構造改革、民営化、市場原理主義の虚妄から、マインドコントロールを解くための参考図書館

« Kuroshio 148 | トップページ | Kuroshio 150 »

Kuroshio 149

徳之島絶壁に立つ観世音菩薩象

●小学校の卒業式が終わって一週間も経たないうちに島を離れヤマトゥへと旅立ったから、島の中学校には行っていない。亀津中学校の同窓会があり、参加する八八人の仲間の一人にしてもらって帰島したが、全島一周の観光バスで犬の門蓋(いんのじようふた)に立ち寄り、越中高岡と徳之島との悲しい縁を刻んだ絶壁に建立された観世音菩薩像を拝観することになった。高岡を訪ねてから時間が経たないうちに、悲劇の現場で願文を拝読することができたのは、きっと単なる偶然ではなく、門徒衆との結縁があるのではとすら思うことだった。台座の銅板に次のように刻まれている。
 願 
ここ天城は
空も海も人の心も限りなく
さながら観世音の瑠璃光世界の如し
されば 縁により
この地を訪れたる諸人よ
早離 即離のことわりをさとり
今をより美しく過ごされることを
子を失ないし母は
祈願し奉る
「昭和五十二年六月、施主 秋元外美 富山県高岡市」とある。会社の名前は秋元銅器製作所であることも判った。なるほど、絶壁の眼下の海は瑠璃色の大海原だ。黒潮が西方を北上しており、その流れが東支那海と称する陸封の勢力との境界を定め、島々の連なりが、瑠璃光の今をより美しく生きようとする民の世界との間に一線を画していることを体感する。島の東側の喜念の砂浜に、奥州の石巻の魚市場の箱が流れ着いていて、列島の海上の南北の往来が確かであることを実感した経験も、すでに書いた。

●羽咋(はぐい)の大社を訪問した際に高岡に立ち寄ったが、その紀行文に佐藤孝志氏が市長を務めていたことについて触れた。戦後憲法の制定に関与した後の佐藤達夫人事院総裁の子息と書いたが、正確には、佐藤達夫氏には男の子がなく娘が二人あり、姉が結婚したために、妹と結婚する孝志氏が旧姓の楠をやめて佐藤姓に変えたとのことだ。楠家側は姓を変えることに反対したが押し切ったとのことだった。東大の駒場寮に政治経済研究会というサークルがあり、同窓生の懇親会の場で佐藤孝志氏から直に拝聴した(一一月二一日、学士会館)。大蔵省会計課長を自分の意思で辞して市長選挙に打って出たので、市長を退任しても、いわゆる天下りなど大蔵省の世話にはならなかった由である。佐藤孝志氏は昭和三四年に高岡高校を卒業して東大に入学している。筆者の興味は、新憲法の制定に関わった高名の学者官僚が家名を残す伝統に拘ったことであり、「貴方方はもはや天皇の官吏ではない」との講話について、伝統に対する惜別の発言とも解釈できる可能性を感じたので、特に養子縁組のことを書きとどめておきたい。

●黒潮文明論の一三五号分までをまとめた単行本『黒潮文明論 民族の基層と源流を想う』を彩流社から出版した。畏友の元朝日新聞論説委員の今西光男氏は主宰するメディアウォッチに早々に書評を掲載した。日刊工業新聞は、八木澤徹論説委員が執筆して書評を掲載した。霞ヶ関の官界情報の月刊誌『時評』には米盛康正社長の計らいで書評が出た。高橋清隆氏と飯山一郎氏、山崎行太郎氏の有力ブログでも紹介して頂いた。アマゾンのブックレヴユーには小川すみれ氏が書いて下さった。『月刊日本』は表紙裏にカラー広告を出し、版元は読売に新聞広告を出した。『ダイヤモンド』の一一月二一日号はコラム「知を磨く読書」の第125回で、評者を佐藤優(作家・元外務省主任分析官)として、拙著の表紙写真とともに、「冷徹な分析と憂国の情」との見出しをつけて書評を載せた。
 黒潮文明論は、旧郵政省の元幹部で、奄美諸島・徳之島出身の稲村公望氏によるユニークな作品だ。有能な実務家としての冷徹な分析と憂国の情がこの作品の中で見事に総合されている。中央政府のエリート官僚でありながら、国家権力に対して批判的な視座を稲村氏が持ち続けたのは、同氏のルーツが奄美にあることと関係している。1952年4月に発効したサンフランシスコ平和条約で、沖縄や小笠原と共に奄美も日本本土から切り離され、米軍の施政権下に置かれた。翌53年12月に奄美の施政権が日本に返還された。そのときの記憶が稲村氏には鮮明に残っている。
  ∧小学六年生の頃、朝は明けたりの曲と詩が異民族支配から解放された喜びを噛みしめるよう鼓舞したのだろうか(中略)
  「朝だ奄美の朝だ 日に焼けた君らの胸に盛り上がる復興の熱 そうだそうだみんなの汗で生みだそう明るい奄美」という行進曲調の歌が筆者の耳底に今も残るが、もう誰も知らない∨
 境界人としての感覚をもったエリートの奥行きの深さが伝わってくる(後略)。
 佐藤優氏に心から感謝を申し上げる。特にマージナルマンとしての意識について触れた点は図星である。「冷徹な分析」はさほど自慢にもしないが、「憂国の情」と評して頂けたのは、老いて誇りに思うところだ。(つづく)

« Kuroshio 148 | トップページ | Kuroshio 150 »

コメント

この記事へのコメントは終了しました。

トラックバック


この記事へのトラックバック一覧です: Kuroshio 149:

« Kuroshio 148 | トップページ | Kuroshio 150 »

2022年2月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28          

興味深いリンク