Kuroshio 141
郵政民営化を狙う者の正体
●郵政民営化という虚妄の議論の始まりは二〇年前に遡る。政府調達協定交渉で郵政事業の資材調達を自由化せよとの主張が波及して、経営形態論となったのだ。電気通信分野における資材調達の自由化が日本では日本電信電話公社の民営化の圧力と軌を一つにしたが、郵政分野の資材調達は、電気通信分野と異なり、技術革新がなく、労働力集約産業であり市場規模も小さいことから、政府調達協定の枠内に入るか否かが大きな議題とはならずに、経営形態論と直結して議論が行なわれた。直裁に述べると、電気通信の場合には、外国企業の製品の調達と関係したが、日本の郵政民営化論は外国からの製品調達とは関係がなく、生命保険と国債の金融市場開放と支配の思惑が背景にあり、欧州に見られたような、各国郵政の主導権争いの要素もなかった。
●世界的にはまず万国郵便連合で議論となった。万国郵便連合本部は、スイスの首都ベルンにあり、国際電気通信連合についで最も古い政府間国際機関である。まず表面化したのは、国際高速郵便分野だった。アラビア半島やペルシア湾で、国際石油資本による石油掘削が大規模に行なわれ、現場と本国との郵便確保のために、高価格であっても確実に届ける国際高速郵便制度の導入が模索された。もともと米国の軍需物資の航空会社を発足基盤とした企業であったが、ドイツポストの資本参加を得て、ドイツ企業となったDHL社が有名である。独自の文書配送システムを開始して、ユニバーサルサービスの郵便制度の枠外として承認された。フェデラルエクスプレスの設立は、北米を中心として物流革命を起こすことになり、航空機搭載によって一夜のうちに集荷、区分、配送を高速で行う世界的な物流システムが急拡大した。急送市場と呼ばれる小荷物配送の市場が成立した。高額であっても信頼性の高い高速配送を必要とする郵便物が、ユニバーサルサービスの規制対象外として導入されたから、世界各国の郵政庁は、収益率の高い国際郵便市場を失うという危機に直面した。対抗して開発した郵便商品がEMSである。既存の国際郵便ネットワークを利用しながら、出来るだけ低料金でサービス提供を行うことを目的として導入された郵便商品である。国際郵便分野に限れば、経営形態論の広がりはほとんど見られず、追跡システムの導入など、システム近代化論の議論の方が主流であった。航空機による物流革命が喧伝される中で、国内郵便事業の劣化が問題となり、そこで登場したのが経営形態論である。まず、国営、公社、国有企業、民営企業の四つの選択肢の中で議論が行なわれ、クーパーズ&ライブランド社等の国際的な会計法人が議論の口火を切った。万国郵便連合の会合にも非公式のオブザーバーとして積極的に参加し、世界的なコンサルタント会社に変貌していった。ロンドンに本社を置くトライアングル・物流コンサル会社は、郵便制度の競争力強化は物流のシステム制度の改善の面からの取り組みが必要であると主張していたが、議論は経営形態論に比重を移し、経営改善が議論とはならず、郵便制度の改革が経営形態によって行なうべきであるとの主張に変化した。万国郵便連合の中では、政府機関としての組織と、事業運営体としての組織が水平分離された。特に欧州では、ヨーロッパ統合の動きの中で、各国の権益をめぐる主導権争いが背後にあったから、競争優位を目指すかのように、スウェーデン、オランダ、デンマークの郵政庁などが強硬な民営化論を推し進めた。郵政当局の間で意見の乖離と対立が目立ち、先述のEMSの場合には、ドイツ、フランス、オランダ、スウェーデンなどがその取り扱いを停止する事態に至った。日本から送達されるEMSが当該国の民間運送会社によって配達される事態にもなった。英米日が中心となって、国営を維持したままで、EMSの品質改善と追跡システムの導入を積極的に推進したが、欧州では民営化によって郵便制度の強化を図るべきだとの主張が強くなり、特にオランダでは、豪州の物流企業であるTNT社を招致し、郵便の民営化の軸に据えた。TNTはフィリピンのスービック湾の元米軍基地飛行場を利用して、中古の貨物航空機を調達してアジア全域への高速郵便輸送を展開しようとした。TNTは台湾をEMSシステムから離脱させる工作を行なったが、日本が対抗して、台湾に残留の説得を試みて成功している。アジア各国が同調せず、TNTは撤退して影も形もなくなった。日本郵政公社が発足してまもなく、国際物流進出が話題となり、提携先がTNTでバラ色の未来の国際物流進出として喧伝されたが、TNTはすでにアジア展開に失敗しており、不良資産となった物流部門を肩代わりさせることが主眼であったことが容易に推測される。支那の郵政当局が、日本郵政は欧州の植民地主義の郵政の肩を持つのかと揶揄する発言をしたとも伝えられていた。
●シカゴ大学卒業生の新自由主義の経済学者が、中南米の経済政策を市場原理主義一色のショックドクトリンで染め上げ、郵政民営化を世界に先駆けて実施した。万国郵便連合で、アルゼンチン代表が民営化を高らかに宣言したが、わずか数年後にデフォルトに陥り、郵政民営化も瓦解した。アルゼンチンでは郵政を再度国有化している。ニュージーランドでは、国際競争力が著しく向上したと八〇年代前半に喧伝され、市場原理主義の優等生として国を挙げてあらゆる分野で民営化政策を導入したが破綻した。大学、図書館、航空会社、電力会社、病院に至るあらゆる公的な事業を民営化したが、失敗に帰して、大量の雇用人口の国外流出がおきた。マドリッドで開催された情報通信の国際会議で、ニュージーランド人の事務局員から、ホワイトカラー層の海外脱出が発生した事情の詳細と嘆きを聴取したことがある。また、航空会社や通信会社など大方の基幹産業が外国企業に買収されて、ようやく政権交代が起き、政策転換を行なった。小泉首相が就任後にニュージーランドを訪問した時には、郵政民営化はすでに瓦解しており、初の女性首相であるクラーク首相に民営ポストは使われているかと質問して、それは使われていないとの返答があったことが報道された。日本国内では、日本経済新聞を中心として、ニュージーランド郵政の民営化を成功例として賛美して報道することが通例で、失敗の惨状が顧みられることはなかった。
●ニュージーランドの民営化を推進したコンサル会社は、マッキンゼー社であり、同社は世界中で暗躍した。民営化論の前哨戦となったオランダ企業の失敗や、アルゼンチンやニュージーランドの失敗は顧みられることがなく、強力に自由化・民営化を推し進めた。一九九七年に欧州連合は郵便市場の規制緩和を郵便自由化政策の一環として公式に認め、議題として検討する、拘束力のある指令として発出した。郵便の独占領域を段階的に縮小し、二〇〇九年までに市場を完全自由化するというものである。当時の予測では、一〇年後には郵便はグローバルな市場で競争して、欧米の郵政はすべて民営化され、国営独占事業体は消滅するはずだった。料金は市場原理で決定されて安くなり、ダイレクトメールなどの料金が二~三〇%低料金となり、ユニバーサルサービス、不採算地域に対する配達義務は一つの郵便事業体が担うものではなく、国家の責任で行なうなどとした。予測はことごとく外れ、郵政民営化が完全実施されたのはオランダとドイツのみである。一部を民営化したのが、オーストリア、ベルギーとデンマークである。イタリア、イギリス、スペイン、スイス、フィンランド、フランス、ノルウェー、スウェーデンといった国々では国家主導の経営を続けている。民営化を果たしても、株式公開に至ったのは、オランダ、ドイツ、オーストリア、イギリスなどの少数に過ぎない。詳細をみると、オランダでは、民間部門が一〇〇%株式を保有したが、ドイツは六九%、オーストリアが四九%、ベルギーが五〇%、デンマークが二五%に止まる。過半数の株式を国が保有し、黄金株と呼ばれる最後の拒否権を行使できる株の一株も国が保有し、残りを郵政や社員保有株として三パーセント配分しているが、他の七五%は国有であるなど、欧州の大多数の「民営化」の内実は国有事業の経営改善である。米国は日本に対しては郵政民営化を強力に推し進めるべく外圧を加えたが、ブッシュ政権が発足して直ちに検討開始した大統領委員会は二〇〇三年、連邦政府の独立行政機関である米国郵便事業体(USPS)を強い独占分野を残したままで、国営政府機関として存続することを決定している。小泉・竹中政権では米国の郵政国営維持の決定は参考とはせずに、米国政府とウォールストリート勢力の圧力に屈して、金融資産の外国開放の観点に偏って郵政民営化が強行された。米国企業で構成する在日米国商工会議所は、ベストエフォートの郵政民営化を喧伝したが、自国においては国営形態が維持されたことを顧みない二重基準(ダブルスタンダード、二枚舌)であった。筆者の米国人の同志は、郵政民営化に反対するシンポジウムに参加するため来日した際に、同商工会議所が発表した報告書の英文の文体を、強圧的な英文だと鑑定評価したことがある。全米保険協会は強力な政治団体で、大統領候補ともなったキーティング上院議員が会長を務めていたが、日本の医療保険を米国型に改変するために障害となる可能性のある簡易保険制度の廃止を強く求めて、郵政民営化を後押しした。米国政府の貿易代表部幹部に、在京の米国系保険会社の社長を就任させている。マイケル・ムーア監督による映画「シッコ」は、米国保険制度の欠陥を指摘して話題となった作品であるが、全米保険協会の政治的影響力について解説している。カナダ郵政の郵政民営化に際しても、コンサル会社のマッキンゼー社が関与したが、英連邦諸国の一員であるために、ニュージーランドの失敗例の情報が共有され、一方的な民営化論の広がりが抑制され、カナダの郵政民営化論はその後大きく後退した。ドイツの郵政民営化にも、マッキンゼーが関与したことはよく知られている。初代社長に就任したクラウス・ツムヴィンケルは元はマッキンゼー社の社員で、民営化の受託会社の社員が顧客先の組織のトップに就任したことから、利益相反の不正の可能性が指摘され、世界の郵政関係者の間でミッキーならぬマッキーという仇名がついて軽蔑されていた。
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