2年前の1月に当方ブログが書き留めておいた、拙論である。ご参考まで。
常識のウソ
政治宣伝が行われて「常識のウソ」が流布され、誤った判断と結論
に誘導される事態が多発している。特に、企業経営者の場合、理工
系の人事登用が多発して、基礎的な政治経済学の素養を欠く場合に
は、「常識のウソ」に惑わされて、誤った経営判断となる場合がま
ま見られる。経済団体などでも、一部の業界の利益が主導されて、
他の業界には不利益となるような場合にも、「常識のウソ」が見抜
けずにまかり通る状況が生まれる。例えば、近年の金融立国論など
は、物づくり企業に対する「常識のウソ」を駆使した政治宣伝によ
る攻撃に対しても、ものづくり企業の側からの、適切かつ効果的な
反論は欠落している。
日本の長期的な政治・経済の停滞の根幹に、デフレがあることを指
摘して、関係者の「常識のウソ」に対する抵抗力を高める参考とし
たい。本報告は、物づくり企業の関係者が「常識のウソ」を打破するために、最低限度の経済知識をまとめることを意図している。
物づくり企業の経営者や関係者が関心を寄せるべきは、現下の収縮する経済実体の中では、産業政策ではなく、デフレ政策の中止を求める金融経済政策の主張を行うことがより肝要である。
日本の長期的な停滞の原因は、実は誤った政治経済政策の結果にすぎない。政策の誤りは、ひとつの国家を短期間で大きく低下させる前例は枚挙される。しかも、一旦凋落した国家の回復は、至難の技である。例えばフィリピンの場合であるが、朝鮮戦争前までは、日本の経済状況よりも優れたところが多々あり、繁栄した。大東亜戦争中に、マニラに進駐した日本軍の兵士や将校のなかには、マニラホテルの豪壮さに惑わされた者があったほどで、先進国がフィリピンであり、後進国が日本であったが、日本が敗戦国となったものの、フィリピンは、マルコス大統領の政権で腐敗が横行する中で、
急速に国富を消耗して、今でも、繁栄を続ける南東アジア諸国の中では、大きく立ち後れた国家経営の状況となっている。つまり、政策の誤りはつるべ落ちの夕日のように、国家を衰亡させる。企業の場合も同様に、誤った経営方針をとれば、いかなる過去の栄光ある企業も急速に衰亡させることになる。従って、単なる精神論や井戸端会議の議論に留まるところなく、冷静な科学精神に基づいた分析と対策に依拠することが必要である。特に経済政策においては、現実の成果と政策実施の前提条件との絶え間のない突き合わせと検証が必要である。
日本は、特に朝鮮戦争を境に、いわゆる自由主義陣営に組み込まれていく冷戦の時代の中で、大きく経済成長を遂げたが、1990年頃にはいわゆるバブル景気となった。とある大企業の宣伝部署に所属していた関係者が製作した映画「バブルへゴー」が、時代の雰囲気をよく描写している。そのバブル景気は、日本銀行の政策によって徹底的に鎮圧された。つまり、極端に信用を縮小させて、バブルの息の根を止めたが、カネの供給を極端に減らしてしまうことで、経済の急激な伸びを抑えて、モノ(バブルの場合には、不動産を中心とするモノに対する需要の急激な増加が見られた)が飛ぶように売れ、企業の業績は大きく伸張して、完全雇用で、お台場のダンスの社交場が夜な夜な賑わった時代を急速に終わらせた。時の日本銀行総裁は、鬼平などと称賛されたが、実際には誤った政策であり、バブルを鎮圧するとして、信用を収縮させたために、急速に信用、カネが海外に移転する現象が起きたことがよく知られている。上記の映画では、政策当局の関係者と外国の投資家が共謀したのではないかとほのめかす場面が出てくる。ところが、そうした緊縮の金融政策の失敗が反省されることなく、後生大事に今でも続けられ、モノよりもカネを欲しがるというデフレの状況がいよいよ深刻化しているのが、現下の日本である。デフレの時代には、カネ(紙幣)がモノよりも大事となり、モノが売れないので、モノつくり企業の業績は悪化することが必定であり、失業者が増えることは当然の結末である。そうした中で、モノ作り企業の経営者やその団体が、デフレ政策を批判せず放置したり、あるいは、デフレの政策を推進する経済団体に荷担することは、自らの企業の継続と繁栄に無関心であるか、あるいは、単に簡単な経済の知識を欠いているかのどちらかであろう。
バブルが急速に鎮圧され、その後に起きた日本長期信用銀行の破綻は、バブル崩壊の象徴的な事例となった。日本長期信用銀行の破綻の内幕については、ロンドンのフィナンシャルタイムズ紙の元東京支局長であったジリアン・テット女史の著作である、「セイビング・ザ・サン」において詳述されていることを紹介したが、今となれば、長銀の破綻も、その後の外国資本による乗っ取りも、政府と日本銀行の政策の誤りであり、また、一部経営陣の誤った対応であったことがより明らかとなっている。ちなみに、粉飾決算の疑いで重役三人が逮捕されたが、長い裁判を経て無罪となっている。日本長期信用銀行は、わずかの額で外国資本に売却され、また、国会による立法を行わずに行政当局が恣意的に付与したと言われる瑕疵担保付き責任条項により、外国資本が巨額の利益を手中にして、しかも、その利益はオランダに移転されて、日本の国税当局からの徴税は行うことができなかったとされ、テット女史によって、日本の失策として揶揄されているところである。
一昨年のリーマン・ブラザーズの破綻に始まった、いわゆるリーマンショックの後の対応を見ていても、日本の対応は後手後手に回っている。諸外国では、金融危機発生直後に、カネの供給を迅速かつ大量に行ってきているが、日本は、なんと5%増加させただけであった。日本のカネの供給が全然増えず、外国通貨であるドルなどの供給が一気に増えた結果、日本のカネが極端に不足して、急激な円高が日本経済を襲うこととなった。米国や英国の中央銀行は約3倍、ヨーロッパの中央銀行は約2倍のカネを供給しているが、日本だけがそうしたカネの供給を怠り円高となった。2009年11月には、1ドル90円で、2007年は1ドル120円であったから、たった2年で、25%円高に急進したわけであるから、輸出産業は、値段が上がり、どんどん売り上げが減ってくることは当然の成り行きで、製品価格の25%に相当する部分をコストダウンすることは至難の技であるから、あらゆる経営努力が空しい徒労に終わることになったことは論を俟たない。しかも、政府と日銀は、円高を放置した気配であり、2009年の政権交代で就任した財務大臣は、円高傾向に対して「介入に反対」と、許容する発言を行って、その後その火消しに回るというどさくさがあった。2009年12月に日本銀行は、世論に押されて、10兆円規模のカネの供給を行ったが、その効果は極めて限定的なものであった。それに引き換え、アジア諸国は、通貨を割安に管理しており、それが、経常黒字の拡大を助長してきたことは間違いない。北京政府などは、大規模な資金注入を行い、再び、二桁の成長を維持していることが、新年早々に発表され、しかも、日本の経済規模を抜く可能性が高まったとしている。
デフレとは、モノの値段が下がることであるから、良いことなのではないかとの感覚が流布されるが、そこが「常識のウソ」である。衣料品の価格革命があり、主婦が喜んだが、しかし、そのうちに夫の賃金もどんどん下がり、首切りにあったようなたとえ話があるが、社会全体として失業倒産が増えることになる。デフレの現象は、死に至る経済の病と呼んでも差し支えない。デフレの定義は、「物価下落が2年以上継続している状態」で、一時的な物価の下落は、定義上はデフレにはあたらない。しかも、商品個別の問題ではなく、物価、すなわち、モノ全体の価格という抽象化された存在である。デフレになれば、将来は物価が下がることが見込まれるようになり、今いくら値下げしてモノが売れなくなる状態になる。買い控えが、デフレの伴うのは当然の現象である。
デフレで、物価下落の恩恵を受ける者があるかどうかの議論をすると、確かに一部に存在することは明らかで、例えば公務員や、大企業の正社員のように、倒産の危険が少ないとか、リストラされにくい人々である。賃金の値上げがなくとも、デフレであれば、実質的な給料の価値は上がることになるから、公務員の給料が据え置きであっても、実際には、賃上げがあったと同じ効果が見込まれたことになる。首切りのあった日産自動車などの社員が一番被害になったわけであるが、放送会社などその他の大企業も正社員の首切りはほとんど行われなかったから、対岸の火事でしかなかった。デフレの怖さについては、その影響を受ける社会階層が異なることもまた事実である。「買い控えるのは、商品に魅力がないからだ、カネを出して買いたい商品が少ないからだ」という主張も単なる精神論であった、経済の論理から言えば、非常識な主張であるが、それが「常識のウソ」として出回ることが多い。デフレと言うのは、モノよりもカネを大事にすることであるから、実際には、モノ造りなどよりも、金融立国でカネを大事にするという主張は当を得ているが、実際には、デフレの結果として倒産が増加して、失業者があふれることになることには言及しない。もし、経済団体などで、モノつくり企業の経営者が参加して金融立国論を支持する発言を行った事例なども見受けられたが、全くの矛盾した行動であった。物づくり企業が、金融立国論、あるいは、市場原理主義に忠実になって、金融会社に変身した事例も外国などで見られたが、本業は全くおろそかになり、その後市場から姿を消した大企業の事例があったことは、よく知られているとおりである。
細かい議論になるが、消費者物価指数には、三種類の総合指数があることは、指摘されて良い。日本では、総務省が消費者物価の調査に責任を持っており、統計局が担当している。日本の消費者物価指数は、総合指数、生鮮食品を除く総合指数、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数の三種類である。日本では、生鮮食品を除く総合指数が、一般的に、マスコミや政府で消費者物価指数として使われているから、混乱があり、食料(酒類を除く)及びエネルギーを除く総合指数は、統計を取り始めたのが、なんと2006年からであるから、海外比較が非常に困難になる可能性がある。もちろん、日本以外では、食料とエネルギーを除いた総合指数が、コアCPIと言われて使われる。日本のマスコミは、日本独自で作っていた生鮮食品を除く総合指数を消費者物価指数と考えているために、特定の商品の物価が乱れて上がったり、下がったりする場合には、これまでの消費者物価指数似たよってしまうと、木を見て森を見ずの状態になってしまうことが想像される。食料は、天候に左右されて値段が上がり下がりする場合がよくあり、また、エネルギーも投機的な値動きがあって、価格が乱高下するので、物価を測定するには、食料とエネルギーを除外して考える方が、物価の趨勢を見る上では適当な方法になる。原油価格が高騰した2007年から08年にかけての日本のマスコミが、インフレが到来したと誤った報道を大量にしたのが、物価指数の取り違えたことが原因であった。総合指数と、生鮮食品を除く総合指数は、確かに、大きく上昇したが、食料とエネルギーを除けば、むしろデフレであることがハッキリしていたにも関わらず、マスコミがインフレの到来と大騒ぎをして、その中で、実際にはデフレが直深刻化すると言う、国民に誤った情報を与えた恐ろしい話であって、未だにその誤った対応が続けられている。過去の消費者物価指数は、総務省統計局のホームページに掲載されているが、その内の点線の指数を読み取ることが重要である。統計局の消費者物価指数の過去のデータが掲載されている頁のアドレスは、http://www.stat.go.jp/data/cpi/kakoである。
しかも、物価上昇率は、高めに表示されることが明らかになっている。消費者物価指数は、ある一定の前提を置いて品目が選ばれて、計算されているので、その中に、誤差が入ってくることになるという。その誤差が放置されているために、日本政府の発表する物価指数の数字よりもデフレの状況はより深刻であることにある。公表された数字がマイナス2.4%であれば、マイナス4%を超えるデフレの状況の可能性があることになる。2006年のゼロ金利解除もデフレの実態を軽視したことから、数字だけを追って、実態を確認せずに、ゼロ金利解除を称賛したマスコミの責任は大きい。
デフレの原因が、中国からの安い製品が流入したから、物価が安くなってデフレになったという説もまた誤りである。中国からの輸入増は目を見張るようなものであったが、それは、何も日本だけの現象ではなく、米国は言うに留まらず、諸外国でも世界中で、中国からの輸入品が急増している中で、デフレの状況に至っているのは、日本だけである。中国からの輸入の増大とデフレとは関係がないことが、諸外国の状況を見れば容易に理解できることで、確かに、物価下落の要因ではあっても、無視することの出来るような小さな要因に留まることが明らかである。2003年4月26日に内閣府は「世界経済の潮流」と題する報告の中で、デフレの主犯は中国にあらずと分析結果を発表したが、実際には、自国の経済政策の失敗を他国になすりつけようとした陰謀の可能性があり、それにマスコミが荷担するという「常識のウソ」を流布する典型であった。中国からの主要な品目としての食料や衣類などが、日本の物価指数に決定的な影響を与える要素とはなり得なかったのであるが、日常生活における実感があるために、中国製品の輸入がデフレの原因であるかのように煽った。問題解決の方向を誤らせる結果となった。オーストラリアの中央銀行は、景気の力強さから、リーマンショック以降、世界に先駆けて、インフレ警戒のために、利上げを行ったほどであるから、オーストラリアは、2007年から8年にかけて、中国からの輸入が21%急増している中であるから、デフレとは関係がないことは明白である。
デフレ下では、借金返済の負担が契約上の利率よりも重くなる。デフレ下では、例えば購入した不動産の価格が下がり、契約したときの金額を返済していくとすると、実質的な金利負担は増えていくことになる。契約上の金利が3%であれば、消費者物価指数がマイナス2%であれば、実質的な金利は5%になるというカラクリである。「今は住宅が買い時である、価格も下がったし、金利も安い」と言う主張は、「常識のウソ」の典型である。住宅や不動産を買って資産を形成しようとすることが、負担を背負い込んでしまうことになり、住宅など不動産の需要は低迷する方向に向かうことは当然である。物価の上昇があればこそ、カネをモノに交換しようとする行動が起きて、それに対応して、企業はモノの生産を増加させる。その中で、雇用が生まれる。企業が内部留保を取り崩してまでに、下請けや孫請けに回し、労働者の待遇改善に熱心であったのは、物価が適当に上昇したことにその根幹があった。終身雇用と年功賃金の制度は、その象徴であった。
1997年の消費税の増税と2000年と2006年のゼロ金利解除は、経済引き締め政策の典型で、デフレに引き戻した典型的な愚策であることが指摘されている。ヨーロッパ諸国では、年2~3%の物価上昇を目指した政策が行われていたが、その間に、日本では、政府と中央銀行が足並みをそろえるかのように、緊縮方向の誤った経済政策を行ったことになる。急激な物価高は問題であるが、資産形成を図る点では、緩やかな物価上昇が必要な刺激策であり、企業に生産増大の契機を与え、また、労働や待遇の改善を促すことになるので、緩やかな物価上昇の方が、国益であることが、ヨーロッパの政策とその結果によって明らかになっている。ヨーロッパ経済統合後のスペインなどでは、首都のマドリッドの改造などに踏み切り、カネの供給を増大させ、その余勢で中南米での経済活動を活発化させたことが好例であるが、日本では、企業の海外活動の意欲を減退させ、むしろ、国内需要の低迷にくわえて、コストダウンの為に工場などの海外移転を促進させただけの空洞化をもたらした。
物価を議論する場合に重要なことは、特定品目の価格である相対価格と、すべてのモノの値段である一般価格とを混同しないことである。「デフレでも値上がりしているモノがある。企業の努力で解決できる」と言う主張が、「常識のウソ」で、デフレやインフレは、モノの量とカネの量とのバランスによって起きる現象であるから、特定の品目に対する支出が増えても、他の消費が減ることになる。物価高騰の対策としてガソリン税の暫定税率廃止が喧伝されたが、ガソリン高騰の原因が原油価格が投機マネーの流入による高騰であれば、暫定税率を廃止してもその効果は、限定的になることが容易に理解できよう。確かに、特定の商品が大当たりすることもあり得るが、その場合には、特定の会社が利益を上げることになったとしても、経済全体としては効果が限定的である。
この議論に派生するのが、産業政策の議論であるが、産業政策は特定品目の生産の工場についての議論であり、価格の現象であるデフレの解消には繋がらない。産業政策は特定の技術や製品の開発には役に立っても、経済全体としてはほとんど影響がない。物づくり企業の経営者の中には、産業政策に関心を集中して、デフレ対策には関心を示さない人士がまま見られるが、的外れである。モノとカネとのバランスを回復するためには、通貨の発行余力を使ってでも、財政にたいしてカネを供給する(ファイナンスする)ことの方が正論である。更に、政府支出が増えて、需要が喚起されても、設備投資や雇用の問題に着手される段階に至るためには、時間差があり、先述のオーストラリアの中央銀行のような金利引き上げに至るまでには、相当な時間が必要である。財政支出を始めると金利が上がるというのも、「常識のウソ」の典型的な例である。資金需要が生じるまで、時間がかかるとすれば、それまでのつなぎとして、カネを供給する政策が必要である。定額給付金や、教育対策など臨時の政策が必要である。政権交代後の与党がそうした政策が採用したが、「ばらまきではみんなが貯金してしまうから効果がない」と指摘する向きがあるが、いずれかの時点で、カネが市場に出て行くことになるから、時系列をどうとるかの制度設計が重要になるとしても、継続されれば、効果を現すことになる。
失業率と物価上昇率との関係を示すグラフは、フィリップス曲線として有名で、ある程度失業率が改善すると物価が上昇してくることが知られる。逆に述べると、失業率が上がると物価が低下してくる関係である。デフレが、通貨の価格の現象である以上、カネを供給すれば解決できることが、80年前に、高橋是清が金本位制から離脱して国債を日限直接引き受けさせて、世界恐慌からいち早く立て直した事例として証明されている。
財政危機を煽る論議も「常識のウソ」のひとつである。巨額の債務残高があり、それが864兆円で、ひとりあたり678万円の国の借金があるから、消費税の税率を上げて解決しようという論理がマスコミによって重用されているが、全く根拠の無い話である。税収を増やすには、名目のGDPをふやすか、税率を上げると言うふたつの選択肢が考えられ、デフレ下で消費税の税率を上げても、カネの供給を増やすことには繋がらないために、デフレを加速化して、雇用や給与を悪化させるというマイナスの効果を生むことになる。1997年に橋本内閣が行った消費税の税率アップは、散々な結果をもたらし、財政再建は達成されるどころか、いよいよ悪化した結果となった。税率アップを決断した橋本龍太郎総理(当時)は、政策を誤ったことを後日国民に謝罪している。イギリスは、2008年11月に、日本の方向とは逆の減税策を打ち出して、デフレの発生を阻止する策に売って出たことも特筆してよい。
国家の財政を個人や企業の会計で判断することは根本的に誤りであり、毎年、少しでも借金を返していける状態の方が健全で、財政の健全化という点でもデフレ脱却が優先されるべきである。国債金利が上昇するとの誤報が相次ぐが、デフレを脱却する過程で金利が上がるという説には根拠がなく、デフレが解消されて、物価上昇率はマイナスからプラスになるので、本当に金利が上昇していくまでの間は、実質的な金利負担が軽減されるという利点の方が魅力を与える。しかも、財政危機と言われる実態は、純債務で見ると、387兆円で、その約93%は国民が政府に貸しているもので、残された外国に返済しなければならない借金はわずかに27兆円でしかない。日本の財政を危機的な状況にあると指摘する外国政府も金融機関も全くないが、日本のマスコミは財政危機を強調して紙面を賑わす傾向がある。国の財政を、家計の借金と混同していることから来る「常識のウソ」としか考えようがない。
デフレ下での増税がいかなる悲惨な結末に至るかを危惧することの方が遥かに大切である。1930年1月11日、金本位制に回帰した井上準之助蔵相の暴挙で、最近の小泉・竹中政治の際に見られた痛みに耐えろという暴論と同様の誤った政策の先例があることは記憶されてよい。金解禁は、円の切り上げとなり、輸出は激減して、円貨は、海外に大量に流出した。商品市場は暴落して、生糸、農産物などの物価は低下して、失業者は町中にあふれた。農村は壊滅的な打撃を受けた。財政復興に成功した高橋是清は、財政調整の為の緊縮財政をとったために、民衆の反感を買い、2.26事件で暗殺された。その後の日本が、軍事費の拡張に向かったことも念頭に置くべき教訓である。
小泉・竹中政治に見られた「構造改革」は、デフレに、市場原理主義を加味した最悪の政治・経済政策であった。新自由主義と言ういわばカルトの経済理論の影響を強く受けたアメリカのブッシュ政権との連動の下で日本を破壊した。日米間で構造協議が行われ、日本の優れた制度が次々と改変され、戦後の日本の中で、営々として成長の原動力となった制度をも惜しげもなく破壊して、デフレ政策を継続することに狂奔した。金解禁の時と同様に、日本の国富を確実に外国に流出させ、また国家の経済規模を収縮させた。デフレは、失業率を高め依然として5%の大台にあるし、非正規社員が大量に生まれ、社会の経済格差が拡大して「貧困の問題」が議論されるに至っている。
さて、文藝春秋社が行った、エコノミストの格付けで堂々一位となった菊池英博氏の「消費税は0%に出来る」(ダイヤモンド社、2009年)の最終章に、日本の財政の正しい考え方が、要領よくまとめてあるので、それを転載して、拙論の締めくくりとしたい。
① 日本は財政危機ではない。
一国の財政事情は「純債務」(粗債務から金融資産を控除したネットの債務)で見るのが国際的に適切な捉え方である。特に日本はGDPを超過する金融資産を保有しているので、「粗債務」だけで見るのでは、日本の財政事情を的確に把握できない(主要他国の政府保有金融資産はGDPの15~20%程度)。海外で日本が財政危機だと思っている国は、どこにもない。
② 経済成長率を向上させれば、増税なしで社会保障費を賄える。
「10年ゼロ成長」「10年デフレ」の解消には財政出動以外にないことは、歴史的事実であり、現在のアメリカを初めとした主要国が実証している。日本には財源がいくらでもある。新規の国債発行なしで仕える財源(国家備蓄金100兆円)、建設国債の発行ですぐに調達できるおカネは100兆円ある。経済を成長路線に戻せば、増加する税収で、増税なしで社会保障費が賄える。
③ 財政規律の指標は純債務を名目GDPで控除した数値
財政規律の指標は、「純債務を名目GDPで控除した数値であり、数年かけてこの数値が下がるようにしていけばよい。短期間に数値目標を作って債務だけ押さえ込むと大失敗する。
④ 財政改革の数値目標は世界中ですべて大失敗。
財政改革と称して実行した数値目標は世界中何処でも大失敗している。具体的には次の通りだ。1985年のアメリカ:「財政均衡五カ年計画」(最高裁が意見判定)、1989年のアメリカ:父ブッシュ大統領の失敗、再選されず。1980年代のアルゼンチン:プライマリー・バランス目標達成後に国家破綻。1997年の日本:橋本財政改革が兵制金融恐慌を引き起こした。2001年からの日本:「基礎的財政収支均衡策」の結果は「ゼロ、マイナス成長」で債務だけ増加。
⑤ 経済を活性化させれば、財政規律は改善する。
経済を活性化させ、名目GDPが増加する政策をとれば、財政規律の指標は自然と改善する。1993年から5年間で財政赤字を解消したクリントン・モデルで実証済み。
⑥ 特別会計の債務は国民の債務ではない。(財政危機ではない理由)
「特別会計」が発行している国債は一般国民の負担にはならない。だから、国民受けの政府債務から除去すべきである。(2007円三月末現在305兆円)。「特別会計」では、政府が国民から徴収した税金と国債発行によって調達した国民の預貯金の資金で事業を行い、国債の利息と元本は「最終的に借りた者」から返済しているので、特別会計は自己完結している(国民の債務ではない)。
「特別会計の債務」が増えているのは、次の理由による。①2001年度から、従来、財務省の理財局に預託されていた郵貯資金の預託を止め、財投債を発行することになったこと(財投債140兆円増加、借入金53兆円減)。②2003年から、04年にかけて、財務省がドル買いをするために多額の政府短期証券を発行したこと(108兆円増加)。しかも、1999年9月まではこの政府短期証券を日本銀行が買い取っていたのに、それを止めて、1999年10月から国民の預貯金が外貨準備の原資となっている。政府が新規の建設国債を発行して、日銀が市場に流通している発行済みの政府短期証券を買い取れば、「外貨準備金は中央銀行の資金で保有するもの」という主要国と同じ正常な方式に戻ることになる。
⑦ 「10年ゼロ成長」「10年デフレ」の頑強は、基礎的財政収支均衡策にある。
日本は貯蓄過剰の国で、この貯蓄を日本のために国内で投資しないと資金が循環しない。石油危機後の1975年頃から、民間投資だけでは使い切れない預貯金を公共投資で回してきたことが経済成長のカギであった。これを止めて、1997年の橋本財政改革によって5年で均衡財政にしようとして大失敗した。さらに2001年4月から小泉構造改革で同じことをやってきたので、「10年デフレ」「10年ゼロ成長」となってしまった。「均衡財政」は日本の経済体質に合わない。
⑧ 一国の財政収支を家計の借金に例えるのは誤りだ。
ある全国紙では、予算案が出るたびごとに国家の財政を家計に例えた説明を行っている。これが誤りである。(中略)日本は国司彼の95%を日本国民が保有している。国内には、預金超過の家庭、預金不足で借金超過の家庭がある。政府が国債を発行して、預金超過の家庭から資金を集め、それを国内で使えば、経済は活性化して、国民の所得が増える。国債は日本国民に返済されるので、経済が活性化された分だけプラスである。
⑨ 現在の政府債務残高は子供の世代に引き継がれる。これを現世代で圧縮するために、経済成長を抑制して債務の回収に走るのは大きな誤りである。
これは、財務省が国民に向けて使う説明である。これも大きな誤りである。(中略)日本には資源(金融資産、遊休資産)があり余っている。政府が国債を発行して遊休資産を国内で使えば、その分、経済活動にプラスである。その後、国債の償還日に、日本国民に返済されれば、子孫が返済を受ける。親の代に資金を使用した分だけ経済活動は活性化され所得は増えている。子孫にツケが回ることではない。
⑩ 公共投資を5兆円出せば、4年目でほぼ五兆円の財政支出を税収の増加で改修できる。(宍戸駿太郎氏、日米・世界モデル研究所所長、元国際大学長、元筑波大学副学長)
経済が成長を取り戻すと、税収が増えて新たな財源となり、経済成長の財源、原資が増える。「若干でも税収が増えたら新規投資をやめる」ことを繰り返しやってきたのが、1990年代の日本であった。クリントン・モデルのように「八年間継続する」ことだ。日本は必ず甦る。
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