Kuroshio 97
黒潮文明源流域の漂海民
黒潮の源流はフィリピン諸島の東側海域に発する。フィリピンから沖縄まで
約一〇〇〇キロの距離があるが、黒潮文明の源を黒潮の発するフィリピン東部海域とその先の多島海にたどることができないだろうか。黒潮は時折り大きく蛇行する。二万年前に流れ始めた黒潮は一万二千年前に日本列島に近づいて流れるようになったと言われる。九州の一〇ヶ所以上の遺跡で丸木舟を加工するための石斧が見つかっている。マニラのフィリピン国立博物館にも、パラワン島で発見された全く同じ形状の石斧が展示されている。
ルソン島の北部にポリリョ島があり、マニラから今では定期便の飛行機が飛
ぶ観光地となっているが、昔ながらの丸木舟を使って漁労をするルマガットと
いう海辺に暮らす人々がいる。ルマガットとは、海から来た民という意味であ
る。ルマガットの祖先のすんでいた海はもっと南の多島海とも称すべきフィリ
ピン南部からボルネオにかけての海域である可能性が高い。そのルマガットが黒潮に乗って沖縄を経由して日本列島や朝鮮半島の沿岸を目指したのか。台湾とフィリピンの諸島とを分かつバシー海峡は荒れる海で有名であるが、バシーとは「境界」を意味する言葉であり、「バシ切る」は境界をはっきりさせることで、日本語の中に隠語として今に残る。バシー海峡にさしかかれば、激流は北上するだけで、二度と元のふるさとに戻れる船旅ではなくなるから、ルマガットの人々にとっては、バシ切る海峡を渡り黒潮に乗ることは、永訣の水杯を酌み交わすことであったろう。
東南アジアでもフィリピンのルソン島からインドネシアのバリ島とを一直線
で南北に結ぶ線の東側の海域は世界有数の多島海である。この海域に住む動物がアジア大陸の種と異なることは英国人博物学者A・R・ウォーレスにより発見され、この海域は彼の名にちなんで、ウォーラセアと名付けられている。オ
ーストラリア大陸ともパプアニューギニアとも異なる海域で、ウォーラセアに
はオーストラリアとアジアの大陸とを分かつ深い海が太古から横たわってい
た。その珊瑚礁の海域に、フィリピンの南西部のスル諸島から、ミンダナオの
沿岸、ボルネオ島の北部と東岸、インドネシア東部にかけて、バジャウあるい
はバジョとして知られる漂海民がいる。 マレー語でペラウまたはビンタと呼
ぶ小さな帆船を操り、レパと呼ばれる家船に乗って移動して漁労をしながら生
活を営む人々である。珊瑚礁がない海岸の場合には、河口の当たりなどの浅瀬に杭を打ち込んで建てた木造家屋に住んでいる。ブルネイの首都の海上家屋などは壮観である。最近でこそ、陸上に移り住む者も多くなったが、台風のない海域では、熱帯特有のマラリア蚊がいない海上の方が、清潔で健康にも良いし、涼しくて快適であることもあり、好んで海上に住んでいるのが実態である。ミンダナオでは長年武力紛争があって、多くのバジャウの人々が、フィリ
ピン北部や、ボルネオ側のマレーシアのサバ州やサラワク州に避難したから、サバ州では、全人口の内一三パーセントを構成する第二の集団となっている。バジャウの人々は自分たちのことをサマ人と自称している。サマ語を使う人口は百万人ほどいるのではないかと推定されている。サマ語は、フィリピンのサマール島の近辺のアバクノン、ミンダナオのバラギンギ、スル諸島の中央サマ、パングタラン、ヤカン、北ボルネオの南サマ、マプン、西海岸バジャウ、そして、ハルマヘラ、フローレス、スラウェシから、南ボルネオまでのいわゆるインドネシア・バジャウ九言語集団に分類されており、ウォーラセアを中心
に広大な海域に居住している。その他にも、タイとビルマの国境のメルギ諸島
のモケン、南スマトラとラウト諸島のオランラウトもバジャウとの共通性があ
り、広い意味では、同じ民族ではないかとの指摘もある。サマといえば海上家
屋に定住している人々の呼び名で、バジャウといえば舟に乗って生活している人々を指すのであるが、漂海民としてのバジャウは、貧困な生活を想像せざるを得ないから、自らの呼び名としては卑下することになる。バジャウの人々は、一般的には、浅黒い肌をしているが、どちらかと言えば色白なシヌムルと言う集団もある。マレーシアのラハダッには、バジャウの家船の集落があるが、イギリスの植民地時代には、マレー人として登録した方が有利であったため、自らをマレー人と考えている向きもある。特にフィリピンから移住してき
た人々はマレー人として、マレーシア国籍を取得することを希望する向きが多
い。
サマ人は、米や芋などの炭水化物を生産しないで漁撈を中心としているか
ら、交易は商業主義の色が強い。田中一村の絵の一幅に、ガジュマルの木の下で糸満の女が集まり、「魚を買わないか(ユーコンソラミ)」と呼びかけている構図の絵があるが、バジャウの市場風景も同じである。スル諸島では一八世紀から一九世紀にかけて王国が隆盛になったが、その繁栄はナマコやフカヒレなど、中華料理の原材料としての商業海産物を大量に採取・販売したことに基づいていた。 (つづく)
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