構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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2014年12月

Kuroshio 128

●ルービン先生が、お亡くなりになった。ボストンの新聞に訃報が出た。Rubin, Alfred P. 83, of Belmont died peacefully at home on November 30. He leaves behind Susanne, his loving wife of 54 years, three beloved children, Conrad, Anna and Naomi, five grandchildren, and his brother, Sander. Mr. Rubin was a professor of public international law at The Fletcher School of Law and Diplomacy, Tufts University until 2002. He received his B.A.... (1952) and J.D. (1957) from Columbia University. While at Columbia Mr. Rubin was a nationally ranked foil fencer. His studies were interrupted by three years of military service in the Navy during the Korean War. Upon completing his J.D., Mr. Rubin attended Jesus College at Cambridge University for post-graduate studies, completing an M. Litt. He began his career in 1961 as a legal advisor to the Defense Department advancing to the position of Director of Trade Control in the Office of the Assistant Secretary of Defense. In 1967, Mr. Rubin took an appointment at the University of Oregon Law School where he taught until joining the faculty of the Fletcher School in 1973.
●ささやかに追悼文を書いて、ボストンの新聞のお悔やみ欄に投稿した。I am deeply saddened to know that Distinguished Professor of International Law Alfred P. Rubin passed away at his home in Belmont, Massachusetts on November 30. Professor Rubin was a Professor of International Law for thirty years from 1973 until his retirement in 2002 at the Fletcher School of Law and Diplomacy. It is my privilege to be one of his students, even if not so smart one, but I learned from him the importance of rule and practice of international law and endeavorment to plant the trees of laws to cope with the possible attack of devils along the shores of the civilizations and the maintainenance and integrity of peace in the human communities. I remember he expalined about the legend of Sir Thomas More and quoted several pasages from a Robert Bolt drama, A Man for All Seasons and further inspriringly stated persuasiveness is very important,(probably because at that time my command of English language capabilities was terrible and the result of written test was below passage? Probably he urged this Japanese to express clearly and argue eloquently and persuade to establish the stable rules of law in the midst of the turbulence and vortex of the antagonism of nations. He even brought me to Washington D.C. to attend the annual meeting of American Society of Internail Law and to observe the moot court competition and proceedings. Once he asked students the meaning of a word, fungitive, and nobody knew and he explained the word originated from Latin fungus, mushroom in English, then I could laugh about our lack of knowledge together with other native English language speakers on equal terms and I could spell away a sort of inferiority foreign language complex). He was a defense lawyer involved American soldier's murder case occured in mlitary base in Japan when he was a mlilitary legal officer, so he told me probably because I came from Tokyo to the School during 1976 to 78. The outcome of the case is still lingering on my mind, and I think the matter should have been discussed thoroughly with Professor Rubin.
For the past years, in May every year I frequented to attend the Reunion at the School in Boston, and I could only telephone his home and already Professor Rubin was too weak to talk to me over the telephone and sick in bed, but I am sure he could recognize that his Japanese former student, even if not a smart one, came all the way to pay respect to the great teacher whom I learned at the Fletcher School of Law and Diplomacy. Several months ago I bought his book, now a classic, The Law of Piracy and for the coming months I will read for the memory of the provocative Scholar, and superb Teacher and the Mentor.  ルービン先生は、裁判管轄権の問題についてしつこく議論を展開した。ジラード事件で国防省が日本に管轄権があるとを明示したにも拘わらず、密約で刑が不当に減じられて放免になったことをなじったのかも知れないが、浅学にして意味を推し量ることができなかった。また、ニュルンベルグと東京裁判の違いや事後法の欠缺を問題にした。日本では、いまだに通説主義の追従が幅を利かせ、日本人学生は非才のまま老いた。

と英語で書いたが、日本語にして多数の読者には分かルようにした。ともあれ、日本と米国との間の関係が良かれと主ことである。TPPや、郵政民営化や、株式の売却とか、市場原理主義、新自由主義の拝金の米国とは疎遠にする方が、日米関係の長期的な安定に貢献すると信じる。日本が世界の精神的な安定の為に貢献するチャンスが訪れつつあるようにも感じるこの頃だ。

以下、ほぼ同文である。

●ルービン先生がお亡くなりになり、ボストンの代表的日刊新聞であるボストングローブ紙に訃報が出た。
 アルフレッド・P・ルービン、八三歳、一一月三〇日ベルモントの自宅で安らかに逝去。五四年連れ添ったスザンヌ夫人との間にコンラッド、アンナ、ナオミの三人の子供があり、孫五人と兄弟のサンダーの遺族。ルービン氏は二〇〇二年までフレッチャー外交法律大学院の国際公法担当の教授を務めた。コロンビア大学を一九五二年に卒業、法律修士号を一九五七年に取得。コロンビア大学ではフェンシングの競技に秀でていた。朝鮮戦争で海軍に従軍したために学業を三年間中断している。コロンビア大学を終えてから、英国のケンブリッジ大学ジーザスカレッジで研究をさらに継続した後に、国防総省国防次官補付の法律顧問として就職して、後に貿易管理担当の管理職に就任している。一九六七年にオレゴン大学ロースクールの教授に就任、一九七三年にボストンのフレッチャースクールに異動している。
●追悼文をささやかに英文に纏めて、ボストングローブ紙に設けられたお悔やみ欄に投稿した。要旨は次の通り。 ルービン教授のご逝去の報に接し、深い哀悼の意を表します。三〇年の長きにわたってフレッチャースクールの国際法の教授として活躍された先生の授業に出席した学生の一人として、しかも優秀とは言えない不肖の学生として、国際社会における法の支配と執行の重要性について教えていただいたことに深甚なる感謝を申し上げます。英国の大法官のトーマス・モアの故事を引用しながら、悪魔が攻めてくることを予想して、文明の海岸線に、法の林や森を創るために法の木を植えて万一の時にはその林の中に身を隠さなければならないと格調高く説明されたことを忘れません。ロバートボルトの戯曲「我が命つきるとも」(邦題)の名場面の解説もありました。あるときに、国際法は通説主義ではなく、説得力が必須で有ると力説されましたが、英語力がなくしかも試験での成績が劣悪であったこの日本からの留学生に対してもっと主張して論陣を張るようにとの叱咤激励であったように記憶しています。仁義のない国際社会では、雄弁に相手を説得して、意見を明確に主張することが大切だと教えようとの意図がありました。首都ワシントンでの米国国際法学会の年次大会にも引率して頂きました。模擬の国際法廷を傍聴させて、その経過を勉強する機会を与えて頂きました。あるとき、fungitiveという言葉の意味が分かりますかと突然学生に聞かれて、誰も分からなかったので、それはラテン語のfungus(キノコ)から派生した単語だと説明して、クラスが大笑いになって、英語に困っていた当方も一緒になって大笑いして溜飲を下げ、それ以来、外国語としての英語に対する劣等感が全くなくなったことを記憶しています。ルービン先生は、朝鮮戦争の間は日本の基地にも勤務された経験があるらしく、日本の基地で発生した殺人事件についても関与した気配で、当方が日本からの留学生だったので殊更に管轄権の問題について詳しく授業されたのではないかと思われますが、今となっては、先生と徹底的に議論を尽くしておくべきだったと悔やまれます。毎年五月の同窓会には、近年は毎年参加するようにしていて、ボストン郊外にある先生のご自宅に電話をいつも入れていました。先生は病の床に伏せられ、もう電話口に出る事も不可能でしたが、日本からのそれほど優秀でもなかった昔の生徒が電話を寄越したことは分かって下さったと思います。数ヶ月前に、ルービン先生のご著書で海賊についての論文集が出版されたので、アマゾンの通信販売で入手したばかりでしたが、先生のことを思い出しながら、これからの数ヶ月をかけて読破することにします。ルービン先生は問題提起に優れた学者で、同時に熱心な教育者でした
●ルービン先生が裁判管轄権の問題についてしつこい程に議論を展開されたのは、ジラード事件で国防省が日本に管轄権があることを明示したにも拘わらず、密約で刑が不当に減じられ放免になったことを詰(なじ)るためだったのかも知れない。当時は、浅学にして先生の真意を推し量ることができなかったのは残念である。また、ニュルンベルグと東京裁判の違いや事後法の欠缺を当時から問題にされていたが、すっかり洗脳され切った日本人の一人として、ルービン先生の危機感は理解できなかった。ソ連の原子力潜水艦が大西洋で沈没して、CIAがヒューズ航空機に特注したオーシャングローマーという起重機船で深海底から引揚げた時にも、先生は、米国の国益を守る為にも引き揚げ反対との論考をクリスチャンサイエンスモニター紙に寄稿した。日本の函館にソ連の戦闘機が着陸して、百里基地に移送し分解して調べ上げたときも、国際法に従って機体は返還すべきだと解説したことを思い出す。日本では、最高裁判所裁判官となった東大の国際法教授などが通説主義に追従することで幅を利かせていた時代だった。さて、その日本人学生は、非才のまま老いを重ねている。 

Betrayal

<拡散希望>

日本郵政グループが、持ち株会社の日本郵政と傘下の金融2社(ゆうちょ銀行、かんぽ生命保険)の株式を来年9月をメドに同時上場する方針を固めた。大マスコミは「上場時の時価総額が7兆円を超えた98年のNTTドコモに匹敵する大型上場」と歓迎ムードだが、冗談じゃない。同時上場は安倍政権の「売国政策」の一環で、300兆円近い日本の富を米国に献上するも同然である。

   ゆうちょは貯金残高177兆円を誇る日本最大の金融機関だ。かんぽの総資産85兆8000億円も日本の保険業界でトップである。2社の上場が実現すれば、総額300兆円近い「郵政マネー」が、丸ごと外資の手に渡ってもおかしくない。

   なぜなら持ち株会社の日本郵政の株式は、日本政府が最後まで3分の1強を保有することを法律で義務づけられているが、傘下の金融2社の株式は法の縛りから外れる。民主党政権が法改正するまで、郵政民営化法は〈17年9月末までに金融2社の株式をすべて売却する〉と定めていたほど。米国系の投資ファンドなどが一挙に株式を買い占め、金融2社を手中に収めることは十分に可能である。

「93年ごろから米国は郵政マネーを自国のために利用するプランを立て、虎視眈々と“収奪”を狙ってきました。日本への『年次改革要望書』にも記載し、それを具体化したのが、小泉政権の郵政民営化です。郵政マネーを米国に差し出すことは、日米間の既定路線。安倍政権は先の総選挙での自民大勝の勢いを駆って、民主党政権下で遅れた郵政マネーの米国献上を一気に片づける気でしょう」(経済アナリスト・菊池英博氏)

■ゆうちょとかんぽが抱える大量の国債

   実は今年10月1日に、財務省は日本郵政株を上場する際の主幹事証券会社をとっくに決めていた。海外市場にも株を放出する方針で、そのメーン主幹事はゴールドマン・サックスとJPモルガンが担うことも決まっている。

   問題は、ゆうちょとかんぽが、巨額の日本国債を抱えていることである。今年9月末時点での両社の国債保有額は計約202兆円を超え、その規模は日銀に次ぐ

「両社の株式が3割強ほど外資に握られたら、どうするつもりなのか。株主提案で『国債の運用比率を見直せ』と迫られたら、従わざるを得ません。両社が大量保有する国債の買い替えを渋るようになれば、日本の国債調達に一挙に穴があき、価格は暴落、長期金利が急騰する事態を招きかねません。両社の株が米国に渡れば、日本国債は常に暴落リスクにさらされることになるのです」(菊池英博氏)

   自衛隊を米国に差し出す集団的自衛権行使容認や日米ガイドラインの再改定、BSEが懸念される米国産牛の輸入規制緩和、米国が目の敵にする軽自動車の優遇税制の見直し――。発足2年で安倍政権は対米隷属路線を加速。日本郵政は米保険会社アフラックとの業務提携を強化し、全国2万カ所の郵便局をがん保険の販売網として進呈した。郵政3社の同時上場は売国政策のトドメとなるのではないか。

以上、日刊ゲンダイ12月26日号から。売国の株式上場であることがはっきりした。反対。阻止。しよう。同時上場。いかにもいかにもの報道発表となった。日本の国民資産を外国勢力にむざむざと渡してはならない。

The End of an Era

http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/42470

ラジオ番組のまとめ。他にも興味深い記事が掲載されている、JBPress社のサイト。ご参考まで。

Kuroshio 127

真珠と硝石と富の源泉

 フランシスコ・ザビエルが、真珠を求めて日本に来航したとの説について縷々書いたら、早速友人から貴重な情報提供があった。ザビエルの後継者らが大量のチリ硝石を持ち込み、戦国大名に火薬の原料として売りつけたのではないかという情報である。徳富蘇峰の「近世日本国民史」に色々書いてあり、硝石一樽と女三人が相場で取り引きされたことなど、とても正史には出てこない話があるとの情報だ。硫黄が火薬の重要な原料のひとつで、宋の時代、日本では鎌倉幕府の全盛の頃に輸出品の主品目であったことや、薩摩の硫黄島や、今は沖縄県に所属するが元々は奄美の一部で、徳之島の西方沖の活火山の島である硫黄鳥島および、西表島沖の海底火山については書いた。だが、南米チリから硝石をイエズス会が持ち込んだ話などはそもそも知らなかったし、また、アフリカ黒人を奴隷として新大陸に送り出した海岸を黄金海岸と言うように、日本の女性を海外に送り出した海岸を、白銀海岸と呼んでいたなどとの話も、浅学にして知らないので、友人からの情報の真贋について判断することができないでいる。硝石はマカオで樽詰めにされたために、硝石がマカオで生産されるものと戦国大名は誤認していたのではないかとの説も、カジノの本拠あるいは胴元がマカオにあると誤認するような現代の誤謬に通じる話ではある。確かに日本では爆薬の原料としての鉱物としての硝酸カリウムは産出しなかったために、火縄銃伝来と共に硝石が輸入された後には、煙硝、焔硝、塩硝、硝石などと名付けられ、各藩で秘中の秘としての製造組織が編成され、火薬奉行という職まで創って、色々な製法で国内生産に努めたのだった。

 床下表面の黒土を大量に集め、水を加え、硝酸カルシウムを水溶液として抽出し、大鍋で加熱し、これを木灰を入れた桶に注ぎ、高濃度の硝酸カリ水溶液にして、濾過し、煮詰めて乾燥する方法がある。硝化バクテリアの存在は分からなかったが、経験的に生産性の良い土があって、その土に原料となる草や土、糞尿等と混ぜ合わせれば、硝石の純度が上がることが分かっていた。腐敗物や尿から出たアンモニアは硝化バクテリアの働きによって亜硝酸に変化し、それが酸化されて硝酸となり、土中のカルシウ
ムと結合させ、灰汁(炭酸カルシウム)が作用して、硝酸カリウム(硝石)となる工程である。興味深いことに、富山の五箇山や岐阜の白川郷の合掌造りの大家族制の家屋の床下の「鼠土」が、硝化バクテリアを大量に含んでおり、また立山連峰の鉱山から硫黄も産出したから、加賀百万石の富の源泉が火薬の製造方法にあったのである。それにつけても、合掌造りの家が、大家族を住まわせアンモニアと硝酸バクテリアの取得を容易にするための構造であったとの研究があるのは興味深い。尿を南島では「しばい」と言うし、日本語では「いばり」とも言うが、威張り腐ったというのもアンモニアの話に繋がり、爆薬の話に成ってくるとすれば、権力の源泉について考えさせられる臭い話になる。サトウキビを搾って、大きな甕に入れておくと酢酸菌が作用して濃度の高い酢になり、その中に、酢玉と呼ばれるオリのような物質が発生することが知られている。乾燥させると、爆発的に燃える物質である。天然のセルロイドで、その中に硝酸が含まれている。サトウキビが、黒潮の洗うフィリピン、台湾、琉球から、日本各地で、単に甘味料ではなく火薬の原料として栽培された可能性についても言及しておきたい。最近、絞り滓のバガスから航空機の胴体の素材になるような炭素繊維を製造しようとする動きがあるのは慶賀すべきである。真珠を採取するために腐らせた後の土が、爆薬を生産するために好適な腐敗土だったのではなかったのかと想像すると、もう妄想になるので書くことを控えるが、魑魅を「すだま」と和語で訓むことを記録しておきたい。

 世界戦略情報「みち」に執筆されたことのある慧眼の読者からはエルミタージュの秘宝について繰りのような教えを頂いた。「美の対象でしかなかった真珠が、こんなにも色んなところに関わっているのかと驚いており、真珠と日本へのキリスト教の上陸地が関わっていたことは興味津々、今までに見た真珠の中で、一番「凄い!」のは、エルミタージュの宝石庫の中にあった小箱のふたを飾る、エカテリーナ女帝の横顔の形をした真珠で、ヨットの形をした真珠もあり、女帝の横顔の真珠には、大きさもさることながら、自然の造形の不思議とそれがみつかることの背後にある富と力の底知れなさを感じたものでした。

 真珠が真円として日常化したのは御木本の養殖真珠からで、パールの語源自体が大腿か洋梨の形をした二枚貝のラテン語からである。ロシア河川からの淡水真珠は、尚更貴重な生産物であるから、ロマノフの財宝の壮大さが窺えよう。ギリシア語で、真珠をマルグリトと言い、テキーラを混ぜたマルガリータはもとより、マーガレット、メグなどの女性や花の名の元となった。三種神器の勾玉(まがたま)が貴石を示す玉を用い、海からの起源である勾珠(・)ではないことを明確にするのは、陸封の勢力に対して格別の意味があると思う。(つづく)

An Uprising

亀井静香先生が今回の総選挙で当選した。一揆だと、勝利の挨拶をした。
高橋清隆氏が選挙模様を現場から、ブログの記事にして報道した。新自由主義の政策と戦う希有な政治家の、選挙運動の山場における発言などを記録してブログにして、発信された優れたルポルタージュである。リンクをはるので、ご一読を勧める。

Book Review

亀井静香先生の新刊本の書評を高橋清隆氏が書いている。ご参考まで。

http://blog.livedoor.jp/donnjinngannbohnn/archives/1843807.html

05年に小泉政権が郵政民営化を打ち出して以来、グローバリズムとたった1人で全面交戦してきた男、亀井静香衆院議員。本書は、従米的政策によって自滅しつつある日本の惨状に我慢できず、「弟のようにかわいがってきた」安倍首相に託す渾身(こんしん)のメッセージである。  文章は非常に砕けている。「ショボイよな」「ひどいもんだよ」「抵抗するぜ!」など、修辞法の軽さが目障りなほどだ。ライターが口述筆記したのだろう。内容は「アベノミクス」をはじめとする安倍氏の政策批判、小泉政権の総括、幼少期から国民新党脱退までの半生記、今後の戦いに向けた提言などからなる。  安倍氏の政策批判では、経済学に明るい亀井氏の本領が発揮されている。「第1の矢」と称される金融緩和策は、わが国の株式市場を外国ヘッジファンドの賭博場にしていると指摘する。マスコミが絶対書かない真相である。  「政府は、株価が下がればPKO(プライス・キーピング・オペレーション)で郵便貯金や簡易保険、国民年金などの公的資金をせっせせっせとつぎ込んで株価の維持に躍起になっている。…その結果、日本国民の積み立ててきた金が兜町を通じてアメリカをはじめとする外国の金融市場にジャブジャブ流れている」  「機動的な財政出動」をうたう「第2の矢」は、日本の現状を見ないために空振りしているという。小泉改革前後から公共事業を減らしてきたために人手不足に陥り、技術者もいなくなり、金を積んでも工事が進まないと指摘する。  「第3の矢」については、政権再交代のどさくさに竹中平蔵氏が入ってきて、新自由主義的な政策を展開していると批判する。郵政民営化や労働者派遣法の改正、タクシーの許認可制度廃止などを挙げた後、次のようにつづる  「竹中も口では『セーフティーネットが必要だ』と言っている。しかし、日本人が長い歴史の中で続けてきた日本らしいセーフティーネットである『相互扶助』の仕組みを自由競争の市場原理に合わないという理由でさんざん破壊してきたやつが今さら何をという感じだ」  亀井氏は竹中氏を「彼は派遣会社大手のパソナ会長も務めている。だから経済人と言った方がいいだろう」と両断。その上で、『美しい国、日本』を目指す晋三が、なぜこの矛盾に気付かないのか、俺にはさっぱり分からない」と吐露している。ほとんどの国民の正直な気持ちではあるまいか。  今後の戦いに向けた提言として、農村漁村の復興や地域再生、特別会計の廃止などを挙げる。  農業政策では、地方再生を掲げながらTPPや農協解体で農業をつぶしにかかる安倍政権の矛盾を指摘。補助金などを通じて農家に工夫を促すと同時に、食糧安保の観点から主食である米や麦を政府が買い上げることも提言している。  地域再生については、日本の企業の99%が中小零細企業であることから、規模の大小を問わず地方に工場を出す会社に大幅な補助金を出し、新技術開発を促進することや、地方への移住者が増えている現状を踏まえ、保育園や特別養護老人ホーム開設などによる活性化を提案。「かんぽの宿」を使った長期介護サービスやデイサービスの検討にも言及する。  財源は、特別会計と一般会計の一体化と、無利子非課税国債の発行で十分賄われると主張する。会計制度の変更で30兆円、無利子非課税国債で20、30兆円は捻出できるとにらむ。後者は消費税引き上げの代替策になる。  ところで、同書は12月1日現在、Amazon「日本の政治」部門で第1位、総合でも88位の人気本だが、最寄りの紀伊國屋ですら置いてない。版元が小さいからだろうか。拙著『亀井静香が吠える』(K&Kプレス)の原稿がおよそ30社から断られた苦い体験と重なる。  「亀井静香について書いた」と言うと、大抵「たたく方か、それとも持ち上げる方か」と聞かれ、「持ち上げる方です」と言うと、それで話は終わった。大手から亀井氏を肯定する本は出せないのがわが国の現状らしい。  これまでのマスコミ報道も悪宣伝に終始してきた。12月14日投票の衆院選出馬についても、「『無所属』亀井氏、出馬固まらず」(11.18産経)「永田町ではすっかり存在感が低下した無所属の亀井静香元金融担当相」(夕刊フジ)など印象操作を繰り返す。亀井氏の名を出すと拒絶反応を示す国民がまだいるが、単にマスコミに洗脳されているだけではないか。  12月2日から、「大義のない解散」(11.21亀井氏HP「視点論点」)に伴う選挙戦が始まる。同書は、国民を完膚無きまでに苦しめてきた従米路線政治への宣戦布告に見える。

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