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Military Conflict 3

習近平が訪米する直前、中国共産党内部から、突然の訪米は尖閣諸島情勢に関係があるとの消息が伝わってきた。訪米直前、解放軍は「中日両国が尖閣諸島で一線を交える可能性がある」と予告した。習近平は、中国が尖閣諸島の攻撃し日本と戦争を起こすとオバマに伝え、これを黙認して中立の立場を保つようアメリカ側に求めようとした可能性がある。鄧小平が訪米した1979年を振り返れば、当時中国はベトナムに出兵するかもしれないとアメリカに通知し、アメリカの黙認をとりつけたことが思い出される。鄧小平は1979年一月28日から二月4日にかけて訪米し、帰国して二週間後の二月17日に対越戦争を発動した。習近平が訪米する前、中国は北朝鮮を抑えつけるのに成功していた。北朝鮮が再び対外挑発にでないようにし、さらに「六カ国協議」の席にもどるように要求した。中国はこれをアメリカへの手土産として、アメリカから日本に味方せず、少なくとも出兵...しないことを求めようとしたのだ。たとえば二日間の会談のうち、六月8日土曜日はオバマと習近平はたったふたりの通訳を連れただけで別荘内を散歩し、密談のチャンスであった。習近平は次のようにオバマを説得にかかったと想像できる。「中国側の計画では、局地的な一度限りの戦争である。中日が尖閣諸島で短時間の海空戦をしてたがいにいくらかの死傷者と損失を出した後、アメリカの調停によって双方が戦闘地域から撤退する」 北京の三段どおりに事が運べば、のちに中国は戦果を得られることになる。尖閣諸島における日中の紛争が存在していることを認めさせ、日中双方が尖閣諸島で海域活動を行うことをあるいはどちらも活動できないことを認めさせるというものだ。そして中国政府は中国人民に対して、「日本に懲罰と教訓を与えてやった。解放軍は勝利を収めた」と喧伝する。習近平は鄧小平と同じように、派兵によって軍権を掌握し、本物の実弾によって軍を治め、いわゆる「勝利」の戦果によって党と軍における自己の絶対的権威を確立しようとしているのだ。だが、2013年は1979年ではない。今日の米中関係は昔の米中関係とは異なるのだ。1979年当時、アメリカは中国と共にソ連に対抗していたが、今日、アメリカは日本と共に中国に対抗している。さらに、習近平は鄧小平ではない。国内でも発言にそれほど威力がないのに、国外では言わずもがなである。陳破空「日米中アジア開戦」(文春新書210~212ページより)

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