World Restoration
「月刊日本」論説委員の山浦嘉久氏が、一水会の機関誌「レコンキスタ」第432号に論説を掲載した。ご本人の了解を得て、転記して掲載する。
クリミア訪問で伝えられたプーチン大統領の日本観
一水会の木村代表がクリミアを訪問したことは、実に深い意義があるということを申し上げたい。前号の「レコンキスタ」四三一号の報告記事において、クリミアのセルゲイ・アクショノフ首相が日本社会の尊敬すべき三つの美点として、天皇陛下の御存在、家族制度、そして社会秩序が堅持されていることを挙げ、「この三つの要素が上手く結びつき、日本を日本たらしめている。これに我々は学ばなくてはならない」「日本の元首である、天皇陛下には強く尊敬の念を持ちます」と述べたことが記されていたが、この発言と分析は素晴らしい。そしてこの認識を持っているのがプーチン大統領であり、むしろプーチン大統領の言霊がアクショノフ首相の言論と心性を規定しているので波無いか、と推測される。あの発言を引出し、視察団が直接首相から聞くことが出来ただけでも、一水会のクリミア訪問は価値があったと思われる。
もはや欧米のような「覇権の力学」では、現在のような人類文明史における大転換点期に対応できない。政治学者サミュエル・ハンチントンはその著作「文明の衝突」の中で世界の文明を中華文明、ヒンドゥー文明、イスラム文明、東方正教会文明、西欧文明、ラテンアメリカ文明、アフリカ文明、そして日本文明の八つに分類し、冷戦後の世界秩序を分析した。文明の断層地帯、ことに西欧とイスラム圏、ロシア圏とが関わる場合において衝突の可能性があることが述べられているが、私はこの一角を担う日本文明も世界において果たすべき大きな役割が必ずあると考えている。
その点からしても今回一水会がクリミアにいったことと、これまで木村代表がロシア方面との交流を蜜に持ち、日本の民族派の損愛をしらしめていること、そしてプーチン大統領もそれに呼応して関係を構築しようとする動きをとっていることに新たな可能性を感じるのだ。
プーチン大統領はKGB出身であり、西欧の報道では諜報機関の怖さのイメージばかりが喧伝させられているが、対外情報活動をやっていたエリートとしてのちせいを馬鹿にしてはならない。また彼は可K津討議をよくたしなみ柔道もかなり遣うが、彼の師はかつての黒龍会に所縁ある日本人だと言われている。
プーチン大統領はそういう筋からも日本を理解しているのではないか。この混迷の世界状況のなか、英米の支配に対抗するロシアの復権を目指すとともに背世界政治の公正を呼びかけ、唯独り、的を得た動きを見せている政治家はプーチン大統領のみである。このような人物と連携することは重要だ。
過去の威信を越えた「世界維新」を起こせ
この二十年来の一水会をみていると、イラクをはじめとする中東方面とロシア方面での活動に、かつての内田良平の黒龍会的なものを感じる。内田良平と大本教の出口王仁三郎の関係にみられるような宗教者の霊性、叡智に触れる景気を餅ながら行動することも重要と考える。「王政復古の大号令」の起草者玉松操の師にあたる、幕末の国学者大国隆正は「天壌無窮の皇位は世界万国に君臨すべき神聖」という「万国総帝論」を説いた。その中で、彼は「明治の御一新を一国の独立だけに限定することに満足してはならない。あくまで明治維新は賞維新であり、天皇が万国の総帝となる。世界維新の礎としなければいけない」と指針を述べている。その考え方から言えば、明治維新が小維新、大東亜戦争が中維新、そひていまこそが大維新のときかも知れない。
「皇道」を唱えた今泉定助や歴史家平泉澄らの影響下にある識者により、昭和十二年に編纂された「国軆の本義」には、
「天照大神が皇孫瓊瓊杵ノ尊を降ろし給ふに先立って、御弟素戔嗚ノ尊の御子孫であらせられる大国主ノ神を中心とする出雲の神々が、大命を畏んで恭順せられ、こゝに皇孫は豊葦原の瑞穂の国に光琳遊ばされることになった。而して皇孫光琳の際に授け給うた天壌無窮の神勅には、豊葦原の千五百秋の瑞穂の国は、是れ我が子孫の王たるべき地なり。宜しく爾皇孫就きて治せ。行矣(さきくませ)宝祚(あまつひつぎ)の隆えまさむこと、当に天壌(あめつち)と窮りなかるべし。と仰せられてある。即ちこゝに儼然たる君臣の大義が昭示せられて、我が国体は確立し、すべしろしめす大神た天照大神の御子孫が、この瑞穂の国に君臨し給ひ、その御位の隆えまさんこと天壌と共に窮まりないのである。」とある。
この「豊葦原の瑞穂の国」「天壌無窮」に日本の汎神論的な精神があり、西洋の一神教とは違う、西洋的なロゴスを必要としない国の豊かさがある。
角田忠信と言う学者が「日本人の脳 脳の働きと東西文化」という本のなかで、 日本人は他の言語を母語とする者と右脳と左脳の働き方がちがう、ということを書いている。虫の声、波、風、雨の音などを、言語で処理する左脳で受け止めるのは日本語を母語として育った脳だけだという。また、明治以降知られるようになった外来語が訳されるなかで、「サイエンス」を「科学」と書き、そこに「科」(とが)という、罪を区分するのと同じ意味をもつ語を使い、科学の利便性を認めはするがすべて肯定するのではないという日本語の完成はすごいことだ。
これらを踏まえて新たな文明論を構築すべきだ。排外主義ではなく、新たな価値創出をする。かくありき、かくあるべし、ではなく山川草木にも神が宿るということを、学問的に理科にするのではなく、当事者として、日本人として生きよ、と言いたい。
歴史が示す維新の兆候
慶応三年、世に「ええじゃないか」の争乱があった。それは明治維新直前の庶民の無意識の反映たる大衆騒動であった。その時期、伊勢神宮への御陰参り激増したことも伝えているが、平成二十五年、式年遷宮の年には伊勢神宮の参拝客数が過去最高の千四百二十万人余りを記録し、平成二十六年も千八十六万人を超える参拝客があった。この、日本国民全人口の一割ほどの人間がお伊勢参りをしたということは何を意味するのか。庶民が肌で感じる時代の潮流がいままさに大きくうねっている。ふたたび「ええじゃないか」のような騒動が起き、維新が起きることの予兆ではないか。それをリードする方向性を感じさせるのが民族派の感性、思想、行動なのである。維新を成就するために様々な形態、いろいろな活動があってよい。古来よりの魂を受け継ぎ、保守的ながらも、革新的な頭をもち、それらを超越した諜体制の意識、世界維新を担う自負心を持たねばならない。我々はいま歴史の帰路にある。大いなる禊ぎ祓いが必要だろう。その視点から、いまの政府の堕落を批判し、視野を広め、世界を視るという姿勢をしめさねばならない。本物の維新者としての思想と行動が求められる。
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