構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

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Kuroshio 139

 甥の運転する軽四輪車に乗って故郷の島を一周した。「♪周り二十四里、蘇鉄とキビの徳之島かよ、冬知らず」と徳之島小唄を口ずさみながら、助手席に座っていた。まずは、松原集落のシルシーン坂(しら)の中程に、初代大島松原郵便局長を務めた稲村武明翁の記念碑があるので訪れた。わが郵政民営化反対行動の原点はここにある。次は、西郷隆盛が島流しに遭って蟄居した跡を岡前(わーじん)という集落に訪ねた。昔、島でただ一人の歯医者だった父が出張所を開設していた旅館あけぼのが港のある平土野(へとの)の町にあったが、知るよしもなく通り過ぎた。甥の父親、先代の大島松原郵便局長の出身地である兼久(かねく)は高名な柔道家だった徳三宝先生の出身地だ。西阿木名(にしあぎな)の郵便局の脇を通り過ぎて、秋利神(あきぎやん)の峡谷の上にかかった橋の脇に車を止めて休憩をした。その昔、全島一周の道路工事では、この川の絶壁を下る道が一番の難所だった。舗装道路でもなく、ジープが通る道を肩車して貰って峡谷を眺めた記憶がある。秋利神で獲れたモズクカ二の雑炊を食べた記憶もある。水力発電所もあって、父の弟がそこの電力会社に勤めていたので、川で獲れたカニのお相伴に与ったのだろう。休憩した展望台の上流にはダムが建設され、すでに貯水も始まったとのこと。本当にダムが完成すれば、これまで天水のみに頼っていた島の南部に水が豊富に供給されるようになり、立派な農地も誕生するだろう。内地の資本が入り込んできて土地の買占めが起きやしないかなどと、老婆心ながら思うことだった。

 次に、犬田布(いんたぶ)の集落にある明眼の森に行った。南側に沖永良部の島が遠望できる小高い丘をなしており、亜熱帯植物の群落がこんもりともりあがったような森になっていた。細い道を頂上まで辿ると、香炉が置かれて拝所でもあることが分かった。大木ではないが、タブノキはあった。もしかしたら地名の犬田布は、このタブの群落からつけられた名前かも知れないと想像した。イヌクスとはタブノキの別名であるから、イヌタブとはクスノキの別名かも知れないなどとややこしく考えた。明眼の森は国の指定する天然記念物であるが、島でもそれほど知られていない。荒れた風でもないから、集落の住民の中にちゃんと森を守って来た人々がいるに違いないと敬意を表する。次の集落の阿権(あごん)はどうなっているだろうか、確か鹿浦(しきや)に郵便局があったはずだが、今は移転したとの話も聞いていた。前の局長の中熊さんは、退職されてから時日が経たないうちにお亡くなりになった。阿三(あさん)が父の生まれた集落だ。屋敷があって廃屋が残り、親戚もあるが、立ち寄らなかった。日本で一番長命だった泉重千代さんの銅像が立っている場所もあるが、父方の祖父の墓参りの準備をして来なかったので、静かに立ち去った。伊仙(いせん)町の役場に立ち寄って大久保明町長を表敬訪問した。一度、伊仙町が主催して奄美市町村議員大会があったとき講師として呼んで頂いた御縁があったので、知らない顔をして通り過ぎるわけに行かなかったのだ。仕事の邪魔にならない程度に四方山話をして立ち去った。町長は県会議員の経験もあり、元々はお医者さんであるから、島の医療の現実についていろいろとご高見を拝聴した。

 面縄(うんのー)は、奄美の祖国復帰運動をした泉芳朗先生の生誕の地だ。製糖工場のある目手久(めてぐ)、検福(きんぼう)と通り過ぎて喜念(きねん)の浜に行った。闘牛の牛を、足腰を鍛えるため砂浜を歩かせるらしく、砂浜には、牛の蹄の後が点々と残っていた。砂浜を歩いていてアッと声を上げそうになった。半分砂に埋もれているが、青いプラスチック箱に「気仙沼魚市場」と黒字で書かれた魚箱が打ち上げられている。遙か東北から流れ着いたのだ。志津川の郵便局の前にあった鋼鉄のポストが遙か西表(いりおもて)島に大津波で流出して流れ着いたことが話題になったが、この魚箱も大津波で流出したかどうかは別にして、東北の魚市場に所属する箱が黒潮の反流に乗って徳之島の浜に流れ着いたに違いないと想像しながら、証拠写真を撮った。浜辺を後にして、南原(はいばる)の海岸を通り過ぎた。小学校の時の思い出だが、弁当をもって来ない友達の家が南原にあり、その友達の家に行ってみると本当に食べるものがないほどの貧しさで、世の中にはこんな貧しさもあるのか、と子供心に思った。その友に一回名瀬(なぜ)で会ったが、ヤクザになっていた。左に曲がると尾母(おも)、白井(しろい)という集落があるのはオモシロイことだ。小学校が分校で、校庭の近くの森に、オオタニワタリという大きなシダの群落があった。島の中心地の亀津(かむぃじ)では、その昔、家族が住んでいた場所の前を通り過ぎた。小学校の同級生が数年前に亡くなって、その後島に戻っていなかったので、娘が島の黒砂糖で作った手作りのイタリア風の焼菓子を線香代わりに御霊前に供えようと東京から持参した。その日の夕方に、友達から電話が掛かってきて、亀津にはなぜ泊まらないのかと言われたが、墓参りで松原に来ただけだと弁解して許してもらった。秋に亀津中学校の同窓会が島で開かれ再び帰るが、小学校を卒えて私はすぐヤマトゥに出たから、本当は番外の同窓生だ。

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