Arrogance and Fury
越後の磐船近くに住む日頃は温厚篤実の畏友から、珍しい憤怒の便りが寄せられた。都会の親戚から新聞のコピーを送られ、それを読んで、「最近血圧の薬を飲むようになったので日ごろはあまり腹を立てないで暮らすように心がけているが、いささか腹の虫に障るところがありましたので文章にしておきました」とのことだ。郵政民営化の虚妄と奢りの本質を衝いている。ご参考まで。
「郵便局」
篠原三代平先生の時代からリチャード・クー氏、植草一秀先生たちが解りやすく経済の記事を書いていた頃まで「日本経済新聞」の読者であったが、所謂「改革」がはじまり「新自由主義新聞」とか「上げ潮新聞」とかに紙名を変更した方がよいと思うようになって読まなくなった。先日偶然日経新聞の「あすへの話題」というコラムに元郵便局(株)代表取締役会長古川洽次氏が郵便局について書いているのを目にした。(2014.11.10夕刊)記事の内容は次のとおり...
日本国という名前の山があることを知った時は驚いた。山形と新潟の県境にある標高555メートルの山で、その麓の郵便局に行ったときに望遠したが、ごく普通の山だ。 民営化で生まれた郵政の会社に転じて、先ず実行したのが現場回り、つまり各地の郵便局を訪ねることだった。 会社を経営していくうえで、問題の予兆や発生の原因、課題解決のヒントや答えは、必ず現場にあることを、民間会社での45年に及ぶ経験が教えてくれたからだ。
毎週1日、予告なしに、各県の中央局から山間僻地の簡易局まで、原則日帰りで回った。在任7年間に、全国各地の1089局を窓口から訪ねて、局員やお客様の話を直接聞いたのである。当初は、どこの年寄りが来たのかと、訝られたようだ。 郵便局の仕事は規模の大小により、担務の範囲は変るが、業務内容は基本的に一緒だ。従って事前に連絡して行くと、どの局に行っても略同じ話を聞くことになる。しかし、突然訪ねると、百局百様、現場特有の素顔を見せる。民営化された会社の諸施策を進める中で、そのことが大層参考になった。 過疎地では、お客様に会うと異口同音に「JAが撤退、小学校も閉校した。郵便局だけは残って下さい」と懇願された。株式上場を目前にして、効率経営を求める資本市場と対面しなければならない郵政グループにとって、過疎と集中は思い現実だ。 忘れ難い経験もある。南大東島から北大東島には漁船で渡った。南北12キロの海峡は深さが1000メートルもあり、海の色は飽く迄も青く、真ん中辺りは深い藍色である。篠原鳳作の「しんしんと肺碧きまで海の旅」の世界に紛れ込んだような気がした。
民営化後の郵政の会議で古川氏の話を聞いたことがある。「お客様のために」とか「地域のために」とか「現場が働きやすいように」という話もあったかと記憶している。日経新聞のコラムは7年間に1089局を訪問したと伝えているが、古川氏の肩書はなぜか「元三菱商事副社長」となっている。古川氏ご自身の考えなのか、新聞社が勝手につけた肩書なのか知る由もないが、訪問を受けた現場の人たちはどう感じることだろう。古川氏が高額の報酬を得ながら物見遊山の旅を続けたとは思いたくないが人を馬鹿にした話ではないだろうか。
「改革」の本丸と言われた郵政民営化のその後の推移を見れば、民営化と分社化は郵政事業を良くすることでも国の経済を活性化することでもなく、国民の貴重な虎の子であり国の大事な資産でもある360兆円の郵貯・かんぽ資金を破壊することであり、カード事業や不動産関連事業の展開を見ても三井住友とか三菱とかの資本が民営化のショックに付け込んで巨額の利益を手にすることであったことが明らかになりつつある。
「語るに落ちる」とか「天網恢恢疎にして漏らさず」とかそういう言葉を想起させるような話でもある。
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