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Kuroshio 146

☆政治学の恩師である京極純一先生は「若い時に文章を色々書いても、鍵のかかった金庫に入れて、年月が経ってから取り出して楽しむのがいい」と諭されたが、奄美・徳之島への基地の移転話も、もはや、金庫に入れておく切実な話でなくなったので、備忘録にしたい。当時の内閣官房副長官の滝野欣弥氏が、筆者が徳之島出身であることを知って電話をかけて寄越したころ、、昭和医大病院に入院して意識が朦朧たる中で、メモ代わりに書いた拙論である。(重複を削り、一部を訂正・修正)

●徳之島の名前が全国に知れ渡った。鳩山内閣は、沖縄の普天間基地移
設で、外圧に屈して政権を投げ出した。「少なくとも県外」移設と期待を持た
せ、超大国で政権交代があり、多少の理解を期待したが、華府(ワシントン)で冷たい扱いで(ボタンの掛け違いほどの冷たさで)大統領に五分と会えなかったから意気消沈したか。沖縄の基地の経費負担もしていない国の哨戒艇が沈没して、靖国も詣でない間に献花に赴き、沖縄には警護の車が疾走する野次と怒号の中での訪問となった。いつかは自主防衛をしなければいけない、外国軍隊に任せっきりにするのは悪いとの趣旨を最後の挨拶で明らかにしたが、土壇場での説教は遠吠えとなった。「あなた方の時代に、日本の平和を日本人自身で見つめることのできる環境をつくることを、日米同盟の重要性は言うまでもありませんが、一方でも模索していきたい」との発言は重要であるが、だったら外国への移設、あるいは普天間の閉鎖をなぜ主張しなかったのか。自分の時代は、外国軍隊に日本の平和をまかせることを仕方がないと思っていたのか。外国軍隊の遠征軍が抑止力になると思っていたのだろうか。抑止力とは、外国から脅されたときに、断固拒否して自らの対抗措置を執る、軍備を含めた自国の総力である。単純に外圧に屈服しただけで、総理に腹案と指導力があれば、副官を務めるべき外務大臣や防衛大臣もあちらの方を向くばかりではなかっただろう。社民党閣僚を罷免しないで、追従者を罷免して内閣改造をすれば延命したかも知れない。まして、女房役の官房長官の右往左往には嫌気がさしただろうが、身から出た錆だ。静岡の国会議員が、徳之島の病院関係者からの話を真に受けて、医療特区にしてカネでもばらまけば、黄鉄鉱(Fool’s Gold)でも宣撫工作がすぐに完了するとの甘い見方をしたのか、現職総理が基地問題の相談に徳洲会の創立者のお医者さんを訪問するのは軽率だった。地元を代表する町長などとの面会する前の話だから、島には今も酋長がいるのかと勘ぐった向きもあったか。自治体の借金を棒引きにする話や、振興策を沖縄並みにするとの餌をぶら下げたが、振興策は基地と本質的に関係がない。沖縄県でも、宮古や石垣には基地がないが、振興策がある。奄美の離島振興を沖縄並みにするのであれば、沖縄振
興法の枠組みに入れて、沖縄と奄美に差をつけない南西諸島振興法にすればいいだけだ。島々を馬鹿にしきった対応で、工夫が足りない、反省がないことを露呈させただけで歴史に残った。沖縄の女性歌手グループのネーネーズという唄者が、黄金(くがに)の花という唄をヒットさせたが、カネで人心を買う話は聞き飽きている。細かい話だが、徳之島は、そもそも「県外」と言えるだろうか。

●慶長年間に(1609年)に薩摩の琉球征伐があり、四百周年の記念の年に、沖縄県知事と鹿児島県知事とが、奄美の名瀬で面会するという和解の行事もあったが、奄美は琉球の地方で、気候・文化も、言語も沖縄と同一であり、鹿児島県大島郡であっても、薩摩への帰属意識は無い。奄美は独立心旺盛で薩摩の軍勢に鋤鍬で立ち向かい、琉球王国の為政者も手を焼いていたらしく、首里王府は奄美が薩摩の直轄地になることをさっさと認めている。鹿児島県になっても、代官政治の名残で、今も出先の大島支庁を名瀬に置く二度手間である。連合国との戦争に負けて、奄美は,トカラ、小笠原、沖縄と並んで、米軍軍政下に置かれたが、まず、トカラが昭和二七年二月党十日に、奄美は、翌年一二月二五日に祖国復帰を達成した。奄美の復帰運動は激しく、インド独立運動に範をとって、断食のハンガーストライキを集落ごとに行い、小中学生が血判状を出した。奄美のガンジーと呼ばれた詩人で復帰協議会議長の泉芳朗先生のこと、宮崎市にある波島地区のこと、祖国復帰運動が日向の地で始まったこと、宮崎に密航して青年団を組織して、日本本土で初めて公然と祖国復帰運動を展開した、徳之島の亀津出身で、満鉄育成学校を卒業して、奄美が第二のハワイとなって米国に併合されることを恐れていた為山道則氏のことも書いた。基地もない奄美の返還は、奄美の自立・自尊が沖縄に波及することを避けたのだ。 徳之島に米軍基地を移設するとの愚かな提案は、異民族支配に対する希有の民族運動の歴史に挑戦する話でもあった。ペリー提督は、首里王府を脅迫して琉米和親条約を結び、江戸湾に乗り込んだことは言わずもがなだが、奄美を取り返し、他策ナカリシカと苦渋の決断をして、基地つき本土並みの沖縄を取り返したのに、琉球の栄華の再来を目指すならいざ知らず、外国軍隊の出先として徳之島を召し上げることを画策したのは、歴史と立ち位置を無視することだった。

●都道府県知事を招集し、外国軍隊の地方拡散を提案したことは奇矯だった。引き受け手がある筈もなく、口で沖縄の負担の軽減と言いつつ外国に守って貰う発想では、属国となり自立・自尊の日本を放棄するだけだ。抑止力の勉強が足りなかったというが、工業大学教授の経歴から決断の専門家と聞かされ、対米交渉で奥の手があることを期待したが外れた。インド洋に浮かぶディエゴ・ガルシア島では二千人を島外に追い出し海軍基地にしたが、徳之島の人口は二万人を超える。奄美は、抵抗の伝統があるから、ディエゴ・ガルシアのように、簡単に追い出されはしない。島外に出身者がいるから、日比谷公園で反対集会が開けたし、神戸や大阪で奄美出身者が久しぶりに沖縄関係者と合流すれば、甲子園を借り切って闘牛大会を兼ねた反異民族支配の大集会ができたかも知れない。日教組の委員長をした奄美出身で軍国少年だった由の故宮之原貞光参議院議員から聞いたが、サンパウロに鹿児島県人会館ができて完成したが、奄美人には、はばかりがあり、沖縄県人会館ができたら同じ島人(しまんちゆ)の誼(よしみ)があろうと思い、沖縄県人会館ができたら、先に本土復帰して鹿児島県人だから、沖縄県人会館には入れないと言われ、それではと、現地に骨を埋めた先達の墓場の近くに、小屋を建てて、奄美会館と言う表札を懸けたという独立不羈の精神訓話を聞いた。「県外」と言う言葉に惑わされて、普天間の基地を辺野古に移して豪華版にしたあげくに、徳之島に基地を追加して、沖縄県民が納得するのであれば、歴史も何もない。米国総領事館は、王朝の墓陵のある浦添にあるが、管轄を沖縄県だけではなく、奄美群島をも兼管している。米国は王国の記憶をとどめており、徳之島を「県外」と観ていないようだ。徳之島は、中央に井之川岳という676メートルの山があり、奄美の中で、自給自足が可能な島だ。水源を堰き止めた農業用水ダムがちゃんとすれば水もある。空港は天城町の塩浜(しゆーはま)集落の海岸の珊瑚礁を埋め立ててつくった。空港の上手に、特攻
の前線基地であった元陸軍浅間飛行場の滑走路跡が直線道路として、サトウキビ畑になって残る。

●王朝の事大主義は、モノを食べさせるのが主との格言もあり、沖縄には支那の易姓革命の思想が一部にある。構造改革論の小泉総裁を誕生させる選挙の時に、沖縄全部の地方票がブッシュべったりで勝ち馬の小泉氏に入れた。普天間返還を差配した橋本総理をすっかり忘れて、変わり身は早い。権威と権力とが未分化で殺伐とした陸封の名残である。王朝の最高官僚の三司官は笑うことをなかった怖さで、反乱を容赦なく弾圧するマキアベリ型で琉
球を統治している。任地の安寧を図る大日本の役人とは異なる。王朝が滅びた時には祝宴を張った集落もあり、支那風の髪を切ることに反発したり、王朝回復の為に北京に亡命した者も出た。奄美では、明治維新は四民平等の開明として歓迎され、断髪が敢行され、亀津断髪として進取の気風を尊ぶ象徴となっている。沖縄と奄美には、微妙に気風が異なる。鳩山内閣の失政は、自民党政治の延長線上に戻ったことであるが、期待を持たせたから、沖縄では民族自決の話がまことしやかに出てくるだろう。ヤマトゥが頼りにならなくなると、北京に媚びを売るし、平壌に出かけて主体思想を礼賛する者すら出るだろう。当事者の米国礼賛に走る者すら出よう。軍政下の沖縄で、ハワイのハオレ、中南米でのシカゴ・ボーイズの様に、米国留学組が巾を聞かした様に、今度も外国の強国を礼賛する者が出る。長いものには巻かれろの易姓革命の思想は、時の権力を正当化して、肩書きに弱く現状維持論に傾き、本音は急激な変化は求めない優柔不断さであるが、弱点を見せると襲いかかる。沖縄の問題に奄美が加わることによって、易姓革命の思想の一人歩きが抑えられて、むしろ新たに強力な自立・自尊を求める力の方向に動く可能性がある。

●島々の基底には白砂を撒いて海辺で憑かれたように安寧を祈るシャーマンの権威が本質で残る。易姓革命の残留は上澄みでしかない。冊封体制以前の島々が一体化した時代に復古すれば、豊玉姫と玉依姫は海神国の出自であり、国造りの一方の源に位置するから、母親(アーマ)をないがしろにする離反はできない。パラオやテニアンへの移設の話もあるが、旧南洋群島は日本の委任統治下になり、日本が負けて、連合国はアメリカの信託統治にして、今では属領のようにしてしまっている。ハオレの心配があるが、基地の移転問題は、セピア色の写真が南海の彩色で往来が復活したかのようである。韓国や豪州が外国軍隊の駐留を引き留め、哨戒艦の沈没が辺野古の継続を助けるという珍妙な論理も展開された。東アジア共同体構想の虚構も歴然とした。百済や渤海の故地から、千島・樺太を回り、モンゴル、ウィグル、チベットを辿るツランの同盟と、南方から黒潮の道が列島で出会い、南洋群島、台湾、フィリピン、インドネシアの多島海を見晴るかす海洋国家の共同体を目指す方が自然で現実的である。大陸の外縁にある環太平洋の海洋諸国やハワイやペルーやブラジルの同胞と連帯する体制固めの方が重要であることを、浮き彫りにした。(つづく)

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