構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2014年6月

Inside Job

Inside Job。いかさま資本主義。その手先が日本を破壊したことがよくわかる。だから、手口は一緒。誰一人としてつかまっていない。政治権力が変わってもかわらない、全く同じか。しかし、そろそろ天罰がくだるか。悪銭身につかずというから。天網恢恢疎にして漏らさずだ。アカデミー賞も受賞したノンフィクションの映像。

映画を見る代わりにビデオを購入して見ることをおすすめする。市場原理主義の本元と、アメリカの凋落の原因を理解することができる。日本にその手先が入り込んできているが、それは日本の収奪になるから、阻止しなければならない。

http://youtu.be/O4YwGVdr1Tk

Corruption and Privitizaed Operation

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/151074

仕組まれた?乗っ取り.

民営化の虚妄のひとつの形。

「兵庫県・淡路島には、源義経との悲恋で知られる舞の名手・静御前が尼僧になって移り住んだという伝説がある。静御前の扇をイメージして1994年に造られた音楽専用ホール「しづかホール」。ここも今では「パソナホール」になっている。淡路市は12年4月にパソナグループを「指定管理者」に指定。パソナは、市から年間予算2000万円の税金をもらい、ホールを管理・運営している。施設を使う時は、淡路市民は市ではなくパソナに利用料を払わなくてはならない。」

Kuroshio 117

メタンハイドレートの可能性

二○一三年一月二七日、掘削調査船「ちきゅう」が、世界初のメタンハイドレート海洋産出試験を行うために静岡県の清水港を出港した。試験の実施地点は、渥美半島から志摩半島の沖合の北緯33度56分、東経137度19分の地点で、水深が857~1405メートルの地点であった。東部南海トラフと呼ばれる海域の一部である。一九九六年から二○○四年までの調査で、その地点にメタンハイドレートが濃縮している地層が16あることが判明していたので、海洋産出試験実施の候補地となった。準備作業が5年がかりで進められ、平成21年度に基本計画の検討を開始して、二年後に試験実施地点を決定した。掘削機器やモニタリング装置の製造を行い、平成24年度の終わりの一月から三月にかけて坑内に機器を下ろして実際に地層を減圧してガスを出す作業が実施された。石油や天然ガスの場合には、地下で液体や気体の流体として存
在するから、坑井を掘削して自噴する分をエネルギー資源として使っている。ところが、メタンハイドレートの場合は、地下に固体として存在するために、約1トンのハイドレートから取り出せるエネルギーはドラム缶一本分で、経済的に成り立つ生産方法を見つけ出す必要があり、しかも環境・漁業などへの影響を最小限にする必要がある。海底面下で固体のまま採掘するのは費用がかかりすぎるとの指摘があり、水とメタンガスに分離して石油や天然ガス同様に生産できる分解採取の方法がまず追求された。二〇〇二年と二〇〇七~八年にかけてカナダ極地の永久凍土層の下のメタンハイドレートを、熱刺激法と減圧法の両方の実験をして、減圧法で継続的なハイドレートの分解に成功していたので、減圧法が日本近海の海底面下で同様にうまくいくかどうか確認する必要があるというのが、海洋産出試験を実施する理由のひとつである。メタンハイド
レートの分解は、吸熱反応であり、エネルギーを与え続けなければ分解が進まないが、減圧法は人口的に熱エネルギーを供給することなく、ハイドレートの温度と地層の温度の差の熱でハイドレートを分解すると言うものであるから、そうした熱が効果的に集められるのか、つまり、海面下の地層の中で、熱と流体との動きが制御できるのかとの課題があった。従来は、減圧法の使用は困難であると考えられ、カナダでの陸上実験においては、温水循環による熱刺激法が試みられたが生産量は僅かに留まり、一方で同時に行われた小規模な減圧実験で、地層に浸透率があることがわかり、減圧法への期待が高まった。カナダにおける二回の陸上産出試験でも一定の成果があった為に、減圧法が採用されたのである。三月十二日に減圧を開始して、最初のフレアに着火して、以降十八日まで、ガスと水とを生産し続けた。三月十八日に至り、ポンプの回転の負荷が高まり、船上でポンプから砂が出てさばききれなくなり、また当日の夜から大荒れの天気予報であったので、ガスが出てこないように坑内のガスと砂を浚って圧力を回復させる作業を行って生産実験を終了させた。減圧法で毎日2万立方メートル、六日間連続で、メタンガスが生産できることは証明できた。

さて、メタンハイドレートとは、メタンと水分子からなる化合物であり、見た目は氷状の物質であり、常温常圧ではメタンと水とに分解する。メタンガスに火をつけると燃えるので、燃える氷と呼ばれる。燃えた後には水が残る。メタンハイドレート一立方メートルには約160~170倍の体積のメタンガスが含まれていて、メタンハイドレートは低温高圧で安定的な物質で、天然のメタンハイドレートが存在できるのは、永久凍土地域の地下や、水深500メートルより深い海底である。一九三○年代にシベリアの高圧のパイプラインがメタンハイドレートで詰まる事故の原因として注目されていた。メタンは、地下の有機物から生成され、熱熟成起源と微生物起源に大別できるが、熱熟成起源のメタンとは、地下深部の熱によって生成するのは、多くの天然ガス田と同様であり、カナダ陸上試験の時のメタンも、日本海の佐渡沖のメタンも地下深部
の熱起源である。今回の頭部南海トラフ海域のメタンハイドレートは、メタン生成古細菌によって生成されたもので、水溶性のガス田に多いメタンガスである。一九六五年にメタンハイドレートの生成が理論的に証明され、一九七九年に中米の海溝でサンプルが回収された。日本は、一九八九年に奥尻海嶺で、翌年四国沖の南海トラフで回収に成功している。

商業化の為の技術を二〇一八年には確立して、試験の際の五倍の数字になるが、毎日十万立方メートルの生産があれば、経済的な採算も達成できるという。現在のところ、掘削船の費用だけでも一日当たり五千万の経費がかかり、その費用は、倍増するとの見方もある。メタンには、炭酸ガスの三十倍の温室効果があるとして、メタンハイドレートの採掘に反対する動きもある。原子力から再生エネルギーへの転換までのつなぎのエネルギー資源としても、地球温暖化の観点から反対する環境活動家の動きもある。  (つづく)

Military Conflict 3

習近平が訪米する直前、中国共産党内部から、突然の訪米は尖閣諸島情勢に関係があるとの消息が伝わってきた。訪米直前、解放軍は「中日両国が尖閣諸島で一線を交える可能性がある」と予告した。習近平は、中国が尖閣諸島の攻撃し日本と戦争を起こすとオバマに伝え、これを黙認して中立の立場を保つようアメリカ側に求めようとした可能性がある。鄧小平が訪米した1979年を振り返れば、当時中国はベトナムに出兵するかもしれないとアメリカに通知し、アメリカの黙認をとりつけたことが思い出される。鄧小平は1979年一月28日から二月4日にかけて訪米し、帰国して二週間後の二月17日に対越戦争を発動した。習近平が訪米する前、中国は北朝鮮を抑えつけるのに成功していた。北朝鮮が再び対外挑発にでないようにし、さらに「六カ国協議」の席にもどるように要求した。中国はこれをアメリカへの手土産として、アメリカから日本に味方せず、少なくとも出兵...しないことを求めようとしたのだ。たとえば二日間の会談のうち、六月8日土曜日はオバマと習近平はたったふたりの通訳を連れただけで別荘内を散歩し、密談のチャンスであった。習近平は次のようにオバマを説得にかかったと想像できる。「中国側の計画では、局地的な一度限りの戦争である。中日が尖閣諸島で短時間の海空戦をしてたがいにいくらかの死傷者と損失を出した後、アメリカの調停によって双方が戦闘地域から撤退する」 北京の三段どおりに事が運べば、のちに中国は戦果を得られることになる。尖閣諸島における日中の紛争が存在していることを認めさせ、日中双方が尖閣諸島で海域活動を行うことをあるいはどちらも活動できないことを認めさせるというものだ。そして中国政府は中国人民に対して、「日本に懲罰と教訓を与えてやった。解放軍は勝利を収めた」と喧伝する。習近平は鄧小平と同じように、派兵によって軍権を掌握し、本物の実弾によって軍を治め、いわゆる「勝利」の戦果によって党と軍における自己の絶対的権威を確立しようとしているのだ。だが、2013年は1979年ではない。今日の米中関係は昔の米中関係とは異なるのだ。1979年当時、アメリカは中国と共にソ連に対抗していたが、今日、アメリカは日本と共に中国に対抗している。さらに、習近平は鄧小平ではない。国内でも発言にそれほど威力がないのに、国外では言わずもがなである。陳破空「日米中アジア開戦」(文春新書210~212ページより)

Military Conflict 2

1978年以来、中国は経済の改革開放を進め、日本やアメリカやヨーロッパは中国に大量の援助と投資を行い、経済発展を支持してきた。前中国国家主席・胡錦濤自ら、「日本の経済援助なくして中国の現代化はあり得なかった」と語っている。だが、それによって力を増強させた中国は、日本を含む周辺国に脅威を与え、アメリカと文明世界に牙を剥いてきたのである。恩を仇で返す情け知らずの行為によって、この国は経済的には変わったが、政治的には何一つ変わっていないことが証明された。筆者は、日本の読者にお知らせしたい。経済発展とともに二十年以上連続で軍拡に狂奔する中国の指導者は、独裁体制という仕組みを借りて国力と軍事力をほしいままに支配できる。中国政府は恫喝的な態度で、隣国に対する領土と領海への要求をエスカレートさせてゆく。はっきり言えば、「大国の生存空間」を求めて争っているのだ。陳破空「日米中アジア開戦」(文春新書)3~4ページより。ご参考まで。

Military Conflict 1

(中国、張成沢、金正夫の三者謀議による政変計画が韓国の支持を得ていた可能性は大いにありうる。)(中略)親中的かつ韓国にとっても無害な北朝鮮政権が、韓国による朝鮮半島統一を受け入れる、というものだ。中国が出した条件とは、朝鮮半島を統一した大韓民国は中国と親善を深め、米軍基地を撤廃させることである。近年東アジアに出現している奇異な現象、民主国家の韓国が同じく民主国家の日本に対して冷たい態度をとっているのは、韓国が独裁国家中国にいい顔をしたいがためである。陳破空「日米中アジア開戦」(文春新書)より。ご参考まで。

Noodle Shop

鹿児島空港から下る時に、「鹿児島ラーメン」と言う大きな看板があったので入りラーメンを注文して店内を見渡すと「かいろす通信」第36号と言うのが目について手に取って読んでビックリしました。

このラーメン屋さんが出されている小さい見開き(計4ページ)モノ。
発行者:有限会社鹿児島ラーメン 代表取締役 西 鈴子
鹿児島県霧島市国分上之段362の3
TEL:0995-48-2022 ・・・・ http://www.kagoshimara-men.co.jp/...


「かいろす通信」
前島密と郵便制度

 江戸末期、西欧諸国の科学技術を学ばねば、日本は植民地にされてしまうという恐怖感にも似た気分が、日本の指導者たちの間にはありました。鎖国令が廃止されると、国内には西欧起源の外来語が急に増えました。mountain,river のような自然言語であれば、それぞれ山や川と表記すればそれですみます。欧米にも日本にもあったものであれば問題はありませんが、日本人が始めて接したものであった場合翻訳不能でした。欧米の概念、新技術など、外国語のままでカタカナ表記するしかなかったのです。「デモクラシー」「レボリューション」などです。民主主義や革命などという概念は日本にはなかったので翻訳不能だったのです。
 すると日本人はせっせと和製漢語をつくって外来語にあてはめていきました。江戸時代に平賀源内が「エレキテル」と名ずけたものは「電気」という翻訳語を与えられ、この単語は今でも当たり前のように使われています。
 この頃考え出された和製漢語の例をあげてみます。鉄道・汽船・政治・経済・文化・伝統・憲法・民主・主義・自由・哲学・人権・福祉・共和・人民・国民・平等、などです。考案した人物が分かっている漢語もあります。福沢諭吉は自由・演説・鉄道などを、福地桜痴(フクチオウチ)は主義・社会、坪内逍遥は男性・女性・運命などを、そして前島密が、郵便・切手・葉書などを作っています。
 明治のはじめ、日本に郵便の仕組みを築いた前島密は「日本近代郵便の父」と呼ばれ、現在でも1円切手の肖像として有名です。この人物はまことに魅力的です。活動は郵便だけでなく、江戸遷都、国字の改良、海運、新聞、電信・電話、鉄道、教育、保険など、その功績は多岐にわたります。
 江戸時代の手紙は、飛脚によって配達されていました。その費用も高額で、単純な比較はできませんが、現在の貨幣価値ですと数万円~数十万円の費用が掛かったといいます。確かに、鉄道や、まして飛行機など無い時代に、人が走って届けるのですから、徒歩の旅行と同じです。なるほどそれぐらい掛かるかもしれないという気がします。役人ならばともかく、一般の民間人は遠方の肉親や知人と連絡をとることなど、事実上無理だったでしょう。それが郵便制度のお陰で数十円で封書が日本国中に届くのですから奇跡的と言っていいでしょう。彼は全国に郵便網を築き上げましたが、今日の特定郵便局の多くは、それらを前身としています。その際には、廃藩置県で禄を失った旧士族達が前島の呼びかけに積極的に呼応したと言いますから、当時全国に蔓延していた不平士族の救済にも役立っていました。
 面白いのは当時飛脚業者の団体があり、官が同業に乗り出すことに猛反対をしていることです。考えてみればこれは当然のことです。官による民業圧迫ですから反対するのも当然です。これは明治四年のことなのですが、郵便創業と陸運会社の創設という改革です。この時前島密が飛脚業者を説得した論法が「公用インフラ」という考えでした。単なる一業種ではなく、国民の大いなる利便性に関わる事業なので国全体のために協力してほしいと説得します。そのために政府の手紙と民間の手紙を区別せず利用料金も同一にすると決めます。飛脚団体の方も「前島の考えには、公用インフラの民間開放」という視点があるという意味のことを言い、「日本国のため」と納得しています。
 前島が最も重視したのは「助郷制の廃止であった」と言います。全国を流浪し街道をつぶさに見てきた前島にとって、その前提である助郷制をなくすことこそが最優先事項であったらしいのです。
 助郷制というのは、唐王朝から取り入れたもので、都と地方の交通を円滑にするために設けた宿駅制度でした。もっぱら徴税や命令伝達など官用交通のためで、地方同士の交流などは念頭にありませんでした。この制度を牛耳っていた人々を前島は説得したのです。
 前島密の郵便事業ひとつを見ても壮大です。律令制の時代から続いた助郷制を廃止したと、簡単に言いますが、千年近くも続いたものを次々に改革していくエネルギーには驚くべきものがあります。
 初期の段階で郵便制度について唯一分かっていたことは、切手を書上の表に貼付けて郵送する仕組みであるということだけでした。これも渋沢栄一がフランスから一枚の切手を持って帰ってきていたことからわかったのだそうです。切手で料金を前納することはわかっていましたが、消印をすることに考えが及ばなかった彼らは、再使用を防ぐ方法として、濡らすと破れる薄い紙を用いて再使用できないようにしたらどうかなどと真剣に議論していたそうです。そんなレベルから、一つひとつ壮大な郵便システムを構築していったのですから、そのエネルギーには舌を巻くばかりです。
 前島密がこの事業に取り組むことを決めた時、情報もなく、財源もありませんでした。西欧諸国並みの郵便システムの構築という途方も無い事業を短期間で成し遂げようとしましたが、普通に考えれば、「それは無理だろう」とあきらめるしかなかったと思います。その不屈の精神については、「前島は新しい歴史観を持っていた」としか言いようがありません。
 その後前島は、海外郵便や郵便為替、簡易保険についても研究を進め、実現に向けて政策を推進しています。

 「縁の下の力持ちになることを厭(イト)うな。人のためによかれと願う心を常に持て。」

 と前島密は言い続けていたそうです。現代の日本人は「明治」の偉大な人と事業について不勉強にすぎます。驚くほどエネルギッシュな人々について、私たちはもっと学ぶべきだと思っています。              以上    

ラーメンもあっさりで美味しかったし、改革へのエネルギーの記事がすごく良かった。
店には「ちゃんとやる」の掲示がある。スゴいラーメン屋さん、ゴチソウサマでした。
 
以上、日高雄一氏のフェイスブックの記述から。

Sunken Boat

http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/150886/1

■李明博前大統領のブレーンとして“暗躍”

「李前大統領は、竹中さんが主導した郵政民営化を韓国の公営企業民営化のヒントにしたかった。そんな李前大統領を竹中さんも書評で『並外れた強さに大いに感銘を受けた』と絶賛していました」(在韓ジャーナリスト)

 小泉・竹中ならぬ、李・竹中コンビがタッグを組んだ結果、韓国社会はどうなったか。セウォル号沈没事故を見る限り、安全よりもカネを優先する船会社などが幅をきかすようになり、ガバナンスが利かなくなったのは間違いない。韓国情勢に詳しい国際ジャーナリストの太刀川正樹氏はこう言う。

「李前大統領の政策は『李コノミクス』といわれ、経済政策に偏重したものでした。何よりも“金持ちになること”が追求されたのです。経済再生の名の下に過度の規制緩和が進み、反対する報道機関や行政、司法機関に対しては厳しい態度で臨んで独裁政治が続いた。事故は起こるべくして起こったといえるでしょう」

 中央大客員教授の稲村公望氏は「もともと貧富の差が激しく、財閥で持っていたような韓国経済に新自由主義を持ち込めば大変なことになるのは見えていた」と言っている。

 おかしな拝金政権の「ブレーン」に招かれ、入れ知恵していたのが竹中だったというわけだ。こんな人物が今なお、政治の中枢で、規制緩和の旗を振っている。「おかしい」の声が上がらないのが不思議だ。

Market and Violence?

 『月刊日本』講演会について、以下の通りご案内いたします。
皆様のご参加を心よりお待ちしております。
<竹中平蔵とは何者か!〝新自由主義に呑み込まれたアベノミクス〟>



講師◎佐々木実(大宅壮一ノンフィクション賞受賞作家)
1966年、大阪府生まれ。大阪大学経済学部卒業後、日本経済新聞社に入社。
東京本社経済部、名古屋支社に勤務。
1995年に退社し、フリーランスのジャーナリストに。
大宅壮一ノンフィクション賞と新潮ドキュメンタリー賞を受賞した『市場と権力』は、八年にわたる徹底取材により真実をあぶり出した渾身のドキュメントだ。

「構造改革」や「規制改革」という錦の御旗のもとで、いったい何が繰り広げられてきたのか?
その中心にはいつも、竹中平蔵という男がいた。そしていま、彼は規制改革で利益を享受するパソナグループ会長の地位にありながら、

産業競争力会議議員、国家戦略特区諮問会議議員として規制改革を推進しようとしている。

竹中平蔵の本質と正体とは、いったい何なのか。 乞う御期待!



●日 時/2014年7月4日(金)午後6時開演(5時30分開場)
●会 場/憲政記念館・第一会議室(東京都千代田区永田町1-1-1)
●会 費/1,000円(資料代等を含む)
●予約・問合せ/03-5211-0096 /gekkan.nippon@gmail.com(『月刊日本』編集部)

Kuroshio 116

北海道神威岬沖玉木海山

 ウッズホールの海洋研究所で一夏のサマースクールを過ごしたのは米国が建国二〇〇年を祝った翌年の一九七七年だった。海洋法を制定する為の国連の会議が頻繁に開かれ、米国国際法学会の雑誌は、海洋法に関する記事を繰り返し特集して発行した。国際法の授業の延長線にすることを口実にして、ウッズホールでの夏休みは海岸の保養地で快適に過ごす実利もあった。Oceanographyという教科書が使われ、執筆したご当人のロス教授が授業をした。研究所の岸壁には大型の海洋調査船が係留され、その甲板には、深海に潜れるという潜水艇が搭載されているのが教室の窓から見えた。世界的な大地溝帯の北辺に位置する紅海のシナイ半島の先の海底にある火山の噴気孔の映像が授業で見せられ、モクモクと噴出する高温の海水は重金属を含んでおり、銅や鉛、亜鉛、金銀、その他のレアメタルが集積しているとの説明がなされた。海底熱水鉱床のことである。マンガン団塊についての解説も初めて聞いた。直径二~十五センチの球形の酸化物が海底面上に分布したり、堆積物の中に埋没して、マンガンが四〇%から五〇%を占めて、銅やニッケル、コバルトなど三〇種類以上の有用な金属を含む団塊が、大洋の四〇〇〇から七〇〇〇メートルの深海底に存在することが、潜水艇で撮影された画像を使って説明された。大洋の海の中に聳え立つような水深八〇〇から二四〇〇メートルの海山の山頂は平べったいが、コバルト・リッチ・クラスト鉱床があり、海山の岩盤をアスファルトのように数ミリから一〇センチくらいの厚さで覆って、白金が微量含まれているのが特徴であるとの発見も開陳された。ウッズホールの授業でメタンハイドレートが話題になった記憶はない。米国には、西海岸のカリフォルニアにはスクリプス海洋研究所があり、海洋研究の二大聖地のようになっていた。

 ソ連潜水艦が大西洋に沈没し、米国の情報機関が秘密裏に引き揚げたのもその頃だった。ヒューズ社がオーシャングローマーという巨大クレーン船を建造してそれで引き揚げたのであるが、フレッチャースクールの国際法の教授は、万一米国の原子力潜水艦がソ連に引き揚げられたときに反対する論拠を失うとして、引き揚げを批判する論陣を張ったのが印象に残る。米ソ潜水艦競争についての軍事小説『レッドオクトーバーを追え』が映画化された頃で、米国が海洋開発の制度作りのため国際海洋法会議を主導しながら海洋開発の技術の優位を誇示していた時代だった。

 日本では深海底の鉱物資源を探査する専用船の「第二白嶺丸」を昭和五五年は、深海資源開発(株)が国連の国際海底機構から、鉱区七・五万平方キロを取得している。世界中の約三四〇ヶ所の海底で熱水鉱床が発見されているが、日本では沖縄や伊豆小笠原の海域で相次いで発見されている。世界に先駆けて小型掘削機器を開発し、二〇〇六年六月に小笠原父島東方の水深五八一五メートルの海底で、世界最深記録の堆積物採取に成功している。沖ノ鳥島を起点とする大陸棚延伸申請に貢献することとなったことは間違いない。

 東大駒場寮の政治経済研究会というサークルで一緒に生活したことのある筆者の後輩である、玉木賢策大陸棚限界委員会委員(外務省参与)が国連の会議で演説中に背中の痛みを訴えて救急車で搬送、動脈瘤の手術をしたが、現地時間二〇一一年四月五日二二時三七分、ニューヨークの病院にて逝去した。東日本大震災が発生した日の早朝に米国に出立した。昭和二三年一〇月一日、山口県宇部市生まれ、享年六二歳。玉木委員は海洋底変動学の第一人者として、国連海洋法条約に基づく大陸棚限界の設定を通じて海洋秩序の構築と発展に多大な貢献をした。玉木氏は東京大学海洋研究所教授を経て大学院工学系研究科エネルギー・資源フロンティアセンター長、教授となり、二〇〇二年に大陸棚限界委員会の委員に選出され、以降二期九年間委員を務めた。大陸棚限界委員会とは、各国の大陸棚延長申請を審査する目的で、国連海洋法条約により設置された委員会で、海洋地質・地球物理・水路学等を専門分野とする二一名の科学者で構成されるが、委員は同条約締約国会合における選挙で選出される。玉木教授の告別式は四月二五日に東京神田の学士会館で挙行されたが、喪主玉木くに令夫人が「普段、私は夫を『玉木くん』と呼び、夫は私を『くにちゃん』と呼びました」と挨拶されたのが心に滲みて残る。弔問客には福田康夫元総理や、深谷憲一元海上保安庁長官なども参列していた。北海道神威岬の西方約一七〇キロの日本海に、規模が南北約五五キロ、東西約三〇キロ、最大水深三六〇〇メートル、最小水深二一〇〇メートル、比高一五〇〇メートルの海山がある。世界の海底地形名の統一を図っている大洋水深総図(GEBCO)委員会の海底地形名小委員会(SCUFN)は、この海山に故玉木教授を顕彰し、その名前を冠して「Tamaki Seamount」(玉木海山)と命名することを、国際的に承認・登録した。

(つづく) 

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