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Kuroshio 101

黒潮文明と硫黄の道

 先号で、奄美群島と琉球王国との関係に触れながら硫黄鳥島について詳述したが、薩摩の硫黄島のことは触れずじまいだった。ところが、印刷になる数日前に、歴史専門の山川出版社から日本史リブレット『日宋貿易と「硫黄の道」』(山内普次著)が、発行されていることを知った。神田の大手書店の店頭にも置いていなかったので、版元に直接注文して入手した。硫黄鳥島の位置を示す地図と上空からの全景と火口の写真を掲載し、「また、一五世紀前半に沖縄に成立した琉球王国からも、その領域内の「硫黄鳥島」で産出される硫黄が中国に向けて大量に輸出され、やはり火薬原料として消費されていた」とまとめている。日本の古代・中世の硫黄主産地だった薩摩の硫黄島に多角的な検討を加えている良書である。まず、日宋貿易において、日本からの輸出品としての金に注目が集まりすぎて過大評価されているために、硫黄貿易のアジアないしは世界史的な意義づけの追求が疎かになっていると指摘している。近年、江戸時代中期の菱垣廻船を復原して航行実験をしたら、船のバラスト重量が総重量の三八パーセントにも及ぶものでなければ安全に航行できないことが分かったので、底荷という観点から、沈船から発見される大量の宋(銅)銭もバラストだったと結論づけ、金が大量に流出したとの説は誤りであり、「日本の金を大量に積み込んだ中国商船が盛んに往来していたというような歴史像はとても描けない」としている。

 日本から支那への硫黄の輸出が開始されたのは一〇世紀末だが、宋の時代に至って、火薬兵器の原料としての軍事需要が急増した。遣隋使や遣唐使の時代の史料にも、硫黄の記述は見当たらない。宋が何故わざわざ日本の列島から硫黄を輸入したかという理由については、宋の版図に火山がないこと、チベット、雲南、海南島、満洲などに火山群が僅かながらあったにしても、領域内に火山帯が存在しないことを理由に挙げている。火薬のもう一つの原料である硝石は、四川、山西、山東と、支那には豊富に産出する。一〇八四年に、宋による日本産硫黄の大量買い付け計画があり、「これは当時の西夏との戦闘の中で緊急配備されることになった火薬兵器原料の調達を図ったものであると推定される。その買い付け計画は実行に移され,その使命をおびた五組の海商集団からなる船団が日本に来航したと考えるのである。」としているのは興味深い。火薬技術と原料の流出防止の為に、硫黄の私的な取引は一切禁止している。この国家管理は、明の王朝も引き継いだ。

 同書は、「日本の主な硫黄鉱山」と題する国内の硫黄鉱山地図を一葉掲載しているが、北海道には斜里、後佐登、幌別の地名があり、渡島半島に鉱山の▲マークを集中させている。東北地方では、松尾、蔵王、沼尻、那須、白根の地名が載せられ、富山県の東部の小川温泉のあたりにも▲印を一つ付けているが、中部地方にも、近畿にも中国にも四国にも硫黄鉱山の印は一つもない。日本列島の中心は硫黄の空白地帯となっている。富士山も硫黄を産出しない。九州の九重山、霧島、そして硫黄島に▲印を付けている。硫黄島は、朝鮮や支那の史料にもその名が頻出する。筆者は、硫黄が薩摩の国力の源泉であり、琉球侵攻と硫黄鳥島を琉球の版図に留めおいた理由を想像する。最盛期の昭和三〇年代には、精錬硫黄一万トンを産出したが、石油精製の過程で産出する硫黄に押され、東京オリンピックの年に閉山した。平家物語と硫黄島の関係についての解説も興味深い。平家物語は、当時の硫黄貿易の状況を探るための重要な手がかりを記述した資料であり、硫黄島と九州本土とを結ぶ航路が薩摩のみで完結していることなく、肥前から博多の港を経由して、瀬戸内海とも連絡していることを読み取っている。硫黄は、博多の港から宋の海商によって輸出されたと想定され、杭州あるいは明州などの港で課税された上で需要に供された。

朝鮮半島には、北部に白頭山を主峰とする火山帯があるのみで、済州島と鬱陵島を除き、火山はないから、硫黄の産出は極々限られていた。高麗王朝の末期、即ち一四世紀以降は、硫黄の輸入はほとんど日本からであった。

 東南アジアと内陸アジアの硫黄流通については、ジャワ島のイジェン火山では、今なお人力で硫黄採集をしていることを紹介している。フィリピンとインドネシアの列島に、大火山帯が集中するからだ。筆者は、チャンパやカンボジアやマレーのイスラム教徒が硫黄や火薬技術を、インド洋や紅海を越えて西方へ伝搬させた可能性を想像する。鄭和はアフリカのマリンディまで航海している。ダウ船とアラブのシンドバッドが北東アフリカにかけての大火山帯からの硫黄をペルシア湾のキーシ島に集積してインドに輸出して、その代わりに陶磁器を大量に持ち帰った「海のシルクロード」を成立させていたことは間違いない。東京の出光美術館はエジプトで発掘された支那や日本の陶磁片のコレクションを所蔵する。イスタンブールのトプカピ宮殿所蔵の景徳鎮も著名である。 (つづく)

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