構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2014年3月

Kuroshio 111

黒潮文明の漁獲遺構

 沢ガニが最も美味しいのは、寒が入った季節だ。沢ガニは、寒さを逃れるかのように黒潮の海に向かって産卵に備えて山を下る。赤くゆであがった沢ガニは、ハージキ、赤い月という名前に変わった産卵前の卵嚢(かにみそ)を抱えて珍味となる。沢ガニをとるのは、竹で編んだおとりの籠だ。アギというと魚の鰓のことだが、円錐形のアギが竹籠の中に入っていると思えばいい。魚やカニが中に一旦入ると出られないようにする仕掛けだ。谷川をせき止めて一昼夜放って置いて、朝方に籠を上げる。最近は、鉄線を枠にして網を四角に張った魚籠も売られている。南島では、カニと魚を獲る竹籠をアローと言うが、まったく同じ形の小型の籠が、天竜川を遡ったウナギを取る籠として諏訪大社の参道の店に遙か昔から並んでいる。茨城の涸沼では、竹筒が今もウナギのおとりに使われている。一〇〇年いやもっと長い時間水に漬かった古竹の筒がウナギをよくおびき寄せると聞いたので、シジミ採りの知人に一本分けてくれないかと頼んだら、商売道具の家宝らしく丁重に断られた。沖縄の観光地となった万座毛の全日空ホテルの前のサンゴ礁に、網で作った魚籠を放り込んでおいたらタコがかかったことがある。夜通し電燈が点いているから、透明な海中を烏賊が吸い寄せられるように泳ぎ回っているのが桟橋の上から見えるほどであるが、烏賊はこの魚籠とは相性が悪い。紐をつけて河口の橋から投げ入れておいたら、シオマネキとガザミは確かに入った。

海幸と山幸の争いは釣針の貸し借りが発端となっているが、魚をとる方法は、おとりの籠ばかりではない。海岸に石で垣を造ると、満潮にはは潮に乗って 魚が入って来るが、干潮になると出口が狭まっているから逃げられない。こういう構造の魚を獲る石組が太平洋の各地に黒潮文明の遺構として残る。日本の列島では、石干見(いしひみ、いしひび)と呼ばれる。沖縄では、魚垣(ながき、かつ、かち)とも言う。長崎県諫早市高来町湯江に石干見(いわほしみ)が残り、島原には二九基の石干見(すくい)があり、復元されている。カラスミの原料となるボラを獲る。五島の三井楽(みいらく)では底部の幅約一・五メートル、高さ約一メートルの石垣を八〇メートルにわたって築いたスケアンというものがあり、ミズイカやメジナなどを獲っていた。大分県宇佐市の長洲には石ひびがある。沖縄の下地島の西部に広がる佐和田礁湖に魚垣(かつ)が残り、石垣島の白保の海岸には、長さ四〇〇メートルの垣(かち)が復元された。小浜島には、世界最大級の幅一二メートル、長さ一二〇〇メートルに及ぶ、島本海垣(しまんだがきぃ)が残っている。朝鮮半島の全羅道ではトック
サル(石の匪)、サルマギと呼ばれ、慶尚南道、南海島ではトルパル、(石の
匪)、パル、済州島ではウォン(垣)、ケマ、ウムチと呼ばれる遺構がある。
魚をとるための石組は、太平洋の島々と沿岸に展開する。ニュージーランドで
は、数は多くないが、この海中の石垣をタプと呼ぶ。タヒチから渡来したとの
伝承で、確かに、タヒチのライアテア島には、もっと立派な魚をとるための海
中の石垣が残っている。タプとは、聖なるという意味もあり、豊穣の海を寿ほ
ぐ場所でもある。フィリピンでは、アトブ、ヤップ島では、アッチ、トラック諸島ではマアイ、ハワイのモロカイ島では、ロコウメイキ、インドネシアのカイ島では、セロバツ、マッカルでは、ランラ、ニューギニア北部のマヌス島では、カロウ、ポナム島ではパパイ、トレス海峡では、グラズ、サイ、ソロモン諸島では、エレ、アフェアフェ、キリバスでは、テマ、クック諸島ではパー、と呼ばれる。台湾の澎湖諸島には、多くの石滬(シーフ)が残されている。澎湖島ではカマスをとり、橋でつながっている白沙島には昔は二五一の石滬(シーフ)があって、今でも一一四の存在が確認できる。吉貝島には最も多く残っているが、七美島の石滬(シーフ)はふたつ重ねの形をしている特徴があり、観光写真で広く紹介されている。台湾と日本が南西諸島を経由して魚垣で繋がる。

わが故郷の奄美大島龍郷町(たつごうちょう)の瀬留(せどめ)の海岸にも魚を獲る石組が残っている。魚をすなどるために、先人が営々と積んできた海中の石垣を眺めて、黒潮の旅人を想像するためには、なかなかいい場所だ。余談ながら、筆者の恩人の山下隆三氏の墓所が、その石組の海岸縁の松林の中にある。山下隆三氏は、奄美大島の名瀬にあった大島中学(現在の大島高校の前身。今年の春の選抜で甲子園に初出場するということで、相当の話題になっている)の同窓生(同窓会は安陵会で、父は一二回の卒業生で、同級生に図徹(はかりとおる)という画家がいた)で、名瀬の職業安定所の所長をした。次男坊もちゃんと学校を出すようにと父親に進言してくれた人だから、恩人だ。空港から中心地の名瀬に行く途中だから、お線香を手向けるために立ち寄ることができる便利な場所だ。すぐ近くの海岸の石組はもう魚獲りのために使われている気配はない。龍郷町の魚垣は、太平洋側ではなく東シナ海側にあるから、冬の季節風をまともに受ける場所を避けて、荒波で壊される可能性が低く魂が鎮まる海岸に造られたことがわかる。  (つづく)

Taxation and New Liberalism

気になっていることがある。2月5日の朝日新聞の五面に載っていた記事のことだ。法人税改革へ検討グループとの見出しがついて、政府税調方針 座長に大田元経財相 と小見出しになっている。大田氏は、第一次安倍内閣で経済財政大臣を務めたが、竹中平蔵氏などの市場原理主義の大勢力の一角を占める人物である。日本を構造改革論の虚妄などで破壊した学者・政治家の一人と目される。税調のなかで、法人税率を下げるなど、新自由主義の政策議論を後押ししていることは間違いないが、また新たな社会経済格差、地方格差を政策的に造りだし、外国勢力と特定の金融勢力の支配に有利な状況を作り出すことに血道を上げる可能性があり、座長にふさわしい人物とは思えない。安倍内閣が保守の政権であることを疑わせるような人事情報に関する新聞報道であったが,どうなったのだろうか。すっかり見落としていた。新自由主義の勢力の最近の動きが気になる。

Otarugaku

小樽学と言う月刊の小冊子があった。http://otarugaku.jp/

2004年3、で通巻60号とある。その中に見開きの2ページで、敢行を読むと題するコラムがあった。

まず、東京で1月下旬に、訪日外国人一千万人達成祝賀会があったが、これはあ、本来3年前に達成して置くべき目標で、何を今頃、むしろ,3年前に未達成だった原因を顕彰しなかったのが残念至極だと書いている。浮かれているのは中央の奢りで、東京五輪で、中央だけが繁栄する観光立国の推進Sになりかねないことを危惧している、と指摘している。

夕張市と芦別市と言う題で、財政破綻が7年前に起きたことを書いて,1888年の石炭の発見、人口が60年には11万七千をきろくしたこと、その後次々に炭鉱が閉鎖され、90年には全てが閉山。炭鉱から観光へとのスローガンで、テーマパークなどに、投資してついには財政破綻となった。観光が有する負の側面を垣、芦別市のカナディアンワールドなる、テーマパークの失敗についてふれ、84年の星のふる里芦別宣言で、93年に芦別映画学校を造っている。今年の五月に芦別を舞台にした、「野のなななのか」が全国で上映されるという。それから、道産コメのななつぼしを造っているのは、芦別市きらきらぼし生産組合だという。中央の隆盛だけではなく、衰退著しい地方を元気にすることこそが「観光立国の使命」であろうと結語している。

さて、よーこそジャパンと各地の空港などで放映している時代があった。観光を担当する官庁などが,鳴り物入りでできた。しかし、それは、中央集権の地方潰しを結局は狙ったものではなかったのか。市場原理主義は、中央への権力集中を特徴とするが、言葉巧みに覆いかくす。小泉・竹中政治は、地方を破壊したが、その時のスローガンも三位一体などと、度の過ぎた西洋かぶれの言葉が使われたことを思い出す。厳格に言うと、中央の一部の者だけの隆盛を許して伊はならない。

Beautiful Landscape and Tyranny

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夕べは悪い夢にうなされた。小樽の美しい町並みを見て、そこで醜悪な部分をも見てしまったからだと思う。オーイと大声を上げて化け物にでも捕まったような声を出してうなされていたようで,家人から大丈夫と声をかけられて目が覚めた。実は、小樽の街には日銀の小樽支店などの美しく立派な建物が立ち並んでいるが、その近くに、戦後に建てたとおぼしき石造りの郵便局がある。遠目には立派な建物で、その写真は一枚とって掲載した。その外見は立派な郵便局が中はボロボロになっているという。つまり、百年以上前の建物、ちゃんと整備をして保存されて立派なホテルやレストランに変身しているが、戦後に建てた建物としての郵便局は(当時は立派に建てたものが)民営化という虚妄の政策で、この10年はまったくメンテナンスや補修が行われず、別の言い方をすると利益を上げるために使い古しをされて立派な建築物がボロぞうきんのようにされていることを知ったからだ。丁寧に保存されてしかも活用されている美しい町並みを見たあげくに、戦後に立派に建てられた局舎の内部の配線などが朽ちようとしているとの悲哀を聞いて、美しい町並み保存とは余りに対称的な話でショックを受けたから、家に戻った夜に、悪魔に追いかけられる夢になって出てしまったようだ。

Beautiful Landscape at Otaru

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Decent Caligraphy

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清廉規志 とある。前島密の書である。郵政民営化の破壊をまぬかれて残る。清廉こそが志を議ることができるのであって、拝金の汚濁した連中に公経営の理想を求めることが滑稽千万なことだった。文化と伝統とを尊重して郵便局に置かれていた郵政百年史の書籍と共にゴミにされて廃棄される寸前だった。申し訳なさそうに片隅に掲げられている。しかし、まもなく正面に堂々と掲げられて、日本の再生と復活を鼓舞することになる一幅の書として残った。郵政民営化を含め一連の構造改革論など新自由主義の虚妄と破壊は世界的にはとうに終わっているのだが、まだ、日本ではその残滓が残っている。残党は獰猛悪辣だから、注意深く対処する必要がある。しばしの我慢だ。清廉規志だからこそ生成発展するのだ。

Kuroshio 110

ロッキー山脈東麓の街ボルダー

 初めて米国に行ったのは、東京オリンピックの五年後、昭和四四年(一九六九)のことだ。さほど昔ではないが、四〇年以上が経って、オリンピックをま
た東京で開催することになったのは驚きだ。太平洋路線にはプロペラ機に代わってダグラス社製のジェット機、DC・8が就航していた。最近の国際線の大
型機に比べればうんと小ぶり細身の飛行機で、近く退役する尾翼が高翼でエンジンが主翼になく胴体の最後部にあるのが特徴で、DC・9と同じくらいの大
きさだったか。成田空港は完成しておらず、羽田からの出発で、アラスカのア
ンカレッジで給油をして、サンフランシスコ近くのサクラメントの飛行場に降り立った。本当の民間航空機ではなく、ベトナムでの戦争がまだ続いていたから兵員輸送のために設立された会社の飛行機で、帰り便の空きを留学生に使わせて、日米間の交流を図ろうとの大目的にも貢献し経費も浮かせられるという一挙両得の航路であったようで、サクラメントに空軍基地があったから着陸したに違いない。ドナルド・キーン先生などが関わった、捕虜の兵士を尋問したり、日記を解析したりした戦争中のトレーシーのプロジェクトがあったのもサンフランシスコ湾の北のはずれだったから、日米間の文化交流の本質を理解する知恵者が、近傍のスタンフォードあたりに住んでいたからだろうか。一ドル三六〇円の為替だったから、格安便と斡旋がなければ学生が海外旅行するなど不可能に近い頃だったし、実際、駐日大使となったライシャワー先生の肝入りと督励で創設された語学教育振興の財団が出した奨学金をもらった学生が多数乗客になっていた。機内では緑茶に砂糖を入れるかミルクを入れましょうかと、スチュワーデスが親切に聞くサービスもあったし、アンカレッジでは空港内にうどん屋があり、免税店の売り子は、ほとんどが戦争花嫁さんになって渡米した日本人女性だったから、日米の往来が急速に増えてきた時代だった。語学教育振興の学生の方はフルブライト留学制度のように厳格ではなく、観光と物見遊山の要素も入った旅程になっていたから、サクラメント着陸後は、サンフランシスコの中華街でランチをしたり、ラスベガス近郊のリノでカジノ体験をしたり、ソールトレイク近くの町でカトリックの人の家に泊まって、モルモンの人はミルクを飲まないなどと教えてもらったりしながら、大陸をバスで横断する旅になって、ロッキー山脈の麓の町のボルダーに向かった。州都デンバーの北方一八〇〇メートルくらいの高地にあったから、ワンマイルハイシティという別名がついていた。乾燥し切ってはいたが快適な場所で大学都市となっていたし、いろいろな研究機関が立地して、世界標準時に関わる米国国家標準局があって原子時計を管理していた。IBMの研究所もあり、障害者がコンピュータの配線の作業をしていたのが印象に残る。日本では弱者に対する配慮がそれほどなかった時代だ。小型航空機を専門とするビーチクラフトの工場がスペースシャトルの先端部を製造していたらしく、高度な機密があったせいか、機関銃をもった警備員が連れ添って工場見学をするようなところもあった。コロラド大学にイギリス人の経済学者のケネス・ボウルディング氏が所長を務めるエコノミクス・インスティチュートなる組織があって、世界中から英語を習いに来る学生の受皿になっていたから、そこに向かった。ボウルディング教授の著書は『二十世紀の意味─偉大なる転換』という題で、岩波新書に邦訳されていた。世界が急速に縮小していることが実感できる時代だった。サウジアラビアからの学生などは絹のターバンは脱いではいたが、外交官パスポートで入国させていた位に、積極的な対中東政策が始まっていた。クウェートで働いているというパレスチナ人も英語を習うために学生となって来ていた。ともあれ、ボルダーはロッキー山脈山麓の東側の乾燥地だったから、中東からの学生にとっては快適この上ない場所だったと思う。ケネディ政権が月に人類を送り込んだ日にテレビ中継があって、大学の寮のロビーでマンオンザムーンという文句が飛び交った。コロラド大学は宇宙飛行士の故エリソン・鬼塚氏の母校だった。『グレンミラー物語』という映画の舞台となったのはこの町がジャズのグレン・ミラーの出身地だったからだ。リゾート地での夕暮れのコンサートを聴いたり金を掘りまくった鉱山跡地を訪れると、開拓者魂を(フロンティアスピリット)感じることができた。大陸横断鉄道の建設に従事して倒れた日本人の墓地もあった。リンゴ酢でつくった不思議な味の巻き寿司をご馳走になったことも忘れられない思い出である。

 バスの前列に白人以外が座るのは、日本人を除きご法度だった。日露戦争があり、日米戦争があったお蔭だと思う。ジョージア州のマドックス知事が黒人を殴って非難された頃で、知事公舎の前のベンチは人種差別がはっきりしていて、どちらに座るか戸惑った。日本海で情報艦プエブロ号が拿捕され、乗組員家族の母親が幼児二人の手を引き大平原の実家に帰る光景を大陸横断のバスの中で見かけた。(つづく)

The Historical Facts(Continued)


⑨ヨーロッパでは、ドイツは敗戦国だったが、ヨーロッパをふたたび支配するかのような勢いだ。アジアでは日本がドイツのようになることを中国が嫌って権力闘争を仕掛けているのだ。韓国は、いつもの中華思想の属国としてどっちつかずの心理が揺れ動いているだけだろうし、日本がちゃんと諫めないのもいけない。

⑩マスコミは、日本ではたよりにならない。国際政治の現実から目を離している。先述したように、アジアの力の均衡が崩れつつある現実から目をそらそうとしているのかも知れないし、又永久占領体制とも言われたアメリカの日本に対する支配力が根底から揺らいでいることも理解していないようだ。95年の村山談話は、日中、日韓の紛争をもっともっとと煽っているようなものだ。戦争でいっっぽうの国だけが悪いことなどありはしない。河野談話など、閣議決定をしたわけでもないのに、触れ回って日本の公式見解にしたのは、マスコミに...振り回されただけの話だ。安倍内閣は、マスコミ、特に海外マスコミの餌食にならないように、論争を拒否するぐらいで,どんどん主張を海外に向けてすることが必要だ。戦争は確かに悪い。日本の悪さも他の国と比べて同じようなものだと、むしろ居直った方がいい。韓国や中国の残虐な戦争について、日本のマスコミは何の批判もしていないのではないのか。その点、アメリカが得意としている人権の主張などを、日本が音頭をとって、中国の少数民族弾圧などを支援することは有効であるし、オバマ政権に大使邸も影響力を持たせることができるかも知れない。日本の総理もダライラマを歓待したらどうだろうか。

㉑世界中の多数が日本の友好国であることをもっと認識すべきだ。日本が強国になる方が、中国や韓国が強国になるよりももっと平和に貢献することを、世界に向けて主張発信すべきだ。東南アジアの諸国などは、もう完全に日本の味方だが、当の日本がちゃんと主張しないからむしろ戸惑っているのだ。タイの国内紛争の場合でも、タイの民族主義の主張を応援すべきで,中国の手先を支持すべきではない。アフリカ諸国に対しても、中国の拡張主義をちゃんと批判すべきだが、日本はまともにそうした主張をしていないから、日本がアフリカの見方かどうかはっきりしない要に感じているのではないのか。中南米に対しても、反米政権が続々と誕生している中で,日本はもっと仲介役をしてもいいのではないのか。ブラジルや,中南米の新興国の対策を日本は、アメリカにばかり頼ってかまけているのであって、その間隙をぬって中国と韓国が影響力を拡大しているのだ。

㉑日本は政治と経済とを分離させているが、それがダメだ。商社の経営者が、中国大使をやるなど全く意味がないことがはっきりした。反日の国家に対しては政治的に経済関係を維持すべきだ。反日の外国から日本の投資や技術を引き揚げるべきだ。軍事技術など一切渡してはならない。利敵行為がまま見られる杜撰さだ。

話は続いた。日米間で本音で話ができることは実に欣快だ。当方のまとめで間違っているところもあるかも知れないが、ご参考まで。

The Historical Facts

又寒さがぶり返したようだ。午後になってから気温が下がっていった。もう四十年以上の付き合いのあるとあるアメリカ人が来日していたので、二人で日米間の行く末を語り合った。二人とも年をとったから、もう二度と会えなくなるかも知れないと思う気持ちがあって、寒い日であったにもかかわらず、熱い心が通い合って、本当に話し込んでしまった。

①大東亜戦争が終わって、日本が敗北して、六十年以上の平和が続いた。ベトナムやその他のアジアでは武力紛争があったが、日本は直接巻き込まれることはなかった。日本は経済に専念すればよく、軍事や安全保障をアメリカにまかせたような形になっていたが、アメリカの国力が低下している中で、中国と日本とを天秤にかけたような政策をとるようになり、例えば日中間で、日本の肩を持って紛争を解決することには期待が持てないようになった。

②国務長官と国防長官が揃って,千鳥ヶ淵に行ったのは、全くの日本の...理解を欠いていたのではないのか。多くの日本人からすると、靖国には行かないで侮辱されたように思った人も多かったのではないか。だから、安倍総理が靖国を訪問したことは,逆に圧倒的に支持された。アーリントン墓地と靖国神社とは同じようなものだと,誤解してしまったのではないのか。在京のアメリカの情報分析力もおちてしまっているし、日本を理解するアメリカ側の能力も落ちているし、日本側は、ちゃんとアメリカに説明する努力を欠いている。日本人の宗教感覚、英霊に対する畏敬の仕方など、西欧からすれば理解することが困難だから、説明理解をさせる努力が必要である。しかし、経団連なども、アメリカでのロビー活動を著しく低下させているし、ワシントンでは、日本のプレゼンスが全く感じられないようになっている。政治宣伝に,中国や韓国は莫大なカネを使っている。日本はカネ儲けだけだ。

③そうした中で、安倍政権は、靖国参拝を実行したことで、実際には、アジアにおけるこうした力の均衡の変化を明るみに引き出すことに成功したのではないか。

④日本では、中国や韓国の反日の言動は、歴史認識の問題だと受け止められているが、そうではなくて、日本が戦後体制を克服して,実力を貯えながら国力を伸張させて、アジアにおける力のバランスの変化に現実的に対応していることに反発しているのではないか。オバマ政権はアジアシフトと口ではいっていても、何の政策もアジアで成功しているものはない。

⑤不安なことは、オバマ政権が何もしなければしないほど、中国の冒険主義はいよいよ尊大になって、日本と武力衝突を起こしてしまうことになる。つまり、アメリカは、もう介入する意欲がないから、それに乗じて、中国が尖閣あたりに進行する危険性が高まっていると言うのが現実だろう。2月13日に、米軍の情報担当の高官が、昨年の暮れに中国が東支那海で、日本を敵に想定した軍事演習をしたことを明らかにした。尖閣ばかりではなく、南部琉球も中国軍が奪取することを想定したえんしゅうであったと、その米海軍の太平洋艦隊の情報担当の高官は、中国の公開資料によって分析した結論であると述べて、関心を呼んだ。事実、人民解放軍は中国共産党の指揮下にあるとはいえ、共産党の政治的な統制を離れて行動する傾向が強まっている。偶発的?な様相をとりながら、日本を攻撃する可能性があるとして、米軍も、おそらく具体的な対抗措置についての検討を始めた可能性が高い。

⑥オバマ政権と安倍政権とは水と油のような関係だろうし、ベクトルは逆方向だ。安倍政権は保守政権だが、オバマ政権は、ケネディ大使の任用にみられるように、反共和党で、安倍政権などは、日本のティーパーティーぐらいに思っているのかも知れない。しかも親中国の勢力ばかりで、人脈としては、カーター政権の時の人脈が覆いように考えられる。軍事費の削減と言うことで、韓国からの撤退も実現されるかも知れない。オバマ政権には、中国ロビーと韓国ロビーがほとんどで、日本の影響力は何もない。安倍総理の靖国訪問には、Disapppointedと言う表現を使ったが、この英語の表現は余りにも軽い表現で、友達だから残念だというような日本に対する共感に欠けるつきはなしたような表現である。それから、衛藤総理補佐官の発言と,事前のワシントンに行った根回しのことがあったが、発言を撤回したのはダメなやり方であった、むしろ、撤回せずに、ちゃんとオバマ大統領に伝わるようにすべきだった

⑦オバマ大統領が来日するが、それ以前に、日本の主張をちゃんとはっきりさせた方がいい、そうしないと、オバマ大統領は日本に対する理解を謝ってしまう。例えば、安倍政権は、TPPに参加すれば、日米関係がうまく進展すると考えている向きがあるがそんなことはない。TPPと安全保障とは取り引きの対象にならないのだ。集団自衛権のことでも、日本が集団自衛権のことを考えても、アメリカが日本を守る気がないのであれば、何の為の集団自衛権だと言うことになるし、現実にも、集団自衛権が必要だと,米軍などは考えていても、オバマ政権が日本に要求しているわけではない。

⑧アメリカは日本の側について行動することが期待できない。そうであれば、日本は日米関係の中で日本の安全保障を考えるのではなく、本当にグローバルな力のバランスの中で、日本の将来を考るべきだ。

Testing

携帯できるコンピュータからの、記事入力の試験をしてみる。ちょっと難しいかな。



Taiwan Baseball and Japan

英雄戦場 天下嘉農

Museum Renewed

002 今日(平成26年3月1日)から,逓信博物館が郵政博物館となって、新装開館する。旧館は大手町にあって、土日曜日は人通りがなくなるビジネス街の中にあったから、昼ご飯を食べるところすら見つけるのが面倒な場所となっていたが、今度新装開館したのは、東京の新名所スカイツリーの近傍のビルの九階である。伊勢物語の業平橋のあたりにきたから都落ちというわけではなかろうが、東京駅間の中央郵便局の跡地に立てられた横文字でKITTEと称する高層ビルに、郵政の歴史を守る博物館が何故入居しなかったのか不思議であるにしても、賑わいのある場所に新装開館できたのは慶賀の至りである。葛飾北斎も、むしろ今の大手町や東京駅前にはいなかったし、その美術館も墨田区に移転してくるらしい。年間十万人の入館者が、あの閑散とした?大手町でもあったのだから、新名所では、館の展示面積が半分くらいに縮小されてはいるが、きっと入館者は増えるに違いない。押上の駅のすぐ近くで交通の便もすこぶるいい。後の時代にもっと歴史や文化や伝統が大切にされる時代に戻れば、首都の中央に移転してもいいではないか。郵政民営化の過程で、郵便局長室においてあった吉川弘文館の郵政百年史などを塵芥として廃棄を命じた拝金の勢力があったことも,ついこの間のことだが、忘れてはならない。歴史を捏造したり文化と伝統とを廃棄するものが栄えた試しはない。郵政民営化という虚妄の嵐の中で、逓信博物館の文化遺産が破壊を免れただけでもよしとしなければならないのかもしれない。ペルリがもってきた電信機も、重要文化財の本物が防弾ガラスケースの中に収まっている。これまでの展示はレプリカだった。開館記念で,蕗谷虹児展も,少女達のあこがれと題して、併設されている。蕗谷がデザインしたふるさと切手はなんと五千七百万枚も売れた意匠があると言う。

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