構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2013年10月

Globalization 800 years ago

鎌倉三代将軍源実朝の歌が、短冊になって家の近くの神社においてあったから、感想を書いた。承元3年(1209年)のご遷宮を詠んだ歌だから、804年前に詠われた次の歌のことである。

神風や朝日の宮の宮うつし かげのどかなる世にこそありけれ

その短冊に書かれた解釈とは違う詠み方があるのではないのか、こうしたのどかな世にこそ神風が吹いて欲しいとの意味があるのではないかと感想を書いた。

実朝の歌を,まともに読んだこともなく、金槐和歌集など本格的に詠んだこともなかったが、拙い感想に対して、和歌に詳しく日頃尊敬をしている先生から早速の反応を頂戴した。

「実朝が公暁に暗殺されなければ、承久の変は、起こらなかったのではないか」とのコメントであった。

鎌倉幕府が源氏の直系から北条氏に引き継がれていく過程を知らないが、鎌倉幕府は宋の王朝と交易が盛んに行われて、大陸からの船が相模湾まで到達していたことは知っていた。ともかく無学に近いから、なんとかそのコメントの背景を知らなければと考えて、大佛次郎が、昭和二十年八月15日を挟んで、その前後に執筆して発表した、「源実朝」(徳間文庫版)を購入して読んでみた。天皇の世紀と題する長編を,絶筆としただけのことはある大作家の文章だった。

「源氏の血統が自分で絶えることを予感し,官途の栄達を願った鎌倉三代将軍実朝。異例の早さで右大臣に昇進した翌年(承久1年、1219)正月、鶴岡八幡宮での拝賀の式に臨んだおり、兄頼家の遺児・公暁に殺され、予感は的中した。死に臨み、その今日中に去来したものは何だったのか? 母政子の実家・北条氏の内紛にまき込まれ、政治から逃避、和歌・管弦に親しみ、渡宋をも企てた実朝の生涯を描く歴史小説の名作。」と裏表紙に要約が有り、大佛次郎は、最後の文章として、「こういう激しい世の中には短い生涯であった実朝のことなどは、やはり人は忘れ去りがちのものであった。」と書いている。

大佛次郎の描写の圧巻の場面を紹介したいと思う。

「俺はなにも要せぬんんげんかも知れぬが、俺の歌だけは、夢にも嘘を吐いておらぬはずじゃ。お前だけはそれを知っていてくれたろう」 (中略)

なによりも彼にはこの歌は不意であった。
しかし、最初に反省を禁じ得なかったのは、この歌が自分の目の前にいる征夷大将軍の地位にある人が詠んだものだという事実であった。朝森は政子や義時のことを思いうかべて,思わず慄然とした。実朝はいつものように真正直であった。率直に、憚るkとCRY自分オ露老い感動を詠み込んであった。

おほきみの勅をかしこみちちわくに 心はわくとも人にいはめやも
ひむがしの国にわがをれば朝日さす はこやの山のかげとなりにき
山はさけ海はさけ海はあせんむ世なりとも 君にふた心わがあらめやも

地獄を怖れる実朝が、地獄を詠んだ歌にも不思議な位に、実朝の人柄の可憐な味が出て美しくも見えた。この三首の歌はその拙さを全く洗い落とした感がある。雄勁で一筋の性格は,全く実朝がかつて無い大きな感動を身に受けて怖れ謹んで詠んだものだったせいであろう。

おほきみの勅をかしこみちちわくに 心はわくとも人にいはめやも

これは正しく、抑えようのない戦慄を覚えている人間の歌である。ただ、おそれ、おののいて処置さえ忘れているのである。その次の歌は、沈痛な響きを深くとどめて特徴がある。狂うかと思われた程の嵐のような感激がようやくに落ち着いた形を見出したのである。第三の歌は,悲鳴から起ち上がった実朝の姿であった。強く大きい意思の羽叩きが否応なく人に迫ってくるのである。

朝盛は、愕然としたように言葉もなかった。まったく、かれは、この種の歌を受け取る用意なく出て来て、この歌をわたされたのである。実朝は、あらためて襟をただすようなかんじで、一語付け加えた。「院から御直々に御書を賜った」その声音まで息を太く、重々しかった。「もったいないことであった」」

以上であるが、大佛次郎の描写の通りであれば、先生のコメントが指摘したように、なるほど、実朝が暗殺されなければ、承久の変もおきなかったこと必定であろう。更に、それから半世紀程も経たないうちに起きた、元と高麗の日本侵攻、即ち元寇も起きなかったのではないかとも想像した。実朝が暗殺され、北条氏の三代めになったころに、征夷代将軍の役割を忘れ、カラス天狗と田楽を闇夜で打ち興じるようになってから、国内が乱雑になった頃を見透かすように、大陸の大帝国とその手先の高麗軍が、対馬海峡を渡ろうとしたのである。結局は神風がふいて、日本のしまねやまねは救われたのであるが、実朝が、ご遷宮の年に詠んだ神風やの歌は、平時にこそ神風を吹かしてほしいと祈る歌であるとすれば、いよいよ意味深な歌のように思われる。大帝国がおきて、日本の国王の称号などの誘惑があって、権力が権威を簒奪しようとするときに、いつも、北畠親房が神皇正統記の冒頭で定義した、神の国である大日本(おほやまと)は、国難に直面することになったからである。唐の時代もその変わり目に日本では壬申の乱があった。宋と元の時代も、明の大帝国も、黒船の世紀となった江戸の幕末も、大東亜戦争の時代も、そして新自由主義と拝金の市場原理主義と称する秦帝国主義の現代も思い当たる節がある。

Tyranny

東京新聞の記事が目を引いた。特報記事である。書き起こしてみた。

解雇特区見送りは歪んだ報道のせい 竹中平蔵氏恨み節

2013年10月21日(東京新聞)

 歪んだ報道で改革が止められる。元経済財政担当相の竹中平蔵氏が、政府の会議に提出した資料で、「雇用特区」構想に批判的なマスコミへの恨み節を綴っていた。竹中氏は大手人材派遣会社の役員を務める。真意はどこにあるのか。(林啓太記者)

◇狙い外れマスコミ攻撃

 今月一日に首相官邸で開かれた政府の産業競争力会議の席上、「『成長戦略の当面の実行方針』について」と題するA4判一枚の資料が配布された。提出したのは、この日は欠席した民間議員の竹中氏だ。「雇用特区」の導入に向けた改革の遅れをこう憤ってみせた。

※『成長戦略の当面の実行方針』についてhttp://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/dai14/siryou4.pdf

※産業競争力会議 http://www.kantei.go.jp/jp/singi/keizaisaisei/skkkaigi/kaisai.html


 「特に『雇用』分野は、残念ながら、全く前進がみられないと評価せざるを得ない」「一部歪んだ報道により、しっかりとした改革が止められる可能性についても危惧している」

 しかし、竹中氏のマスコミ攻撃もむなしく、政府は十八日の日本経済再生本部で国家戦略特区の具体策を決める中、「雇用特区」の本格導入は見送った。

 雇用特区は、戦略特区に定められた地域に限って労働規制を取り払う構想だ。正規社員よりも解雇しやすい限定正社員や、一部の業種で労働時間の規制をなくす「ホワイトカラー・エグゼンプション」の導入などが議論されてきた。

 竹中氏は競争力会議の会合で「金銭解決を含む手続きの明確化をすることが必須」などと、労働者を解雇しやすくする制度の導入を強く主張してきた。

 「こちら特報部」は、雇用特区について「正社員を減らして非正規社員を増やしたい大企業の思惑がある」「不当解雇を助長する『解雇特区』だ」と厳しく批判してきた。厚生労働省さえ「雇用ルールを特区だけで変えるべきではない」と反対した。

 「解雇特区」という表現は「歪んだ報道」なのか。

 若者の労働相談に取り組むNPO法人「POSE」(東京)の今野晴貴代表は「特区に限り、解雇権の乱用を認めるのはおかしい。竹中氏らはむちゃくちゃな政策を議論していた」と批判する。

 竹中氏はなぜ、とりわけマスコミに敵意をむき出しにしているのか。

 経済評論家の森永卓郎氏は、竹中氏が大手の人材派遣会社パソナの会長であることに着目する。

 「雇用改革は、竹中氏が最も力を入れる分野なのに思い通りにならず、マスコミ攻撃につながっている。自身が経済閣僚を務めた小泉内閣時代から労働規制の緩和を唱えてきた。日本を弱肉強食の世の中に変えていくべきだとの主張は首尾一貫している」

 ただし今回、竹中氏は「完敗」したわけではない。政府は労働規制の大幅緩和を見送る一方で、競争力会議の議論の一部を滑り込ませた。弁護士などの専門職を念頭に、契約社員などの有期雇用期間を最長五年から十年に延長する方針を示したのだ。実現すれば、無期雇用に転換する時期が遠のき、正社員への道が狭まる。

 今野氏は「政府は、労働規制の大幅緩和をあきらめていない。労働規制の緩和案が、特区や一部職種に限定される理由はなく、全国規模に拡大する制度の改悪を狙っているはずだ。そうなれば、竹中氏らの思う壺だ」と警戒する。」
安倍政権の中には、日本を破壊しようとする勢力巣くっているようだ。大手人材派遣会社の会長が、政府の会議の委員として利益相反を全く意にも介しないように利益誘導をはかる。適正な手続きとは思えない,一部経済人が政治をも支配しようとしている。政治の無力化が図られて、市場原理主義の破壊勢力が勢力の息を吹き返しているかのようだ。恐ろしいことだ。

Policy of Destructions

週刊新潮が珍しく「日本を暗い国にした小泉純一郎」という記事を掲載した。(10月17日号)。週刊新潮は、小泉政権の当時は、小泉政権を批判する記事は書かなかったどころが市場原理主義の肩を持つような週刊誌であったから、宗旨替えをしたようだ。

原発ゼロを決断すべきだ。突如、脱原発の旗幟を鮮明にし、猛アピールの小泉純一郎元総理(71)。その発信力に大衆は鮮度されがちだが、よもやお忘れではあるまい。ワンフレーズを弄ぶポピュリズム政治が格差を招き、日本を暗い国へと”ぶっ壊した”厳然たる事実を。と書いている。

週刊新潮は、独特の政治的勘、シンワンフレーズ政治の開演、高学歴でも非正規の悲惨、究極のナルシストなどの見出しをつけている

高学歴でも非正規の悲惨、という見出しのもとでは、講談社刊の「市場と権力」で、今月四日に新潮ドキュメント賞を受賞した佐々木実氏の発言を引用している。
「小泉さんはいつも勘で動いています。イラク戦争で米国のブッシュ大統領を支持した時もそうですし、政局にして衆院を解散した郵政民営化もしかりです。根拠は薄弱。緊縮財政を取ったせいで、一時、税収は落ち込み、公共事業や医療、社会保障が削られました。これは明らかに失政です。」「改革なくして成長なしと唱え、そこには痛みも伴うとした小泉元総理。「その痛みが地方や低所得者をもろに襲いました。拙著にも書きましたが、今や日本の労働者の三人に一人が非正規労働者という惨憺たる状況です。彼が取った製造業における派遣労働の解禁は、経済政策というよりは、日本の本質を根底から歪める大転換でした。賃銀が低い非正規労働を社会に認知させ、世の中を不安定化させたといえる。あの構造改革は何だったのか。経済が活性化したと評価する方もいますが、改革が奏を効したのではなく、大胆な金融緩和で大幅な円安の流れを創り、トヨタに代表される輸出期企業を潤わせただけです。それによって、確かに政権の中盤には、株価は一万七千円台を付けた(2006年)。しかし、中韓との外交問題など、山積していたほかの案件を止めてまで推し進めた郵政民営化は、日本の経済の起爆剤にはなりませんでした。」確かに、2001年からスタートした小泉政権で、全労働者にあたる非正規雇用の割合いは30%を突破、その後も状況は改善されぬまま、現在に至っている。(今年度4~6月期で約36%)大卒者に限っても今年三月の統計で、非正規やアルバイトなど不安定な就職を余儀なくされたり、就職できなかった者が約21%にも達するのである。と書いている。
週刊新潮は、経済アナリストの、さらに手厳しい森永卓郎氏の分析を引用する。金融緩和で資金供給を増やした「結果、経済のパイが大きくなり、おおむね企業の経常利益は二倍、株価も二倍、配当金は三倍にも増えました。問題はそのパイの配分です。小泉さんは、富裕層や大企業には投資減税や相続税減税といった恩恵を与え、約三兆円の減税を行った。しかし、その一方で、これ以外の大多数の人には、定率減税の廃止などで負担を増大させ、約五兆円の増税を強いたのです。パイの大部分は、大企業や富裕層が独占し、格差がどんどん広がりました。その悲惨な状況が続いているわけです。」として、

小泉・竹中ラインで推進した金融再生プログラムも、日本を地獄に追い込んだ、と書いている。不良最近絵処理を無理やり進めるために、査定を厳格化して、銀行は、巨額の貸し倒れ引当金をつまされるために、貸し渋りや貸しはがしが横行して、中小企業の倒産が相次いた。ダイエーなども黒字決算だったのに、産業再生機構に回されて、徹底的に資本を切り売りされた。多くの企業が二束三文でうられ、こうした金融政策でもっとも得をしたのがハゲタカ外資です。それによって、賃金カットがすすみリストラの憂き目にあう従業員も増えて格差は拡大した。」とする。紺谷典子氏は、「地方の銀行までつぶしたので;、地方経済は完全に破壊されてしまった。」と語り、「彼の本性が羊を喰らうライオンであることに気づかず、と指摘しする。「実は、小泉政権は、原発を積極的に支持する立場であったから、グランドデザインもなく、感情的に思いつきで言っているだけ」と、こき下ろす政治評論家のコメントを引用している。興味深いのは、「郵政民営化で造反して、小泉さんに追い出された議員たちを、安倍さんは第一次政権時代に復党させている。これも小泉さんに気にいらなかった。移行、二人の間に溝があるとも聞きます。」と、小泉総理と安倍総理の仲間割れの可能性について、大手新聞社の政治部デスクの発言を引用している。

Risk Control

大震災から1年後に書いた拙文である。あくまでもご参考まで。

東北の大震災から一年が経った。物事を冷静に考えて、災害対策を再検討して、新たな緊急事態に備える大切な時期である。昨年の三月11日にいかなる対応が取られたのか、記録しておくことも重要な責任であることを指摘した。時系列で思考することが重要であり、国難あるいは存亡の危機ををチャンスに転化する姿勢が重要である。

大震災があって、安全保障に係わる平和な状態を、安穏に外国頼みにする日本人の戦後の考え方である依存心が大きく変更された。例えば,「絆」という言葉が流行語のようになって強調されているが、大震災のなかでは、日本社会のアトム化と自己責任を強調した新自由主義の政治経済哲学などは跡形もないように崩れ去り、意義を持たなかったことが明らかになった。企業経営の中でも、こうした絆を大切にした企業は団結心が強化されて業績も進展することになるが、万一、被災した社員の怨念が残るようななおざりの対策が行われた場合には、労使関係などもぎくしゃくしたものが長い時間残ってしまうことになる。

企業の場合、社員に被災した者があれば、その程度に迅速に対応即応して、礼を尽くすことが大切である。死者が出た場合には、線香を手向けるとか、生き残ったものがあるときは、慰問の手紙を出すとか色々な紐帯を回復する方法がある。市場原理主義の主張したように、カネで愛情は代えないことがハッキリしたのである。大災害の際の企業存続の為に対策を怠りなくすることは,日本企業の経営者としての矜恃が問われることでもある。

さて、昨年の大地震が東北で発生して、工場の稼働の問題や物流の地縁の問題が発生したにせよ、東京にある本社の中枢機能が被災したわけではなかったので、企業経営の差配が全面的に失われたわけではなかった。不幸中の幸いともいえることであった。福島の原子力発電所の暴走があり、東京においても、機能を関西や外国に拠点を移したりした国の企業なども見られたが、それはむしろ、外資系の企業を中心にした、わが国に絆を持たない組織や団体の、科学的な判断根拠の薄い軽挙と妄動でしか無かった。しかし、もし東京で直下型の大地震が発生したことを想定すれば、昨年の大地震とは異なる様相になることになる。さて、危機管理の要諦は、最近の事例に対処することではなく、最悪の事態を想定して、色々な制約を克服しながら対処することである。

であるから、東北大震災という大災害を経験したからには、その東北大地震自体が参考とすべき先例ではなくなったことになる。東京の直下型の大地震が発生するという、最悪の場合を想定して、「企業としての存続」を検討することが必要となった。特に企業規模が大きい場合には、社会的な責任はもとより、国の命運をかけた重要な構成員として、対策を万全にしておくことが求められる。

人間は、天災によって死亡した場合などは諦めもつくが,人災の場合には、後々までもあきらめきれないという、人間の怨念が残るような状態が継続する。

世界各国の政府は、核戦争やそのほかの大災害を念頭において、政府が活動を継続できるような色々な手続きや対策を採ってきたので、企業の存続についても参考にしながら、論点を明らかにして、企業としての対策を提案する。

カナダの場合は、核待避壕を全土に渡って建設した。スイスでは、一般の国民の住居には、すべて核待避壕が備えられている。

企業においても、地震等の災害に備えて、社員が数日間の飲食や生活を維持できる体制を取ることが必要である。

近年日本においては、本社機能を高層ビルに移すことが流行したが、むしろ、平屋建ての半地下の建物の方が、安全度が高く、今回の東北大震災においても、階層の高いビルの場合には、階を地上と往復することに時間と精力を使うという無駄が見られた。東京の場合には、経営の中枢に当たる部署が、低層階にあったにしても、その場合には、洪水や浸水の可能性にについて注意する必要がある。本社機能のうち、危機管理の指揮系統の部門については、低層階の強固なビルに移転すべきである。経営中枢とは、近距離にいることがもちろん必須の条件である。

フランスの場合には、核戦争を念頭においた軍事指揮の中枢センターを建設している。国内にふたつあり、Taverny, Val d’Oiseとリヨンの近郊のMont Verdunの二カ所に設けている。潜水艦を指揮する司令部も,核攻撃の対策を採っており、Huilles, Yvelinesに建設された。

ノルウェーの場合には、ノルウェーの王家とノルウェー政府を核戦争から退避する施設として、Buskerud地方にsentralanleggetと呼ぶ施設を建設した。オスロ市内には、Hoyblokkaという待避壕を市内に建設している。

スウェーデンでは、ストックホルムの地下に、クララバンカーという待避壕を建設している。政府要員の三分の二と、8000人から1万人の市民を収容することができる。地中に二階建てであり、出入り口は複数設けられている。平時は駐車場として使用されている。

イギリスの場合は、ホワイトホールにある国防省が、Corsham, Wiltshireの代替施設に移ることになっている。原子力潜水艦の司令部は、Northwoodにあり、空軍は、High Wycombeにある。

米国の場合には、国防総省が、レイブンロック山に代替機能の施設を有している。連邦の危機管理局は、マウントウェザーに代替施設を有しており、2001年九月のテロ事件の時には、米国議会の議員の一部が代替施設として使用している。

首脳会談などがおこなわれるキャンプデイビッドは、有名であるが、大統領府が退避する山荘である。米国議会は、1992年まで、Greenbrierを使用するとしていたが、現在では代替施設は定まっていない。米国の戦略空軍の司令部は、Offut空軍基地にあったが,今は変更になっている。アイアンマウンテン(鉄の山)との異称をもつ、コロラド州のシャイアン山をくりぬいて北米宇宙航空軍の司令部が構築されている。 

なお、空軍は、指揮系統の電子機器を搭載した特別な航空機を複数用意しており、例えば,エアフォースワンと呼ばれる大統領専用機なども、指揮を執る為の高度な通信施設などを搭載していると言われる。また、車両についても特殊な車両が用意されている。米国においては、いわゆる9.11事件のあとに、国土安全省が発足して、危機管理の体制が大きく変更した。民間企業も、国土安全省の指揮下に組み込まれており、日本のように、官民が別であるという位置づけはない。米国においても、戒厳令の制度はあるが、国防総省が発令する権限はないが、国土安全省が設置されて、大統領の命令により、連邦の色々な組織が対応することになった。

国土安全省には、NOCと呼ばれる、運用センターがある。国内の事象についての情報収集、連絡、そのほかの連携・調整を行う部署である。三十以上の機関を代表する連絡役が勤務しており、情報の程度によって、段階的に区分されている。各州政府でも危機管理の運用センターを開設している州がある。

沿岸警備隊本部の幹部が座る指揮コマンドセンターやシアトルの地方の指揮センターの画像も公開されている。

日本の大企業においても、こうしたオペレーションセンターを機能させることが必要である。あるいは、系列の子会社などの事象についての情報収集、連絡、事故等の管理について、連絡調整を行う中枢機能を持つセンターを立ち上げることが必要である。

更に大地震などの災害の時のために、代替施設を用意しておくことが必要である。

経営者などの、要員の責任の順番付けを行っておく必要がある。大震災などで、例えば、社長が指揮を執れない状態にあるときは、その代わりを行う順番の地位にある者を順番づけておく必要がある。今回の福島原発の暴走の事態においては、東京電力はそうした初歩
的でかつ基本的な危機管理の手順すら実施されていなかったものと推察される。危機管理は、現場任せにしてはならない。大企業においては、幹部の百人程度は、危機の時の指揮官としての順番付けが行われて然るべきである。常に所在が把握されていることが必要であり、物理的な安全が確保されるようにリスクから切り離すことが必要である。

それどころか、指揮の場所は、現場からある程度離れた安全な場所でなければならないが、総合的な立場からの迅速な反応、行動が求められるからである。

大きな企業の場合には、参加の各社の連絡の窓口を明示的に定めておく必要がある。リストの現行化をしておくことが重要になる。そうした窓口担当者が、顔を見せ合うような会合を年間の内に数回会合を開いて人間的な繋がりを設定するなどの信頼醸成が必要である。

本社の危機管理の運用センターで情報収集して、関係の各社などに提供する。海外部門の運用を考えれば、24時間体制ともなりうる。運用センターは、ローテーションで運営されることになる。

午前中と、午後の二回、報告をまとめることにする。報告に使用する情報量は、A4版の紙一枚にとどめて、簡潔に情報が記載されることが必要である。秘密の情報ではなく、また、判断を加えない生の情報でなければならない。

昨年の大地震の際に採られた緊急対策の良かった点、悪かった点についての評価が必要である。その評価を、こうした次の危機管理対策に生かすことが是非とも必要である。

運用センターの部屋は、それほどの大部屋である必要はないが、先述したように、安全性の高い場所で、地震や火災に対しての耐候性が必要である。また、電源が確保されなければならないので、補充用の電源が確保される必要がある。前方に、投射画面を三面ほど必要とする設計が必要である。日本全国の地図、世界地図、それに、企業と仕手のGISの情報のデータベースが連結される必要がある。また、専門家が、必要に応じて呼び出されて執務する机などが、後方に並べられておけば良い。企業の危機管理の場合には、経済指標などの表示が特段重要となる。電波暗室とは行かないまでも、電波からシールドされた建物であることが望ましい。

通信の確保は死命を制することになるが、特に海外との通信の確保も世界的に活動する日本企業の場合には重要な要素として考える必要がある。特に太平洋を横断する海底ケーブルは、千葉県、茨城県、神奈川県などが、陸揚げ地となっており、そのほかは、三重県、宮崎県などであるから、その通信の確保の観点からは、ある程度、代替地の場所は限られてくる可能性がある。米軍の基地などは、この点からも考慮して立地しているものと思われれる。なお、外資のコンピュータ会社が、部品のデータセンターを配置しているが、これも西太平洋地域での海底ケーブルによる通信のハブとして重要視した立地である。

特に中国大陸やヨーロッパとの通信連絡については、海底線の位置づけが高まる可能性があるので、陸揚げされている海底ケーブルを中継して、東京又は大阪にある,企業の中枢機能に接続する可能性を検討しておく必要がある。

危機管理には、訓練が必要である。頭の中だけは、情報に基づいて具体的に物事を動かすことはできない。訓練において、連絡してから数分間以内の業務移管などを実際に行ってみる必要がある。
企業によっては、事業部毎に、訓練をすることが必要であろう。また、危機管理の運用センターには、子会社や、参加の重要な会社からの連絡役を駐在させて情報の適切な拡散を計ることも考えられて良い。

権限の付与の問題は、事前に解決されていなければならない。場所を違えて、仕事を継続するような最悪の事態の手順については、予め、権限の委譲が行われていなければならない。

英語で言えば、ContinuityとDevolutionとのふたつがあるが、後者は,全面的な人や組織の差し替えが行われるような、言わば破滅的な事態である。

危機の現場から離れる距離については、色々な観点があるが、例えば、近隣に起こる銃撃や火事のような事件であれば、むしろ現場の近くに代替施設を確保することが重要であるが、天変地変の場合には、日本であれば、大阪と、東京とを、相互に代替として考える方が自然であるかも知れない。

Devolutionの時には、本質的な機能を維持することに最重点をおくべきである。

通常の要員の配置の1割で、企業組織の運営をせざるをえない状況を想像すればよい。

他の支社、支店に異動するとか、有力な子会社の間借りをすることも必要である。また、新型のインフルエンザなどの疫病などの伝染病の恐れがある場合には、テレワークや、遠隔会議システムを使用することが必要である。情報通信網が切断され,例えば、電話機などが途絶する場合が考えられるので、その代替となる通信機を日頃から確保しておくことが必要である。無線通信の内、衛星通信は最も災害対応が柔軟に行えるので、可搬型の衛星通信機器を複数台確保しておくことは無駄ではない。しかも、格段に小型化していることから、多少値段の高い携帯電話を備えておくような感覚で、経営中枢の部署を衛星通信網としてネットワーク化していくことも考えられる。

東京都内であれば、トランシーバーなどの無線通信網によって、社内通信網を設置して確保できる可能性がある。新たな技術が出て来ており、導入を検討する価値がある。テレビ会議については、全国又は、世界にある子会社などの地点を結んで事前の訓練を行っておくことが重要である。

物理的な移動についての責任を有する者や部署を定めておくことも必要である。経営幹部の移送などは、バラバラに行われるのではなく、機能の移転を日頃から考える為に、一定の組織に担当させることを明示しておいた方がいい。自動車や燃料の手配など、訓練が大切である。米国の場合には、シークレットサービスが,政府機能の移転に責任を有するところから、日本においては、経営トップの警護に当たるような総務の部門が適当かも知れない。運送用の車両の手配など、ロジスティックスの経験と知識が必要となる。

危機管理で更に重要なのは、単に人が移動したり、継続したりするばかり出なく、経営情報のファイルにアクセスできることが重要である。そのためには、クラウドに移されていることが必要であるが、そのクラウド化には、セキュリティー上は依然として問題が残る。内部のセキュリティーをどう確保するかが肝要となるが,なお限界も指摘されている。データセンターについては、冗長性が確保されながらも、なお保管場所も複数に採ることなどが必要である。最近の日本では、カード方式で、認証を行い、部屋の移動などの制限などを行っているが、ただし、一旦内部に入り込まれた場合のセキュリティーの確保については、なお、深刻な問題が残ることになる。DNA,指紋、そして虹彩の三要素での本人確認を行っているほかに、銀行残高のチェックなど生活情報の収集なども行っているも模様であるが、それは民主主義の根幹にも触れることであるから、企業では当然行うことはできない。一旦クラウドに入り込まれてしまうと、インサイダーの反逆が一番怖い話である。人が人を信用しない価値観の国ならいざ知らず、議論の余地がある。会社での共通のアクセスカードなどを採用することは、却って、脆弱性を増す可能性すらあるからである。最も重要な情報は、クラウドに提供しないことが重要である。

その点から考えると、民間の警備保障会社に委託した、X線による荷物検査や金属探知機による検査の有効性が高いかどうかは疑問の余地がある。場合に由っては、形式化して硬直化しただけの関所で、裏山では、人がどんどん往来しているのが現実ともなりかねない奇妙な現実を招来する危険性がある。東北の大地震があって、具体的に活躍したのは、自衛隊で有り、警察で有り、消防団に至っては、250人を越える殉職者を出しているが、使命感が必要であり、日常から涵養されておかなければならない。その点からは、会社が保養所や、そのほか,毎日の食事を提供する食堂などの提供が必要である。緊急事態においては、飲料水、トイレの確保などが優先して行われて、備蓄されていることが肝要である。

緊急事態においては、精神主義では体力は持たない。交代要員を的確に確保して交代させることが必要である。最長でも一日12時間勤務を想定することが重要で、それ以上の長時間勤務は避けなければならない。日本人は精神主義を重んじて、倒れるまで働こうとする傾向があるが、これはむしろ辞めさせることが必要である。通勤の要素を考えると、それなりのシフトが組まれることが必要であるから、その時間が8時間として想定することなどが必要である。疲れ切ってしまう事態を避けることが必要である。社長に24時間判断させる愚は避けなければならない。むしろ、睡眠を取ることの方が重要になるので、そのほか、社内の医療機関の支援を得ることが重要になる。

権限委譲が,行われており、社長が就寝している場合には、又は,不在の場合には、その次の順番に指定された者が、企業経営の指揮を執らなければならない。この場合には、訓練をすることによって、その志気が高まることは既に、外国政府などの承継者の例を引いて説明したとおりである。緊急事態に対処する要員の家族の安全確保についても配慮が払われなければならない。阪神における震災の場合には、緊急事態に継続して勤務をせざるをえなかった国家公務員の場合に、離婚が急激に増加したと言われるが、家庭を犠牲にせざるをえなかった任務に就いている者に対する理解を家族ですら深めることができなかったことから生じた悲劇である。

情報は,入手したら,すぐ公開することが基本であるが、確認できない情報については未確認である旨を明示して情報を公開することが基本である。また、対策、今後の予定や計画についても、逐次公表していくことが重要である。広報の担当が重要であるが、大きな企業の場合には、外国語でも的確な情報を逐次提供していくことが必要であるが、この場合、外国語に通暁した要員を使用することが大切で、それほど得意ではない者がムリに外国語を使用することは却って誤解を与える可能性がある。

企業内の緊急事態の通報は、五分のルールを採用することが必要である。つまり、当該現場の責任者に五分以内で、連絡がいくことである。これは拙速が重要である。五分ルールの採用は、厳しいルールであるが、そうした迅速性が重要である。そして、15分以内には、会社全体の責任者には通報が行われることが必要である。三〇分以内に、追加情報の提供が行われて、少なくとも二時間以内には、全社組織が調整の対象となって、動かさなければならない。その動かす力が、本社に設置された危機管理センターの役割である。

緊急事態の通報窓口の電話番号などは、できるだけ簡単な番号にしておかなければならない。会社の内線であれば、番号を短縮して三桁の番号などにして、緊急連絡先の番号を覚えやすくするのも一策である。ツイッターなどの外部からの情報は,そのまま採用するわけにはいかない。単なる参考情報である。流言飛語が含まれている可能性が極めて高い。

危機管理センターが危機の時だけの役割になり、日常の平時の重要性を持たせるために、定時の情報報告の作業が重要となる。定時の企業内の情報連絡を行うことが必須になるので、そうした運用センターがない場合と比較すると格段の情報流通が円滑に行われるようになる。また、そうした、関連会社との意思疎通の会合を行うことが必要であるから、会社の中での一体感の醸成を行うことも必要である。計画や、子会社を含めた横断的な協力関係の構築、と全体的な訓練担当を行うことで、平時の経営に大きく貢献することになるものと考える。

今回の東北大震災の際には、グーグル社が、行方不明情報の検索システムをパーソンファインダーとして提供した他、アマゾン社も、クラウドの一部を提供したが、日本の大企業もこうした緊急時の余力を社会貢献、あるいは国家貢献として、日本国内の事象のみならず、海外における緊急事態をも見ながら、活動していくことが求められている。

今回のグーグル社の対応等も、危機管理の運用センターが社内に存在して機能していることを見せつけた事例である。そうした運用センターの計画や方針策定なしには、運用できないからである。日本の大企業もこうした緊急時の体制をちゃんと整えて行くことが、世界的な企業として信頼性を向上させ確保するために必要である。むしろ市場原理主義の拝金の政策を捨てて、共同体の維持を図る経営に転化すること、分かりやすく言えば、日本の高度成長時代の,会社共同体があった時代の経営を参考にしながら、大きく進展した情報通信技術などの科学技術を活用して展開を図ることが必要である。

Kuroshio 102

奄美群島日本復帰六〇周年

 天皇皇后両陛下をお迎えして、平成一五年一一月一六日に鹿児島県主催で名瀬市で開催された「奄美群島日本復帰五〇周年記念式典」の模様を「黒潮洗う大日本の島々に神は宿る」と題し黒潮文明論を書き始めた。まず「奄美の本土復帰運動は、民族自決運動で、異民族支配に対する抵抗であったことは疑いの余地がない」と書いた。それから一〇年が経って、東京奄美会主催の奄美群島日本復帰六〇周年の総会・祝賀会と記念式典・文化芸能祭が一〇月六日に渋谷公会堂であった。パンフレットに「時を超えておもいは繋がる!」と、歴史的な民族運動の意義を再確認して、先人の不屈の魂と郷土愛さらには愛国心に敬意を捧げる趣旨が大書されていた。裏表紙は奄美に航空路線を展開していた東亜国内航空を合併した日本航空の新鋭機のグラビア写真を掲げた広告で、表紙裏は医療法人徳洲会の広告で、徳田虎雄理事長の愛郷無限と題する挨拶が載り、国内に六六病院(一万八三一七病床)、介護福祉施設四三〇を展開し、ブルガリアとブラジルに開院し、一六ヶ国に人工透析センターを開設したことを紹介し、「徳洲会の原点は奄美群島にあります。これからも島の皆様とともに歩みを続けてまいります」と、奄美にある三八の施設を一覧表で掲げていた。

 奄美復帰運動の父である泉芳朗先生の「島」という詩がある。

http://youtu.be/87taDQF5WNc

 私は 島を愛する 黒潮に洗い流された南太平洋のこの一点の島を 一点だから淋しい 淋しいけれども 消え込んではならない それは創世の大昔そのままの根をかっちりと海底に張っている しぶきをかけられて 北風にふきさらされても 雨あられに打たれても 春夏秋冬一枚の緑衣をまとったまま じっと荒海のただ中に突っ立っている ある夜は かすかな燈台の波明りに沈み  ある日は 底知れぬ青空をその上に張りつめ 時に思い余ってまっかな花や実を野山にいろどる そして人々は久しい愍(あわれ)みの歴史の頁々に かなしく 美しい恋や苦悩のうたを捧げて来た わたしはこの島を愛する 南太平洋の一点 北半球の一点 ああ そして世界史のこの一点 わたしはこの一点を愛する 毅然と 己の力一ぱいで黒潮に挑んでいるこの島を それは二十万の私 私たちの島 わたしはここに生きつがなくてはならない人間の燈台を探ねて

 
  泉芳朗先生は明治三八年徳之島の面縄に生まれ、鹿児島第二師範学校を卒業、奄美大島の赤木名、古仁屋、徳之島の面縄の各小学校で勤務する。昭和三年に上京、小学校の教員を続けながら詩作に励む。昭和一二年に帰郷して、伊仙、神之嶺小学校に勤務。昭和二六年に奄美大島日本復帰協議会を結成して議長に就任、群島民の九九%が署名するという署名運動や断食運動の先頭に立った。昭和二七年には名瀬市長に就任している。昭和二八年一二月に復帰を勝ち取ったが、非暴力を貫いている。昭和三四年に詩集刊行のために上京するも、五四才の若さで死去した。没後、詩友が出版した『泉芳朗詩集』は稀覯本となり、古本で一万四〇〇〇円もの値がつけられている。復帰六〇周年記念出版として、泉芳朗の実像を甦らせるかのように、鹿児島市の南方新社(ファクス〇九九・二四八・五四五七)から一一月上旬に復刻版が刊行される。内容は、Ⅰ詩一六編 Ⅱ詩二六編 Ⅲ詩一〇編「オ天道サマハ逃ゲテユク」抄 詩一〇編 「赭土にうたふ」抄 詩九編「光は濡れてゐる」抄Ⅳ詩論八編 付録「泉芳朗
の人間と文学」(知人三〇人による寄稿)である。定価は三八〇〇円(税別)。

 式典では大島高校吹奏楽部の演奏で国歌が斉唱され、日本復帰の歌が歌われた。文化芸能祭の冒頭では作詞村山家國、作曲山田耕筰の「朝は明けたり」の歌を、島岡稔、元野景一、泉成勲、向井俊郎、田向美春の各氏が唄った。小学生の頃、「朝は明けたり」の曲と詞が異民族支配から解放された喜びを噛みしめるように鼓舞したのだろうか。

http://youtu.be/2p_ToIeI8oY

「くれないのこころにまもり まもり来し 日のもとの旗 日のみはた 今ぞ我が手に 島山の 朝は明けたり さえぎるものなく 朝は明けたり さえぎるものなく やつ年を こころに懲りて よびて来しはらからの國 日のもとよ 今ぞあきらに くにたみの みちはとほれり あまみの島ねに みちはとほれり あまみの島ねに 三千歳の 國たみごころ めぐり来し あらたなる日の この思い 今ぞひとつに あひ起たむ ときはいたれり 日のまるさやか ときはいたれり日のまるさやか くろ潮の  うなばら北に さだまれるはらからの島 さきはいは 今ぞあまみに 國たての 朝はあけたり こぞりてたたなむ 朝はあけたり こぞりてたたなむ」


「朝だ 奄美の朝だ 日に焼けた君らの胸に 盛り上がる復興の熱 そうだ 
そうだみんなの汗で 生みだそう明るい奄美」という行進曲調の歌が筆者の耳底には今も残るが、もう誰も知らない。大相撲に一五人も奄美からの力士がいて、九人が登壇して相撲甚句を披露した。島唄があり、三沢あけみが「島のブルース」を歌い、艶やかな紬の男女が歌遊びをして見せた。  (つづく)

Market and Power Corrupted

佐々木実著「市場と権力」が、新潮ドキュメント賞を受賞した。今年のベストのノンフィクションとなった。当方ブログの読者にもご一読をおすすめする次第である。その表彰式が、10月4日の夕刻に、東京のホテルオークラで開催された。藤原正彦先生が、ドキュメント賞の審査委員長で講評をした。

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Kuroshio 101

黒潮文明と硫黄の道

 先号で、奄美群島と琉球王国との関係に触れながら硫黄鳥島について詳述したが、薩摩の硫黄島のことは触れずじまいだった。ところが、印刷になる数日前に、歴史専門の山川出版社から日本史リブレット『日宋貿易と「硫黄の道」』(山内普次著)が、発行されていることを知った。神田の大手書店の店頭にも置いていなかったので、版元に直接注文して入手した。硫黄鳥島の位置を示す地図と上空からの全景と火口の写真を掲載し、「また、一五世紀前半に沖縄に成立した琉球王国からも、その領域内の「硫黄鳥島」で産出される硫黄が中国に向けて大量に輸出され、やはり火薬原料として消費されていた」とまとめている。日本の古代・中世の硫黄主産地だった薩摩の硫黄島に多角的な検討を加えている良書である。まず、日宋貿易において、日本からの輸出品としての金に注目が集まりすぎて過大評価されているために、硫黄貿易のアジアないしは世界史的な意義づけの追求が疎かになっていると指摘している。近年、江戸時代中期の菱垣廻船を復原して航行実験をしたら、船のバラスト重量が総重量の三八パーセントにも及ぶものでなければ安全に航行できないことが分かったので、底荷という観点から、沈船から発見される大量の宋(銅)銭もバラストだったと結論づけ、金が大量に流出したとの説は誤りであり、「日本の金を大量に積み込んだ中国商船が盛んに往来していたというような歴史像はとても描けない」としている。

 日本から支那への硫黄の輸出が開始されたのは一〇世紀末だが、宋の時代に至って、火薬兵器の原料としての軍事需要が急増した。遣隋使や遣唐使の時代の史料にも、硫黄の記述は見当たらない。宋が何故わざわざ日本の列島から硫黄を輸入したかという理由については、宋の版図に火山がないこと、チベット、雲南、海南島、満洲などに火山群が僅かながらあったにしても、領域内に火山帯が存在しないことを理由に挙げている。火薬のもう一つの原料である硝石は、四川、山西、山東と、支那には豊富に産出する。一〇八四年に、宋による日本産硫黄の大量買い付け計画があり、「これは当時の西夏との戦闘の中で緊急配備されることになった火薬兵器原料の調達を図ったものであると推定される。その買い付け計画は実行に移され,その使命をおびた五組の海商集団からなる船団が日本に来航したと考えるのである。」としているのは興味深い。火薬技術と原料の流出防止の為に、硫黄の私的な取引は一切禁止している。この国家管理は、明の王朝も引き継いだ。

 同書は、「日本の主な硫黄鉱山」と題する国内の硫黄鉱山地図を一葉掲載しているが、北海道には斜里、後佐登、幌別の地名があり、渡島半島に鉱山の▲マークを集中させている。東北地方では、松尾、蔵王、沼尻、那須、白根の地名が載せられ、富山県の東部の小川温泉のあたりにも▲印を一つ付けているが、中部地方にも、近畿にも中国にも四国にも硫黄鉱山の印は一つもない。日本列島の中心は硫黄の空白地帯となっている。富士山も硫黄を産出しない。九州の九重山、霧島、そして硫黄島に▲印を付けている。硫黄島は、朝鮮や支那の史料にもその名が頻出する。筆者は、硫黄が薩摩の国力の源泉であり、琉球侵攻と硫黄鳥島を琉球の版図に留めおいた理由を想像する。最盛期の昭和三〇年代には、精錬硫黄一万トンを産出したが、石油精製の過程で産出する硫黄に押され、東京オリンピックの年に閉山した。平家物語と硫黄島の関係についての解説も興味深い。平家物語は、当時の硫黄貿易の状況を探るための重要な手がかりを記述した資料であり、硫黄島と九州本土とを結ぶ航路が薩摩のみで完結していることなく、肥前から博多の港を経由して、瀬戸内海とも連絡していることを読み取っている。硫黄は、博多の港から宋の海商によって輸出されたと想定され、杭州あるいは明州などの港で課税された上で需要に供された。

朝鮮半島には、北部に白頭山を主峰とする火山帯があるのみで、済州島と鬱陵島を除き、火山はないから、硫黄の産出は極々限られていた。高麗王朝の末期、即ち一四世紀以降は、硫黄の輸入はほとんど日本からであった。

 東南アジアと内陸アジアの硫黄流通については、ジャワ島のイジェン火山では、今なお人力で硫黄採集をしていることを紹介している。フィリピンとインドネシアの列島に、大火山帯が集中するからだ。筆者は、チャンパやカンボジアやマレーのイスラム教徒が硫黄や火薬技術を、インド洋や紅海を越えて西方へ伝搬させた可能性を想像する。鄭和はアフリカのマリンディまで航海している。ダウ船とアラブのシンドバッドが北東アフリカにかけての大火山帯からの硫黄をペルシア湾のキーシ島に集積してインドに輸出して、その代わりに陶磁器を大量に持ち帰った「海のシルクロード」を成立させていたことは間違いない。東京の出光美術館はエジプトで発掘された支那や日本の陶磁片のコレクションを所蔵する。イスタンブールのトプカピ宮殿所蔵の景徳鎮も著名である。 (つづく)

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