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Kuroshio 158

大倭豊秋津島とトンボ釣り

秋津島とはわが日本の列島のことである。形がトンボの秋津あかねに似ているからとされる。日本書紀では「大日本豊秋津洲」、古事記では万葉仮名で大倭豊秋津島と表記される。トンボにあてる漢字は蜻蛉で、カゲロウとも読む。筆者のふるさとの徳之島の松原集落では、トンボをイージャンボーラという。同じ島の別の集落では、大日本(おほやまと)の古語のあきつに繫がることをはっきりさせて、トンボをあけずと呼ぶ処もある。『与論方言辞典』には、ベール トンボ、トンボ類の総称。トンボの種類には、二ボー、カバーシ、ピング、トーグイ、ドゥーガンマ、マッコー、ナベーラ、ノーダキ、ウイカバー、アーカンジャなどの種類がある。と書かれている。与論島では、トンボをベールと言う。トンボを捕ることをベールクヮーシャーとしているが、魚を釣る人をイュー(魚)クヮーシャーというから、トンボを捕る感覚は、素手や、とりもち、網で採る感覚ではなく、魚を釣る(クヮーシ)感覚と同じであることがわかる。

●珊瑚礁のかけらで白い棒状の石を二本用意して一メールくらいの感覚を置いて糸の両端に結ぶ。それがトンボ釣りの道具である。トンボが飛んでいる時に空中に放り投げると、虫の餌と見間違って飛び込んで来て、糸に絡まって落ちてくる。トンボ釣りの小石を何度も根気よく空中に放り投げなければならないから、そのうち疲れ果ててしまうが、トンボが糸に絡まって、文字通りのキリキリ舞いで落ちてくるのには驚かされる。調べてみると、ヤンマなど大型トンボを捕る方法として、日本の各地で似た方法が伝承されている。

●京都では、トンボ釣りのことをブリと言うらしいが、狩猟用具のスペイン語起源のボーラ(Bolas)の発音に似ている。ボーラとは、複数のロープの先端に球状のおもりを取り付けた狩猟用具である。投擲武器でもある。複数の石または金属球またはゴムや木の錘を、革紐やロープや鎖やワイヤーなどで繋いでいるが、トンボ釣りと仕組みの基本は同じである。エスキモーが野鳥を捕るために使い、南米のインディオは、ダチョウ狩りのために使っている。インカ帝国ではスペインから持ち込まれて野生化した馬を捕獲するために、三個の錘が付けられたボーラが使われている。インカ帝国では、武器としても使用された。日本では分銅鎖がついて、忍者が用いた隠し武器がある。敵の骨を木っ端微塵に打ち砕く威力があるので、微塵(みじん)という名が付けられている。近距離で投擲して小動物を捕獲するための長い革紐上の道具を、ゾラというと、十五少年漂流記は記録する。

●在京の松原集落の出身者は、桜が満開の季節を見計らって東京の洗足池で、花見会をしている。満開予想の当たり外れはあるが、第七十八回目の花見会が今年も開かれた。その席で、幼稚園の同級生の香焼節子氏から松原集落誌のDVDを頂戴した。平成二七年二月十五日の日付と、松原上区 松元勝良とラベルに書かれている。フンジュとは大きな溝という意味だとのことや、グスク山があり、琉球のノロ神を祀り、琉球王国の按司(あじ)がなしの話が続く。矢竹(やーでー)がわざわざ植えられているとのことや、生きマブイ(魂)のことも説明される。外便所は、屋敷の入口の左側にあり、ケンモンなどの魔物に追われた時には、外便所に逃げ込めばいいとの話が語られるが、ビデオでみると、現代の外便所は、もはや南島雑話に図示される不潔な構造ではなく、水洗座式の清潔なトイレになっている。集落の背後の山の名前も興味深い。地図には天城(あまぎ)岳となっている。島では、イカ釣りの豊饒の海をイキャウン(烏賊 海)と云った。イカ釣り漁に、手こぎの船で出漁するが、ハーラと呼ばれる丸い編カゴのような形の雲が山頂にかかったら、天候が悪くなるので、港に引き揚げる目印にしたから、雨気岳が本当だろう。命からがら逃げずに済ませる山が雨気岳で、そこには、ノロの拝所もしっかりとあった。伊豆にも天城山があるが、海上天気予報の山に違いない。雨気岳の麓に大城(ふーぐしく)があり、ノロは、集落を回った。ノロが回ったウントニとシュントニという拝所が今も集落に残り、アクチの木が植わっている。何百年経っても大きさも太さもそのまま変わらない木で、植えた人も判らないと解説している。トニというのは、筆者は、古代朝鮮語にもある、谷、窪みのことではないかと推測するが、豚(ワー)の餌を入れる丸太を削ったものをワン(豚の)トーニということはもう書いた。七貝浜の浜降り(はまうぃ)は懐かしい。、芭蕉布(ばさぎん)の新衣(みーぎん)、新築の家(みーや)、草履(さば)、赤ん坊に至るまで、全ての新物(みーむん)を、海辺の潮で浄めた。赤ん坊に砂を踏ませる行事はミーバマ(新砂)クマシだ。浜降りで、ブンブン凧を揚げた。川に橋はなく、水を掛け合う禊ぎをしながら渡った。東南アジアの水掛(ソンクラーン)と同じだ。松元氏が収集したミニ資料館に、カニ採り籠のアローや籾を擦って玄米にするシルシという道具も残る。法螺貝が、猪を追う犬を呼ぶ笛としても使われたのだ。

●さて、子供の頃に楽しんだブランコを島口でなんというか首をひねってようやく、ウジラギと言うと思い出した。都会の陋巷で、忘れられかけた島言葉を保存する生きた化石の役回りの年になるとは思わなかった。(つづく)

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