がよほど良いのだろう。(つづく)

How to cope with Chinese Expansinism

数年前の七月に書いた雑文である。当方ブログに掲載したかどうか記憶にないが、ご参考まで。

 

当方は、市場原理主義の典型が中国で実現している可能性があると考えている。ミルトン・フリードマンは、北京を訪問して、指南した可能性を指摘しておきたい。また、中国問題の専門家ではないが、日中関係が大きく転機を迎えつつあるなかで、今年の7月に下記の様な文章をまとめていたので、少し長くなるが、転載しておきたい。参考になれば望外の喜びである。ひとつの外交の危機を乗り越えるために日本の国の本質、国体の本義は何かを考え抜く、好機としたい。決して偏狭な事大主義に陥ってはならないことは言うまでもない。

 

 

 

具体的な方向性は判然としないが、両国の関係は、地政学的な思惑によって規定されることが多くなってきたようである。反面、両国の社会相互の理解は、時が経つにつれて弱体化しているように見える。経済的なカネの切れ目が縁の切れ目とばかりに、経済関係が表面的には主要な構成要素となっているが、中国共産党の指導部の動きを見るにつけ、むしろ、軍事的あるいは政治的な優位性を確保しようとする中華思想の覇権主義、あるいは拡張主義的な動きが顕著に見られる。

 

中米関係は、国交正常化したのが、1978年であったが、その後、三十年を経て、中米の経済同盟と言われるほどに、関係が緊密化しており、その分、米国における中国の影響力は極大化しており、事実、米国国務省の幹部には、日本を知る専門家がいなくなってしまった。

 

日中関係は、中米関係との天秤の関係にある可能性がある。米国は、東アジアを見る場合に、中国と日本とが、別の文明にあることを峻別せず、中国と日本とを競争関係にあるものと見立てて、競争をもちこみ、あるいは分業の形態をとらせて、その中で米国の主導権を確保しようとする。太平洋戦争で見られたように、米国は蒋介石の中華民国政権を徹底的に支持したが、その後は、中国共産党政権との現実的な国交回復を見るまで、中国との関係を失っていた。実は、その間は、最も日米関係が緊密化した時代でもあった。朝鮮戦争があり、冷戦があって、日米関係が充実したのは当然であるが、その後、冷戦の崩壊とともに、米中の国交回復が行われ、共産党の政治体制であるにもかかわらず、中米関係は急速に拡大した。要するに、米国は、人権外交と、自由と民主主義のイデオロギーを強調はするが、現実には、主義主張には関係しない現実主義をとる国家である。プラグマティズムと言い換えた方がいいのかも知れないが、ヤルタ会談のように、スターリンの共産主義とも連携できるのが、米国の外交の歴史の事実である。勿論、その反動が起こり、第二次世界大戦終結と同時に米ソは激しく対立することになる。第二次世界大戦後、米国内では共産主義を弾劾する、マッカーシズムが猛威を振るったことも又よく知られているが、米国内には、ソ連や中国共産党を支持した勢力がかなりの程度浸透していたことも事実である。

 

日米関係も、中米関係の進展で、むしろ反日的な米国の当局者が力を持つようになるに連れて、日本異質論がはびこり、例えば、ライシャワー・ハーバード大学教授が、親日的であるとして、いわゆるリヴィジョニストから激しく批判された。米国からは、日本の国民資産に狙いをつけた金融関係者が続々と来日して、日本のカネを海外の市場に持ち出して投資して利益を上げる話が喧伝された。日本から中国に向かった投資は相当な額であり、上海で林立する高層ビルの大半の原資が日本から、外国の金融機関を経てなだれ込んでいるのではないのか想像したことであった。天安門事件があったことなど、すっかり忘れられた様でもあり、米国は、対中関係において、チベット問題やウィグル弾圧の問題など、もはや中国内における人権問題を問題視しないかのような政策をとっている。

 

 しかし、中国の政治状況は、経済的な急速な発展とは裏腹に、絶えず流動的であり、まだまだ安定しているとは言えない。マルクス主義風に言うと、矛盾は増大しており、社会格差が激しく振興して、中国国内の社会対立は激しくなっている。報道は制約されているから実態が判らないにせよ、暴動が頻発しているとも言われ、実際にも社会経済格差が拡大しており、共産党中枢も関心を寄せているが、実際の行動としては、内部の不満を外に振り向ける、例えば反日の動きのエネルギーに転嫁する操作を行ってきている。日本をたたいても、それほどの反論も見られないので、中国当局が日本のカードを振りかざしてもそれほどのリスクはないから、余計に、反日的な行動がエスカレートする傾向が見られる。

 

 

 

 こうした転換期において、中国の本質とは何かを日本側からきっちりと考えることが必要なことであり、無駄ではない。中国の文化伝統には、複数の様相が絡まっているが、中国の中華思想という壮大な神話体系に加えて、元々は外来の思想である、マルクス・レーニン主義が色濃く影響を与えている。矛盾した動機と感情も内在的にある。日中関係が発展する中で、強調された誤解に、一衣帯水、同文同種などの表現が、政治宣伝として時代を謳歌した。

 

 遣唐使の話ではないが、日中関係が、お互いの理解があるという誤解を生み出して、しかも、それを喧伝した時代もあった。ところが、事実は、現代中国には、唐の時代の教養はほとんど残されていなくて、鑑真和尚などは、全く歴史にも、現代中国人が知ることもなく、むしろ、日本人の側に、唐の時代の文明文化が残っているという現実が判って来た。中国の王朝は前の時代の文物を徹底的に破壊して、後代には残さないことが通例である。中国からの亡命者の話によると、東京の書店に入ってまず驚くことは、書棚に中国の古典の本がずらりと並んでいることであるという。孔子・孟子にとどまらず、ありとあらゆる中国の古典を入手することは東京では困難ではない。しかも、日本人の教養の中には李白・杜甫などの唐詩の世界が入り込んでいるが、現代中国人は、李白・杜甫を知るよしもない。現代中国でも、中国の古い時代を破壊することに血道を上げてきたことが実態であった。孔子の論語の解説本が、東京の書店のいずこにも見られたことは驚きであると言う。文化大革命の時の破壊に見られたように、中国版のマルクス・レーニン主義は、伝統文化を破壊することが奨励されたことは、まだ、記憶に新しい。文化大革命で、紅衛兵は孔子廟を破壊して回った。要するに、古い中国の文明様式が保全されているのが日本であって、中国共産党をはじめとする現代中国のマルクス・レーニン主義に立脚した政治思想は、西洋に端を発する思想であり、毛沢東の時代よりもいっそう西洋化が中国の伝統的な思想が変形して統治形態の中に入り込んでいった。

 

 圧倒的な中国文明があったが、現代中国には精神生活を支えるような文化文明の思想は皆無であることは特筆してよい。外来の借り物の思想が、慌てて、孔子学院などと主張しているが、儒教の素養はほぼ破壊されたと見ていいのではないか。市場原理主義の拝金の徒が主導する、感情の希薄な世界に変化した。円仁・慈覚大師が持ち帰った、唐代中国の文化文明の精髄はむしろ日本に残っているのかも知れない。

 

 日中関係は、貿易は毎年毎年拡大して、人的な交流も拡大して、旅行ブームが起きて、相互信頼が表面的には進んでいたように見えるが、立ち止まって考えると、中国側は、日本に対する友好関係をむしろ冷静に高見の見物をしているような情勢である。日中両国の文化的な違いがあることに対する幻滅は、むしろ深まっており、中国側でも、経済的な国力の増大とともに、伝統的な中華思想が表面化する傾向にある。日中間で何が、トラブルになるのか、いろいろな文化的な伝統的な違いを明らかにしておくことは、実は、現在以上の日中関係の悪化を避けるために必要である。誤解に基づいた二国関係が進むほど、将来における破綻の被害が大きく拡大する可能性が高い。

 

 中国に進出した企業が数多く、日本国内の産業が空洞化するほどの巨大な流れになったが、いまこそ、日本側でも冷静な利害得失の分析が行われて、将来の日中衝突が万一あっても、被害が最小化するように備える時期である。

 

 日中関係が悪化すれば、損するのは中国側であると認識できる状況を今から作り出しておかなければならない。日中関係が中国市場の確保と安定的な外交関係の保持のために、安定した将来を保証するためにも、 多角的な日中関係が構築され、不必要な緊張が生じないようにしなければならない。過剰な期待は、幻想を生み、その幻想は幻滅に行き着くことは当然である。互いにあら探しが始まり、対立が激化して、場合によっては、政府間の衝突に行き着く可能性すらある。

 

 中国は、実は、世界的には、敵対的な交渉を行う国として悪名が高い、しかも、巧みな交渉術を兼ね備えており、誠実さがない国家の代表例となっていることは明らかである。公明正大、開放的などとの表現は当たらず、無愛想で威嚇的で、尊大であるというのが、実像である。ウィグルやチベットの弾圧については、海外に映像が流出して知られるようになったが、少数民族をあたかも犬でもなぐるように、人間を人間ともしないで、殴る蹴るの暴行をする、文明度の低い国家であることが明らかになっている。契約を守らず、事実を追求されると猛然と抵抗する、メンツにこだわるということを示したのが、毒入り餃子事件であった。今のままでは、中国国内の矛盾が拡大すればするほど、日中関係は、むしろ中国の側から、国民の不満を外部のはけ口に振り向けるために敵対関係を増幅していく可能性がある。

 

 こうしてみると、中国との関係は、現在の市場と言うよりは、将来に対する期待感が想像されて、活性化されるという側面があったことは否めない。圧倒的な人口の巨大さが語られ、あたかも、その巨大な人口が購買者になる時代を期待して商談が行われる。中国側の政治宣伝の能力の高さもあり、針小棒大というが、外国を中国市場に期待を持たせた。対中関係は、今は駄目だが将来は良くなると考えて時間がすぎ、いつの間にか、身ぐるみはがされていたということも現実化した。ヤオハンという、静岡県のスーパーマーケットがシンガポールに進出して大成功を収めた。シンガポールという、アングロサクソンの統治化にあった、旧植民地の合理性の元で成功した日本人経営者が、華僑の祖国に進出したが、その将来と現実との齟齬の中で、敗退したことはよく知られている。上海に作られた、ヤオハンの店舗は、シナ揃えも良かったが、実は、それを買う消費者はおらず、ほとんどが、万引きの被害が続発するのが消費者の実態で、いつしか倒産してしまったという。

 

 1974年まで、日中貿易は、中国の政治信条を支持して、台湾との交易のない、いわゆる友好商社を限定して行われていたのが原則であった。1976年に毛沢東が死去して、78年には米中の国交回復が行われる。それから、中国市場に対する期待が過熱していく。78年の八月には、日中平和条約が締結され、中米関係の進展とともに、日中間の貿易も急速に拡大することになる。中国側の主張した、四つの近代化は、威勢の良い政治宣伝で、日米双方の経済界に、甘い幻想を振りまくものであった。中国の政府当局者は、四つの近代化の政策が実現不可能であると結論を出して、10カ年計画を破棄して、その後の三年間を調整期とするという決定を下している。79年末には、USスティール社との契約を署名した直後に、中国側は契約の中止を申し入れている。中国側が、自由貿易地域を香港や澳門の近辺に設けることを提案したのがこの頃である。政府間の借款、米国の主導する世界銀行の借款が、中国市場の調達の資金源であったから、絵に描いた餅のような大型のプロジェクトの打ち切りが相次いだのも、このころである。中国国内では、政治政策をめぐる主導権争いが行われたが、83年になって、価格改革の必要性に関する論議として、表面化した。84年一月に鄧小平が深浅を訪問した。14の沿海都市が外国投資の対象として開放された。上海の外国系銀行が、預金と外貨による融資業務を開始した。

 

 1986年の12月には、初の民主化要求の学生デモが行われ、胡耀邦総書記が失脚した。89年春に天安門事件が起きる。
中国は、相手が巨大な企業であるか、中小企業であるかによって、交渉のやり方や態度を変える。大企業の場合には、大規模な外国企業については、実際に購入するときには至って慎重で、むしろ、その外国企業の持っている技術の習得に血道を上げることになる。ほとんど利益が上がらず、中国市場では、ハイテクを低価格で供与するだけの役割になっている外国企業もまま見られる。中国で原材料を仕入れている企業は、数も少ないのであるが、中国に対してほとんど不満がない。その昔からの関係であって、これからも変わることがない。漢方薬の輸入などがこの分野であって、政治とも関係が無く、細々とした関係である。消費財を中国で生産して輸入する企業が最も活発である。中国側が、最も関心をよせるのが、生産拠点を中国に作ろうとする外国企業である。外貨を稼ぎ、雇用を確保して、適当な技術移転が行われるからである。共産党の党官僚にとっても都合がよい。

 

 中国側が、誇大宣伝をして、市場に過剰な期待を抱かせながら、同時に「じらし」のテクニックを使う。ビザの発給、事務所の開設、要人との面会、通訳の手配など、ありとあらゆることが、中国側の配慮なしには、動けないシステムを中国国内では作っている。外国企業の関係者を不安に陥れる。中国側は、決して急がない振りをして、外国側の足下を見つめているのが普通である。夜遅い宴会の席上では酒に飲まれては失敗である。マオタイ酒をたっぷり飲ませた後に、核心の問題を切り出すかも知れないのである。

 

 日本人は、中国が社会主義の国であることを忘れがちである。硬直的な官僚制は、融通無碍の腐敗と裏表の関係になる。特に、地方政府の場合などは、中央との軋轢を回避するために、地方独自のやり方が強調され、これが後に中央との軋轢の原因となる場合も見られる。中国の官僚制度は、完全な縦割りで、自分の持ち場のことしか判らないので、全体の判断はつかない。全体の判断は、共産党の役割であるから、最終的には、全てが共産党の掌の中にあることを忘れてしまうことがまま見られる。それを確保するために、実は、中国の制度は、責任を逃れ、決定を曖昧にして、後になって批判を招きかねないことは全て隠してしまうという高等な技術を発達させているから、権力と権限とが関連していて、あらゆる物事の判断に責任が伴い、責任者がいるはずだと言うのは、幻想である。実際にも、責任者はいないし、判断する者もいないこともまま見られる。中国共産党の幹部は、自分の権力を誇示するが、責任は部下がとることが常套であり、部下が上司を守ることが当然であるとする。中国では、権力があればあるほど、その範囲が曖昧であり、責任を負わないことが権力者であることが、なかなか理解できない。企業のトップが判断能力を持つわけではなく、その下僚が判断しているのか、外部からはわからない場合が多い。中国の官僚は、社会主義の元で、あらゆる批判から身をかわさなければならないから、絶えず慎重で疑り深い態度を崩そうとはしない。一つの例であるが、実は、中国の官僚は、100年前から中国を出入りしているイギリスの植民地時代からの会社と、歴史の浅い、日米の会社とどちらに信頼を置くかと調べると、歴史の長いイギリスの貿易会社の方に重きを置いて信頼しているのが実情である。

 

 中国の厳然たる事実は、中国共産党の鉄の支配の下に、あらゆる組織制度が従属していると言うことである。判断機能の独占が行われ、全ての中国人が、国益を守っていないとの批判に戦々恐々としているのが実態である。交渉を自ら決しようなどとは決して判断せず、全てを上部に報告して、自らの責任をなくして、交渉過程を長引かせるのが通例である。

 

 中国との関係で、日本人的な遠慮や、謙遜は禁物である。91年の春、ジミーカーター米国大統領が北京を訪問して、アメリカにもホームレスの地域があり、エイズなどの問題で人権が保障されていないところがあるが、中国も人権政策を進めるようにと暗に示唆したが、ところが、中国側の報道は、中国批判の部分を削除して、アメリカの中の人権問題を大きく取り上げた。それによって、アメリカは中国を批判する立場にないと結論づけたのである。

 

 中国文化は、法治主義ではない。共産主義が加わって、政治の影響力が絶対である。政治と経済とを分離するなどとは方便である。ところが、自らが有利とみるや、手のひらを返すように、法治主義の権化のように、微に入り細に入り、合意契約書の文面の点検を求めてくる場合もあるので、要注意である。慎重に文面化された契約を取り付けようとしていることは間違いない。文書化されたものが、中国官僚の昇進にとってもっとも重要な証拠物件である。
中国側の基準に合わせれば、当然相手から信用されると思いきやそうはならない。不自然な行動は当然何らかの報酬を期待しているものと中国側は考えるのが落ちである。

 

 日本のある組織と北京のある組織との間で、定期的に相互訪問をして情報交換、あるいは協議を行おうとの合意が成立した。その合意は、日本側が北京を訪問しているときは全ての経費を中国側でもつので、中国側が日本を訪問するときには、日本側で負担するという合意であった。その利害得失は、その交渉の場では表面化しなかったが、すぐ現実には問題化することになった。北京を訪問しても、飲食の為の経費は、中国の伝統的な行政の経費として処理され、比較的に値段が安いものであるが、中国側が東京に派遣する視察は、文字通りの視察であって、一流ホテルでの接待などで、経費は、中国側の支出を実質価格では大幅に上回るものとなった。中国は、伝統的に外国に派遣する視察団などには、交渉権限など滅多なことでは渡さないから、組織幹部の視察旅行に日本側が経費を負担した結果に終わってしまった。建前上平等に見えるが、いつも日本側が損をするという、定期協議の往来がいつしか廃れるのは当然である。

 

 もう一つの例であるが、日本側の要人が北京を訪問すると、国営の宿泊施設に泊めて、歓迎の宴会を開く。山海珍味を集めての宴会となるが、元々は格安の幹部の為の施設である。さて、答礼の日本側による晩餐会が開かれる。その経費はまるまる支払われる。高額で、東京並みの価格での請求書が来る。そうするとそのからくりはすぐ判ることになるが、最初の歓迎会の経費のコストも、答礼の宴会の支払いで払われることになることである。宴会が終わり、その会場には、同僚や、知己が集まって、二次会が行われるのであれば、その経費の負担も日本側が実質的に負担することになることもまま見られた。

 

 現在、中国から、数万人の未熟練労働者が来日して、日本で研修を受けて帰国するという制度が、低賃金労働を助長する者として問題になっているが、これも上記の建前だけの平等で、実は、中国側の送り出し機関が利益を受けているという一方的な不正な問題が含まれている。未熟練労働者は、日本で、例えば、日本料理の調理師になって高給がもらえるとの話で、日本渡航を志す。ところが、多額の保証金を訪日に当たって、中国側の送り出し機関に支払う。その額は、日本で病気になったり、強制送還にあったりして、日本で稼いだ額で、返せないようになってしまったら大変になるような、中国では何年か分の賃金に相当する高額な保証金である。日本側では、財団法人の協会が組成されていて、斡旋するが、実際には、形式上の斡旋で、要すれば低賃金労働が行われることになる。日本の労働法制上は認められないような低賃金労働がおきる。パスポートを取り上げて、逃げ出せないようにする場合もあったと言う。ところが、苦情を申し立てると、その保証金を払えないような期間で帰国しなければならないから、過労死に至るまで、文句を言わずに働きつづけるような過酷な状況にもなる。在日の中国大使館がそうした中国人の状況に関心を示すかというと、逆に、日本側が低賃金労働で働かせるからだとの問題に転嫁するが、実際には、中国側のブローカーが巨額の利益を占めているのであり、日本は、れっきとした公的機関である財団法人が、中国のピンハネ団体の手先となるという滑稽な状況が現出しているのと同じような問題である。

 

 組織の下部で根回しをしてから、責任と権力のある上司が会議を開催して判断して合意するという外交の原則を破る様にすることが得意である。中国側は頻りに責任者の訪中を勧める。キッシンジャーの秘密外交がその典型であるが、実際には、中米関係の中では、こうした外交の原則を踏み外したやり方で、失った国益が相当あったことが想像できる。キッシンジャー氏は、毛沢東や周恩来との最初の会見には興奮したとするが、それは、標準的な外国高官との中国のやり方に叶っていたからである。つまり、世界的に著名な政治家として中国側が受け入れ、それが逆に中国側の名声を高めることに繋がり、政治的な協力の重要性を訴えることがあっても、決して、根本的な立場の違いなどどうでもいいとする、中国的な大人の風格を示すやり方がとられた。違いが明らかで、無視できなかった時には、両者が違う見解であることを認めれば、良いとした。

 

 中国との交渉では、最初から大物を投入することを避けなければならない。最初から大物を投入すると、二度目には、表敬訪問にしかならないし、中国側は、大物をめがけてありとあらゆる後略をする。ブッシュ大統領は、アメリカの北京事務所長を務めた経験があったために、中国通の大統領と行動をともにする担当官は、却って不安要素を抱えることになったという。

 

 万一、大物が北京を訪問しても、時間、数量、金額など、引き続き部下が主催して行う交渉を拘束してしまうような具体的な条件を持ち出してはならない。中国の大人の様に、細目にこだわらずに、大まかな一般的な合意原則の話をしておればいいのである。中国人が外遊するときに、特定の事項に対して、決して外国と合意をまとめることをしないことを知っているのであれば、中国側と同様の行動をとればいいのである。

 

 その背景には、外国人が、客人として、北京を訪問して、貿易や通商を行う権利を得ようとする歴史的に行われてきた朝貢貿易の伝統に従う雰囲気がまだ残るからである。「朋あり、遠方より来たる」として、親切にすることは良いことであるが、実は、会議のやり方や、全ての運営方法を決めるのは中国側であることを主張して、主導権を握ろうとする。要人との面会などは、決して日程などを明らかにしない。中国側は受け入れ社である役割を徹底的に演じている。宿泊するホテルの等級によって、「あなたは中国ではどの程度に見られているか」を示していて、それで、中国側の接待の水準が変わるという時代も合った。(海外出張においては、宿泊するホテルのランクによって品定めをすることがまま見られる) (安全をカネで買うことを鉄則にするビジネスに長けた民族の教訓もある。)貿易関係者にホテルが割り当てられる時代ではなくなっているが、一方では事務所の代金や、そこに働く従業員の割り当てで、処遇が定まる傾向も見られる。(北京事務所の受付の社員の程度を見れば、中国政府が厚遇しているか否かの判断が可能である。)セミナー開催などはその典型で、朝貢の時代のように、知識という花束を、華の国で、寵愛を受けようと差し出すような行事にも見える。地元の利益をふんだんに活用するのが中国の常套手段であり、日本側はその手に乗ってはならない。逆手を使うのであれば、帰国や出発の時間を決めて、会談を打ち切り、もっと差し迫った仕事をほのめかして、北京での仕事を二の次であることをほのめかすと、大きなリスクはあるが、中国側に有利な日程などを逆転できる可能性がある。

 

 さらに注意しなければならないのは、お目付役が必ず中国側にはいると言うことである。その役割は、より友好的な中国側の人物に依存するように仕向けることである。実例で言うと、北京を訪れて、呉さんと、李さんに世話になるが、呉さんは、日本語が上手で、日本のことをよく知っており、いろんなことを教えてくれる。李さんは、日本語を話さず、監視しているようなそぶりを見せる、日本に対して友好的な話はしない、というぼけと突っ込みみたいな対応をするが、それも、呉さんという人物に依存的にさせるという、中国側の狡猾な手法である。中国の社会は決して快適な社会ではないし、食事も、外国人用のホテルの飲食ばかりが全てではないどころか例外であり、全く違った社会を訪れる外国人が、中国人側に依存してくる状況を作り出すことを心得ている。そのうちに、呉さんは、日本に勉強に行きたいから、紹介状を書いてくれないか、ビザの取得に必要であるから保証人になってくれないかと頼むようになる場合もあるかも知れない。

 

 中国のブランド志向は相当なものである。勢い西欧崇拝の傾向すらある。万年筆であれば、パーカーの時代もあった。タバコなら、マルボロではなく、ラッキーストライク、車はフォードから、BMWに変わった。ブランドによって相手をくるくる変える。中国が国際社会に登場した頃には、古い中国の友人を大事にするという論理が通用したし、井戸を掘った人という表現が好まれたが、今では、多国籍の大企業が好みであり、中小企業などどうでも良くなった。台湾を切り捨てることを中国市場に入るための条件とした時代も合ったが、歴史の判定は、台湾を切り捨てて北京を大事にした企業の方を中国が大切にしたかと言えばそうでもなく、単なる言いがかりの選別手段としたのが実態である。
自分の関心を相手に知らせず、相手の関心事項をあきらかにするように求める、都合の良い交渉方法が中国のやり方である。相手に関心を伝えないことは、中東のアラブのバザールで交渉をやるときに見られるいつものやり方である。余り関心を示せば、どうせ買うのだからと売り手は値段をつり上げてしまうやり方である。日本人であれば、そこまで関心があるのであれば、値段を負けようと思うのが常であるが中国人はその点アラブの商人と同様に値段がつり上げられてしまうと考えるらしい。

 

 日本の会社が大規模で成功していればいるほど、中国に対して見返りなしで、技術知識を提供すべきだと考える向きもある。中国では基本的に、知識は高く評価されていないが、これは社会主義の建前論で今に始まったことではない。大学教授は、ホテルの前にたむろするタクシーの運転手の給料に劣る時代が長くつづいていた。日本人は、効果的な技術や知識を得るためにどれだけのコストがかかっているかをよく知っているが、ライセンス料を払わず、特許権を無視して、どんどんコピーをすることをするのが、中国の現状である。外国の技術を模倣して恥じず、感謝する必要もないとする文化的な伝統が根強くある。

 

 対中国の交渉の基本的な原則がいくつかあるが、忍耐強くと言うことである。中国は、情報を入手してからその解析に時間をかける。時間がかかる。中国の組織は、決断は共産党が下すわけであるから、対応が遅い。担当者は、絶えず上司に報告しなければならないから、努力もしないし、長時間働くこともしない。よく言えば、中国では長い視点で物事を考えるのが建前であるから、焦らない、あらゆる事柄を検討して失敗しないようにするので、誤りを避けるために時間がかかる。急いで取引をした、結論づけたりする人を信用しないとでも、言い換えることができる。特定の関係を作るためには、すでに述べたが、注意すべき点もある。依存関係を作り出すために、用意されたシナリオに乗せられてはならない。保証人にさせられたあげくに、秘密に渡るような情報・知識の提供を要求してくるかも知れない。相手は、縦割り社会の統制が貫徹した、鉄の規律の社会主義国家であることを片時も忘れてはならない。

 

 節度あるつきあいをせよ、である。
日本人は、行く川の水は絶えずしてと思っているが、中国人はそうではない。中国では作られた人間関係を、永続的な関係にしようと思っている。中国人は、北京で生活して、中国語が流暢に話せて、思い入れが強い人物に信頼を置いている。人間関係は、中国では、即生活であるから、それを頼りにするが、公私の分別もし難くなるから、日本側としては、親しき仲にも礼儀あり、紳士の交わりは淡き水のごとしと心得ていた方がいい。

 

 恩義を感じてはならない。
日本側に中国に対する贖罪の観念を植え付けて、相互依存の関係を帳消しにしようとするやり方がまま見られる。個人的な関係を強調することも見られるが、公私の区別がなくなり、一方的な歴史の解釈論をふっかけてきて、自分たちの立場を強化しようとする性癖がある。自分たちの誤りは決して認めようとしない。

 

 中国の夫婦げんかであるが、大声を出して、どちらが正しいか、家の外に出て、泣き叫んで、夫と妻のそれぞれの正統性を主張するのが、中国風の夫婦げんかである。中国に長く住んで深い専門家によれば、大声で相手をののしる場合ほど、自分の過ちを意識している場合が多いという。日本人は、相手がいきり立っていると反論しないが、そのときには、夫婦げんかではないが、ちゃんと冷静に反論すべく、罵詈雑言に対して受けて経つことが、夫婦げんかを丸く収めることになる。つまり、中国では、沈黙は金ではなく、銅以下であり、その点では西洋の社会との価値観が近似している。

 

 中国側は、過剰な期待を抱く可能性がある。大企業であれば、当然無償で知識や情報を提供するという期待が見られる。安易なできない約束などしてはいけない。お返しを期待することも無理である。日本人であれば、割り勘のように、たえず、50対50で考えるが、そうではなく、東京と北京での相互の接待のように、地元での力関係が重要であるから、北京で、飲食がいたれりつくせりであればあるほど、相手は東京で、至れり尽くせりの応対をしてもらえることが当然だと考えていることを知るべきである。

 

 恥は必要がない。相手を遠慮なく批判したり、非難するのが、自分にとって気にいらない場合に中国人は相手に恥をかかせようとする。一般的な、大まかな原則論に合意があったとして、その解釈について、中国側の解釈に合致していない場合には、相手側が、原則を遵守しないなどと、批判するのは日常茶飯事のことである。日本人は相手に恥をかかせないように配慮するが、中国の場合には、恥をかかせようとするのである。しかも、中国側は、相手の間違いを親切に指摘しているのだというお節介な考えすら持っている場合が多い。相手が怒る訳がないとでも思っているかも知れない。唯我独尊という言葉は、日本では悪いことの表現であるが、中国では、そうでもない。

 

 中国人を満足させるためには、今までのやり方は間違っていたかも知れないと少しでも反省の色を見せれば、満足してしまうかも知れないが、攻撃がもっとレベルをあげてくるかも知れないので、一概には言えない。復讐と恨みについては、日本人の想像を超える時間の長さを、記憶することができるようである。犯した誤りを認めることにして、反省するという文言を乱発して、中国との関係を深めるというやり方があるが、それは決して対等な関係を作る物ではなく、朝貢関係としての、古い中華思想に依る主従の関係を黙認するだけになるから、日本側としては、必ず避けなければならない。

 

 細目が定めずに、一般的な原則に合意すると言っても、その一般原則を盾にしていろいろな不平不満と文句を言って来ることが見られる。関係の進展に応じて、その都度契約を見直すとでも言うような、状況の変化に対応でいる条項を入れておくのも一つの知恵である。日本人は、書面にそれほど拘束されずに、状況の変化を考えることができるが、中国人は、西洋人同様に書いた文面に拘束される傾向が強い。

 

 中国人は、記録マニアであり、会合の記録を熱心にとる。中国側の記録が正確であるわけではない点にも注意が必要である。議事録を合意することなど至難の業であるから、日本側でも、メモすることが必要である。記録を歪曲しても罪悪感はないし、政治の駆け引きとしていつでもあり得ることと割り切って考えているようである。中国側から、あの時こんな合意があったと指摘されて、やんわりとそんな記憶もメモもないと反論する交渉相手の方が、尊敬される様である。

 

 中国側に反論する場合には、被害を最小限にする努力が必要である。自分たちの過ちを指摘されると、他者は攻撃しても、過剰に反応する場合がある。夫婦げんかに見られる行動と同じであるが、中ソ対立や、中国とベトナムの国境紛争の時にも見られたが、過剰な、売り言葉に買い言葉の非難の応酬となる可能性がある。日本人には最も不得意なことであるから、相手がいきり立つことを回避するためには、被害を最小限にするような努力が必要である。ただ、反論をしないでおれば、中国側は自分たちの主張が認められたと誤解をしてしまうので、その点はきっちりと書面で反論するなどの対応が必要である。何もしないのが最善の場合もままあるが、それは、中国側が冷静で自分の過ちを認める可能性がある場合である。

 

 中国人は、本能的に、相手を辱めることによって、あらゆる過ちが相手にあることを認めさせ、思わせるようにするのが、国民性である。善意があれば、世の中がうまくいくなどとの発想は元もと持ち合わせていない。中国の文化では、相手をおとしめるためには、自殺さえ許さない文化があるのだ。政敵の墓を暴いて、野原にしてしまうような過酷さがある。自分たちの利益や互恵の範囲については甘いが、他人の介入については、それは厳格な文化である。万里の長城を築き、拝外の策を長期にわたって構築してきた民族のやり方が一朝一夕に失われるわけがない。中国の立場をわきまえた上で、日本の立場にこだわるべきである。本音と建て前をうまく使い分けるのが中国人であるから、そんな使い分けが日本人にできるわけもないので、中国と日本とは文明圏が違うと心得ることを前提条件とすることが大切で、一衣帯水などとの政治的な甘言に惑わされてはならない。

 

 政治的な価値観で言えば、もう、日本人にとっては、アメリカ人の方が、中国人よりも遙かに近いところにいるのだ。ヨーロッパ人であれば、遙かにビジネス感覚を含めて日本に近いかも知れない。北京のビル街のエレベータの中で、シンガポールからのビジネスマンが、同じ華人と呼ばれる華僑の子孫でありながら、これほどまでに商習慣と価値観が異なることになるとは知らなかったと述懐したことがあるが本当の話である。その点からすれば、日中友好、同文同種などとの標語は、日中友好は外交儀礼としては当然の標語であるにしても、同文同種などは、むしろ誤った標語であることが明らかになりつつある。漢字が同文ではあるが、日本語に取り込まれた漢字の表記方法は、現代の漢民族の表現方法ではないし、人種的にも同種とは言い難い。そうした、政治宣伝から、距離を置いて考えることが必要である。日本人が、中国を、違う文化・文明と価値観の国として捉える方が、大きな対立と紛争を回避していく為には適当である。

 

 タクシーに乗ってぼられても文句を言わない日本人、安いと言って買いあさる日本人、お人好しの馬鹿者が日本人という見方が、一般的な中国人の間で定着しつつあるのが現実である。特に日本の大企業は、技術をできるだけ低価格で中国に提供する組織であるとの見方が一般的で、お人好しの馬鹿者のように捉えられている。関係が進展するにつれて、相手の弱点や誤り、失言をも逆手にとろうとするのが、常套手段である。自己批判を迫られても柳に風と受け流さなければならない。ごね得も見られる。表向きは厳しいことを主張しておいて、少しでも妥協すればいいのであると裏のチャンネルで行ってくるやり方である。

 

 日本企業の進出が相次いだが情勢の転換が起きた。市場原理主義が中国でもはびこって、そして破綻した。バブルもまもなくはじける。国内の矛盾は外国に向けられる可能性がある。オリンピックと万国博覧会も、狭量なナショナリズムを刺激したことにとどまっている。中国における子会社などの総点検を行い、欧米の企業に伍し、中国市場で尊敬される日本企業に変身するか、あるいは東南アジアの友好国などに全面移転をするかどうか判断することが、中国市場担当者の経営者の喫緊の課題である。

 

以上の雑文を書くに当たって、マサチューセッツ工科大学で、ルシアン・パイ教授によって行われた調査を基に出版された、「中国人の交渉スタイル」1992年、(大修館書店、1993年邦訳)を参考にした。

 

付論
鄧小平の全盛期に、対日攻略の方法として、難民を大量に出して、日本を困らせると発言したことがあったが、中国共産党は、いわゆる人口侵略を実際の戦略としてとっている。中国の西部の領土となった、新疆省などは、モンゴル、ウィグル人などが住む、自治区の土地であったが、最近の暴動に見られるように、大量の漢族の移住が行われて、元々の住民が少数民族化してしまった。チベットにおいても同様のやり方で、漢族を移住させて、元々のチベット人を追い出してしまう侵略方法を実行に移している。日本に対する政略としても、人口侵略の方法がとられており、その実態を報告する新聞記事が、在日華人と題して、朝日新聞が、昨年の2月から6月にかけて掲載した。朝日新聞は、在日華人という概念を持ちだしているが、昨年の2月10日の記事では、「華人 広く中国文化を引き継ぐ中国系、台湾系の人々を指す。現地国籍を取得した人を華人、中国籍のままの人を華僑と区別する。在日台湾社会では、自分は台湾人であり、華人ではないという人も多い」などと書いている。旧満州の吉林省延辺朝鮮族自治州を中心に、「朝鮮族」が居住しているが、朝日の定義では、自治州に80万、全国では192万人がいるが、韓国には、40万人以上が、日本にも5万人の朝鮮族が、居住するようになっているが、この人々を、在日華人としている。中国の民族観にはからくりがあり、「~族」は、下位の概念であり、上位の概念を「中華民族」としている。チベット人もウィグル人も、中国人である。公然たる秘密は、シナ人以外の非シナ民族は、同化吸収されて消滅すべき存在だと考えられている。56の民族は平等だとするが、本音は中国人とは、シナ人だけを意味する。日本の国籍を取っても、在日華人であるという点が、極めて重要であり、この華人概念を侵略の道具として、アジア・太平洋諸国に進出を謀って来ている。しかし、一方では、中国民主化運動で日本に亡命した石平氏のように、日本に帰化したのは日本の国柄に魅力を感じた(日本の特徴は、権威と権力とが分離していることである。)とする者もあり、朝鮮族の金京子氏のように、日本国籍を取りながら、在日華人として中国政府の代弁者となる例とは異なる例もあり、中国の論法は必ずしも成功していないが、朝日新聞という大マスコミが中国共産党の見解を採用していることには注意を要する。

 

 企業においても、中国人社員による先端技術の漏洩事件が相次いでおり、先年の日本電装における、技術情報の中国人社員による持ち出し事件などが表面化した事例であるが、改めて注意を喚起したい。在日華人を含めて、中国共産党の官僚組織に組み込まれた者が日本企業に入り込んで来ている。研究機関にも相当数の研究者がいるが、その中にも、政府機関の職員が偽装している可能性がある。

 

 日本企業においても、そろそろ、組織的な人口侵略の手法と具体的な浸透の度合いについて、日本国内の工場、研究所、各種組織において点検する時期である。卑近な例としては、朝の清掃を利用して清掃会社の要員として入り込んで、机の上の情報を見て、情報漏洩を謀ろうとした事例や、職場の食堂における会話の傍受の例もあるので、多角的な点検が必要である。とある軍事基地のある街の場合に、要人が訪れる高級なサロンのホステスとして、本来は公安機関に所属する留学生が働いている事例が見られた。精神侵略の次が、人口侵略であり、軍事侵略はその次の段階であるというのが、歴史を踏まえた一般的な見立てであり、軍事侵略を防止するためにも、人口侵略を防ぐことが必要である。

 

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