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Kuroshio 128

●ルービン先生が、お亡くなりになった。ボストンの新聞に訃報が出た。Rubin, Alfred P. 83, of Belmont died peacefully at home on November 30. He leaves behind Susanne, his loving wife of 54 years, three beloved children, Conrad, Anna and Naomi, five grandchildren, and his brother, Sander. Mr. Rubin was a professor of public international law at The Fletcher School of Law and Diplomacy, Tufts University until 2002. He received his B.A.... (1952) and J.D. (1957) from Columbia University. While at Columbia Mr. Rubin was a nationally ranked foil fencer. His studies were interrupted by three years of military service in the Navy during the Korean War. Upon completing his J.D., Mr. Rubin attended Jesus College at Cambridge University for post-graduate studies, completing an M. Litt. He began his career in 1961 as a legal advisor to the Defense Department advancing to the position of Director of Trade Control in the Office of the Assistant Secretary of Defense. In 1967, Mr. Rubin took an appointment at the University of Oregon Law School where he taught until joining the faculty of the Fletcher School in 1973.
●ささやかに追悼文を書いて、ボストンの新聞のお悔やみ欄に投稿した。I am deeply saddened to know that Distinguished Professor of International Law Alfred P. Rubin passed away at his home in Belmont, Massachusetts on November 30. Professor Rubin was a Professor of International Law for thirty years from 1973 until his retirement in 2002 at the Fletcher School of Law and Diplomacy. It is my privilege to be one of his students, even if not so smart one, but I learned from him the importance of rule and practice of international law and endeavorment to plant the trees of laws to cope with the possible attack of devils along the shores of the civilizations and the maintainenance and integrity of peace in the human communities. I remember he expalined about the legend of Sir Thomas More and quoted several pasages from a Robert Bolt drama, A Man for All Seasons and further inspriringly stated persuasiveness is very important,(probably because at that time my command of English language capabilities was terrible and the result of written test was below passage? Probably he urged this Japanese to express clearly and argue eloquently and persuade to establish the stable rules of law in the midst of the turbulence and vortex of the antagonism of nations. He even brought me to Washington D.C. to attend the annual meeting of American Society of Internail Law and to observe the moot court competition and proceedings. Once he asked students the meaning of a word, fungitive, and nobody knew and he explained the word originated from Latin fungus, mushroom in English, then I could laugh about our lack of knowledge together with other native English language speakers on equal terms and I could spell away a sort of inferiority foreign language complex). He was a defense lawyer involved American soldier's murder case occured in mlitary base in Japan when he was a mlilitary legal officer, so he told me probably because I came from Tokyo to the School during 1976 to 78. The outcome of the case is still lingering on my mind, and I think the matter should have been discussed thoroughly with Professor Rubin.
For the past years, in May every year I frequented to attend the Reunion at the School in Boston, and I could only telephone his home and already Professor Rubin was too weak to talk to me over the telephone and sick in bed, but I am sure he could recognize that his Japanese former student, even if not a smart one, came all the way to pay respect to the great teacher whom I learned at the Fletcher School of Law and Diplomacy. Several months ago I bought his book, now a classic, The Law of Piracy and for the coming months I will read for the memory of the provocative Scholar, and superb Teacher and the Mentor.  ルービン先生は、裁判管轄権の問題についてしつこく議論を展開した。ジラード事件で国防省が日本に管轄権があるとを明示したにも拘わらず、密約で刑が不当に減じられて放免になったことをなじったのかも知れないが、浅学にして意味を推し量ることができなかった。また、ニュルンベルグと東京裁判の違いや事後法の欠缺を問題にした。日本では、いまだに通説主義の追従が幅を利かせ、日本人学生は非才のまま老いた。

と英語で書いたが、日本語にして多数の読者には分かルようにした。ともあれ、日本と米国との間の関係が良かれと主ことである。TPPや、郵政民営化や、株式の売却とか、市場原理主義、新自由主義の拝金の米国とは疎遠にする方が、日米関係の長期的な安定に貢献すると信じる。日本が世界の精神的な安定の為に貢献するチャンスが訪れつつあるようにも感じるこの頃だ。

以下、ほぼ同文である。

●ルービン先生がお亡くなりになり、ボストンの代表的日刊新聞であるボストングローブ紙に訃報が出た。
 アルフレッド・P・ルービン、八三歳、一一月三〇日ベルモントの自宅で安らかに逝去。五四年連れ添ったスザンヌ夫人との間にコンラッド、アンナ、ナオミの三人の子供があり、孫五人と兄弟のサンダーの遺族。ルービン氏は二〇〇二年までフレッチャー外交法律大学院の国際公法担当の教授を務めた。コロンビア大学を一九五二年に卒業、法律修士号を一九五七年に取得。コロンビア大学ではフェンシングの競技に秀でていた。朝鮮戦争で海軍に従軍したために学業を三年間中断している。コロンビア大学を終えてから、英国のケンブリッジ大学ジーザスカレッジで研究をさらに継続した後に、国防総省国防次官補付の法律顧問として就職して、後に貿易管理担当の管理職に就任している。一九六七年にオレゴン大学ロースクールの教授に就任、一九七三年にボストンのフレッチャースクールに異動している。
●追悼文をささやかに英文に纏めて、ボストングローブ紙に設けられたお悔やみ欄に投稿した。要旨は次の通り。 ルービン教授のご逝去の報に接し、深い哀悼の意を表します。三〇年の長きにわたってフレッチャースクールの国際法の教授として活躍された先生の授業に出席した学生の一人として、しかも優秀とは言えない不肖の学生として、国際社会における法の支配と執行の重要性について教えていただいたことに深甚なる感謝を申し上げます。英国の大法官のトーマス・モアの故事を引用しながら、悪魔が攻めてくることを予想して、文明の海岸線に、法の林や森を創るために法の木を植えて万一の時にはその林の中に身を隠さなければならないと格調高く説明されたことを忘れません。ロバートボルトの戯曲「我が命つきるとも」(邦題)の名場面の解説もありました。あるときに、国際法は通説主義ではなく、説得力が必須で有ると力説されましたが、英語力がなくしかも試験での成績が劣悪であったこの日本からの留学生に対してもっと主張して論陣を張るようにとの叱咤激励であったように記憶しています。仁義のない国際社会では、雄弁に相手を説得して、意見を明確に主張することが大切だと教えようとの意図がありました。首都ワシントンでの米国国際法学会の年次大会にも引率して頂きました。模擬の国際法廷を傍聴させて、その経過を勉強する機会を与えて頂きました。あるとき、fungitiveという言葉の意味が分かりますかと突然学生に聞かれて、誰も分からなかったので、それはラテン語のfungus(キノコ)から派生した単語だと説明して、クラスが大笑いになって、英語に困っていた当方も一緒になって大笑いして溜飲を下げ、それ以来、外国語としての英語に対する劣等感が全くなくなったことを記憶しています。ルービン先生は、朝鮮戦争の間は日本の基地にも勤務された経験があるらしく、日本の基地で発生した殺人事件についても関与した気配で、当方が日本からの留学生だったので殊更に管轄権の問題について詳しく授業されたのではないかと思われますが、今となっては、先生と徹底的に議論を尽くしておくべきだったと悔やまれます。毎年五月の同窓会には、近年は毎年参加するようにしていて、ボストン郊外にある先生のご自宅に電話をいつも入れていました。先生は病の床に伏せられ、もう電話口に出る事も不可能でしたが、日本からのそれほど優秀でもなかった昔の生徒が電話を寄越したことは分かって下さったと思います。数ヶ月前に、ルービン先生のご著書で海賊についての論文集が出版されたので、アマゾンの通信販売で入手したばかりでしたが、先生のことを思い出しながら、これからの数ヶ月をかけて読破することにします。ルービン先生は問題提起に優れた学者で、同時に熱心な教育者でした
●ルービン先生が裁判管轄権の問題についてしつこい程に議論を展開されたのは、ジラード事件で国防省が日本に管轄権があることを明示したにも拘わらず、密約で刑が不当に減じられ放免になったことを詰(なじ)るためだったのかも知れない。当時は、浅学にして先生の真意を推し量ることができなかったのは残念である。また、ニュルンベルグと東京裁判の違いや事後法の欠缺を当時から問題にされていたが、すっかり洗脳され切った日本人の一人として、ルービン先生の危機感は理解できなかった。ソ連の原子力潜水艦が大西洋で沈没して、CIAがヒューズ航空機に特注したオーシャングローマーという起重機船で深海底から引揚げた時にも、先生は、米国の国益を守る為にも引き揚げ反対との論考をクリスチャンサイエンスモニター紙に寄稿した。日本の函館にソ連の戦闘機が着陸して、百里基地に移送し分解して調べ上げたときも、国際法に従って機体は返還すべきだと解説したことを思い出す。日本では、最高裁判所裁判官となった東大の国際法教授などが通説主義に追従することで幅を利かせていた時代だった。さて、その日本人学生は、非才のまま老いを重ねている。 

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