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2014年1月

Kuroshio Culture and Tradition II

黒潮文明の旅をとぼとぼと続けている。67号から後をひとつのリストにしてみた。当方ブログのささやかな人生の探求である。ご一読を賜りたい。時々コメントなどを頂戴出来れば幸いである。90から96までは、タブノキにこだわりすぎたかも知れない。とうとうトルコのアンタルヤのタブノキまでを網羅することになった。いよいよ100号をこえて、南支那海を彷徨するはめになった。107回で与那国島を再訪して、いよいよスンダランドへの旅に出る。筆者は、スンダランドが黒潮の民の故地と考えている。

67 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/03/kuroshio-67.html

68 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/kuroshio-68.html

69 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/04/kuroshio-69.html

70 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kuroshio-70.html

71 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/05/kuroshio-71.html

72 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/kuroshio-72.html

73 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/06/kuroshio-73.html

74 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/kuroshio-74.html

75 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/07/kuroshio-75.html

76 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/08/kuroshio-76.html

77 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kuroshio-77.html

78 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/09/kuroshio-78.html

79 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/kuroshio-79.html

80 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/10/kuroshio-80.html

81 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/kuroshio-81.html

82 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/11/kuroshio-82.html

83 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kuroshio-83.html

84 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2012/12/kuroshio-84.html

85 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/01/kuroshio-85.html

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90 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/kurosio-90.html

91 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/kuroshio-91.html

92 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/kuroshio-92.html

93 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/05/kuroshio-93.html

94 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/kuroshio-94.html

95 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/06/kuroshio-95.html

96 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/kuroshio-96.html

97 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/07/kuroshio-97.html

98 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/08/kuroshio-98.html

99 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/kuroshio-99.html

100 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/09/kuroshio-100.html

101 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/kuroshio-101.html

102 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/10/kuroshio-102.html

103 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/kuroshio-103.html

104 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/11/kuroshio-104.html

105 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2013/12/kuroshio-105.html

106 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/kuroshio-106.html

107 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2014/01/kuroshio-107.html

108 http://tokyonotes.cocolog-nifty.com/blog/2014/02/kuroshio-108.html

○の中に、数字を書くやり方がまだ判らないので○なしになっている。読者でご存じの方がおられれば,ご教示方お願いしたい

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Kuroshio 107

与那国島よりスンダランドを望む

 デイビッド・リーンの映画は、冒頭に圧倒的に雄大な景色を撮影して映画のテーマを印象づける。「ライアンの娘」もアイルランドの白亜の海壁をまず空撮して、近くの岬の上で両手を広げる娘を大写しにして迫力を出しているし、「アラビアのローレンス」では、砂山の先をカメラが辿っていくと、突然大型貨物船が登場して、スエズ運河が画面一杯に広がり、砂漠の中を船が横切るように航行する構成で圧倒する大画面にしている。「インドへの道」のカシミールの美しい山嶺の描写も心に残る。筆者は、黒潮文明論を反芻するために、十二月の下旬に久しぶりに、黒潮の発祥を直接観察できる与那国島に一泊の小旅行を敢行したが、石垣から与那国島への飛行は、リーンの映画の冒頭
のようなパノラマが展開した。那覇から石垣空港までは、ボーイングの737で快適に洋上飛行する。石垣空港は移設されて滑走路を延長したから、以前のようにブレーキのきしみ音を引きずりながら着陸して、滑走路の端でようや
く停止する危なっかしさは気配もない。ボンバルディア社の小型高翼のプロペラ機に乗り換えて、難なく離陸して与那国島に向かうが、冬の季節風を横風にして、西表島の上空を飛んでいるときは、小刻みに揺れながら飛行する。完全に白色以外に何一つ見えない雲海の中である。雲の上に翼の端が出たかと思うとすぐに下降を始める。与那国島の北側の海岸線に沿うように飛ぶ頃に視界が開けて、島の東端の高台にある灯台が見える。灯台の周囲は絶壁となっていて、北側の海岸に、珊瑚礁がへばりつくように少しばかりあり、そこに白波が砕けているのが見える。石垣のようにコバルトブルーの大珊瑚礁地帯があるわけではないから、観光地としての魅力は乏しい。飛行機は、島の西の端まで飛んでから旋回して空港には南側から着陸した。与那国空港も滑走路を延長したから、本当は、ボーイングの737型機で那覇から直行させることも可能だろうが、採算のことで石垣空港乗り換えで小型機で中継して運航しているのだろう。空港の食堂には、年に僅かに数回与那国島から遠望できる台湾の三千メートルの山々が屏風のように連なっている写真が張り出してあったが、それこそ、リーンの映画のような景色であるが、今回も霧と雲が晴れることはなく、現実の眺望はなかった。防空識別圏は、領土とは関係が無いとされるが、与那国島の半分が、台湾の防空識別圏に入っていたし、周辺の航空情報を提供する空域としては、今でも台湾の航空当局が担当しており、与那国島と、台湾の北東岸にある花蓮市との距離は、僅かに百十一キロである。その間を,黒潮が滔々と北流する。昭和の初期には東洋一と呼ばれる鰹節工場もあった。カジキマグロの水揚げは、今でも日本一の水揚げ高である。老人と海のように、サバ二に乗って、マグロを追っかける海人のビデオを見た記憶がある。黒潮は、一部は島の東側では南流していると言われ、与那国島は、黒潮に取り囲まれている。水温が高い黒潮は水蒸気を発し、それが雲霧となって、冬も夏も、いつの季節も、台湾の高山を見えない状態にしているに違いないし、ホテルの窓から見ると岬のへさきに打ち付ける波頭は十メートルは優に越えていて、冬場は特に荒海であることがわかる。戦前は台湾銀行券の使用が例外的に与那国では認められていたし、戦後の一時期は、密貿易ながら国境貿易が盛んに行われたように台湾との間で、人と物との往来は絶えたことはなかったから、国税たる関税を石垣まで出かけて銀行に支払うことをしなくても、大正十五年に設置された島の郵便局の窓口に納入できるように改善が行われたこともあった。百十一キロの距離であれば、見通し内で、マイクロ波の通信回線もきっと設定できるし、今は、石垣から西表島を経由して、電話も放送の電波も中継されている。光海底ケーブルを設置するとすれば、黒潮を横切る大工事になることは必至であるが、与那国島と花蓮等の台湾東部と情報通信や経済面で同期させることも可能だ。余談になるが、日本最西端の碑が建立されているが、この碑は、国や県や町が建てたものではなく、島の学校の卒業生が建てている。ちなみに、与那国小学校は、なんと明治十八年に創立された学校で、まもなく創立以来百三十年になる。島には高校がないから、若者中学は中学を出て島外に出るしかない残念な状況である。碑は日本の涯にあって、真の防人を自負する島の誇りと団結とを示している。

 今回、池閒苗氏に再会できた。大正八年生で九十四歳になられた司馬遼太郎が、「街道を行く」の中で同氏のことを書いた。沖縄県立第一高等女学校三学年在学中に熊本逓信講習所に入所して同所終了後、無線通信技師、つまり、日本初の女性の無線通信士として、終戦まで与那国郵便局に勤務した。
与那国で黄色いビートルの車に乗っていたことを聞いて驚いた。「与那国ことば辞典」を出版されたのは平成十一年で,一冊頂戴して大切にしている。南の島影にはダイビング船を穏やかに錨泊させていた。近年発見された海底遺跡は人類の起源の歴史をも書き換えつつあるが、我が黒潮文明論もいよいよスンダランドの探求に向かう。(つづく)

Unforgettable comments

http://yokodo999.blog104.fc2.com/blog-entry-608.html

http://www.rui.jp/ruinet.html?i=200&c=400&m=263163

本質は変わっていない?!

A Haapy New Year!

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Kuroshio 106

種子島と屋久島は九州に属するが、その先のトカラ、奄美、沖縄、宮古、与
那国島を含む八重山までの島の連なりは、黒潮が東支那海から弓形に切り取ったような形で、琉球弧と美しい名前がついた亜熱帯の景勝地である。黒潮は実に瑠璃色に流れて、大陸からの直接の攻勢から防禦している。富山県製作の上下逆さの地図からでも、山東半島の青島の北海艦隊も、寧波を母港とする東海艦隊も、太平洋に進出するためには琉球弧の海峡を抜けなければならない困難があることが容易に分かる。富山県の地図には南支那の三分の一の海岸線は載っていないから、黒潮の源流域に世界最大の環礁がいくつもあり、海中に火山が屹立し海溝が横たわっていることは想像できない。

  黒潮は台湾島と与那国島の間を通過して東支那海に入る。その源流はどこにあるだろうか。パプアニューギニアから流れ出て、ルソン島にぶつかり、フィ
リピンの東部を北に流れる海流が黒潮源流の一つであるが、南支那海からバシー海峡を流れ東に抜ける海流と合流して勢いを増す。台湾島とルソン島との間にあるバシー海峡は、地面に亀裂が入ったような深い海峡である。太平洋戦争中、深く潜行した潜水艦が日本船舶を魚雷の餌食にして海の藻屑にした。バシー海峡は南支那海の海水の干満を太平洋に吐出させる。日本海の干満が、津軽海峡で潮を太平洋に東流させているのと同様である。さらに、バシー海峡の深さはルソン島の北西のマニラ海溝へと繫がる。南支那海も東支那海と同様、大陸側は僅かに二〇〇メートルほどの浅海であるが、フィリピン西側には何と四〇〇〇メートルにも達する深い海溝がある。琉球弧の場合にも、硫黄鳥島や西表島の北に海底火山があったが、フィリピンの場合には、もっと大規模な火山帯となっている。ルソン島南部に壮大なカルデラがあり、その火山帯は四〇〇〇メートルの深海にそそり立つ海山を南支那海で造り、その頂上に珊瑚礁を発達させ、暗礁を無数に造っている。平地のある島がほとんど無いため、漁撈の対象でしかなく、黒潮の民が各地から出漁して、真珠や珊瑚の採集に入り会っていた海域であった。沖縄の島々から出漁することも珍しくなかった。東京帝国大学を卒業し県知事になった西銘(にしめ)順治氏は、南支那海に糸満の魚獲人が(ゆーとぅいちゅ)出漁した経験と、珊瑚礁の島に(まーりしま)は私有地がなく総有であることを回想している。

  南支那海は海底図を見るまでもなく、フィリピン側に深い海盆となってい
る。ボルネオ島の側からインドシナ半島沖にかけては急激な浅瀬となってお
り、フィリピンからセレベスにかけては、バジャウの漂海民が居住する海域で
あるが、ブルネイの首都や東マレーシアと呼ばれるようになったボルネオ島の西側にも、海上に杭を打って家屋を建てて快適に生活する源流黒潮の漂海民が数多く居住している。

  南支那海は世界交通の大動脈であり、何と世界の原油の半分が油槽船で運ばれてここを通過している。特に日本の場合には、万一この交通の要衝が通れなくなり、代わりにロンボク海峡を通ってフィリピン東海域に油槽船を回すと仮定すると、三日間の航程が余計になり、ましてや、豪州の南を迂回するようなことになれば、二週間は余計な時間の航海を強いられる。南支那海の海底鉱物資源、特に石油や天然ガスの資源発掘の可能性が指摘されるようになってから、尖閣諸島の場合と同様に、支那の新しい帝国主義の主張が顕著となっている。また、南支那海のすべての島の領有権を主張するようになって、領海法という無法を設定してからもう一〇年以上が経っている。

東沙諸島は支那・台湾間で争われているが、日本はもともと大陸に帰属する
ことを認めていた。香港から二〇〇キロほど離れているが、現在は台湾が実効支配している。中沙諸島は南北約七四○キロ、東西約四三○キロの海域を占め、マックルズフィールド堆とも呼ばれる。満潮時にも海面上に露出するのはスカボロー礁のみで、島と言うのも憚られる程だが、海域は広大だ。海底に石油や天然ガスの埋蔵が想定されると、俄に支那が軍事力を展開してフィリピンと対峙している。西沙諸島は一九七四年からすべての島が支那の実効支配下にあり、港や港湾施設などを続々と建設し既成事実化を進めている。南沙諸島はフィリピンのパラワン島の西に位置して南支那海で一番島の数が多い諸島であるが、領有権を七ヶ国が主張している。昭和一三年日本が領有権を主張し敗戦まで台湾の高雄市の一部として新南群島と命名したこともある。一番大きな太平島は台湾が実効支配し、一五〇〇メートルの滑走路をもつ飛行場を建設している。ヴェトナムが実効支配している島の数が多い背景には、かつてインド洋からの海洋民族が建てたチャンパ王国と呼ばれる国がカムラン湾あたりにあり、南支那海を自由に往来した歴史がある。支那、ヴェトナム、マレーシア、フィリピンと入り乱れた実効支配の下にあるが、海南島対岸の広東省湛江を基地とする支那南海艦隊は、バシー海峡を出ずに南支那海を陸封の内海にしようと目論む兵力である。    (つづく)

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