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Globalization 800 years ago

鎌倉三代将軍源実朝の歌が、短冊になって家の近くの神社においてあったから、感想を書いた。承元3年(1209年)のご遷宮を詠んだ歌だから、804年前に詠われた次の歌のことである。

神風や朝日の宮の宮うつし かげのどかなる世にこそありけれ

その短冊に書かれた解釈とは違う詠み方があるのではないのか、こうしたのどかな世にこそ神風が吹いて欲しいとの意味があるのではないかと感想を書いた。

実朝の歌を,まともに読んだこともなく、金槐和歌集など本格的に詠んだこともなかったが、拙い感想に対して、和歌に詳しく日頃尊敬をしている先生から早速の反応を頂戴した。

「実朝が公暁に暗殺されなければ、承久の変は、起こらなかったのではないか」とのコメントであった。

鎌倉幕府が源氏の直系から北条氏に引き継がれていく過程を知らないが、鎌倉幕府は宋の王朝と交易が盛んに行われて、大陸からの船が相模湾まで到達していたことは知っていた。ともかく無学に近いから、なんとかそのコメントの背景を知らなければと考えて、大佛次郎が、昭和二十年八月15日を挟んで、その前後に執筆して発表した、「源実朝」(徳間文庫版)を購入して読んでみた。天皇の世紀と題する長編を,絶筆としただけのことはある大作家の文章だった。

「源氏の血統が自分で絶えることを予感し,官途の栄達を願った鎌倉三代将軍実朝。異例の早さで右大臣に昇進した翌年(承久1年、1219)正月、鶴岡八幡宮での拝賀の式に臨んだおり、兄頼家の遺児・公暁に殺され、予感は的中した。死に臨み、その今日中に去来したものは何だったのか? 母政子の実家・北条氏の内紛にまき込まれ、政治から逃避、和歌・管弦に親しみ、渡宋をも企てた実朝の生涯を描く歴史小説の名作。」と裏表紙に要約が有り、大佛次郎は、最後の文章として、「こういう激しい世の中には短い生涯であった実朝のことなどは、やはり人は忘れ去りがちのものであった。」と書いている。

大佛次郎の描写の圧巻の場面を紹介したいと思う。

「俺はなにも要せぬんんげんかも知れぬが、俺の歌だけは、夢にも嘘を吐いておらぬはずじゃ。お前だけはそれを知っていてくれたろう」 (中略)

なによりも彼にはこの歌は不意であった。
しかし、最初に反省を禁じ得なかったのは、この歌が自分の目の前にいる征夷大将軍の地位にある人が詠んだものだという事実であった。朝森は政子や義時のことを思いうかべて,思わず慄然とした。実朝はいつものように真正直であった。率直に、憚るkとCRY自分オ露老い感動を詠み込んであった。

おほきみの勅をかしこみちちわくに 心はわくとも人にいはめやも
ひむがしの国にわがをれば朝日さす はこやの山のかげとなりにき
山はさけ海はさけ海はあせんむ世なりとも 君にふた心わがあらめやも

地獄を怖れる実朝が、地獄を詠んだ歌にも不思議な位に、実朝の人柄の可憐な味が出て美しくも見えた。この三首の歌はその拙さを全く洗い落とした感がある。雄勁で一筋の性格は,全く実朝がかつて無い大きな感動を身に受けて怖れ謹んで詠んだものだったせいであろう。

おほきみの勅をかしこみちちわくに 心はわくとも人にいはめやも

これは正しく、抑えようのない戦慄を覚えている人間の歌である。ただ、おそれ、おののいて処置さえ忘れているのである。その次の歌は、沈痛な響きを深くとどめて特徴がある。狂うかと思われた程の嵐のような感激がようやくに落ち着いた形を見出したのである。第三の歌は,悲鳴から起ち上がった実朝の姿であった。強く大きい意思の羽叩きが否応なく人に迫ってくるのである。

朝盛は、愕然としたように言葉もなかった。まったく、かれは、この種の歌を受け取る用意なく出て来て、この歌をわたされたのである。実朝は、あらためて襟をただすようなかんじで、一語付け加えた。「院から御直々に御書を賜った」その声音まで息を太く、重々しかった。「もったいないことであった」」

以上であるが、大佛次郎の描写の通りであれば、先生のコメントが指摘したように、なるほど、実朝が暗殺されなければ、承久の変もおきなかったこと必定であろう。更に、それから半世紀程も経たないうちに起きた、元と高麗の日本侵攻、即ち元寇も起きなかったのではないかとも想像した。実朝が暗殺され、北条氏の三代めになったころに、征夷代将軍の役割を忘れ、カラス天狗と田楽を闇夜で打ち興じるようになってから、国内が乱雑になった頃を見透かすように、大陸の大帝国とその手先の高麗軍が、対馬海峡を渡ろうとしたのである。結局は神風がふいて、日本のしまねやまねは救われたのであるが、実朝が、ご遷宮の年に詠んだ神風やの歌は、平時にこそ神風を吹かしてほしいと祈る歌であるとすれば、いよいよ意味深な歌のように思われる。大帝国がおきて、日本の国王の称号などの誘惑があって、権力が権威を簒奪しようとするときに、いつも、北畠親房が神皇正統記の冒頭で定義した、神の国である大日本(おほやまと)は、国難に直面することになったからである。唐の時代もその変わり目に日本では壬申の乱があった。宋と元の時代も、明の大帝国も、黒船の世紀となった江戸の幕末も、大東亜戦争の時代も、そして新自由主義と拝金の市場原理主義と称する秦帝国主義の現代も思い当たる節がある。

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