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Kuroshio 99

無防備な黒潮の民を狙う陸封勢力 

 バジャウの人々は、無防備である。海上を漂泊する民は海賊の格好の餌食となる。人間の力を越えたエンジンという動力を装備した舟を操る海賊に狙われると、浮きが両方についたトリマランの船形の家船はもともと単胴の舟よりも速い構造であったにしても、櫂をいくら必死に漕いで逃げても、人力の舟は、エンジンで力ずくに走る舟にはかなわない。すぐに追いつかれて乗りこまれてしまう。家船はもともと武器を持たないから、父親が木製の櫂を立ててひとり抵抗しても、海賊は拳銃などの小型の武器はもとより、最近では機関銃まで持つようになってきて、また数人の男で構成されるから、勝目はない。珊瑚礁にダイナマイトを投げ込んで、魚貝を一網打尽に捕ってしまう情け容赦のない連中だから、手榴弾すら使う。命乞いをしても全く無視して、海洋民の父親を船縁から海中に投げ込む。ひどく殴られており気でも失っているだろうから、そのまま死んでしまうだけだ。残された家族の母親と乳飲み子がどうするかと言えば、母親が子供を片手に抱いて、海に飛び込む以外にない。島かどこかの海岸の近くでのことであれば、泳ぎ着く可能性もあるし、誰かが殺人事件を見ていて助けに及ぶこともあるかも知れないが、遠くの海上のことであれば、その母子の運命は推して知るべしである。海賊は家船を戦利品のように獲物にして意気揚々と引き揚げていく。無防備とは、絶望の世界でしかない。

 特筆すべきは、海賊とは、海に生活の拠点を求める海洋民が変身するのではなく、エンジンという近代装備などを入手できる陸を拠点にする連中が攻撃的になって海洋民を根絶やしにせんばかりに収奪をする現代の現象である。フィリピンの多島海では香港や大陸に海産物を輸出する華僑の仲買人が昔から住み着いているが、その子孫が海賊化するのだ。バジャウの海洋民の大半がイスラム教に帰依する敬虔な人々であることは宜(むべ)なるかなで、華僑商売人がバジャウの女を娶って気まま放埒な生活をしているのと好対照をなしている。黒潮の民は外来の民を浜辺で歓迎するほど基本的に無防備であるから、この習性に付けこんで餌食にすべく狙いを定めている陸封の勢力がいることに注意を怠ってはならない。

 宮崎の海岸に工作員を上陸させたか国籍不明の船が発見されて、海上保安庁の巡視船が追跡して銃撃戦となり、国籍が割れるからこれまでと自沈した北朝鮮の高速艇の事件があった。後に引き揚げられて、東京晴海の船の博物館前の広場で展示されたことがあるが、異様に大きい西欧製エンジンを装備した鋼鉄船だった。

 アフリカ東岸ソマリアの海賊が跋扈するようになったのも、旧ソ連時代に革命政権と称する支配がアフリカの角と呼ばれる要衝の地に出現したものの失政により難民を発生させ、後に彼らが海賊に変身したからだ。インド洋を季節風に乗って航海するダウ船を襲って飢えをしのぐばかりか、エンジンや航海機器を入手し大型タンカーまで襲うようになった。その海賊連中がエチオピアになだれ込み、ソロモン王とシバの女王の時代からの王朝を崩壊させたことは記憶に新しい。ハイレシェラシエ皇帝は武器の援助を求めたが拒否され、難民となったエチオピア人が数十万の規模で米国首都ワシントン郊外に居住しているのだが、明日は我が身とならないよう特筆したい。

 シアトルに免税団体の本部を置き、日本の捕鯨を目の敵にして調査船に襲いかかるシーシェパードという連中も、やはり陸封の勢力でしかない。前世紀の捕鯨船が太平洋を遊弋して鯨を捕りまくって、鯨油を絞った後の肉は捨てた歴史をも忘れてしまっていることは、西部開拓の延長での太平洋進出を図る連中の横暴である。旧ソ連の航空母艦をスクラップで購入し改修して就役させた件が話題になっているが、インドネシア沖で海賊に乗っ取られた日本の貨物船が珠江デルタで発見された事例のあったことを想起するならば、大陸国家の中古空母の艦隊が多島海の華僑の仲買人の末裔さながらに海賊化して海洋民を襲う可能性は大である。

 仏教伝搬後のアジアで広く見られる建造物としての墓をバジャウの人々はもたない。一族郎党、血縁の門中を葬る大きな亀甲墓が沖縄で有名だが、これも大陸から新しい時代に伝来した風習だ。南島も日本も古くは風葬だった。死期の迫った老人を息子が背負い定まった珊瑚礁の島に連れて行って置き去りにする。姥捨山ならぬ姥捨島があるのだ。残された親族や家族は死者が来世にも恙なく航海できるよう、船形の飾りなどを拵えて祈る。チベットの山々では鳥葬があるが、海洋民は水葬ではなく風葬と呼ぶべき祭礼を行なう。風葬の跡に朽ちて白骨となった髑髏が残るが、そこを遺族は数年後にちゃんと浚(さら)う。泣きながら塩水で洗い清め、連綿とした先祖との繋がりを確認する。珊瑚礁のお白石と人骨のカルシウムの白とは色が微妙に異なるにしても、本質的には同じである。頬紅色の珊瑚を黒潮の民が珍重するのは、おそらくは血の通う人間の、骨を包む肉の色を思わせるからであろう。 (つづく)

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