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Kuroshio 147

黒潮がツランと出遭うところ

●北陸新幹線が金沢まで開通したから、能登半島に出かけるのも、東京から東海道新幹線の米原で乗り換えて敦賀や福井や白山に行くのと同じように簡単になった気分がして、対馬海流が洗う舳倉島(へぐらじま)に行くには時期を佚してしまったが、能登の国の一之宮の気多大社に詣でようと、宿泊を予約せずに列車に飛び乗ったが、宿泊観光協会の窓口に電話をしても羽咋(はくい)の土日の宿屋は満杯だと断られた。金沢に観光客が殺到しているとの話を聞いてはいたが、能登半島にまで賑わいが及んでいるとは知らず、迂闊であった。羽咋に行く旅程は、新幹線を富山で下りて、北陸新幹線の金沢延伸と同時の三月一四日に並行在来線区間を継承して開業した「あいの風とやま鉄道」と「IRいしかわ鉄道」とを乗り継いで高岡や倶利伽羅(くりから)を経由して更に津幡で七尾線に乗り換えて羽咋に行くことにしていた。高岡駅前に素泊まり一泊の六〇〇〇円也の宿が見つかり、羽咋には高岡から翌早朝に出立することにした。

●徳之島に犬の門蓋(いんのじようふた)という隆起珊瑚礁が荒波に浸食されてできた断崖や洞門、洞窟が海岸線沿いに続く場所がある。そこに、北陸の高岡から来た新婚旅行客の二人が転落して死亡した事故が起きたことがあった。嘆き悲しむ母親の歌が新聞に掲載されていることを覚えている。事故が起きたのがいつのことだったか、悲しい歌の文字も忘れてしまったが、高岡の夫人が、人の生き死にについて、しかもわが子の死について心を定める信仰心を持っていることに感銘を深くしたことがあった。事故死した新郎は高岡の銅器製造会社の経営者の子息であったと記憶している。高岡はGHQとの交渉に当たり、戦後憲法の起草に担当者として関わり、後に内閣法制局長官、人事院総裁を務められた佐藤達夫氏の出身地でもある。同氏は、『植物誌』という著作がある植物愛好家であり、北原白秋に師事した歌人でもあった。また、大蔵省の会計課長を辞し前々期の高岡市長を務めた佐藤孝志氏の岳父である。筆者が任官したときに代々木の選手村後の講堂で、佐藤人事院総裁が「貴方方はもはや天皇の官吏ではない、国民全体の奉仕者である」と訓示したことを記憶しているが、未だに一抹の違和感が残る。後に総理大臣となる竹下登氏が内閣官房副長官として陪席していた。

●高岡駅から高岡山瑞龍寺まで歩いた。山門と法堂が国宝であり、総門や禅堂などほとんどが重要文化財となっている江戸初期の禅宗寺院を代表する建築である。加賀二代藩主前田利長公の菩提を弔うために、その義弟で三代藩主利常公が、時の名匠山上善右衛門嘉広をして建立した曹洞宗の寺である。仏殿の屋根は鉛の瓦で葺かれている。鉛瓦は加賀藩の居城金沢城の石川門と三十間長屋と瑞龍寺仏殿、それに消失した江戸城以外にはない。加賀藩には、松倉・河原波・虎谷・下田の四金山、吉などの鉱山があって、鉛がふんだんに生産された。それに銅の加工技術もあり、鉛に〇・〇六%から〇・〇八%の銅を加えて強度など高める技術があった。五箇山の大家族の家は、培養法という古来の硝石採集、即ち黒色火薬の原料を採集する為ではなかったかとの説を既に書いたが、加賀藩は鉱山と精錬術に秀でていたのである。今回ノーベル物理学賞を受賞した東大宇宙線研究所長梶田隆章氏は、本人家族が富山市に居住していることも興味深いが、神岡の地中深くに建設した研究施設を使用していることと宇宙線の観測が鉱山掘削技術との関連を想像させるのは、尚更に興味深い。瑞龍寺の本尊の仏像は釈迦・文殊・普賢の三尊であるが、大明帝国からの渡来仏である。落雁は今は有名な和菓子の代名詞となっているが、元々は明の小麦粉・米粉を水飴や脂肪で練り固めて乾燥させた軟落甘という支那の菓子であるから、加賀韓と大明帝国との活発な貿易関係と往来が想像できる。
●大友家持が越中守として高岡の伏木に赴任し天平時代の五年間滞在した。万葉集の全歌四五一六首のうち、家持の歌が四七九首あり、そのうち二二三首が越中時代に詠まれたとされる。富山湾奥の港を総称して伏木富山港と呼んでいるが、支那や朝鮮半島との定期航路もある重要な港湾施設である。ウラジオストックとの交易もある。富山湾は水深一〇〇〇メートルにも達して、さながら天然の生簀のような海である。表層を流れる暖かい対馬暖流と深い所には冷たい深層水があり、暖流と冷水の両方の魚が生息できる。山々からは豊富な酸素と栄養分が供給される。海底地形が沿岸から急激に深い海底谷となっているために、漁港に近い位置で漁ができ、定置網漁が発達している。

●高岡駅前から万葉線という路面電車が射水市となった新湊の越ノ潟の終点まで走っている。新型電車の車内では、立川志の輔師匠が声の車掌を務めており、寄席にいるような気分で乗れる。新港を横切る県営の渡船はなんと無料だ。新湊大橋は投光されて夜空に美しく映える。近くに海王丸も展示されている公園がある。大橋を歩いて渡る。大伴家持が奈呉(なご)の海や奈呉の浦と詠んだ放生津潟の入口にかかる、富山新港を跨ぐ新橋である。  (つづく)

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