構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2013年9月

Summers Out

日本経済新聞の大誤報。一面トップで観測記事を大々的に報じる。ガセネタ新聞とのあだ名がついていたくらいのインサイダー情報での煽動を得意とするから、臆面も無い。17日になってやっと、サマーズ氏の辞任を報道したが、その間、世界のマスコミから日本の誤報新聞とからかわれた。日本を代表するわけもないが、どうせ外国に読者はいないから、限られた読者の判断を間違えさせるために偏向しているのか、近年、とみに市場原理主義をあおり、人品卑しい内外の拝金の徒を礼賛するようになった。最後のページの文化欄は、格調が高く有名で、小説は、北海道の医者上がりの作家のスポーツ新聞並みの濡れ場の描写があって御愛嬌だったり、私の履歴書は経済界のトップ人士が経営哲学や苦労話を語り評判が良かったが、私の履歴書などは、最近では日本たたきの急先鋒の外国の政治家や、「虚像」紳士のの経済人が登場するに至って、読むも無残な内容をさらけ出すようになった。

http://uekusak.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/post-0432.html

Kuroshio 100

黒潮文明と硫黄

石油天然ガス・金属鉱物資源機構の調査船「白嶺」が音波探査をしたとこ
ろ、徳之島西方七〇キロの海底に新たな火山活動域が発見されたと九月一〇日(平成二五年)に一斉に報道された。オリンピックの東京開催が本決まりとなり、国中が沸き立っている中での報道だから、直径五〇〇メートルの火口状の地形を発見しただけで、そこに熱水を噴出する噴出孔や、特有の深海の貝や生物が発見されたとなれば、レアメタルが存在する可能性があるとして、海底大鉱山の発見でもあったような記事で、景気の良い話題作りであった。これまで、鹿児島の錦江湾の奥の海底にも噴出孔があり、レアメタルの埋蔵が確実視されたことを書き、その噴出孔の名前がしゃれていて、若尊(わかみこ)との名前がつけられていることも紹介した。米国のウッズホール海洋研究所が深海艇を使って、アフリカ大地溝帯で火山活動が活発に行なわれている紅海海底の噴出孔の撮影をしたのは、一九七〇年代の初めのことであったから、それから遅れること四〇年にしてようやく、海底調査船と最新の科学技術の精華を駆使して、自らの国土と周辺海底の探査ができるようになったのは慶賀すべきである。

その徳之島の西方六五キロには硫黄鳥島がある。現在も火山活動を続けている無人島であり、今回発見された海底の噴気孔は、その直近にある。硫黄鳥島は北部にある硫黄岳と、南部にあるグスク火山とが接合して一つの山体となっている。硫黄岳は水蒸気を噴出する成層火山であり、グスク火山は中央火口丘として溶岩円頂丘がある二重式の成層火山で、周囲には爆裂火口の跡が残る活火山である。だから、硫黄鳥島の近辺の海底に、火口があるほどの活発な火山活動があっても、何の不思議もない。しかも、霧島や桜島の大火山帯の延長線上にあるとすれば、世界有数の金鉱山である菱刈鉱山などの鉱脈ともつながっている可能性すらあり、さらなる想像をかき立てる要素があるが、新聞の報道はおざなりで、肝心の硫黄鳥島のことには触れていない。

 硫黄鳥島は現在の行政区画では沖縄県に所属している。しかし、沖縄とは一九〇キロも離れていて、近場の徳之島を経由しての往来の方が頻繁だった。徳之島の北東に位置する天城岳の麓の松原や平土野の港からは、硫黄鳥島近辺を漁場とする漁民を含めて往来があった。沖縄ではなく、奄美の島々と通婚圏を共有していた。硫黄鳥島は奄美群島の一部でありながら、琉球王国では唯一の硫黄産地であったために、奄美群島が薩摩藩の直轄支配に置かれたときに、支那との朝貢貿易に支障が出ないように、そのまま琉球王国の領土として留め置かれ、明治の廃藩置県の際にも、そのまま沖縄県に帰属することになった。ちなみに徳之島の松原には銅山があり、松原銅山の掘削と硫黄鳥島の硫黄の掘削とは、共通する技術であったことが想像できる。硫黄は、その匂いを毒蛇のハブが避けるとして、徳之島では、家屋敷の周りに、卵の腐ったような匂いのする硫黄を粉にしてふんだんに撒いた。

 硫黄は、火薬の原料である。硝石と木炭とを混ぜると爆発的に燃焼することが唐代に発見されたが、それがヨーロッパに伝わったのは、ようやく一三世紀になってからであった。硝石は、山東半島あたりで大量に入手できたが、硫黄は火山の近くでしか入手できないために、東アジアでは、火山活動のある地域、つまり日本列島のその延長線上である南西諸島と遙かにフィリピンからインドネシアの火山地帯でしか入手することのできない希少な資源であった。火薬は宋の時代に大きく爆薬として進歩を遂げることになるが、鍵となる硫黄は大陸にはなく火山列島から入手する以外になかった。本州と九州の活火山はもとより、島では屋久島近くの硫黄島と、硫黄鳥島が重要な生産地であった。支那で火薬は発明されたものの、原料の三要素の一つは、黒潮が岸辺を洗う火山島でしか調達できなかったのである。東シナ海側の二つの硫黄島が代表となり、南シナ海側ではフィリピンのルソン島のピナツボ火山等の大規模な火山地帯で採集する以外になかった。硫黄は付木(ちきぎ)としても使われた。付木とは楊子の先に硫黄を塗ったもので、今のマッチに近い。火打ち石で熱してから炎を取り出すためには、硫黄が便利である。西欧でマッチを専売品とする国があるのも硫黄の希少性と利便性が原因である。硫黄は殺菌力があるので、特に、皮膚病、リウマチ、呼吸器系疾患に効く薬として使われた。南蛮(なばん)とよばれた梅毒に
も効くとされて珍重された。漂白剤や防虫剤としても使われた。蚊取り線香が普及する以前には、蚊を追い払うためにも使われた。硫黄鳥島からの硫黄は琉球王朝の資金源となり、一七世紀以降は薩摩藩が背後から間接支配した。那覇の港の硫黄城(ゆわぐしく)は硫黄鳥島から運ばれてきた硫黄を集積した場所の名前だ。硫黄鳥島での採掘は大東亜戦争後も行なわれたが、昭和三四年に噴火を恐れて島民が久米島へ移住し昭和四二年に大噴火があって無人島となり、終わった。久米島の「鳥島(とぅいしま)」集落には硫黄鳥島からの移住者の末裔が住む。(つづく)

Kamei Shjzuka--A Statesman

http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1775529.html

しかし、そこから脱却するのは別に難しいことではない。自然や神々に対する畏れや共生の思想。これが日本の土着思想だ。そういうものにのっとって維新を開花させていくべきなのに、その逆をやっている。それにどう立ち向かうか。その系譜をたどる思想家がいない。葦津珍彦(あしづ・うずひこ、神道思想家)先生はもう亡くなられたが、私も学生時代、教えを請いに鎌倉まで通っていた。ああいう系譜がなくなった。もう一つは明治に起こった自由民権運動。「一君万民」の思想だが、そういうのも消えた。それで米国や先進帝国主義のまねをした。これが日本の悲劇の根源。
 「日清戦争、朕の戦争にあらず」と明治大帝がおっしゃった。この間の対東亜戦争だって、昭和天皇はやりたくなかった。だけどやらされ、そうして負けた。その意味で、長い一つの負の歴史をわれわれは背負っている。そこから脱しない限り、日本は日本にならない。西洋と同じように文明の反逆をもろに受けて、日本も沈んでいく。
 皮肉なことに、文明の反逆を象徴的に福島の原発が受けているのに、日本は原発の輸出までしている。オリンピックを招致すると総理はうそぶく。私はやればいいと思いが、今のオリンピックは商業主義に走り、アマチュアリズムがなくなっている。大きな流れの中で人類が死に絶えようとしているが、それをどう阻止するかが日本の役割。畏れと共生という土着思想で社会政策を展開しなければ。

亀井先生には郵政改革の先頭に立ってご尽力いただいた。新しい組織になって簡易局も含めた局長、労組、現場の職員にメッセージを。
亀井)俺は柘植(芳文、前全特会長で自民党所属の参議院議員)にも言った。「申し訳ない」みたいなこと言うから、「俺は7年前に言ったろ。わずか5名の党で野党で、『必ずひっくり返すぞ、郵政見直しをやるぞ』と。『しかし、その暁に君たちの亀井静香や国民新党に対する態度はどうなるか、それも俺には分かっているよ』と言ったろ、覚えているか。大会でも言ったろ、何回も。『七人の侍』という映画を見たかと。村を救った侍が村人たちから冷たい目をして追われた。そういう運命をたどると俺は大会で言ったろ。だから、今の俺は異存はない。好きなようにやりなはれ」と。分かるだろう。その通りになった。

黒雲が遠くにたちのぼっている。台風が近づいていて、気流が安定しないのだろうか。予報は大雨だったが、小康状態。上野まで行くために池袋を歩行中に、遠くに怪しい雲をみて、撮影。

タブノキ。札がついていて、タブと書いてある。この木の場所は、水戸市の川又町のうち。周りは田んぼであるが、元々は、汽水の海岸線だったのかも知れない。那珂川からも遠くはない。

タブノキの遠景。堂々たる巨木である。水戸市の川又町の畑の中にある。左側には、鹿島鉄道の常澄駅が遠望できる。右側には、那珂川にかかる湊大橋がある。

Kuroshio 99

無防備な黒潮の民を狙う陸封勢力 

 バジャウの人々は、無防備である。海上を漂泊する民は海賊の格好の餌食となる。人間の力を越えたエンジンという動力を装備した舟を操る海賊に狙われると、浮きが両方についたトリマランの船形の家船はもともと単胴の舟よりも速い構造であったにしても、櫂をいくら必死に漕いで逃げても、人力の舟は、エンジンで力ずくに走る舟にはかなわない。すぐに追いつかれて乗りこまれてしまう。家船はもともと武器を持たないから、父親が木製の櫂を立ててひとり抵抗しても、海賊は拳銃などの小型の武器はもとより、最近では機関銃まで持つようになってきて、また数人の男で構成されるから、勝目はない。珊瑚礁にダイナマイトを投げ込んで、魚貝を一網打尽に捕ってしまう情け容赦のない連中だから、手榴弾すら使う。命乞いをしても全く無視して、海洋民の父親を船縁から海中に投げ込む。ひどく殴られており気でも失っているだろうから、そのまま死んでしまうだけだ。残された家族の母親と乳飲み子がどうするかと言えば、母親が子供を片手に抱いて、海に飛び込む以外にない。島かどこかの海岸の近くでのことであれば、泳ぎ着く可能性もあるし、誰かが殺人事件を見ていて助けに及ぶこともあるかも知れないが、遠くの海上のことであれば、その母子の運命は推して知るべしである。海賊は家船を戦利品のように獲物にして意気揚々と引き揚げていく。無防備とは、絶望の世界でしかない。

 特筆すべきは、海賊とは、海に生活の拠点を求める海洋民が変身するのではなく、エンジンという近代装備などを入手できる陸を拠点にする連中が攻撃的になって海洋民を根絶やしにせんばかりに収奪をする現代の現象である。フィリピンの多島海では香港や大陸に海産物を輸出する華僑の仲買人が昔から住み着いているが、その子孫が海賊化するのだ。バジャウの海洋民の大半がイスラム教に帰依する敬虔な人々であることは宜(むべ)なるかなで、華僑商売人がバジャウの女を娶って気まま放埒な生活をしているのと好対照をなしている。黒潮の民は外来の民を浜辺で歓迎するほど基本的に無防備であるから、この習性に付けこんで餌食にすべく狙いを定めている陸封の勢力がいることに注意を怠ってはならない。

 宮崎の海岸に工作員を上陸させたか国籍不明の船が発見されて、海上保安庁の巡視船が追跡して銃撃戦となり、国籍が割れるからこれまでと自沈した北朝鮮の高速艇の事件があった。後に引き揚げられて、東京晴海の船の博物館前の広場で展示されたことがあるが、異様に大きい西欧製エンジンを装備した鋼鉄船だった。

 アフリカ東岸ソマリアの海賊が跋扈するようになったのも、旧ソ連時代に革命政権と称する支配がアフリカの角と呼ばれる要衝の地に出現したものの失政により難民を発生させ、後に彼らが海賊に変身したからだ。インド洋を季節風に乗って航海するダウ船を襲って飢えをしのぐばかりか、エンジンや航海機器を入手し大型タンカーまで襲うようになった。その海賊連中がエチオピアになだれ込み、ソロモン王とシバの女王の時代からの王朝を崩壊させたことは記憶に新しい。ハイレシェラシエ皇帝は武器の援助を求めたが拒否され、難民となったエチオピア人が数十万の規模で米国首都ワシントン郊外に居住しているのだが、明日は我が身とならないよう特筆したい。

 シアトルに免税団体の本部を置き、日本の捕鯨を目の敵にして調査船に襲いかかるシーシェパードという連中も、やはり陸封の勢力でしかない。前世紀の捕鯨船が太平洋を遊弋して鯨を捕りまくって、鯨油を絞った後の肉は捨てた歴史をも忘れてしまっていることは、西部開拓の延長での太平洋進出を図る連中の横暴である。旧ソ連の航空母艦をスクラップで購入し改修して就役させた件が話題になっているが、インドネシア沖で海賊に乗っ取られた日本の貨物船が珠江デルタで発見された事例のあったことを想起するならば、大陸国家の中古空母の艦隊が多島海の華僑の仲買人の末裔さながらに海賊化して海洋民を襲う可能性は大である。

 仏教伝搬後のアジアで広く見られる建造物としての墓をバジャウの人々はもたない。一族郎党、血縁の門中を葬る大きな亀甲墓が沖縄で有名だが、これも大陸から新しい時代に伝来した風習だ。南島も日本も古くは風葬だった。死期の迫った老人を息子が背負い定まった珊瑚礁の島に連れて行って置き去りにする。姥捨山ならぬ姥捨島があるのだ。残された親族や家族は死者が来世にも恙なく航海できるよう、船形の飾りなどを拵えて祈る。チベットの山々では鳥葬があるが、海洋民は水葬ではなく風葬と呼ぶべき祭礼を行なう。風葬の跡に朽ちて白骨となった髑髏が残るが、そこを遺族は数年後にちゃんと浚(さら)う。泣きながら塩水で洗い清め、連綿とした先祖との繋がりを確認する。珊瑚礁のお白石と人骨のカルシウムの白とは色が微妙に異なるにしても、本質的には同じである。頬紅色の珊瑚を黒潮の民が珍重するのは、おそらくは血の通う人間の、骨を包む肉の色を思わせるからであろう。 (つづく)

Nuclear Power Safety

地下鉄の広告を見かけた。東京の大学が原子力安全工学科の学生を募集している。大事なことである。日本の使命を制する工学を志望する学生が多いことを祈るばかりだ。使命感を大事にしたい。

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