構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2014年8月

Brave New Economy

竹中平蔵氏が果たした役割と新自由主義

ジャーナリストの佐々木実氏が講演

 「月刊日本」主催によるジャーナリスト・佐々木実氏の講演会が7月4日、「竹中平蔵氏とは何者か」と題し、東京都千代田区の憲政記念館で開催された。

佐々木氏は、日本のエスタブリッシュメント(社会的に確立した制度や体制)が崩壊状態となった平成10年(1998)を日本経済のターニングポイントだったと指摘する。“ノーパンしゃぶしゃぶ接待” で金融界を監督する大蔵省
に特捜が入り権威が失墜、日本長期信用銀行(長銀)と日本債券信用銀行(債銀)が相次ぎ破綻。その長銀を設立間もない米国ファンド「リップルウッド」(2人の若い投資家で設立、1人はゴールドマン・サックス出身)が、わずか10億円で買収したことは象徴的だったし、ウォール街にとっても非常に大きな事件となった。

このような変化が起きた年に影響力を持ち始める竹中平蔵氏は、小渕政権の経済戦略会議のメンバーとなる。そこには、新自由主義的な流れを日本に呼び込んだ中谷巌氏や伊藤元重氏らの経済学者が参加していた。

リップルウッドの長銀買収成功は、米国の対日政策にも変化を及ぼす。ブッシュ政権が誕生(2001年)する直前、米国の有力シンクタンクである外交問題評議会が対日政策の新しい指針を出した。米国はそれまで日米構造協議などで日本政府に圧力をかけてきたが、「米国政府による二国間交渉より、米国企業が日本における企業活動を通じて構造的な変革を進めるトリガーとなるだろう」とレポートで提言、これから大事なのは民間企業の参入だとした。

竹中氏が小泉政権でやったことも外交問題評議会の提言に沿ったものだったと見ることができる。ウォール街の資本を大々的に導入することで日本の改革を進めるという見取り図を描いていた。彼は小泉首相の命を受け、郵政民営化担当相として民営化法案の作成に携わる。米国の年次改革要望書の通りに、郵政三事業から貯金と保険の金融部門を切り離すことに拘る郵政民営・分社化の真の狙いは“金融改革”にあった。300兆円余の郵貯・簡保資金を外資に売り渡すためのものだと国会で喝破されたし実際、民営化されて以降の西川体制下における郵政グループの経営と組織の動きが証明している。

南部靖之代表率いる人材派遣業のパソナグループを急成長させたのも、小泉政権が進めた平成16年の労働規制の緩和だった。労働者派遣法が大幅に改正され人材派遣業が急拡大。“構造改革”で労働規制が緩和され派遣会社は潤った。小泉政権で経済財政担当相などを務めた竹中氏は19年2月、パソナの特別顧問に就任した。恩恵を受けた南部代表が“構造改革”の指揮官を三顧の礼で迎え入れたのは非常に分かりやすい構図だ。

そんな竹中氏が、安倍政権の誕生で麻生副首相らの反対があり「経済財政諮問会議」メンバーにはなれなかったものの、より法的権限の弱い「産業競争力会議」の民間議員として国家戦略特区構想に邁進。特区法を制定する段階で、国家戦略特区諮問会議を経済財政諮問会議と同レベルの首相直轄「重要政策会議」と位置づけ、自ら有識者議員に収まる。産業競争力会議も、いつの間にか経済財政諮問会議と合同開催になっている。パソナの取締役会長となった竹中氏は今や、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議の場で“我が物顔”。安倍政権下で自分に権限が集中する“器”をつくり上げたのだ。

経済学の学的実績はほとんどない竹中氏が影響力を持つようになった秘密を解く鍵の一つは、テクノクラートとしてのテクニックとその能力。何かやろうとする時、彼の下には必ず元官僚がいる。小泉政権時は経産省出身の岸博幸氏や大蔵省出身の高橋洋一氏、安倍政権でも国家戦略特区構想を実現する際、元経産官僚の原英史氏を上手く使っている。法案を作る能力を持ち、官僚をどう御していけばよいか熟知している人物を置く。自分の考えを政策や法律に落とし込む環境づくりに非常に長けている。

昨年12月、特定秘密保護法のドサクサに紛れ成立した国家戦略特区法には、諮問会議メンバーの条件として「構造改革の推進による産業の国際競争力の強化に関し優れた識見を有する者」という一文が盛り込まれた。規制緩和の旗振り役が規制を設け、竹中氏のような急進的構造改革派しかメンバーになれないようにした。安倍首相も「会議の意思決定には“抵抗大臣”となり得る大臣は外す」と国会で答弁。政権内で再浮上した「残業代ゼロ制度」に厚生労働省も難色を示すが、厚労相が抵抗すれば政府の意思決定に関与できない。国民の大勢が「ノー」と言っても無視され、少数の急進派の意見だけがまかり通っていく図式。
 では、竹中氏らが強引に推進する“構造改革”とは何なのか。小泉政権の閣僚時代に部下の官僚から定義を問われると、竹中氏は「ないんだよ」とアッサリ認めたという。規制を取り払って競争をうながすのが第一、目指す社会ビジョンは極めてアヤフヤだ。

小泉構造改革のスタートから約15年。派遣労働の拡大など国を挙げて規制緩和の綻びを検証すべき時が来ているのに、彼らは不都合な事実に目を伏せる。緩和のアイデアが出尽くすと、今度は医療・教育・農業などビジネスの尺度だけでは測れない規制を“岩盤規制”と称し緩和を推し進める。人材派遣大手のパソナ会長でもある竹中氏。利害関係のある人物が雇用規制の緩和に関与するのは、政治が生む利益を追い求める“レントシーカー(利権あさり)”そのもの。その一方で、慶應義塾大学教授として“日本を代表する経済学者”の如く振る舞う。

安倍政権で竹中氏は復活したが、新自由主義的な政策を支えているのは“知識の体系”を備えた経済学だということに着目する必要があると佐々木氏は警鐘を鳴らす。チャールズ・ファーガソン監督が、米国社会における経済学者と金融界の癒着を描いたドキュメンタリー映画「インサイド・ジョブ」を制作し、「強欲の帝国―ウォール街に乗っ取られたアメリカ」(早川書房)を著し経済学者とウォール街の癒着を徹底的に追求した理由も経済学や経済学者が果たしている役割の大きさに気が付いたからだし、佐々木氏が「市場と権力」で経済学に詳しく触れたのも同じ理由からだという。

と同時に、東西の冷戦構造が終結し社会体制としての「社会主義」対「資本主義」という大きな対立軸がなくなった間際を突いて出て来たのが、堅牢な知識体系を持つ経済学だったとの見方も成立するのではと指摘する。

そんな中で今、混迷する世界や日本の現実を前に冷戦時代のイデオロギーにとらわれず身近な問題から思考を深めようとする若い世代の動きも出て来ている。アメリカ型の市場原理主義は、日本社会が抱える問題を解決する処方箋にはなり得ない。むしろ、市場原理主義こそ問題の核心である。それを体験的に知っているのが“雇用崩壊”の被害者である若年層であり、社会を導く新たな思想はこの世代を中心に生まれてくるのかもしれない。

その結実いかんでは遠くない将来、「新自由主義や市場原理主義と呼ばれたイデオロギーは、新しい思想が誕生してくる過渡期に生まれた“鬼子”だった」と言われるようになるのではないかと結んだ。

【ささき・みのる】昭和41年生まれ。大阪大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。平成7年に退社しフリーに。小泉政権下で“構造改革”を推進した竹中氏の実像に迫った「市場と権力」で25年に新潮ドキュメント賞、今年4月には日本文学振興会主催の大宅壮一ノンフィクション賞(書籍部門)を受賞。

 

Restoration

竹中平蔵氏が果たした役割と新自由主義
ジャーナリストの佐々木実氏が講演
 「月刊日本」主催によるジャーナリスト・佐々木実氏の講演会が7月4日、「竹中平蔵氏とは何者か」と題し、東京都千代田区の憲政記念館で開催された。
佐々木氏は、日本のエスタブリッシュメント(社会的に確立した制度や体制)が崩壊状態となった平成10年(1998)を日本経済のターニングポイントだったと指摘する。“ノーパンしゃぶしゃぶ接待” で金融界を監督する大蔵省
に特捜が入り権威が失墜、日本長期信用銀行(長銀)と日本債券信用銀行(債銀)が相次ぎ破綻。その長銀を設立間もない米国ファンド「リップルウッド」(2人の若い投資家で設立、1人はゴールドマン・サックス出身)が、わずか10億円で買収したことは象徴的だったし、ウォール街にとっても非常に大きな事件となった。
このような変化が起きた年に影響力を持ち始める竹中平蔵氏は、小渕政権の経済戦略会議のメンバーとなる。そこには、新自由主義的な流れを日本に呼び込んだ中谷巌氏や伊藤元重氏らの経済学者が参加していた。
リップルウッドの長銀買収成功は、米国の対日政策にも変化を及ぼす。ブッシュ政権が誕生(2001年)する直前、米国の有力シンクタンクである外交問題評議会が対日政策の新しい指針を出した。米国はそれまで日米構造協議などで日本政府に圧力をかけてきたが、「米国政府による二国間交渉より、米国企業が日本における企業活動を通じて構造的な変革を進めるトリガーとなるだろう」とレポートで提言、これから大事なのは民間企業の参入だとした。
竹中氏が小泉政権でやったことも外交問題評議会の提言に沿ったものだったと見ることができる。ウォール街の資本を大々的に導入することで日本の改革を進めるという見取り図を描いていた。彼は小泉首相の命を受け、郵政民営化担当相として民営化法案の作成に携わる。米国の年次改革要望書の通りに、郵政三事業から貯金と保険の金融部門を切り離すことに拘る郵政民営・分社化の真の狙いは“金融改革”にあった。300兆円余の郵貯・簡保資金を外資に売り渡すためのものだと国会で喝破されたし実際、民営化されて以降の西川体制下における郵政グループの経営と組織の動きが証明している。
南部靖之代表率いる人材派遣業のパソナグループを急成長させたのも、小泉政権が進めた平成16年の労働規制の緩和だった。労働者派遣法が大幅に改正され人材派遣業が急拡大。“構造改革”で労働規制が緩和され派遣会社は潤った。小泉政権で経済財政担当相などを務めた竹中氏は19年2月、パソナの特別顧問に就任した。恩恵を受けた南部代表が“構造改革”の指揮官を三顧の礼で迎え入れたのは非常に分かりやすい構図だ。
そんな竹中氏が、安倍政権の誕生で麻生副首相らの反対があり「経済財政諮問会議」メンバーにはなれなかったものの、より法的権限の弱い「産業競争力会議」の民間議員として国家戦略特区構想に邁進。特区法を制定する段階で、国家戦略特区諮問会議を経済財政諮問会議と同レベルの首相直轄「重要政策会議」と位置づけ、自ら有識者議員に収まる。産業競争力会議も、いつの間にか経済財政諮問会議と合同開催になっている。パソナの取締役会長となった竹中氏は今や、産業競争力会議や国家戦略特区諮問会議の場で“我が物顔”。安倍政権下で自分に権限が集中する“器”をつくり上げたのだ。
経済学の学的実績はほとんどない竹中氏が影響力を持つようになった秘密を解く鍵の一つは、テクノクラートとしてのテクニックとその能力。何かやろうとする時、彼の下には必ず元官僚がいる。小泉政権時は経産省出身の岸博幸氏や大蔵省出身の高橋洋一氏、安倍政権でも国家戦略特区構想を実現する際、元経産官僚の原英史氏を上手く使っている。法案を作る能力を持ち、官僚をどう御していけばよいか熟知している人物を置く。自分の考えを政策や法律に落とし込む環境づくりに非常に長けている。
昨年12月、特定秘密保護法のドサクサに紛れ成立した国家戦略特区法には、諮問会議メンバーの条件として「構造改革の推進による産業の国際競争力の強化に関し優れた識見を有する者」という一文が盛り込まれた。規制緩和の旗振り役が規制を設け、竹中氏のような急進的構造改革派しかメンバーになれないようにした。安倍首相も「会議の意思決定には“抵抗大臣”となり得る大臣は外す」と国会で答弁。政権内で再浮上した「残業代ゼロ制度」に厚生労働省も難色を示すが、厚労相が抵抗すれば政府の意思決定に関与できない。国民の大勢が「ノー」と言っても無視され、少数の急進派の意見だけがまかり通っていく図式。
 では、竹中氏らが強引に推進する“構造改革”とは何なのか。小泉政権の閣僚時代に部下の官僚から定義を問われると、竹中氏は「ないんだよ」とアッサリ認めたという。規制を取り払って競争をうながすのが第一、目指す社会ビジョンは極めてアヤフヤだ。
小泉構造改革のスタートから約15年。派遣労働の拡大など国を挙げて規制緩和の綻びを検証すべき時が来ているのに、彼らは不都合な事実に目を伏せる。緩和のアイデアが出尽くすと、今度は医療・教育・農業などビジネスの尺度だけでは測れない規制を“岩盤規制”と称し緩和を推し進める。人材派遣大手のパソナ会長でもある竹中氏。利害関係のある人物が雇用規制の緩和に関与するのは、政治が生む利益を追い求める“レントシーカー(利権あさり)”そのもの。その一方で、慶應義塾大学教授として“日本を代表する経済学者”の如く振る舞う。
安倍政権で竹中氏は復活したが、新自由主義的な政策を支えているのは“知識の体系”を備えた経済学だということに着目する必要があると佐々木氏は警鐘を鳴らす。チャールズ・ファーガソン監督が、米国社会における経済学者と金融界の癒着を描いたドキュメンタリー映画「インサイド・ジョブ」を制作し、「強欲の帝国―ウォール街に乗っ取られたアメリカ」(早川書房)を著し経済学者とウォール街の癒着を徹底的に追求した理由も経済学や経済学者が果たしている役割の大きさに気が付いたからだし、佐々木氏が「市場と権力」で経済学に詳しく触れたのも同じ理由からだという。
と同時に、東西の冷戦構造が終結し社会体制としての「社会主義」対「資本主義」という大きな対立軸がなくなった間際を突いて出て来たのが、堅牢な知識体系を持つ経済学だったとの見方も成立するのではと指摘する。
そんな中で今、混迷する世界や日本の現実を前に冷戦時代のイデオロギーにとらわれず身近な問題から思考を深めようとする若い世代の動きも出て来ている。アメリカ型の市場原理主義は、日本社会が抱える問題を解決する処方箋にはなり得ない。むしろ、市場原理主義こそ問題の核心である。それを体験的に知っているのが“雇用崩壊”の被害者である若年層であり、社会を導く新たな思想はこの世代を中心に生まれてくるのかもしれない。
その結実いかんでは遠くない将来、「新自由主義や市場原理主義と呼ばれたイデオロギーは、新しい思想が誕生してくる過渡期に生まれた“鬼子”だった」と言われるようになるのではないかと結んだ。
【ささき・みのる】昭和41年生まれ。大阪大学経済学部を卒業後、日本経済新聞社に入社。平成7年に退社しフリーに。小泉政権下で“構造改革”を推進した竹中氏の実像に迫った「市場と権力」で25年に新潮ドキュメント賞、今年4月には日本文学振興会主催の大宅壮一ノンフィクション賞(書籍部門)を受賞。

Yamashita's Ghost

004

Black Bondage

Facta(ファクタ)という、会員制の月刊雑誌がある。阿部重夫という元日本経済新聞の記者が編集長で、調査報道には定評がある雑誌になっている。9月号に、明治安田生命と日本郵政労組の「黒い絆」と題がつけられた一ページの記事が掲載されている。当方ブログとしては、真偽のほどを確かめようもないが、その要旨を紹介してご参考にしたい。記事の詳細にご関心の向きは、元の雑誌の原文にあたっていただきたい。

http://facta.co.jp/article/201409038.html

ファクタ誌は、2913年の10月号で、地方公務員向けの団体保険で、明治安田生命保険と自治体の労働組合との不透明な関係について報道したことがある。今回、新たに明治安田と巨大労組の関係が明らかになったとする。その組合とは、24万人の組合員を抱える日本最大の日本郵政グループ労働組合だ。同組合は、全逓と全郵政が07年に大同団結して誕生したが、両組合の共済商品も09年には統合され、全郵政の大型生命共済「きずな」が存続することになった。保障性団体保険の半分を安田明治が引き受け、残る半分を複数社で引き受けることになった。加入者が支払う見かけの保険料は安いが、配当金が少ないため、実質的には割高になるうえ、保険会社が団体に支払う手数料は少なくて済むというドル箱商品である。

明治安田以外のシェアは微々たるもので、明治安田はなんと97%のシェアをもつ。安田明治の特権的な営業は、労組オービーを非常勤の顧問として受け入れていることと無関係ではない。オービーで受け入れた人数は15人程度といわれており、日本郵政グループでは平社員でも、明治安田生命に天下りすれば週一回の勤務で、月15万円の報酬が得られる。受け入れているのは基本的に全郵政のオービーというから融和を掲げる組合の内部では怨嗟の声が渦巻いており、委員長室には、明治安田が寄贈した超大型液晶テレビが置いてあったと親密ぶりを示す目撃談もある。

それだけではなく、明治安田の従業員を労組の特別中央執行委員として派遣している。「民営化時期に日本郵政グループの重要な経営情報が明治安田に筒抜けになっていた疑いがある」 とのささやく関係者もいる。明治安田の松尾社長は生保協会会長時代に、かんぽ生命には弱腰だと言われていたが、強い「きずな」があったのだから、無理もない。

「日本最大の労組が、特定の組合員のために大多数の組合員に不利益を強いているとしたら、ガバナンスの欠如はいささか深刻と言わざるを得ない、と結語している。

以上ご参考まで。

Just Foreing in Japan

http://www.japantimes.co.jp/community/2013/11/27/general/disabled-in-britain-just-foreign-in-japan/#.U-lPJuEcTIW

History and Rule of Law

清瀬一郎は、東京裁判の弁護団副団長であり、日本のヒトラーと目された東条英機の主任弁護人を務めた人物である。清瀬は明治十七年、姫路の北方の夢前町杉之内に生まれている。司法省に入ったが、官職を辞し弁護士となり、ドイツに留学し、特許法の専門家として、また、思想事件の刑事弁護士として活躍し、大正九年に衆議院議員に当選している。戦後一度落選したが、その死に至るまで議員活動を続けている。

東京軍事裁判についての回想録が、秘録東京軍事裁判との題で読売新聞社から、昭和42年に出版されている。

その回想録の第十二章は、歴史に残さるべき重大問題と題して、原子爆弾投下について東京裁判で追求したことと、ヤルタ協定は知らなかったことが東京裁判を正しく評価するためには重要であると、指摘しているので、
紹介する。

まず、原爆投下についての追求のことであるが、東京裁判の被告人に1人1人の米人弁護士がついたことを紹介...して、その弁護人が、「一旦弁護を引き受けた以上、自分の本国政府に反しても,弁護したる任務を尽くすことに躊躇しない気魄を示した。」と書いている。その一例として、スチムソン陸軍長官が原爆使用の決定をしたことを証明する証拠を提出しようとしたことを挙げ、梅津美治郎被告の弁護人だった、ブレークニー弁護人が追求して、この証拠提出が許されたら、世界的な大問題となるべきものだと指摘している。イギリスの検事コミンズカーが、すぐ意義を提出したが、ハーグ陸戦法規の毒ガス、細菌などの兵器の使用を禁ずる規定を盾に反論している。ウェブ裁判長が、原爆の投下が戦争犯罪であると仮定して、何の関係があるかとの問いに対して、ブレークニーは、報復の権利を持ち出してマニラの事件も原爆投下後の事件として考えられると指摘している。「裁判長は、無理押しにこの証拠申し立てを却下してしまった。今でこそスチムソンの原子爆弾使用のことは、世間で知らぬ者はないが、当時はどこで決定されたかはだれも知らなかった。」そのブレークニー弁護人は、東京裁判後もl日本に残り、東大で英米法を教え、東京で弁護士を開業していたが、自家用飛行機で沖縄に渡る際に、伊豆の天城山に衝突してなくなったが、勲二等の襄君があるり、郷里のオクラホマに送ってその目伊具句を祈ったという。木戸幸一被告のローガン弁護人は、「欧米諸国は日本の権利を完全に無視し、無謀な経済的圧迫をなした。また,真珠湾に先立ち、数年間濃いに、かつ計画的に、共謀的に日本に対し経済的、軍事的圧迫を加え、しかもその結果が戦争になることは十分に承知しており、そうげんめいしながら、彼らが右の行為をとったと言う事実がある。また、肯定的弁護として次の事実が証明される。即ち情勢はいよいよ切迫し、ますます耐え難くなったので、日本は欧米諸国の思うツボにはまり、日本からまず手をだすようにと彼等がよきし、希望したとおり、じこのせいぞんそのもののために戦争の決意をせざるを得なくなった」と主張したとして、小磯国昭被告ののブルックス弁護人、大島浩被告のカニンガム弁護人、被広田弘毅被告のスミス弁護人をなかなか気骨のある人物で、「アメリカ自身のあやまちでもこれをあぐるには躊躇しなかった」と書いている。

これは感想にすぎないのであるが、東京を焼け野が原にした米空軍の将軍にやった勲章に比べることはできなくとも、こうした米人弁護人の顕彰を、日本がちゃんとやっていないように思われて仕方がない。最近、マニラの山下裁判の弁護人、フランクリールの回想録を読んで近々月刊日本にその顛末を発表する予定であるが、むしろ日本の方が、世話になった外国人のことを話題にもしなくなり、歴史の検証を怠ってきていることではないかとつらつら考えたことである。今からでも遅くはない。東京裁判で、日本の被告の立場を主張した、米人と外国人弁護士の顕彰を何とか行うことが必要である。戦後レジームの見直しとは強がりをいうことではない。

清瀬一郎は、ポツダム宣言を受け取ったときにも、ソ連が満洲になだれこんだときにも、ポツダム宣言を受諾を発表したときも、東京裁判が始まった昭和21年の5月の団塊でも、ヤルタ協定の日本に対する部分が知らされていなかったことを指摘して、不正な協定があったことが分かったのは、東京裁判が相当進行した後だった、と回想している。

昭和二十年の12月に米国陸軍法務官プライスという人がニューヨークタイムスに次のような論文を発表したと紹介して、その内容は、要旨、「東京裁判は、日本が侵略戦争をやったとして懲罰するようなことだが、無意味だからやめた方がいい、何故なら,アメリカにせきにんがあり、ソ連は、不可侵条約を破って参戦したが、スターリンだけの責任で波無く、戦後に千島、樺太を譲ることをじょうけんとして、日本攻撃を依頼し、共同謀議したもので、これはやはり侵略者であるから、日本を侵略者呼ばわりしてちょうばつしても、精神的効果はない」として、その内容は日本にもつたわったが、作者が米国人で、しかも軍の法務官であったことには度の大胆さに驚いたとしているが、米国内では、部分的に知られていたが、日本では知られていなかったとしている。

ヤルタ協定は、昭和20年2月クリミヤ半島のヤルタで、米英ソが戦争の最終的撃破の為の会合であった。2月11日に、コムにケを発表して、ドイツの撃破、ドイツの占領管理、ドイツの賠償のことが明らかになったが、日本については秘密とされた。今では、その全文を知ることができるから、その内容は、要旨、「米英ソは、ドイツの降伏の後に、二ヶ月又は三ヶ月後に、ソ連が対日戦争に参加することを協定して、①外モンゴルの現状を維持する、②南樺太と隣接する全ての島はソ連に返還する,,大連商港におけるソ連の理駅を擁護して、港を国際化して、旅順口のソ連の租借権は回復する、東清鉄道、南満洲鉄道は、中ソ合弁で共同運営するが、ソ連の優先的理駅を保障して、中華民国が満洲における完全な朱建を保有する、千島列島はソ連に引き渡す、3国の首脳は、ソ連のようきゅうが、日本が敗北した後に確実に満足されることを協定した、ともある。また、ソ連は、ソ連と中華明国との間の友好同盟条約を締結する用意がることを表明する」と言うものである。

清瀬一郎は、「ヤルタ協定は、明らかに、ルーズベルトとチャーチルとの間に締結された大西洋憲章に違背しておる。それのみならず、昭和20年2月と言えば、日ソ間の中立条約が厳然として効力を有する時代である」として、「かかる時代に中立義務ある一方を,利をもって誘惑し,理由なき参戦をなさしめ、ポツダム宣言にも事後の参加を許し、対日関係の連合軍の一員につかしめ、検察団に代表を送り、再ガン間の席を与えて裁判を進行した。三歳の自動でもこんな裁判に承服するはずがない。「文明」が原告だとか、「永遠の平和」が目的だとか言ってもおかしくてたまらない。果たして裁判以降平和が保たれたであろうか。」と激白して、その章の末尾は、「東京裁判がキーナンの言ったように、永久平和をもたらすことは明らかに失敗した。」と書いている。

以上、ご参考まで。

Kuroshio 120

占領軍は直ちに、地質調査に関する資料を押収している。昭和一二年七月の盧溝橋事件を契機とする日華事変以降。支那大陸で泥沼に陥って日本は隘路・限界に至った。四年半の戦闘で一〇〇万を超える人的被害を出す大戦争となった。国家予算の過半を戦費が占めるようになり、蒋介石政権の補給路を遮断すべく南進して、英蘭などと戦火を交えることになった。昭和一五年九月の「仏印進駐を実行しても米国は石油禁輸を実施しない」という安易な判断は、米国との開戦に自らを追い込んだ。伝統的にソ連を仮想敵国とする陸軍は、南進の後に、シンガポール攻略司令官の山下奉文(ともゆき)中将を満洲の方面司令官に転任させている。大平原の地下や渤海海底に油田がある可能性が徹底的に追求され、探査が成功し掘削されておれば、大戦が回避された可能性があるが、日本は探査技術に劣り、満洲で最新の技術はついぞ使用されることなく、メキシコのタンピコ油田からおとりの石油が売却されて徳山製油所が満タンになり、これで戦えると連合艦隊司令長官が豪語して真珠湾に出撃させる巧妙な罠にはまった。緒戦はいざ知らず、結末は歴史に「もし」がないことを裏書きする惨々たるものであった。南満洲鉄道撫順オイルシェール工場で、石炭生産の副産物として人造石油に力が注がれたが、「投入エネルギーより抽出エネルギーの方が少なかった」のが、米国戦略爆撃調査団石油報告が指摘する実態だった。一九六〇年代に至り、旧ソ連の技術で黒竜江省に大慶油田、山東省に勝利油田(その後、探査技術の進展で渤海の海底油田の開発につながる)が発見され、遼河油田などが発見・開発された。東支那海では、日本との中間線の近傍で天然ガスを掘削して生産しており、最近では南支那海で海底油田の掘削プラットホームを建設して国際紛争の焦点となった。日本は探査に劣り、掘削技術をもっていてもためらい、合理的な資金・技術の投下を夜郎自大に怠る傾向がままあることが教訓である。高オクタン価ガソリン、つまり航空機の高性能運用に必須の燃料が製造できなかったこともよく知られており、制裁を加えようとする米国と特許や製造方法の供与について交渉を進めていたことなどは、無謀な茶番劇としか思えない。満州にウラン資源があることも判っていた。満州国の中枢にいた高碕達之助は、婦女子の安全確保と引き換えに、日ソ不可侵条約を反故にして雪崩込んだ赤軍に対してウラン鉱山のありかを教えたと回想している。

メタンハイドレートについて、海からの天然資源の確保という観点から、黒潮文明論の一環として、当代一流の海洋開発専門家の友人にインタビューを行ない知識を得ながら論評を加えてきたが、拙論を読んだ同志から電話があり、日本海にこそ資源開発が比較的に容易なメタンハイドレートがあり、日本が無資源の国であるというのは既に嘘であるとの有力な主張があるので、それについて紹介すべきであるとの忠言があった。特に青山繁晴氏の意見に注目すべきだとのことであった。なるほど、二○一二年二月八日関西テレビの番組が青山繁晴氏の意見をよく纏めており、要旨は次のとおりである。
 原子力発電所が停止すると、火力発電の燃料となる石炭、石油、天然ガスの海外からの輸入が増大するので、値段がどんどん上がっていく。日本が資源のない国というのは、真っ赤な嘘である。実は隠された資源大国であると指摘しても、間違っているなら政府や大学から抗議がくるはずだが、勿論来ない。マスコミが取り上げないのは、政府の取り組みが弱いからである。その理由は「日本の敵は日本」で、つまり、日本はいつまでも資源小国でいるべきだと、貶める人々がズラッといる。日本は資源のない国だというのが、日本の常識になっているが、確かに十数年前までは、石油や天然ガスといった従来の埋蔵資源はとても少なかったから資源のない国だったが、今は世界の眼は、燃える氷と呼ばれるメタンハイドレートに注目することで、日本の希望となった。メタンハイドレートのある場所には微生物が沢山あり、紅(ベニ)ズワイガニが寄ってくる。単純にメタンだから環境に悪いという話ではない。地震の多いところに、メタンハイドレートがある。石油や天然ガスのある中東には、むしろない。太平洋側での掘削にはものすごいカネがかかるが、日本海側では鉱床が海底に露出している。戦争に負けた日本が資源大国になったら困るとの見方があり、韓国のメタンハイドレート調査を支援しているのは、米国のエネルギー省と国際石油資本であり、戦後日本の在り様に無難に乗っかって、日本を敗戦直後のままにしておきたい勢力がある。経済産業省や東京大学は既得権益があるから太平洋側以外を調査しないが、水産庁委託で調査をしたら尖閣諸島の上の方にもメタンハイドレートがあった。石油工学の技術で日本海側の掘削はできない。土木工学が重要。清水建設がバイカル湖でメタンハイドレートの回収実験に成功している。
 夜郎自大の再発を避ける為にも傾聴に値する意見である。 (つづく)

Robbed away

2009年8月27日付けの朝日新聞の東京本社版の朝刊5ページに、下記の様な趣旨の記事が掲載されていた。かんぽの宿、議論聞こえず、寂しい総選挙、という見出しをつけたコラムである。コラムは、政策ウォッチというコラムで、署名記事である。

    

 「簡易生命保険の契約が4500万件にのぼる。総選挙でかんぽの宿の問題は議論になっていないので寂しいと指摘して、鳩山邦夫衆議院議員が総務大臣を務めたときに、かんぽの宿の売却を問題にして話題になったことがあるが、かんぽの宿は、厳密に言うと国民一般の財産ではなく、簡易保険契約者の財産であったと述べる。宿は契約者が、支払う保険料と利用料を元に運営されており、だから、簡易保険特別会計が出資するかんぽ事業団の資産となっていて、旧簡易保険法では、事業の譲与は契約者か保険受取人に「分配する」と定めていたが、その肝心の特別会計と事業団が2003年末に廃止されて、郵政公社のしさんとなり、民営化によって、持ち株会社の日本郵政の資産となった、と経緯を説明する。

簡易保険契約の財産は、独立行政法人が設立されて、そこに引き継がれていることになったが、かんぽの宿は、どういうわけか、持ち株会社の日本郵政の資産とされた。「契約者の財産はこの時、かすめ取られてしまった。」と、この署名記事は強い表現で書かれている。

赤字だから、売却するとかとり壊すとか、廃止する色々な議論が行われ、また実行されてきたが、かんぽの宿は、契約者の財産であった。宿は本業ではなく、赤字だから何をしても許される、というのか、と最後にまとめている。」

本質を衝いた短い記事であった。もともと、かんぽの宿を売却することを前提としたために、独立行政法人の管理する資産と分けたのではないかとの勘ぐりは当時からあったし、また、そもそも、独立行政法人を設立して旧郵便貯金や旧簡易保険の資産管理をする方が異例でおかしいとの見方もあった。しかし、今まで、いかなることであったのか、国会で審議されたとか、その経緯が説明された話は聞いたことがない。この記事が寂しい総選挙としている009年の選挙は、民主党が大勝して政権交代が行われることになった選挙でそれほど寂しい選挙で波無かったが、郵政民営化の状況は政権交代があっても、株式売却の凍結が行われたのみで、他の改善や追求や見直しは行われずに、JPエクスプレスの設立などのように新たな問題がいろいろと発生したことは、当方ブログが指摘するまでもない。

活字になった記事は、時間が経っても亡霊のようになって残っている。まだ、かすめ取られてしまった簡保契約者の財産の行く方を問題にしているようである。ご関心の向きは図書館あたりで、新聞の縮刷版を見れば、全文を読んで参照されたい。天網恢々疎にして漏らさずとは、このことかも知れない。郵政民営化の闇を払拭することが、依然として課題として残っている一例だ。

Population

経済財政諮問会議が六月末にまとめた、いわゆる骨太の方針の中身である、人口減少に対する対応は、全くの的外れの議論をしているように見える。

日本の出生率は、1.41であるから、これからかなりの人口減になることは確実であるから、それに対応する社会づくりを目指すことは当然にしていも、経済財政諮問会議の処方箋は、市場原理主義に基づいた議論であり、現実に必ずおこる人口減少社会を、惨憺たるものにする可能性があるといわねばならない。

さて、人口減少は、いずれの先進国においても共通の現象である。日本が確かにその先頭を切っていることは確実であるが、社会が豊かになると、その生存本能が弱くなるのかも知れない。このままでいけば、2050年には日本の人口は9000万人を切ることになるといわれている。ところが、骨太の方針なるものは、人口一億の維持をめざすといっており、子供手当や、保育環境の支援などを挙げているが、真の狙いは、恐ろしいことに、海外からの移民などの、実は最近ヨーロッパなどで深刻な問題となり、次々と放棄されつつある外国からの移民を奨励して人口減少を補うとの考えが見え隠れする。日本では人口が減少した方が、一人ひとりの日本人はより豊かになるのだ。わかりやすく言えば、もっと広い家に住み、込んだ電車が少しはすくようになるのである。

もちろん人口が減少すれば、成長率は下がる可能性が高い。成長率は、人口増加と労働生産性の増加のかんするであるが、労働生産性が、技術革新などに左右されるから、技術進歩で、なんとか成長率を維持することができるが、いずれにしても、低成長になる可能性が高い。(もちろん、知恵を使った技術革新を追及することが大切である。合理的な思考を追い求めて、ものづくり社会の伝統を維持することが必要である。市場原理主義のように、安かろう悪かろうの製品を大量生産する社会ではない。)(軍事力であれば、歩兵ではなく、老人や女性にも操作が可能となるハイテク兵器などの導入が必要jとなる。)しかし、人口成長で、低成長になっても、需要と供給がバランスすれば、それなりに安定した社会となるはずである。実際の戦後の体験からしても、高度成長がそれほど、立派な社会だったとも思えない。活力はあったが、どこかに猥雑なところがあったし、実は、低成長の方が、がむしゃら、猛烈サラリーマンなどどこにもいないから、分配さえしっかりすれば、老ナyく男女が、しっかり生活できる社会になりうるのである。低成長時代の社会は、弱に区k表色の社会ではない。高度成長のように、生き馬の目をぬくような激しい競争など必要ではない。人口減少する社会の活力は、官民協調の、国内の資本循環を優先する、つまりグローバルな社会の影響をできるだけ少なくするような政策をとりながら、民間や外国に投資する機会をしっかりと見極めながら、公共の部門に対する投資をしかkりと行う社会である。

新自由主義の政策は、いわば、若い国においては成立するかもしれないし、社会格差があっても、実現することのない夢を国民に持たせることができるが、成熟した人口減少社会においては、あくせくとした、拝金の経済ではなく、品のある全体のパイを大きくする政策と、日本の国の形にあった、万民の幸福を求める政策がきのうすることになる。新自由主義は、人口減少社会においては、過度な格差を生みだすことになり、最近の骨太方針などは、その問題を解決するどころか、傷口を大きくして一部の外国勢力に裨益する政策を掲げようとしているかに見える。巨大地震に備えた防災、核燃料の最終処理技術の確立、地方の活性化や美しい国土の確保などを積極的に行って、日本人が世界に冠たる人口環境をもつ社会環境をつくりあげることの方が、世界の中で尊敬される豊かな平和国家として繁栄を続けることができる。

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